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できれば真冬にやってほしいね

しばらく前からネットニュースに「氷水」がどうこうという意味不明の記事が頻発していたが、それが「アイスバケツチャレンジ」というものらしい。AKBや秋元康の名前が挙がったあたりで、また電通の仕業かと思っていたのだが、もっと世界的な馬鹿騒ぎのようだ。その発案者が「溺死」したと聞いて、アイスバケツの水をかぶって溺死したのかと喜んでいたら、高いところから海に飛び込んで、脊髄損傷した挙句の溺死らしい。死に方まで阿呆らしい。ビル・ゲイツや秋元やらも心臓マヒで死ねばいいのに。
勝手に指名され、「100ドル寄付するか、氷水をかぶるか」の選択を強要される、というあたりでもはやキチガイ沙汰である。脅迫に等しい行為だ。で、100ドル寄付し、なおかつ氷水もかぶる(当然、カメラの前で)連中もいるわけだが、たかが100ドルでメディア露出ができるのだから、有名人にとってはいい宣伝行為であり、安いものである。
なお、まともな人間は「指名」されても無視するようである。そりゃあそうだ。親しい知人でもない人間からいきなり氷水をかぶるか100ドル出せ、と「脅迫」されて腹を立てない人間のほうが異常だろう。



(以下「阿修羅」より引用)



世界中で怪しい大ブームを起こしているアイス・バケツ・チャレンジ!ビル・ゲイツ、レディー・ガガ、AKB48の秋元康…
http://www.asyura2.com/14/kokusai9/msg/310.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 8 月 22 日 00:22:15: igsppGRN/E9PQ

世界中で怪しい大ブームを起こしているアイス・バケツ・チャレンジ!ビル・ゲイツ、レディー・ガガ、AKB48の秋元康、三木谷社長などが参加!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-3575.html
2014/08/21 Thu. 22:00:37 真実を探すブログ



*氷水を被るビル・ゲイツ氏


世界中で「アイス・バケツ・チャレンジ(氷水バケツ)」という支援運動がかつて無いほどの盛り上がりを見せています。アイスバケツチャレンジとは、難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)の認知度向上のためのチャリティー活動で、指名された者が100ドルを寄付するか、あるいは24時間以内に氷水をかぶるかを選択できるという物です。
アメリカではオバマ大統領を始め、マイクロソフトのビル・ゲイツ、アップルのティム・クック、歌手のレディー・ガガなどの有名人が次々に参加。そして、日本でも歌手の浜崎あゆみ、楽天の三木谷社長、ライブドア元社長の堀江氏、AKB48の秋元康氏などの有名人が氷水を被るパフォーマンスをしています。


ちなみに、この支援運動で集まった資金の総額は3000万ドル(約31億円)以上になっているとのことです。氷水を被るというパフォーマンスが誰でもお手軽に出来るということでここまで広がったのでしょうが、それにしても、有名人や権力者達が一斉に行っているのがちょっと気になります。
特にビル・ゲイツ氏は何らかのメリットがあるチャリティー運動に支援する傾向が強いため、彼が大々的に参加していることが非常に怪しいです。子宮頸がんワクチンの前にもワクチン推進運動とかをやっていましたし、今回の氷水バケツには違和感を感じています。


☆Bill Gates ALS Ice Bucket Challenge


☆ALS Ice Bucket Challenge


☆ホリエモンこと堀江貴文氏「アイスバケットチャレンジ」2014.8.18


☆ALSアイスバケツチャレンジ(秋元康) / AKB48[公式]


☆古田敦也、乙武洋匡、三木谷社長も「氷水」で難病支援 『ALSアイスバケツチャレンジ!!』


☆アイス・バケツ・チャレンジ
URL http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%B1%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8
引用:
アイス・バケツ・チャレンジ(Ice Bucket Challenge)あるいはALSアイス・バケツ・チャレンジ(ALS Ice Bucket Challenge)は、バケツに入った氷水を頭からかけるか、アメリカALS協会(英語版)に寄付するという筋萎縮性側索硬化症(ALS)支援運動のひとつ。2014年に始まり、ソーシャルメディアを通してアメリカだけでなく他国にも広まっている[1][2]。日本ではアイス・バケット・チャレンジと呼ばれることもある。
:引用終了


☆日本の芸能界でも「アイス・バケツ・チャレンジ」が大流行
URL http://www.rbbtoday.com/article/2014/08/20/122601.html
引用:
難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)の認知度向上のためのチャリティー活動として、氷水をかぶる姿をSNS等で公開する「ALSアイス・バケツ・チャレンジ」。海外の有名人の間で流行しているこの活動が、日本の芸能界にも広がっているようだ。


 この活動は、指名された者が100ドルを寄付するか、あるいは24時間以内に氷水をかぶるかを選択できるものだが、芸能人たちはこぞって氷水をかぶるパフォーマンスを選んでいる様子。20日には歌手の浜崎あゆみが、頭から氷水をかぶる動画をFacebookで公開して話題に。挑戦者は次の挑戦者として3名を指名する仕組みで、浜崎はEXILEのHIRO、AAAの浦田直也、そしてテキサス・レンジャーズのダルビッシュ有投手を指名した。
:引用終了


☆「氷水バケツ」世界で広がるソーシャル寄付 27歳発案者が事故で亡くなる
URL http://www.huffingtonpost.jp/2014/08/20/ice-bucket-founder_n_5696805.html?utm_hp_ref=japan
引用:
アイス・バケツ・チャレンジは体が自由に動かせなくなる難病、筋委縮性側策硬化症(ALS)の認知を高め、寄付を募るための活動。指名された人は、寄付をするか、氷水をバケツでかぶり、その様子をソーシャルメディアに投稿するか、もしくはその両方をやるか選択する。20日までに3000万ドル(約31億円)以上を集めた。
:引用終了


 




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コメント
 
01. 2014年8月22日 13:46:54 : cQ79uxHmns
▼謎のキャンペーン増殖中:ALSをダシにしたネットワーク解析ツール疑惑!?発案者に韓の法則発動!?
さて、このキャンペーン。結論から言うと、かつての「2012年アセンション」という一種の詐欺と全く同じで、これは米CIAがヒューマンコネクションのネットワークを分析するために作られた「やらせ」ゲームである。それにFacebookが協力した。
http://quasimoto.exblog.jp/22310833/

02. 2014年8月22日 17:50:41 : jsiwXGaW6M
チャーリー・シーンは札束を… 難病支援「氷水バケツ」発案者溺死
2014.08.22

 氷水をかぶって難病患者を支援するチャリティー活動「アイス・バケツ・チャレンジ」の発案者の一人、コーリー・グリフィンさん(27)が米マサチューセッツ州の海で溺れ、16日に死亡した。米メディアが21日までに伝えた。


 波止場の2階建てビルから港に飛び込み、脊椎を損傷したとみられる。


 「アイス・バケツ・チャレンジ」は、難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者支援の一環として7月下旬からフェイスブックなどの交流サイトを通じて広まり、ブッシュ前大統領やサッカー・ブラジル代表のネイマール選手ら有名人が氷水をかぶる動画が話題に。日本でも京都大の山中伸弥教授やソフトバンクの孫正義社長らが“氷水の輪”に参加した。


 米ブルームバーグによると、支援団体への8月の寄付は約1560万ドル(約16億円)。昨年同時期の180万ドルと比べて大幅に増加したという。


 米国の人気俳優、チャーリー・シーンは、氷水のかわりに札束を浴びるパフォーマンスを動画を通じて披露して笑いを誘った。


http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140822/dms1408221206015-n1.htm

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新宿駅焼身自殺事件

新宿駅で、集団的自衛権に反対する人が抗議の焼身自殺をしたらしい。表マスコミではほとんど扱っていないようなので、拡散のため転載しておく。
この事件が大きく報道されると、安倍政府にとってはダメージになりかねないから、マスコミに緘口令が布(し)かれているのだろう。




(以下引用)「NAVERまとめ」から転載。写真数が多くて掲載できないので、途中を省略する。


【一連の流れ】新宿南口焼身自殺事件【まとめ】



更新日: 2014年06月29日



murusさん

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夢中飛行

「menjoy」というネット版女性誌(か?)から転載。
ネットで「空を飛ぶ夢」を調べたのは、もちろん、その夢を見たばかりだからだが、「飛んでいて落ちそうになったり、着地に失敗しそうになったり」の夢だから、下の記事を信じるならば、現実社会にプレッシャーやストレスを感じている印、となる。
まあ、心理学者や精神分析医というものを私はあまり信じていないが、その元祖のフロイドは信じているので、フロイドがもしも同じことを言っているとすれば、耳を傾けたい。何しろ、フロイドは「無意識の領野は明示的な意識よりはるかに広大である」という、精神文化的に革命的な発見、あるいは主張をした人間だ。夢は、その無意識が発するシグナルだから、(とは言っても、実は夢は半覚醒状態でコントロールすることもできるから、すべての夢がそうだというわけではない)私自身気づいていない、あるいは無意識的に意識から遠ざけているプレッシャーやストレス、つまり身近にある危機を教えているかもしれない。
なお、今見たばかりの夢では、私は強風に煽られて、沖縄の南(厳密には中部)から北端まで数分で飛ばされていた。そこで、何やら戦車みたいなものに撃墜されそうになって、あわてて海面に降下して、命は助かる、という夢だから、あまりいい夢ではなさそうだ。

なお、飛んでいる時の気分だが、スリルと爽快さ半分、不安半分といったところ。




(以下引用)

 



夢はその人の深層心理を表しているといわれています。特に、同じような夢を何度も見るという場合、その夢はあなたの心の底にある何かを暗示している可能性が高いです。


そこで当記事では、心理学者の渋谷昌三・小野寺敦子両氏による『手にとるように心理学がわかる本』を参考に代表的な6パターンの夢分析を紹介します。



 


■1:空を飛ぶ夢


空を飛ぶ夢は、飛び方によって評価が分かれます。


まず、自由気ままに飛んでいる夢ならば気力・体力が充実している証。今のあなたは自分の能力を発揮し、かつ成長できる理想的な環境にいるのではないでしょうか。


一方、飛んでいて落ちそうになったり、着地に失敗しそうになったりといった不安定な飛行状態なら、現実社会でもプレッシャーやストレスを感じているおそれがあります。


信頼できる人に相談するなどして、事態の打開を図ってみてはいかがでしょうか。


(以下略)

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障碍者専用駐車スペースのこと

「2ちゃんねる」系統のサイトから転載。
ああいう「障碍者専用スペース」というものについて、障碍者でもないらしい人間が堂々と止めたり、逆に、他にスペースが無いのに、客が遠慮して止めずにカラッポのままでいる、という状況があったりして、常々疑問に思っていたので、参考になるスレッドだと思う。
話自体は、障碍者スペースに止めた人間(投稿者)がただのDQN(阿呆、とでも言うか)であったわけだが、それに対するコメントがわりと、投稿者を批判し、注意したお爺さんを擁護する、良識的なものが多く、感心した。「2ちゃんねる」コメント特有の斜にかまえた冷笑的・嘲笑的コメントが少ない。
ところで、上の文章で、私は「障碍者」と書いているが、これはむしろ従来どおり「障害者」と書く方がいい、というのが私の意見だ。「碍」という字を見て、何かのイメージを持てる人間はあまりいないだろう。「得」という字の連想しか働かないはずだ。それでは「障り」が何か「得(とく)」になるもの、という混乱した印象になってしまうのではないか?
これは混血児が「ハーフ」という呼び方を嫌うというのとは話が違うと思う。「ハーフ」というのは「半分」であるから、人間としての存在価値が「半分」と看做されるようなニュアンスを感じるわけだろう。しかし、言葉を変えることで、差別の存在自体が社会の水面下に隠れ、差別そのものが温存される、ということもあるだろう。
まあ、差別問題は話が難しいからここでいい加減に論じないほうがいいだろうが、要するに、差別言語の言い換えは、社会に蔓延する「言葉の言い換えによる騙し」を助長しているように私には思われるのである。



(以下引用)


usa04a1

397: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 00:12:27 ID:vKjsPezv
武勇伝では無いけど、スーッとした話

スーパーの障害者用駐車場に車を停めて
運転席から降りたら、どっかの爺が文句を言って来た。
俺は(見た目も)健常者
車はセダンで車椅子マーク等は貼ってない。

しばらく爺が喚いていたが知らんぷりしていたら
爺、顔を真っ赤にして大声をだして文句を言いはじめ
回りから注目されてきた。
そうこうしている内に俺の母親(70超え、やや足を引きずって歩く)が
買い物を終えてスーパーから出てきて
「何かあったの?」って言って来たから

「馬鹿と刃物は使いよう、ああ言う人でも何かしらの使い道があるのか考えていたんだよ」

回りからクスクス笑い声が聞こえ、爺はふじこふじこと言いながら何処かへ行った。

401: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 02:04:21 ID:eD29xu6F
>>397
全然スーッとしない
なんかイラッときたわ
買い物付き添わずに車の中で待ってるなら
普通の場所に停めて足の悪いかーちゃんが店から出たら車で近づけばいいじゃん

402: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 03:24:03 ID:vKjsPezv
>>401 後だし情報スマン

スーパーに母親下ろす → 俺、給油してくる → スーパーに迎えに行く
時間的にそろそろ出てくるかな?もう終わったかな?
と思って車から降り母親を探す。 そこで爺が噛み付いてくる。

>店から出たら車で近づけばいいじゃん
駐車スペース以外の場所に車を停めると
駐車場内を走行している車の邪魔になる。

なので出入り口近くの身障者用スペースに車を停めた。

405: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 03:33:53 ID:BdFlL0vZ
>>402
一言説明すれば済む話なのに、知らんぷりするからいらんトラブルを招いてるんだろ。

「馬鹿と刃物は使いよう、ああ言う人でも何かしらの使い道があるのか考えていたんだよ」

とかアホな台詞はぽんぽん出てくるのに。

406: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 03:53:56 ID:fIlqcTsM
確かに。
誤解は誤解として腹が立つのはわかるけど、そういう世間の目があるからこそ、非常識な
人が好き勝手できないって側面もあると思う。ことにきちんと注意できる人間は稀だし、
正義感ゆえのことだと思えば、わざわざ恥かかすようなマネしなくてもと。
まあ少なくともスーッとはしないな。

407: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 03:55:44 ID:msbPf0Z5
おまえが買い物にいけよと思った
それか嫁にさせるとかさー

あ、嫁いないから無理か

408: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 04:16:48 ID:6PypeGAt
こんな親子より、その爺の方がずと偉い

410: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 04:28:33 ID:jmVDe4Tt
「馬鹿と刃物は使いよう、ああ言う人でも何かしらの使い道があるのか考えていたんだよ」キリッ!
厨二くさいぞ
上手い事言おうとした結果がこれw

413: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 07:13:17 ID:k/E8C1Fy
>回りからクスクス笑い声が聞こえ
お前が失笑されてるんだよw

412: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 05:26:25 ID:5IlUtiDR
>>397
どこが武勇伝なんだ?
自分で歩くこともできて、ひとりで買い物も出来る老人が障害者なのか?
そもそも障害者用スペースは、そういう奴の送り迎え用じゃないだろ。

しかもホントのことわざは、馬鹿と“はさみ”だよ・・・

414: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 07:27:44 ID:+VDiPaXb
バカと刃物wwww

418: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 08:41:45 ID:2OjKymOb
>>402
何のための後出しなのかわからんけど、障害者用のスペースにステッカー無い車止めて、
さらに車離れて母親探しに行くつもりだったんでしょ?

たまたま母親がすぐ来たってだけで、じーさんは何も誤解なんかしてないし、注意されて当然の
状況にしか思えん。

422: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 09:41:12 ID:syiJ1knG
ほんと、これは意味わからんね。
なぜ、母親のことを説明しなかったのか教えてくれんか。
なぜ知らんフリする必要がある?いきなり怒鳴ってきたじいさんに
腹が立ったから、恥をかかせてやろうとしたんだろうけど
最初に怒鳴られた時点で説明していれば、じいさんだって謝ってくれただろ。
じいさんがヒートアップするまで、そして母親が戻るまでダンマリ決め込んでまで
とか、性格悪いな。
おまけに馬鹿と刃物(正確には、はさみだし)は使いよう、の意味もわからんのだけど、
お前がじいさんを何に使う必要があるんだ?意味不明。

つーか母親に付き添えよ。

425: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 10:21:33 ID:om48QwLh
>>397
>俺は(見た目も)健常者
>車はセダンで車椅子マーク等は貼ってない。

>しばらく爺が喚いていたが

障害者用スペースに堂々とセダンを停める若い奴なんて、普通は
触らぬ神に祟りなしってことでみんな無視するか、せいぜい店員に言って
終わりだってのに、逆恨みを恐れずに堂々と注意した老人は偉いと思う。

どうせ水戸黄門の印籠出すときみたいに、カ○ワの母親が戻ってくるのを
ニヤニヤと楽しんでたんじゃないの?

429: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 11:55:50 ID:bMYSUe51
ここで>>397を擁護してみるww

駐車場の障害者用スペースについて、法的な規定はないんだね
商業施設が確保しときなさいってのはあるけど、停める側についての明確な線引きはない
車椅子マークやクローバー、もみじの、法的効力はない、つまり
ステッカー貼ってなくても停めれるってこと
手帳がなくてもそういうの入手できるしね

イオンの場合は、手帳もってって登録すれば、ロック解除して初めてスペースに入れる
(逆に言うと、別の店に行く度に登録しなきゃいかんのかという面倒もある)
車椅子の人なんかは、十分な広さがあれば出入り口から多少離れてても大丈夫なケースもある
逆に下半身骨折してる人だと、ステッカー関係なく出入り口そばでないときつい

完全に利用者のモラルに依存してるわけよ、皆なんとなくだから、誤解が生まれる
あそこを警備してるおじさんも強く取り締まる根拠がないからかわいそうだよね
利用する人も、なんでここに停めるのかという説明は必要だと思うけどね

430: おさかなくわえた名無しさん 2010/10/11(月) 11:57:55 ID:om48QwLh
>>429
たしかに法的拘束力はないね。

言うなれば駐車場内の進行方向を示す矢印だって守るかどうかは
モラルに依存。一方通行になっててその矢印に沿って並んで順番待ち
してるのに、空いたと思ったら逆方向から入ってきた車がスッと入っちゃったり
しても、法的には何ら問題はない。

そういうのってほとんどおっさんなんだよな。注意すると逆ギレ。

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戒名とは誰を戒める名前なのか

世間には、詐欺的商売が多いのだが、仏教(もちろん、本物の仏教ではなく、日本製の「葬式仏教」である)の戒名というのもその一つだ。葬式そのものは、まあ、それが必要だと遺族が思えばやればいい、というだけの話だが、葬式に坊主の読経や死者への戒名が必要だ、とは私はまったく思わない。あんなのは坊主の生活維持のために作られた習慣にすぎない。
そもそも、坊主というのは「出家」であり、基本的には俗世と関わりを持つべきものではなく、その生活は「喜捨」によるのが原則だろう。喜捨が得られなければ、死ぬだけのことだ。もちろん、自分で畑を耕して生活の資を得る、ということもできるだろう。現在の仏教における風習には唾棄すべきものが多い。肉食妻帯なども、本来の仏教ではない。しかし、今の日本で肉食妻帯を固く禁じている宗派はあるのか。すべて、当事者(内部にいる者)たちに都合のいいように内容を変えられてきた、というのがあらゆる宗教の真相である。
そういう腐れ坊主たちが、いくら偉そうな、立派な言葉を言っても、すべて偽善でしかない。(もっとも、偽善そのものはこの人間社会を維持する柱だ、と私は考えているので、偽善そのものを否定はしない。しかし、世の偽善者たちが偽善で商売をするのにだけは、いい加減にしろ、といいたくなる。)
私が死んだら、(その前に、もしも重病になり、自分の判断を伝えることができなくなった場合は、絶対に延命措置は取るな、とここにあらかじめ遺言しておく。)葬式は不要である。絶対に坊主や葬儀屋とは関わるな、と遺族には言っておく。死体はゴミ捨てに捨てようが、犬の餌にしようがかまわない。法律の許す限りの範囲で、金をかけずに処理すればいい。当然、墓も不要だ。




(以下引用)



NEWSポストセブン

2014年03月14日11時00分

葬儀費用の稼ぎ頭「戒名」 正式な由来も根拠もなく寺の都合







 現在、葬儀費用約200万円、お墓代約280万円(東京都)ともいわれる高額な葬儀ビジネス。その“稼ぎ頭”とされるのが戒名だ。「終活」の費用を徹底調査した『死ぬのにいくらかかるか!』(祥伝社刊)の著者でノンフィクションライターの大宮知信氏は、母の死に際してこんな経験をした。

「近くの寺に相談に行くと、住職がいきなりファミレスのメニューのような料金表を差し出した。最低の『信士、信女』は30万円、最高の院号つきは90万円。法外な料金もさることながら、死者を金で差別するようなランク付けに疑問を感じました。

 それで本名(俗名)のままお願いすることにし、住職もいったんは承諾しました。ところが葬儀当日になって、『戒名でなければ埋葬できない』と言われた」

 葬儀後、別の住職に相談し、結局戒名をつけてもらうことに。気になるお布施について恐る恐る尋ねたところ「お気持ちですから額はいくらでもいいんですが……」という。大宮氏はホッと胸を撫で下ろしていたのだが、次の瞬間、この住職はこう言うではないか。

「(慣例として)うちは30万円いただいております」

 結局、20万円で戒名を書いてもらったが、住職は金額に不満だったのか、お布施が入った封筒を受け取ると、遺族に慰めの言葉をかけることもなく、そそくさと帰っていったという。宗教に詳しい社会学者・橋爪大三郎氏が語る。

「戒名というのはバレンタインチョコみたいなもの。正式な由来も根拠もない。チョコがなぜ広まったかといえば、菓子メーカーの“都合”です。同様に、戒名が広まったのはお寺の都合なんです」

 橋爪氏によれば、「俗名をつけてはならない」「自分でつけてはいけない」といった戒律は、どこにも存在しないという。

※週刊ポスト2014年3月21日号


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今こそ「攘夷」の時

「大摩邇」から転載。
筆者の「ねずさん」という人には民族差別主義者的なところがあり、やや狂信的国粋主義者のイメージが私にはある。まあ、井口博士の同類だ、と見ていたが、下に書かれていることは、まったくまともである。江戸末期の政治状況について、通常の日本史の授業ではここまで明確に教えてくれない。だから、「江戸幕府はアホ」「鎖国政策はアホ」「明治維新は日本の夜明け」「開国政策は賢い政策」という認識しか持たない。まあ、明治政府そのものが「勝てば官軍」の俚言の出所となった存在だから、勝者である明治政府の国民洗脳教育が今に至るまで効果を残したわけだ。
なお、私は司馬遼太郎は好きだが、彼の小説で歴史が理解できるとは思わないほうがいいと思う。彼が書いたのはあくまでフィクションとしての人間ドラマであり、歴史の深層や真相ではない。


ある日本通の外国の知識人が、「日本の明治維新において、倒幕派(維新の志士たち)が最初尊皇攘夷を叫びながら、いざ明治政府ができるとすぐに開国に転じたのは実に巧妙な戦略であった」と言ったのを読んだことがある。まさに、討幕が成ると同時に、「攘夷」から「開国」へと大転換が行われたのである。事情を知らない大多数の維新の志士たちにとっては狐につままれたような気分だっただろう。まるでTPP反対を叫んで政権を得た政党が、いきなりTPP賛成を言いだすようなものだ。このあたりが、明治維新は外国によって操作された革命だ、という説が出てくる所以である。私も、明治維新にはそういう側面があると思う。


話が長くなったので、前置きはこれくらいにする。下記記事は、明治維新に興味のある人は一読する価値がある。

「攘夷運動」とは、外国の侵略に対する国民的運動だったのであり、単なる「外国人フォビア(嫌悪症・恐怖症)」などではない。そして、現代はまさにその外国の侵略が、形を変えて政治的・文化的に起こっているのである。文化的侵略(洗脳)もさることながら、言うまでもなく、TPPは日本人の経済的奴隷化構想であり、今の日本が直面する最大の問題である。






(以下引用)*赤字部分は引用者(夢人)による強調。







明治の後年から昭和初期にかけての日本の強さは、まさに世界を震撼させたほどのものですが、どれだけ強くても、日本の願いは常に平和そのもの、いくさのない世の中にあり、武威を張ることを是とはしていなかったということが、そのような姿からも見て取ることができます。
そしてその伝統は、やはり徳川270年の治政にあったといえます。

その徳川幕藩体制が崩壊したのは、外圧によるものでした。
その外圧のなかで、とりわけ大きなきっかけとなる影響を持ったといわれているのが、ペリーによる黒船来航でしたが、そのペリー来航について、あたかもペリーが突然やってきたために、日本中が大慌てしたようなことを書いている教科書などがあります。
が、これは間違いです。

実際には、米国からペリー艦隊が、日本に開国を求めてやって来ることを、ペリーが米国を出発したことからはじまって、何隻の艦隊で来るのか、乗組員は何名か、大砲の数はいくつか、船名は何と言うのか、どういうルートでやってくるのか、いまどこにいるのか等、それこそ台風情報じゃないですけれど、幕府も、全国の諸藩の武士たちも、つぶさにその情報をとっていました。

問題は、そのペリーがどこに入港するかで、もちろん幕府は長崎に来させるつもりでいたのですが、それが東京湾(江戸湾)にやってきてしまった。
江戸湾にやってきたということが問題になったのでって、外国使節が来たということが問題になったのではありません。

これも以前に書かせていただいたことですが、江戸湾は、当時の江戸の町に食料を運ぶ、メイン海上ルートです。
江戸には250万人の人が住んでいます。
その250万人が、毎日、朝晩二食の食事をするわけです。
つまり1日あたり500万食です。

もしペリーが、1ヶ月江戸湾を封鎖したら、1億5000万食分の食料の供給が止まるのです。
そんな備蓄は、幕府にだってありません。
ということは、江戸市民が飢えて死ぬという結果をもたらすのです。
だから「たった四杯で夜も寝られず」というくらい、幕府は慌てました。
それだけのことです。

では、ペリーが原因でないなら、攘夷運動は何故起こったのかというと、直接の引き金は、むしろ阿片戦争にあります。
強大な東洋の大帝国であるはずの支那の清王朝が、欧米のごくひとにぎりの艦隊の軍事力の前に、あえなく敗北してしまった。
敗北した清王朝では、白人たちが支那人たちをまるで家畜のように扱ってる。
その脅威が、日本にも迫っている。
そういう事実を目の前に突きつけられて、それでも平和ボケしているのは、現代日本人くらいなもので、当時の武士たちは、ものすごい危機感を持って、「日本はどうするんだ?」となったわけです。

そういうところに、ペリーが幕府の制止をふりきって、いきなり江戸湾に侵入してきたわけです。
阿片戦争と同じ光景が、現実の課題となったのです。

これについて、「当時の武士たちは、どうして鉄の船が海に浮かぶのかと驚いた」などと、アホなことを書いている学者や小説家がいますが、悪いけれど鉄の船なら、信長が本願寺攻めのときに作っています。
日本人にとって、そんなものはさしてめずらしいものでもない。
もちろん、黒船がやってきたとき、弁当持参で物見遊山の黒船見物に出かけた庶民が多くいましたから、そうした中には「あんな真っ黒い鉄の船が、どうして海にうかぶんじゃろうか」などと、半ば驚き、半ば大喜びしていた人たちもいたことでしょう。
そうした人々と、当時の施政者たちを混同するのは、ちょっといきすぎた話です。

もっというなら、おなじく幕末に日本にやってきたロシアのフリゲート艦ディアナ号は、駿河湾で沈没していますが、これと同じ船を、またたくまに伊豆の船大工たちが作ってしまっています。
同じ船を造ったということは、それくらいの船をつくる技術も、当時の日本にはすでにあった、ということです。
技術そのものについては、なにも驚くこともなかった。
ただ、蒸気で動く船というところについては、たいへんな驚きと興味を抱いたというのが、現実の話です。

なるほど江戸時代、日本は鎖国していました。
ただ、鎖国していても、武士たちは海外の諸情報を実はつぶさにキャッチアップしていました。
その情報力は、むしろテレビや新聞といったメディアが駆使できていながら、偏向情報しか与えられずに、あきめくらになっている現代日本人よりも、はるかに鋭敏なものであったといえるかもしれないくらいです。

さて、欧米列強による植民地支配の恐怖を見せつけられた日本人は、欧米の夷敵を打ち払うためには、国内が藩ごとに独立していては、この国は守れないのではないかという強烈な問題意識を持ちました。
実際、長州、薩摩はそれぞれ独自に黒船に戦いを挑み、あっという間に粉砕されてしまっています。
ならば、このうえは幕藩体制を完全廃止し、国民総力戦が可能な統一日本政府を構築するしかない・・・というのが攘夷派となり、幕藩体制のまま、統一政府化すべきだというのが佐幕派となって戊辰戦争になりました。

そのなかで、会津藩が、どうして最後まで頑強に抵抗したのか。
それは「藩主の松平容保が、婿養子だったからそうせざるを得なかったのだ」などと、これまたアホな見解を書いている本や小説がありますが、これまた大きな間違いです。

殿様がおかしなことを言い出せば、殿様を座敷牢に押込めてしまうというのが、江戸時代の武家の習慣です。
つまり、会津藩が頑強に抵抗したのは、殿様のご意思というだけのものでなく、藩をあげての意思であったということです。
ではなぜ、会津藩士たちが、そのような見解に至ったか。

これについては、西郷頼母が、はっきりと書きのこしています。
要約すると「武家は民を守るためのものであり、民が安心して暮らせるように仕向けるのが武家の役割である。国を護るために戦うのは、まさに武士の仕事であって、そのために民をつかうなどということはもってのほか」というわけです。

要するに幕末戊辰戦争は、国民皆兵論か、あくまでも武家専従論かの違いがもとになっているとみることができます。
武士は民のために平素から腰に二本の刀を差しているわけです。
その武士が、いざ戦いとなったら、農民や町民たちに武器を持たせて闘わせ、自分たちはその裏でのうのうと生きるなどということは、武家としての一分が立たない。
そんなものは卑怯者のすることであると、これが武士の筋ですし、その意味で会津や二本松は、まさに武家としての筋道を最後まで通して戦ったわけです。

もっとも、いわゆる農民兵については、幕府もこれを用いて陸軍を編成したりしていますから、幕府内でも様々な議論はあったわけで、そのあたりが話をややこしくしています。
けれど、戊辰戦争が、単に尊王攘夷と鎖国佐幕の争いというだけの話ではなかった、そこに思想哲学の戦いがあったということは、もうすこし学校などでも教えてよいものなのではないかと思います。

ただ、国を守ると言う戦力という意味においては、結果からみれば、国民皆兵の方が、もちろん戦力的脅威となりうるわけで、その意味においては、戊辰戦争は、「筋」より「実力」が勝った戦いといえるかもしれません。

こうして新たな政治体制として構築されたのが、大日本帝国です。
ですから大日本帝国は、なによりも実力を重んじました。
戊辰戦争の敵であっても、新たな政治体制の中に、必要な人材をどんどん取り込みました。
明治政府は、実力本位の政府であったわけです。
もちろん薩長閥のような不条理も内包しています。
けれどそういうことは、人の世では、ある程度仕方のない部分でもあります。

明治政府の実力主義の考え方は、四民平等の政策となり、そして日本人としての白人種との対等意識と相俟って、世界に向けて人種の平等を高らかにうたいあげる日本の政策となりました。
そして日本は、世界の有色人種を植民地として支配する白人国家に対して、真正面から戦いを挑んで行くことになるわけです。

教育の根本にあるべきものは、人間としての品格を育てるということです。
いまは亜流とされている歴史観も、あと数年したら間違いなく日本の主流となると思うし、100年後には、世界の常識となっていくであろうと、私は思います。













(夢人補足)「植草一秀の『知られざる真実』」ブログより転載。(直接には「ライブノート」より)





自民党は総選挙の際に、TPPに参加するための前提条件を公約として主権者に提示している。


ここで提示した条件が整わなければ、TPPには参加しないことを宣言したものである。


実際、総選挙の際に自民党は、


「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない。日本を耕す自民党」


という文字を大きく明記したポスターを貼り巡らせて選挙活動を展開した。


その自民党が、本年3月15日に、TPP交渉参加を決めたこと自体、ペテンというほかない。

















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宮澤賢治詩集「春と修羅」序

この前、「独りファシズム」の中の「自分という現象」という言葉は宮澤賢治に由来するものではないか、と書いたが、それを自分の蔵書(今は数十冊しかない)で確認することはできなかった。
しかし、ネット時代は便利なもので、ネットの中にそれがあったので、転載しておく。

詩というものは人生の良き伴侶であり、あらゆる瞬間瞬間に、好きなフレーズを想起することで、平凡な人生も彩色される。だが、学校教育の中で、子供向けに選定されたつまらない詩にしか触れていない人は、詩はつまらないもの、と思い、また文学青年たちが振り回す難解な詩に触れた人は、詩とはわけのわからないもので、自分には詩は分からない、と思うようになる。

詩は、言葉の音楽であり、分析的に、意味的に理解する必要は無い。

宮澤賢治の詩など、意味的に理解しようとすれば難解だろうが、そのシュールなイメージと言葉の音楽を楽しめばいいのである。それは、下記の「春と修羅」序からも分かるだろう。

なお、宮澤賢治の童話も詩的イメージに満ちており、それが彼の作品の魅力である。
小学校の教科書によく載っている「やまなし」など、キラキラした水のイメージと、その中にいる謎の生き物たちの不思議な会話だけである。それを論理などで説明しようとする学校の先生など、ご苦労なものである。「クラムボンは笑ったよ」「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」「なぜ笑った」「知らない」のクラムボンが何か、などを追及させて、それは「泡」である、などと結論するなど、愚の骨頂だろう。しかし、理屈や合理性だけがすべてという学校教育の中では、そういう指導になるしかない。そして、詩や小説は分からない、下らないと思う人々を大量生産していくのである。



(以下引用)*活字の色付け、および一部の行分けは夢人による。








   序

 

  わたくしといふ現象は

  仮定された有機交流電燈の

  ひとつの青い照明です

  (あらゆる透明な幽霊の複合体)

  風景やみんなといつしよに

  せはしくせはしく明滅しながら

  いかにもたしかにともりつづける

  因果交流電燈の

  ひとつの青い照明です

  (ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

   

  これらは二十二箇月の

  過去とかんずる方角から

  紙と鉱質インクをつらね

  (すべてわたくしと明滅し

   みんなが同時に感ずるもの)

  ここまでたもちつゞけられた

  かげとひかりのひとくさりづつ

  そのとほりの心象スケツチです

   

  これらについて人や銀河や修羅や海胆は

  宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら

  それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが

  それらも畢竟こゝろのひとつの風物です

  たゞたしかに記録されたこれらのけしきは

  記録されたそのとほりのこのけしきで

  それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで

  ある程度まではみんなに共通いたします

  (すべてがわたくしの中のみんなであるやうに

   みんなのおのおののなかのすべてですから)

   

  けれどもこれら新生代沖積世の

  巨大に明るい時間の集積のなかで

  正しくうつされた筈のこれらのことばが

  わづかその一点にも均しい明暗のうちに

    (あるひは修羅の十億年)

  すでにはやくもその組立や質を変じ

  しかもわたくしも印刷者も

  それを変らないとして感ずることは

  傾向としてはあり得ます


  けだしわれわれがわれわれの感官や

  風景や人物をかんずるやうに

  そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに

  記録や歴史、あるひは地史といふものも

  それのいろいろの論料(データ)といつしよに

  (因果の時空的制約のもとに)

  われわれがかんじてゐるのに過ぎません


  おそらくこれから二千年もたつたころは

  それ相当のちがつた地質学が流用され

  相当した証拠もまた次次過去から現出し

  みんなは二千年ぐらゐ前には

  青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ

  新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層

  きらびやかな氷窒素のあたりから

  すてきな化石を発堀したり

  あるひは白堊紀砂岩の層面に

  透明な人類の巨大な足跡を

  発見するかもしれません

   

  すべてこれらの命題は

  心象や時間それ自身の性質として

  第四次延長のなかで主張されます

 

     大正十三年一月廿日      宮 澤 賢 治









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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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