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立憲はまず党内の大掃除をすることで範を見せ、自民を追い込め

「内田樹の研究室」記事で、記事の末尾だが、内田のこの「今後の政局予想」はかなり的を射ていると思う。特に、野党(主に立憲)が先に党内の「統一関係議員」を離党、あるいは議員辞職させることで、自民を追い込むというのは抜群の案である。もっとも、数の少ない立憲だから、議員数が半分以下に減ったりしてwww しかし、それをやらないとますますジリ貧になると断言できる。つまり、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」だ。


(以下引用)


- 自民党は今、蜂の巣をつついたような大騒ぎでしょうね。


内田 でしょうね。内閣はとりあえず「様子見」だと思います。岸田さんは今のところは国葬で安倍派に対する配慮を示していますが、いずれ安倍派が内紛で分裂すれば、安倍派を優先的に配慮する必要もなくなってくる。それ以前に「統一教会と癒着していた議員」と「癒着していなかった議員」の間に対立が出てくると思います。「癒着していなかった議員」にしてみたらひとしなみに「自民党議員は...」と責められることは「痛くもない腹を探られる」わけですから、「誰がクロかはっきりさせてくれ」という気分になる。一方のブラックやグレーの議員たちはうっかり癒着を認めて謝罪などすると「じゃあ、議員辞職して責任を取れ」という話になりかねない。それだと解党的な危機になりかねない。だから執行部としても、そこまでは追いつめられない。「癒着議員」をなんとか「謝罪」させて、かつ「責任を取らせないで済ませる」ためにはどうしたらいいのか、それを今党執行部では頭を悩ましていると思いますよ。


- 既にそういう状況が起きているのでは? 落としどころがないわけで、程度ものによっては議員辞職しなきゃいけないですから。

内田 「赤信号みんなで渡れば怖くない」ですから、癒着していた議員たちが100人くらい全員一斉に記者会見して、そこで最敬礼して謝罪するというのがたぶん一番傷が少ない解決法だと思います。それは「全員の足並みが揃うまでは謝罪しない」ということですが、全員の足並みが揃うことなんかあり得ない。だから、最終的には、誰一人謝罪しないままぐずぐずにするつもりだと思います。


- 野党にも若干いるみたいです。立憲にも数人いたとか・・・。


内田 野党が先に「癒着議員」に詰め腹を切らせて、離党なり、議員辞職なりさせたら、自民党に対してはこのあと一気に優位に立てます。でも、その政治判断が出来ないとしたら、そこが今の立憲のダメなところですね。


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野次馬氏、ワクチン推進派から反ワクチン派に鞍替え?

私は国語力だけで大学まで行った(卒業はしていない)人間なので、読解力はある方だと思うのだが、野次馬氏のこの記事は意味が分からない。と言うより、記事の意図が分からない。
確か、野次馬氏はワクチン推進派で、反ワクチン派を散々馬鹿にしていたと思うので、この記事も同じ趣旨なのかと思うが、どう考えてもそうは読めない。突然、反ワクチンに宗派替えしたようにしか読めないのだが、どうなのだろうか。
いや、宗派替えしてもいいのだが、それならそうと、明確に謝らないと、自民党代議士、安倍派(統一教会派)と同じ、居直りになる。
で、コメントを書き込んでいる人間がまた新しいHNの人物で、常連コメント欄が伏魔殿化というか、統一教会御殿(鮮鶴何とか)みたいであるwww
念のために言えば、新コロワクチンは遺伝子ワクチンなので、元の体ではなくなる。新コロワクチンで死んだ人はたくさんいるし、障害を持った人もたくさんいる。ブラジルの大統領は、世界の首脳の中で、新コロ詐欺、ワクチン詐欺に抵抗した数少ない偉い人である。アフリカにも4人ほどいたが、全員暗殺されている。


(以下引用)
| コメント(3)

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コメント(3)


という事は遺伝子ワクチンで絶滅危惧種に変身すれば、多くの生き物が救われことに・・・



そんなことよりも北京原人だ
某方面の名コピペを転載しときます


タクヤさんは初めから保険の対象外だった可能性が微レ存?


05 ) 名無しさん
[2008/04/27(日) 17:25]
多分だけどGYM-Kの俊だと思う。指名したことはないが、店の
ファイルで顔写真見たことある。現代人っぽくないというか、
大昔に生息していた北○原○みたいでした。



ワクチン打って、ワニになるは半分嘘で半分本当だろうと思います。
それを踏まえて、ワタシはワクチンを打ちます。


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「民主国家」という幻想

まあ、精神科医というのは、現実政治の実態や哲学や論理学とは無縁だなあ、と思うような記事だが、政治と民主主義について考察するいい起動装置にはなる。(長い記事なので、新コロ関係の記述は省略する。)

上で「論理学」というのは数学と言ってもいい。つまり「極限」の思考法だ。数学の土台にはこの思考法がある。たとえば「直線や線分には太さがない」というのもそれだ。太さのある線分が存在すると仮定したら、その線分は「四角形」と見做せる、というのも極限的思考である。縦が1mmで横が1Kmでも、それを四角形(長方形)と見做すのである。

「5人を救うために1人を犠牲にする」と言うから話が曖昧になる。「100人のうち51人を救うために49人を犠牲にしてもいいか」というのが、民主主義の土台である「多数決」への一大詰問である。しかも、そこには数字だけしか表面化していない。ここで「質」の問題を入れると話ははるかに難しくなるが、その分、より現実に近くなる。それは「51人の糞野郎の悪党を救うために49人の善人(聖人や天使のような人々)を犠牲にしてもいいか」という問題だ。で、それでいい、というのが「多数決」であり、それに基づく「民主主義」であり、「現実政治」なのである。ついでに言えば、この「多数決」の票はカネで買えるし、マスコミで誘導できるのである。言うまでもないが、世界で真の民主主義が機能している国は存在しない、というのが私の考えだ。
要するに、民主主義が可能なほど国民の教養水準と現実知識と思考力・判断力が熟成しないと民主主義(名ばかりの民主国家以外)は存在しえない、ということである。まあ、早くても22世紀に実現できるかなあ、とは思うが、ウクライナ戦争や新コロ詐欺や地球温暖化詐欺の欺瞞性の経験で、世界全体の理性は向上しているので、案外早くなるかもしれない。


(以下「シロクマの屑籠」から転載)

新型コロナ対策というトロッコ問題と民主国家の責任問題を考えていたらわけがわからなくなった

走るトロッコに乗った5人を見捨てるのか。それともトロッコを止めるために待避線へと進路を切り替え、そこにいる1人がトロッコに轢かれて犠牲になるのはやむなしとするのか?
そもそもそういう選択を迫ること自体がひどいとか色々なことが言われがちだけれど、この問題を正面きって考えることは哲学領域では重要なことだと考えられ、たくさんの論者が考察していると聞く。それはそうなのだろう。
 
問題は、私たちは哲学領域で考察しているわけでも、哲学者なわけでもない、ということだ。哲学者はトロッコ問題に考察をもって挑めばいい。しかし私たちまでトロッコ問題を考えるよう迫られ、考えないのは人間失格だと言われてしまったらまあその、困る。そもそも、そんな選択を迫る前になんとかすれば良かったじゃないかと言いたくなるのが非-哲学者の心情だろう。
 
ところが新型コロナウイルス感染症によって、私たちはトロッコ問題を回避不能な選択として迫られ続けているのではないだろうか。もちろんここでの選択は、トロッコをどうするかではなく感染症対策だし、決定の段を下すのは医療や政治の偉い人ではある。けれども私たちだって本当は、人々の行動選択や世間の雰囲気をとおして、間接的には感染症対策の決定に影響をおよぼしているはずだ。ことの真っ最中に国政選挙が行われたとなれば尚更である。
 
そうやって私たちだって、少なくとも間接的には誰かの命が助かるかわりに誰かの命が削られたり失われたりする、そういったたぐいの選択をしてきたのだとしたら? で、それは医療や政治の偉い人の責任であると同時に、民主国家においては私たちの責任でもあるとしたら?
 
 


人の顔が見えるのにトロッコのレバーを引けるのも、それはそれで恐ろしいのだけど

 
「民主国家において、感染症対策にはトロッコ問題的側面がある」と気づいてみると、私などは、なんと恐ろしい意志決定だろうと怖気づいてしまう。しかし民主国家としての年季が違う欧米諸国をみる限り、たぶん、彼らはそれをやってきているのだろう。欧米諸国が日本よりデモクラシーの意識が高いという通説に基づくなら、欧米諸国の人々は、トロッコ問題的側面があるとわかったうえで日本よりもずっと早くコロナによる自粛を緩和し、沢山の人が新型コロナウイルス感染症にやられる状況を甘受してきたってことになる。たとえ、そこにうまくいく/うまくいかないといった目算があり、その目算の当たりはずれがあるとしてもだ。
 
たとえばスウェーデンのコロナ政策は透明性が高い議論がなされている、と往時には盛んに報じられたものだ。透明性が高い議論が行われるってことは民主国家として褒められることのはずだし、少なくともなし崩し的に決定がなされるよりは好ましいはずだろう。しかしその透明性が高いと報じられた議論の結果として、2021年のスウェーデン人はコロナにさんざんにやられた。透明性が高い議論、民主国家として(たぶん日本に比べて)優れた意思決定の果てにそれが起こったのだとしたら、スウェーデンの人々は、自分たちがトロッコのレバーを引いたというその感触を自覚していたのだろうか?
 
こちらの東京新聞の記事を読む限り、スウェーデンの人々といえども、醒めた目でトロッコのレバーを引いていたとは言い切れないようにみえる。Aを選んでもBを選んでも誰かが助かって誰かが犠牲になるとわかっている選択を、醒めきった意識でやってのけるのはスウェーデンの人々にだって簡単ではないのだろう。たとえ民主国家の取り決めとしてそうなっているとしても、人間は、哲学命題の水準で実地の選択肢をそう簡単には選べない。
 
もちろん数字だけを見ていればそれができるかもしれないし、数字だけを見て判断しなければならない場面もあるかもしれない。そう考えると、各方面の偉い人に課せられた責務の大きさは知れない。しかし、身内に高齢者がいる人、職場で基礎疾患のある人を診ている人、経営の厳しい観光業やサービス業の身内のいる人、ひと夏をコロナに潰された子どものいる人、等々が、トロッコのレバーを引けるとはちょっと思えない。つまり人の顔が見えるのにトロッコのレバーを引くのはめちゃくちゃ難しいように思える。ポジショントークや自己中心的な動機に基づいて、やれ、自粛しろ、自粛やめろと主張するほうがある面においてよほどマトモではないだろうか。たとえそれが、民主国家の主体としてふさわしくないとしても。
 
感染症対策に限らず、本当は、民主国家のさまざまな決定にトロッコ問題的側面があり、たいていの選択肢が誰かを救うと同時に誰かを救えない、そういった性格のものだとしたら、民主国家の主体としての私たちは、それを醒めきった意識でいちいち決定できるものなのか。また仮に決定すべきだとして、決定するのが人間的だと言えるのか? 人間が哲学命題の水準でデザインされているならそうかもしれないが、きっと人間は哲学命題の水準でデザインされていないから、それって非人間的ではないかと思わずにいられない。だとしても、独裁を否定し、民主国家のていのもと私たちがそれをやっていかなければならず、意識していかなければならず、責任を負うていかなければならないとしたら、なんと難しいのだろう……と思う。
 

 
それとも実際には他の民主国家でも「おれたちは雰囲気で民主国家をやっている」のが実態であり、本当はそれぐらいでちょうど良いってことなんだろうか? そのあたりもあまりわからない。
 
新型コロナウイルス感染症をとおして、私は、民主国家とその責任の所在にトロッコ問題がくっついていることを次第に意識するようになった。だけど本件に限らず、民主国家が有限のリソースを振り分ける際にはトロッコ問題的要素は常についてまわっているはずなのだった。そして戦争が起こる/起こらないといった極端な状況下では、感染症対策よりも鋭利な決断を迫られるかもしれない。
 
こうやって考えているうちに、こうした決定と責任のプロセスが正気とは思えなくなってきた。しかし正気とは思えなくても民主国家の主体たるもの、それを引き受けるのが筋なのかもしれない。人の顔が見えるのにトロッコのレバーを醒めきった意識で引くのは私には正気とは思えないから、私だったら人の顔を思い出しながら引いてしまうだろう。で、その総体として民主国家の意志決定がなされていく……という風に考えたくもなる。どうあれ、責任を医療や政治の偉い人だけに帰するわけにはいかないはずだ。
 

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「報道」の中に「感想」は不要

報道というのは、「事実」だけを書く(報道する)べきで、理解困難な部分の「解説」まではいいが、下の記事のような記者の「感想」は明らかに「世論誘導」を狙ったもので、それを無記名で書くのは卑劣な行為である。まあ、統一教会の工作員か。
言うまでもないが、私も安倍は「殺されて当然」だと思っている。あの死に方ではその罪悪に対して「天罰にしても刑が軽すぎる」とすら思っている。

(以下引用)

「殺されて当然だ!」発言まで 「ヒロシマ原爆の日」平和記念式典での非常識な「安倍元首相批判」


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平和記念式典で献花に向かう岸田文雄首相(写真・時事通信)



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ウィルスとバクテリオファージ

今、読んでいる(同時に複数の本を読む習慣だが)本のひとつに、複数の作家が猫について書いた短編を集めた「吾輩も猫である」というのがあるのだが、その中で新井素子の書いた(しかし、「素子」という名をつけた親は凄い。「原子」や「分子」みたいである。成長してSF作家になることが最初から運命づけられていたようだ。吾妻ひでおの「やけくそ天使」の主人公と同名になるという不運もあったがwww)「妾は、猫でございます」の中の主人公の雌猫が本名「バクテリオファージ・T4」という名前であることから、そう言えば、ウィルスも寄生することでしか増殖できない、生物と非生物の中間的存在とされているが、昔、生物で習ったバクテリオファージも同じなら、その違いは何だ? と思って調べたひとつが下の記事である。
私の考えは、バクテリオファージの一種(一形態)がウィルスなのであって、ウィルスの一種がバクテリオファージなのではない、ということだ。大集合と小集合の逆転である。
そして、より大胆に言えば、ウィルスのために感染症が起こるのではなく、細菌に感染した人体の中のバクテリオファージが細菌を捕食してその細菌と置き換わった残骸がウィルスと呼ばれるものだ、ということである。つまり、ウィルスとはバクテリオファージのうんこ(あるいは変形)でしかない。
まあ、詳しい生物学的研究など調べないで書いた妄想であるが、あと10年くらいしたらこちらが正しい、となるかもしれない。とにかく、新コロ詐欺は「ウィルス」という存在への根本的疑問を世界中で生んだと思う。

(以下引用)

まるで月着陸船 細菌に取りつくウイルスに「6本の足」

酒井健司
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 電子顕微鏡が発明されて、ウイルスを見ることができるようになりました。ウイルスの中でもとりわけカッコイイのが「バクテリオファージ」です。バクテリオは細菌(バクテリア)のこと、ファージは食べるという意味です。バクテリオファージは細菌に感染して増殖するウイルスの総称です。


 バクテリオファージにもいろいろな種類がありますが、有名なのはT4ファージです。T4ファージの構造は頭部と尾部に分かれていて、頭部は正二十面体の形をしており、中にはDNAが入っています。尾部は中空の「さや」と、6本の足(のようなもの)からできています。月着陸船に似て機械のように見えますが、実際にファージは自分を複製するナノマシンそのものです。

 ファージは「足」で細菌の表面にとりつくと、中空のさやを通じて細菌の中にDNAを注入します。細菌がもともと持っている酵素が、ファージのDNAを複製し、また、ファージのDNAがコードしているたんぱく質を合成します。細菌の中で十分な数の娘ファージができあがると、細菌は溶けて壊れ、大量の娘ファージがばらまかれます。細菌は細胞分裂によって増えるので1個→2個→4個→8個と倍々に増えますが、ファージに限らずウイルスはこうして一気に増えます。


 高校の生物学の教科書にも載っている、ファージを使った有名な実験があります。いまでこそ遺伝子の本体はDNA(またはRNA)であることが知られていますが、当時は遺伝子の正体が、DNAなのかそれともたんぱく質なのか、議論がありました。DNAが遺伝物質であることを示唆する証拠があったものの、DNAは単純すぎて遺伝情報を伝えられるのか疑問視されていたのです。DNAよりもたんぱく質のほうがずっと複雑であり、遺伝子の正体としてふさわしいと考える学者も多くいました。


 米国の生物学者、ハーシーとチェイスは、ファージのDNAとたんぱく質にそれぞれ放射性物質で目印をつけ、細菌の中に入るのはDNAだけで、たんぱく質はほぼ入らないことを示しました。つまり、遺伝物質はたんぱく質ではなくDNAであることを強く示唆します。ハーシーとチェイスの実験が発表されたのは1952年のことです。ちなみに、DNAの構造は二重らせんであるとクリックとワトソンが報告したのが、その翌年、1953年です。


 以降、分子生物学は飛躍的に発展します。二重らせんがほどけてそれぞれの鎖でDNAが合成されることも発見されました。新型コロナウイルスの流行以降、よく耳にするPCR法は、そのDNA合成の原理を応用したものです。細菌に感染するウイルスなんて調べて何の役に立つのか、と思っていた人もいたかもしれませんが、結果的には大きな成果をもたらしました。バクテリオファージはカッコいいだけでなく、基礎研究が大事であることを思い出させてくれます。


《酒井健司さんの連載が本になりました》これまでの連載から80回分を収録「医心電信―よりよい医師患者関係のために」(医学と看護社、2138円)。https://goo.gl/WkBx2i別ウインドウで開きます


<アピタル:内科医・酒井健司の医心電信>http://www.asahi.com/apital/healthguide/sakai/(酒井健司)


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「家畜化」への復讐

私は犬という、自分の飼い主には忠実で、他の人間や動物には闘争的なケモノがあまり好きではないのだが、人類に利用され尽くしてきた動物という点では気の毒ではある。
ほとんどの家畜が品種改良されて家畜としての適性を持つわけだが、「闘犬」として品種改良された凶暴な犬種をわざわざペットとして飼う人間の気持ちは理解しがたい。ブルドッグは、「あの不細工な顔と短い脚が可愛い」という奇妙な嗜好を持つ人もいるようだ。もっとも、その中でもピットブルは危険性において特別なだけだ、と主張する人が多いだろうとは思う。しかし、ブルドッグ自体が闘犬のために品種改良されたのである。
「家畜には何をしてもいい」という思想は、どこかの古代民族が言っていたようだが、現代でも他民族や下級国民を家畜扱いする、偉い人たちがいる。家畜人間は、たまにはこのピットブルを見習うべきだろう。山上義士など、山神、つまり狼の血を持った、非家畜の野生の魂を持っていたわけだ。あなたの魂には「荒野の呼び声」はあるか?

(以下引用)

【海外発!Breaking News】ピットブルに襲われて70歳女性が死亡 発見した夫「犬が妻の体を食べていた」(米)

TechinsightJapan / 2022年8月3日 4時0分


写真

先月27日、アメリカ在住の女性が飼っていたピットブルに襲われて死亡する事故が起きた。仕事から帰宅した女性の夫は、犬が裏庭で妻の体を引きずり食べている姿を目撃し警察に通報したという。現場に駆けつけた警察官により犬は射殺されたが、悲惨な現場を目の当たりにしたことで精神的に深いダメージを受けた警察官は現在も病院で治療を受けているそうだ。『New York Post』などが伝えている。

米ニューヨーク州ロングアイランドで暮らすマリナ・ヴェリエストさん(Marina Verriest、70)は7月27日、飼っていたピッドブルに襲われ死亡した。

その日の午後1時頃、仕事から帰宅したマリナさんの夫(66)は7歳になる飼い犬が妻を襲うところを発見し、警察に通報した。

夫は発見当時の状況について「妻がいつ襲われたのかは分からないが、犬は裏庭で妻の体を引きずり、バラバラになった体を食べているところだった」と明かしている。

その後、駆けつけた警察官に向かって突進した犬はその場で射殺され、間もなくして到着した救急隊によりマリナさんの死亡が確認された。

ナッソー郡警察本部長のパトリック・ライダー氏(Patrick Ryder)は、事故の詳細について記者会見でこのように語った。

「現場はかなり恐ろしい状況でした。マリナさんが襲われたのは何時頃か分かりませんが、彼女の腕や顔、足が切断されていました。この犬は2週間前にバイク事故で死亡した彼女の継息子が飼っていたもので、マリナさん夫妻は飼育を託されていたそうです。犬は現場に到着した警察官に突進し襲いかかったため、その場で射殺されました。亡くなった継息子とマリナさん夫婦はこの犬と一緒に暮らしてきましたが、これまで犬に関する事故や通報を受けたことはなく、なぜ豹変してしまったのか、何がきっかけでマリナさんに牙を剥いたのかは分かっていません。」

なお犬を射殺した警察官は、悲惨な現場を目の当たりにしたことで精神的に深いダメージを受けており、現在も病院で治療を受けているそうだ。

ライダー氏は「警察官はトラウマになるような酷い現場を目撃しました。私たちはこの事故に対応した警察官らのケアをしっかり行っていきたいと思います」と話している。

警察では今回の件に犯罪性があるとは考えておらず、悲劇的な出来事だったと述べたが、ピットブルの攻撃により致命傷を負ったというニュースはこれまでも多数報じられているため、世間からは次のような声が寄せられている。

「ピットブルとこれに類似した犬種について法規制されるまで、あと何人の死者が出るのでしょうか?」
「殺される可能性があるのに、なぜこの犬を飼うのか。なぜ飼うことが許されているのか。」
「これらの犬はもともと狩猟用に飼育されていました。彼らは一度噛みついたら絶対に離さない習性なのです。」
「恐ろしい。家族が飼い犬に殺されたうえ、食べられるなんて想像もしたくない。」
「息子を亡くしたばかりなのに、妻にまでこんな悲劇が起きるとは。ご主人はとても辛いでしょう。」
「このような恐ろしい事故を起こすのがピットブルという犬種なのです。プードルやセントバーナードでは決して起きません。」

画像は『The Daily Star 2022年7月28日付「Husband arrives home to find wife’s mutilated body being ‘eaten’ by son’s pitbull」(Image: Facebook)(Image: NBC New York)』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 上川華子)


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やっと、「新コロは風邪程度の病気」と専門家たちが言い始めた

「神戸だいすき」で知った記事だが、新コロを2類にしていることで病床逼迫が危機的状況になっているのだろう。感染者のほとんどは軽症か無症状なのに、それを感染症病棟送りにしたら、医療が逼迫しない道理はない。最初から言われていたことだ。新コロが危険な感染症だということ自体が大嘘なのである。だが、新コロより危険で、接種者の免疫力を低下させ、あらゆる感染症に対して脆弱にさせる新コロワクチンを国民の大半が打った状態では、この提言も「時、すでに遅し」の感はあるが、病床逼迫と経済停滞を救うためにはやらないよりはマシだろう。
後で他の関連記事を追加するかもしれない。ちなみに「普通の病気」とは、5類相当、つまりインフルエンザ相当とする意味だろう。

(以下引用)

「コロナを普通の病気と同じに」 尾身氏ら緊急提言、腰重い政府と溝


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枝松佑樹 森岡航平 編集委員・辻外記子
吹き出しアイコン牧原出さんなど2件のコメント
牧原出さん前田直人さん
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 感染症や経済、法律の専門家が新型コロナウイルス対策を新たにまとめ、政府に対応を迫った。政治判断が先送りされ、対策を話し合う分科会も開かれないことから、急きょ記者会見を開いて提言に踏み切った。政府は感染が広がる中で措置を見直すことには慎重で、提言がどこまで実現するかは見通せない。

 「我々は1カ月以上議論し、提言する機会があればよいと思ったが、国も忙殺されていたのではないか」。提言を出した有志の一人で政府のコロナ対策分科会の尾身茂会長は2日、記者会見に至った経緯をこう述べた。


 提言を急いだのは、理由がある。


 第7波の対策として、より多…



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酔生夢人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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