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「カラマーゾフの兄弟」第一回はどうだったか

「ドラマ@見取り8段実0段」というブログから転載。
うまい批評である。文章に芸がある。
私の就寝時刻はだいたい夜の6時から7時ごろ、つまりほとんど日没と同時に寝るので、「深夜」11時台のこのドラマは視聴不可能だし、テレビに録画機能も無いのだが、こうしたブログを読むことで大体の内容を知ることができるから、実に結構な時代になったものである。実は「純と愛」の進展も、こうしたネット記事で知ることが多い。それで、何回か見落としても、ドラマの進行についていくことができるわけである。
下記記事で読むかぎり、これは成功したドラマになりそうな予感がする。
第一回の段階ではグルーシェンカもスメルジャコフも出てきていないようだが、どういう俳優がどういう演技をするか楽しみだ。そして、一番の不安材料であった父親(フョードルと言ったか?)役の吉田鋼太郎はなかなか素晴らしい演技であったようで、安心した。彼の演技(殺されても仕方のない奴を演じられるかどうか)如何によって、このドラマを見る側の生理的好悪の念が左右されるという重大な役であったので、まずは一安心である。
しかし、自分で見てもいないドラマについてこんなに熱心に書く自分も何だかなあ、と思わないでもない。(笑)



*もしかして長男の同棲相手の遠藤加奈子とやらがグルーシェンカ役か? 同棲ねえ。それだと、父親との関係はどうなるのだろうか。原作では、先に父親の愛人であったというのがおおっぴらに知られているからこそ、その女に目くら滅法に惚れこむ長男の狂気的情熱や父親への殺意が際立つのだが、はたしてこのドラマはどうなのか。同棲相手とは別に、「グルーシェンカ」がこれから登場するのだろうか。





(以下引用)



【カラマーゾフの兄弟】 第1話 初回感想 【 ドラマ@見取り八段・実0段 】この記事に含まれるタグ :
カラマーゾフの兄弟 市原隼人 斎藤工 林遣都 高梨臨 松下洸平 渡辺憲吉 安藤サクラ 吉田鋼太郎 芳賀優里亜

【カラマーゾフの兄弟】 第1話 初回感想
↑ 2013/01/13 (日) カテゴリー: 2013年「カラマーゾフの兄弟」
そのとき、お父さんへの殺意が芽生えたのではないんですか?


殺意?
んなもん、もっと前からだよ。

…でも殺しませんよ。
   だって親ですから。


カラマーゾフの兄弟 第1話

   
 
原作はドストエフスキーの長い長い長い小説である。
学生時代に読んだ記憶はあるけれども、内容はそれほどくっきり覚えてはいない。

しかし、キャストを見た時点で犯人が誰だかは解っちゃっているので、
ネタバレしないレビューを心掛けたいと思います。(原作通りなら…ね)

そう、原作通りなら…キャスティングの妙を感じる…。
え、理由は言えないけど。


原作は、もっともっと宗教臭い話だった気がする…。

何せ、原作の三男は修道僧だ。
それをドラマでは精神科の医学生にするのね、そうなのね。
宗教世界を取っ払って精神世界に話を持っていくのは、日本の現代のドラマとして
上手い改変の仕方だと思う。

しかし、父上のご遺体は思いっきりキリストだった。


ストーリーは、事件後の取調室から始まり、事件前へと遡る。

長男・満の借金申し出…いや、遺産の生前贈与申し出を機に父親から「家族会議」
として招集された3人の兄弟。

長男・満は、放蕩息子で定職に就かず遊び歩いているダメンズ。斎藤工さんの定番とも言える。
原作でも兄はこんな感じのしょーもないダメンズなので、ほぼ合ってる。

次男・勲は、堅物の弁護士。イッチーには珍しい堅い職業かな…。
しかし、スーツ姿は決まっていた。落ち着いた喋りもハマってる。
原作では、もう少し厭味ったらしい感じ。

三男・涼は、医学生で精神科医を目指している。
繊細で優しく清々しく…のイメージが林遣都くんにピッタリ。
先ほども書いたけれども、原作では修道僧である。

刑事は3兄弟の誰かが犯人だと決めて尋問していく。
冒頭では3人がそれぞれスパゲティ・カレー・オムライス…と、お子様っぽいメニューを
食べている。しかも、警察で。


それにしてもよく食べられますよね。お父さんが殺されたというのに。

腹減ってんだからしょうがねえだろ。

何があったって人間、食べないと生きていけませんから。

黒澤文蔵さんは息子からさえ愛されなかったということですか。
烏目町の有力者でありながら周囲の誰からも死ねばいいと恨まれていた。

…そのお父さんを殺したのは、あなたですか?


その「愛されるはずもない」ような人格の父親を演じている吉田鋼太郎が、とにかく凄いわ。

黒澤の酒好き、金好き、女好き。

と、作中でも言われていたけれども、最低オヤジである。

二言目には「俺の金」「俺の金で教育を受けさせてやった」「俺の金は渡さん」。

子どもの頃の回想シーンではDV親父だし、子どもにも妻にも愛情の欠片もないらしい。

その結果、満の母は男と駆け落ちし、勲と涼の母は自殺した。

この慈悲深く優しい母を安藤サクラが演じている。これは新境地では~。

なのに、父の言う事が酷いんだよねーー。


あのな、お前たちにもこの際はっきり言っとくぞ。
俺の遺産をもらえると思ったら大間違いだよ!

俺はな、お前たちに1円たりとも残すつもりはない。
あのバカ女どもの血を引いたお前たちに俺の金をやると思うとむしずが走るよ。

特にあのくそ女!詩織だよ。

俺の家を血で汚しやがって!

手首を切って死んだ母親の部屋は血まみれだった。
それを悲しむどころか家を汚したと言い切るクソ親父…。

殺されて当然!
みたいなこの役を、本当に憎々しく演じている吉田鋼太郎さん。凄い。


そのとき、お父さんへの殺意が芽生えたのではないんですか?
と、刑事は聞く。

殺意?
んなもん、もっと前からだよ。

目が座っている満。


そして、

…でも殺しませんよ。
だって親ですから。


と、静かに言い放つ勲。

微笑みをたたえたような目で。
でも、決して笑ってもいないし、怒ってもいない。

それが不気味。


ここからEDに入っていくのが、何かカッコ良かった。

演出、上手いなぁ…そして、みなさんの演技も素晴らしい。


今時「カラマーゾフの兄弟」やるって、「Wの悲劇」みたいになるんじゃね…。
と、不安に感じていたんだけど、重々しい映像と演出で安っぽくないドラマに仕上がった。

BGMの選曲も面白い。


もう、とにかくドロドロと真っ黒な内容でカラスもバサバサ飛んでたりしますが、
「カラマーゾフ」が「真っ黒」のような意味なので、黒くて当然なのです。
「Paint It, Black」だよね。


なかなか面白かったです。
今期もこの枠は期待できそう。


原作:「青空文庫」にもありますよん。もちろん無料→「青空文庫/カラマゾフの兄弟」

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

黒澤家当主・黒澤文蔵(吉田鋼太郎)は、海沿いの町・烏目町一帯に多くの土地を持ち
“クロサワ"という会社名で不動産業と建設業を営んでいた。
町の経済は“クロサワ"中心に回っており、町内で文蔵に盾突く者はほとんどいなかったが、
文蔵のビジネスは利益最優先の自己中心的な取引ばかりで恨みを買うことも多く、文蔵は
“クロサワの酒好き、金好き、女好き…"と町中で揶揄されていた。

その文蔵には3人の息子がいた。
前妻・梓との間に生まれた長男・満(斎藤工)と、梓が文蔵に愛想を尽かして出ていった後に
結婚した詩織(安藤サクラ)との間に生まれた次男・勲(市原隼人)と三男・涼(林遣都)。
長男・満は失業中の身で借金も抱えていたが、遠藤加奈子(高梨臨)と同棲しながらヒモのような
生活をしていた。
次男・勲は東京の一流大学法学部、法科大学院を卒業後、司法試験にも一発で合格して東京の
法律事務所で働いていた。
三男・涼は医大生で、寮で暮らしながら精神科医の道を目指していた。

そんなある日、文蔵が自宅の寝室で殺されているのが発見される。
死体はなぜか奇妙な形をしていた…。
間もなくして3兄弟は“文蔵殺し"の容疑者として連行され、刑事(滝藤賢一)から取り調べを
受けることになる。
刑事は、3兄弟それぞれに父・文蔵を殺す動機があることをつかんでいた。

それは文蔵が殺される2週間ほど前、黒澤家で開催された家族会議が発端だった…。

(あらすじは「Yahoo!TV」より引用)


よろしければ→【2013年1月期・冬クールドラマ何見ます?】ラインナップ一覧とキャスト表と展望






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「カラマーゾフの兄弟」テレビドラマ化

おおっ、こいつは凄いぞ、と思ったが、夜の11時台では私は起きていられる時間帯じゃない。たぶん、見られないな。しかし、青少年の皆さんにはぜひ見てほしいし、原作もぜひ読んでほしい。あれほどの長編を読む「読書体力」は、年を取ると無くなるから、読むのは若いうちです。私は高校の図書館の本で、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」とトルストイの「戦争と平和」などは読んだが、あの読書の時間こそが人生最高の至福の時間であった。それにくらべると、現実の自分の人生なんて、何の輝きもない。それは当然の話でもあるのだ。現実人生には、何のドラマも無くて当然だし、その方がある意味では幸せでもある。ドラマらしいドラマとは、心を揺さぶる事件、つまり基本的には人間の不幸を前提としているのだから。ロミオとジュリエットも最初から周囲に理解されて結婚しました、ではドラマになるはずはない。
読書とは、現実人生よりも高次元の人生を我々の頭の中で体験させてくれるものである。
世界最高の作家の提供してくれる「驚異的な人生体験」が味わえるのに、それを知らないままで終わる人生なんて、私にとっては最悪の人生なのであり、ドストエフスキーとトルストイを読めるだけで、我々の平凡な人生は生きるに値する。
まあ、しかし、原作小説を読んで、読者各自が頭の中に創り出す世界とは違い、テレビドラマや映画は生身の俳優が演じるというだけで、もはやかなりな価値低下が起こるのは避けがたい。特に、日本を舞台にし、話も現代の話にアレンジするようだから、ほとんど「カラマーゾフの兄弟」の原案による二次創作ということになるし、二次創作がオリジナルのレベルに達することは、まず滅多に無い。オリジナルがハイレベルであればあるほど、二次創作は残念なレベルになるのは仕方のないことだ。
せめて、脚本や監督が才能のある人間であればいいな、と願うしかない。
虚淵玄あたりであれば、原作をうまくアレンジして別の傑作を作れるかもしれないが、脚本は誰が担当するのだろうか。
写真で見る限り、長男のミーチャ(ドミートリー)役らしい斉藤工は、なかなか下品さや情熱、野蛮な活力のありそうな感じの顔で、悪くはなさそうだ。次男のイヴァン役の市原隼人は、この顔でどの程度の哲学的知性と虚無性を演じられるか、不明。若い頃の仲代達矢なら文句なしだったのだが。三男アリョーシャ役の林遣人は天使的風貌かどうかは別として、まずまず端正な顔だちだから、これも悪くはなさそうだ。父親役にはもっと下品かつひねくれた風貌の役者が望ましいのだが、成否は吉田鋼太郎という役者の演技力如何だろう。昔なら、小沢栄太郎とか金子信男とか、こうした役柄にふさわしいバイプレーヤーがたくさんいたのだが、今の日本テレビ映画界の役者には不案内なので、誰がいいかは分からない。政界ならば、小悪党風貌の政治家は無数にいるのだが。(笑)
私が演技者なら、一番演じてみたいのは私生児スメルジャコフの役だが、卑屈さと高慢さ、鋭い知性と道徳的退廃を併せ持つ複雑な演技ができるのは、まあ松山ケンイチあたりだろうか。悪魔的雰囲気を持つ俳優はけっこういそうな気がするのだが。案外、お笑い界の人間は性格が悪そうだから、この役にぴったりなタレントも探せるかもしれない。
しかし、この作品のドラマの隠れたエンジンは父親と長男の二人に惚れられて、殺人事件のきっかけになるグルーシェンカという女性なのだが、妖婦性と純心さの二面性を表現できるレベルの女優は誰がいるのだろうか。記事では、グルーシェンカ役が不明であるし、スメルジャコフ役も不明である。
まあ、関西での放送があるかどうかも分からないのだが、ドストエフスキーファンとしては、詳細や先行きが知りたい話題である。


(以下引用)



注目ドラマ紹介:「カラマーゾフの兄弟」 ドストエフスキーの名作を市原隼人主演で映像化
2013年01月12日

連続ドラマ「カラマーゾフの兄弟」の会見に出席した(左から)斎藤工さん、市原隼人さん、林遣都さん、吉田鋼太郎さん
写真特集へ
 俳優の市原隼人さんが主演を務めるフジテレビ系連続ドラマ「カラマーゾフの兄弟10+件」が12日、スタートする。19世紀のロシア文学を代表する作家、フョードル・ドストエフスキーの最高傑作といわれる同名長編小説を、舞台を日本に置き換え映像化した作品で、同局のドラマ10+件枠「土ドラ」の第4弾となる。市原さんが同局の連ドラで主演するのは、04年の「WATER BOYS(ウォーターボーイズ)2」以来約9年ぶり。
 ドラマ10+件は、父殺しの容疑をかけられた3人の異母兄弟を中心に、不況、政治混迷、格差社会、教育問題、就職難、先の見えない若者たちといった現代が抱える影を描く。第1部では、事件の日に至るまでの兄弟一人一人の足跡をたどり、父への殺意の芽生えを幼少にまでさかのぼり浮かび上がらせる。第2部では事件当日を描き、第3部では取り調べから判決までの真相解明を描いていく3部構成の心理ミステリーとなっている。
 市原さんは、3兄弟の次男で、ストレートで司法試験に合格し、東京都内の法律事務所で働く若手弁護士の黒澤勲(くろさわ・いさお)を演じる。勲は理知的で理詰め、感傷を嫌うクールなニヒリスト。絶対的な支配力を持っている父に激しい嫌悪を抱いているという役どころ。また、失業中でヒモのような生活をしているいいかげんで夢見がちな性格の長男・満を斎藤工さん、医大4年生の三男・涼を林遣都さん、父親の黒澤文蔵を吉田鋼太郎さんが演じる。
 第1話は、ある海沿いの町で不動産業と建設業を営む黒澤家当主、黒澤文蔵がある日、自宅の寝室で奇妙な置き方をされて殺されているのが発見された。警察はそれぞれに殺す動機がある文蔵の息子たち、満、勲、涼の3兄弟に容疑者として任意同行を求め、取り調べる。警察がつかんだその動機とは、文蔵が殺される2週間ほど前に開催された黒澤家の家族会議が発端だった……というストーリー。
 ドラマ10+件は12日から毎週土曜午後11時10分放送。(毎日新聞デジタル)







(追記)


「カラマーゾフの兄弟」を読んでみたいが、その長大さに恐れをなしている人は、「徽宗皇帝のブログ」の「小説翻案」というカテゴリーに「カラマーゾフの兄弟」をわずか10ページ程度に圧縮した「業(カルマ)家の兄弟」というのがあります。もちろん、無茶な試みだが、そのエッセンスは味わえるかと思うので、お暇ならどうぞ。
(「酔生夢人=徽宗皇帝」より)







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「現代の古典」を大切にしよう(付:「レ・ミゼラブル」のこと)

何の気無しに自分の書いた過去記事を読み返していたら、2010年4月27日の記事で美輪明宏の「ヨイトマケの唄」のことを書いてあったのを見つけた。
我ながらいいことを書いているし、なかなか先見の明があるではないか、と思ったのだが、世間に埋もれているいい物を発掘紹介するという行為は、これは社会への貢献の一つではないだろうか。
このついでに、書かないでいると忘れそうなことを今書いておく。

今の日本は娯楽が消耗品化していて、大衆芸術の優れた作品が生まれても、わずかの間に記憶から消えていくことが多い。これは悲しむべきことであり、無数のゴミ作品の中にある宝石のような名作を、「現代の古典」つまり、永遠に残し、次代に伝え、世界に広める作品としていくべきだと私は考えている。
「魔法少女まどか☆マギカ」などはそうした作品の一つであり、私はこの正月、それをDVDで再見して、感動の涙で充実した時間を過ごしたのであった。
ほかに、「デス・ノート」実写版の第一巻の海賊版がユーチューブで見られたのも思いがけないお年玉であった。ついでに海外の「デス・ノート」ファンの作った動画なども面白く見た。この「デス・ノート」(原作漫画、実写版映画、アニメ版、それぞれに良い。)や「まどか☆マギカ」などが、私の考える現代の古典だが、日本ではこれらが「オワコン」(終わったコンテンツ)扱いされていなければ幸いである。

なお、昨日は偶然に時間の都合がよかったので、映画の「レ・ミゼラブル」を見たが、評価は微妙だ。力作だし良心作だが、セリフを全部歌にしたために曲に時間が膨大に使われ、ドラマがかなり薄くなっている印象である。もちろん、「民衆の歌が聞こえるか」が歌われた時には涙が流れそうなくらい素晴らしかったのだが、全体としては、ミュージカル耐性の無い人にはかなり辛い作品だったかもしれない。そして、原作のデティールの味わいは、わずか数時間の映画で表すのはもちろん不可能であり、映画を見ただけでこの作品を理解したつもりにはならないほうがいい。(追記:ネットでの感想を見ると、大絶賛が多く、年末にこのブログで自分では未見のこの映画をお勧めした責任上、少しほっとした。現在、この映画は大ヒットしているようだ。)
実は昔の良心的アニメ番組「ハウス家庭名作劇場」(と言ったと思う。「フランダースの犬」や「赤毛のアン」などの秀作や「トム・ソーヤーの冒険」「足長おじさん」などの愚作が混在していた。もちろん、原作ではなく、アニメとしての愚作ということだ。)の末期に作られた「レ・ミゼラブル(少女コゼット)」は、原作の優れたアニメ化であり、女性キャラが幼稚な少女漫画絵であったために内容も低レベルと思われているが、内容自体は実に見事に原作の精神を伝えている。稀有なアニメ化の一つである。機会があれば鑑賞することをお勧めする。









(以下、私自身の過去記事の再掲載)









ヨイトマケの唄

  (父ちゃんのためなら エンヤコラ
  母ちゃんのためなら エンヤコラ
  もひとつおまけに  エンヤコラ)


1 今も聞こえる ヨイトマケの唄
  今も聞こえる あの子守唄
  工事現場の昼休み
  たばこふかして 目を閉じりゃ
  聞こえてくるよ あの唄が
  働く土方の あの唄が
  貧しい土方の あの唄が

2 子供の頃に小学校で
  ヨイトマケの子供 きたない子供と
  いじめぬかれて はやされて
  くやし涙に暮れながら
  泣いて帰った道すがら
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

3 姉さんかぶりで 泥にまみれて
  日にやけながら 汗を流して
  男に混じって ツナを引き
  天に向かって 声をあげて
  力の限り 唄ってた
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

4 なぐさめてもらおう 抱いてもらおうと
  息をはずませ 帰ってはきたが
  母ちゃんの姿 見たときに
  泣いた涙も忘れ果て
  帰って行ったよ 学校へ
  勉強するよと言いながら
  勉強するよと言いながら


5 あれから何年経ったことだろう
  高校も出たし大学も出た
  今じゃ機械の世の中で
  おまけに僕はエンジニア
  苦労苦労で死んでった
  母ちゃん見てくれ この姿
  母ちゃん見てくれ この姿

6 何度か僕もぐれかけたけど
  やくざな道は踏まずに済んだ
  どんなきれいな唄よりも
  どんなきれいな声よりも
  僕を励ましなぐさめた
  母ちゃんの唄こそ 世界一
  母ちゃんの唄こそ 世界一


  今も聞こえる ヨイトマケの唄
  今も聞こえる あの子守唄
  (父ちゃんのためなら エンヤコラ
  子どものためなら エンヤコラ)


丸山明宏、現美輪明宏の「ヨイトマケの唄」である。この中に出てくる「土方」という言葉が放送禁止用語であるために、この唄をマスメディアの中で聞くことはできない。これほど倫理観にあふれた高潔な歌が放送禁止歌であるということに釈然としない気持ちになるのは私だけではないだろう。
丸山(美輪)明宏はオカルトチックなところは敬遠したくなるが、作詞家としての才能、歌手としての才能は大変なもので、彼が訳したシャンソン「アコーディオン弾き」の歌詞は大傑作である。一度、聞いてみると良い。

現在の日本では、マスメデイアの中でシャンソン、カンツォーネなどを聞く機会がほとんど無い。ずいぶんいびつな音楽状況だと思う。これによる若者たちの「機会損失」はずいぶん大きいだろう。本当に良いものを知らず、ただ日本国内とアメリカで生産される文化の中だけで生きているのである。いわば、文化的鎖国の状態ではないか?

酔生夢人
2010-04-27 08:49
随想(ノンジャンル)
TB(0)
CM(0)




(付録)アニメ「レ・ミゼラブル」のネット評価。肯定論否定論区別せずに載せておく。子供が見ても大人が見ても楽しめるアニメだが、親が子供と一緒に見て、人間の善悪や、優れた人格とは何か、社会の不合理や悪と戦う勇気などについて話し合うのもいいかと思う。






作品紹介(あらすじ)

■ 名劇№24 ( 全52話予定 ) ■


人は何の為に生き、何の為に愛するのか…
心の暗闇を照らし出す美しい魂の輝き。

革命のパリ、ジャン・ヴァルジャンを追い続ける冷酷なジャベール警部からの手に汗握る逃亡、
情熱に燃える青年マリユスと成長したコゼットの美しい恋の物語。

幼いコゼットを連れパリからやってきた母・ファンティーヌは、仕事を探してモンフェルメイユ村までやって来ました。

[詳細]


放送:BSフジ (CSチャンネルでも放映予定) 配信:BIGLOBEストリーム


原作

ビクトル・ユーゴー 「レ・ミゼラブル」より



監督

桜井弘明



脚本・シリーズ構成

金春智子



キャラクターデザイン

渡辺はじめ 吉松孝博



美術設定

伊藤主計



美術監督

中村光毅



音響監督

早瀬博雪



音楽

松尾早人



アニメーション制作

日本アニメーション


[詳細]


日本 開始日:2007/01/07(日)


公式サイト
1. 世界名作劇場「レ・ミゼラブル 少女コゼット」







【良い点】
話の内容がよくできている

【悪い点】
絵が他の名作劇場シリーズと違って今風すぎる。昔の平凡なシンプルな絵の方が親しみやすかったと思います。

【総合評価】
昔から好きだった名作劇場シリーズが復活して期待していた作品でした。最初は絵がどうしても苦手でしたが、見ているうちに気にならなくなりました。
絵でこの作品を判断されている方、多いと思いますが、この作品は本当に面白いです。
中盤、少しダラダラした展開になるところがありますが、革命前辺りからなんかは、夢中になりました。

全体的に飽きないストーリーで、序盤は見るのも辛い展開だったのが本当に終わりの方では、悲しい出来事なども多くありましたが見ているだけでこちらも幸せを感じるほどのハッピーエンドだったと思います。

また、他のレ・ミゼラブルと違い、コゼットを主人公にしているのもこのアニメの特徴です。

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2012/02/13

BSの民放で放送された作品なので知名度はかなり低い作品だと思います。かく言う私も本放送時は全く知りませんでした。
絵柄はかつてやっていた名劇のそれとは大きく異なり、いわゆる現代風の萌えアニメ的な感じです。ですが、内容は本格的な
名劇作品であり、多くの人々が織り成す見ごたえのある重厚な歴史アニメになっています。最初から最後までドラマチックな
展開が待っており、飽きることなく最後まで観ることが出来ました。また、作画のレベルも高く10年ぶりに再開した関係者の
意気込みが伝わりました。個人的に見て名劇の中でもトップクラスの作品であると思います。

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【総合評価】

原作は文庫版を既読で、少女コゼットは全話視聴しています。

ヴィクトル ・ ユゴー著であるレ ・ ミゼラブルと言えば、不朽の名作として有名な作品ですが、ミリエル司教様の素晴らしさが延々と書かれており、歴史的な事実説明や文化説明なども長く、また、話が前後したりしますので、読み易いとは言い難いかと思います。 勿論、不朽の名作と言われるだけあって面白いのですが、ユゴー爺さんの語りが長く苦痛に感じたりします。 勿論、これは個人的な感想ですので、読み易いと言う方も居られると思います。

本来はジャン ・ ヴァルジャンを主人公とした群像劇ですが、この作品はコゼットを主人公としているのが特徴だと言えます。 コゼットを主人公としたのは、世界名作劇場だからと言う理由かもしれませんが、時系列がスッキリしていて観易いと思います。

パリ編以降、コゼットの存在感が薄くなってしまうのは、「群像劇」 ですので許容範囲ではないかと思います。 そもそも序盤から、コゼット、ファンティーヌ、ヴァルジャン、ジャヴェールと複数の視点で描かれています。 この作品の視聴後に、何故、今までコゼットを主人公としたレ ・ ミゼラブルがなかったのかと不思議に思った程です。

コゼットを主人公としただけではなく、良い変更だと思える部分が多々見られます。 トロミエスを登場させず、コゼットの実父は死亡扱いとしたことで、ファンティーヌを母として持ち上げることに成功しました。 ヴァルジャン、マリウスがテナルディエに金銭を渡さなかったこと、オリジナルキャラであるアランが市長代理を務め、モントルイユ ・ シュル ・ メールが廃れなかったこと、ガヴローシュとシュシュの存在と結末、特にジャヴェールの結末の変更は素晴らしかったと思います。

原作では、コゼットはファンティーヌの記憶がなかったのですが、アニメ版では記憶がありますので、ファンティーヌが亡くなったことを知る話や墓参りに行く話など、多数の感動的なオリジナルエピソードが生まれました。 細かい部分を挙げればキリがない程、沢山あると思います。


気になった点と言いますか、トロミエスを登場させなかった為、コゼットをワーテルロー亭に預ける件の説得力が欠けることです。 時系列がスッキリした為、コゼットとファンティーヌの苦境が過去ではなく、現在進行形となっています。 それ故、コゼットをワーテルロー亭に預けたまま、一度も会いに行かなかった (本当は行けなかった) ことが、何故 ? と疑問に感じてしまう方がいるかもしれません。

特に黒硝子工場を解雇された時などは、良い機会だから会いに行けば良いのに…、と言った具合に、より顕著に感じてしまうのではないでしょうか。 まあ、モントルイユ ・ シュル ・ メールからコゼットの居るモンフェルメイユまでは、かなり遠いですので簡単に行き来は出来ないのですが…。 時代背景などの説明を、作中でするべきだったのではなかったのか ? と思っています。

また、六月暴動において、ABC (アベセ) の友のメンバーが次々倒れていく中、一滴の血も流れないのは拙かったのではないかと思っています。 如何に子供向けとは言え、まるで演劇のような雰囲気で優雅に人が倒れていく描写は、流石にどうかと思ってしまいます。 過度な表現は控えるべきだと思いますが、適切な描写をするべきだったのではないかと思っています。


OP ・ ED 共に良い曲だと思います。 どちらも最後まで曲も映像も変わりませんが、序盤の展開などを忘れさせない為、総集編のような役割を OP ・ ED の映像が果たしていたと思っています。 BGM も良く、作中でコゼットやガヴローシュが歌う 「魔法の子守唄」 は、切なくて、もう堪らないと言う感覚にさせられ、特に良かったと思っています。

雰囲気を壊さないように、A パート、B パートの展開に合わせてアイキャッチの音楽を使い分けているのも好印象です。 最終話が 「銀の燭台」 とは、何と心憎いサブタイトルでしょうか、制作サイドのセンスの良さを感じます。

好意的に観ると 「彼女は犬を愛した」 と言う一文から、「シュシュ」 が登場したのではないかと思えるのですが、恐らくは世界名作劇場の名物だから登場したのでしょうね。 しかし、この 「シュシュ」 はガヴローシュと共に、コゼットの苦境をマイルドにする効果があり、この作品には欠かせない存在だったと思います。

もう一つ世界名作劇場の名物と言えば、「食べ物が美味しそうに見える」 と言うのがありますが、この作品も例に漏れず、とても美味しそうに見えました。 ああ言うシチュエーションだからこそ、美味しそうに見えるのでしょうね。

「レ ・ ミゼラブル 少女コゼット」 是非、ご覧になってみてはいかがでしょうか。 原作未読の方は勿論、原作既読の方にも、十分満足の行く作品に仕上がっているのではないかと思います。

評価は 「最高」 とします。



[共感]
2012/02/13 本作への分析が非常に素晴らしいです。特に作品への魅力が引き出せており、私もリアルタイムで視聴しましたがこのレビューを読んで懐かしさが込み上げてきました。 by 墨汁一滴


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2009/06/30

原作は読んでません
絵は萌えというよりも、なんかカレイドスター思い出しました。キャラデザ的に。

1話1話がちゃんと作られていると感じた物語は言うまでもなく、声優の演技もかなりよかったですね
52話と長く楽しめるのもいいですね。
OPEDも良い曲です。EDはかなり好きでした

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2008/10/01

ジャン・バルジャンではなくてコゼットをメインにっていうのがこの作品のコンセプトであった筈であるが、そうでもなかったね。余り変えすぎても原作の原型を留めなくなってしまうし、それは名作劇場としても避けたかった所であろうから、しょうがないといえばしょうがないか。

映画やら舞台で散々視聴してきた作品なので真新しさみたいなのは全く無かったのも楽しめなかった要因であるのかな、他のレ・ミゼラブルと比較しても余り上手くいってなかったと思うし、アニメとしてもそれ程面白いと感じなかったっていうのがこの作品の感想である。

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2008/09/21

まず、私は、この評価をつけるにあたって、原作との比較は、なしにした。
【良い点】
opとedである。また、1830年代のフランスの状態を良く表していた。(ヨーロッパと違う表現などもみられたが)

また、よいシーンが多かった、心から泣けるシーンもあった。(あげるときりがないが)

最後に、私たちが生きている今にも考えさせるないようもふくまれていた。

【悪い点】
コゼットの主人公としての薄さ、後半の修道院のあとから、マリウスとジャンがほとんど主役になってしまったこと。

【総合評価】
本当は、文句のつけようのないアニメである。昨今のアニメでも、こんなストレートなのは、ないだろう。コゼットは、主役として、薄かったが、エポニーヌとの対決、母親に報告に行く話、ある程度の見せ場は、あったはずだ。最後にopとedの映像が変わって欲しかったのと時間の進みがわかりにくい感じがしたのは、残念だが、このアニメは、何度見ても良いアニメだと思う。

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2008/07/19

これ、途中から観たのですが
「運命の糸」を感じさせられるシンプルでピュアな物語。

その糸を乱すもの、たぐり寄せるもの、この二つがこの作品の大きなテーマの「人は変われるか」に結実している。昨今の作品ではなかなか真正面から描かれないもの。さすが長尺。さすが名劇。
作中で盗賊団の一人が「あいつらは俺たちには一生わからんものを知っているらしい」といったような事を口にしてましたが、そういうものが描かれている。ヴァルジャンを始め、エポニーヌやジャヴェールの結末もそうした意図に即したものに。

作中でコゼットが成長しているにも関わらず、バルジャンから幼いコゼットへ手が差し伸べられる OP、 幼いコゼットが母への想いを綴る ED は最後まで変わりません。そこには変わらんとする中で決して忘れることのない変わらぬ想い、という主張を感じます。

コゼットとマリウスが守られる存在であまり活躍できないのですが、二人には先人からの愛と恩恵を受け継ぐ者という役割が持たされている。二人の得た幸せは、平和な時代に生きる我々の幸せについて考え直してもらう存在に思われます。その意味ではコゼットが主役の位置付けになるのですが、物語としての主人公はやはりヴァルジャンでしょう。彼の一生を描き切ったのですから。
あと、ヴァルジャンの窮地を脱する知恵と経験が際立ってましたね。それと、やはり金の力は大きい、ということ。あの頃の馬車って今で言えば専属タクシーみたいなもので結構お代は高そう。

裏を返せば、この作品は「持てる者」へのメッセージ的色彩が強い。終盤はそうした色を出そうとするあまり引っかかるものを感じたのも事実(特にマリウスと彼の老父…彼らも変われてはいますが、その質は異なる)。
あと、多少近視眼的に見ないとつらい部分も。例えばヴァルジャンの警戒心やジャヴェールの彼への執着…それ自体は人物像として内容にきちんと役立てられていますが、状況との整合性が不自然でこじつけっぽく感じる所もしばしば。学生達の革命蜂起バリケード戦にしても同様。
原作は未読なのですが、人物は善人寄りに振られているようです。また、パリの街の描写もおそらく相当に口当たりが軽いものにされている筈。汚水処理とか。この辺の綿密さは原作とは比べるべくも無さそうですが、そもそもメディアも受け手層も異なりますし。

ただ、これはピュアな願いを伝える物語であり、そうした突っ込みをはねのける輝きは感じ取れるものでした。
名劇自体評価する尺度を持ち合わせていないですし、過去の名作群との比較では多少持ち上げ過ぎな気もしなくはないのですが、昨今では異色の存在という部分も加味して「とても良い」にしておきます。ランク付けは気が引ける、というのが本心。

(余談)
野暮な突っ込みなど入る余地もないくらい超絶ピュアな恋話…こいつには悶絶させられた。
何せ<花>通信ですからね。今の時代じゃ奥手も古風もいい所です。調べてみた所、中世の恋愛観は男性優位は無論のこと、特に上流階級では恋愛ドキドキは危険なものとして否定的な考えが支配的だったそうです。(だとするとマリウスがテナルディエの脅しに屈しなかったのも実は大変勇気の要る行為だった筈。)
んまぁ、マリウスでなくとも我々ボンクラはコゼットにイチコロですよ。そのぶん、女性層からは微妙に受け取られるのかな。名塚先生は偉大です。ファンは必見…義務ですよ、義務。

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[推薦数:1] 2008/07/17

世界名作劇場復活オメデトデス
実に泣けるSTORYだね。コゼット・・
こういうAnimeは久々だよ

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[推薦数:1] 2008/06/10

DVDで全部見ました。
世界名作劇場・復活記念作品という事で、期待していましたが…

復活最初の作品だからなのか、後に残した課題が多くあった気がします。
本作最大の問題点は何より、主役である筈のコゼットが空気であった事ですね。
元々原作の主役はジャンであった事も目立たなくなってしまった理由なんでしょうけど、特に終盤はジャンとマリウスだけで物語は成り立っていました。
コゼットがここまで目立たなくなったのは、原作を無視すると、個性のなさが最大の理由でしょう。
彼女に持った印象は正直、『ごく普通の女の子』。
ジャンに救われてからは悲劇のヒロインではなくなるし、ポルフィのような明るさ、無邪気さもない。
笑ってもどこか暗い印象。…そんな感じでした。
特にジャンに救われてからは、不幸でもなんでもなくなります。
コゼットは決して悲劇のヒロインなんかじゃない、というのが私の意見。
エポニーヌの方が作品における悲劇のヒロインではないのか、って思った程です(だから私は今でもエポニーヌの方が好きです)。
また、原作でもそうでしたが、コゼットとマリウスがくっつくのはやっぱり嫌でした。
だってマリウス、第三者から普通に見ればただのストーカーじゃないですか(^^;)
時代が違えば、彼は間違いなく犯罪を犯している事になります。
悲劇の最期を迎えたエポニーヌが最後まで救われないのが、本当に許せないんです。
ストーカーとごく普通の女の子が結ばれる展開は…共感得にくいと思います。
結局、コゼットは最終回直前に母の事を知る為に色々しますが、これがなければ本当に印象がないままでした。
それと、マスコットのシュシュに至っては完全にいらない存在。
名作劇場シリーズに動物は当たり前のようにいますが、シュシュは動物の役割を果たしているように全然見えませんでした。
最終回もジャンが主役のようでしたし。
何よりも『人は変わる事が出来る』という物語根本のテーマがコゼットにとって最後まで無縁だったというのも…

それから、主題歌にも難があります。
歌はとても良い曲です。名曲扱いしても全く問題ありません。
しかし…問題は映像です。
物語の途中でコゼットは成長するのに、映像は幼い彼女のまま。
それにもう一度言いますが、コゼットはジャンに助けられてからは不幸ではなくなります。
この辺が、作品らしさと非常に矛盾している気がします。
エンディングに至っては、コゼットの母・ファンティーヌは10話程で退場にも関わらず、そのまま最後まで『大好きよ、ねぇお母さん♪』ですからね…
もう少し作品の空気を読むべきではないかと(誤解のないように言っときますが、私、一応この歌好きですからね)…。

しかし、内容はとてもいい仕上がりになっています。
元々原作も長く、オリジナルが作りにくいからなのか、1話1話は重厚な仕上がりです。
名作劇場最大の特徴である、日常のあるがままの姿も忠実に描かれていますし、作品のクオリティはかなり高レベルである事は間違いありません。
近年はこのような1年かけて作るアニメはなくなってますから…かなり貴重です。
ガヴローシュやジャヴェールが最後には助かり、テナルディエが警察に捕まる展開はむしろ誉めます。
これも一応原作を無視している展開ですが、子ども向けアニメでは、このような勧善懲悪はある程度守らなければいけませんから…。

クオリティは高く評価しますが、細かい違和感をマイナスして、評価は限りなく普通に近い『良い』です。
本作が残した課題を、『ポルフィ』を始め、これからの作品が解決する事を願います。



[共感]
2008/10/15 第2段落と第4段落の指摘がとても的確です。原作通りで仕方がないのですが、この作品のヒロインはエポニーヌの方がふさわしい気がします。 by coinboard


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[推薦数:1] 2008/03/11

地上波からBSフジへ乗換え、10年ぶりの再開を果たした世界名作劇場の近作。
きっかり1年間、休みなく52話が定時に放映されたのは、BSデジタルのイマイチ浸透してなさ加減がもたらした恩恵かも(年末年始の特別編成やスポーツ中継の影響がほぼない)。

本邦においても馴染み深い「レミゼ」を原作通りオッサンの物語とするのではなく、養女となるコゼットの側から描いた点がまず評価できる。
これを見てしまうと、なぜ今までこういう翻案がなかったのかと思えてしまう(もしかするとアニメ以外の作品にはあったかもしれないが)。なにせ過去には主人公の性別を変えたことさえある名作劇場、この程度のアレンジはかわいいものだ。
絵柄はカレイドスターのまま、なんとも萌えキャラ然としたコゼットのインパクトは絶大。
そんなコゼットが成長し、マリウスと結婚して初めて本格的にジャンの過去(それこそがレミゼ本来の導入部)が語られる。
この倒置構成は、ジャンの人生の秘密といった趣を生み、彼のモノローグやジャベールとの因縁などに垣間見える断片から謎を解き明かす楽しみを、本作で初めてレミゼに触れた視聴者に与えた。
最終話に付けられた「銀の燭台」というサブタイトルの何と心憎いことか。

コゼット視点であるため、テナルディエ一家との関連性が強調され、後半での彼らの描写に奥行きと説得力が備わった。
それぞれが、あってもなくても大勢に影響ない一エピソードに埋没することなく、後々までリフレインされ、そのこと自体にも意味がある。
完結した小説を元にしているからこそ可能となる構成なのだろうが、と言って誰しもできる芸当でもあるまい。
学校に通えないコゼットが学ぶことの喜びを知るくだりは、パリ編でのジャンの学校建設という目標へと繋がっていく要点だった。
絵的には最も華やかだった修道院での暮らしは数話にとどまり、やや物足りなさを覚えたが、コゼットの結婚式で再び彼女たちが姿を見せてくれたのは嬉しい配慮だ。

エポニーヌのコンプレックスはひょっとすると視聴者の大半が抱いているかも知れないから、特に念入りに演出されていたと感じる。
微妙に揺れる感情を演じきった笹本優子の実力もあって、とりわけ成長したエポニーヌは秀逸なキャラとして完成した。
マリウスの部屋に少々強引に上がり込み、法律書(だろう)を開いてみても読み取ることができなかった彼女の、哀愁あふれる苦笑がたまらなく心をうつ。
「コゼットとエポニーヌ」は二人の最後の邂逅を桜井監督自らのコンテで物語った屈指の名編であった。

本作と原作との大きな違いはキャラの生死にある。
バリケードで撃たれ、原作ではそのまま息絶えたガブローシュが、アニメオリジナルの愛犬シュシュに救われる。
ジャベールは自殺することなく、かつてのジャンのように生まれ変わる道を選択した。それゆえクライマックスにおいてテナルディエの動向に決着をつけることができたのは大きな成果。
ここでもやはり、なぜ原作はそういう展開ではなかったのかと疑問が起きてしまう。単に価値観の差だと片付けられはしないと思うのだが…。

要所要所で改案・補足を実践してきた本作だが、疑問を覚える箇所もなくはない。
例えばマリウスに対し、コゼットとエポニーヌが一目惚れと相成っても、成就するのはコゼットである。
どちらかと言うと先にマリウスがコゼットにモーションを掛けていたのは事実だが、彼のエポニーヌに対する態度がどこかしら上流気取りに感じられてならない(それが演出意図かも知れないが)。
対比としてマブーフがエポニーヌを「妖精」と評した一連のシークエンスにすこぶる好感を抱くのは必然。
この愛すべき二人がバリケード最初の犠牲者となる運命は、過酷に我々に訴えてくる。
またアベセの友の蜂起についても、庶民の自由獲得という目的とバリケードという手段とが、どうしても結び付かない。ここはアニメなりの解釈があっても良かったのではないか。

ジャンの逝去をもって物語は完結したが、ジャベールとガブローシュが生き延びたことで新たな意義と希望が生まれた。
アランたちが建てた施設を「コゼットのお母さんの革命だ」と表現したガブローシュのセンスを真似るとすれば、本作は「レ・ミゼラブルの革命」と言ったところか。
「人は変わることができる。人類もだ」というジャンの提言は、それ単独では大袈裟に聞こえかねない。だが1年間に渡るこの物語を見届けたなら素直に受け入れられる。
原作を、名作劇場を、日本のアニメを、そして視聴者を、本作はどう変えることができたのだろうか?
たとえ市民が立ち上がらなかったとしても、革命が失敗したわけではない。



[共感]
2008/06/11 感嘆しました。 by せんぬき


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2008/01/20

【総合評価】

子ども向けアニメとは思えないほど、ていねいに原作に向き合っていたと思います。子ども向けゆえのさまざまなアレンジがあり、仮におとな向け番組という視点から見たとすると、そういった点は気になるものかもしれませんが、子ども向け番組としてみた場合には必要なアレンジをしつつ原作の中核を生かしたものになっていると感じます。
とくに、この原作は映画化されると、ともすると、ジャン・バルジャンの英雄譚にされてしまいがちで、市長としての活躍、逃走劇、地下下水道の場面などがジャンを中心に感動的に描かれるケースが多いのですが、このアニメでは、コゼットを主役にしたことによって、ジャン・バルジャンだけでなく、ファンティーヌやマリウス、エポニーヌなど、多くの「主役」が「脇役」に貶められることなく、生きたことが何よりもよかったと思います。とくにファンティーヌは、ほかの映画などでは「ジャンに助けられる哀れな母親」のようにしか描かれませんが、このアニメでは、身を落としながらも我が子との再会を希望に、正しく生きようとした母親のせつないまでのけなげな生き方が浮き彫りになっています。これこそ、ビクトル・ユーゴの描きたかった「レ・ミゼラブル」(惨めなる人々)の世界ですし、それが捨象されずに描かれたのは、ほかの映画版「レ・ミゼラブル」にはない優れた点だと思います。セリフには、その後のフランスの変化を感じさせる歴史的な視点が入っており、革命の敗北の物語であるにもかかわらず、明るい未来を予感させるつくりになっているところもいいですね。1832年の革命以降、フランスは48年の革命やパリ・モミューンを経験し、二度の大戦のあと、いまの生活者中心のフランス社会へと変遷を遂げますが、そういった歴史の中の一ページとしてこの作品を見ると、また違った楽しみ方ができるのではないかと思います。ユゴーはフランスの現代を知りませんが、アニメスタッフは革命のその後のフランスをよく知っているわけで、ファンティーヌたちの犠牲の上に、やがては保育所や学校がつくられ、社会保障が充実していくという歴史の流れを頭に置きながら作品を見ると、歴史の一断面を子ども向けに描いたよくできた作品だなあとしみじみと思ってしまいます。

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2008/01/04

まだ4話しか見ていませんが、一応コメントだけ残しておきます。

とりあえず、作画が今風になったことは別に気にしてないです。
名作劇場だって、少しは今風になってもいいと思いますし(ただ、ジャヴェールの悪人面したあの顔は…彼は本物の悪人ではないのですよ)。
ただ、内容がちょっと苦しいかな、と。
原作は今読んでいるところですが、かなり難しいです。
そんなアニメを、果たして子どもたちに理解することができるのでしょうか?
これはかなり製作するにあたってしっかり考えてほしいと思います。

それから、主人公・コゼットの個性が全然感じられないかな、と。
声もかなり浮いてますし。あの声、成長してもそのままなのでしょうか…?
これもどうなるか…こっちに関してはかなり不安の要素のほうが多いです。

子ども向けアニメとしてふさわしいのか、私としては『NO』な気がしますし、そこだけでも悪い寄りにしてもいいのですが…
名作シリーズの復活は素直にうれしいので、それをプラスして、普通寄りで。

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2007/10/21

名劇復活したんですね。
見ていないのでコメントだけ。

しかし絵面がまたえらい「イマ風」になりましたなぁ・・・(HPで確認)。
コゼットちゃんのお目々がおっきい。
「少女漫画絵」でないのが名劇のよさだったと思うんですが・・・
(細めの目が多かったので、作品によって作画が違うのに気付かなかった小さい頃)。
んでジャベールが極端に悪役っぽい顔なのが不満です。

それはさておき、「少女コゼット」という案は悪くないですね。
昔、岩崎書店から出ていた名作シリーズでは、アニメ同様「少女コゼット」となっていましたし。
子供向けにしようと思ったら、コゼット主役でもどうにかなるもので・・・
(ちなみに、他の子供向けの本では、前半ばっさり切ってマリウス主役になってたので、それに比べれば無理は随分少ない)。

何はともあれ、名劇が復活したのは嬉しいことです。
最初にやるのが、何で「レ・ミゼラブル」なのかは謎ですが・・・。

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2007/04/30

現在17話まで完了しました。オンエアにリアルタイムで付いていく作品は久しぶりです。
今年になって少々ヒマになったってこともありますが。
録画消化でも3話か4話で挫折することの多い私がこれだけフォローしているということで、つまり
現時点での感想は「素晴らしい ! 」です。もう手放しで褒めてしまいましょう。
作画はあまり気にする方ではないですが、この点も一貫して高いレベルで安定しており感心します。
さすが名劇の面目躍如といったところかと。地上波でないのが惜しまれます。

名塚コゼットの破壊力と名劇のネームバリューで観始めたのですが、ストーリーも十分に楽しんでます。
原作を読了していますが (とにかく大長編で大変でした・・・) そこはそれ名劇ですから
どんどん改変されるわけで、読んでいるから先の予想がつくとは言えません。
原作の冒頭はミリエル司教関連の記述が延々と続くのですが、本作ではザックリ端折られた(数分で終了 w )のが
少々呆気なかったなぁ、というくらいですね。
ファンティーヌの凄まじいまでの悲惨さが薄められたのは、まあ子ども向けアレンジとして妥当でしょう。
とにかく、どの年齢層でも、原作を読んでいてもいなくても楽しめる作品になっていると思います。
16話ではいい年こいて滂沱の涙・・・ベタベタな演出にすっかり乗せられました。

この先もっとも気になるのは、マリウスとは一体何者でどのように登場するのか、ですね。
当初、アラン (原作に登場しないオリジナルキャラ) とマリウスは同一人物なのだろうと思っていましたが
公式サイトの紹介文によればそうではない様子。しかし未だに同一人物説を捨てきれません。
アランはいい奴ですから、コゼットは何処の馬の骨ともわからないマリウスなんかよりアランとくっ付けばいい。
・・・なんて、単なる願望・妄想ですね。それもこれもコゼットが可愛すぎるせい。

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2007/04/11

可もなく不可もなくといったところ。
原作からすれば、随分削られた部分が多いのも世界名作劇場としては珍しい部類。

コゼットを主人公にしてしまった部分が凄まじい気がする。
返って原作とは異なったレ・ミゼラブルの新しいストーリーが誕生した。と評したい。

前半はとても直視できないような内容が多く、小公女セーラに匹敵するほどつらい内容だったが、
やっとそこから脱却し、少しずつ、「幸せ」という「永遠のテーマ」に近づいていくという視点から見れば、

不幸というテーマはあるものの、土から芽がでて息吹をあげて最後に花を咲かせるという王道のストーリーというコンセプトが成り立ち、見るものを引き立てる形になりそう。

今後、どういう内容になるかが見もの…。
最終的な評価は下せませんが、現時点では、"良い"で






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年頭所感(日月神示を参考に)

ウィキペディアから「日月神示」の内容の一部を転載する。
「日月神示」を信じているわけではないが、ここに書かれたことは人生訓として聞くに値するものだと思うから、年の初めにふさわしいかと思って今日の記事にするわけだ。
その内容について、最初に少し論評しておく。

我々は自然を尊び、人事においても自然であることを評価するのに、なぜか「奇跡」を凄いこと、素晴らしいことのように思う傾向がある。自然が素晴らしいなら、「反自然」である奇跡は、悪のはずだ。しかも、新興宗教の教祖などが起こす奇跡とやらは、たいていが集団催眠の類である。

下記記事中で特に現在の日本の状況から懸念されるのが、「神国から生まれる食べ物頂きて」がTPPによって不可能になりそうなことだ。農薬や化学肥料で作られた作物が「正しき食物」であるかどうかも問題だろう。せめて節食するくらいしか我々凡人にはできそうもないが、これも実はむずかしい。まあ、なるべく肉食を減らし、食事の量を減らすように心がけるしかないだろう。実際、現代医学の教えから言っても、それは健康を保つ重要なポイントのようである。

我々の体(精神も体の一部だ)が、神からの頂き物だというのは、現代人にとっては、その「神」が何なのかの定義をまずして欲しいと思うところだが、そういうのが理屈に汚染された思考なのかもしれない。とりあえず、我々が偶然的にこの世界に生まれた、本来どうでもいいような生命であると考えるよりは、神からの頂き物だと考える方が、自分自身をも、他者をも尊重する気持ちになれそうである。これは、「我々自身の中に神はある」という私の考えと、そう大きく隔たってはいない。

「明日のことに心使ふなよ。心は配れよ。取越苦労するなよ。」というあたりは、「気を使うな。頭を使え」という私のモットー(これは私の兄から習った)とほぼ同じである。我々は考えているつもりで、実は頭が空回りし、感情エネルギーを消耗しているだけ、という状態がよくある。グルジェフ流に言えば、知性のセンターを発動させるべきところに感情のセンターが働いている、ということだが、知性(論理思考)と感情をはっきり区別する習慣をつけるのは、人生のさまざまな局面で役に立つはずである。

「日月神示」の記述は癖の強い文体だし、そもそもそういう神がかった事を嫌う人には無縁の話題だが、その言っていること自体には、我々の日常生活にも役立つ叡智の言葉もかなりあると言えそうだ。






(以下引用)




同様に既成宗教では神の「しるし」や「証し」として重要視、神聖視されている奇跡であるが、これについても完全に否定、いくつかの帖で言及され、奇跡やこれらを求め信じる人に大きな警鐘を鳴らしている。「二日んの巻」第十三帖では「地獄的下級霊の現われには、多くの奇跡的なものをふくむ。奇跡とは大いなる動きに逆行する動きの現われであること知らねばならない。かかる奇跡によりては、霊人も地上人も向上し得ない。」や「黄金の巻」第二十二帖でも「奇跡では改心出来んのであるぞ」また、「龍音の巻」第十八帖では「正神には奇跡はない、奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、奇跡するものは亡びる。高級霊は態度が立派であるぞ。わかりたか。」と語られている。
また、他の多くの宗教が修行の一環や、神への自己犠牲のしるしとして断食の必要性やその意義を説いているが日月神示では断食すること自体を厳しく戒めているのも注目される。「日月の巻」第三帖では「滝に打たれ断食する様な行は幽界の行ぞ。神の国のお土踏み、神国の光いきして、神国から生まれる食べ物頂きて、神国のおん仕事してゐる臣民には行は要らぬのざぞ。此の事よく心得よ。」と述べられ、滝に打たれたり、断食するような行は低い世界の行に過ぎず全く必要がないのだとされる。更に、「正しい食生活について」では「食物を食べるのも喜びであるぞ。正しき食物正しく食べよ。更に喜びふへて弥栄へるのぢゃ。悪い食物悪く食べるから悪くなるのぢゃ。何も彼も同様ぞ。人民は喜びの子と申してあろう。罪の子でないぞ。うれしうれしの道あるに、何故歩まんのぢゃ。」(春の巻第五帖)と語られている。
しかし、一方で多食や肉食についてはこれを戒めており、次のような帖もある。「食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。食物、今の半分で足りると申してあらうが。遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。そんなこと位で、病治ったり、運開ける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理窟と申すもの。理窟悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。」(冬の巻捕帖)[14]「四ツ足を食ってはならん、共喰となるぞ、草木から動物生まれると申してあろう、臣民の食物は五穀野菜の類であるぞ。」(碧玉の巻第八帖)。なお肉食についてはそれを戒めつつも、次のようにも書記させている「獣の喰ひ物くふ時には一度神に献げてからにせよ、神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大じょうぶになるのぞ」(天つ巻第五帖)。
「人間の生き方」に関しては次の記述が代表的なものであろう。
「臣民にわかる様にいうなれば、身も心も神のものざから、毎日毎日神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、それでその身体をどんなにしたらよいかと云ふこと分かるであろうが、夜になれば眠ったときはお返ししてゐるのざと思へ、それでよく分かるであろうが。身魂みがくと申すことは、神の入れものとして神からお預りしてゐる、神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ」(富士の巻第十四帖)。「目覚めたら其の日の生命お預りした事を神に感謝し、其の生命を神の御心のままに弥栄に仕へまつる事に祈れよ。神は其の日其の時に何すべきかに就いて教へるぞ。明日の事に心使ふなよ。心は配れよ。取越苦労するなよ。」(日月の巻第十五帖)と語られている。
更に夫婦のありかたについては次のように述べられている。
「愛は養はねばならん。夫婦はいのちがけで、お互にきづき合はねばならんぞ。夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。つくり出すのぢゃ。そこに尊さあるぞ。喜びあるぞ。」(春の巻第二十六帖)。「家の治まらんのは女が出るからぞ。夫立てると果報は女に来るぞ。」(黄金の巻第七十二帖)、また「妻にまかせきった夫、夫にまかせきった妻の姿となれよ。信仰の真の道ひらけるぞ。一皮むけるぞ。岩戸ひらけるぞ。不二(富士)晴れるぞ。」(黄金の巻第九十九帖)、更には「夫婦けんかするでない。夫のみいかんのでない。妻のみ悪いのでないぞ。お互に己の姿を出し合ってゐるのぞ。よく会得せよ。」(月光の巻第九帖)とあり、お互いに信頼しきった夫婦関係が大切で真の信仰の礎であると語られている。



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精神の独立宣言

「In deep」から転載。
何でも、近いうちに彗星が太陽系近く、あるいはそのど真ん中を通過するとかいう話があって、(このあたりはあまり興味が無いのでいい加減に読んだ)それが地球の生物の大量死をもたらすとか、コンピューター的なものがほとんど使用不可能になり、現代文明は危機的状況になるとかいう。
「2012年12月21日」のマヤ歴の終わりは(これも、実は本当はそこで終わってはいない証拠が見つかっているとも言う)地球の滅亡ではなく、新たな歴史の始まりであり、それは人類の意識の次元上昇が起こるということだ、という考えは私は気に入っており、このブログでも何度か書いてきた。
では、その「アセンション」後の世界はどうなるのか、ということは少し前に掲載した動画でも見てもらえばいいが、あれも個人それぞれの意見にすぎない。どうやら愛に満ちた世界へと進んでいきそうだが、本当に少しずつしか進まないのかもしれない。

で、昨日書いたように、少なくとも政治的には今年は大きな変化は無いのではないか(注:大事件はあるだろうが、それは「変化」とは限らない)と、易の卦などを根拠にして語ったわけだが、実は「地球環境の大変動」や「大自然災害」は今年もあるのではないかと思う。
と言うのは、地軸の傾きが大きく変化しているように思うからである。去年見た3月頃の日の出の位置と、今年の初日の出で見た日の出の位置が、山一つ分移動している。今年の3月までにこの位置が元に戻るとは考えにくいから、これは地軸の傾き(太陽に対する角度)が大きく変わったと考えられる。まあ、地学の知識は無いし、小中学校の理科はほとんど落第点だった男の考えだが、地球の太陽に対する角度が変われば、気候に大きな影響が出ても当然ではないだろうか。偏西風の進路の変化などは、その端的な現れだと思う。
まあ、そのあたりの考察は理系知識の豊富な人々にぜひやってほしいと思うが、ここ数年の異常気象の原因は地球温暖化などではなく、地軸の傾きの変化のためだ、という説を私はここに提出しておく。エヘン。(笑)

自然災害とは、実は「現在の人間の生活状態が新たな自然のフェイズ(相)に対し不適応であった」ということだと考えられる。
今の状態に対し、精神が眠っていた人々への自然の警告と考えてもいい。
これは社会のあらゆる面に演繹できるだろう。この「不適切な現状」に気づくことが精神の次元上昇だとも言える。

我々も、この虚偽に満ちた社会に対し、「精神の独立宣言」を出すべきかもしれない。





(以下引用)



いずれにしても、地球は新しい時代を迎える時期だと個人的には感じます。

そう感じる理由は「何もかも飽和している」と感じるからです。


限界。


もう発展するものも衰退するものもない。


今回は年の最初ということで、いろいろと抽象的なことも書きましたが、メディアの作り出した「2012年12月21日」という時がやっと終わり、私たちは本当の変革の時に足を踏み出した可能性があります。

再度書きますが、今までのの2、3年の自然災害などを見てもおわかりかと思いますが、今後の数年も確かに「過酷」が多いと思います。


しかし、私が先日の「あなたの中の宇宙が具現化すると思う2013年以降」という記事に、


ここから数年間くらいの環境の変動はそれくらい激しいと思います。私のようなヤワな人間が生き残れるような世界だとは思っていません。


と私自身のこととして書いたんですけど、知り合いの人からメールがあって、


むしろ生き残るのは一番弱いものでは? 今の文明が壊れるのに、今強い人が生き残れるはずない。


と書かれてありました。

「あー。そうかもなあ」などと思いました。

そういえば、年末飲んだ昔からの友人と、今年から「サバイバル・リサーチ・コミュニケーション・センター」を作ろうということにもなりまして、まあ、何をするかというと別に何もしないと思うんですけど、それでも、「生き残るため」ではなく「見るために」、サバイバル・リサーチをしていこうとは思っています。

25年くらい前に書いた演劇の脚本でしたか、私が言うセリフでしたが、


「オレは始まりを探しているんだ。終わりは・・・わかってる」


というのがありました。

その「始まり」というものがこの世には存在しない可能性があることを In Deep を書いている中で知ったりもしてきたわけですけれど、それなら「始まり」というのは「サイクルの生まれかわり」なのだと思います。

それを見るまで頑張ります。





精神の独立を宣言する


そういえば、最近の大晦日は事情でひとりで過ごすことが多くて、昨日もそうだったんですが、アイスランドの国民的な歌手ビョークの4、5年前の歌で「ディクレア・インディペンデンス」(独立宣言せよ)」という歌があり、それの「アルマゲドンバージョン」なんかを作っていました。

ちゃんとした、ディクレア・インディペンデンスのオリジナルのプロモーション・ビデオはDeclare Independenceにあります。



▲ 「ディクレア・インディペンデンス」のプロモーション・ビデオの中のビョーク。


「ディクレア・インディペンデンス」は下に訳詞も載せますが、比較的、政治的な意味を感じますが、私は「2013年からの精神の独立宣言」として、今年のテーマとしたいと思います。




Declare Independence / 訳詞

独立を宣言しなさい
奴らにやらさせるのではなく自分で

自分たちの価値観を作りなさい
自分たちの言語を守りなさい

植民地主義者たちはクソだ
彼らの保護など無視しろ

あの目隠しを切り裂き
奴らの目を見開かせなさい

旗を掲げトランペットを持ち
一番高い山の頂上へ行きなさい
そこに旗を揚げなさい

独立を宣言しなさい








拍手

日本と世界の今年を占う

賀正。
って、なにが「正」なのか、世の中不正だらけなのに「正を賀す」のも何だかなあ、とは思うが、とにかく賀正。今年が、善良な人々にとってめでたい年になりますように。悪党どもにとってめでたくない年になりますように。
さて、あまり威勢のよくない書き出しになったのは、先ほど日本と世界の今年を易で占った結果が、あまり嬉しくないものだったからだ。まあ、霊力の無い私の占いだからどうということはない。毎度言うように、易などの占いは、思考を引き出す母胎の一つとして利用すればいいのである。信じるというよりは、そういう可能性がある、という「心の注意信号」として心の片隅にとどめて利用すればいい。

占ったのは三つ。「日本国民にとっての今年の運勢」「日本政界の今年の運勢」「世界の人々にとっての今年の運勢」の三つだ。後は、私個人の運勢も占ったが、それは秘密。

第一点「日本国民の運勢」は「艮為山」の3爻。卦の本文その他は読むのもうんざりだろうから省略して、私の解釈を書けば、「どつぼにはまって動けない」「上下相背いて苦難がある」ということである。これは具体的には、国民の意思にまったく反する政治が行われ、国民が苦しむことと考えられる。変爻(変卦)は「山地剥」で、これも不吉な卦である。すべてが剥がれ落ちる、つまり国民の困窮は極度に達するかもしれない。
第二点「日本政界の運勢」は「雷風恒」の初爻。私の解釈は、「現在の状態は基本的に変わらない」。具体的には自民党政権が参議院選でも勝つ、ということだろう。初爻の「浚うを恒とす。貞凶。よろしきところなし。」が暗示するのは、自民党政権が民主党政権の政策から(どぶ浚いのごとく)拙速にすべてを変えようとし、しかも頑迷頑固に妥協をつっぱねるために、多くの不幸が起こる、ということかと思う。変爻(変卦)は「雷天大壮」で、天に雷が轟くような大騒動が起きるか。(これはもちろん、私の解釈であり、「大壮」は「大いに壮んである」が基本の意味。雷はエネルギー、生命、騒ぎなどの象徴でもある。)
第三点「世界の人民の運勢」は、何と、これも「雷風恒」の初爻である。つまり、「変わらない」「凶」ということだ。このように連続してまったく同じ卦が出るのは珍しい。

いやはや、正月早々縁起でもないことを書いたが、まあ、私の易はお遊びだ。通常の思考では生じない要素を易の占示から取り入れ、思考を活性化させる、というのが、私が易をやる理由である。それに、「易経」の言葉の中には深い人生知が含まれているから、それを読むのも役に立つ。霊力のある人がやれば易で未来を予見できるかもしれないが、未来など分からないから夢も希望もあるし、自由意思の価値もあるのである。

ここからは私信だが、忠武飛龍さん、コメント有難うございます。私は自分のCM欄にどう書き込めばいいのかやり方も分からない馬鹿なので、ここでお礼しておきます。今後ともよろしく。







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年末年始に見る映画なら、これ!

今年最後の記事として、何を書くか迷ったが、年末に見るお勧めDVDでも書こう。
幾つも書いてもしょうがないから、一つだけ。それは、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲」である。「アッパレ! 戦国大合戦」も正月向きでいいのだが、過去を振り返り、未来を考えるには、こちらが向いているか。
内容については、下の二つの記事を読めば、これがいかに傑作か分かるだろう。
感動したければ、気持ちよく泣きたければ、これである。しかも、見た後の爽快感が素晴らしい。まず、「クレヨンしんちゃん」やアニメ映画への偏見を忘れて、これを見ることだ。
ただし、家族と一緒に見たら、子供等の前で大の大人がぼろぼろ泣いて恥ずかしいのは覚悟することである。


引用記事の一つ目(マスター@ビジョン氏による)は映画公開当時に劇場で見た感想、二つ目(「気まぐれなブログ」管理人氏による)はDVD鑑賞の感想だ。





(以下引用)


★ ★ ★ ★ ★
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲(原恵一)
脚本&絵コンテ:原恵一 演出&絵コンテ:水島努 音楽:荒川敏行&浜口史郎 主題歌:こばやしさちこ
作画監督:原勝徳&堤のりゆき&間々田益男 美術監督:古賀徹&清水としゆき 制作:シンエイ動画
声の出演:矢島晶子(しんちゃん) 藤原啓治(父 ひろし) ならはしみき(母 みさえ)
こおろぎさとみ(妹 ひまわり)| 津嘉山正種(ケン) 小林愛(チャコ)



傑作である。それも生半可な傑作ではない。一人の作家が一生に一本 作れるかどうかという類の作品だ。おそらく原恵一はこの映画のゼロ号試写において、キャリアの最高作を作ってしまった者のみが味わう恍惚と不安におののいたことだろう――そう、本作のなかでもリスペクトを捧げている「カリオストロの城」を作り上げた直後の宮崎駿のように。 ● 今回、原恵一は本気(マジ)である。ここまで「付き添いのお父さん」にターゲットを絞っちゃっていいのか!?…と心配になるほど、三十男の心に直球をズバンッと投げこんで来る。なにしろ本篇には映画版のレギュラーである「カラオケ好きの原作者・臼井儀人」も「グラビア・アイドルのゲストキャラ」も(なな、なんと!)オカマ・キャラすら出てこないのである。いや、もちろんこれは「クレヨンしんちゃん」なので、クッダラナイ脱力ギャグはテンコ盛りだし(キャラを真面目に振りすぎた前作の反省も踏まえて)しんちゃんは最後の最後の最後まで徹底して無責任でお馬鹿で快楽主義者な5才児であり続ける。ドラマに足をすくわれて「動画」としての魅力を損なうこともなく、中でもクライマックス・シーンの作画は(普段あんまり「上手い」と思わせない作風の)原恵一と水島努がアニメーターとしての底力を見せつける。変幻自在の“ザ・劇伴”を繰り出す荒川敏行&浜口史郎のスコアも素晴らしい。 ● これは「わたしたちが過ごしてきた20世紀」への心のこもった鎮魂歌であり「今、わたしたちが生きているこの21世紀」に向けての決意表明でもある。1960年代に生を受けた者は必見。このサイトを読んできて少しでもおれの目利きを信じてくれるなら観に行ってくれ頼むから。いや大丈夫、平日の夜ならガキもそんなに居ないって。
[以下、内容に触れています]本篇はいきなり太陽の塔のアップから始まる(=太陽の塔を知らない観客はこの時点で脱落) しんちゃん一家の住む埼玉県春日部市にテーマパーク「20世紀博」がオープン。父ちゃん母ちゃんは、な~つかしいなあ:)を連発して、人気アトラクション「バーチャル万博」に通いづめ(おおお、おれなんか万博のパビリオンの名前ぜ~んぶ言えるもんね←威張ってどーする) もう、親はニコニコ、子どもはイヤイヤ。そのうち大人たちは子どもに還って「21世紀博」から戻って来なくなる…。 ● これ、じつはマッシュルーム・カットのケンと、長い黒髪のアンニュイなチャコをリーダーとする秘密結社「イエスタデイ・ワンスモア」の陰謀。そもそも「21世紀」とは「おれたちの輝ける未来」だったはずだ。手塚治虫が夢見た「未来」はこんな耐えがたい悪臭をはなつクソみたいな時代では断じてない。いま一度、自分たちの手に「輝かしい未来」を取り戻すため、おれたちは時計の針を20世紀へと戻すことを選択する。そう、おれたちの「黄金の20世紀」、…街に匂いがあった時代へ、だ・・・てなことを津嘉山正種の声で言われた日にゃあ、もうおれなんか涙を流して「そーだそーだぁ!」と同意しちゃうわけよ(どーせならチャコの声は池田“メーテル”昌子でお願いしたかったね) なにしろあーた、この人たちはテーマパークの地下に「昭和の町並み」の完全なレプリカを作っていて、その町はつねに夕焼けで、地面はまだアスファルトに覆われてなくて、何処からともなく豆腐屋のパ~プ~が聞こえてくるのだ。もちろんケンとチャコもその町の安アパート「昭和荘」の2階で同棲時代を送ってる。おおおお、おれも、おれも。おれも入れて。夕陽の町の住人にしてくれい!<完全に洗脳されてる。 ● というわけで春日部から、…いや、日本中から大人の姿が消えるという「ビューティフル・ドリーマー」な状況が現出し、がらんとした町に残された子どもたちはご飯を食べることすらままならない。幼稚園児がぽつりと呟く一言「“懐かしい”ってそんなにイイモノなのかなあ?」 やがて始まる子ども狩り。しんちゃんと幼稚園の級友たちで構成される かすかべ防衛隊の面々は、大人たちの目を覚ますべく「イエスタデイ・ワンスモア」に戦いを挑む。――最後の最後の最後の最後、しんのすけ はアクション仮面や ぶりぶりざえもん の手を借りず、自分ひとりの力で大人の前に立つ。わずかに残された力を振り絞るように吐き出す台詞。つまり「未来」っていったい「どういうこと」なのか。ぐはっ(←涙が堰を切った音)だめだ。もう両目は栓を抜いた風呂桶のよう。おれは今、この文章を泣きながら書いている<バカ。 ● ドラマを締めくくるのはよしだたくろうの名曲「今日までそして明日から」――♪わたしは今日まで生きてみました ときには誰かの力を借りて ときには誰かにしがみついて わたしは今日まで生きてみました そして今 わたしは思っています 明日からもこうして生きていくだろうと♪ 1度でも「昔は良かった」と嘆息したことのある人はこれを観てよおく反省するよーに(特に>アントニオ猪木と新日本プロレス関係者)






2011年05月08日00:02
アニメレビュー
クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲 5拍手
映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 [DVD]



今回のアニメレビューは「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」です。
キャッチコピーは『未来はオラが守るゾ』。
「昔は良かった」「思い出補正」「懐古」
というのがテーマになっていて、
大人が子供に戻りたいという願望を叶えてしまう、
「20世紀博」というテーマパークが作られた。
大人達に大好評。しかし子供達には不評。
この「20世紀博」にはある秘密が隠されていたのであった・・・(ネタバレ満載!)
あえて最初に言っておきますが、個人的にケン側寄りの人間です。
懐古ネタが大好きで、こういった世界があるのは良いものだと思います。
古きよき時代ですからね・・・
このブログの過去の記事を見ていただければわかりますが、
僕はかなりの懐古厨です。レトロ物好きです。まぁそれは置いといて・・・

実の所、僕はこの映画はリアルタイムでは見ませんでした。
今思うと映画館で観ておきたかったと後悔している作品の一つ。
後に友達がオススメだよ!というイチオシで観てみた作品です。
いやーマジで良い作品でした。

PTAの目の敵となっていたクレしんですが、
この作品からそういった方々から
映画だけは良いという意見もチラホラ出てきたらしいです。
初期は完全にみさえを呼び捨てで読んでたりするしんのすけは
たしかに親からして良いイメージはないかもしれませんがね。
でも映画だけはそうは言わせない、それがクレしんの凄い所。
批判をしていた当時しんのすけぐらいの子供の年齢がいる
大人が嫌々この映画を映画館に観に行った、そういった層にストライクなネタが多いんです。
とにかく大人向けとも言えるように内容が『深い』作品になってます。

僕自身、
『ホテル』 『ソープ』 『おとなのおも…』 や
『コンドームを風船ガムと勘違いして食べようとする』や
給食のおばちゃんに半殺しにされ『前が見えねぇ』などといった
初期時代をリアルタイムで観ていた層なのですが、
まさかこういった感動路線に進んでいく作品になるとは思いもしませんでした。
いやはや、当時のしんちゃんは口が悪く、母親を馬鹿にするシーンも多かった為、
ウチの親もあんまりこのアニメは見せたくないという感じでしたね。

まぁこの映画を観るまで僕だってしんちゃんはギャグアニメといったジャンルだと思ってたのですがね・・・
ギャグアニメがこういった感動路線をやるとは思いもしないでしょうから、
よりいっそう、感動したのでしょうね。

しかしながら前半の大人が勝手に街から消えていく、
そして電気も消えて真っ暗になるなんて
子供向けにしては怖い雰囲気が漂っていますよね。
(元々しんちゃんって大人向けの作品ですがね、特に初期の原作は)
でも、その後にバス乗っ取って、逃げ出すシーンは楽しいですけどね。
しんちゃんが車におしっこかけたりねw
________________________________________
ではではこの辺で、このオトナ帝国をレビューしている
どこのブログ、サイトでも話題になってる
ひろしの回想シーン
について書いてきます。

学生の人にはあまり意味がわからないと思いますが、
社会人になって壁にぶつかった時、またこの映画を見返すと
当時と100%見方が変わります。
というよりもひろしの回想シーンは自分と照らし合わす部分が多すぎるんですよ・・・
学生時代の「父親の偉大さ」「恋愛・失恋」
社会人になって「上京」「就職」「挫折」などなど・・・
あんなシーン、振り返ったら自分だって泣いちまうわ・・・
もちろん全部一緒なわけではないですが、部分部分本当同じように感じでしまうところがあるんですよ・・・

何故ひろしが汗水流して、仕事をするのか?
何故電車で居眠りするほど疲れているのに仕事をするのか?
それは待っている家族がいるからなんです。
そしてよくアニメ上でネタにされてる足の臭さは汗水流して働いてるという象徴なんですよね・・・
僕は最後のひろしが子供の頃、父親に(秋田のじいちゃん)されていたことを
大人になって自分の子供(しんちゃん)にしているので、やられてしまいました・・・
当たり前な日常なんですけど、これがどれだけ大変か・・・大人になればわかる部分ですが。

しんちゃん「父ちゃん、オラがわかる?」
ひろし「あぁ…あぁ…」
というシーンでのひろしのセリフで終わるこの場面・・・
感情がこもっていて何回見ても・・・この場面では泣いてしまいそうになってしまいます・・・
ひろしの回想シーンは観ている人それぞれ感想は変わると思いますが、
『深い』、そして『メッセージ性が強い』と思えるシーンだと思います。


そしてもう一つの目玉シーンは
しんちゃんが階段を必死に駆け上がるシーン
について書いてきます。

においを止める為、未来を守る為野原一家は階段を駆け上がるのですが、
次々に邪魔が入って全てをしんちゃんに託すことに。
血だらけでも頑張って走っていくシーン。そしてBGM…
少しずつ盛り上がっていくBGMと映像とのシンクロが最高に合っていて
今でもBGMを聴けばすぐあのシーンが頭に浮かびます。
これは画面の向こうで観ている人も思わず「がんばれ!!」って言いたくなります。
実際にこの映画では戦闘シーン的な場面は無いです。



ちなみに僕はあのテーマパークが90年代を軸にしていたら
間違いなく洗脳されます。もう住んじゃうだろうなぁ。
え?その時代だとネットやパソコンが普及じゃないかって?
いや、あの時代の雰囲気が完全に再現されていれば
もうパソコン、ネット環境はいりません。
うん、ぶっちゃけそういった環境を再現できるならブログもいらないわ!
あの頃はネットとかが無くてもいろんなことが充実していた。
今じゃもう・・・仕事仕事ばかりでなんだかなぁ・・・


しんちゃんは「オラ大人になりたいから!!!」と言いますが、
たしかに子供の頃はそういった気持ちはありました。
でも

大 人 に な る と

子 供 に 戻 り た く な り ま す。

え、自分ですか?しんちゃんぐらいの年齢から人生やり直したいです・・・orz
とっくの昔に「埼玉紅さそり隊」や「ななこおねいさん」などといった年齢を超えてしまった・・・
よしなが先生やまつざか先生ぐらいの年齢に気が付けばなってしまったぜ・・・
時代の流れって恐ろしい・・・

最後の締めもすっきりして良かったです。
「ただいま~」
ヒロシとみさえがそう言って家に入ります。
「お帰り、父ちゃん、母ちゃん」
と最後にしんちゃんが言って終わる。いつもの野原家に戻って終わる。
やっぱりこうじゃないと!

ここまで感動できる作品もあまりないと思います。
しかもこの作品は誰も人が死ぬということでもありません。
そういった別のメッセージ性で感動してしまいます・・・
この作品で感動できたらもう貴方もオトナ(大人)でしょうね・・


クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲(Wikipedia)


例のBGMをピアノで弾いた動画がありました。ぜひとも見て頂きたいです。



________________________________________
この作品で印象に残ったセリフベスト3
第3位
「懐かしいってそんなにいいことなのかなぁ」
物語序盤で風間君が言った一言。
これは本当に大人になってみないとわからない部分とも言える、懐かしいという部分。
しんちゃん達はもちろん、頭の良い風間くんでもこれはわからないこと。
このことについては絶対に理解できないでしょうね。時が答えを見つけてくれます。


第2位
「今の日本に溢れているのは、汚い金と燃えないゴミぐらいだ」
ケンがチャコに対して言ったセリフ。
当時も汚い金と燃えないゴミはあったものの、
2011年現在、本当にどんどんそういったものが増えてきたものと思う。
本当の意味でケンのセリフに共感できると思った人も少なくはないのでは?
特に汚い金は・・・(以下略)


第1位
「また、家族に邪魔された・・・」
物語の終盤でチャコと一緒に飛び降り自殺をしようとした時に
屋上に巣を作っていた鳩の親子に邪魔されたときのケンの一言。
自殺しようとする時にしんのすけが「ずるいゾ!!!」も印象深いのですが、
ケンのその後の一言に鳥肌が立ったのでそちらをピックアップ。

皮肉めいた一言ですが、ケンにとっては本心では「救われた」という感情もあると思われる部分。
しんのすけのバンバンジージャンプをオラにもやらせろというセリフにも
受け答えを少し笑いながら「あぁ」という部分も感情がこもっていて好きです。
そして、その「あぁ」というセリフが彼の映画でラストのセリフとなります。

映画の立場上、悪役なのにも関わらず印象に残るものセリフが多かったです。
ひとつひとつ正論部分もあったりと、僕自身あんまりケンが悪い人には思えないんですよね・・・
(まぁ子供狩りの場面はあんまりよろしくないですが)


番外編
「ハハハ!ボクのバスー!」
組長こと園長先生が幼稚園のバスの上に立ったときに言ったセリフ。
この後看板に吹っ飛び、組長先生退場。(よく死ななかったね!)
しかし何故か組長先生、この映画ではメガネがずっと光ってます。コナン状態!
________________________________________
最終的に
過去ばかり見ている人を否定してしまう作品になってしまいました。
結局は未来に生きていけ。踏み出せ。という
メッセージ性のある作品なのではないでしょうか?
最初に書いたとおり、個人的にはケン側の気持ちの方が共感できてしまうのですよね。
でも実際にTVの前で必死に子供が未来を手に入れるために
血だらけで走っていたら未来に生きていきたくなるかもしれませんね・・・



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