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日米の「自我」の強さの違い

下に引用する文章は、或る大学の現代国語の入試問題だが、題材となっている文章自体が、現代日本における「いじめ・自殺問題」の根本に触れているかと思うので、その参考として載せておく。
問題のポイントを簡単に言えば、「なぜ日本ではいじめられた人間が自殺するのか」ということである。(もちろん、これは引用した文章の趣旨とは異なるものだが。)
それを「日本人の自我の弱さ」と断定するのは、いじめ被害者に酷だろうが、「ではなぜ、アメリカ人の自我はあれほど強いのか」、という問題に置き換えてもいい。アメリカ人も何かに絶望して自殺はするだろうが、少なくとも「いじめられて自殺する」ことは無いのではないか。それくらいならどこかから銃を持ち出してクラス全員を射殺する気がする。そして私はそのほうが「健全だ」と思うのである。
当たり前の話だ。なぜいじめ加害者でなく被害者のほうが死ぬ必要があるのか。


(以下引用)上に書いた主旨からは不要ではあるだろうが、入試問題としての問いの部分も載せておく。自分の「読解力」を検討するのも面白いだろう。



練習問題1 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。(関西大学・文・改)


 


①二、三年前のこと、私がアメリカのある大学に滞在している時、日本から友人の一人が、私の興味を持ちそうな話題を選んで、新聞の切抜きを送ってくれた。その中に、近ごろ中学生・高校生の自殺の原因として、「自分の心をすっかり打ちあけてとことんまで話のできる相手が誰もいない悩み」が大きな比率を占めているという記事があった。学校の先生は悩み事の相談に乗ってくれない。同級生はみな受験のライバルで、心を打ちあけることなど思いもよらないし、両親はただ勉強しろの一点ばりで、話にもならない。自分はこの孤独にもう耐えられないというのである。


②私はたまたま担当していた大学院の講義が、日本人の自我の構造と言語表現の関係にふれるものだったので、早速この話を学生たちにして、どう思うかと尋ねてみた。驚いたことに、何人かの学生がおかしくてたまらないという様子で笑い出したのである。私が理由をただすと、一人が次のように答えた。


③私は本当に大切なことは、友人はもちろん、親にも話したことがない。先生や他人と相当深くいろいろ議論はするが、それは自分の心の中にある大事な問題について自分で決定する手がかりを得るためであって、問題そのものを打ちあけることはしないし、ましてその解決を他人から教わろうとは思わない。個人が本当に個人である部分は、他人に言えない部分であって、それを明かすことは自分の存在を危険にさらすようなものだ。だから、何もかも心をすっかり打ちあける他人がいないことで自殺するなど愚の骨頂である、というような答であった。


④私は少々唖然として他の者の意見も求めてみた。女子学生の一人は、自分も大体同意見で、本当に自分にとって大切なことは夫にも決して言ったことがないと言う。そして自分以外の人間に、自分の本当の気持ちなど分かるはずがないとつけ加えるのだった。


⑤これは一つの挿話にしかすぎないことであるが、しかしこの話ほど私がこれから述べようとする、日本人にとって、自分とは何か、相手とは何かの問題を解明するための適切な糸口を与えてくれるものもないと思うのである。


  


問1 筆者はどのような問題を考察しようとしているのか、文中から適切な部分を抜き出せ。


 


問2 第三段落(③)で述べられたアメリカ人学生の考えを簡潔にまとめよ。


 


問3 本文中の日本人の自我について、最も適当なものを次から選べ。


 


 ① 日本人は、重大な問題を心の中にじっとしまってその重みに耐えていく力がきわめて弱い。


      日本人は、身近な人間には心を許すが、他人にはなかなか心を許さない。


      日本人は、大事な問題と些細な問題を区別して、大事な問題は他人には打ちあけない。


      日本人は、親兄弟や友人を第二の自我として、それにすべての判断をゆだねている。


      日本人は、集団性が自我の中に組み込まれており、主体性が無い。




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修羅の町か?

600人の生徒のうち85人が不登校って、校長や教師たちは何をしていたのかね。
まあ、町自体が異常な感じがするが、つまり家庭的にヤクザや暴力団的な家が多いのかもしれない。だが、その原因は何なのか。町がそのようになる根本原因は何なのか。単に偶然的にそうなったとも思えないのだが。
元記事の中の詳細はまだ読んでいないので、上に書いたことが不適切なら後で削除する。


(以下引用)


尋常じゃない数のいじめ・不登校が発覚した史上最悪レベルの中学校がこちら・・・自殺者が出てようやく発覚

「友達にからかわれる」中3男子生徒が自殺 いじめが原因か 「対応が不十分だった」学校と教育委員会が謝罪 福岡・田川市

いじめ 自殺 不登校 福岡県 田川市 九州 修羅の国 85人 60件に関連した画像-02

福岡県田川市の中学3年生が自殺し田川市教育委員会は18日、いじめが原因だった可能性があるとして調査すると発表しました。

<中略>

一方、この学校に通うおよそ600人の生徒のうち、85人が不登校の状態にあることも明らかになりました。

また、教育委員会によりますと、生徒が自殺したあとこの学校から、いじめ疑いの報告が60件上がり、このうち3件を重大事態に認定しました。

田川市教育委員会は自殺した生徒についてもいじめの重大事態と認定し、今後、いじめと自殺の因果関係を調べるため専門家などによる調査委員会を設置するということです。

以下、全文を読む
<ネットでの反応>

こういう街で隣の大任町は町長が射殺されるような地域ですからねw
いじめ 自殺 不登校 福岡県 田川市 九州 修羅の国 85人 60件に関連した画像-03

田川なら実質デスゲームやってるようなもんやね
子供のいじめ被害回避には住む地域も考えなあかんね


本当にあとからわかった事なのかな?
もっと前から分かってそうだけどね…


知らない全国の人に説明すると
福岡県の中でも田川市は治安が悪いよ!


85人不登校にするなら、犯人を隔離した方が学校が平和になるんじゃないの?

いやいや、どんな組織でも10%以上人がいなくなれば誰でも気づくのであって。。。
明らかになったのは不登校の人数ではなくて、その間誰も何も対象しなかったってことでしょ


85人って何だよ
むしろ「何かしらの怪異により行方不明になっている生徒を不登校としてカウントしている」とかであって欲しいレベルじゃん


住んでる人には申し訳ないが、ああ田川か。。。という感想しかない。

こういうのってワルの集団を連想するけど、核になってるのはせいぜい3人程度であとは金魚のフン、大半が傍観による加担という構図なのよね

どう考えても、学校になんらかの要因が有ると思わざるをえんと思うんだけど

頭下げて済む問題ではないだろう。こういうのにきちんと刑罰を与えるようにしないと。

九州男児弱肉強食すぎてこんなところで子供育てられない

もう全員教員免許剥奪すべきだろこれ。

どんな学校よ…歴代の教員の方々どう思いながら勤務してたんだろ?異常でしょ。

学校自体を緊急事態認定して国が支援する制度が必要
(追記)「ヤフーニュース」元記事へのコメントの一部を転載。






  • k72********

    ここまで不登校が多いと学校も手に負えないでしょ。どうなってんだ? 教師側に致命的に問題のある人間がいるか、生徒社会の中にバレないように裏で動いている問題生徒がいるか、そもそも地域環境で何かがおかしいか 全校生徒の7人に1人が不登校は異常状態




  • Oscar

    学校自体がまず警察の介入を避けるんですよね 。 教師は余計な仕事が増えるし、穏便に済ませるために被害者を黙らせる方向に舵を取りがち。 イジメは学校に相談せず暴行、窃盗、脅迫、恐喝等で直接警察へ、といわれる理由です。




  • g_4********

    地域性なのか親の育て方なのか、学校の指導の問題なのか、全てを考慮して第三者による完璧な答えを出さないと解らないのでのではないかと思ったりしますね。




  • gya*****

    600人の在校生のうち、85人が不登校って?単純に、15%が学校に来ないって事でしょ? 地域性の問題なのか? 例えば、虐めを助長するような昔からの差別的な階級社会が有ったりするというか?



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能登大地震の異様な政府・自治体対応

タレントの、それもお笑いタレントの発言ということで偏見で見られるかもしれないが、言っていること(見たこと)自体はほとんどが事実だろうし、意見は正論だろう。特に避難所の最悪な住環境である。「二次避難」ではなく、最初から、避難所ではなくホテルや旅館などを国費で借りて避難させるべきだっただろう。何度も言うように、季節が極寒の季節で、避難所が体育館ではまともな生活が送れるはずがない。体力の無い老人は死んでもおかしくない。まあ、死んでほしいというのが政府の本音かもしれない。
ついでながら、震災現場への外部からの立ち入りを禁止したのは、被災地近くの原発の放射能漏れの可能性が大きかったから、その隠蔽の目的だったのだろうと思っている人も多いはずである。

(以下引用)
タレントの清水国明氏(C)日刊ゲンダイ© 日刊ゲンダイDIGITAL

【注目の人 直撃インタビュー】


清水国明さん(タレント)


元日に石川県で最大震度7の揺れを観測した能登半島地震の発生から、10日で100日が経過した。9日時点で県内の死者は245人、避難者は6328人に上る。行政の泥縄対応が問題視されているが、果たして何が足りなかったのか。1995年の阪神・淡路大震災以降、大きな地震が起きるたびに被災地に赴き、支援活動を行ってきたのがこの人。行政の不備や個人の備えについて話を聞いた。


◇ ◇ ◇


──発災後、5回にわたって被災地支援を行ったそうですね。現場を見て、どう感じましたか。


これまで日本で起きた震災の問題点が集約されていると思いました。津波発生に、建物の倒壊。火災や道路の陥没も起きた。特殊だったのはボランティアが集まりづらい状況になったことです。

──阪神・淡路大震災では発生から1カ月で活動したボランティアは延べ約62万人。ところが、今回は発生後3カ月以上経った3月中旬で延べ約1万人でした。単純比較はできませんが、明らかに少ないです。


震災発生直後から、SNSで「不要不急の人は被災地に来ないで」といった投稿があふれました。それを拾い読みしたのか、行政までが「ボランティアは来ないでください」と発信。これが大きく影響したと思います。


■「ボランティアは来るな」の弊害


──石川県の馳浩知事はSNSに〈能登へ向かう道路が渋滞し、物資が届かない〉〈能登への不要不急の移動はくれぐれも控えてください〉などと投稿していました。


僕は1月3日の朝には現地に行ってボランティア活動をやらせてもらったのですが、そんな投稿については「現場を知らんだろ!」と言いたい。橋が落ちたり、道路が陥没して渋滞していた箇所はあったと思う。でも、実際はおおむねスムーズでした。緊急車両がバーッと来た時は、復旧作業に従事する自衛隊の車両がパッとよけて道をあけていたほど。「ボランティアに来るな」と言われるのはちょっと腹立たしかったです。実際、被災者の方たちは僕らが行くと感謝してくれました。


──行政の発信の仕方がマズかったのでしょう。現場での支援対応については、どう見ていますか。


一言でいうと泥縄ですね。震災が起きてから仮設住宅を建て始めているのだから、出たとこ勝負の対応です。それで、仮設住宅の建設中、自宅に戻れない被災者を体育館などに押し込んでいるわけです。プライバシーがなく、天井が高いから室内は暖まらない。床も冷たいから、いくら重ね着したって寒い。地震でショックを受けている人をさらに劣悪な環境に追い込むなどおかしいでしょう。


──避難所の環境の悪さは深刻です。避難者は一時、3万4000人にも上りました。


一番の問題はトイレが汚いことです。大勢の人が使うわけですから排泄物でどんどん汚くなっていく。トイレに行くのが嫌になってきますから、みんな水は飲まない、ご飯も食べない。それで体調を崩して災害関連死につながっていくわけです。なぜ、こうした状況を予測して備えておかないのか。行政による人災ですよ。




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今の日本は「天皇制」国家か(国体論2)

「混沌堂主人雑記」で紹介されていたので、「天皇」という存在の意味や意義を考える参考として元記事を転載する。言うまでもなく「尊皇主義」の私とは正反対の思想だ。少し古い記事なので、明月飛鳥氏が今でも同じ思想かどうかは分からないが、同じ思想のままだと推測する。
一番の問題は、飛鳥氏その他が今の日本を「天皇制」国家だと主張していることで、憲法に明記されているとおり、今の天皇には政治的権力も政治的発言権も無い。その意味では一般日本人よりも政治権力から遠い存在だ、ということだ。(その潜在的可能性の大きさは別問題であり、私はそれを未来の日本の新しい政治システムに組み込むことを考えている。つまり、「象徴」の持つ大きな潜在力を政治に生かすという思想だ。)
私も昭和天皇の戦争責任は大きいと思うし、その「責任の取り方」も、ほかにも手段はあったと思うが、それと現在の「象徴天皇」制を同一視するのは極めて非論理的だろう。簡単に言えば、これらの論者が言う「天皇制」とは天皇に政治実権があるという幻想である。それと現在の「象徴天皇制」はまったく別物であり、現在の学校教育で

日本の子どもたちは、これを「尊い」とか言われて育つ

というのも大嘘だろう。要するに、自分の恣意的な政治信条のための事実の捻じ曲げである。

私は夢想するが、たとえば、天皇がSNSで「日本の(米国からの)真の独立」を主張したら、どうなるだろうか、という夢想であるwww まあ、驚天動地の大騒ぎになるだろうし、それは今のDS支配下のマスコミ全体が束になってもかなわないかもしれない。しかし、それは最後の最後の手段だ。
それが天皇の持つ潜在力であり、天皇批判者たち(本心では米国支配に安住し、日本独立を嫌う者たち、あるいは日本をただ自分好みにしたいだけの無責任リベラル言論者たち)が怖れているものではないか。もちろん、私は「右翼支配」の日本を願っているわけではない。尊皇主義=右翼という馬鹿な単純化は拒否する。私は単に理想国家としての象徴天皇制国家(現在は象徴天皇の機能が不十分だということだ)を空想しているだけである。
ある意味ではプーチンのロシアが「哲人統治」に最も近いが、それはプーチンの個人的資質によるものなので、それをシステム化することは不可能か否かが私の思考課題なのである。天皇とは生まれつき国家と一心同体である、というのが、私の思想の土台である。そしてその「無答責」性(他者の批判から超越していること)こそが、その「判断」の正確さを保証するのではないか、とも思う。
ある意味では「天皇の無答責性」は一種の「超越性」において、ロールズの言う「無知のヴェール」にも少し似ているかもしれない。私の解釈では「無知のヴェール」とは、事件にまったく関与せず利害関係を持たないものだけが正義にかなう判断を下せる、というものだ。これは「天皇=国家」(天皇こそが国家問題の最大の利害関係者)という思想とまったく反対に見えるが、犯罪ではなくビジネスの問題として見るなら、最大の利害関係者こそが一番真剣に考える、という当たり前の話だ。そして自分を「正義」と思う存在はしばしば狂信化、非論理化するのである。正義よりも論理が正解を導く、という簡単な話だ。
裁判官が政治権力に動かされて意図的に誤判する、というのなどが正義の問題における「超越性」の欠如を示している。ロールズの「無知のヴェール」は単に判断方法だけの話で、実践性は欠如しているわけだ。つまり、裁判官には犯罪の利害関係者からの超越性はまったく無いのである。そこが「天皇=国家の最大の利害関係者」であり「他者からの影響(批判)を超越している」というのとの相違だ。しかも、「象徴天皇」の場合、生活の資を求めるための金銭獲得行動も不要だし、他国の王族のような有力貴族などとの関係による「行動制限」も悪行の必要性も無い。


(以下「反戦な家づくり」から引用)
2022-08-15(Mon)

あらためて天皇の戦争責任を問う

日本にあるもので、もっとも子どもの教育に悪いものは何かと聞かれれば、迷うことなく「天皇制」と答える。
「1人を殺せば犯罪者だが、100万人を殺せば英雄」を、まさに地で行ってるのが昭和天皇であり、象徴天皇制だ。
究極の無責任の象徴。
自殺したヒットラーのほうが、まだしも潔いといえるかもしれない。
日本の子どもたちは、これを「尊い」とか言われて育つのだから、ひどい話だ。
天皇制には、もうひとつ際だった特徴がある。
「保身」である。
天皇や天皇制には、それ自体の思想性はない。
あるのは存続の意思と、そのためのきわめて柔軟(無節操)な「保身」である。
存続するためならば、どんな勢力とでも手を結ぶ。
処世術の鬼である。
軍部が強ければ軍につき、沖縄を初め国中が焼き尽くされ、自国民が何十万人も黒焦げにされても保身(国体護持)のためには意に介せず、負けたとたんにマッカーサーに擦り寄り、捨て石にした沖縄を、またしても米国に売り渡した。
手を携えて戦争を遂行した戦犯がまつられている靖国神社へも、自分だけは無関係化のように行かないという。
靖国神社は戦犯だけを葬って、戦犯の魂の牢獄にして、負の遺産として末代まで残すべきだと私は思っている。
その意味で、天皇は靖国神社に行くべきなのだが、自分だけはちゃっっかり「戦後民主主義」に乗っかってしまうところが、さすが処世術の鬼である。
これが「清く正しい」生き方だと、子どもたちに刷り込まれる。
私はこのブログでも何回も書いてきたが、「天皇の戦争責任」を曖昧にしたことが、戦後の日本をダメにした、と考えている。他にも要因はあるけれども、なんといってもダントツのナンバーワンである。
8月15日
私たちは、単に不戦の誓いをするだけでなく、戦争をやらかした奴らの責任を忘れない、その思いを新たにしたい。

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党派の「本質」と「真髄」

まあ、誰にも興味の無い話だろうが、せっかく考えたので書いておく。
翻訳の話である。ただし、言うまでもなく、私は外国語はまったく知らないので、ここでは原文は度外視しての二つの翻訳文の比較の話だ。どちらも古い翻訳で、訳者がご存命かどうかも知らない。
さて、問題の文章をふたつ挙げておく。文語的表記は現代文表記にしておく。

A:行動は党派たるものの本質である。
B:行動ということこそ党派の真髄ではなかろうか。

私は前者(A)を読んで違和感というか、疑問を感じて、別の翻訳であるBを見て納得したのだが、一応説明しておくと、Bの翻訳者が先にこの原作を翻訳し、Aがその後、その原作の改訳(新訳)をし、さらにそれを参考にしてBの翻訳者が自分の過去の訳を改訳したようだ。したがって、時系列的にはBの翻訳者に優位性があり、AよりBが翻訳者として優れているという話ではない。

さて、私はAの文になぜ違和感を持ったのかと言えば、その断定的口調による断言(命題)の内容が正しいとは思えなかったのだ。間違いとは言えなくても、「全肯定」はできない命題だろう。
そして、Bになぜ納得したかと言えば、同じ命題への「~ではなかろうか」という婉曲な口調とともに、「本質」が「真髄」になっている点も良しとしたのである。
「本質」と「真髄」に違いは無いだろうという大雑把な意見もあるだろうが、「本質」とは、その対象全体を包含するもので、「真髄」はその対象の中心部だけに該当するものだ。つまり、「党派」と「行動」に関して言えば、「(本質=)党派に属するメンバーは全員必然的に行動する」か「(真髄=)党派の中心層は行動する」かの違いだ。あなたが自民党(でも共産党でも何でもいいが)に同感するからと言って、自民党のために街頭に立って応援するか、しないか、という違いだ。もちろん、「投票」も行動ではあるが、それは自民党の「真髄」としての行動ではないだろう。(「本質」と「真髄」についてのもっと分かりやすい例を寝床の中で考えたのだが、もはや忘れたので書けない。)

なお、このふたつの翻訳はどちらもバルザックの「暗黒事件」の一文である。




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隠居爺氏の国家論

「隠居爺の世迷言」記事で、実に読みやすく分かりやすく、正直率直でありながら、飄々とした筆致が、嫌みがない。年を取ることに利益があるとすれば、このように正直率直になれることだろう。自分を飾る気持ちが無いから、嫌みがない。
ちなみに、カネが社会や世間(世界全体と言ってもいい)を堕落させることは、トマス・モアもスィフトも書いているが、アメリカ人には無縁の思想のようだ。ただし、カネが文明や文化を物質的に発展させるのも今さら言うまでもないだろう。つまり、カネの持つ善悪両輪だ。
まあ、その解決法は共産主義ではなく、「財産上限制」だろう。その上限は「政治を動かすほどではない」だ。当然、その上限を超える株式投資やギャンブルも禁止である。政治を使って株価を上げるなどもってのほかである。

(以下引用)

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 ビートルズに「愛こそはすべて(All You Need Is Love)」(1967年)という曲がある。「愛こそはすべて」であると信じている人はどのくらいいるのだろうか。ほとんどいないのだろうなあ。でも、私も年をとって、幾分離れたところから人間社会を見ると、「愛こそはすべて」でいいのかもしれないと思ったりもする。

 一方「金(カネ)こそはすべて」ということになると、相づちを打つ人がそれなりにいるように思う。「この世の中、結局のところはカネだよ。カネさえあれば何でもできる。」と思っている人は意外に多いような気がする。どうだろうか。そういえばABBAに「Money Money Money」(1976年)という曲があったね。

 私は若くて多感な時期に夏目漱石を読みふけったせいか、金持ちや権力者を軽蔑しているところがある。そうなんですよ、夏目漱石というのは金持ちや権力者を毛嫌いしていたからね。ある意味トップエリートだったのだけれど、まあ、金持ちや権力者はその性根が卑しいからねえ。見抜いたのだろう。人間、金や権力を得ると堕落することは、今の自民党を見ても、いや自民党ばかりではなく政治家全体を見てもよく分かる。

 金持ちのことは付き合いがないからよく知らないけれど、私よりははるかに金持ちである医者を見ていると、彼らがいかに堕落した存在であるかが伝わってくる。今度の新しい1万円札にしても、渋沢栄一の肖像が使われるようだけれど、あの下卑た商人顔を見るだけでうんざりする。やっぱり聖徳太子が良かったなあ。

 もちろん、金や権力を得ても立派な人はいる。大抵のことには例外があって、例えばやくざでもいい人はいる。しかし、だからいってやくざを肯定的に評価できるかといえばそうはならない。金持ちも権力者もそれと同様で、全体としてはどちらも害の大きな存在になる。軽蔑するに値する。

 考えてみれば、現在の日本には金持ちや権力者を軽蔑する風潮がすっかり消えてしまったのではないだろうか。今の日本の乱れの根本的な原因はそこにあるのかもしれない。なにしろ、総理大臣が「日本で一番権限があるから総理大臣になった」と、子供の前でヌケヌケと放言するくらいだから、権力というものをひどく幼稚なレベルでしか認識していないことが分かる。

 金持ちも同じようなものに違いない。おそらく、金によって自分がいかに堕落しているかに気がついていない人がほとんどなのだろう。お粗末この上ない。金持ちや権力者は、それだけで堕落した存在なのだけれどね。中には例外もいるという程度。

 これを世の人々に理解させるのはとっても難しい。つまり、金や権力のネガティブな側面をいかに理解させるかとなると、中学生からやり直せとしかいいようがないような気もする。しかし、そんな非現実的なことを言っても仕方がない。であるならば、 " アメリカ社会を見ろ " といえば少しは通じるだろうか。

 アメリカはほぼ単純に、まるで幼稚園児のごとく金と権力を肯定する国になっている。いや肯定どころではなく、国全体がそれを目指す社会になっている。金持ちはスーパーリッチと呼ばれるようになるまで、権力者は大統領になるまで、単純に金と権力を志向する。そこには迷いも疑いもない。何もかも放り捨てて金と権力を目指す。

 その結果どのようなことになったかといえば、世界一の強国であり、世界一の経済力を持つ国になった。大成功だった。世の中を単純化して金と権力しか見ようとせず、そのようなフィールドで競うことが、とっても効率のいいことであることが証明されたようなものだ。

 しかし、何事もそうそううまい話はないのが世の常といえる。アメリカ流のやり方が限界に達し、今やそのほころびが目立つようになり、国全体が傾き始めてきた。金と権力だけに特化した社会がどのようなことになるのかは、今のアメリカとこれからのアメリカを見ることで、これ以上ないくらいによく分かるはずだ。

 ただ、残念なことに日本の知識人でそこまで視野が広くて深い人はほとんどおらず、仮に居たとしてもメジャーな存在として私たちの前に現われてくれることはない。一見すると「世の中の卑俗さとは縁がありません」みたいな顔をしている人が登場してもっともらしいことを吹聴しても、そのような人に限って金と権力にドップリはまっていたりする。

 さて、金持ちと権力者について書いてみたけれど、では、金持ちと権力者とではどちらが強いだろうか。(面白いね、こういう話。)今やアメリカでは金持ちの方が権力者よりも強くなった。一方ロシアはその反対で、金持ちよりも権力者が強い。そのことは、プーチンを見ていれば分かる。そして、国として健全なのは、今やアメリカよりもロシアになる。どういうことだろうか。

 金の威力は凄まじい。それは、厚生労働省の審議会であるワクチン分科会を見ても分かる。そこに名を連ねている高名な医者等の半数以上が製薬会社から金品を受けとっているのだからね。医者などというものは、たとえ勤務医であったとしても、現役時の私の何倍もの収入がある。生活に困っていることはない。それが簡単に買収されてしまうのだから、金の力がいかに強力か分かる。医者になる前までは大変に優秀だった人たちがそのていたらくだ。

 アメリカでも同じことが生じている。大統領をはじめとする権力者たちが、こぞって買収されるようになってしまった。そのせいでアメリカは衰退を始めたといっていいように思う。もはやアメリカの政治家は国を支配していない。大統領以下金の力に屈服してしまった。

 これは、アメリカという国そのものの価値観がその方向を向いていたことが原因だろうと思う。国中で金持ちを歓迎し、金持ちになることを推奨した結果だ。アメリカのスーパーリッチと呼ばれる人たちは、アメリカ人にとってヒーローであり、アメリカンドリームの体現者であり、目指すべき正義の存在として崇められている。本来軽蔑されるべき輩であるにもかかわらず。

 ここまで考えると、いわゆるディープステートという存在も理解できるような気がする。これまで私には理解不能な概念であり、どう定義していいやら困ってきたのだけれども、どうやら「ディープステート≒財界人≒金権を振るう者」と考えていいように思う。つまり、金の力で政治を左右する者たちのことだ。政治家は金の力に屈服するのが常であり、それは今の自民党を見ても分かり過ぎるくらいに分かる。

 つまり、アメリカでディープステートが注目されるようになった理由は、政治家よりも財界人の方が力を持つようになったからで、戦争まで財界人の都合で行われるようなった。そうなると政治も、国も、腐敗する。そして、今や岸田政権、いや自民党政権もすっかり日本とアメリカ双方のディープステートに操られるようになった。

 本来政治家というものは、国民の審判を受ける仕組みになっている。それが民主主義であり、選挙制度になる。それによってチェックを受け、誤りが修正される。ところが、そこに財界人、つまり金の力で人々を支配できる人間が入り込んできたことで、選挙制度も民主主義も崩壊してしまった。

 政治家は国民の意向を無視するようになり、金の力で自分を当選させてくれる財界の方を向き始めた。現在、岸田政権の支持率が過去に例を見ないくらい低迷しているけれども、それにもかかわらず岸田総理は涼しい顔をしている。というのも、金の力で自分を支えてくれるディープステートが何とかしてくれると思っているからだ。おそらく、個人的にも何億円、あるいは何十億円も受けとっているのだろう。もちろん超法規的な形で隠密裏に。などと想像したくなる。

 加えて、岸田総理になってから国民を冷遇することが目に余る。一番はっきり表れたのが能登半島地震被災者に対する冷たさだ。ディープステートがバックに付いている岸田総理にとって、能登半島の一つや二つどうなろうが関係がない。金の無駄としか感じていない。

 その他増税あるいはステルス増税に関しても、国民の批判をよそに平然としている。いかに嫌われようが屁の河童なのだ。ディープステートさえ付いていてくれていれば、鬼に金棒だと高を括っている。

 今のロシアは、昔のソ連とは違ってとってもうらやましい国になったように感じる。なぜなら日本やアメリカとは違って、プーチンがディープステートに、つまり金の力に操られていないからだ。プーチンは自国の方を向いており、自国のために政治をしている。

 ロシアも、1990年代はアメリカ資本に牛耳られて、死ぬや生きるやの大変な思いをした国だった。平均寿命が10歳も短くなったなどといわれている。そのくらい、アメリカ資本が入り込んで、ロシアの富を全部さらって持ち去り、ロシア人が寿命を全うできないくらいの貧困に追い込んだ。今の日本は、岸田総理というめったに現われない愚鈍な宰相の下で、同様の路線を走りつつある。


 


 プーチンはどのようにしてディープステートを撃退したのだろうか。一つにはアメリカがやり過ぎたということがある。いくら何でも飢え死にする人が現われるくらいまで虐待するのでは必死の反抗を促してしまう。窮鼠猫を噛むの例えのとおりだ。


 


 もう一つは、ロシア人が賢かった。プーチンを中心としてまとまり、合理的、計画的に、着々とアメリカの支配から脱しようとした。何度も何度もシミュレーションを重ね、反撃の方法を練り上げていったのだろう。


 


 その過程でおそらくロシアは気がついたに違いない。アメリカという国が張り子の虎であることを。プロパガンダが得意な国であるけれども、中身はスカスカで見るべきものがない国であることを。


 


 その結果が一挙に現われたのが、今回のロシア・ウクライナ紛争になる。アメリカはロシアを完全に見くびっており、簡単にやっつけられると予測して戦争を挑発したが、やっつけられたのは自分たちだった。


 


 なぜアメリカがそこまで弱かったかといえば、それは依拠するところが、つまり頼りとするものが金であるためだ。上記したように金の力は極めて強力で大抵のことを実現できる。ただし、金で作られた結びつきは「金の切れ目は縁の切れ目」という言葉があるように脆弱だ。


 


 世の中には金で作られた結びつきよりも、権力で作られら結びつきよりも、ずっと強い結びつきがあり、それは精神的な結びつきになる。精神的な結びつきといっても、「金色夜叉」のように金で簡単に断ち切られるものもあるが、正義に根ざした精神的な結びつきは、正義を無視して金で作られた結びつきよりも強い。そのせいで、NATOは惨憺たる有り様だ。


 


 ロシアに比べると日本人は情けない。80%もの国民がアメリカにだまされるがままにワクチンを接種した。おそらく、アメリカに日本の富が何百兆円も渡っていることにも気がついていないのだろう。そのようなことでは、仮に日本にプーチン的な政治家が登場したところで、潰されておしまいになる。

 それにしても、日本人の鈍さは手に負えない。ワクチンで日本人が何十万人も殺されたのは、アメリカが主犯なんだけどな。同じことをアメリカにして返せとまでは言わないけれど、せめて距離を置くくらいはするべきだ。安倍元総理を暗殺したのだってアメリカでしょ? それなのに日本人と来たら、殴られれば殴られるほど近寄り、しがみつこうとする。頭がおかしい。少しは考えてはどうかと思う。



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国体論 1

まるっきり何の腹案も無い状態で、「書きながら考えていく」つもりだが、考察のテーマは「国体論」である。この言葉が右翼的なら「理想政体論」と言ってもいい。ただし、プラトンの「哲人政治」が理想政治であるのは今さら言うまでもないが、実は「哲人政治」は偶然にしか生じないもので、それをシステム的に恒常化させる秘鑰(秘密の鍵)は無いか、というのがここでの考察の目的だ。漠然とした予感だと、それは「鎖国」と「権力と権威の両立」という、私の前々からの思想に行きつきそうな気がするが、できるだけ誠実に、嘘をつかないように考えてみたい。

なぜ、そういう予感がするかと言えば、世界の歴史上、日本ほど平和に治められた(流血が極度に少ない)国は無いと思うからである。その理由が、「鎖国」と「天皇と政治の分離」にあり、日本の最大の歴史的失敗である太平洋戦争は、「天皇の神格化と権力化」が原因だったと思うからである。
つまり、神格化とは「権威」であり、それが同時に政治権力の中心になった時に、「誰も止められず、後戻りができないシステム」になったと私は考える。いわば、「明治政府による天皇利用」が最悪の結果を生み出したのだが、それはまた、明治維新後の日本の近代化に見られるように、失敗するまでは最高の結果を生み出すシステムでもあったのだ。
この、「権威」と「権力」の最良の関係は、現在の日本国憲法の『象徴天皇制』ではないかというのが私の現在の予感だが、そう結論する前に、少し立ち止まって考えてみる。そもそも、現在の「象徴天皇制」の下で、自民党の悪辣な政治私物化が行われ、国民を虐げているではないか。では、どこに問題があるかと言えば、言うまでも無く、「権力」の中心がアメリカの、特にDSにあるからだというのは誰でも気づくことだ。だが、それは「事実をすべての人の目の前に出せば、太陽の前の吸血鬼のように塵となって消える」存在かもしれないのである。あるいは、「金融資本主義」という経済システムを正常化すれば、DSは無力化するかもしれないのである。


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