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国民のインフルエンザワクチンへの「理解」(笑)

「ビジネスジャーナル」から転載。
インフルエンザの季節になると、私はよくこの種の記事を載せるが、これも世のため、人のため、のつもりである。



 以前、朝のニュース番組でキャスターが、「うちは家族4人全員でワクチンを打ちましたが、2人はインフルエンザにかかっています。今年ははやっていますから、みなさん気をつけましょうね」と言っていました。朗らかに、当たり前のように。


 これって、どこかおかしくはないですか。


「ワクチン打ったのに、インフルエンザにかかったのです。かからないために打つのがワクチンではないのですか」と、怒るならわかります。しかし、そのキャスターが怒る気配は微塵もありませんでした。


 このような状況は、このキャスター一家だけではありません。筆者が薬局に勤務していた頃、インフルエンザにかかって処方箋を持って来る患者の半数は、ワクチン接種を受けた人たちでした。しかし、誰も怒ったりはしませんでした。



こういう状況というのが、何の疑問も持たれずにいる、というのは凄いことだと思う。日本国民というのは、よほどの阿呆なのだろうか。まあ、それよりは洗脳されていると見るのがいいだろう。一般庶民は「世間の空気」に同調して動いているだけで、自分で疑問を持ち、自分で調べるということはほとんどしないのである。このインターネット時代でも、大多数はやはりそうなのだと思う。
これは政治に関しても同様だ。この国民を覚醒させる道は、まさに前途遼遠だが、一歩ずつ歩いていくしかないだろう。

あ、追記するが、洗脳の基盤として、「自分で自分を騙すように脳は作られている」というのがある。自分が信じている存在のAという事象とBという事象に矛盾があっても、そのAとBとの矛盾を解消するストーリーを信者側が勝手に補完して「理解」する、というシステムである。これを「脳の物語補完システム」と言う。(学術的には別の言い方かもしれない。)
インフルエンザが予防に役立たないという事実を目の前にしても「これは稀な例外なのだろう」とか、勝手に物語を作って「理解」してしまうわけである。

この「物語補完システム」によって日常の業務のほとんどはスムースに動いていく。一つ一つの事象に疑問を持って立ち止まって考えていては、物事は一歩も進まないだろう。だが、そのシステムが悪く働くと、人間をロボット化していくのである。





(以下引用)

やっぱりインフルエンザワクチンは無意味?かえって重篤な副作用の恐れ

【この記事のキーワード】

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「Thinkstock」より


「今年もインフルエンザが大流行」「新種が流行」「ワクチンが値上がり」「ワクチンが品薄でピンチ」――ここ数日、このようなニュースをよく目にします。


 インフルエンザワクチンは本当に安全なのか、本当に必要なのかをもう一度考えてみませんか。


 毎年、インフルエンザがはやる季節になると、「ワクチン接種(予防接種)はお早めに」というメッセージが流れます。学校や会社から通達されることもありますし、自治体の広報などにも呼びかけが載ります。


 そして、多くの人がワクチンを打ちます。特にお年寄りや乳幼児、妊婦などは、インフルエンザによって重篤化するリスクが高いとして、優先的にワクチン接種ができるようになっています。


 しかし、インフルエンザのワクチンにも重い副作用が出る危険性があります。報告されている副作用には、ギラン・バレー症候群(筋肉を動かす運動神経の障害のために、手足に力が入らなくなる難病)、肝機能障害、脳炎、ぜんそく、さらにはアナフィラキシー(全身に急速に現れるアレルギー症状)などがあります。


 そもそもワクチンとは、ウイルスなどの病原体を注射で体内に入れて、その病原体を攻撃する専用の抗体(免疫細胞の一種)をあらかじめつくっておく、というものです。


 しかし、注射した病原体が体内で増殖してしまっては意味がありません。そこで、ワクチンをつくる際には、病原体が体内で増殖しないように活性を抑える成分が必要になりますが、そこにホルマリンなどが使われます。


 有害物質が含まれていて、重篤な副作用の危険性がある上に、インフルエンザワクチンには「効くかどうかわからない」という根本的な問題もあります。

ワクチンでインフルエンザは予防できる?

 以前、朝のニュース番組でキャスターが、「うちは家族4人全員でワクチンを打ちましたが、2人はインフルエンザにかかっています。今年ははやっていますから、みなさん気をつけましょうね」と言っていました。朗らかに、当たり前のように。


 これって、どこかおかしくはないですか。


「ワクチン打ったのに、インフルエンザにかかったのです。かからないために打つのがワクチンではないのですか」と、怒るならわかります。しかし、そのキャスターが怒る気配は微塵もありませんでした。


 このような状況は、このキャスター一家だけではありません。筆者が薬局に勤務していた頃、インフルエンザにかかって処方箋を持って来る患者の半数は、ワクチン接種を受けた人たちでした。しかし、誰も怒ったりはしませんでした。


 インフルエンザにかかったということは、ウイルスの型が違っていて、ワクチンの効果がなかったということです。


 インフルエンザの型は、大きく分けるとA型、B型、C型の3種類ですが、A型だけでもさらに144種類の亜型に分かれています。


 一方、インフルエンザワクチンに含まれているのは3種類程度で、たとえばAソ連型(H1N1亜型)と、A香港型(H3N2亜型)と、B型といった組み合せになっています。当然、ワクチンに含まれている型以外のインフルエンザウイルスには効きませんし、しかもウイルスはすぐに変異します。


 変異は、ウイルスが分裂するときに遺伝子がミスコピーされることで起こります。人間の遺伝子(DNA)はあまりミスコピーが起こらないのですが、インフルエンザウイルスの遺伝子(RNA)はミスコピーが起こりやすく、その頻度は人間の1000倍の確率といわれています。しかも、インフルエンザウイルスは増殖スピードが速く、1個のウイルスが1日で100万個以上になるといわれているのです。


 こんなインフルエンザウイルスに、たった3つの型で対応しようとするのは、ほとんどギャンブルか宝くじのようなものではないでしょうか。

ワクチンを打っても症状が軽くなるわけではない

 筆者は、ワクチン接種で病院にお金を払い、さらにインフルエンザの治療でお金を払っても怒らない患者さんをたくさん見てきましたが、本当は「自分のしたことは無意味ではない。ワクチンを打ったのだから、たとえ感染しても軽く済む」そう思いたいから怒らない、というのが一番の理由かもしれません。


 筆者は、インフルエンザワクチンの接種は必要ないと思っていますが、唯一打ってもいいケースがあるとしたら、それは受験生です。人には、たとえ偽薬でも「効く」と思えば効くという、「プラセボ効果」があります。


「ワクチンを打ったのだから、受験当日までインフルエンザにはかからない」「人ごみに行っても大丈夫」「たとえ後ろの子が咳をしていても、うつらない」……。そのように自信を持てば、免疫力も上がります。


 ただし、「ワクチンを打ったのだから軽く済む」と信じて、インフルエンザにかかっているにもかかわらず学校や仕事に行くのは避けなければなりません。


 以前、こんなケースがありました。


 Aさんは医薬品会社の営業マンで、当然のことながらインフルエンザワクチンの接種をしていました。ところがインフルエンザにかかってしまい、上司に「A型インフルエンザと診断されたので、早退させてください」と申し出ました。すると、上司は「ワクチンを打っているんだから、大したことにはならない。マスクをして働け」と指示したのです。Aさんは仕方なく処方されたタミフルを飲み、マスクをして営業を続けたそうです。


 営業の相手は、まさか営業マンがインフルエンザだとは思いませんから、至近距離でも平気で会話をします。会う人会う人、みんな同様です。もしかしたら、インフルエンザをうつされた人もいるかもしれません。しかも健康な人をつくるサポートをするはずの医薬品会社での話です。


 ワクチンを打っても、インフルエンザが軽く済むわけではありません。タミフルは、インフルエンザウイルスの増殖を抑えますが、インフルエンザウイルスを殺してはくれません。無理をして働き続ければ、それこそ取り返しのつかないことになる可能性もあります。幸いAさんは若くて体力があったためか、長引きはしたものの重篤な状態になることはなかったそうです。


 インフルエンザにかかったら会社や学校は休んで寝る。それが最良の方法であり、広めないための最善の方法でもあります。


 また、インフルエンザの最良の予防法はワクチンを打つことではなく、日頃から疲労を溜めず、バランスのよい食事・適度な運動を心がけ、免疫力を高める生活をすることなのです。
(文=宇多川久美子/薬剤師・栄養学博士)


●宇多川久美子 薬剤師として20年間医療の現場に身を置く中で、薬漬けの治療法に疑問を感じ、「薬を使わない薬剤師」を目指す。現在は、自らの経験と栄養学・運動生理学などの豊富な知識を生かし、感じて食べる「感食」、楽しく歩く「ハッピーウォーク」を中心に、薬に頼らない健康法を多くの人々に伝えている。『薬剤師は薬を飲まない』(廣済堂出版)、『薬が病気をつくる』(あさ出版)、『日本人はなぜ、「薬」を飲み過ぎるのか?』(ベストセラーズ)など著書多数。



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水木しげる讃

原節子に続いて水木しげる大先生も亡くなった。(またしても、昭和は遠くなりにけり、だ。)まあ、竹熊健太郎氏も言うように「大往生」だろう。先の大戦で戦場に行った人たちにとって戦後は「余生」だったのではないか。
水木しげるの生き方には、「生きているだけで儲けもの」という雰囲気が漂っている。と同時に、「人生なんて大げさに考えるほどのものではない」という達観も感じる。リラダンと水木しげるは、人生哲学としては似ているのではないか。
水木しげるの人生訓に多くの人が賛同すれば、この世界から争いは消えるだろう。争いの元である「過剰な欲」を誰もが持たなくなるのだから。もっとも、経済的には絶対に発展しないし、贅沢もできなくなる。つまり、資本主義は滅亡するわけだ。

「人間はめしをくうことのために一生の全部をついやすのです。
その安全のために神経をすりへらし
だれもいきがいのある一生を送ることができないのです」

これは、改めて言われると、その真実性に虚をつかれた思いになるのではないか。至言と言うべきだろう。


(以下「竹熊健太郎ツィッター」から抜粋転載)


竹熊健太郎《一直線》 @kentaro666 5時間前

  1. TLに流れる水木しげる先生の「大往生感」がスゴイ。
  2. 32件のリツイート 28 いいね
  3.  
  1. さんがリツイート
  2. 水木しげる先生の幸福の七ヶ条深いわぁ
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  1. さんがリツイート
  2. 水木しげる先生、悲しいけど常にこういうことを仰っていたのでどちらかというと「いってらっしゃい」という気分になる
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(追記)この最後のコマの、何も無いような風景の素晴らしさ! このコマを見て、涙がにじんでこない人は私とは別世界の住人だ。
その時がきたら、「では さようなら」と私もそう言ってこの世に静かに別れを告げたい。




上條淳士@atsushi19630312 12 時間前

では さようなら

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資本家の夢

これ、単純だけど、資本主義の根本的な病を指摘している。あるいは資本主義体制下では永遠に解決不可能かも。で、現在の日本社会(正社員のほとんどを派遣社員に変えていく)は、この思想そのものである。資本家の天国で、労働者の地獄。


(以下引用)




コウタ @kouta2 2015-11-24 23:19:03
「資本家の夢ってなあに?」 「給料のいらない従業員」 #ゆうきまさみで学んだ大切な事

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生きる力と倫理観

例の山口銀行で預金を引き出そうとしたら警察まで来た、という出来事についての「阿**」記事のコメントが面白いので転載する。
この世の人間関係(日常的な部分では、だが)のほとんどは善悪ではなく、「気の強さ・弱さ」で決まっている、というのは事実だろう。気の弱い人間は不当な扱いを受けてもうまく抗弁できず、黙り込み、その不当な扱いを受け入れざるを得なくなる。橋下のように気が強く、口達者な人間が「場を支配する」のである。
まさしく、「気」は「生命エネルギー」でもある。気が強い、とか弱い、というのはそういうことである。ただし、繰り返すが、善悪はまた別である。倫理的な人間は、「欲望を抑制する」ことを是とするわけだから、「生命エネルギーが弱い」はずだ。悪党ほど気が強い。


(以下引用)


7. 2015年11月29日 16:24:16 : v1gbxz7HNs : Ay&h0DQyQEc
警察と聞いてビビるところが理解できない。その場に他の客がいるというなら話が早い。俺なら大声でやっぱり破綻の噂は本当やな!いくら破綻の噂が立っているからと言って貯金の引き出しも解約もさせないとは何事や!引き出し制限は取り付け騒ぎになってからにせい!と怒鳴りまくる。

この世の中は難しく、ややこしい人間ほど丁寧に特別に扱われる。
トラブルを恐れ礼儀正しい善い人ほど粗略に扱われ損を押しつけられる。

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文化の伝承と伝播

原節子が今敏に影響を与えて「千年女優」が生まれ、「千年女優」がハリウッド監督のギレルモ・デル・トロに影響を与える。優れた文化はそうして国籍や年代を超えて受け継がれるものである。
日本映画界の駄目な点は、そういう「文化の継承」「先輩や古典への尊敬」が欠如しているところだ。あの「世界のクロサワ」でさえ、日本の映画評論家や三流監督(新宿二丁目の居酒屋にたむろしているような連中)からは散々に悪口ばかり言われていたのである。

なお、私は「千年女優」よりは「パプリカ」がより好きだが、その「パプリカ」の中には、ハリウッド映画のパロディ、あるいはオマージュ(賛辞的引用)がたくさん入っている。これが文化の相互浸透である。経済界のグローバリズムが「先進国大衆の貧困化」「搾取構造」を生むのとは異なり、そういう意味での国際交流(相互影響)は良いことだ。
黒澤明は世界的に影響を与えているが、彼はジョン・フォードに大きな影響を受けているし、その他の古典映画からも影響を受けている。たとえば、「影武者」のワンシーンは、「会議は踊る」へのオマージュだ、と彼自身はっきり言っている。(初見でそれに気づいた観客は数少ないと思うが、私はその一人であったことが自慢である。ww)



ゆうき まさみ @masyuuki 11月26日

  1. 「マスト見るべし」と言っておられる。
  2. 47件のリツイート 16 いいね
  3.  
    1. さんがリツイート
    2. ギレルモ・デル・トロ監督は亡くなられた原節子さんが今敏監督の『千年女優』に影響を与えたことをご存じだったか。そして『千年女優』が大好きらしいという。そういう監督さん、外国にも多いなあと思うと改めて惜しまれる今敏監督の不在。
    3. 367件のリツイート 185 いいね
    4.  

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酔生夢人のお勧め作品リスト

これも昔書いたもので、青少年のための読書案内というか、お勧めの作品リストである。
もちろん、大人が読んでも面白いはずだが、私と好みが合わない人には無意味なリストだ。
思いつくままに書いたリストだから、抜け落ちはたくさんある。
だいたいにおいて、リスト上位ほどお勧め度は高いが、下位の作品を軽視していいわけではない。それぞれ、読んだ後、時間をムダにした、という思いしか与えない最近の大量生産作品の何万倍もの価値があるのである。どんなに上手く書かれていても、「読むのは時間のムダ」という作品が、なぜかあるもので、私にとっては推理小説の大半はそうだ。トリックのために人物がある、というのでは、ただのパズルである。(ホームズ物は、あれはホームズという超魅力的な人物を楽しむ物語だから、私は大好きだ。チェスタトンには「奇想の驚き」や文章の魅力があるから、これも良い。)
なお、トルストイやドストエフスキーは全作品に価値があると思うが、私はもちろんそのほんの一部しか読んでいない。かなり「腹もたれ」するので、若い頃でないと読めないかもしれない。
まあ、読む本が無くて退屈だ、という人は、下の「大衆文学」か「短編集」あたりが、まずはお勧めである。ネットばかりやっていても雑情報が増えるだけだが、いい本を読めば知性の質や、感情(情操)、つまり人格というか人間そのものが少しレベルアップします。すなわち、「カルティベート」されるわけで、頭の表層を流れるだけの情報と、心を耕す教養はまさしく違う、ということだ
なお、サマセット・モームの「世界の十大文学」と、夏目漱石の「文学評論」は、文学評論として最高に面白いものである。

大島弓子は「綿の国星」より、初期短編に優れたものが多いが(山岸涼子も同様)、読む人を選ぶような作品なので、ここでは普通の人に受け入れられそうな有名作品を選んだ。まあ、絵柄だけで最初から拒否反応を起こす人もいるだろう。リストに入れるのを忘れていたが、川原泉などもそうである。





世界名作文学・長編



1 戦争と平和(トルストイ)            11 罪と罰



2 カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー)     12 悪霊



3 トム・ジョーンズ(フィールディング)      13 白痴



4 高慢と偏見(オースティン)           14 アンナ・カレーニナ



5 デイビッド・コパフィールド(ディッケンズ)   15 従妹ベット



6 白鯨(メルヴィル)               16 ドン・キホーテ



7 赤と黒(スタンダール)             17 ガリバー旅行記



8 ファウスト(ゲーテ)              18 パルムの僧院



9 ゴリオ爺さん(バルザック)           19 西遊記          



10 レ・ミゼラブル(ユーゴー)          20 水滸伝



 



名作中短編



1 虚栄の塔(マルキ・ド・サド)   11 じいさんばあさん(鴎外)



2 カンディード(ヴォルテール)   12 人面の大岩(ホーソン)



3 冷たい方程式           13 野ばら(未明)



4 アルジャーノンに花束を(キース) 14 虔十公園林(賢治)



5 みずうみ(ブラッドベリ)     15 茶碗の中(八雲)



6 最後の一葉(O・ヘンリー)    16 お春(八雲)



7 マテオ・ファルコネ(メリメ)   17 菊花の約(秋成)



8 春の鳥(国木田独歩)       18 白夜(ドストエフスキー)



9 黄金虫(ポー)          19 サンチマンタリズム(リラダン)



10 夢十夜(夏目漱石)       20 クロイツェル・ソナタ(トルストイ)



 



大衆文学



1 風と共に去りぬ(ミッチェル)  11 虚無への供物(中井英夫)



2 夏への扉(ハインライン)    12 白衣の騎士団(ドイル) 



3 Yの悲劇(クイーン)      13 後宮小説(酒見賢一)



4 吾輩は猫である(漱石)     14 長い道(柏原兵三)



5 竜馬が行く(司馬遼太郎)    15 冬の旅(立原正秋)



6 さぶ(山本周五郎)       16 陽の当たる坂道(石坂洋次郎)



7 富士に立つ影(白井喬二)    17 エジプト人(ミカ・ワルタリ)



8 宮本武蔵(吉川英治)      18 グイン・サーガ(中島梓)



9 ライ麦畑でつかまえて(サリンジャー) 19 銀河英雄伝説(田中芳樹)



10 赤毛のレドメイン家(フィルポッツ) 20 十三妹(武田泰淳)



 



長編漫画(短編連作含む)



1 火の鳥(手塚治虫)       11 ストップ!兄ちゃん(関谷ひさし)  



2 寄生獣(岩明均)        12 ハリスの旋風(ちばてつや)



3 エースを狙え(山本鈴美香)   13 柔侠伝(バロン吉元)



4 テレプシコーラ(山岸涼子)   14 ヒカルの碁(堀田ゆみ・小畑健)



5 じゃじゃ馬グルーミングUP!(ゆうきまさみ)15 惨殺者(小島剛夕・梶原一騎)



6 トーマの心臓(萩尾望都)    16 夢幻紳士冒険活劇編(高橋葉介) 



7 よつばと!(あずまきよひこ)  17 タッチ(あだち充)



8 綿の国星(大島弓子)      18 さよなら絶望先生(久米田康治)



9 カムイ伝(白土三平)      19 おおきく振りかぶって(ひぐちアサ)



10 喜劇新思想体系(山上たつひこ) 20 エロイカより愛をこめて(青池保子)



 



児童文学など



1 不思議の国のアリス     11 ロビン・フッドの冒険(中野好夫訳)



2 鏡の国のアリス       12 足長おじさん(ウェブスター)



3 わがままな巨人(ワイルド) 13 小公女



4 泣いた赤鬼(ひろすけ)   14 トワイス・トールド・テールズ(ホーソン)



5 クリスマス・カロル(ディケンズ)15 坊ちゃん(漱石)



6 ドリトル先生アフリカ行き  16 若草物語(オルコット)



7 赤毛のアン         17 銀河鉄道の夜(賢治)



8 秘密の花園         18 どくとるマンボウ航海記(北杜夫)



9 小公子           19 パンドラの筺(太宰治)



10 星の王子さま       20 海底二万海里(ヴェルヌ)



 



短編集



1 SFカーニバル(ブラウン編)     11 ウェルズ短編集    



2 十月はたそがれの国(ブラッドベリ)  12 サキ短編集 



3 月を売った男(ハインライン)     13 リラダン短編集



4 怪談(八雲)             14 ロアルド・ダール短編集



5 雨月物語(秋成)           15 ジョン・コリア短編集



6 筒井康隆の初期短編集すべて      16 O・ヘンリー短編集



7 アシェンデン(モーム)        17 メリメ短編集



8 コスモポリタン(モーム)       18 プーシキン短編集



9 シャーロック・ホームズの冒険(ドイル) 19 F・ブラウン短編集



10 チェスタトン短編集          20 黒後家蜘蛛の会(アシモフ)


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仏教と儒教の功罪について

だいぶ前に書いた文章だが、せっかく書いたものを埋もれさせておくのも勿体ないから、ここに掲載しておく。





仏教と儒教の功罪について



 



 東洋人の精神に仏教と儒教が深い影響を及ぼしていることは言うまでもないが、その功罪を正面から論じた文章はあまり無いように思われる。もちろん、キリスト教の立場などから仏教を批判した文章は幾らかあるだろうが、そうした批判は党派的立場によって不公正なものになっているはずだ。ここでは、仏教にも儒教にも、あるいは他宗派からも独立した立場で、仏教と儒教の功罪を論じてみたい。



 仏教と儒教のいずれも、善を勧め、悪を禁じて、人に社会道徳を教え、社会の秩序を守ることに寄与していることは周知の事実である。その違いは、儒教は「怪力乱神を語らず」に、(来世や神仏という前提無しで)、ただ善を守り悪を為さないことが人として生きる正しい道である、としているのに対し、仏教は来世や極楽を前提としているという違いである。学問のある士大夫には儒教でいいが、学問の無い一般庶民には、来世や極楽・地獄の存在によって脅して善行に向かわせるのが効果的であっただろう。



 要するに、仏教も儒教も、民衆に対する社会道徳教育の一手段であったのである。為政者から見れば、法や刑罰という外面的規範によって悪や秩序破壊的行為を禁じることと並行して、仏教や儒教で内面的に人をコントロールすることが必要だったのである。つまり、内面の段階で人々が悪を思いとどまれば、それに越したことは無いのである。



 これは必ずしも批判すべきことではない。悪というものは、生の目的である欲望の成就手段ではあるが、破壊的手段であり、周囲の人間関係やコミュニティに大きな害を与え、長い目で見れば本人にとっても利益にはならないことだからである。(悪のこうした不利益を明確にした哲学書を私は読んだことがない。哲学書などというものが、いかに無用の談議ばかりかが分かろうというものだ。)



 そのように仏教と儒教のメリットの面を見た上で、ではそのデメリットは何かと言えば、それは、社会秩序そのものの持っている欠陥から目をそむけさせ、批判精神を失わせてしまうところにある。東洋文明が西洋文明に大きく遅れを取ったのは、仏教と儒教によって精神が眠り込んだからではないか、と私は思っている。



 まず、仏教では、因果論によって、問題が個人的な道徳のみに限定されてしまい、この世で栄華を誇っている貴族や富裕層は前世での善因の結果であるからと許容され、自分が被っている社会悪(生まれによる差別など)も、自分の前世での悪因の結果であるからと受け入れさせられる。つまり、社会悪への怒りが、為政者や富裕層への反抗とはならないのである。そして、来世での善果の為にちまちまとした善行を積み重ね、この世では報いられぬまま、無駄に一生を送ることになる。これで、来世が無ければ、まったくのお笑いである。いや、善行それ自体の価値は否定しないが、本人が来世で極楽に生まれ変わる気でいたら、それは仏教に騙された一生だったということになるだろう。親鸞などは、それでもいいのだと言っているが、よいはずがない。



 儒教もまた社会秩序維持の手段として利用されてきたのであり、特に「君に忠、親に孝」という2点が社会の道徳的基盤となってきた。この「道徳」が為政者にとって、そして家庭の父親の権威にとっていかに都合の良いものであったかは言うまでもないだろう。この2点を守らせるだけで、社会は簡単に維持でき、そして、目上への反抗はまったく生じないことになるのである。すなわち、社会体制は、為政者や上位層が望まない限りけっして変革されないことになる。



 こうして、「東洋の停滞」が長期に渡って続いてきたのである。



 以上が、仏教と儒教の功罪である。そして、人々が仏教も儒教も信じなくなり、かと言ってキリスト教を信じるのでもなくなった現代において、社会道徳はまったく失われ、人々は自分の人生は自分の欲望達成のためにある、と言わず語らずのうちに信じて、様々なエゴイスト的行動を取っている。自分の友人や家族だけは自分に必要だから、そうした身近な人間に対してだけは悪いことはしないが、心の底では、なぜ悪を行ってはいけないのかと思っている。もちろん、必要な場合は悪を行っていいとほとんどの人間は思っているのである。



 それが間違いだとは言わない。道徳はもともとコミュニティの秩序維持のために生まれたのであり、生存や快楽のための欲望の達成が悪と言われるなら、それを禁ずるいわれはない。だが、2000年あまりかけて人類が人間となりながら、再びモラルの点で野獣レベルに戻ることが果たして正しいのかどうか、よく考えねばなるまい。



 悪はそれを行う当人に利益を与えるから、善(良き物)である、というのがプラトンの『国家』におけるトラシュマコスの議論だったが、それを論破するにはどうすればいいか。しかし、これはまた本稿とは別の問題だから、(その基本は既に述べてある。つまり、悪を為すことで当面の利益は得られても、長い目で見れば、悪は当人にとっての不利益にしかならないということだ。その不利益の最大のものは、精神的な孤独である。悪を為す者は、周囲の人間の愛情を求めることはできないだろう。なぜなら、彼または彼女は周囲の人間にとっての敵だからである。ならば、悪党同士の愛情を信じるか? それも無いとは言わないが、あまり楽しいものではないだろう。)稿を改めて論ずることにしたい。


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