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日本国民の「教育」レベル

「3割が小学校までに学習カリキュラムについていけなくなる」という言葉の「までに」の意味が曖昧だが、これは「小学校段階で」の意味だろう。普通の「までに」だと、たとえば「この仕事は9日までに終わらせてください」と言えば、「9日」がタイムリミットになる。まあ、それでも「9日」が含まれなくて「8日」が期限だ、と思う人もいるはずで、「までに」という言葉は曖昧である。
仮に、「小学校までに」が、「小学校に入る前に」だと、幼稚園に教育カリキュラムがあるのか、という話になるww で、国民の大半は小学校レベル以下(幼稚園児レベル)ということになるが、まさかそういう意味ではあるまい。
単純に、「日本国民の3割は小学生レベル、5割が中学生レベル、7割が高校生レベル」と言うなら、これはかなり優秀なのではないか。それは高校の教育内容を見れば分かる。私は高校の教育内容の半分どころか5分の1くらいしか理解できていないと思うが、それでも一応は大学に合格はした。まあ、大学入試は運もあるし、私の時代の沖縄には優遇制度もあったのであるが。
これも一応言えば、私は小学校の理科や中学校の理科のほとんどは理解できていなかった。被子植物とか裸子植物とか、今でも何のことやら分からない。理解する意味もない気がする。

要するに、日本の学校教育の8割くらいは庶民の実生活に無関係だということだ。最低限必要なのは小学校の四則演算と読み書きくらいだろう。つまり、昔の「寺小屋」程度の教育内容で十分なのであり、難しい数学や理科よりも、実社会の知識、つまり税金とか法律の最低限の知識が有益なはずだが、実は教師のほうもそちらはあまり知らない可能性が高いww
なお、日本人の四則計算能力の高さは外国人には驚異であるらしい。これは小学校教育だけは大成功しているということではないか。このことは、中学校以上の教育が、すべて大学受験を目的とした、馬鹿げた教育内容になっていることと同根だろう。

(以下引用)


【悲報】教育のプロ『ドラゴン桜は嘘です。主人公たちは底辺でもなんでもない。むしろ元から優秀です』



ドラゴン桜


1: 『ぶいあに』で検索! 2024/05/02(木) 13:41:50.81

「平方根を暗算できる上に英文の主語・述語・目的語の並び順がわかってる時点で底辺どころか明らかに平均より上です」








 






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欧米支配層のロジック

これは「ダンジョン飯」に出る北米版マルシル(不細工ww)が言いそうなセリフコンテストのコメントのひとつだが、欧米人上級国民のロジックを見事に表していると思う。
つまり、政治でも経済でも科学でも「ルールは俺たちが決める。お前らはそれに従えばいい

(以下引用)

117 :ななしさん :24/05/04(土) 02:01:29 ID:???



私は黒魔術を使っていないわ
ええ決して
神に誓っても良い
だって私はあの魔術のことを黒魔術なんて呼んでないもの

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ベーシックインカムという奇術

昔書いた記事で、ブログに既に載せたかもしれないが、その記憶が無いので、ここに載せておく。と言うのは、あの売国奴の竹中平蔵がベーシックインカムを提言しているからだ。
そこで、このアイデアの明と暗の両方をここで考察してみようということである。まあ、竹中が言うのだから、ロクな話にならないのは確実だが、本来のベーシックインカム自体には良い面もあるにはあるのである。

(以下引用)


ベーシック・インカムという奇術


 


 ベーシック・インカムという制度は、ちょっと聞くと、実に馬鹿馬鹿しく聞こえる制度である。なにしろ、政府が無条件に国民全体に金を渡すという制度なのだから。その金の使途に制限も条件もない。年齢も不問で渡すのである。ソンナ馬鹿な!


 いや、馬鹿な話ではないのだ。しかし、相当に奇抜な話ではある。だから、題名を「ベーシック・インカムという奇術」としたのである。それが無意味な空論か、それとも、現在の経済を根本から変える天才的なアイデアかは、残りを読んでから判断してもらおう。


 さて、具体的にどのような形態の制度かというと、まあ、いろいろな形態があるとは思うが、たとえば国民新党のホームページで提唱されていたモデルは(うろ覚えだが)だいたい次のようなものだ。


 


1) 全国民に、一人当たり、月5万円を支給する。(4人家族ならば20万円だ)


2) 所得税は一律30%とする。ただし、これは通常の勤労にかかる所得税だ。


3) 政府から金を一律に支給する代わり、あらゆる保険制度年金制度等は廃止する。


 


さて、これは国民にとって得な制度なのかどうなのか。これが革命的な制度であることは確かである。それに、これで政府は経済的に成り立つのかどうか。


 たとえば、モデル的に次の二つの例を考えてみよう。①は貧乏人の家族、②は富裕なカップルだ。


 


      4人家族で、年収200万円の場合


      2人家族で年収1000万円の場合


 


 計算はこうなる。①の年収は(5×4×12+200-200×0.3)=380万円と、はるかにアップする。


 ②の場合、年収は(5×2×12+1000-1000×0.3)=820万円となり、もちろん、稼いだ金額よりはダウンするが、その所得820万円は、現在の税制だと所得の33%を取られ、15万円程度が控除されるのだから、現在の税制での所得685万円を上回るのである。                                                 


 もちろん、現在の税制なら、この他に年金やら健康保険やらが徴収されるので、可処分所得はもっと低くなる。


 国民の可処分所得が低くなるなら、政府の取り分が低くなって、様々な政府業務ができなくなるのではないか、と思う人もいるだろう。では、政府のしなければならない業務とは何か。


 ベーシック・インカム制度という単純化された制度により、税金や保険や年金に関する業務は大きく削減されるのである。おそらく医療保険も無くなるだろう。この点での不安を抱く人も多いだろうが、何を政府の仕事として残すかは、また別の問題だ。


 ある意味では、近代以前の政府と国民の状態に戻ると言ってよい。政府の仕事を極端に減らし、国民は自立的に自分の生活設計をしていくのである。政府の仕事を減らすことで、税金の中で闇に消えていた部分が不要になるのだ。公務員中心社会からの脱却である。


 問題は、国民に支給する金と、税金として徴収する金とのバランスがうまくいくかどうかだが、そのあたりは計算の得意な官僚たちに計算してもらおう。


 このベーシック・インカム制度の長所は、どのような状況の人間でも、生存に必要な金額だけは常に保証されるということである。


 ならば、短所はその裏返しで、遊んでいても月に5万円は支給されるのだから、働かないでいようという人間が出てくる可能性があることだろう。だが、月に5万円では、生存はできても遊興はできない。三年寝太郎のような人間でもないかぎり、月に5万円の収入で十分だという人間はおるまい。


 もう一つの問題は、確かに月に5万円で生存はできるだろうが、それは健康な人間の場合であり、病気や身体障害を抱えた人間はどうなるのか、という問題である。原則として、あらゆる保険や年金を廃止する代償としての支給金なのだから、生存するだけで人以上に金がかかる病人や老人をどうするのかという問題を考える必要がある。


 だが、これも、税金の一部を弱者保護と福祉に用いるという国民的合意があれば、問題ではなくなる。まあ、原則は原則で、人情や道義に合致すれば例外もあるということだ。


 以上がベーシック・インカムという制度だが、どうだろうか。これは子供だましの奇術なのか、それとも、この世に理想郷をもたらす革命的経済思想なのか。判断はこれを読んだ人に任せよう。


 


 


                   2009217

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昭和天皇の「沖縄メッセージ」問題

尊皇主義者の私だが、私の尊皇主義というのは、日本国憲法における象徴天皇制というものを尊重すべきだ、という思想であり、その天皇の在り方にはいろいろ注文したいこともあるし、また過去の天皇の言行を今さら批判しても仕方がないと思っている。徳川幕府が今でも続いていたら、日本の近代化は100年も遅れ、日本の歴史はもっと悲惨なものになっていただろうと百姓家系の私は確信しているだけだ。
つまり、倒幕勢力が天皇を「玉」として利用したのはバクチとして素晴らしい戦法だったし、また明治政府が天皇を神格化したのも、日本の近代化の戦略のひとつとしてなら優れた方法だったと思うが、それが長州独裁の悪政を現在まで続ける土台にもなったのは、まあ、人間の本性のグロテスクさの結果だろう。一応は長州閥も、日本の近代化の柱ではあったのだ。

さて、沖縄県民の私が知りたいのは「昭和天皇の沖縄売り渡し」メッセージの詳細だが、残念ながら、沖縄公文図書館所蔵の英語原文は見ることが不可能だった。つまり、天皇メッセージの「前提条件」が分からないのである。
たとえば、「天皇制廃止か、沖縄売り渡しか、どちらかを選べ」と米政府に突きつけられたら、誰が天皇でも後者を選ぶだろう。言葉で明示されなくても、それを匂わす暗黙のメッセージが米政府からあったかもしれない。ということで、現段階ではこの「沖縄メッセージ」に対しては私は判断不可能なのである。とにかく、この「いきなりのメッセージ」はあまりに不自然だ、と私には思えるし、そういうメッセージを送るにはその前提があったのでは、と推測するわけである。

(以下引用)

【沖縄メッセージ】昭和天皇実録では直接触れず 沖縄の軍事占領継続を望んだのか?

昭和天皇の生涯を克明に記録した「昭和天皇実録」が、9月9日に公開された。アメリカ軍が沖縄の軍事占領を継続することを昭和天皇が望んだとされる「沖縄メッセージ」について直接触れず、アメリカ側の資料を紹介しただけに止めた。
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circa 1945: American soldier General MacArthur with Japanese Emperor Hirohito (1901 - 1989) at the United States Embassy in Tokyo. (Photo by Keystone/Getty Images)
circa 1945: American soldier General MacArthur with Japanese Emperor Hirohito (1901 - 1989) at the United States Embassy in Tokyo. (Photo by Keystone/Getty Images)
Keystone via Getty Images

昭和天皇の生涯を克明に記録した「昭和天皇実録」が、9月9日に公開された。アメリカ軍が沖縄の軍事占領を継続することを昭和天皇が望んだとされる「沖縄メッセージ」について直接触れず、アメリカ側の資料を紹介しただけに止めた。



「沖縄メッセージ」とは、終戦から2年後の1947年9月19日、昭和天皇が側近の寺崎英成を通じて、GHQ外交局長のウィリアム・ジョセフ・シーボルト氏に伝えたとされる昭和天皇の意向。



1979年にアメリカ国立公文書館でシーボルト氏が残した文書が見つかり、1947年当時、天皇がアメリカによる琉球諸島の軍事占領継続を望んでいたことや、沖縄占領は日米双方に利益をもたらし、共産主義勢力の増大を懸念する日本国民の賛同も得られるなどと述べていたことが記されていた。



朝日新聞デジタルでは昭和天皇実録での記述を次のように報じている。



午前、内廷庁舎御政務室において宮内府御用掛寺崎英成の拝謁をお受けになる。なお、この日午後、寺崎は対日理事会議長兼連合国最高司令部外交局長ウィリアム・ジョセフ・シーボルトを訪問する。シーボルトは、この時寺崎から聞いた内容を連合国最高司令官及び米国国務長官に報告する。


この報告には、天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである旨、さらに、米国による沖縄等の軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与の形をとるべきであると感じておられる旨、この占領方式であれば、米国が琉球諸島に対する恒久的な意図を何ら持たず、また他の諸国、とりわけソ連と中国が類似の権利を要求し得ないことを日本国民に確信させるであろうとのお考えに基づくものである旨などが記される。


(朝日新聞デジタル「(特集・昭和天皇実録)沖縄へのまなざし 訪問の希望、かなわず」2014/09/09 05:00)



ただし、実録を編集した宮内庁は、「沖縄メッセージ」について「事実とは認定していない」としている。



「沖縄メッセージ」について宮内庁は、内容が記された資料が確認されていないことから、「沖縄の軍事的占領を希望していると話されたことについて、事実とは認定していない」と説明。ただし、国会で議論され、社会的影響もあったことから、米国側の資料の内容を実録に記載したという。


(朝日新聞デジタル「(特集・昭和天皇実録)沖縄へのまなざし 訪問の希望、かなわず」より 2014/09/09 05:00)



一方で、「沖縄メッセージ」を発見した進藤栄一筑波大学大学院名誉教授は「事実が確認された」として、次のように話している。



進藤氏は「事実が『実録』に確認されたことは、応分に評価できる」としたが、48年2月にも沖縄の長期占領を、寺崎を通してGHQに伝えていると指摘。「2度目の言及はなく、歴史事実を極小化している。官製正史の限界と本質を示している」と評した。


(沖縄タイムス『昭和天皇実録に「天皇メッセージ」沖縄訪問希望も』より 2014/09/09 11:10)



沖縄県公文図書館には、シーボルト氏の「沖縄メッセージ」の全文がPDFファイルで公開されている。








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知的売春婦としての知識人(文化人)

「混沌堂主人雑記」から孫引き転載。
長い記事で引用が多いので全部は載せられないかもしれない。非常に面白い内容なので、その場合は元記事参照をお勧めする。ただし、蚊居肢氏のシニカルな姿勢やその思想に賛同するわけではない。面白い「昔の知識人の発言」をよく知っているな、と感嘆し、その引用された発言を興味深く思うだけだ。
私は知識人(文化人)が知的売春婦であることをまったく批判する気もない。あらゆる被雇用職業はすべて自らの尊厳と自由を売り渡すのが当たり前だからだ。いわゆる「自由業」も、それでカネを得る以上はどこかで売春的行為を迫られるわけだ。で、そのことに不自由感を持たない精神の持ち主(売春のプロ)でないと、生き延びられない。
 
上の文章を書いた後、たまたまトイレで林達夫の「デカルトのポリティーク」を読んでいたら、そこにはまさに知識人が社会を支配する権力の中で生きること、因習的世界の中で自説(新説)を発表することの困難さが描かれており、それはほぼ永遠に同じではないか、と思った次第だ。

(以下引用)

2024 - 04/26 [Fri] - 12:01

蚊居肢 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・
キニスルナヨ
私は政治を好まない。しかし戦争とともに政治の方が、いわば土足で私の世界のなかに踏みこんできた。(加藤周一「現代の政治的意味」1979年)
けだし政治的意味をもたない文化というものはない。獄中のグラムシも書いていたように、文化は権力の道具であるか、権力を批判する道具であるか、どちらかでしかないだろう。(加藤周一「野上弥生子日記私註」1987年)
少し前ーー今年の1月8日ーー、加藤周一の『羊の歌』から次の文を引用したが、結局、キミは降参かい? そうだろうよ、ワカルヨ、なんたってキミの顧客は《飲食の評判をしたり、最近の下着の流行の話》が好きな《権力の道具》側の人間が殆どだろうからな。
私はいわゆる内幕話や、特別の情報と称するものを、好みもしなかったが、また知りもしなかった。「南京虐殺」のことさえ、私がそれを知ったのは、日本の軍国主義が崩れ去った一九四五年以後のことにすぎない。「南京虐殺」だけではなく、私はそのときまで、強制収容所や、ドゥレスデンや、広島で、何人の婦人・子供・非戦闘員が殺されたのかも、知らなかった。いや、最近になって、ある新聞記事を読むまでは、南ヴェトナムの子供たちがどれほど殺されたのかということも、ほとんど知らなかった。「一九六一年から六六年まで、ナパームで爆撃された南ヴェトナムの村では二五万人の子供が死んだ」とその新聞の記事は報告していた、「七五万人が手肢をもぎとられ、負傷し、火傷を負った……」(記事のもとになったのは、米国のカトリックの学校で、子供のための研究所を指導していた人のヴェトナム視察報告である。)そこに書かれていた数字は、正確ではなかったかもしれない。しかし故意に誇張されていたのではなかっただろう。たとえ殺された子供が、二五万人でなく、実は二〇万人であったとしても、三〇万人であったとしても、そのことの意味に変わりはない。それをどうすることも私にはできない。とすれば、なんのために、遠い国のみたこともない子供たちのことを、私は気にするのであろうか。――その「なんのために」に、私はみずからうまい返答を見出すことができない。
新聞記事を読んだ日の夕方に、私は旧知の実業家とハンガリア料理の店で、夕食をしていた。〔・・・〕久しぶりで会った私たちは、飲食の評判をしたり、最近の下着の流行の話をしていた。(実業家の若い妻君は、そういうことに詳しかった。)私はそういう話が少しつづいたところで、「どうも経済的繁栄の第一の徴候は、瑣末主義のようですな」といった。私はそれを、自ら嘲りながら、皮肉な冗談としていったのである。しかし実業家の妻君は、それを真面目な非難としてうけとったらしい。「それはどういう意味ですか」と彼女は笑わずに反問してきた。「ヴェトナム戦争の真最中に、私たちが出会って、流行の袖の長さが一糎長いか短いかという話をしているということですよ」と私は説明した。「いいじゃないか」と実業家はいった。「二五万人の子供が殺されている、という話を知っていますか」「ぼくは信じないね」「そう気軽にいいなさんな」と私はいった、「そもそもあなたは、ヴェトナム戦争についてはどんな初歩的なことも知らないのでしょう。交戦している一方の側の言分は漠然と知っていても、他方の側の言分は一度も読んだことさえない。ジュネーヴ協定の内容も、三国監視委員会の公式報告も見たことがない。それでは、私のいったことが、ありそうもない、と考える根拠もないでしょう。基礎資料を見もしないで、ぼくは信じない、などといっているから、あなた方は、ナチが何百万人も殺してしまった後になって、強制収容所と毒ガス室のことは知らなかった、といい出すのだ。彼らは知らなかったのではなく、知りたくなかったのだ。あなたが信じないのではなく、信じたくないのだ……」。

「ぼくはそういうことを知りたくないね、平和にたのしんで暮したいのだ」とその実業家はいった、「知ったところで、どうしようもないじゃないか」――たしかに、どうしようもない。しかし「だから知りたくない」という人間と、「それでも知りたい」という人間とがあるだろう。前者がまちがっているという理くつは、私にはない。ただ私は私自身が後者に属するということを感じるだけである。しかじかの理くつにもとづいて、はるかに遠い国の子供たちを気にしなければならぬということではない。彼らが気になるという事実がまずあって、私がその事実から出発する、また少なくとも、出発することがある、ということにすぎない。二五万人の子供……役にたっても、たたなくても、そのこととは係りなく、そのときの私には、はるかな子供たちの死が気にかかっていた。全く何の役にもたたないのに、私はそのことで怒り、そのことで興奮する。……(加藤周一『羊の歌』「古きよき日の想い出」 P167-169 、1968年)
皮肉で言ってるんじゃないんだ、人間ってのはそういうものだということが言いたいだけだ。自分が売れるのが第一だからな、
公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼は己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽――になぞらえるにいたるのだ。(ヴァレリー『テスト氏との一夜』1896年)
ヴァレリーみたいなこと言ってたら、生涯カネに不自由するよーー彼は実際そうだったらしい。
次の文もしばしば引用してきたがね、《すべての職業が屈辱である》、あるいは《文化はすべて制度に組み込まれて因習化し、頽廃へ向かうしかない》というやつだが。

「社会的な存在形態としては、映画監督は映画を撮る職業だから映画を撮っているにすぎない。そしてそのことによって、すべての職業が屈辱である」と、大島渚氏は著書に書いていますが、作曲家である私もその苦い意識から遁れようはないのです。


作曲家という表現行為が否応なく職業化して制度に組み込まれていく。〔・・・〕
作曲家は、すくなくとも私という作曲家の現状は、お便りにあったような<他者の拘束から自由に、自分の内なる理法と感興にだけ従って飛翔し、音という質量も外延もない世界を築いてゆく>ようなものではありません。寧ろその後で指摘されているように、<作られたものを、演奏家や聴衆という「他者」に強制する次の瞬間に、作曲家を待ち構えているかもしれない戦慄の深さ>に怯える存在です。
私はけっして音と触れることの、また、音楽することの喜びを失ったわけではありません。それを知っているから、却って音楽を作る専門家であることを疑わないではいられないのです。


音楽を創る者と、聴かされる大衆という図式は考えなおされなければならないでしょう。しかもそれはきわめて積極的にされなければならない。これまで、疑うことなく在りつづけたこの図式は、別の新たな関係の前に破壊されるでしょう。そうでなければ文化はすべて制度に組み込まれて因習化し、頽廃へ向かうしかない。(武満徹-川田順造往復書簡『音・ことば・人間』1980年)
キミだけの話じゃないから安心したらいいさ。このところ文学関連の連中の囀りをいくら観察してみたがね、詩人の松下新土くんが以前(2024年1月24日)に次のように言ってたのが気になってさ。
ほとんどの連中はジェノサイドのことなんか無視して、あるいはよくてもお愛想程度に触れるだけで、先のヴァレリーのテスト氏曰くの《公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼は己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する》をやってるだけさ。
もちろん文学関連だけではないさ、昔も今も変わらないんだよ、日高六郎が言ってるような事態は近未来の台湾有事でも反復するに違いないよ。
文学部のなかで、長い戦争に対して疑問をもつ、あるいは反対だということをはっきりとした姿勢で考えていた人は教員80人近くいたと思いますが、ふたりだけ。渡辺一夫先生と、それから言語学科の神田先生。そのふたりは、はっきりと戦争全体に反対。ぼくも、そうですけれどね。


あとは、いわゆる日支事変段階ではね「この戦争は一体どこまで泥沼に入ってしまうのか」と懸念をもっている人はいくらかいた。しかし日米戦争で空気はがらっと変わります。ハワイ真珠湾攻撃の日に、たまたま大学へ行ったんです。ある研究室のドアからね、教授、助教授の興奮した声が聞こえました。戦争の性格が変わった、この戦争はアジアの植民地解放戦争なんだ、これで戦争目的ははっきりしたと。そういう声が聞こえてきた。なるほど、これがこれからの日本政府の宣伝のポイントになるだろうという感じを受けました。
僕はアジアの植民地解放のためというスローガンを出すならば、なぜ朝鮮と台湾の問題に触れないのか。朝鮮の自主独立を許す、台湾を中国へ返すということを、日米戦争が始まったときにすぐに宣言していたら、アジアの解放もいいですよ。しかし、自分の植民地はそのままにしておいて、これはアジア解放戦争だと言っても通用しませんよ。(日高六郎『映画日本国憲法読本』2004年)
というわけで、《知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本人に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と、思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。》(渡辺一夫『敗戦日記』1945 年 3 月 15 日)、ーーま、これ自体、少なくとも現在は日本だけの話じゃないね、「主人はマネー」の世代は世界中みなそうさ。ジャアナ!

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「アメリカの精神」とは何か

「隠居爺の世迷言」記事で、全体的にはやや散漫というか、その主張の妥当性に疑問を持つ部分もあるが、自分の考察ネタには面白い。
先に、私が市民図書館から借りて、その内容のキリスト教的偏向ぶりにうんざりして読むのを中断した「平気で嘘をつくひとたち」というアメリカの精神医の著作中で私が興味を感じた部分を「引用1」として転載する。で、隠居爺氏の記事引用を「引用2」として、私の考察というか妄想的思念をその後に書く。

引用1は、引用2の「マザコン男性」との対比(参考)として載せる。赤字は夢人による強調。発病前のジョージとの対比が面白いが、それより、妻による夫ジョージへの非難の表現に注意。つまり、女性を含めアメリカ人の、男性評価の基準は「強さ」にあるわけだ。そこに、アメリカという国家の異常性もある、と私は思う。善悪ではなく、強いか弱いかが評価基準になるのである。そして、弱さへの同情はゼロに近い。
前置きとして注意を喚起しておけば、文中の「ジョージ」は次のような男である。と言うか、精神障害になる前は、このような男だった。ある意味、中流アメリカ人男性の理想像かと思う。
ジョージはセールスマンとしては一流、というよりは天性のセールスマンだった。ハンサムで、動作がきびきびしており、気の置けない物腰と話術の才にめぐまれた彼は、流星のごとき勢いで南部諸州の販売地域を手に入れていた。(中略)彼は、持ち前の几帳面さをもって売り上げを三倍に伸ばしている。三十四歳の若さで、とくにハードワークに頼ることもなく、給料とコミッション合わせて六万ドル近くの年収を得ていた。」
この「ジョージ」と、妻のグローリアの「ジョージ」への評価の落差に注意。

(引用1)

私は彼女(注:ジョージの妻グローリア)と面接し、彼女がひどい抑うつ状態にあり、彼女の心はジョージに対する嫌悪感でいっぱいだということを知った。彼女は夫について、「弱くてめそめそしたぐうたら男」だと語っていた。一方、ジョージのほうも、しだいに、グローリアに対する恐ろしいほどの憤りを口にするようになった。彼は彼女を、自己中心的で、まったく非協力的な、愛のない女だと見ていた。

(引用2)


 それはさておき、性別の取り扱いにおいても、アメリカは極端になる。通常の一般社会においては、凄まじいくらいの男女差別があると考えてよさそうだ。妻に対する家庭内暴力(DV)など、殺人の一歩手前までのことがしばしばありそうだ。しかし、それがゆえに反動が生じて、何でもかんでも女性優位にしようとする運動が生じる。

 政治でもそれが起きていて、上に挙げたヒラリー・クリントン、ビクトリア・ヌーランド、ナンシー・ペロシ、カマラ・ハリス、故マデレーン・オルブライトなどの存在は、善政を行うためにではなく、男女差別を思わせない高い地位を与えるためのものだ。
男女差別の激しさが前提にある。


 


 男に負けない地位を与えるだけではなく、彼女らが行う政治の内容についても、男以上の極端で、大胆で、粗暴なものになった。本来の男というものは、表面的な印象とは違って優しいものだ。というのも、男は兵士として生まれてくる。遺伝子的レベルで兵士に適している。それがゆえに、一定の限界も知っている。目の前の人間を無差別に殺してしまっては、人間全体の存亡に関わってくるからだ。

 ところが、女は兵士になることが遺伝子的に想定されていない。ゆえに、安全装置が設定されておらず、戦闘に参加させてしまうと見境がつかず、限度をわきまえず、平気で残忍なことをしてしまう。


 


 ただし、過去においてアメリカが原爆を日本に落としたこと、現在イスラエルがパレスチナ人に対してジェノサイドを行っていることを考えると、アングロサクソンというのは男女の別なく遺伝子的な欠陥を持っているのかもしれない。突然変異を起こした欠陥人種がアングロサクソンなのかもしれない。

 そう考えると、アングロサクソンこそジェノサイドの対象にするべき人種であるとも考えられる。ビル・ゲイツにしてもエマニエル大使にしても、あの気持ち悪さというのは、突然変異種であることが醸し出すものかもしれない。新人類、ガンダムでいうと「ニュータイプ」ということになるのかな。

 その点、ドナルド・トランプは明らかに旧人類、オールドタイプに思える。どこか安心できる雰囲気を感じとれる。前回大統領のときに、新たな戦争を起こさなかったということだけでも、バイデンよりは評価できる。

 ただし、私はトランプのファンではない。なぜなら、トランプはアメリカの大統領であるからだ。かつてアメリカファーストと言っていたように、大統領である以上、自国の利益を最優先させるのが当然であり、日本と利害が衝突するようなときには日本を攻撃するだろう。これは、プーチンについても同じことで、ロシアの利益が第1であることは間違いない。

 では岸田総理はどうだろうか。残念なことに岸田総理は完全に狂っている。箸にも棒にも掛からない。日本の利益、日本国民の利益よりも、アメリカの利益や財界の利益を優先させようとするからだ。どこをどうしたら、そんな人間になるのだろうか。

 そんなことを考えていたら、「冬彦さん」が頭の中に浮かんだ。「ずっとあなたが好きだった」というドラマで、佐野史郎が上手に演じた役柄だ。1992年の放送だったらしい。何となく、「冬彦さん」と岸田総理のイメージがかぶるのだけれど、「冬彦さん」といえば " マザコン " になる。マザコン男性というのはどのようなタイプだろうか。

(1)臆病
(2)自信がない
(3)他人の目を気にする
(4)優柔不断で流されやすい
(5)思い込みが強い
(6)言い訳が多い
(7)自立ができず人のせいにする
※マザコンの特徴7つ。マザコン彼氏と結婚したらどうなる?

 岸田総理に対する私のイメージは「男らしくない」というもの。とにかく男らしくない。言うことがコロコロ変わるのが第1だけれども、コロコロ変えた挙げ句に結局どこに行きたいのかはっきりしない。その理由は簡単で、要するに「お母さん」の方しか見ていないからだ。

 男というもの、家庭を持ったのであれば妻子を第一優先にすべきところを、「お母さん」の方ばかり見ている。それが岸田総理になる。「お母さん」とはアメリカと、日本の財界になる。2人のお母さんに気に入られるのであれば、妻など、子など、つまり、日本や日本国民などどうなってもいい、そんなマザコン男が岸田総理になる。離婚案件だと思うけれど皆さんはどのように思われるだろうか。

 やはり国として独立することは大切だね。そうでないことには、今後の日本の総理大臣は次から次へと「冬彦さん」ばかりになってしまう。あ、そうそう、今思いついたけれども、岸田総理主演(冬彦役)で「ずっとあなたが好きだったスペシャル」を1本撮影できないだろうか。きっとピッタリのはまり役だと思うけどな。



(考察)

前書き部分で主な考察をしてしまったので、詳細な考察は省略する。いずれ気が向いたら再度考察するかもしれない。
要するに「アメリカの精神とは何か」であり、それはアメリカ侵略をした欧州人による原住民インディアン大虐殺に如実に現れている、というのは隠居爺氏も何度も書いている。私は、その「弱肉強食」の精神がアメリカ女性も同じだ、という点に注意を喚起しただけである。
なお、日本では妻が夫の母親役もしていることが多いが、それが良いか悪いかは詳しくは論じない。ただ、「善悪より強さが価値判断基準」という精神(欧米的価値観)は戦争と闘争の世界にしかならないとだけ言っておく。
基本的に「母親」的存在は戦争を望まないと私は見ている。当たり前である。戦争で死ぬのは、もしかしたら我が子なのである。夫なら、死ねばいくらでも代わりがいるが、我が子の代わりはいないwww さらに言えば、我が子とは自分の分身であり、母親から見れば精神的には自分の一部なのである。(中には、子供は自分の「所有物だ」とひそかに思っている母親もいるかもしれないがww)それこそが、実は「平和な世界」を作る精神だとも言えるかもしれない。つまり、他者は敵ではなく、自分とつながる存在だ、ということだ。


(追記)前記した「平気で嘘をつく人たち」の中に、なかなか優れた「悪」の定義があるので引用しておく。これも同書にあるが、悪(evil)は、生・生命(live)を逆に読んだものでもある。

「したがって悪とは、とりあえず、人間の内部または外側に住みついている力であって、生命または生気を殺そうとするものである、ということができる。また、善とはこれと反対のものである。善は、生命と生気を促進するものである。」










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「公徳心」を失った日本人は本当に「日本人」と言えるか

「神戸だいすき」記事だが、好記事である。埼玉県だったか、クルド人犯罪を裁判所が審議せず、犯人が釈放されたとかいう事件(詳細は知らないので、私の勘違いかもしれない。)があったようだが、日本の「国家解体」は、もはや瀬戸際まで来ているのではないか。「グローバリズム」の影響(若者の精神にまで及んでいる)で国会、内閣、司法、その下部組織すべてにおいて国家組織が組織の存在意味(国民保護機能)を喪失している気がする。
そもそも「グローバリズム」とは国家消滅であり国家解体である。つまり、DS(大金融家)支配によるワンワールドだ。NWOとも言う。

そして、神戸だいすき氏が言うように、日本人の「公徳心」が薄れてきているとするなら、それは「日本人」がその本質を失い、もはや日本人ではなくなりつつある、とも言えるかもしれない。「軍事で国防する」以前に、守るべき国(国民)が消滅しつつあるわけだ。
なお、私が「通俗道徳批判」を批判するのは、通俗道徳という言葉がそのまま「道徳」と置き換えられて「道徳は無用」という風潮を作る可能性が非常に高いからである。

先に、クルド人関係のネット記事を載せておく。クルド人とはジプシーのような存在で、法意識が希薄であるとも何かで読んだが、まさに「公徳心」重視社会にはなじまないのではないか。「日本人も罪を犯す(からクルド人犯罪に寛容であれ)」というのは論理の捻じ曲げだろう。

れいわも賛成した川口市議会「クルド人」意見書 マスコミ報じず





川口市議会が可決した「一部外国人による犯罪の取り締まり強化を求める意見書」






埼玉県川口市でトルコの少数民族クルド人の一部と地域住民との間に軋轢(あつれき)が生じている問題で、川口市議会は、国や県などに「一部外国人による犯罪の取り締まり強化」を求める意見書を可決した。「クルド人」と名指してはいないものの市議らの大半は「彼らを念頭に置いた議論だった」と明かす。「対立と共生」。今、欧州や米国では移民をめぐって社会が激しく動揺している。市議会の意見書可決までの道のりにも、この問題が凝縮されていた。

市議にも被害者

クルド人は家族や親戚など大勢で集まる習慣があり、夜間などに不必要な誤解を住民に与えてしまうことがある一方、窃盗や傷害、ひき逃げなど実際に法を犯すケースも後を絶たない。



「私たちにクルド人を差別したり対立したりする意図は毛頭ない。ただ、わが国の法やルールを守れない一部クルド人の存在は、残念ながら地域住民に恐怖すら与えている」。自民党の奥富精一市議(49)はこう訴える。


奥富市議は意見書の提出をまず自民党内で提案。すると、同僚市議らのもとにも、「敷地の駐車場を壊された」「ゴミ出しでトラブルになった」などの苦情や相談が住民から相次いでいることが明らかになった。公明党市議団にも相談したところ、市議団長自身があおり運転の被害者だったという。

警察も把握しきれず

クルド人の集住地域に住む男性(35)によると、改造車が中東の音楽を大音量で流しながら、住宅街を暴走することは日常茶飯事で、「深夜に家の前を爆音が通り過ぎる。その様子を自身のインスタグラムでアップしている者もおり、面白がっているとしか思えない」と話す。

令和3年10月には、19歳のクルド人少年がトラックで県道を暴走し、横断中の69歳男性をはねて死亡させ、逃走した。少年の所持品に運転免許証はなかったという。事件後、少年は出国しようとしたところを逮捕された。


ただ、こうした大きな事件は別だが、実際には言葉の壁などもあり警察が動くことはまれだ。関係者によると、交通事故などをめぐっては車の所有者すら分からず泣き寝入りするケースも多い。クルド人だけでなく外国人犯罪の実態なども把握しきれていないという。


6月29日に市議会で可決された意見書は、議長を除く41人の採決の結果、34人が賛成した。提出先は衆参両院議長と首相、国家公安委員長、埼玉県知事、県警本部長で、「一部の外国人は、資材置き場周辺や住宅密集地などで暴走行為やあおり運転を繰り返し、窃盗や傷害などの犯罪も見過ごすことはできない」と具体的に指摘。警察官の増員や犯罪の取り締まり強化を求めている。

日本人も罪を犯す

一方、意見書の採決に反対したのが、共産党4人と立憲民主党2人、れいわ新選組の1人だ。ただ、れいわ所属のもう1人の女性議員(48)は本会議の起立採決で立ち上がり、賛成した。女性議員は賛成の理由を議会関係者にこう話したという。

「私の自宅の前でも毎日、暴走車両が通り抜けて、近所から苦情が殺到している。到底見過ごすことはできなかった」。議会関係者によると、この議員はその後、れいわ内で難しい立場に立たされたという。党本部に取材を申し込んだが、応じていない。


一方、共産党は地区事務所が市内のクルド人集住地域にあり、関係者によると、街宣カーを止めている駐車場にクルド人運転とみられる車が突っ込み、ブロック壁を壊される被害に遭ったことがあるという。


同党市議は「暴走行為や犯罪は一部外国人に限らない。日本人にも罪を犯す人はいる。共生社会を目指す上で、ことさらに外国人を取り上げた意見書には賛成できない」と話している。


意見書を受け、埼玉県警は実際にパトロールを強化するなどしている。今月19日には、同市内の夜の公園で女子高生の体を触ったとして、市内に住むトルコ国籍の50代の男が強制わいせつ容疑で川口署に逮捕されている。


一方で、今回の意見書について「外国人と人権」をめぐる微妙な問題でもあるためか、地元メディアも含め報道機関はほとんど伝えていない。奥富市議は市役所の記者室を訪ね、居合わせた記者らに訴えたが、「そうですけどね」「難しいですよね」と、あいまいに応じるだけだったという。

病院でクルド人「100人」騒ぎ、救急受け入れ5時間半停止


(以下引用)


折に触れ、私は、外国人が日本に来て「驚いた」というシリーズを見るんだけど。

たくさん見るうちに、彼らが驚く場面・・・なくした貴重品が戻ってくる。町が安心。困っていると、誰かが助けてくれる。・・・ということを、煎じ詰めると

「自分中心ではなく、公の福祉を大切にしている」「みんなで一緒に幸せになろう」という日本人の姿勢が、発露した場面に、驚いているんだとわかってきました。

そして、この姿勢は、教育勅語の中に「忠と孝」と、一口にくくられ「親に孝」「兄弟に友」「夫婦相和」「朋友相信」、

学を学び、業を習い、公に貢献し、社会の進歩に資す。規則をまもり、法を順守する。

これは、なにも、明治時代の今、天皇である私が訓示を垂れることではなく、臣民が、先祖代々大切にしてきたことであるーと、書かれている。

驚いたことに、教育勅語を破り去り、捨て去った今の時代でさえ、子供たちでさえ「燃えないゴミは、どこに捨てたらいいですか?」と、心がけ、決まり守ろうとする。

スポーツ選手は「チームに貢献したい」という。自分が一番になりたいなんて言わない。

この傾向は、昭和の子供より、もっと強いよ。昭和の子供は、ゲバ棒を振り回して、社会を破壊しようとしたのに。

最近の子供は、わずかな牙も見せない。「きちがい」とか「殺すぞ」なんて言葉さえ、慎む。

昭和の私は、居心地が悪いよ、宅配業者に「ありがとう」というと、孫娘に「ばあば、ありがとうございますって言いなよ」と、注意される。

ったく、日本人にはあきれるよ。

庶民は、きまりを守りたがり、他人に親切にしたがる。みんなで一緒に幸せになろうと考える。新しい技術も、社会をよくするためにと、考えて発明する。

それなのに、首相はなんだ?

ウクライナの戦争を応援する前に、能登半島が、先だろう?
人殺しのために金を出すより、人救いだろ?

庶民感覚から見ると、あのエリートたちのいうことなすこと、信じられない。
みんなが苦しんでいるのに、金をちょろまかして、税金も払わず、何に使ったかも言わない?

信頼できない。人として、まともに評価できない。

次から次へと、政府は、政治家も、官僚も、人として許せない。

かつては、道義的に許されないことをするとき、こっそりしたり、ばれたら謝ったりした。

それなら、まだ理解できる。

ところが、最近は、白昼堂々と道義にもとる行いをする。

ばれても、カエルの面にしょんべん。嘘までついてごまかす。

これは、安倍政権から始まった。

私や妻がかかわっていたら、政治家を辞めますという嘘を平気でついた。そのあとは、なにもかも嘘だ。

やっぱり、純粋な大和民族ではないからね、あの男は。
李氏朝鮮とロスチャイルドの系列だ。
嘘はお家芸。

最近、ニュースを見ていて思うんだけど、

ウクライナの戦争は、止めようと思えば、いつでも止められる。
そしたら、気の毒な国民が死んだり不具にならなくて済む。

すでに、勝敗はついている。どこから頑張っても、ロシアには勝てない。
ならば、和平交渉こそ、するべきことだろう。

ところが、まだ、銃弾を作って、撃つといっている。
まだ、人が死ぬ。

死んでも仕方がないという。彼らの利権を守るためなら、無辜の民を何人死なせてもいいらしい。

自分の利益だけのために、他人を犠牲にして社会に騒ぎを起こしていいとは、普通の日本人の感覚にはない。

それを白昼堂々、公共放送で言い切る・・・

イスラエルもだ。

ガザ地区の人間なんか何人殺してもいいという。

そういう展開は、日本人としては容認しがたい。

そこへ、岸田がしっぽを振って金を持っていく。

大和民族には、理解できない世界が展開されている。

ものすごく居心地が悪い。

あの白い人たちは、人としてダメな民族なんだと、最近、ようやく気付いたわ。

ああいう風だから、平気で、広島や長崎に、ああいう爆弾を落とせたんだ。

しかも、あれは昭和天皇がやったと、まことしやかな情報を流す。

普通、日本人にはできないことばかり。

だから、私たちには、あの獰猛な獣が、次に何をしでかすか、予測できない。

よしんば人工的に地震を起こせても、日本人なら、そんなことして人を殺すことなんかできない。

とことん、わからない人たちだったんだ。

日本列島は、裸でオオカミの巣穴に投げ込まれているんだ・・・

なんか、昨日かなあ、本当のことをしゃべってしまったので詰め腹切らされた議員がいたね。川なんとかっていったけ?

おっちょこちょいだけど、人として理解はできるよ。あほやなあとは思うけど、少なくとも、ほっとする。

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それだけで人生は生きるに値します。

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