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パーティ気分で車に乗れば

「ゆるやかなカーブ」での運転ミスとなれば、おそらく、ほぼ確実に速度制限違反だろう。しかも、同乗者全員重傷で死者もいるとなれば、かなりのスピード違反ではないか。
なぜ平日の深夜に十代の若者(ほとんどが高校生だろう)だけで車を走らせていたのか、親はそれを許可したのか、など疑問が多い。
よくある事件ではあるが、「未来の無い国」のひとつの象徴的事件かとも思うので記事を転載した。ただ、例によってやたらと大きくブログ画面に合わない変なコピーになった。元記事の仕様なのか、こちらのブログの仕様に合わないのか、不明である。
まあ、読む価値があると思えば元記事を探せばいいだけである。

(以下引用)





静岡県警本部=2018年11月8日午後3時21分、静岡市葵区追手町9―6、増山祐史撮影 © 朝日新聞社 静岡県警本部=2018年11月8日午後3時21分、静岡市葵区追手町9―6、増山祐史撮影

 静岡県富士市大淵の国道469号で11日午後11時55分ごろ、10代の男女6人が乗ったワゴン車が、道路わきのガードレールに衝突、同市中野の高校生田中陽菜さん(17)が約3時間半後に搬送先の病院で死亡が確認された。同乗していた5人も負傷したが、いずれも意識はあるという。


 県警富士署などによると、現場は緩やかなカーブ。車は、何かを避けようとしてカーブを曲がりきれずにガードレールに衝突した可能性があるという。事故原因を調べている。













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日本人の「忖度体質」

日本の核武装問題はさておき、

「質問に辿り着くまでで1分を使い切ってしまう人が多い。」

というのが面白い。日本人がいかに物事をズバリと言うことが苦手なのかが良く分かる。
挨拶やら言い訳やらで「自己防衛」するのが先に立つからだろう。つまり、「忖度」は一部の人間に特有のものではなく、日本人の国民性であり、そうした忖度をしない勇者(善人か悪人かは問わない)だけが他人を押しのけて成り上がれるわけだ。
なお、私も若いころは核武装論者だった。同じ死ぬなら「博士の異常な愛情」のラストのように、世界全体が同時に絶滅するほうがマシだという考えである。「勝つため」の核武装論ではない。どこかの国が核ミサイルを発射した瞬間に世界全体に向けて報復核ミサイルが発射されるというアイデア(映画では、発射国に向けて、という限定された案だが、映画のラストシーンは地球上のすべてでキノコ雲が舞い上がるという壮麗なものだった。しかも、そこで流れる歌のタイトルが「また会いましょう」であるwww)は実に素晴らしいと思ったものであるwww




  1. これに対する山本の答えは、「日本は国連憲章の敵国条項対象国であり、これは今も解除されていない。もし日本が核武装したら、中朝露だけでなく世界中の国から武力攻撃されることを覚悟しなければならない。なので核武装は現実的ではない、というものだった。



  2. 山本太郎の街宣が質問時間に1分制限を設けたが、質問に辿り着くまでで1分を使い切ってしまう人が多い。高崎で「私は日本も核武装すべきだと思いますが、これについて山本さんの見解を伺いたい」と言った質問者がいたが、内容はさておき質問の仕方としては正しい。




































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ロマンチック・アイロニー

ウィキペディアは役に立つ。下の説明で初めて、漱石の「三四郎」の中に出てくる「ロマンチック・アイロニー」(ロマン主義的アイロニーということか。)の意味がやっと分かった。つまり、イロニーもしくはアイロニーを「皮肉」と訳していたことが私の混迷の原因だったのである。
仏教用語としての「皮肉」は、常用されている「皮肉」(当てこすり)とは意味が違い、まさに人体の皮と肉であり、「非本質的なもの」を意味するわけだが、「ロマンチック・アイロニー」とは、「天才は何もせずぶらぶらしてばかりいるべきだ」という主張であるらしく、まさに「表面的な立ち居振る舞いによって本質を隠すこと、無知の状態を演じること」という、下の説明に適合する。
幾つになっても新しい発見はあるものだ。昔読んだ本の中にも未知の部分はたくさんある。同じ「三四郎」の中の「ダーターファブラ」も、私は今一つ、そこでその言葉がどういう趣旨で使われたか理解できていない。注釈を読んでも、小説の文脈との関連が分からないのである。まあ、「それは他人事ではなく、お前の、そして我々全体の問題だと知れ」という意味で使ったのだと思っているが、自信は無い。(それにしても、明治時代の学生の議論は実にハイブロウである。)
なお、私は、「三四郎」をNHKで大河ドラマにしてほしいと思っている。明治時代の風景は、今のCG技術があれば(現実の風景をアレンジするなりして)容易に再現できるだろう。


(以下引用)




イロニーもしくはアイロニー: irony, : Ironie)は、表面的な立ち居振る舞いによって本質を隠すこと、無知の状態を演じること。この言葉の語源は、ギリシア語のエイローネイアειρωνεία「虚偽、仮面」[1]、「よそわれた無知」[2]である。


日本語では皮肉骨髄という仏教用語になぞらえ、換喩的に皮肉と訳した(皮肉は骨髄に対して本質的ではない)。その他、一般には反語逆説などの意味でも用いられる。


イロニーは歴史的に様々な用法を持つに至った言葉であるが、大きくは修辞学と哲学の二つの意味がある。















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イチローの「国民栄誉賞」拒否

まあ、特にこの政権の下での国民栄誉賞はむしろ未来永劫の恥となるだろうし。
このあたりが私がイチローを好きな理由のひとつだし、一部の人間がイチローを嫌う理由のひとつだろう。







なるほど、やっぱりね。













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「清々しい」か「菅しい」か

前回の記事に追記できないので、別記事にするが、前回の補足的内容である。「清々しい」はもはや別の意味に代わったということ。
このばあいは「清々しい」ではなく、「シクラメンのかほり」の歌詞のように「菅しい」にしたらどうか。



さんがリツイート

とうとう「反社の定義を明確化してしまうと明確化された定義をすり抜けることができるから敢えて不明確にしておくのが正しい」というエクストリーム擁護まで出現するに至り、法の支配を真っ向から否定するその姿勢にある種の清々しさは感じた。






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スガスガしい朝

スガスガしい朝にテレビのすだれハゲ



(以下引用)



「すがすがしい」という形容詞から、すがすがしさが失われて久しい。現状では、「スガスガしい」は、「えげつない」「うさんくさい」「きたならしい」「いかがわしい」といったあたりのニュアンスを一手に引き受ける言葉になってしまった。






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旧陸軍体質の会社

少し前の事件のようだが、「社員の一割が精神疾患にかかる」というのは凄い。もともと「親にも叩かれたことが無いし、怒鳴られたこともない」というような現代青年には地獄に思えただろう。
もともと私は、三菱系列は兵器や軍事用品などを作っていたりして「死の商人」でもあるから三菱系列の会社の製品は買わないポリシーである。中味まで旧陸軍体質だとは知らなかった。


(以下「ネットゲリラ」から引用)



身潰し電機

| コメント(15)

アジアでは職業というのが「身分」であって、そこに「居る」事によって俸祿が得られ、生活が安定する。仕事の成果が問われる事は少なく、身分が何より大事。仕事は「組織」がするのであって、個人がするわけではない。組織大事、身分大事、まぁ、幕藩体制の名残りです。

三菱電機の男性新入社員が自殺し、警察が自殺教唆容疑で上司を書類送検した事件で、男性は自殺した当時、社内向けの発表会へ向けた準備を進めていたことが7日、会社への取材で分かった。同社では過去にも社員の過労自殺や精神疾患による労災認定が相次ぎ、元社員は「パワハラが日常的で自浄作用はなかった」と話した。
神戸地検は上司の刑事責任の有無を慎重に検討している。
取材に「(三菱電機は)極限まで追い込んで成果を出させる体質だった」と振り返った。研修時から怒鳴られ、配属後の職場は上司の「死ぬ気でやれ」といった怒声が延々と響き、社員の1割以上が精神疾患で休職したという。

外部に敵を抱えてピリピリしてたら、内部での足の引っ張り合いはないが、平和が続くと敵を見失って内部に仮想敵を作って、パワハラだらけになる。かくして日本経済は凋落した。






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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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