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月に刺さるロケットと自動書記人形

たまたま娘が借りてきたDVDが家にあったので、『ヒューゴの不思議な発明』を見たが、何とも微妙な作品である。面白いか、と言われれば首をひねるし、感動作かと言えば、まったく感動はできない。ところが、演出はそう悪くはないし、映像技術はある意味驚異的なレベルなのである。完全に、脚本の弱さだろう。私の見間違いでなければジョニー・デップがプロデュースに加わっていたはずなので、原作には映画人を牽きつける要素が強いのだと思うが、脚本段階で「この程度の脚本で大丈夫か」という見直しが必要だったと思う。
何より、登場人物に魅力が無さ過ぎる。主人公の少年は最近の洋画に多い自己中人間で、物語の真の中心人物であるメリエス老人は途中まではただの意地悪爺ィだ。こういうところが脚本の下手なところであり、話の最初の段階で主人公的登場人物に嫌悪感を持たせると、その作品はほぼ失敗するのである。人物の境遇によって情状酌量の余地があるだろう、と作り手側は考えるだろうが、観客の生理(感情)はそう簡単に変化はできないのだ。
最後のスタッフ紹介画面で、クロエ・グレース・モレッツが出ていたことを知ってびっくりしたが、あの「ヒット・ガール」がどこにいたんだ。まあ、その年齢の少女は一人しかいないので、あの子に決まっているのだが、あの普通の女の子が「ヒット・ガール」だとはねえ。やはり彼女はバンバン人を殺しまくらないと彼女じゃないよ。もっとも、『キック・アス』の時の彼女はほとんど仮面(アイマスク)をかぶっていたから、歯並びが悪いこと以外には顔の印象は無かった。今回の映画で初めて顔をちゃんと見たのだが、まあ、普通に可愛い。平凡と言えば平凡な顔だ。大昔の『小さな恋のメロディ』のジャック・ワイルドを女の子にしたような顔だ。トレイシー・ハイドの方ではないよ。
それよりも驚きはジュード・ロウが出ていたことにまったく気づかなかったことだ。主人公の父親役で回想シーンに出てきたようだが、ジュード・ロウのような特徴的な顔でも、メガネをかけて出たらまったく別人である。変装というものは案外簡単なもののようだ。
その他、クリストファー・リーも出ていたようだが、こちらもかなりの老齢で、もはや見分けはつかない。たぶん、本屋のオヤジがそれだろう。(後でウィキペディアを見ると、ムッシュ・ラビスとか書いてある。誰だ?)
脚本段階で登場人物に魅力が無い場合、俳優に怪優をつかう手がある。ジョニー・デップも、どうせなら出演すれば良かったのである。
マーチン・スコセッシはこういうファンタジー風味が大事な作品には向いていないようだ。何より、ユーモア感覚が乏しいので、よほど脚本に人を得ないと失敗する。一番の問題は、彼は達者な監督なので、その失敗が失敗に見えない点ではないか、と私は思う。はっきりとした失敗なら反省もできる。だが、失敗に見えない失敗には改善の可能性は無いのである。
蛇足だが、私はジャンゴ・ラインハルトの音楽が好きだったのだが、この映画の中でなぜか鉄道施設内で演奏をしている音楽家たちの一人がジャンゴ・ラインハルトであるという設定らしい。そんなことを言われても、観客には分かるはずはない、と思う。まあ、遊び心のあるところをそういう部分で見せているのだろうが、それよりは、脚本をもっと楽しい、わくわくするようなものにしてほしかったよ。
これも蛇足だが、映画の中で主人公は「ヒューゴ」と呼ばれていたが、フランス語ではたしか語頭のhは発音されないと思うので、「ウーゴ」と呼ぶべきではないだろうか。「ウーゴ・モンテネグロ」という軽音楽の音楽家もいることだし。
もう一つ蛇足だが、作中で「ヒューゴ」君は「発明」はしません。したがってこの日本語タイトルは嘘です。まあ、嘘によって何かのメリットがあるなら、興業の世界での嘘は無問題だが、この場合はべつに何のメリットもないと思う。それでタイトルが魅力的になったのなら、「ストレンジラブ博士」を「博士の異常な愛情」とするような大誤訳も悪いとは限らない。ストレンジラブ博士は石原閣下と同様に、確かに原爆に対する異常な愛情を持っていたが、ヒューゴ君がいつ発明をするかと待っていた観客はお気の毒である。


(以下「ウィキペディア」より引用)

ヒューゴの不思議な発明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヒューゴの不思議な発明

Hugo

監督 マーティン・スコセッシ

脚本 ジョン・ローガン

原作 ブライアン・ セルズニック
『ユゴーの不思議な発明』

製作 グレアム・キング
ティム・ヘディントン
マーティン・スコセッシ
ジョニー・デップ

製作総指揮 エマ・ティリンガー・コスコフ
デイヴィッド・クロケット
ジョージア・カカンデス
クリスティ・デムロウスキ
バーバラ・デフィーナ

音楽 ハワード・ショア

撮影 ロバート・リチャードソン

編集 セルマ・スクーンメイカー

製作会社 GKフィルムズ
インフィニタム・ニヒル

配給 パラマウント映画

公開 2011年11月23日
2011年12月2日
2012年3月1日

上映時間 126分

製作国 イギリス
アメリカ合衆国

言語 英語

製作費 $170,000,000[1][2]

興行収入 $73,864,507
$184,707,636 [3]



『ヒューゴの不思議な発明』(原題: Hugo)は、2011年のアメリカのドラマ映画。ブライアン・ セルズニックの小説『ユゴーの不思議な発明』を原作とする、マーティン・スコセッシ初の3D映画である。第84回アカデミー賞では同年最多の11部門にノミネートされ、5部門で受賞を果たした。


ストーリー [編集]


1930年代のフランス。パリのリヨン駅の時計台に隠れて暮らす孤児ヒューゴ・カブレは、父親が遺した機械人形と手帳を心の支えとしていた少年だった。機械人形の修理に必要な部品を集めるため、盗みを働くこともあったヒューゴはある日、駅の玩具店の主人であるジョルジュ・メリエスに盗みを見つかってしまう…。
メリエスの養女で読書好きな不思議な少女イザベルや、花屋のリゼットに恋する足が不自由な鉄道公安官を取り巻き、ヒューゴは父が遺した謎の追究を始める。

キャスト [編集]

役名 俳優 日本語吹替

ジョルジュ・メリエス
ベン・キングズレー
坂口芳貞

ヒューゴ・カブレ エイサ・バターフィールド
橘敏輝

イザベル クロエ・グレース・モレッツ
山口愛

鉄道公安官 サシャ・バロン・コーエン
村治学

クロードおじさん レイ・ウィンストン
辻親八

リゼット エミリー・モーティマー
高橋理恵子

ママ・ジャンヌ
ヘレン・マックロリー
野沢由香里

ムッシュ・ラビス クリストファー・リー
長克巳

ルネ・タバール マイケル・スタールバーグ
大川透

エミーユ夫人 フランシス・デ・ラ・トゥーア
立石涼子

ムッシュ・フリック リチャード・グリフィス
村松康雄

ヒューゴの父 ジュード・ロウ
加瀬康之

フーツ警官 ケヴィン•エルドン
谷昌樹

浮浪児 ショーン・アイルウォード
ラヴェルヌ拓海

映画館の支配人 アンガス・バーネット
塾一久

動く写真の呼び込み 真田五郎

機関士① マックス・ロッテスリー
樋口智透

ジャグリングの呼び込み 町田政則

助監督 玉野井直樹

ブース席の女性 慶長佑香

驚く女性① 笹田依里

本の納入業者 荻沢俊彦

ジャンゴ・ラインハルト
エミル・ラジェ

撮影技師 エドマンド・キングズレー

バグダッドの盗賊(映像) ダグラス・フェアバンクス
(ノンクレジット)
トランプ(映像) チャールズ・チャップリン
(ノンクレジット)
ジョニー・グレイ(映像) バスター・キートン
(ノンクレジット)
ボーイ(映像) ハロルド・ロイド
(ノンクレジット)
カメラマン マーティン・スコセッシ
(ノンクレジット)

製作 [編集]

2007年2月、『ディパーテッド』のアカデミー作品賞受賞直前、同作を製作したワーナー・ブラザーズとグレアム・キングはスコセッシの監督を想定して刊行されたばかりの『ユゴーの不思議な発明』の映画化権を購入し、『アビエイター』でスコセッシ、キングと組んだジョン・ローガンに脚本化を依頼した[4]。撮影はデジタル3DカメラArri Alexaを用い[5]、2010年6月29日にロンドンで開始され、以降ロンドンとパリで行われた[6]。
2011年3月、フランスの新聞『ル・パリジャン』が「ルーロー氏 (M. Rouleau) 役のジョニー・デップ」という付記とともに、くちひげを生やした男が写った映画のセット写真を掲載した[7]。しかしパラマウントは、写真の男はデップではなく、またデップは映画に一切出演していないとした[8]。

公開 [編集]

映画は当初ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントによって2011年12月9日に公開される予定だったが、キング側が感謝祭の公開を強く望んだ結果、感謝祭に『アーサー・クリスマスの大冒険』を抱えるソニーは配給を退き、代わってパラマウントが2011年11月23日の公開を決めた[9]。映画は原作の原題『The Invention of Hugo Cabret』に反し単に『Hugo Cabret』と呼ばれていたが、のちに『Hugo』とさらに縮められた[10]。
2011年10月10日、本作はニューヨーク映画祭(英語版) (NYFF) において編集が中途段階の状態で上映された。NYFFにおける未完成の映画の上映は1991年の『美女と野獣』以来であった[11]。

評価 [編集]

ジェームズ・キャメロンは2011年11月6日、全米監督協会がロサンゼルスで開いた試写の後で質疑に応え、本作を「傑作」("masterpiece")、「ようやくできた子供たちを連れて行けるスコセッシ映画」と称え[12]、また、3D技術を用いたことに関して、「今まで見た中で間違いなく最高の3D映像。それは君 (スコセッシ) の美術的表現に常に効果的に使われていて、決して邪魔になっていない」と述べた[13]。
本作は批評家から絶大な支持を集めている。映画のレビューを集積するウェブサイトRotten Tomatoesによると、集計されたレビュー98件のうち95件、97%が作品に対し好意的な評価を寄せており、評価の平均は8.4/10、批評家の総意は「『ヒューゴの不思議な発明』は、近頃の子供向け映画の多くが欠く純粋さをもつ、贅沢で洗練されたファンタジーであり、映画のマジックに対する大胆な愛を発するものでもある」であった[14]。有力媒体の批評から100点満点の加重平均値を導くMetacriticは36件の批評を基に85という「全面的支持」の値を示している[15]。
『シカゴ・サンタイムズ』のロジャー・イーバートは4個満点の星をつけ、「『ヒューゴの不思議な発明』はこれまでのどのマーティン・スコセッシの映画とも異なっており、しかもおそらく彼の心に最も近い。ビッグバジェット、家族向け、3Dの大作で、かつある意味においては彼自身の人生の鏡である。我々は偉大なアーティストが必要なツールとリソースの権限を与えられたと感じる—映画についての映画を作るために」と書いた[16]。

興行収入 [編集]

批評家から高い支持を集めた本作だが、制作費が1億8000万ドル以上という巨額を投じているのに対し興行収入は伸び悩んでいる。日本では興収10億円を超えるヒット作となったが、本国アメリカやその他世界規模では結果は芳しくなく、世界興行収入は1億8200万ドルに達したが、配給手数料などのコストが差し引かれるため、GKフィルムは8000万ドルほどの負債を抱える見込みだという[17]。

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「登場人物は全員悪人」ではなく、「登場人物はあなたや私」

「ライブドアニュース」で拾った記事である。
NHK朝ドラの「純と愛」は、雑用に紛れてうっかり見逃すことも多いのだが、面白いドラマであることは何度か書いてきた。NHKらしい朝ドラとは正反対の「人間の本性がどんどんあばかれていく」という、まさしく「女王の教室」「家政婦のミタ」で見せた遊川和彦ドラマであるので、正統的(うっかり「正当的」と書いて、気づかなかった。ワードのワープロ変換は怖いものだ。日本人なら「正当的」などという単語は最初から想定しない。毛唐がいい加減に作った単語集がワードの土台である)NHK朝ドラファンが嫌うのは当然である。
そりゃあ、朝から重いドラマ、ダークなドラマは見たくない、という気持ちは分かるし、私もその部分は同じ気持ちである。だが、この「純と愛」はコメディ的味付けでそのダークさやハードさが十分に和らげられているので、見た後味はけっして悪くない。遊川和彦を起用した時点で、そうした正統的朝ドラから逸脱することは作る側も覚悟の上だっただろう。幸いに、視聴率も安定してきたようだし、ファンも増えてきたようだ。
下記記事にあるテレビライター(脚本家のことか? それともテレビ評論家か? こういう意味不明の国産英語はやめてほしいものである。)田幸和歌子の表現は、なかなか的を射ている。(毎度言うが、的を得る、ではない。的を手に入れてどうする。)その一方、町山智浩の「NHK朝のアウトレイジ」(つまり「全員悪人」)という言葉はやや的外れだろう。登場人物には一人も悪人はいない。もしもこれが悪人に見えるとすれば、それは日本という国では偽善が社会の常識、空気となっているからだ。
遊川和彦の脚本が、常にそうした偽善や「常識」をひっくり返すドラマであったことを忘れてはいけない。「純と愛」の登場人物は全員、「普通の人間」なのである。ただ、そこに「思った通りにそのまま行動する」純と、「他人の考えや本性が見える」愛という二人の「異常な人間」が存在したらどうなるのか、という、言わばこれは「偽善的な人間社会に、その正体をさらけ出させる化学的触媒を投入してみる」という実験のドラマなのである。

なお、「純と愛」のあらすじをほとんど毎回まとめてくれているサイトもあるので、興味を持った人は今からでもそれを読んでみるのもいいだろう。そのまとめの後の短い感想も面白くて、楽しいサイトである。「NHKドラマ 純と愛あらすじ」というサイトだ。



(以下引用)



ダークなNHK朝ドラ「純と愛」の賛否…ネットで熱い議論




ZAKZAK(夕刊フジ)
2012年11月19日17時09分






 世紀の傑作となるのか、それとも…。NHK大阪制作の連続テレビ小説「純と愛」が始まって1カ月半が過ぎた。「梅ちゃん先生」とは打って変わって濃密な人間関係のドロドロドラマが展開され、「好きvs嫌い」でアツい議論がわき起こっている。

 夏菜(23)が演じる、理想のホテルを追い求めて奮闘するヒロイン・純と、風間俊介(29)扮する、人の本性が見える不思議な能力を持つ愛(いとし)を軸に展開するストーリー。今週は、ウエディング担当として働く純にストーカーが現れ、ピンチに追い込まれるというダークな展開だ。「家政婦のミタ」を手掛けた人気脚本家、遊川和彦氏(57)らしい刺激的なストーリーだ。

 視聴率は好調だった「梅ちゃん先生」から受け継いだ直後、初回の10月1日が19・8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区、以下同)。その後、20%を超えることはなく、11月3日土曜日は15・0%となったが、その後ジワジワと盛り返し、最近は17~18%台をキープしている。

 ネットをみると「ヒロインの落ち着きの無さについていけない」「登場人物の腹黒さについていけない」といったダメ出しの書き込みが目につく。その一方で、「適材適所の配役がいい」「展開が読めないのが面白い」など、視聴率の数字だけでは計れない、熱心なファンもジワジワ増えている。

 テレビライターの田幸和歌子さんは「遊川脚本らしく、極端でリアリティーが全くないストーリーと設定、大げさな演出。これについていけない人が続出しているが、ドラマにリアリティーを求める人たちを挑発しているようにすら見える」と分析。従来の朝ドラ視聴者層の批判を覚悟の上で、徹底的にエンターテインメントとして作っている、とみる。

 さらに、映画評論家の町山智浩氏が自身のツイッターで「NHK朝のアウトレイジ」と書き込み、“登場人物全員悪人”をうたった北野武監督の映画「アウトレイジ」になぞらえると、ますますネット上の賛同者が増えている。

 田幸さんも「とにかく風間が良く、時折見せる猟奇的な表情で本領発揮。ヒロインは夏菜より、(女性っぽい)風間なのではないかと思うぐらい。明るく、健やかなものを描くよりも、闇を描くほうが風間の輝きを放つ気がする」と、ダークな朝ドラを評価する。

 「家政婦のミタ」も「女王の教室」も、後半になるにつれ視聴率は急上昇した。社会を挑発してきた遊川氏脚本のドラマはどこに行き着くか。

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秋刀魚苦いかしょっぱいか

秋と言えばやっぱりサンマの塩焼きだよねえ。今どき、七輪でサンマを焼くと隣家から苦情が出かねないが、そういうコセコセした風潮が世の中を息苦しくしているのである。
下の記事は「2ちゃんねる」まとめサイトからの転載だが、太宰治の「死のうと思っていたけど夏物の着物か何かを貰ったんで夏までは生きようと思った」みたいな書き出しの小説を思い出した。
まあ、美味いものを食うのも、気に入りの服を着るのも、何であれ、生きる気力のもとにはなる。お勧めは、散歩と空を見上げることだな。飯山一郎老人みたいに日光浴もいい。
そもそも、我々の悩み(特に失恋など)は大半が自分で勝手に作りだした幻想みたいなものである。自殺という問題解決方法は、そう悪い方法ではないが、一度しか使えないのが難点だ。



(以下引用)





死のうと思って練炭を買った。安かったからサンマも買った。






1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:44:16.55 ID:KNm7uo6h0

人生も悪くないと思えた。



4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:45:09.12 ID:Ve+nXPYT0

いい話だなあ

5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:45:09.27 ID:4mBoDpFI0

いいね


25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:48:17.76 ID:rHwC83aI0

安かったからさんまも買ったでワロタwwww

36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:49:59.85 ID:2L/HZWiQ0

なんとなく気持ちが綻んだ

15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:46:39.54 ID:PwQgAOrtO

なんか考えさせられるスレだな

52: 忍法帖【Lv=11,xxxPT】(1+0:15) :2012/11/18(日) 22:52:11.74 ID:eJ4+X3to0

いい話だ
さんまくいてえ

114:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 23:15:55.55 ID:J9sCdVxO0

サンマは美味いからな

18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:46:54.45 ID:HF0DGvGU0

そんなもんだよな

11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:46:10.97 ID:uzo4OyUOO

ビールは何にしたんだ
もちろん一番搾りだよな?

12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:46:13.77 ID:W8YV+gOE0

ライムと大根も買ってパァーっと食おうぜ

37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:50:12.30 ID:/RoxbsHs0

数の子食べた
世の中、なーんにも変わらない

ってCM昔あったの思い出した

43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:50:49.02 ID:ymodtsA+0 >>37

なっつwwwwwwwww

46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:51:25.36 ID:EUBMwhgL0

結局人間美味しいものさえありゃなんとかなるもんだよ
特に冬は死ねないよね何せ鍋の季節だから

75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:57:54.19 ID:H8HYHOyG0

生きる理由なんてその程度なんだよな

95:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 23:05:46.64 ID:h94Iort90

何か知らんが良い文章だなw

124:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 23:21:37.41 ID:J9sCdVxO0

そこで大根をつけるのを忘れてたと鬱になるのか今度は大根も買おうと思えるのかが人生の分れ目だな

39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:50:32.61 ID:K7Y8Zo870

なんか希望が湧いてきた

32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:49:24.44 ID:gnOLHX4FO

このスレみて人生も悪くないと思った

41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/18(日) 22:50:46.42 ID:rHwC83aI0

炭火で焼いたさんまに白飯とビールwwww
人生って素晴らしいwwww


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「純と愛」はNHK視聴者には合わないだけ

「日刊ゲンダイ」電子版から転載。
まあ、NHKの朝ドラなどどうでもいい、と思っている人も多いだろうし、見ていない人の方が圧倒的に多いとは思う。しかし、ドラマとしては前作の低能ドラマ「梅ちゃん先生」の数段上であるのに、NHK視聴者の好みには合わない、ということで視聴率が取れていないのは気の毒なので、擁護論を書いておく。
もちろん、「遊川和彦作品」としては最上位の作ではないと思う。NHK放映作品という限界もあるだろう。だが、腐っても遊川和彦作品、というレベルはキープしており、「見て気持ちがいい」かどうかは別だが、面白いことは確かだ。
その「見て気持ちいい」かどうか、というのが実はNHK朝ドラとしては大事なポイントで、それも芸術観賞力の低い善男善女のレベルで受けるかどうかが問題なのである。
まあ、電通の「B層」発言みたいな差別意識丸出しの意見で済まないが、芸術(と言うとお高くとまった感じだが)を理解する能力にはもの凄い個人差があるのである。で、NHK視聴者の、その最大公約数は、偏差値で言えば35くらいだろう。NHKに限らず、そのレベルに相当する作品が大衆受けし、ベストセラー、ヒット作品になる、と一般的には言える。
では、遊川和彦の「家政婦のミタ」があの視聴率を取ったのはどうなる、と言われるかもしれないが、あれは「雪崩現象」である。その面白さの情報が回を追うごとに広まり、最終回でちょうどピークに達したわけだ。
だが、NHKの朝ドラ視聴者層は、ふだん漫画も見ないような層である。そこに漫画的面白さを持った作品を提供しても、口に合わないのは当然だ。
言わば、戦略的ミスであり、そのミスの危険性は、あるいは作者は最初から分かっていて賭けに出たのかもしれない、と私は思うのである。
この「失敗」(まだ結論は出ていないが)が、遊川和彦のキャリアの傷にならないでほしいものである。
ついでに言うと、夏菜なんてタレントは、その存在すら私は知らなかった。潰れるも何も、それほどのキャリアも無いのだから、これで潰れるようならその程度の才能だ、というだけのことである。



(以下引用)



「ミタ」脚本家に潰される夏菜


【芸能】



2012年11月7日 掲載


NHK朝ドラ「純と愛」でヒロインに抜擢されたものの…

 NHKの朝ドラヒロインが批判の矢面に立たされている。「純と愛」で熱演中の夏菜(23)だ。
 初回視聴率19.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)とまずまずの出だしだったが、最近は16%台の回もあるなど下降気味。が、数字以上に朝ドラ愛好家の“ヒロイン批判”が加速し、「口の利き方がひどい」「ギャーギャー騒々しい」「イライラする」と一般紙の読者欄でも取り上げられ、散々なのだ。
“生みの親”は脚本家の遊川和彦(57)。最終回で40.0%の視聴率をたたき出した「家政婦のミタ」(日本テレビ)や、「さとうきび畑の唄」(TBS)で文化庁芸術祭大賞、「女王の教室」(日テレ)で向田邦子賞を受賞した自他ともに認める実力派だ。
 その辣腕をNHKが2年越しで口説き落とし、実現したのが今作。だが、放送評論家の松尾羊一氏は、「意気込む制作側とお茶の間に、大きな温度差を感じる」と語る。
「ド根性が売りの異色ヒロインが主役の『カーネーション』は広く共感された。それに続き、大阪放送局が遊川氏の手腕をもって“朝ドラの伝統をブッ壊してやろう”と意気込んだのでしょう。でもいかんせん、朝ドラが長年作り上げてきたヒロイン像とかけ離れ過ぎている。素直で清純でけなげという王道路線だった『梅ちゃん先生』の後だけに、ギャップも大きい。予定調和を好む朝ドラファンには刺激が強いのでは」
 遊川は週1ペースで現場へ足を運び、夏菜の演技指導にも当たっている。「たらたら(セリフを)言いやがって」「技術がない」「苦労すればいい」と容赦なくダメ出しする様子が、NHKのドキュメンタリー番組で取り上げられていた。
 前出の松尾氏は「朝ドラの歴史を覆したいという遊川氏の本気度がうかがえます」と言うが、矢面に立たされるのは夏菜だ。保守的な朝ドラファンとスパルタ脚本家にはさまれて、潰れなければいいが……。


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抽象と捨象

「山科恭介のブログ」から転載。


「有」 は、消されていった 「無」 を立脚点としている。


なんて、いい言葉だねえ。
抽象と捨象は二つで一つなのであり、捨象されたものが存在しないかのように抽象のみに重きを置き過ぎた結果が、現代の、人間を人間とも思わないこの非人間的状況なのかもしれない。人間をただの労働力としか見ず、人の命も統計的数字としか見ない人間が抽象的操作に優れた「頭のいい人間」として社会の上部にいることが、この世界を索漠たるものにしているのではないだろうか。
さて、捨象されるものとは「不要なもの」に決まっているが、それは操作を行う人間の主観でしか判断されない。社会的弱者や貧乏人、有色人種などはロスチャイルドやロックフェラー、ビル・ゲイツなどのような人間から見れば捨象すべきものであり、世界人口のうち9割5分までが不要な存在なのだろう。
もちろん、山科恭介氏は、もっと人間存在の本質的なものについて述べているのだが、その議論から「捨象」された部分を私が補ったつもりである。
なお、抽象とは「象(形あるもの、つまり現実的存在)」からその本質部分(らしきもの)を「抽き出す」ことであり、その残りは捨象される、つまり捨てられる、ということだ。

我々は常に、「有は無に支えられている」あるいは「見えるものは見えないものに支えられている」ことを心に銘記しておくべきだろう。



(以下引用)




この世は、自分自身が取るべき責任の100%を超えて、他の責任をも幾分か取らされてしまう。
その 「淡く理不尽なる責任」 の分だけが、<搾取>なのだ。
これが搾取ということの本当の意味なのだが、社会学者も経済学者も、あるいは政治を語り世の中の何たるかを偉そうに語っている者のすべては、そんなことすら解っていない。
実際に苦痛と苦悩をこの身で味わい、その本源を見た人間でなければ、こんな簡単で単純なことすら解らないのが人間だ。

有力な進化論のひとつに、オランダの植物学者ユーゴー・ド・フリースが提唱した突然変異説というのがあって、これは、通常は種の衰退へと繋がるDNAの変異が、時として生存に有利に働く場合、進化の要因と成り得るとするものである。
突然変異という言葉自体、彼が命名したとされているのだが、ダーウィンの自然淘汰説に反し、初期メンデル遺伝学者達は、変異の不連続性の観点から劇的な質的突然変異が進化の主要な原動力であると見なしていた。

その突然変異に至る弁証法的展開として、
多くの苦悩を伴った人間精神が歴史の中に埋没していく。
その捨象された数々の精神にこそ、事の本質が存在している。
「有」 は、消されていった 「無」 を立脚点としている。

人々が苦しんだその苦悩の集合体が、<存在>の意味である。
多くの無能なる人間が、<進化>ということに寄せる想いとは、全く逆だ。

それに気づかなければ、我々人類に課せられた 「不幸」 はいつまでも続くだろう。



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読めない文体

「夏目房之介の『で?』」というブログから転載。
「読めない文体がある」というのは私もまさしくその通りで、断片的に目にする村上春樹の文章だけで、もう彼の作品は私には読めないのである。「ライ麦畑でつかまえて」のホ-ルデン少年の精神を持った主人公に、1行ごとに比喩が散りばめられるフィッツジェラルドの文体、描かれるものは「この世界のあらゆるものは日々転落していく」というプルースト的喪失感、というのが、私の、村上春樹を読まずに推定している村上春樹的世界なのである。つまり基本的に「青春期の作家」だ。的外れだろうが何だろうが、我々はそういう予測に基づいて小説本を購入したりしなかったりするわけで、今の私には彼は縁遠い作家である。
文体とは、作品そのものの顔、象徴である。


(以下引用)


それほど寄り添った感じで読んでいた彼の小説に、次第に「何か違ってきたな」という感じを持ち始めた。多分、89年に出た『ダンス・ダンス・ダンス』が最初だったと思う。その違う感じは、92年の『ねじまき鳥クロニクル』で決定的な印象になった。それで僕は読むのをやめた。昔の小説を読み直そうとしたが、読めなかった。文体そのものを受け付けなくなっていた。

僕には、読めない文体、というものがある。フランス現代思想などの翻訳ものやその系列は、ほとんど読めないし、無理に読んでも意味がわからない。三島由紀夫も全然読めない。若い頃読めない文体で、その後読めるようになるものもあるが、逆のパターンはおそらく初めてだと思う。

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「天皇の書」展 (書で分かる皇統の断絶)

私は今年の春から京都という観光地の郊外の町(一応京都市内だが)に住んでいるのだが、財政的問題で、京都の寺社の見物はほとんどやっていない。神社は拝観料は取らないのでまだましだが、寺は普通、500円の入場料を取る。まあ、境内の庭や建物の維持費も必要だろうから、500円が相場だというのはむしろ良心的だが、それでも貧乏人には痛い出費なのだ。拝観料の回数券割引でもほしいところだ。
移動にバスの一日乗車券を使えば、それも500円、後は市内だと昼飯代にどうしても800円以上かかるから、1日の観光費用はおよそ2000円になる。見る場所が一つとした場合である。
というわけで、私は京都の名所旧跡をまだほとんど見ていないのだが、昨日はどういう悪魔の囁きが聞こえたのか、秋の好天のせいか、博物館か美術館に行ってみようと考えた。どちらでもよかったのだが、京都国立近代美術館と京都国立博物館は近い場所にあるので適当にその場で決めることにした。
市バスを三十三間堂前で降りると、すぐに国立博物館があったので、そこに決めた。ちょうど「天皇の書」という、少し興味のあった展示をやっているのも、ここに決めた理由の一つだ。
料金1200円と高いのには驚いたが、ここまで来たら仕方がない。泣く泣く支払って中に入る。
私は書の見方など分からないが、好きな書と嫌いな書はある。概して端正な書が好きなので、良寛の枯れ芦のような書など、何がいいのかさっぱり分からない。まあ、きちんとした書にしか興味が無いなら、活字でも眺めていろ、と言われそうだが。
でまあ、歴代天皇の書が膨大に展示されているのを延々と眺めて、最後には頭がくらくらしてきたのだが、どの書もどの書もあまりに見事なのである。いや、私は書は分からないのだが、下手な書と達筆な書の区別くらいはつく。特に伏見天皇が小野道風の書を臨書をしたものなど、人間技とは思えなかった。書道の本で、明治時代の有名書家が古典の有名作品を臨書したものを見たことがあるが、レベルが全然違う。まあ、その書家たちの後継者たちは、伏見天皇のものは「形臨」で、明治の有名書家のは「意臨」だ、などと言うかもしれないが、それは言い訳、口実にしかならないだろう。
すべての技術の基本は模倣である、と言えると思うが、この天皇たちがこれほどの書技を身につけるために臨書に払った努力と時間は、どれほどのものだったのだろうか。

さて、最後に、本題の話をする。
実は、歴代天皇の書の中で、もの凄く下手なものが一つだけあったのだ。いや、私よりはマシですよ。でも、他の天皇の書の中に入ると、明らかに異質な下手さなのだ。
それは誰でしょう。
正確に言えば、この人に続く二人もあまり上手くない。プロスポーツの世界に小学生が入っている、という雰囲気である。
さて、先の問題の答え。
それは、「明治天皇」でした。続く大正天皇、昭和天皇も、それ以前の天皇のレベルとは明らかに違っている。つまり、明治天皇の時に、それ以前との断絶があったのだ。
ここから、私は、巷間に言われる「明治天皇すり替え説」が真実であることを確信した。
書は誤魔化せない。明治天皇の書は、あれは天皇たる教育を受けた人の書ではない。
明治天皇をすり替えた連中も、そこまでの教養がなかったから、明治天皇の書まで偽造する必要を認めず、「すり替え天皇」の書がそのまま後世に残ったのだろう。
明治天皇の和歌の腕前は認めるが、おそらくこれは天皇側近の学者による代作だろう。
というわけで、思わぬところで、明治維新の闇に光の当たった博物館見学であった。



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