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黒い白鳥

「in deep」から転載。(途中、少しカット)
日本でも全財産を銀行預金している人が多いと思うが、「預金封鎖」となった場合、それは命取りになるわけだ。自宅に現金を置いておけば、今度は泥棒に入られる危険性があり、金の安全な保管方法はほとんど無いのかもしれないが、ある程度は財産を分割して保管する方がいいだろう。財産のある人なら、不動産などに変えておくのもお勧めだ。もちろん、不動産には課税されるが、それは「財産保管費用」と思えばいい。
財産のほとんど無い人でも、そのなけなしの金を銀行に預けているというのが現代人の生活だろうが、さて、預金封鎖となればそのわずかな金も引き出せないことになる。まして、国が個人の銀行口座から強制的に税金を引きだす、ということが可能であることが下記記事から分かったのだから、今後は銀行に金を置くことは必要最低限度にするのが賢いやり方だろう。
TPP参加の後は、何が起こるかまったく予測できないのである。まさかそんな事は起こるまい、という気持ちでいると、突然「黒い白鳥」が足元から飛び立つことになるわけだ。





(以下引用)





さて、話は変わって、今日は軽い話題で。

キプロスという国で突然、政府が預金封鎖を事前の通告なしに実施し、人々の銀行口座から強制的にお金を徴収して、怒った人々がブルドーザーで銀行に突入したりと、大変な騒ぎとなっているというものです(重い話題じゃん)。






なぜ ATM での引き出し額には限度があるのか?




▲ キプロスの突然の「銀行口座からの税金の強制徴収」に腹を立てた市民がブルトーザーで銀行前に乗り付けて抗議した光景。3月15日。 BBC より。
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キプロスで3月15日に「突然の預金封鎖」がありました。

このキプロスの件に関しては、多くの日本語の記事にもなっていますので、まず、昨日の産経新聞の記事を抜粋しておきます。




キプロス、預金を封鎖 口座引き出し凍結
msn 産経ニュース 2013.03.16

欧州連合(EU)ユーロ圏財務相会合がキプロスへの財政支援と引き換えに全ての銀行預金への課税を決めたことを受け、キプロス政府は16日、全銀行口座からの引き出しを制限する預金封鎖を開始した。

通常は土曜日も開店している小口金融機関が閉店しているほか、現金自動預払機(ATM)からの引き出しやインターネット上での資金移動も制限されている。一部銀行店舗では、早朝から預金を引き出すため預金者が列をつくる騒ぎもあった。

18日はキプロスの休日で、同国議会は銀行が営業を再開する19日までに必要な法律を可決し、課税を完了する。

預金封鎖は全預金のうち、課税対象となる10%弱の部分が対象。預金への課税はこれまでギリシャなどでも行われなかった異例の措置だ。





上の報道にある「早朝から預金を引き出すため預金者が列をつくる騒ぎ」については、下のような感じだったようです。



▲ カタールのアルジャジーラのテレビ報道より。



ところで、「キプロス」と言われてもどこにあるのだかよくわからない場合もあるかと思いますので、地図を載せておきます。私も「地中海のあたり」というようなイメージしかなく、よくわかりませんでした。



トルコ、レバノン、イスラエルなど最近、話題が多い場所に囲まれた海の中にある小さな国のようです。



今回のキプロスの記事を読みながら、「日本で ATM の引き出し限度額が下げられていったのはいつくらいからのことだったかなあ」と私は思っていました。

私は大金を下ろす機会がないのでよくわからないのですが、下の住友銀行のサイトを見ると、「平成18年より」と書かれていましたので、6年くらい前からのことですかね。




引き出し限度額が下げられた理由というのは、私にはよくわからなかったのですが、「大きな金額を一気に ATM でおろすことができない理由のひとつ」を、今回のキプロスの出来事を見て納得できました。もちろん、理由は他にもいろいろとあるのでしょうけれど、そのうちの「推定される」ひとつの理由という意味です。

それは「何かの時に全額引き下ろされることがないように」だと。

なぜかというと、今回のキプロスの預金封鎖では、




政府は金曜の夜に、銀行の預金者から一斉に課徴金を徴収する措置を発表し、それを月曜日までに実施すると発表したので、土曜と日曜は銀行は開いておらず、つまり、預金者は ATM でしか現金を下ろすことができない。




という事態になったのです。

「お金をおろせない時に強制的に徴収する」ということですね。
上の写真のように、ブルドーザーまで使うように怒った人々が多い理由はここにあります。

「どうやっても、勝手にお金が政府に引き抜かれる」と。

しかもその率は高額預金者は約 10パーセント。

たとえば、1億円預金している人は、月曜の朝にそこから 1000万円勝手に徴収されているということになるわけです。

同じことが、もし現在の日本で起きた場合(起きないでしょうけれど・・・多分)、たとえ、貯金が1億円あっても、1000億円あっても、土日で下ろせるのは 100万円程度ということになるのかもしれません。


まあそれでですね。
このキプロスの報道を見て、一般的な人々がどう思うか、あるいは明日からどういう行動に出るかということに興味を持った次第です。

特にキプロスと同じような環境下にあるかもしれないと思われるようなヨーロッパなどの国々の人たちはどう考えるだろうかと考えるのです。


普通に考えると、

「よくわかんないけど、危なそうだからお金下ろしておこうか」

と思う人がヨーロッパの各国でドドドッ、と出現するのではないかと。


今回はタイトルに「ブラックスワン」などと書いたのですけれど、そういうような方向を誘発する出来事だったりしないのかな、と思った次第なのでした。

もともと、欧州各国は預金の流出は問題となっていて、過去記事でも、

・「銀行崩壊の不安」に駆られた人々による大規模な預金の引き上げが続くギリシャ銀行
 2011年12月07日

のようなものをご紹介したことがあります。


明日月曜にキプロスがどのような状態になるのかはまだわからないですが、当事国のキプロスだけではなく、周辺国の状態も含めて、少なくとも一時的には混乱すると思われます。




さて、こんなことが現実として起きる時代ですが、世界の他の国は・・・いや、将来的にも日本だってどうなるでしょうね。

私は経済のことは詳しくないので、予測はできないですが、しかし今回のキプロスのような方法で実施されたら、「ひとたまりもない」ということはわかります。


海外の報道もご紹介しようと思いましたが、報道内容は日本で報道されているものとほぼ同じですので、むしろ、明日以降に注目したいと思います。

それより、長らく自分でも使っていなかった「ブラックスワン」という言葉が今回出てきましたので、お忘れの方もあるかと思いますし「ブラックスワンとは何かということを記しておきます。


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ブラック・スワン
iFinance - 金融経済用語集

ブラック・スワンは、マーケットにおいて、事前にほとんど予想できず、起きた時の衝撃が大きい事象のことをいう。

また、認識論学者で元ヘッジファンド運用者としての経験を持つナシーム・ニコラス・タレブが、2006年に刊行した著書「ブラック・スワン」で説明している考え方を「ブラック・スワン理論(Black swan theory)」という。

これは、従来、全ての白鳥が白色と信じられていたのが、オーストラリアで黒い白鳥が発見されたことにより、鳥類学者の常識が大きく崩れることになった出来事から名付けられ、確率論や従来からの知識や経験からでは予測できない極端な現象・事象が発生し、その事象が人々に多大な影響を与えることを総称したものである。





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Que sera,sera

今日の「徽宗皇帝のブログ」の前説の最後を「ケ・セラ・セラ」の一節で締めくくったついでに、今では「放棄ブログ」になった「徽宗皇帝の娯楽的語学ブログ」の初期に載せた「ポップス名詞30撰」の「ケ・セラ・セラ」をここに転載しておく。
今見ると下手な訳だな、と思うが、面倒臭いので、少し改変するだけにした。




28 「ケ・セラ・セラ」

Que sera ,sera

When I was just a little girl,
   I asked my mother,“ What will I be?
Will I be pretty? Will I be rich?“
Here‘s what she said to me:
“Que sera,sera,
Whatever will be,will be;
The future‘s not ours to see.
Que sera,sera,
What will be,will be.“

(まだ幼い少女の頃、私、母に聞いてみた。
「私、可愛くなれるかしら、私、お金持ちになれるかしら?」
これが彼女の答えでした。
「ケ・セラ・セラ、起こることはすべて起こるのよ。
未来は私たちには見られない。
ケ・セラ・セラ、起こることは起こるのよ」)

When I was just a child in school,
 I asked my teacher,“What will I try?
Should I paint pictures? 
Should I sing a song?“
This is her wise reply;
“Que sera,sera,
Whatever will be,will be;
The future‘s not ours to see.
Que sera,sera,
What will be will be.“

(学校に通った子供の頃、私は先生に聞きました。
「私、何をしようかしら。
絵を描こうかしら、歌を歌おうかしら」
これが彼女の賢い答えでした。
「ケ・セラ・セラ、成るように成るでしょう。
未来は私たちにはわからない。
ケ・セラ・セラ、成るように成るのです」)

When I grew up and fall in love,
 I asked my sweetheart,“What lies ahead?
Will we have rainbows 
Day after day?“
Here‘s my sweetheart said;
“Que sera,sera,
Whatever will be,will be;
The future‘s not ours to see,
Que sera,sera,
What will be,will be.“

(大人になり、恋に落ちた時、私は恋人に聞きました、
「私たちの前には何があるかしら。
毎日毎日、虹がつかめるかしら」
これが恋人の言ったこと。
「ケ・セラ・セラ、成るようになるさ。
先のことなどわからない。」)

Now I have children of my own,
 They ask their mother,“what will I be?
Will I be handsome?
Will I be rich?“
I tell them tenderly;
“Que sera,sera,
Whatever will be,will be;
The future‘s not ours to see,
Que sera,sera,
What will be,will be.
Que sera,sera.“

(今、私にも自分の子供がいて、彼らは聞いてきます。
「僕、ハンサムになるかなあ、
私、お金持ちになるかしら」
私は優しく答えます。
「ケ・セラ・セラ、なるようになりますよ。
未来のことはわからないけど、
大丈夫、なるようになるのよ。
ケ・セラ・セラ」)


ヒッチコックの映画「知りすぎた男」のためにジェイ・リビングストンとレイ・エバンスが書いた歌である。歌はドリス・デイで、映画の中でも彼女が歌った。その歌の使い方が、実にしゃれているので、映画も御覧になるといい。
「ケ・セラ・セラ」という言葉はこの映画以降、非常に有名になり、言葉だけが一人歩きをしている気味もある。なにしろ、インターネットでサーチすると、この歌よりもホームページのタイトルがずらっと出てくる始末である。
歌の内容も実にしゃれているのだが、リフレーン部分を同じ訳で繰り返すのも辛いので、少しずつ変化させてみたが、そんな小細工はいらん!と怒る人が絶対に出てくるはずである。世の中、そんなもんだが、まあ、ケ・セラ・セラである。
ついでながら、こんな一見他愛ないポップスにも、欧米の宗教的エートス(気風)は背後にあり、これは聖書の「汝明日のことをのみ思いわずらうなかれ」という一節に通じている歌詞である。「未来は我々に属するものではない」というのも、やはりある種の宗教的な姿勢だろう。
最後のリフレーン部分に「なるようになるから大丈夫」と、原詩には無い言葉を入れたのは、こうした神への信頼が詩の背後にあると考えたからである。
余計な話だが、最後のフレーズで、「I tell them tenderly」とある、この「テンダーリー」が実に素晴らしいと思う。かつて子供だった自分と同じ疑問を自分の子供が持ち、それを母である自分に聞いてくる。その時の母親の微笑が自然に想像できる一節だ。私は、この「テンダーリー」を訳しながら、思わず感動して涙が出たくらいである。





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いざというときあなたを救う二つのアイデア

井口博士のブログに、いざと言う時にあなたの生命を救うかもしれない二つのアイデアが書いてある。一つは海岸で「離岸流」に流されて沖に運ばれた場合の対処法である。「離岸流」は人が泳ぐ速さより速いから通常では岸に戻れない。ではどうするか。実は、湾の一部では岸に向かう流れがあるので、まず横に泳いで、岸に向かう流れを見つけ、その流れに乗って岸に戻るのである。これは寺田寅彦の「自然界の縞模様」にヒントがあるそうだ。「ビッグバン」とか「ヒッグス粒子」の話とは違って、日常の現象を研究する、「本物の物理学」は実際に役に立つ、ということだ。
もう一つは、癌になった場合の対処法だ。それは断食である。これは井口博士自身のアイデアだが、その理屈は「飢餓による細胞の自食」の利用というもので、こちらもちゃんと理論がある。
ここでクイズである。我々の胃袋は、食べた食物を消化する。当然、肉も消化する。ではなぜ胃袋自身は消化されないのか。
食べた物は調理されているから、ではない。生の肉でもモツでも食べた物は消化されるのである。そう思うと、胃袋自体が自分の消化液で消化されないのは、まさに自然の驚異の一つである。
これは、細胞が自分の細胞と他の生物の細胞を区別するシステムがあるからだ、と考えられるが、実は、胃袋の自己消化もあるらしい。それは、飢餓の最終段階だと思われるが、胃袋が自己消化を始めるその前に、体内各部の余分な脂肪やタンパク質から消化されていくのは当然だ。そして、癌細胞が不要タンパク質であるのは言うまでもない。
ならば、断食によって癌細胞が消化されていくという話は、理屈が合っていそうである。まあ、白血病などを「血液のガン」という言い方をするが、それには対応できない可能性もある。他の癌の場合は、これは試してみる価値は十分にある方法だろう。何より、金は一文もかからないし、断食自体が体に「緊急信号」を出し、生命力をアップさせることは多くの人が述べている。飯山一郎老人の「小食・粗食主義」も同じようなものだろう。実際、私の友人も粗食によって高血圧が治り、医者からは「一生飲み続ける」ように言われていた薬などまったく飲まなくなったという話をしていた。「多食・美食」が健康の大敵であることは確実である。




(以下引用)






ついでにもう一つの面白い話をメモしておこう。

日本にも日本の超天才の一人である、鈴木増雄博士という物理学者がいる。彼は、物理学会会長もしたことがある。東大の久保亮五博士のお弟子であった。

鈴木博士が、ブラジルに行った時、海水浴をしたら、あっという間に海の沖合に流されてしまったという。このままでは岸に戻れず溺れ死ぬ。私は物理学者だからここで溺れたら物理学者の名に恥じる。そんな場合にどうしたか?という話がこれにでていた。以下のものである。
「自然はゆらぎを好むが無駄を嫌う~熱エネルギー・エントロピーの魔力~」


海でおぼれて死ぬ事故の大部分はこの離岸流が原因で す。今日帰ってこの話をご家族に伝えるだけで、命が助かることが将来あるかもしれません。私 は数十年前に命がけの実体験をしました。ブラジルで泳いでいるときに、あっという間に数百メ ートル沖に流され、岸に戻ろうとしてもとても私の力では戻れないことが流速を計算してすぐに 分かりました。流速は秒速2m近くあり、私の泳ぐ速度では到底戻れない。

しかしここで死ぬわけにはいかないし、この現象は自然現象であり物理学の基本に従って起こっている現象なのだから、解決法を見つけられずに死んだら私の物理学は本物ではないだろう。 そう思い2、3分真剣に考えたところ、もしこの流れが海岸全体に起きているのであれば、海岸の水はすぐなくなってしまうはずだ、どこかに寺田寅彦の言うような自然界の縞模様的な構造が できているに違いない。

こう考え横に数十メートル泳いだところで、波が沖から来ているのに気が付き、ここは逆に流れていると悟って岸に泳ぎ着きました。ホテルに戻ってボーイにこの話をしたら、「あそこの海岸では毎年死ぬんですよね」とさりげなく言われたのが印象に残っています。

さて、仮に私が病気で死に淵にさまよった時、はたしてだれかが手助けしてくれるだろうか?まあ、そんなことはまずないはずである。むしろ、「早く死ね」と言われかねないかもしれない。

そんなわけで、私がガンを宣告された時、私のこれまでのリサーチで最も有効だと考えていることを行うことにしているのである。

何か? 

この際だから、メモしておこう。

それは、断食である。すると、断食によって、身体の中で兵糧攻めになった普通の細胞たちが、余分なガン細胞を餌と間違えて全部食い尽くすのである。この現象をオートファジー(自食)という。

断食せずにすむことを祈るのみですナ。


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薬の功と罪

「井口博士のブログ」から転載。
学問のある人間はだいたい、学問上の常識や定説で頭がコチコチになっていて、「自分の頭を他人の考えの運動場にしている」(byショーペンハウエル)だけの人間が多いのだが、井口博士こそは「自分の頭で考え、自分で検証する」人間であるから、博士の言葉には常識に囚われない有益なものが多い。
下のサプリメント(及び一般に薬物を服用・注入すること)についての警告は、病気や不健康を儲けのネタとする医療業界や製薬業界にとっては邪魔になる発言だから、世間の表舞台で語られることは、ほとんど無いだろう。こうした言葉や知識にネットで触れることができた人間は幸運だ、ということだ。そして、こうした言葉はできるだけ拡散した方が、多くの人を「医原病」から救うことになる。

私自身も高血圧の薬を服用しており、薬に頼らずに高血圧を治す手段は無いかと常々考えているのだが、調べてみてもせいぜいが塩分を減らす程度の方法しかない。塩分を減らした不味い食事を続けて長生きするよりは、薬を飲むか、薬もやめて美味い食事をして早死にした方がマシである。ついでながら、私は常々長生きなど誰にとっても何のメリットも無い、という考えを書いているのだが、私の場合は、死ぬのに良い時期が来たら高血圧の薬の服用をやめることで、短期間に血圧を上げ、脳卒中で死ぬ予定である。そういう意味では、高血圧も利用はできるわけだ。(笑)
もちろん、私は高血圧の治療そのものには感謝もしている。確かに、薬を飲まなければもっと早い時期に死んでいただろうし、60歳前に死ぬのでは、ただ働いて家族を養うだけの人生で終わっていたことになる。そんな馬車馬的生き方など、私の人生哲学の対極的なものであるが、家族を養う義務は、結婚した人間にとってはすべてに優先する、というのが私の考えでもあったのだ。
幸い、子供もほぼ成人し、自力で生きていける年齢にはなったから、これからは自分と妻の人生を最優先にすることができる。まあ、後何年生きるかは分からないが、これからは人生を楽しむこと自体を生活の主眼にできるかと思っている。そして、体や頭が駄目になって他人に迷惑をかけるようになる気配があれば、先ほど書いたように、高血圧の薬の服用を停止して「確率的自殺」をしようと考えているわけである。(「確率的殺人」は、殺人対象となる人間の周囲に危険なものを布石しておくことで、相手が「偶然に」死亡するという殺人方法である。死ぬかどうかはあくまで「確率的」なのである。江戸川乱歩の命名。)

なお、現代の医学は、何でもかんでも「遺伝子のせい」にすることで、真の「予防医学」の普及を邪魔していると私は考えている。遺伝子のせいにされては予防のしようは無いし、予防医学が完璧になれば、医療業界は飯の喰い上げだからだ。




(以下引用)*画像などは自動的にカットされるかと思うので、前後のつながりが悪い部分や不明な点は元記事で確認してください。


「サプリメント神話」:人体の「産業空洞化」だナ!?
産業空洞化
国内企業の生産拠点が海外に移転することにより、当該国内産業が衰退していく現象。


みなさん、こんにちは。

今回はちょっと違ったことをメモしておこう。いわゆる「サプリメント神話」である。これは、いわば「人体における”産業空洞化”」をひき起こすものである。

なぜわざわざ「サプリメント神話」というかといえば、いわゆる「サプリメント」こそ、「健康のためにといって飲んで健康を害するもの」だからである。この意味では、「”特定の”ウィルス感染を防ぐためといって、”無数の”未知のウィルスに感染する」、いわゆる「ワクチン神話」と実に似ているからである。しかしながら、なかなかこういう状況を見破ることのできる人は少ない。科学者でもなかなかそういう賢い人間はいない。

(あ)いつ流行り始めたか?
いわゆる「サプリメント」(栄養剤や栄養補助剤)が流行り始めたのは、おそらくバブル全盛期の1970〜80年代だっただろう。私がアメリカに留学した頃、アメリカ社会は急速にサプリメント神話が浸透しつつある時だった。ビジネスマンは、忙しすぎて、普通の食事では不足がちになる栄養素を外部から取り込めば、より健康になる。より若返る。とまあ、こんな神話がもてはやされたのである。

あれから、30年。その結果は?

大半の人が病気になった。それも大半が内蔵の病気である。すい臓不全、腎不全。肝機能障害。こういったものにかかる。運の悪い人は、それががん化し、ガンで病死。

私個人が観察してきた人々でも、習慣的にサプリメントを飲んでいる人は、老化や衰退が早い。

(い)不眠症を例にとると:メラトニンの場合
かつて我が家が子供がまだ幼くて子育てが大変だった頃、なかなか夜眠れないという日々があった。そこで、当時アメリカで
「メラトニン」(睡眠ホルモン)

というものが流行りはじめた。そこであるときハワイに海外旅行に行ったついでに「メラトニン」を買ってきた。そして、私と妻が1回だけ、飲んでみた。すると、すぐに無意識になるかのごとく、あっと言う間に眠り込んでしまったのである。あまりの効きすぎに奥さんが怖くなり、それ以来一度も飲むことなく、今もその瓶はその辺に転がっている。

それで、私はその後隙を見ては調べていたのだが、結局、こういう結論になった。
ホルモン剤は、一度でも常習すると、本来それを分泌する細胞が萎縮し破壊され、二度と自分ではそのホルモンを産生しなくなる。結果として、一生その薬やサプリメントを飲まなくてはならなくなる。

ところが、現代の医師は、比較的簡単にステロイド剤を出すように、ホルモン剤を簡単に出す。

つまり、いわゆる「サプリメント」というものの中には、この「脳内ホルモン」やら各種臓器から産生され分泌されている「体内臓器ホルモン」の代わり(代用品、代替品)になってしまうものがかなりあるということなのである。

したがって、一度でもそれを常用すれば、その後はそれを止めれば調子悪くなる。だから、一生使わなくてはならなくなる。こういうものがかなりある。おそらく、無数に存在するのである。

もし我々が「メラトニン」をずっと常用したとすれば、あれ以来ずっと今だに飲み続けなければならなかっただろう。そして、脳のメラトニンを生産分泌する脳細胞は萎縮し、ほぼ死に絶えただろうということである。

(う)パーキンソン病を例にとると:ドーパミンの場合
事実、「パーキンソン病」という難病がある。
ドーパミン

の産生不全による病気である。ドーパミンの出が悪くなると起こる病気である。だから、普通は、「アルツハイマー病」と同じく、かなりの年齢になってから生じるものである。

なぜかというと、まあ、みなさんは脳の研究もその脳が生産するタンパク質(つまり、脳内ホルモン)の研究もしたことがないから知らないだろうが、こういった脳の病気は、基本的には、脳内に老廃物がたまることが直接の原因だからである。若いころは代謝が良く、脳内の老廃物もどんどん脳外に排出できるが、年齢をかさむとどれができなくなり、脳内に蓄積し、結局、脳内にネバネバした物質として析出する。それが脳細胞を壊死させて、徐々に機能を失っていく。そしてそれが日常生活に支障をきたすまでになると、「病気」だということになる。とまあ、そういうわけだからである。

では、なぜそうなるか?

というと、これはまさに私がやったような「タンパク質の俺れ畳み問題」として知られる物理化学の問題になってしまうが、簡単にいえば、年齢とともに、異常な構造になるタンパク質が増えてくるが、それを分解する能力が老化のために弱まるからである。異常構造化したタンパク質は、疎水性が強く、あっという間に集結し固まる。これが脳内にコロニーを作り、どんどん脳細胞を破壊する。この一番有名なタンパク質が、狂牛病やクロイツフェルト・ヤコブ病の主原因となる「異常プリオン」である。プリオンとて異常構造でなければ何も起こらない。

その「パーキンソン病」の中に「若年性パーキンソン病」という、かなり若くして起こるものがある。これも「遺伝性だろう」と医者はあまり物質科学をご存じないので、よくそういうのだが、私はそうではないと信じている。多くは、「医者の医療ミス」のせいである。要するに、「誤った投薬のせい」なのであると私個人は睨んでいる。

上でちょっと述べたように、医師が処方する薬の中には、ドーパミンに非常によく似た物質やその代用品になる化学物質が多く存在する。俗に
「プレドニン(プレドニゾロン)」

と呼ばれるステロイド系の薬がそうである。これは、ちょっと入院したりすれば、確実に処方される。かなりよく知られた、広く利用される薬である。

これを入院中の1,2週間とか、かなり時限的に限定された状態で使う分には特に問題はない、あるいは問題は残らないだろうが、その後、これを使うと調子がいいので、ずっと使いたいというような人間が出てくる。すると、いずれ脳内ホルモンの代用物であれば、そのせいで、もう二度と脳内でこれを産生しなくなる。あっという間に萎縮するのである。

(え)インシュリンの場合
もっと有名な卑近な例が、
インシュリン


ちなみに、だいぶ前に私はこのインシュリンの3次元構造をモデル化し、当時のスーパーコンピュータに勝利したのだったが。

http://www.stannet.ne.jp/kazumoto/RubikMagicSnakeS0j.html
である。インシュリンは、
脾臓(ひぞう)

で産生される。ところが、このインシュリンを薬として投与し始めると、本来体の脾臓で創りださなくてはならないホルモンであるはずのインシュリンを作る必要がなくなる。あっという間に脾臓は萎縮し、衰退し、不必要になる。これが「体内ホメオスタシス」というものである。必要なら発達するが不必要になると衰退するのである。

こうして、これまで自分で生産していたインシュリンも、一生薬として飲まなければ行きられなくなる。なぜなら、一度萎縮し破壊された臓器はもう元に戻らないからである。

(お)どうしてこういうことが起こるか?
これは、一言で言えば、「量の問題」なのである。飲む量が多すぎるからである。

ちょっと前に、クラゲ博士こと、
下村脩博士

がノーベル化学賞を取った。この下村博士がみつけた物質は蛍光蛋白質という物質、タンパク質である。この物質をその結晶構造がX線分析器で解析できる程度の量(ほんのミリグラム)を得るために、いったいどれほどのクラゲを捕まえて、すり潰したか? 何万というクラゲである。何トンにも及ぶという。

同様に、いわゆる脳内ホルモンの構造解析のために、ほんの耳かきひとさじ以下の物質を得るために、牛の脳みそを何トンもすり潰さなければ、たったこれだけのホルモンですら得ることができないのである。

ホルモンというものは、本当に微量なものなのである。その非常に微量のホルモンで体内を調節しているのである。

ところが、医師が処方する場合は、その量は一回に何グラム、何ミリグラムという大量である。これは一回飲めば、全身に渡る。全身を一気に壊滅できる量なのである。一言で言えば、多すぎる。

しかし、「健康人や普通の人の場合は、余った薬は尿からすぐに排泄されるから、ご心配なく」というのが、医者の盲信する見解というわけである。まあ、そのほうが、医者も製薬会社も儲かるからネ。これが「ウィンウィン」というやつサ。

ここにすべての問題の芽がはらむのである。

(か)サプリメントの何が問題か?
もうだいたい私が何を言いたいかわかっただろうが、いわゆる「サプリメント」の何が問題かといえば、「ホルモンの代替物」と「その量」である。

わかり易く、非常に健康人の若者の場合を例に取ろう。

筋肉を増強したい若者は、「プロテインを飲む」。「ピストル打つ」こと、障害者ランナーのピストリウスも飲んでいた。私の息子たちもすぐにどこかからこういう情報を仕入れてきて、サプリメントとして飲み始めたが、私はすぐにやめるようにいって、強引に止めさせたものである。

なぜか?

つまり、こういうことである。

このプロテイン(大半の市販されているもの)は、大豆蛋白である。もちろん、モンサント製の遺伝子改変作物の大豆である(これについては、すでにかなりその問題点や危険性が知られるので、ここでは繰り返さない。黄金の金玉がやられる。)。

このプロテインを牛乳に混ぜて一気に飲む。かなりの量を毎回飲む。

すると、たしかに体内にタンパク質が増え、筋肉は増強され易くなり、少しの筋トレ、同じ強度の筋トレでもどんどん筋肉がつく。いわゆる「ボディービル筋肉」というもので、見掛け倒しの筋肉がつく。

問題はそこから始まる。

見かけはいいが、この量のプロテインは、普通のステーキでいえば、神戸ビーフを10枚以上食べた場合のようなむちゃくちゃな量のタンパク質である。

肉を食い過ぎるとどうなる?  そう、痛風になる。
痛風は何が原因?  そう、タンパク質のとりすぎから来る。
つまり、タンパク質を分解した結果出てきた老廃物を腎臓で処理できなくなる。言い換えれば、窒素排出の困難からくる。

我々成人が、お正月にちょっと一回忘年会をやって、食い過ぎただけでも、腎臓はフル機能になり、体はタンパクの老廃物処理で困る。悲鳴を上げる。これが間に合わなければ、痛風発作に見まわれ、その尿酸となって関節に蓄積し、神経を逆なでする。結果、関節炎が起こり、悲鳴を上げる。

実は、若者たちが、プロテインをやたらと飲み続けると、これとまったく同じか、それ以上の状況が続き、腎臓に大きな負担がかかるのである。

つまり、腎臓の弱いもの、もともと腎臓に問題のある若者から病院送りとなる。いわゆる「急性腎不全」になるのである。一度、腎臓を病めば、もうスポーツはできない。挙げ句の果ては、一生透析しなければならない。また透析を始めたら、もう永久に透析を受けなければならない。こういう死への悪循環に陥るのだ。(これに加えて、人工甘味料は「アスパルテーム」など満載。全部、金玉潰しに働き、ゆくゆくは、サッカーの井原、野球のイチローのように「子無し」の人生が待つだけサ。それどころか、いつかは癌になる。若者のガンが多くなったのは、一番がこの人工甘味料、人工調味料のせいである。まあ、知らぬが仏だナ。)

代謝が老人や成人の数倍も早い若者たちでもこんな案配である。

では、成人や高齢者や老人はどうか?

いわずもがな、であろう。

老人がサプリメントなどを飲めば、かならず不必要に、そして生真面目に飲み続ける。私の母親もそうだった。そうすれば、老人は大半がサプリメントの過剰摂取に陥るだろう。そうなれば、体内に余った量は、簡単に体外に尿として排出できない。ましてや寝たきりや歩行障害者には無理だ。だから、結局体内の臓器に非常に負担がかかるのである。そして、自分のもつ弱点、仮に肝臓が問題を持てば肝臓が、すい臓が問題ありならすい臓が、腎臓が問題なら腎臓が、悲鳴を上げ、発病する。そして入院。これを繰り返す。

要するに、「サプリメント神話」とは、「おれおれ詐欺」の医薬品版だということである。高齢者の小金欲しさに、高額サプリメントを売る。年金暮らしだから、若者と違って金払いは良い。常習性もあり、律儀に買ってくれる。こうしてサプリメントを使い続けた結果、体のどこかを病んで病院送り、今度は人工透析やら、薬やらで悪徳な医者が儲かる。反面、重篤になった老人を対処しなければならなくなる大学病院やまともな病院は、あまりに忙しくて破滅寸前ということになるのである。

これが現実だ。

皇潤やら、青汁やら、なんやら、みんなそんなものだ。

では、売っている経営者はどうか?

まあ、あえてメモしないが、贅沢三昧らしいですナ。もうかってしょうがない。まあ、大半が在日である。

もっとも、こういう社長さんたちは、化学や生物学や医学知識ほとんどゼロだから、自分が悪いことをしているとはこれっぽっちも思っていないから、始末に悪いのであるガナ。

我々人間、生物というものは、非常に保守的にできている。保守を重んじるようにできている。それがホメオスタシスというものである。規則正しい生活、規律ある生活、一定リズムの生活、昔ながらの生活、従来の生活、伝統的な生活、こういったものを求めるようにできている。

だから、カンフル剤やらサプリメントを飲むと、一時はいいかもしれないが、それを常用すれば、必ずやそのしっぺ返しが出てくるのである。シュワルツネッガーを見よ。



最後に、人間(人体)と社会を比べた場合、両者は非常によく似ているのである。それは組織というものは、プロセスが同じなら同じように振る舞うからである。

人体は細胞からできている。人体にはたくさんの臓器があり、それぞれ専門の細胞組織がある。一方、社会は人々からできている。同様に、社会にもたくさんの産業があり、それぞれ専門の組織や会社がある。人体がホルモン剤やサプリメントで外部から栄養やホルモンを取り込めば、本来これまで作っていた組織は不要になる。そして、壊死する。同様に、社会や国家が外部の生産拠点を置けば、これまで内部で生産していた拠点は不要になる。そして衰退する。

この意味では、「サプリメント神話」というものは、まさに「産業空洞化」の人体バージョンだということが理解できるはずである。

まあ、分かる人にはわかればいい話であるから、どうでもいい人にはどうでもいいのだがナ。

いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
中川家の兄、剛がすい炎の疑いで緊急入院

 漫才コンビ中川家の中川剛(42)が、すい炎の疑いで緊急入院していたことが22日、分かった。関係者によると、20日に体調不良を訴え、都内の病院で検査を受けたところ、すい炎の疑いがあると診断され、そのまま入院したという。
 剛は10年にすい炎の治療のため約1カ月入院しており、再発の可能性もあるという。
おそらく皇潤のみすぎだナ。





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人間の「品」と「格」

前に書いた「上品という価値観」という記事を、私がよく拝読するブログのうちお二人ほどに引用して頂いたが、そのどちらにも「美しい言葉を操る悪党」への言及と懸念があったのが面白い。(谷間の百合さんにはコメントまで頂いたので、ここでお礼をしておきます。)なるほど、そう言えばそうである。昔から「巧言令色、鮮(すくな)し仁」と言うように、悪党ほど言葉巧みなものであり、美辞麗句を駆使するものではある。私の知見でも、無口な不言実行の人間の方が「剛毅朴訥、仁に近し」であった。
発せられた言葉がそのまま考えている内容ではないのは言うまでもないことであるのだが、言葉の上品さが、ある程度は内面的な上品さの指標にもなるとは言えるのではないだろうか。べつに上流マダム風の「ざあます言葉」が上品だと言うのではない。まして、人を騙すために美辞麗句で飾った言葉など、下品の最たるものである。だが、傲慢無礼な態度の人間や憎悪に満ちた言葉づかいをする人間には人間の屑が多いことは石原某や橋下某を見れば明瞭だろう。(野田元総理のやたらと丁重、低姿勢な態度や言葉も明らかに戦略的なものであり、その人格は下品であったが。)
「和顔愛語」という言葉がある。これは仏道の施しの一つであったと記憶しているが、穏やかな笑顔で他人に接し、優しい言葉で語ることは、誰にでもできることでありながら、世界を良くするもっとも優れた方法の一つではないだろうか。
「品」とは簡単に言えば、人間としてのクラス分けである。元々は身分的なクラス分けであったと思うが、やがてそれが人格的なクラス分けとなったのだと思う。つまり、上品か下品かは、社会的身分や財産の有無とは無関係なものであり、それを「品格」とも言うのだろう。「格」というのも、もともとは身分に伴うものだっただろうが、「人格」となると、言うまでもなく、その人間の道徳性や精神の高貴さ、強さ、大きさなどを示すものだ。「人間としての格の違い」には、さらに能力面までも含まれるだろう。
そういう「内面的な格の高さ」の例として、「アンファニズム」というブログから引用しておく。こうした無名の偉人は案外この世界、特に日本の庶民の中にはたくさんいるような気がする。



(以下引用)


人間の格



「2ちゃんねる」まとめ板から転載。
泣ける話である。
人間の格というものは、こういう咄嗟の場合に現れるのかもしれない。



(以下引用)




2013年01月19日20:01


文学少女の姉がダッシュで来てスライディングで俺を掘りごたつに蹴り落とした

カテゴリ生活・人生


2拍手

今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 88度目
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1357129153/



543 おさかなくわえた名無しさん 2013/01/18(金) 00:09:49.88 ID:f9VZuAad

阪神大震災の時、俺は当時小学生だったんだがあの時は驚いたな。

中学生の姉が一人いて、無口で眼鏡で読書が趣味っつう文学少女だったんだが
地震が起こるやいなや台所からダッシュで走ってきて
スライディングで俺を掘りごたつに蹴り落とした。
直後に轟音と暗転があって、20時間後に救助された。
しかも救助したのは先に自力で脱出して一人黙々と瓦礫を掘り起こしてた姉貴だった。
手とかもう血で真っ赤だった。

見かけや普段の態度に表れない、根本的なタフさってのがあるのを、小学生の段階で俺は知った。
現在、姉貴は普通に結婚してパート勤めだが
稼ぎやら社会的地位やら、そんなんでいくら勝ってもあの姉貴には敵う気がしないわ。








544 おさかなくわえた名無しさん 2013/01/18(金) 00:12:01.40 ID:+ynu+qrk

>>543
すげーw




546 おさかなくわえた名無しさん 2013/01/18(金) 00:32:09.21 ID:KqGGhKsP

>>543
早起きな兄弟で良かったな。
揺れる直前に目は覚めたのに何もできなかったわ。

そういえばその後毎年同じ日の同じ時間に目が覚めた。些細な衝撃体験。




549 おさかなくわえた名無しさん 2013/01/18(金) 06:04:36.74 ID:iIyLoTo1

>>543
>稼ぎやら社会的地位やら、そんなんでいくら勝ってもあの姉貴には敵う気がしないわ

その気持ちすごくわかります




550 おさかなくわえた名無しさん 2013/01/18(金) 07:38:59.75 ID:OcGlDaX8

>>543
衝撃的な体験に感動した




551 おさかなくわえた名無しさん 2013/01/18(金) 07:46:51.04 ID:JLMJBuOI

>>543
何でお姉さんは大きな揺れの前に地震が分かったんだろう




552 おさかなくわえた名無しさん 2013/01/18(金) 08:01:05.44 ID:gTQBvrXp

>>551
地震が起こるやいなやだから起こった瞬間に蹴り入れたんだろう
別に予知とかじゃない普通の素敵なカッコイイネーチャンだ




559 おさかなくわえた名無しさん 2013/01/18(金) 10:21:54.64 ID:gX8UMKd+

>>543
朝一番で読んで感動して泣いてしもうた
弟想いのいい姉ちゃんや




573 おさかなくわえた名無しさん 2013/01/18(金) 14:48:46.95 ID:BtCqJpJo

>>543
リアルロベルタさんやな




576 おさかなくわえた名無しさん 2013/01/18(金) 22:57:30.01 ID:x/8fEetZ

>>543
うちは東灘区だったけど家全壊

燃え始めた街中を逃げた。経路覚えてないけど生き埋めになった人の
「あついよーあついよー」や「死にたくない死にたくないっ」て声がずっと耳の中に残ってる






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故(古)きを温(たず)ねて新しきを知る

あまり目先の出来事ばかり見ていると、次から次に起こる事件で頭が一杯になり、大事なことを持続的に考えることができなくなる。たまにはネットから離れることも必要だろうし、テレビや新聞など、普段はまったく見なくても私のような半世捨て人にはべつに不自由は無い。まあ、世間話のネタについて行けなくなるから、大方の人にとっては社交のためにそういう最新のトピックを知っておく必要もあるわけで、そうすると我々は「世間」のために自らの頭を汚染することを余儀なくされているという事実に改めて気づくわけだ。ならば、庶民がマスコミに洗脳されるのは、ほぼ必然に近い、となる。
マスコミを支配すれば世界を支配できるというこの大原則を早々と見つけて利用したユダ金は、邪悪ではあるが、やはり慧眼ではあったと言える。
毎日の仕事や雑務、社会的な騒ぎに取り紛れて朦朧状態になり、「自分の頭で考える」ということがほぼ不可能であるのが現代人なのだが、まずは自分のそういう状態を自覚するのがB層脱出の第一歩だろう。
もっとも、B層から脱出すると、他のB層とは話が合わなくなるから、家畜として群れの中で暮らすか、目ざめた人間として孤独に生きるかの選択をしなければならなくなる。どうにも、あちら立てればこちらが立たずである。前にも書いた山上たつひこの「光る風」のラストの場面が、そういう選択を強烈に提示していて、それを今でも私は覚えている。
さて、自分の頭を少しでも健全に保つ方法の一つは、常に過去に立ち戻ることである。ネット記事でも、最新のものを読むだけではなく、良ブログの過去記事などを読み返すと、その中には現在の指針となる良いヒントがたくさんある。

下の引用は「晴耕雨読」2010年12月29日の記事である。
長い記事なので、最後の部分だけを転載したが、ここに書かれたことは現在でも生きている。「理念的な改革推進派の民主党が勝つほうがより経済状況が悪化すると考えている。」という部分は、見事にその後の状況を予見していたと言えるだろう。もちろん、民主党革命が内部クーデターによって殺されなければ、また別の進展があったと思うのだが。
「万が一、本当にやばい政権交代や多数派形成が行われそうだったら、ブッシュ陣営が大統領選で行ったような不正が行われたり、「電子投票」の“結果操作”が行われるであろう。」という部分も、予測が当たったと見ていいのではないか。
そして、世界的大不況は、まさしく現在の状況であり、これから起こるのは「民衆の反乱」と、それに対して各国政府が「自国民に銃を向ける」という事態である、という予測が実現する可能性もかなり高いとは思う。しかし、羊のごとき日本国民だけは、それは絶対にしないとも思う。情けない話ではあるが、寄らば大樹の陰、泣く子と地頭には勝てぬ、というのが日本人の国民性なのである。とにかく、「お上」に対しては弱いし、権力者に反抗することなど頭から考えられないというのが日本人のDNAのようだ。まあ、そこが本来は日本人の良さでもあるのだが、草食獣は肉食獣の餌になるしかないのがこの世界の現実なのである。



(以下引用)


■ 「大不況」の仕掛けでもたらされる危機

大多数の国民が苦境に陥るため、「大不況」を仕掛ける方にも強い覚悟がいる。

「エンロン破綻詐欺」の後日談のように、“旧”中産階級や勤労者階級から憎悪や非難を浴びせられるだけなら「アホだから悪いんだ」と笑って済ませられるが、それが政治的な“反乱”に結びついていけば、命を失ったり、せっかく蓄積した財産を奪われることにもなりかねない。

政治的な“反乱”としては投票行動や直接行動が考えれるが、投票行動であれば、米国や日本など「文明諸国」では問題とならないだろう。

例えば米国の場合、共和党が負け民主党が勝っても、大衆が幻想でしかない変化に喜ぶという効果があるだけで、支配層にとっては痛くも痒くもない。

(日本でも、自民党が負けて民主党が勝っても同じことである。理念的な改革推進派の民主党が勝つほうがより経済状況が悪化すると考えている。欧州諸国も同じである)

政権が変わることで現状が改善されるのではないかと期待してもらったほうが、時間稼ぎもでき、支配層には好都合である。

万が一、本当にやばい政権交代や多数派形成が行われそうだったら、ブッシュ陣営が大統領選で行ったような不正が行われたり、「電子投票」の“結果操作”が行われるであろう。

問題なのは、既存政党や政治制度を無視した暴力を伴う反乱である。

9・11空爆テロ以降、米国のみならず「文明諸国」すべてが、対テロを名目にした国内治安態勢の強化を進めている。

日本も、有事法制の成立をめざしているだけではなく、警察官の自動小銃携帯が現実のものとなった。

このような動きを「対テロ対策」や「外敵への備え」だと考えるのは愚かである。

治安強化や軍隊の行動制限を取り払おうとする目的の第一は、国内“反乱者”の鎮圧である。

今後起きるであろう「世界同時大不況」は、世界の構造を根底から変えることも同時に企図されていると思っているが、それはここでは言及しない。

長い年月や大戦争が必要だったとは言え、「大恐慌」のあとにも好況期が巡ってきたように、「世界同時大不況」もいつかは終息することになる。

そうしなければ、日々の経済活動のなかで新たな儲けが難しいからである。しかし、そこで生きる多くの人は苛酷な生活を強いられることになるだろう。

(そうは言っても、失業率は25%の範囲内だろうから、みんながルンペンになるわけではない(笑))

アフガニスタンや中東の情勢も重要だし、日本の金融システム問題も重要だが、より根源的な問題である自分自身や家族の生存が脅かされかねない現実がひたひたと迫ってきている。

強欲な連中は、今、戦争=虐殺を拡大するだけでなく世界経済まで破壊しようとし、その結果生じるであろう“反乱”への備えまで強化している。

7/3/14






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「上品」という価値観

IT技術者で神秘思想家のKAYさんのブログから転載。
「品のよさ」という言葉、「上品さ」という言葉は現代では死滅したようにすら見えるのだが、人間の客観的価値指標の一つとして、大事なものだと思う。なお、私は昔、小学生相手の塾で子供を教えていたことがあるが、その中の生徒の一人で、小学四年生の女の子から、「先生はこの塾の先生の中で一番上品だと思う」と言われたのが、今でも覚えているくらい嬉しい褒め言葉であった。
その女の子は非常に賢い子で(勉強での話ではなく、精神年齢が高いということだ)、私がその子との雑談で「子供相手に教える時には子供に分かる言葉を使わないといけないから、それが難しい」と言ったところ、「先生が難しい言葉を使ってくれないと、私たちは言葉を覚えられないじゃない」と答えたのだが、これはまさしく「目から鱗」であった。彼女は私に、国語教師として心得るべき非常に大事なことを教えてくれたと思う。つまり、この時、この女の子は私の先生であったわけだ。

子供の中にも大人がいるし、大人の中にも子供がいる。年齢だけで人を区別するのは愚かしいことだ。また社会的身分が人間の品性とは反比例していることが多いということはこれまで何度か書いてきた。それは、職業的能力とは別の、立身出世の能力という卑しい技術によって社会や組織の上位に上る例が非常に多いからだ。その一方、無名の庶民には人格高潔で善意に満ちた人間も多いのである。そういう人間が真の意味で「上品な人間」だと私は思うし、自分もそうなりたいと思う。まあ、それが無理なら、せめて外面だけでも上品でありたいものだ。もちろん、それはファッションなどとはまったく無関係な話であり、下に書かれたような「言葉」や、物事に処する「態度」のことである。


(以下引用)


また、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』(初稿は1924年頃)で、ジョバンニとカムパネルラが乗る車両に後から乗ってきた、かおる(かおる子ともあった)という名の12歳くらいの女の子の言葉遣いが、やはりとてもきれいだった。
彼女の一番最初の言葉は、
「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ」
だった。
そして、小さな弟に、
「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます」
と、とても丁寧な言葉で言う。
そして、沢山の鳥の群を見た時は、感激し、美しい頬を輝かせながら、
「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと」
と言う。
読んでいて、私はすっかり、心が清々しくなった。

いくら若くて姿もきれいな女の子でも、品のない汚い言葉を使うのを聞くと、まともな人間なら、彼女を見るのも嫌になるはずだ。
だが、そんな子達がとても多いように思うのだ。
彼女達が素晴らしい人に好意を持たれることは決して無いし、近寄ってくるのは、その言葉遣いに相応しい、卑しく下劣な者ばかりである。
実際、人は、口から出るものに相応の相手を引き寄せる。
なぜなら、人は、自分が発した言葉によって汚れるからだ。
イエス・キリストも言ったのだ。
「人は、口から入るもので汚れたりしない。口から出るもので汚れるのだ」
と。
貧しいものを食べてたって、心まで貧しくなったりはしない。
だが、劣悪な言葉、卑しい言葉、品のない言葉は、確実に心も身体も汚すのである。
そして、いつも美しい言葉を使う人は、身も心も美しい。
なぜなら、美しい言葉は美しい心から出てくるし、美しい心は、澄んだ魂から出てくる。
つまり、言葉は魂の孫のようなものだ。
だから、美しい言葉をいつでも使う人は、魂の純粋さを現しているのであり、言葉が汚い者は、魂が汚れているのである。
これは、単純で確実な真理であり、決して例外はない。
そして、美しい言葉を使うためには、心持ちをきれいに、大きくするよう心がけるしかないようである。





(2月22日追記)「独りファシズム」から転載。言葉は自己の思索のための道具であり、また他者との交流のための手段である。他者への共感能力の無い人間は言葉も粗雑(美辞麗句をまぶした空虚な言葉もまた粗雑な言葉なのである)であるはずだ。その点で下記の言葉に少し異論はあるが、「人も社会もまず言葉から狂う」というのはまさに至言だろう。


我々は公共教育のスコアリング点数化によって知性を裁定されてきたのだけれど、
つまるところ人間の最も高度な精神とは、言語運用能力や数理的直観力ではなく、
ましてや機械的な記憶力などでもなく、
他者の痛みへの共感能力なのであり、人権や生命を慮る洞察の領域にあるのだと思う。

ジョージ・オーウェルはイギリス統治下におけるインド帝国の禁圧に着想を得て「1984」
を上梓したのだが、すでに社会構造とはそれに準拠するディストピア
ユートピア(理想郷)の正反対の社会なのであり、
「人も社会もまず言葉から狂う」という至言にその兆候を見出すのであり、
我々が帰属する暗黒の体系は、人間性の退行によって支配が達成される
というオーウェルの預言を体現することになるのだろう。





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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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