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他者の内面への知識や常識は読書(あるいは漫画やアニメ)からしか得られない

なかなか面白い記事だが、長いし、後半は的外れな話と私には思える内容なので省略する。
先に、「ごんぎつね」の話の理解力の問題だが、これは今の子供の家庭環境を考えれば、何もおかしな話ではない。
子供は真面目に「お母さんの死体を熱湯消毒している」「お母さんの死体を煮て溶かしている」と考えたのだろう。なぜなら、今の日本で死体や葬式を見た経験のある子供はほとんどいないだろうし、死体への畏敬の気持ちなど習ったことも感じたこともないだろうからだ。母子ふたり暮らしで母親が死に、それで残された兵十が鍋で何かをぐつぐつ煮ていたら、死体の熱湯消毒か、死体の始末か、死体を料理して食うのだろう、という想像は「合理的」である。
死体への畏敬どころか、生命の尊重ということすら誰からも習っていないだろう。道徳の家庭教育など誰もしないだろうし、そもそも教える両親自体、自分にそれを教える義務や資格があるとも思っていないだろう。
それらを学ぶのは学校でも教科書からでもなく、社会環境と、読書以外には無い。そして、現代の子供の中で読書習慣の無い子供の割合は膨大なものだと思う。図書館は消え、本屋はどんどん廃業し、親は子供に本ではなくゲームソフトを与える時代だ。読書を通じてしか「他人の内面」や「道徳」や「社会常識」は学べないのである。昔から、地域のワルの中で知的な者はひとりもいたためしはないと思う。悪賢さとは別の話だ。
テレビや映画の中ではどんどん人が殺され、男と女は出会ってすぐにセックスする。子供が、「世の中の常識はそういうものだ」と思うのは当然だろう。(実は、アニメはそういう非倫理性が少ない。そういう自己規制があるのだと思う。これは高畑勲や宮崎駿が確立した日本アニメの優れた伝統だろう。ゲームは別だ。「相手をやっつける」のがゲームなのだから。)

(以下引用)


ごんぎつね』の読めない小学生たち、恐喝を認識できない女子生徒……石井光太が語る〈いま学校で起こっている〉国語力崩壊の惨状



    2022年7月30日 11時0分



    文春オンライン



少年犯罪から虐待家庭、不登校、引きこもりまで、現代の子供たちが直面する様々な問題を取材してきた石井光太氏が、教育問題の最深部に迫った『ルポ 誰が国語力を殺すのか』を上梓した。いま、子供たちの〈言葉と思考力〉に何が起こっているのか?



国語力をめぐる現場の先生たちの強い危機感



――なぜいま〈国語力〉が問題なのでしょうか?



石井 長年、不登校や虐待の問題など、子供たちが抱えた生きづらさをめぐって、当事者や関係者に多くの話を聞いてきました。取材を通して感じたすべての子に共通する問題点は、「言葉の脆弱性」でした。



あらゆることを「ヤバイ」「エグイ」「死ね」で表現する子供たちを想像してみてください。彼らはボキャブラリーが乏しいことによって、自分の感情をうまく言語化できない、論理的な思考ができない、双方向の話し合いができない――極端な場合には、困ったことが起きた瞬間にフリーズ(思考停止)してしまうんですね。これでは、より問題がこじれ、生きづらさが増すのは明らかです。



 以前はこうした実情を、〈うまくいっていない子〉に共通の課題だと認識していました。ところが数年前から、各地の公立学校に講演会や取材でうかがうことが増えるなかで、平均的なレベルとされる小・中学校、高校でも、現場の先生たちが子供たちの国語力に対して強い危機感をもっていることがわかりました。言葉によってものを考えたり、社会との関係をとらえる基本的な思考力が著しく弱い状態にあるという。



 そしてあるとき僕自身、都内の小学4年生の授業で、新美南吉の『ごんぎつね』を子供たちがとんでもない読み方をしているのを見て、衝撃を受けました。


社会常識や人間的な感情への想像力が欠如



――どんな授業だったんでしょうか。



石井 この童話の内容は、狐のごんはいたずら好きで、兵十という男の獲ったうなぎや魚を逃してしまっていた。でも後日、ごんは兵十の家で母の葬儀が行われているのを目にして、魚が病気の母のためのものだったことを知って反省し、罪滅ぼしに毎日栗や松茸を届けるというストーリーです。



 兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があるのですが、教師が「鍋で何を煮ているのか」と生徒たちに尋ねたんです。すると各グループで話し合った子供たちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言いだしたんです。ふざけているのかと思いきや、大真面目に複数名の子がそう発言している。もちろんこれは単に、参列者にふるまう食べ物を用意している描写です。



――「死体」を煮ているとは、あまりに突飛な誤読ですね!



石井 これは一例に過ぎませんが、もう誤読以前の問題なわけで、お葬式はなんのためにやるものなのか、母を亡くして兵十はどれほどの悲しみを抱えているかといった、社会常識や人間的な感情への想像力がすっぽり抜け落ちている。



 単なる文章の読み間違えは、国語の練習問題と同じで、訂正すれば正しく読めます。でも、人の心情へのごく基本的な理解が欠如していると、本来間違えようのない箇所で珍解釈が出てきてしまうし、物語のテーマ性や情感をまったく把握できないんですね。



様々な要因で広がる家庭格差



――近年、PISA(国際学習到達度調査)の学力テストで、OECD諸国のなかで日本は読解力が15位だったことが大きな話題になりました。



石井 PISAの読解力テストはテクニック的な側面も大きいと思います。たしかに文脈をロジカルに読み解く力自体も弱まっているのでしょうが、それ以上に深刻なのは、他者の気持ちを想像したり、物事を社会のなかで位置づけて考えたりする本質的な国語力――つまり生きる力と密接に結びついた思考力や共感性の乏しい子が増えている現実です。現場の先生たちが強く憂慮しているのもその点です。



 こうした国語力は自然と身につけている家庭環境の子にとっては何の問題にもなりませんが、様々な要因で家庭格差が広がるなか、「できない子」にとっては著しい困難を伴います。本質的な国語力の衰退がいまや一部の子に限った話ではないことを認識しなければ、いくら教育政策で「読解力」向上に力を入れても上滑りしてしまうでしょう。



交際相手の行為を“恐喝”と思わない女子高生



――従来から言われている「読解力低下」問題とは違う次元の深刻さを感じますね。



石井 象徴的なのは、ある女子高生に起きた恐喝事件です。その子は、わりと無気力なタイプで、学校も来たり来なかったりデートの途中で黙って帰ってしまうようなルーズな面がありました。こうした態度に怒った交際相手の男子生徒が、非常識なことをしたら「罰金1万円」というルールを決めます。それでも女子生徒は反省せずルールを破り、毎月のバイト代のほとんどを彼氏に払い、しまいには親の財布から金を盗んで支払いにあて続け、発覚したときは100万円以上も払ったあとでした。



ところがとうの本人は、自分の被害を全く認識できず、「言われたから」「ルールで決めたから」と相手の行為を“恐喝”とすら思っていないんです。男子生徒のほうも「同意あったし。金は二人で遊びに使ったし」と平然としている。



 当人のなかでは「ルールを決めた→同意した→実行した、何が間違っているの?」というプログラミング的な理屈で完結しているのですが、社会の一般常識や人間関係を考えたら明らかにおかしいわけです。搾取されているゆがんだ関係や親の金を盗んで渡していることに疑問すら持たない。



 教師がいくら指導しても、彼女のなかには言葉がなく、自分の状況を客観的に捉えたり、なぜそれがいけないかも全く理解できていなかった。当然彼女がそのまま大人になれば生きる困難さを強く抱えますし、親になれば社会常識が欠如したまま子育てをして、負の再生産が起こります。


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「天地否上九」(否の終わり)→日本はほぼ確実に良い方向に向かうだろう

「混沌堂主人雑記(旧題)」記事だが、非常に面白い。
まったくの偶然だが、卦の示唆する内容が私が占った「地雷復」とほぼ同じである。
「天地否」は、普通なら凶を意味する卦だが、その第六爻(上九)は「天地否」の終焉を意味する、実に素晴らしい良卦なのである。これまでがまさに暗黒の時代であったことを「天地否」という卦は見事に示している。だが、その時代は終わりつつある。これほど勇気と希望を与える「悪卦(笑)」は無い。
まあ、易というのは「変化」を重んじる占断法であり、ある意味では人生哲学だ。その哲学の基本思想が「変化」なのである。陰は陽に変わり、陽は陰に変わる。幸運だけの一生も不幸だけの一生も無い。(財政的に幸福な一生を送る、大物の二代目や三代目も精神的に陋劣な人生を送ることが多い。)山上烈士の不幸な半生は、人類最高の偉業を成し遂げる原動力として、彼の「最大の陰」を「最大の陽」に変えたのである。おそらく、これからの彼には幸福な未来が待っていると期待したい。山上氏こそは「天命を得た大人(たいじん)」だろう。

乱を治め、否を救うのは、天命を得た大人である。

ちなみに、これからの日本はどうなるかというと、「天地否」六爻の陽を陰に変えた変爻「沢地萃(すい)」は「萃は亨(とお)る。王有廟を大いにす。大人を見るに利(よろ)し。亨る。大牲を用いて吉。往くところあるに利し」という卦で、非常に良い卦である。「萃」は集まる意味。つまり、日本はあらゆる意味で豊かになる、と見ていい。「大牲」は大きな生贄の意味だが、それが安倍だったら、もうこれ以上の生贄(暗殺)は不要だということになるwww
「廟」は祖先の墓だが、「有廟を大いにす」は日本の本来の伝統に帰れ、の意味とも取れるし、安倍の「国葬」を利用して、弔問外交で世界の和平につなげろ、とも取れる。(まさに世界の大物政治家:大人を見るに利し、である。)それでこそ安倍が生贄になった意義も大きくなるわけだ。と言うわけで、「安倍国葬」問題については、私は頭から否定しないでもいいかな、という気になっている。国葬への不満が国民に残るからこそ、安倍系議員問題や統一教会問題に蓋ができなくなる、という見方も可能だろう。安倍の正体がバレた以上、今さら、安倍の神格化はまったく不可能だろうからその心配は無用なのではないか。

ということで、易は、思考を展開・発展させる補助線として非常に有効なことがお分かりだろうか。

(追記)私の占った「地雷復5爻」の変爻は「水雷屯(ちゅん)」で、創成の悩みを表す。新しい世界が始まるので、苦労は多いということだ。「屯はおおいに亨(とお)る。貞(ただ)しきに利(よろ)し。往くところあるに用うるなかれ。候(きみ)を立つるに利し」つまり、新しい政府(政権)で内政に専念するのが吉、ということだ。これまでの政府が「不正」だらけだったのだから「貞(ただ)しきによろし」は当然だが、「貞」は「貞固」の意味もあるから、急激な改革(たとえば改憲)などはダメだ、となる。


(以下引用)

私も占断・・・安倍氏死去後の日本の様相。

2022 - 07/31 [Sun] - 11:46

「地雷復」=日本の復活。安部の死で、日本は健全化の道を進むだろう(補足あり)

私も占ってみた。
易に「安倍氏死亡後の日本はどうなる」と。
天地否  上九  
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・
水雷屯や山水蒙などは、初爻に一番その卦の意味を弱く置き、爻が進むにつれ意味が強まってゆきます。
地天泰や、この天地否などはその逆で、初爻において意味が強く、進むにつれ意味が弱まり上爻は既に次の機運が動くとみる見方です。
この二つの見方のどちらなのかということを卦を学ぶ時にまず考えてその爻の位置とか、位の当不当、応比などを総合して見て行けば、大体、間違いない判断ができるでしょう。
この否の上爻は、塞がって通じなかったのが、その意味が薄らいでゆき、否の時が終わろうとしている爻です。
泰の「城隍に復る」に対照されるところです。
「先には否がり後には喜ぶ」は、そのままの解釈です。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・・
上九、傾否、先否、後喜、
上九(じょうきゅう)、否(ひ)を傾(かたぶ)く、先(さき)には否(ふさ)がり、後(のち)には喜(よろこ)ぶ、
この爻は否の終りにして、否もすでに傾き尽くして、まさに泰通に至ろうとするときである。
だから、否を傾く、という。
しかし、天下の否は、自ら傾き尽きるものではない。
乱を治め、否を救うのは、天命を得た大人である。
したがって、人力を尽くして心を用い、その後に安泰に至る、ということである。
ともあれ、これまでは否塞の乱世に憂い苦しんでいたのが、これより後は、否もすでに傾き尽くして泰通安寧の世に向かうのであって、楽しみ喜ぶときである。
だから、先には否なり、後には喜ぶ、という。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
まあ、多少の苦労はあっても、一息つけるようになると・・
否の終焉のはじめ・・・が、安倍氏謀殺だった。
お読みくださりありがとうございます。

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悪事で稼いだ3億円の家の住み心地はいいか

3億円の豪邸ねえ。本当はもっとカネがかかりそうなものだ。1億円程度の家は会社役員や医者でも建てられるが、下の写真が都会の中にあるなら、たった3億円では済まないと思う。


(以下「鳶の羽」ブログから転載)


  横濱でもガス山の奥に"資産ゼロでも一億円"で有名な
三原うん子の豪邸があるんだが
20220731SS00011
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  こっちのお宅はもっとスゴイ
20220731SS00009
20220731SS00012
近所の人に
「ここがオリンピックで三億円...いやもっとかも」って
後ろ指さされても
家族は平気で
住んでいられちゃったりすんだろうな
しかし、上にはもっと上が...
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動物と人間の「食べ物」と「性欲」の問題

「大摩邇」から転載。
まあ、元気の無い時に焼肉を食べると元気が出る、という話は聞いたことがあるし、西洋人という肉食人種が性欲と支配欲の塊である獰猛な種族であることも常識だろう。で、同じ肉食でも加熱すると「食物エネルギー」(これは私の造語)が減る、というのも何となく分かる。
ただ、頭脳労働の人間には旺盛な性欲は邪魔であり、哲学者で女好きという奴はほとんどいないと思うwww 特に男は、精液を放出すると即座に哲学者になる。女が女神からゴミに見えてくるwww これは、私が大昔に「ふられ竜之介」という漫画でギャグ化されたのを見て実に真実だなあ、と感心したことだ。(たぶん生涯独身の)カントはまずオナニーをしてから哲学的頭脳作業をしたという。坊さんに関しては、本来は女犯は禁忌だったが、親鸞か誰かが坊主も女犯妻帯をしていいとしてから、坊主の女犯も妻帯も一般化したのではないか。女犯の機会すら無い、坊主の寮では、男色が普通になるだろう。性欲は扱いが厄介だ。どんな偉そうな、真面目そうな紳士でも下半身は別人格、という者もいる。いや、それが大多数か。
ちなみに私は映画のベッドシーンが大嫌いで、あんなみっともない行為(性行為)を何か美しいものであるかのように描くのが馬鹿馬鹿しいと思っている。道路で犬が番(つが)っているのを見て、あれが美しい行為に見えるか? あれは、排便と同様、人前でやる行為ではない。人体が美しいという説も疑問で、裸が美しいなら、人間は全員、服など着ないで白昼に大通りを歩けばいい。国会議員など、値段の高い服を着ているから威厳が保たれるので、裸ならただの醜い老人たちにすぎない。もちろん、人体には美しいのも醜いのもある、というだけの話ではある。体重100キロの女性は(西洋には)たくさんいるが、体重100キロのファッションモデルはいないようだ。まあ、永遠に精神年齢10歳の老人の駄弁であるwww

(以下引用)

ポッテンジャーの猫

ナカムラクリニックさんのサイトより
https://note.com/nakamuraclinic/n/nc62cb86fb940
<転載開始>



画像

『シュレディンガーの猫』という言葉を聞いたことがある人は多いだろうが、『ポッテンジャーの猫』はあまりなじみがないかもしれない。


フランシス・ポッテンジャー博士は1932年から1942年にかけて、以下のような実験をした。目的は、加熱した食材が猫の健康(成長や生殖)にどのような影響を与えるかを調べることである。
猫を集めてきて、「普通食」群にはこういう食事を与える。
普通食:生肉(モツ、骨を含む)、生乳、タラ肝油
この比較として、「欠乏食」群を設定する。具体的には、
欠乏食:加熱調理した肉 or/and 加熱殺菌した牛乳(or粉ミルクor加糖練乳)、タラ肝油なし
ポッテンジャーは欠乏の条件を変えて複数の比較実験をしました(たとえば「生肉vs 加熱調理肉(その他の条件は同じ)」、「生乳 vs 加熱ミルク(その他の条件は同じ)」など)。
10年間で900匹の猫を観察した非常に力の入った研究です。どのような結論が出たと思いますか?



「普通食」群の猫は飼育室のなかを元気に走り回り、運動能力も優れていた。毛並みがきれいで、性行動も正常。高いところから放り投げても適切に着地する。
「欠乏食」群の猫は関節炎を生じ、動物園の動物のように無気力だった。高所からの放り投げ実験では着地が下手だった。行動に落ち着きがなく、一か所にじっとしていられない(現代でいうところのADHDのよう)。毛並みの色つやが悪く、すぐ皮膚病になった。口腔内病変が著明で、たとえば、大臼歯の歯茎に歯肉炎がある。歯茎は全体に柔らかく、赤みを帯びていた。
(中略)


加熱食第3世代は極めて脆弱だった。骨が弱く簡単に骨折した(飼育室の日当たりは良好であるためビタミンD不足による骨折はない)。協調運動が拙く、たとえば金網に爪をひっかけると自分でそれを外すこともできない。動くとすぐに疲弊した。
さらに、生殖をすることができなかった(従って加熱食の研究は第3世代までで終了)。まず、性的な興味がなくなっていた。仮に性行動をしメス猫が妊娠したとしても、胎仔は未熟で正常に成長できなかった。
一方、普通食の第3世代は健康そのもので、旺盛な繁殖力をも示し、第4世代、第5世代も健康であり続けた。


先日、北海道にアサイゲルマニウムの講演会に行ったとき、講演会終了後に食事会があった。たまたま僕の隣に座った女性がこんなことを言うわけです。「先生、ゴールデン飼ってるんですね。私も昔ラブラドールを飼っていました。ロンちゃん、ツモちゃんにはどんなエサを食べさせていますか?」
いや、実はエサにはすごく悩んでいます。最初は大手ドッグフードメーカーのものを食べさせていましたが、皮膚病になってしまって。いろんなメーカーを試しましたが、最初はいい感じでも、だんだん合わなくなったので、いっそ市販のフードはきっぱりやめて、手作りフードにチャレンジしたり。でもどんな食事がベストか、僕にも分かりません。今でも手探りです。
「分かります。私も同じことで悩みました。私が最終的に行きついたのは、生肉です。北海道で生肉のドッグフードを作っている人がいます。このHPを一度見てみてください」


おもしろそうだったので、生肉(鶏ミンチスティック、牛フレークミンチ)を注文してみた。届いた生肉を犬に見せると、ツモ(10か月)は大喜びで食べたが、ロン(2歳5か月)はクンクンにおってからプイと横を向いて食べようとしない。ツモはさらにお代わりを要求するように熱烈に僕を見て、それじゃロンの分もと差し出すと、一瞬で口の中に消えた。ツモがあまりにもおいしそうに食べるものだから、「そんなにうまいのなら俺にもくれ」という感じでロンが寄ってきたので、ロンの鼻先に生肉を近づけると、今度はぺろりと食べた。
それ以来、毎日生肉を食べさせるようになった。
すると、どんな変化が起こったと思いますか?
ロンがときどき遠吠えをするようになりました。散歩しているとき、メス犬を見ると何とかして近づこうとする。“男の子”になっちゃったわけです(笑)
2歳を超えれば十分成犬なのに、そういう行動が見られないのを不思議に思っていたんだけど、ようやくロンにも春を思う季節が来てしまった。
健康な人は、健全な食欲、健全な睡眠欲、健全な性欲を備えているものだけど、これは犬にも当てはまるだろう。今まで性欲らしい性欲がなかったのが逆に不自然だったんだ。
ちなみに、ロンツモ用の生肉、僕も食べてみた。犬があれだけおいしそうに食べているのだから人間が食べたって問題ないだろう。ひとつ味見をしてやろうと思って。すると確かにおいしい。ユッケの感覚を思い出す。それから毎日、ロンツモにエサをやるときに、僕もひとくちだけ食べる。そういうことをしていると、ある朝の起床時、股間がギンギンに固くなってしまった(笑)なるほど、これが生肉のパワーかと思いました。


実は生肉が体にいいことには確信があった。以前の記事で生肉の効用について紹介したことがある。
https://clnakamura.com/blog/5248/
体調不良のDerek Nanceさん。世間でよく言われる健康法、食事法を試したが、何をやってもうまくいかない。デレクさんを救ったのは、生肉食だった。


食材を加熱することにはメリット(保存性が高まったり風味が増したり)がある一方、デメリットもある。それをあぶり出したのが、900匹の『ポッテンジャーの猫』だった。
しかし、、、
高まり過ぎた性欲は、人間にとっても犬にとっても、けっこうな厄介者で、生肉は禁断の玉手箱だったかもしれない。坊主が肉食を禁じるのは動物愛護だけが理由じゃないってことがよくわかりました。


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今度は時刻表トリックか? www

「神戸だいすき」記事の、ほんの一部だが、面白い指摘である。確かに朝8時半に東京の自宅を出て、午前11時半(演説はその前からだろう)に奈良で撃たれるというのは、時間的に無理な感じがある。京都(別ルートかもしれないが)から奈良までは自動車を使ったのかもしれないが、新幹線が東京駅を9時半くらいに出たとしても、かなり無理な「時刻表トリック」になりそうだ。新幹線は思っているほど速いものではない。まあ、東京から自家用飛行機を使ったとしても、どこで着陸するのだろうか。
そもそも、午前11時くらいの演説のために、東京から当日朝に出発するか?
もちろん、あきえ夫人が適当なことを言っている可能性が高い。
「ベッドまで運んでくれる人がいなくなっちゃった~」に関しては、何ともいいがたい。神戸だいすきさんの言うように、誰かがセリフをつけているのだろう。
死せる安倍(実体はCIA?)、生けるマスコミを走らす。


(以下引用)

私は、聞いていたよ。あきえ夫人が「今朝、一緒に朝ご飯を食べて、8時半に送り出したのに」と、お涙頂戴を言ったこと。

東京の自宅から、どういう経路をたどれば、3時間後に、奈良県の西大寺で「撃たれる」ことができるのか?


奈良県は遠いよ。近畿にいても、奈良は遠い。第一、ろくな高速道路もない。どういう経路を、何でたどれば、3時間後、奈良で倒れることができるのか?
のぞみだって2時間、飛行機で関空ならぎりぎりかな?空港は、どこも遠いよ。新幹線の方が遅くても所要時間は、かわらない。

8時半に自宅を出て11時半に撃たれるのは、そう簡単じゃないと思う。

「もう、ベッドに運んでくれる人、いなくなっちゃった」
へ~日本人の夫で、嫁をベッドまで運ぶ60歳がいたのか~?
アメリカ人も、指導するにも、もう少し、日本人の琴線に、ふれる言葉を教えた方がいい。

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安部元総理の最大の罪は何か

前から思っていたが、三枝成彰という人は、政治・社会評論を書くと、なかなか立派で見識のある評論を書く。(音楽家であるより向いているのではないかww)
御用評論家だらけのマスコミの中では貴重な人材である。また、そういう人物を選んでコラムを書かせる日刊ゲンダイも、今のマスコミの中では(時々大きなポカもやるが)評価できる。

(以下引用)

私が安倍元総理の国葬に反対する理由…「嘘が通る社会」をつくったのは誰か(三枝成彰)


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日刊ゲンダイDIGITAL

改ざんを指示した佐川宣寿元国税庁長官(C)日刊ゲンダイ



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労農派対講座派という「コップの中の嵐」「蝸牛角上の争い」

私はマルキシズム自体を否定する古典的社会主義者なので、日本におけるマルキシズムの「労農派対講座派」論争についての知識すらないが、改めて調べてみて、その論争のくだらなさにあきれた。まさに「コップの中の嵐」であり、学生運動などが様々なセクトに分かれてマルキストの内部的闘争に明け暮れ、大衆から完全に遊離した原点がここにあるという思いすらある。
日本の社会主義思想の未成熟と沈滞(それは社会の不平等をそのまま維持する原因になった。)の原因は彼らマルキストたちの精神的幼稚さにある、と言っていい。
ちなみに、「文芸春秋8月号」の特集「日本左翼100年の総括」の一部である池上彰と佐藤優の対談の中で、佐藤優の発言によると、社会党の土井たか子は、「憲法で一番大事なのは(象徴)天皇を規定した第一条から第八条だ」と言っていたらしい。佐藤は彼女を「尊皇主義者」(ちゃんと「尊王」ではなく「尊皇」と表記)と言っている。つまり、社会主義と尊皇主義は矛盾しない、ということである。


(以下引用)




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阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)


2012/4/30 12:47


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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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