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消費税ではなく軍事問題で日本崩壊?

「ネットゲリラ」から編集して転載。
こういう「予言」の話は好きなのである。まあ、野次馬氏の言う通りで、ベンジャミン・フルフォードのお仲間だというだけで、推して知るべし、だろうが。


(以下引用)




日本は24時間以内に、重大な危機に陥る

野次馬 (2013年10月 1日 14:14) | コメント(0)



ロンバードという「予言者」がいるんだが、ベンジャミン・フルフォードのお仲間だというので、推して知るべしなんだが、「明日の午前6時までに、日本に軍事的な問題で危機が訪れる」と予言しているそうで、ところでこの人のTwitterのページを見てみると、猫を抱いたデブが写っているんだが、



ロンバード氏:日本は24時間以内(明朝6時くらい)に、重大な危機に陥る。軍事的な崩壊が起きる。

ロンバード氏:今世界は重大な危機に瀕している。今晩には、多くの真実が明らかにされるだろう。


やはり悪役というのは、膝に猫を抱えて地球滅亡をたくらんでいて欲しいですね。





【緊急速報】 ロンバード「24時間以内に日本に重大危機、軍事的崩壊」ぎゃあああああああああああああ 



119 ミッドナイトエクスプレス(埼玉県) 2013/10/01(火) 09:43:31.95 ID:P1YQgSP60

何も無かった場合のことを考えないのかな
信頼、信用、全て失うのに

120 ヒップアタック(dion軍) 2013/10/01(火) 09:47:53.24 ID:CIGDB0wo0

>>119
私が問題の解決に尽力して危機は回避できました

129 ラ ケブラーダ(やわらか銀行) 2013/10/01(火) 10:26:15.56 ID:5IudPteC0

ロンバード「日本は7月から2、3ヶ月のうちに自然災害で崩壊する」
ロンバード「台風とか地震とかいつものことじゃん、とか言うなボケ!ちげえんだよ!」
ロンバード「日本人はいつもそうだよな、お前らのん気だな!今回は違うんじゃ!」
ロンバード「日本人よ、俺の話を聞け!逃げろ!」
自分のお国・アメリカで大洪水に山火事とシリア空爆非難でCNNjが祭り
ロンバード「災害はなかったね、ごめーんねw質問は受けるよ」→更新なしで逃亡w 



147 チェーン攻撃(dion軍). 2013/10/01(火) 10:54:03.18 ID:mazRus3m0 >>141
いよいよ岡山か福岡が首都になるのか・・・胸アツ


153 ハイキック(東京都) 2013/10/01(火) 11:02:51.95 ID:SjYb3XuX0 >>141
見たらただの放射脳の人だったw
これ以前にも「危機管理会社」が登場してて警鐘鳴らしてたww


(注)下の記事のことだろう。


ttp://twitter.com/Casey_Matsuoka/status/384827028538552320
危機管理会社より緊急連絡があった。
アライアンス企業の従業員と家族に対して 関東・東北地方への渡航自粛が要請された。
これまでは関東へは宿泊出張自粛だったが 渡航そのものの自粛要請が出た。

ttp://twitter.com/Casey_Matsuoka/status/384827559378026496
関東地方での商談等はすべて本日以降は キャンセルとなる。

ttp://twitter.com/Casey_Matsuoka/status/384828374339686400
合わせて危機管理会社からの通達の中には 東海・関西以西に避難または居住中のアライアンス企業従業員と家族向けに
1週間分の食料および生活必需品の確保と 国外退避の手順の再確認が要請されている。







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「あまちゃん」の感想

「トリ猫家族」から「あまちゃん」最終回の感想。
私はテレビ番組を録画して見る習慣が無いので、「あまちゃん」はできるだけ見てはいたが、見逃すことも多かった。
しかし、下に書かれているように、「あまちゃん」は、NHKの朝ドラの中の歴史的傑作だと思う。脚本、演出、俳優、音楽から小道具の一つ一つに至るまで、作る側の愛情と熱意に溢れた、奇跡のコラボレーションと言うべきだろう。
私としては、ぜひ、これから半年間、今の朝ドラとは別枠で「あまちゃん」再放送をしてくれることを期待したい。
なお、見る前から悪口を言うのも何だが、次回の朝ドラの「ごちそうさん」にはまったく期待していない。予告編での印象だが、主人公をやる杏の表情が気持ち悪すぎる。まあ、見てみれば意外と大傑作であった、とならないとも限らないが。




(以下引用)




 いや~終わってしまいましたね・・・
いい最終回でした。
最初から最後まで、どの回も、どの週もすばらしかった。

 一人一人が個性的だけど、見事なハーモニーを感じさせてくれた魅力的な登場人物達。
彼らが放つ、テンポが良くて、時に含蓄を感じさせる味わい深いセリフが忘れられません。
分かる奴だけわかればいい的にあちこちに忍ばせた小ネタと伏線。
私なんて、ほとんど気づかなくてツイッターで教えてもらうことが多かったけど、それもまた楽しかった!
てか、クドカン、ぶっこみすぎだよ!

 挫折と再生、それぞれの苦悩と成長を、突飛とも思えるストーリー展開で飽きさせることなく魅せてくれました。
故郷、親と子の愛、友情、夢、陰謀、運命の残酷さ・・・深刻な場面でも、いつもそこには笑いが織り込まれていた。
でも、笑った後に必ず何かが残る。
その粒粒が心の中に残って、静かにはじけだす。
クドカンマジックは朝ドラという枠の中でも健在だったよ。

 朝ドラには魔物が住んでるというからねぇ~最初は心配しましたョ。
でも、始まって見たら、もちろん杞憂とわかりました。

 『あまちゃん』は朝ドラ史上、最も愛された多くの人の心に残る作品となりました。
クドカンの朝ドラは、あくまでクドカンらしくありながら、朝ドラの基本に立ち返らせてくれるものでもありました。
その舞台に思いをはせ、そこで生きる人々を身近に感じ、応援し、行ってみたい場所にさせてくれる。
毎日決まった時間に始まる、必ず続きが見たくなる、生活に密着した15分のドラマ。
小さい頃の朝ドラを見ていた時のワクワク感が蘇りました。

 どの場面も愛おしい。
登場人物と共に生きることができた6ヶ月間、本当に幸せでした。
そうそう!一曲一曲丁寧に、『あまちゃん』の世界観を表現し創られた大友良英さんの楽曲は最高でした。
ぴったりと寄り添い、キャラクターと場面を力強く、そして美しく支えてくれたと思います。

 スタッフとキャストの皆さんのすばらしい仕事の成果、堪能させていただきましたョ~。
ありがとうございました。

 続編を希望する声も多いでしょうが、私はアンコールの声はあげません。
『あまちゃん』は、今の登場人物たちの誰が欠けても成立しないと思うし(欠けるの前提かよ ゞ( ̄∇ ̄;))
(だからスピンオフは私の中ではなし)、9月28日の最終回で完璧に終わらせてもらったと思うから。

 最後にフレッシュな魅力でドラマを引っ張り続けてくれた能年玲奈さんに、心からの拍手とエールを送りたいと思います。
次の作品が楽しみです。






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フリー(無料)エネルギーは最初からある

「zeraniumのブログ」から転載。
実は、ほとんどの人の気づいていないフリーエネルギーがある。
それは、「太陽」そのものである。
太陽は光を与え、熱を与える。
太陽が無ければ、生命は存在しない。
その太陽が隠れる夜は、休息すればいい。昼の間の余熱が、夜の間も生命を守ってくれている。その余熱を保つのが水であり、水はまた生命維持に不可欠だ。空気もそうだ。
つまり、太陽と水と空気、これが生命維持の条件である。
人類を中心に考えるならば、それに植物の存在がある。植物によって生命の循環系が作られる。動物は植物によって生かされている。
石油も原子力も、人類や生命にとって本来は不要な(つまり、必要以上の)熱や光を産み出すだけで、その代償は生命に絶対的に必要な空気と水の汚染である。
下記記事について言うならば、おそらくここで言われるフリーエネルギーとは、「生活に便利な装置」を動かすためのエネルギーが想定されている。だが、そうした「便利さ」の代償が、地球環境の破壊だったという視点も必要だろう。
夜には休めばよい。
雨が降れば休めばよい。
つまり、太陽が休んでいる時には、人類も休めばいい。それで、人類の欲望肥大から来る闘争の大半は不要になる。
人類には、それができるだけの文明の蓄積がもはやあるはずだ。
太陽と、水と空気、それで十分だ。
我々は原発だけではなく、電気やガスに依存し過ぎた生活そのものを見直すべきではないだろうか。
と言いながら、この記事をパソコンで書いている私は有言不実行ではあるのだが、まあ、日が暮れたら寝る、という生活はしている。(笑)そして、パソコンが明日無くなっても、私はべつに気にしない。そうすれば、落ち着いて読書ができるようになるだろう。本が無くなっても気にしない。今は心が騒がしくてまったくやる気のしない楽器を習い、下手な書道をし、余暇を楽しむことができる。まあ、江戸時代の生活に戻るだけのことだ。


(以下引用)


フリーエネルギー装置を手に入れよう
   私たちがこうして息を吸っている空気中には、実は無尽蔵のエネルギーがあります。
   ですから新しいエネルギーとして、空気中から無尽蔵に取り出せるフリーエネルギーと、宇宙エネルギーがあります。私たちのこれまでのエネルギーである電力やガス、石油などがこうしたものにとって替わると、人間の生活スタイルだけでなく、考え方などの心の深い部分においても深層意識までが一変してしまうでしょう。
   フリーエネルギーについては、すでに多くの文献や研究などが発表されており、そうしたホームページなどでも情報発信されています。フリーエネルギーの先駆者とも言える人物に、クロアチア生まれの天才的な物理学者ニコラ・テスラがいます。彼は今から100年以上も前に、そうしたエネルギーを世界中に送れるテクノロジーを開発していました。もし闇の組織によってそうしたテクノロジーが取り込まれ、隠蔽されることがなかったならば、今頃人類の生活はどんなにか変わっていたことでしょう。
   ニコラ・テスラは、宇宙からそうした情報を得たと言われています。
   空気中のフリーエネルギーを取り出すためには、発電所も送電線も不要です。つまりどこでも家庭用の小型の装置があるだけで、地球上のどこででもフリーエネルギーが使用できるのです。最初に小さい小型の箱ほどのフリーエネルギー装置を買い求めるだけでよく、燃料代は一切かかりません。さらにそうしたものを利用して、砂漠を緑化していくことも可能で、都市と都市を結ぶ輸送機関や交通システムも、従来のものから劇的に、革新的に変わっていくことでしょう。
   それぞれの家庭や職場にフリーエネルギー発生装置を置くことで、これまでのようなエネルギー供給のための設備投資や、公共事業は必要ありません。そして当然、危険で問題の多い原子力発電所も不要になります。現在の富む者と貧しい者といった格差を生み出しているのは、一部の人々がそうしたエネルギー利権を握っているからであり、そうした格差をなくするためにはフリーエネルギーのテクノロジーを公開することです。
   しかしそれをすると、人類をエネルギー利権によって支配してきた体制を手放すことになります。だから一握りの権力者にとってそれは阻止しなければならず、そのためにすでにあるフリーエネルギーの発明には特許が与えられなかったばかりか、そうした発明はこれまですべて潰されてきたのです。それをしているのも、ニビルの子孫で秘密結社組織イルミナティです。
   今、世界各地で、個人発明家や企業家などが、どんどんフリーエネルギー装置を作り始めています。アメリカ・ネバダ州ラスベガスの女性議員シェリー・バークリーは、フリーエネルギーに関する特許の機密解除を求めて立ち上がっています。米国だけでも封印されている特許は約3000件に上ると言われています。
   スイスのリンデンはエメンタールチーズで有名な小村で、メテルニータ・コミュニティと呼ばれていますが、ここではすでに早くからフリーエネルギー・モーターを使用しています。米国フロリダ州オーランドにある、ゼネラルモーターズ社の持ち株会社であるGMCホールデイングスが、2004年7月にフリーエネルギー・モーターを開発しています。
   ロシアでは、シベリア地方の緊急災害対策用に、フリーエネルギーマットを開発しており、すでに国民に配布しているという情報もあります。そして実はフリーエネルギーの研究をしている人は、日本にもたくさんおり、特許もすでに百数十件下りていると言います。しかし特許は下りていても、実用化されていないものも多いのです。

   日本ではかつてKモータースがフリーエネルギー装置を作りましたが、そこの社長が忽然と姿を消し、未だに行方不明だと聞いています。Kモータースが発明したのは、空気中からフリーエネルギーを取り出す装置であり、特許庁の人によると、十何年も前に発明されたものだそうです。

   これからいよいよ、フリーエネルギー装置が家庭で使えるほどに、安価な金額で手に入るようになります。こうしたものが実用化されていくことに、世の中全体が従わざるを得なくなっていくでしょう。こうした動きは、もう止められないのです。私たちは、すでに実用化されているフリーエネルギー装置をどんどん使うことで安くし、早く普及させることなのです。

   公共事業をあてにして文句を言うよりも、自分のことは自分で守る、エネルギーも自前でまかなおうとみなが考えるようになれば、フリーエネルギーは急速に普及するはずです。つい最近ですが、1万5000円程度で発電できる装置があるということを聞きました。普通の家庭であればこれで十分だそうです。エネルギー革命は国に対して叫ばなければならない問題ではなくて、自主的に手に入れて使えばいいのです。そういう時代がすでに目の前に来ているのです。


                 『宇宙人の告白』 田村珠芳著 TO文庫

                            抜粋

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預言者二人会えば、笑う

昨日、少し触れた「ビッグバン説」「相対性理論」が西洋の学界では疑われつつある、という話は、下記記事(「zeraniumのブログ」)で知ったものだ。引用されたコシノケンイチという人は、おそらく日本では「トンデモ論」者扱いだろうと思うが、他人の思想を「トンデモ論」扱いする人間の方がむしろ体制的思想の奴隷であることが多い。私の直感でも「ビッグバン説」はまったく信じられない。宇宙が無から生じ、それがどんどん膨張して現在のような巨大な姿になったなど、ユダヤ教の「ヤーヴェによる天地創造」に類したお伽噺にしか思えない。相対性理論にしても、光の速さを超える存在はありえない、となぜ言えるのか。それは、そう仮定することでいくつかの現象の説明がうまくできる、というだけの「仮定」でしかないはずだ。それならば、地球の周りを太陽や星が回っている、という天動説で見かけの現象がうまく説明できるのと、何も変わらないだろう。
まあ、細かい話は「専門家」しか分からないので、専門家がそう言うからそうなのだろう、と世間の人々は信じ込むわけだが、後になって実はそれは間違いでした、という話は無数にある。で、ビッグバン説も相対性理論も間違いでした、ということになっても、世間は「ああ、そうですか」で終わりになるのだろう。そして、「専門家」たちは、しゃあしゃあと次のネタに飛びつき、商売をしていくのである。
リラダンの或る作品の冒頭に、「預言者二人会えば、笑う」というエピグラム(警句・風刺詩)の引用がある。つまり、預言者(予言者でもいい)は、自分が詐欺師だと知っているから、相手もまた詐欺師であることがすぐに分かり、お互いに笑い合うわけである。



(以下引用)




祝 ホーキング「ビッグバン理論」崩壊!




   現代宇宙論の最先端であったはずの「ビッグバン」理論は、すでに確証されたかのごとく日本の教科書にも載せられている。しかし実はビッグバン理論は今やその基本から大きく揺らいでおり、それだけではなく、近代物理学のバイブルとされてきた「アインシュタイン相対性理論」も同じく、崩壊の危機に立っている。

   周知のように「アインシュタインの特殊相対論」とは、光の速さを超える存在は絶対に許さないというのがその基本である。つまり光よりも速いものはあり得ないとする理論である。しかし最新の実験結果では、超光速は自然界の普遍的な現象と確認されており、すでに光速の1・7倍という数値まで出されているのである。

   いまや欧米の科学界では、「GO TO HELL BIG BANG―打倒ビッグバン」の声が挙がっているが、なぜか日本ではそうした議論はまったくない。本書はこうした日本の閉塞的ともいえる現状に危機感を覚え、今や世界の宇宙物理学の趨勢(すうせい)はどうなっているのかを、1人でも多くの人に知ってもらうために書いたものである。日本人は保守的性向が強いと言われているが、中でも日本の学術的な分野における閉鎖的で保守の姿勢は、世界においても比類ないものである。つまり外国ではすでに周知のことであるのに、日本では一般の人々に正しく伝えられていないケースがさまざまに存在するのである。

   これから述べる世界的な概念変化の「うねり」は、いくら無視して拒否しようがそれができないまでに、極限にまで大きくなってから日本にも押し寄せてくることになる。その結果、その勢いは一挙に考え方の転換を求められることになるだろう。こうしたことは、現行の偏差値教育の中で表面的なことだけを鵜呑みにすることを強要される今の時代、特に勉学途上にある若い人々には危険な傾向となるだろう。

   それでも欧米のビッグバンクラッシュ(大恐慌)の一端は、徐々にではあるが日本にも紹介されるようになってきた。それらの一つがアメリカの新鋭科学ジャーナリストのエリック・J・ラーナー著『THE BIG BANG NEVER HAPPENED』(邦訳『ビッグバンはなかった』河出書房)や、「ホーキングの宇宙」をベストセラーにしたアメリカの著名な科学評論家ジョン・ボスロウ著『ビッグバン危うし』(邦訳は講談社)などである。

   イギリスの科学誌『ネイチャー』はすでに1989年8月号に、「くたばれビッグバン」(Down with the Big Bang)というタイトルで論説を掲載している。(略) また1991年1月のワシントン・ポスト紙の見出しには「ビッグバン論理は破産」とあり、宇宙が爆発して誕生したという概念にもとづくビッグバンは「死んだ」とはっきり述べている。etc・・・。

   すでにかなり以前から、こうしたビッグバンや相対性理論への疑問が起きているが、しかし欧米と日本とではそうした実情にかなり差のあることがわかると思う。その一つの証拠として、いまだに日本の科学雑誌の見出しは、ホーキング、アインシュタイン、ビッグバン宇宙論のオンパレードなのである。こうした状態がなぜ未だに続いているのだろうか? マスコミが現状に無知なのか、それとも意識的にこうした情報を遮断して操作しているのか私は知らない。

   要因として言えることは2つあるが、1つは日本のマスコミには、前述したラーナーやボスロウのような真の科学を知る評論家やジャーナリストが存在しないことである。しかもそこにあるのは、ただ与えられたものを「学ぶ」という姿勢だけのようである。日本人は「権威」と「科学的」という言葉に非常に弱く、それはたとえると「水戸黄門の印籠」のようである。それは主流から逸れているものを異端論として排斥する態度として表れ、そのゆえに少々偏向していても「科学者の言うこと」なら無批判に信じ込んでしまうという歪みとなって表れる。現在ほど真の科学ジャーナリストの出現が、マスコミに求められる時代はないだろう。

   もう1つは、教科書をはじめNHK科学番組などの主要なマスコミのすべてが、学界の主流と言われる大学教授や科学者たちに牛耳られていることから、彼らが指導してきたことに反するような情報は遮断されてしまうことにある。当初、宇宙探査衛星COBE(コービー))によって発見された「ゆらぎ」は、ビッグバンを証明するものとCNNなどによって報道されたことがあった。しかしその直後、「それはとんでもない誇張であり、むしろCOBEの観測結果はビッグバン否定の証拠になりうる」と大きく報道された。しかし日本では完全に無視であった。

   しかも驚くことにそれによって、「COBEの観測結果によってビッグバン理論がますます確固たるものになった」、と教科書に掲載される予定だというのだ。しかしある情報では、文部科学省も欧米におけるビッグバン理論崩壊の現状を無視できなくなり、ひそかに、「ビッグバンは宇宙論の仮説の一つ」としてランク下げの指導が行なわれたという確かな情報もある。それが教科書に掲載されるまでには5年のタイムラグがあることから、そうした態度はまことに心細い限りである。

   すでに世界の趨勢は、「ビッグバンはなかった」に傾いており、ビッグバンは20世紀の天動説にも匹敵するほどの大錯誤のようだ、と欧米の科学者はパニックに見舞われている。1986年のその日、ハーバード大学教授でスミソニアン天体物理学センターの宇宙物理学者でもある、マーガレット・ゲラー女史の革命的ともいえる研究発表がプリンストン大学において行なわれた。ゲラー女史の講演テーマは、同僚のジョン・ハクラとの共同研究による「宇宙の大規模構造(のちにグレートウォールと呼ばれる)についてだった。

   会場には大勢の物理学者が来ていたが、そのほとんどの人がゲラーたちの研究結果を頭から疑っている理論宇宙科学者で占められていた。なぜなら講演内容が、従来のビッグバン宇宙論からは考えられないようなことであったからだ。講演が始まってゲラーが順次掲げて見せる宇宙の銀河図には、彼らが見出した宇宙の大規模構造が明瞭に描き出されていた。それは浴槽に石鹸の泡が重なっているようでもあり、あるいは規則正しく配列された巨大な蜂の巣のような構造にも見えた。

   それは今まで誰も予想していなかった、奇怪な宇宙の銀河構造マップともいえるものであった。そのときビデオモニターの音が会場に響き渡り、コンピューター処理された銀河集団の立体マップが大スクリーンに映し出された。画面には数多くの銀河が浮かび上がり、それらの銀河集団の全体は軸に沿って動き、回転し始めた。それを見ていた大勢の宇宙科学者たちは、まるで自分が広大な宇宙空間を宇宙船に乗って眺めているような気分になった。なにしろ1つの銀河だけであっても、我々の太陽と同じ恒星が1000億個~2000億個も存在しているという集団なのである。

   このビデオを私も入手しているが、さすがによくできている。
   見ていると泡状に集合した銀河が画面に現れては消えてゆき、その泡の内部には何もない巨大な空間が延々と広がっている。講演での上映は5分くらいの短い時間であったが、この光のショウが終わると会場は喝采に包まれ、それまではゲラーたちの研究を疑っていた人々の誰もが呆然として声も出なかったという。その大勢の聴衆の中には、宇宙について多くの著書のある著名なジム・ピープルズという理論家もいたが、後にそれについて述べている。
   「マーガレットの研究発表は、我々のような疑い深い者たちを一網打尽にした。
    宇宙の対極的な分布には、規則正しく配列された泡のような構造が確かに存在するということだ」

   しかし問題は、ゲラーたちが調査した宇宙の領域は、宇宙全体のほんの0・001パーセントに過ぎないことだった。彼らも自分たちがごく小さな領域しか調べていないことを認めながらも、それでも予想しなかった宇宙の大規模構造が発見されたことを確信していた。

   「現在の宇宙モデルには、基本的な何かが欠けています。
    なぜならビッグバンのパラダイム(枠組み)では、こんな大きな構造ができないからです」と。

   ビッグバン論者たちにとって幸いだったことは、ゲラーとハクラの科学者の2人ともが以前からビッグバン説を支持していたことである。しかも彼女たちは将来、自分たちの発見がビッグバン理論を根底から揺るがすことになるとは思ってもみなかったのである。ゲラーの発表はたちまち理論物理学者たちの間に広まっていった。特に宇宙理論家たちはこの発見に仰天した。なぜなら数学的な優美さで構築されていたビッグバン宇宙論に対する、公然の侮辱及び挑戦と受け取られたからである。

   しかもビッグバン論者にとって都合が悪かったことは、ゲラーが発表した銀河マップは、径が4億光年ものボイド(泡)を持つ巨大な蜂の巣構造全体のほんの一部にすぎない、というのでなおさらであった。それに彼らの発表した宇宙図に延々と連なって集合する蜂の巣構造を見れば、ビッグバン理論のいう宇宙膨張どころの話ではなく、それも宇宙全体の一部分かどうかさえもわからないのである。

   彼女たちの得た証拠はそれまでの宇宙論全体を大きく揺るがすことになり、特にビッグバン理論には致命的ともいえる打撃を与えることになった。ビッグバン説によれば、宇宙が誕生したのは今から150億年前とされている。しかしゲラーたちが見つけ出した宇宙の大規模構造が形成されるには、少なく計算しても600億~1000億年もかかることが分かったからである。(図1)

   しかしこの巨大な矛盾に対し、無視の姿勢を貫こうとしている保守的な科学者たちを、エリック・J・ラーナーは著書『ビッグバンはなかった』で揶揄している。それは日本流にいえば、建築後1年という不動産屋の言葉を信じて買った家の屋根裏から、なんと死後10年も経た猫の死骸が出てきたわけで、これではびっくりするなというほうが無理である。この不動産屋が「ビッグバン理論」であり、死後10年を経た猫の死骸がゲラーたちが発見した「グレートウォール」である。こうなると我々は半世紀以上にわたり、ビッグバンを売り物にしてきた悪質な不動産屋に騙されていたことになるが。

   宇宙は3つのスケールに区分されよう。
       1 太陽系宇宙
       2 銀河系宇宙
       3 銀河系外宇宙

   我々の太陽系は地球や火星などの惑星が太陽を中心に周回し、それらの惑星の多くは同じように月のような衛星を引き連れている。ゆえに太陽系とは、子どもである惑星や孫の衛星を引き連れた、太陽をゴッドファーザーとする一大ファミリーだといえる。そしてこのような太陽という恒星が1000億から2000億個集まり、渦状で回転しているのが2でいうところの銀河系宇宙であり、それは全体の形から渦状星雲とも呼ばれている。天文学用語には暗雲星雲と呼ばれるものもあるが、意味もスケールも異なるので注意が必要である。

   我々の銀河系一つに1000億から2000億個の太陽が存在する!
   いったい1000億個もの太陽が、どのくらいの割合で地球のような惑星を伴っているのかは現在のところはわからない。最近のNASAの発表によれば、我々の太陽系に近い7つの太陽(恒星ともいう)に惑星系が発見されたといっている。ちなみにわれわれにもっとも近い太陽系は、4・3光年先のアルファ・ケンタウリ星系である。

   今世紀の始めにおいて、我々の宇宙への考え方は太陽系とその周辺くらいの範囲であり、それまでただ望遠鏡でボヤッと見えていた光が、実は膨大な星の密集した他の銀河系であると判明してから、宇宙の驚異的なスケールがしだいに顕わになってきた。今では1000億個~2000億個もの銀河の存在が確認されているのである。我々の銀河一つだけでも1000億個以上の太陽が存在する。しかもそのような銀河系が1000億~2000億個も存在するのである。

   こうした膨大な数の銀河が存在するスケールを考えると、知的生命体の存在は地球だけであるといったような一部の科学者の考え方が、いかに閉鎖的で独断と偏見にきわまるものであるかがわかるというものである。


        祝 相対性理論崩壊
   

book『ビッグバン宇宙論は根幹が間違っていた』 コシノケンイチ著 ヒカルランド

                            抜粋 





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あんたの子供を信じなさい♪


「日経ビジネス」所載、「とり・みきの『トリイカ!』」より、抜粋転載。



私も「はだしのゲン」は絵柄が苦手で読まなかった方だ。それに、原爆の悲惨さを訴えた漫画というのも、漫画を娯楽としか思っていない子供には、敬遠の対象となったわけである。だが、そういう「教育漫画」も、漫画の一つのジャンルとして、必要なものではある。また、悲惨な内容を語っていても、その高い文学性で読み手に感動を与える作品は多い。ある漫画家は、手塚治虫の最大の功績は、漫画に「悲劇」を持ちこんだこと(言いかえれば、子供っぽい娯楽を「文学的なドラマ」のあるものに変えたということ)だ、と言っている。まあ、一流の漫画の中には杉浦茂のような無邪気なナンセンスもあり、悲劇性やドラマ性だけが高度な文学性としてもてはやされるのも困るが、悲劇も現代漫画の一要素である、というのは今さら言うまでもない。



さて、下記記事は現役漫画家の発言だが、



 



「自分の経験からいえば、そもそも子供は誤解や誤読をしながら、あるいは大人から見れば不健全な興味から作品に入るのだ。そうして年月をかけて学習をし、ここは正しくここは間違いだった、などと吟味しながら、それでもなぜ自分がその作品を好きになったのか、を突き止めていくのだと思う。」



 



という言葉がすべてだろう。世間の「有識者」たちや、親御さんたちは、この言葉をよく考えることだ。要するに、古い歌だが、「一言文句を言う前に、ほら先生よ(親父さん)、ほら先生よ(親父さん)、あんたの生徒を(子供を)信じなさい、ほら信じなさい、ほら信じなさい」ということである。(歌詞は、うろ覚えであるが)



 



 



(以下引用)



 



現在、閉架問題で話題になっている作品は、既に高校生になっていた73年の連載開始であり、個人的には洗練された新しいマンガ表現に夢中になっている時期だったので、正直その一時代前の泥臭い作風だけで敬遠してしまうところがあった。



 だが、好きか嫌いかでいえば、けっして好きではないその作画や表現の異様さが逆に気になってついつい読んでしまうのだ。誤解を恐れずにいえば、内容以前に異形のモノへの興味が先行した形になる。これもまた一種の作品の力ではある。



 閉架問題そのものについては、私はあまり語る言葉を持たない。
 このコラムでしばしばとりあげる「私は私を会員にするようなクラブには入りたくない」のメンタリティからすれば、学校の図書館に率先して置かれるようなマンガは、私は最初からあまり読みたくないと思うからだ。



 しかし「無垢の子供に誤解や悪影響を招く」といった文言、あるいは逆に「いや子供はちゃんと真実を見抜いている」というような文言を見ると、どちらにもちょっとした違和感を覚える。



 自分の経験からいえば、そもそも子供は誤解や誤読をしながら、あるいは大人から見れば不健全な興味から作品に入るのだ。そうして年月をかけて学習をし、ここは正しくここは間違いだった、などと吟味しながら、それでもなぜ自分がその作品を好きになったのか、を突き止めていくのだと思う。



 それにしても今年の夏は、地上波で放送される戦争関係のドキュメントがちょっと少なかった印象だ。去年までNHKでやっていた「証言記録 兵士たちの戦争」が今年はあまり流されなくなったせいもあるかもしれない。



 お盆の時期くらい、我々はもっと死者の声を聞いてもいいと思う。
 生きている人間のくだらないクレームよりも。



 


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電磁域としての自我と思念

「zeraniumのブログ」から記事の一部を転載。チャネラー シェラドン・ブライスとか言う人の文章らしい。
私はチャネラーと自称する連中の大半は詐欺師だと思っているが、下記の文章には面白い発想があるので、備忘的に転載しておく。
つまり、我々の自我(「自分」という意識)の本体は、脳ではなく、記憶であり、記憶は「電磁域」内にある、ということだ。この電磁域を「オーラ」と言うと途端に話がいかがわしい感じになるのだが、実際、オーラとは電磁域とそう異なるものでもないだろう。それをやたらと神秘的な感じで言うから、逆に誰にも信じてもらえなくなるのだ。
パソコンを考えれば分かるように、記憶(記録内容)とはソフト(の中身)であり、ハード(記録媒体)のことではない。ならば、我々の脳がただのハードに過ぎないことは自明だろう。そして、その脳に記録されたものを我々自身が自由に変更できないことは、我々に本当に自由意思があるのか、という哲学的な大問題につながっていく。つまり、我々は自分が考えていることに、ある程度の道筋をつけ、コントロールすることはできるが、それをコントロールしているのが本当に自分なのか、あるいは他の何者かなのかは最終的には分からないのである。
そういう面倒な話はいい。
話のポイントは、我々の「電磁域」は、他の電磁域からの影響を常に受けている、ということだ。これは電波の混戦が容易に起こることを考えれば、納得できるだろう。そして、人間の生命活動とは結局は電子の活動であることは明らかである。(危篤の患者の心臓の脈拍が電子的に画像化できるのをイメージすればよいだろう。つまり、人間とは有機的ロボットなのである。)ならば、下記文章の説は、筋が通っている、と私には思える。
私は最近、夢を見ることが多いが、起きると肝臓のあたりに疲れを感じていることが多い。「夢は五臓の疲れ」と、昔の人はうまいことを言ったものだ。最近は「唯脳論」とやらで、やたらと脳の優位が説かれてきたが、脳とは身体全体の記憶、あるいは身体全体の情報を可視化(意識化)する情報端末程度のものではないか。もちろん、そこには情報加工のシステムが存在しているのだが、フロイトの言う「無意識」の領域は、脳にではなく、「オーラ」の中にあり、しかもそれは日夜、他のオーラ(そこには動物や植物のオーラも混じる、というのも可能性として考えてよい。)の影響を受けている、という考えは、「電磁域」としての記憶という考えとともに、今後、新たな人間論の一つの土台にもなりうる考えだと思う。
我々が他のオーラの影響を常に受けている、というのは、嫌いな人間が傍にいると我々の心がひどく憂鬱になる、という一事でも理解できそうだ。もちろん、それを嫌う自分自身の心に原因がある、とも言えるのだが、実際に他者の持つオーラの影響を受けている、という考えもなかなか面白い、と思うのである。もちろん、オーラという言葉を使うまでもなく、我々は自分の好きなものに取り囲まれていれば愉快な気分になるし、嫌いなものが身近にあれば不愉快になる、というだけの話としてもいいのだが。





(以下引用)





心臓だけでなく肝臓もまたこの時期には、何かと問題が起きてくることが多いのです。優しくしてあげることです。疲労感で頭がボンヤリして、何にも集中できないこともあるでしょう。何か宙に浮いているようで変になりそうだと感じたり、何を考えていたのか思い出せなかったりするので年齢のせいかと思ったりするでしょう。でもそれは年齢とはまったく関係ないのです。

   そのわけとはこうです。
   あなた方は記憶とはすべて頭の中に保存されていると思っていますが、実際には記憶というマインドはあなたの電磁域、つまり呼び方はどうであれあなた方の言うオーラ域内にあります。ですから頭の中にあるのは脳であり、脳は行為や本能、生存と呼ばれる一時的な記憶を抱えているだけなのです。ですから思考や概念が出てくるところはマインドであり、そのオーラがあなたの肉体周辺を取り巻いています。

   あなた方はいまマインド、つまりオーラ域のもっといろいろな部分にアクセスすることを学んでいますが、それまでのずっと窮屈な方法に慣れている結果、脳がデータを容易に拾ってくることに慣れています。それで頭の中にあってほしいデータは、実はずっと外側のオーラ域の中にあるのです。脳はそこから思考を拾って戻そうとするのですが、その道を覚えていないので途中でそれを落っことしてしまいます。つまりすぐそこにあるのに、今何を話していたのか思い出せず、それは話の途中で消えてしまうのです。

   そうしたことは誰もが経験することであり、年齢とは無関係なのです。
   高齢ならそれを歳のせいにするでしょうが、20代であっても同じ経験をするのです。脳は、あなた自身のマインドにもっと遠くまでアクセスすることを学んでいるところなので、ときにはうまく出来ないこともあるわけです。

   遺伝的シフトのためには、肉体のDNA構造にある古い記憶を落としていかなければなりません。古い記憶とは、感情的な情緒のことです。あなたが受け継いでいるあなたの祖先が感情的情緒的に抱えてきたものは、すでにクリアしたものを除いて一つ残らずすべて、あなたがいま肉体のなかで向き合っているものです。

   人生を振り返ってみれば、ほとんどの人は何らかの強烈な体験を持っています。
   そうした感情的に取り込まれたものがトラウマになります。そうした多くのものは辛く、実に惨めで、かなり情緒的なものです。でもいま、少し愛が入ってきています。あなた自らの感情的情緒的パターンを見て、あなたの祖先たちはおそらく、もっと多くのドラマやトラウマを抱えていたことを察してください。

   遺伝子の再構築の際、あなたはそうした細胞レベルでの記憶をすべて捨て、自らが望むものだけを取り込みます。そうすると、あなたがいま入っているこの肉体がマインドの望み通りに適合していくのです。

   あなた方の肉体はいま、他のいろいろな人たちによって動かされています。
   それがあなたの祖先たちであり、近所の人たち、飼っているペット、スーパーマーケットのレジの人、見るものなど、そうしたすべての存在から受け取っている影響力のことです。つまりあなたの肉体は、この空間を埋め尽くす思考や感情などのあらゆるものと回路をつなげており、そうした影響力によって他のさまざまな人々から利用され、動かされているのです。

   そうした回路を捨てることが、まず一つです。
   自分に対するイメージを捨てることでそれをする人もいますが、何であれ、効果があるならやってみてください。深い安らぎのうちに自分自身と向き合い、自分で自分の心と意識を動かし、自分から肉体に(その逆ではなく)指示をするようにしてください。





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夢二夜

二日連続で夢を見た。チベットかネパールでの英国人男女のラブストーリーである。ほとんどそのまま映画になるような夢(と言うより、夢の中で映画を構想したらしい)で、題は「風の中の人」。主題曲も夢の中で聞いた。4つの下降音が4回繰り返される単純なメロディで、3回目は一部上昇音になる。透明感のある女性コーラスで歌われ、歌詞はこんな感じ。「who in the wind, who on the hill, I know his(your) name, cause I love him(you)」
男は30歳くらいの、メガネをかけた冴えない風貌の小男で、考古学者(あるいは民俗学者)、女は20歳くらいできれいな、貴族階級の女性。男は女性にはまったく自信が無い。女はその男を愛しているのだが、男同様に、彼に自分を愛して貰える自信が無い。そのふたりのじれったい恋愛の成り行きが、チベット(か?)の青空を背景に描かれる。ついでに言うと、その女性には妹がおり、こちらは誰でもが目を奪われる美貌で、奔放な恋愛生活を送ってきた。その妹がやってきたことでゴタゴタがおこり、結局はそれがきっかけで主人公の二人が結ばれることになる。まあ、日本の少女漫画をハリウッド映画にしたような感じだ。なお、主人公の女性は、子供の頃は、美少女の妹とは比較にならない冴えない少女で、その少女に優しく接したのが主人公の男であったために子供の頃からこの男に思慕の気持ちを持ち続けていた、というわけである。ありきたりの話だが、映画にすればかえってそういう平凡なラブストーリーの方が気持ちよく見られるものだ。
話の骨格が単純なだけに、幾らでもサイドストーリーやエピソードを付け加えることもできる。たとえば妹の恋人として、ルパート・エヴェレットみたいな感じの皮肉屋の男(やはり貴族がいいか)を同伴させ、その男が姉(主人公)にちょっかいを出したために話がこじれる、とか。
ハリウッド(あるいはイギリス)で映画化するなら、アイデア料は無料でよろしい。(笑)

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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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