気の赴くままにつれづれと。
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ふと思ったのだが、「論理国語」「文学国語」という底意地の悪い用語法を発案したのは、国語教育ならびに文芸批評の現場で、文学的超絶テレパシー読解のマウンティング合戦が繰り広げられてきたことへの反発を抱いている人間なのではあるまいか。
「論理国語」と「文学国語」の授業がどんな効果をもたらすのかは実際に動き出してみないとわからない話ではある。ただ、「論理国語」「文学国語」という分け方は、文学が非論理であり論理が非文学的であることを示唆してしまっている意味で、適切なネーミングではないと思う。
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