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日本における平地の希少性

日本は本来平地の少ない地形だったのに、山を削り谷を拡張して無理やり平地にしたのが自然災害の多さにつながっているのだろう。本来、人が住むような場所でも村や町を作るような場所でもなかったということだ。
そのようにして住宅地となり、村や町となり、さらに時代の進展で過疎化した田舎の村や町はいっそのこと村や町ごと無料で移転できるという法案を作るのも荒唐無稽な話ではないと思う。少子化国家だからこそ、空き家が厖大にあり、それを奇貨として思い切った政策も作ることが可能だという提言だ。災害面からは比較的安全な都会にも空き家はたくさんあり、それを政府が買い取って、低廉な値段で災害頻発地帯の住民に貸与売却するという法案でもいい。
それはともかく、平地というものの希少性を考えると、陸上用のトラックや球技(サッカーや野球、ラグビーなど)のための広大な平地使用は反国民的行為だとすら思う。まあ、娯楽価値は認めるが。






平野に生まれ育った人間は、建物さえ取り払えば、平らな地面は確保出来ると思うだろうが、川が削った谷間に暮らす集落には、その平らな土地が無いのである。
ガキの頃住んでいた町では、中学校に校庭は無く、小学校も廊下の面積を圧縮するために円筒型の校舎だった。






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白虹の意味

「続日本紀」より転載。或る辞典によれば、白虹は兵乱の兆しとされたらしい。
白虹がかかった養老4年の出来事で際立つのは、初期の天皇家を後ろで操ったらしい人物、あるいは天皇を傀儡化して政治実権を握る政治手法の創始者と目される藤原不比等の死である。
白虹は今年から来年にかけての大きな政治的事件の勃発を意味するのかもしれない。
ただし、不比等の死の後にこそ藤原一族による政治の壟断は激しくなったとも言えるので、その動乱が国民にとってプラスかマイナスかは分からない。
令和という時代が日本という国にとって大変動の時代になりそうではある。


(以下引用)


《養老四年(七二〇)正月甲子【十一】》○甲子。授正五位下大伴宿禰宿奈麻呂。大伴宿禰道足。多治比真人広成並正五位上。従五位上三国真人人足。阿倍朝臣秋麻呂。佐味朝臣加佐麻呂。上毛野朝臣広人。大伴宿禰牛養並正五位下。従五位下民忌寸于志比。車持朝臣益。阿倍朝臣駿河。山田史三方。忍海連人成。榎井朝臣広国。中臣朝臣東人。粟田朝臣人上。鍜治造大隅。石川朝臣若子並従五位上。正六位上佐伯宿禰智連。猪名真人石楯。下毛野朝臣虫麻呂。美乃真人広道。高向朝臣人足。石川朝臣夫子。多治比真人占部。県犬養宿禰石次。当麻真人老。阿倍朝臣若足。巨勢朝臣真人。紀朝臣麻路。正六位下田中朝臣稲敷並従五位下。是日。白虹南北竟天。
《養老四年(七二〇)正月庚午【十七】》○庚午。〓惑逆行。
《養老四年(七二〇)正月丙子【廿三】》○丙子。遣渡嶋津軽津司従七位上諸君鞍男等六人於靺鞨国。観其風俗。
《養老四年(七二〇)正月庚辰【廿七】》○庚辰。始置授刀舍人寮医師一人。」大納言正三位阿倍朝臣宿奈麻呂薨。後岡本朝筑紫大宰帥大錦上比羅夫之子也。
《養老四年(七二〇)二月乙酉【甲申朔二】》○二月乙酉。令検校造器二司造釈奠器。充大膳職大炊寮。
《養老四年(七二〇)二月戊戌【十五】》戊戌。夜地動。
《養老四年(七二〇)二月壬子【廿九】》○壬子。大宰府奏言。隼人反、殺大隅国守陽侯史麻呂。
《養老四年(七二〇)三月丙辰【癸丑朔四】》○三月丙辰。以中納言正四位下大伴宿禰旅人。為征隼人持節大将軍。授刀助従五位下笠朝臣御室。民部少輔従五位下巨勢朝臣真人為副将軍。
《養老四年(七二〇)三月癸亥【十一】》○癸亥。勅度三百廿人出家。
《養老四年(七二〇)三月甲子【十二】》○甲子。有勅。特加右大臣正二位藤原朝臣不比等授刀資人卅人。
《養老四年(七二〇)三月己巳【十七】》○己巳。太政官奏。比来百姓例多乏少。至於公私不弁者衆。若不矜量。家道難存。望請。比年之間。令諸国毎年春初出税。貸与百姓。継其産業。至秋熟後。依数徴納。其稲既不息利。令当年納足。不得延引数有逋懸。又除租税外公稲。擬充国用。一概無利。恐其頓絶。望請。令諸国毎年出挙十束。取利三束。仍令当年本利倶納。又百姓之間。負稲者多。縁無可還。頻経歳月。若致切徴。因即逃散。望請。限養老二年以前。無論公私。皆従放免。庶使貧乏百姓。各存家業。」又謹検和銅四年十一月廿二日勅。出挙私稲者。自今以後。不得過半倍者。比来出挙多不依法。若臨時徴索。無稲可償者。令其子姪易名重挙。依此姦計。取利過本。積習成俗。深非道理。望請。其稲雖経多年。仍不過半倍。」又検養老二年六月四日案内云。庸調運脚者。量路程遠近。運物軽重。均出戸内脚獎資行人労費者。拠案。唯言運送庸調脚直。自余雑物送京。未有処分。但百姓運物入京。事了即令早還。為無帰国程糧。在路極難艱辛。望請。在京貯備官物。毎因公事送物還、准程給糧。庶免飢弊。早還本土。」又無知佰姓不閑条章。規避徭役。多有逃亡。渉歴他郷。積歳忘帰。其中縦有悔過還本貫者。縁其家業散失。無由存済。望請。逃経六年以上。能悔過帰者。給復一年。継其産業。奏可之。」改按察使典。号記事。
《養老四年(七二〇)三月乙亥【廿三】》○乙亥。按察使向京。及巡行属国之日。乗伝給食。因給常陸国十剋。遠江国七剋。伊豆・出雲二国鈴各一。
《養老四年(七二〇)四月庚戌【癸未朔廿八】》○夏四月庚戌。制。三位已上妻子及四位・五位妻。並聴服蘇芳色。
《養老四年(七二〇)五月辛酉【癸丑朔九】》○五月辛酉。制。皇親服制者。以王孫准五位。疎親准六位焉。
《養老四年(七二〇)五月壬戌【十】》○壬戌。改白猪史氏。賜葛井連姓。
《養老四年(七二〇)五月癸酉【廿一】》○癸酉。太政官奏。諸司下国小事之類。以白紙行下。於理不穏。更請内印。恐煩聖聴。望請。自今以後。文武百官下諸国符。自非大事。差逃走衛士・仕丁替。及催年料廻残物。并兵衛・采女養物等類事。便以太政官印印之。奏可之。」頒尺様于諸国。」先是。一品舍人親王奉勅。修日本紀。至是功成奏上。紀卅巻、系図一巻。
《養老四年(七二〇)五月乙亥【廿三】》○乙亥。給伊豆。駿河。伯耆国三剋鈴各一。
《養老四年(七二〇)六月壬辰【壬午朔十一】》○六月壬辰。文部黒麻呂等十一人賜文忌寸姓。
《養老四年(七二〇)六月戊戌【十七】》○戊戌。詔曰。蛮夷為害。自古有之。漢命五将。驕胡臣服。周労再駕。荒俗来王。今西隅小賊。怙乱逆化。屡害良民。因遣持節将軍正四位下中納言兼中務卿大伴宿禰旅人。誅罰其罪。尽彼巣居。治兵率衆。剪掃兇徒。酋帥面縛。請命下吏。寇党叩頭。争靡敦風。然将軍暴露原野。久延旬月。時属盛熱。豈無艱苦。使使慰問。宜念忠勤。
《養老四年(七二〇)六月甲辰【廿三】》○甲辰。始置神祇官史生四員。
《養老四年(七二〇)六月戊申【廿七】》○戊申。河内国若江郡人正八位上河内手人刀子作広麻呂。改賜下村主姓。免雑戸号。
《養老四年(七二〇)六月己酉【廿八】》○己酉。漆部司令史従八位上丈部路忌寸石勝。直丁秦犬麻呂坐盗司漆。並断流罪。於是、石勝男祖父麻呂年十二。安頭麻呂年九。乙麻呂年七。同言曰。父石勝為養己等。盗用司漆。縁其所犯。配役遠方。祖父麻呂等為慰父情、冒死上陳。請、兄弟三人没為官奴。贖父重罪。詔曰。人禀五常。仁義斯重。士有百行。孝敬為先。今祖父麻呂等。没身為奴。贖父犯罪。欲存骨肉。理在矜愍。宜依所請為官奴。即免父石勝罪。但犬麻呂依刑部断。発遣配処。
《養老四年(七二〇)七月甲寅【壬子朔三】》○秋七月甲寅。賜征西将軍已下至于抄士物各有差。
《養老四年(七二〇)七月壬申【廿一】》○壬申。免祖父麻呂・安頭麻呂等従良焉。
《養老四年(七二〇)八月辛巳朔》○八月辛巳朔。右大臣正二位藤原朝臣不比等病。賜度卅人。詔曰。右大臣正二位藤原朝臣疹疾漸留。寝膳不安。朕見疲労。惻隠於心。思其平復。計無所出。宜大赦天下。以救所患。養老四年八月一日午時以前大辟罪已下。罪無軽重。已発覚。未発覚。已結正。未結正。繋囚・見徒。私鋳銭。及盗人。并八虐。常赦所不免。咸悉赦除。其癈疾之徒。不能自存者。量加賑恤。因令長官親自慰問。量給湯薬。勤従寛優。僧尼亦同之。
《養老四年(七二〇)八月壬午【二】》○壬午。令都下〓八寺一日一夜読薬師経。免官戸十一人為良。除奴婢一十人従官戸。為救右大臣病也。
《養老四年(七二〇)八月壬辰【十二】》○壬辰。勅。征隼人持節将軍大伴宿禰旅人宜且入京。但副将軍已下者。隼人未平。宜留而己屯焉。
《養老四年(七二〇)八月癸未【三】》○癸未。詔。治部省奏。授公験僧尼多有濫吹。唯成学業者一十五人。宜授公験。自余停之。是日。右大臣正二位藤原朝臣不比等薨。帝深悼惜焉。為之廃朝。挙哀内寝。特有優勅。弔賻之礼異于群臣。大臣、近江朝内大臣大織冠鎌足之第二子也。
《養老四年(七二〇)八月甲申【四】》○甲申。詔以舍人親王為知太政官事。新田部親王為知五衛及授刀舍人事。
《養老四年(七二〇)八月丁亥【七】》○丁亥。詔。諸請内印。自今以後。応作両本。一本進内。一本施行。
《養老四年(七二〇)九月庚戌朔》○九月庚戌朔。日有蝕之。
《養老四年(七二〇)九月辛未【廿二】》○辛未。諸国申官公文。始乗駅言上。
《養老四年(七二〇)九月丁丑【廿八】》○丁丑。陸奥国奏言。蝦夷反乱。殺按察使正五位下上毛野朝臣広人。
《養老四年(七二〇)九月戊寅【廿九】》○戊寅。以播磨按察使正四位下多治比真人県守為持節征夷将軍。左京亮従五位下下毛野朝臣石代為副将軍。軍監三人。軍曹二人。以従五位上阿倍朝臣駿河。為持節鎮狄将軍。軍監二人。軍曹二人。即日授節刀。
《養老四年(七二〇)十月戊子【庚辰朔九】》○冬十月戊子。以従四位上石川朝臣石足。為左大弁。従四位上笠朝臣麻呂為右大弁。従五位上中臣朝臣東人為右中弁。従五位下小野朝臣老為右少弁。従五位下大伴宿禰祖父麻呂為式部少輔。従五位下巨勢朝臣足人為員外少輔。従五位上石川朝臣若子為兵部大輔。正五位上大伴宿禰道足為民部大輔。従五位下高向朝臣大足為少輔。従五位上車持朝臣益為主税頭。従五位上鍜治造大隅為刑部少輔。従五位下阿倍朝臣若足為大蔵少輔。従五位下高橋朝臣安麻呂為宮内少輔。従五位下当麻真人老為造宮少輔。従五位下県犬養宿禰石次為弾正弼。従五位下大宅朝臣大国為摂津守。従五位下高向朝臣人足為尾張守。従五位上忍海連人成為安木守。
《養老四年(七二〇)十月丙申【十七】》○丙申。始置養民。造器及造興福寺仏殿三司。
《養老四年(七二〇)十月壬寅【廿三】》○壬寅。詔遣大納言正三位長屋王。中納言正四位下大伴宿禰旅人。就右大臣第宣詔。贈太政大臣正一位。
《養老四年(七二〇)十一月丙辰【己酉朔八】》○十一月丙辰。南嶋人二百卅二人。授位各有差。懐遠人也。
《養老四年(七二〇)十一月乙亥【廿七】》○乙亥。河内国堅下・堅上二郡。更号大県郡。
《養老四年(七二〇)十二月己亥【己卯朔廿一】》○十二月己亥。詔除春宮坊少属少初位上朝妻金作大歳。同族河麻呂二人。并男女雑戸籍。賜大歳池上君姓。河麻呂河合君姓。
《養老四年(七二〇)十二月癸卯【廿五】》○癸卯。詔曰。釈典之道。教在甚深。転経唱礼。先伝恒規。理合遵承。不須輙改。比者。或僧尼自出方法。妄作別音。遂使後生之輩積習成俗。不肯変正。恐汚法門。従是始乎。宜依漢沙門道栄。学問僧勝暁等転経唱礼。余音並停之。







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がきデカはなぜがきデカなのか

別ブログに書いたものだが、ここにも載せておく。


(以下自己引用)



子供のころはいろいろな漫画を見て面白がっていたし、それは青年になっても変わらず、そのどこが面白いのか、その漫画にどんな意味があるのかという分析などほとんどしなかった。当時は、漫画というのは天才たちが描くもので、彼らは別世界の住人だと思っていたのである。ところが、実は彼らは年齢的には私よりほんの少しだけしか上ではなかったのである。
で、彼らの多くが一般人に較べたら天才と言っていい才能の持ち主であることは確かだろうが、その中には絵だけは上手いが物語作りには無能な漫画家もけっこうおり、そういう人々はやはり大物漫画家にはなれなかった。
山上たつひこという漫画家は、奇妙な絵の個性を持っていたが、ギャグ漫画の世界では革命者と言っていい存在で、ギャグ漫画の革命者としては赤塚不二夫に続く天才だったと思う。だが、大物漫画家になったかと言うと、一般的にはそうは見られていないのではないか。作品のレベルは素晴らしいし、業績も凄いが、途中で小説家に転向したせいもあって、たとえばつげ義春あたりと比べられるような異端の作家という位置に落ちついているように思える。もともとギャグ漫画家というのは軽く見られる傾向があるのだ。

本題に入る。
「がきデカ」という作品についてである。これは「サウスパーク」の先取りとも言える作品ではないだろうか。もちろん、少年漫画誌に掲載される作品だから、かなりオブラートに包まれているが、その潜在的なアナーキズムや「良識ぶったもの」への批判の精神など、よく似ていると思う。
私が昔はまったく気にもしなかったのが、なぜこの作品の主人公のこまわり君は「少年警察官」を自称しているのか、という問題だ。もちろん、それは単なる「ごっこ」遊びだと周囲の人間たちは思っているのだろうが、当人はかなり真面目に「警官としての権力」をふるおうとする意思を見せているのである。
つまり、山上たつひこがこの漫画を書いた心の底には、「普通の人間が、ある職業に就いただけで権力を持つ」ことの不思議さ、権力というものの怪奇さではなかったか、と今の私は思う。
それが、「光る風」のような痛烈なディストピア漫画を描いた漫画家が、このハチャメチャな少年ギャグ漫画の底に秘めた牙だったのではないか。





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仮想通貨と量子コンピューター

私は仮想通貨にも量子コンピューターにも興味が無いので、その両者にどんな関係があるのか分からないが、仮想通貨というのが詐欺や脱税やマネーロンダリングの手段に使われているような気がするので、下のニュースは朗報と言うべきだろう。
気が向いたら、後で少し調べてみる。

(以下引用)

さんがリツイート

量子コンピュータ実用化が本当に目前かと関係なく、量子コンピュータ実用化目前というプレスを大手企業が流しただけで仮装通貨市場が崩壊しかかってるのはすごい。






(夢人追記)「趣味で量子力学」というサイト(本当は別の名だが、同名の書物が元になっているようだ。)からの抜粋だが、その量子というもの自体がよく分からない。現代物理学ではこの量子という概念が基本になっているのかもしれないが、私の知っている量子は佐野量子だけだ。
まあ、ど素人の妄想だが、昔のようにすべての物理現象はいずれは正確に測定できる、という考えを捨てて、確率的に物事を捉える、というものではないか、と想像している。

「一方、量子コンピュータでは 1 と 0 の重ね合わせ状態を利用して計算を行わせる。1 でありながら同時に幾分かは 0 でもあるという不思議な状態であり、観測することで初めて状態がどちらかに確定するのである。 」

というあたりは、例の何とかの猫、みたいな話で、箱を開けてみるまでは中の猫が生きているか死んでいるか分からない、というのに似ている。




従来のコンピュータとの比較

 量子コンピュータではない従来のコンピュータのことを古典的コンピュータと呼ぶ。古典的とは言っても、現在普及している普通のコンピュータのことである。物理学者は量子力学が登場する以前の物理学を古典物理と呼んでおり、量子力学的でないものを全て古典的と呼ぶ癖が付いているのだ。

 古典的コンピュータでは情報を 1 と 0 の組み合わせで表現することで計算を実行している。具体的には、電気回路の信号線に掛かる電圧の高低を 1 と 0 の違いに見立てている。電圧の高い状態を1と見立てても良いし、電圧の低い状態を1と見立てても良い。どちらの設計も存在している。

 一方、量子コンピュータでは 1 と 0 の重ね合わせ状態を利用して計算を行わせる。1 でありながら同時に幾分かは 0 でもあるという不思議な状態であり、観測することで初めて状態がどちらかに確定するのである。

 量子コンピュータが古典的コンピュータの計算力を凌ぐのは、 この重ね合わせ状態をうまく利用したアルゴリズム(計算手順)が見つかっている場合だけである。どんな計算でも古典的コンピュータが負けるというわけではないし、古典的コンピュータよりも速く計算できる方法が知られている場合であっても、驚くほど速いわけではないということもある。

 量子コンピュータの動作には繊細な技術を必要とするので手間やコストがかかり、既に大規模化を実現している古典的コンピュータの並列処理を利用してガンガン計算させた方がはるかに有利だったりすることも多い。状況がどうなるかは今後の開発次第だが、あらゆる計算が量子コンピュータに置き換わるということは無いだろう。

 古典的コンピュータで行われているあらゆる計算を量子コンピュータで高速に計算させる方法などというのは見つかっていないのである。もう少し具体的に言えば、たとえ量子コンピュータが実用化しても家庭用ゲーム機が爆速になるわけではない。将来は量子計算が必要になるようなゲームが流行るかもしれないが、それがどんなゲームだか今はまったく想像もつかない。






























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「マナー」だから、ではなく、理由つきで子供に教えよ

安倍総理を弁護するわけではないが、私は「敷居を踏んではいけない」というマナーを知らなかった。そもそも、敷居を踏んだ記憶もあまり無い。こういうのは自己防衛の無意識で自然な行為であって、マナー扱いするようなことだろうか。
で、下の質問への回答を見ても、マナーと言うよりは、やはり、当人の安全のために生じた「日常生活の注意事項」でしかないものが、なぜか「礼儀作法」になっているようだ。「畳のへりを踏むな」などはもはや化石的マナーだろう。


(以下引用)


敷居や畳のへりを踏んではいけないのは何故ですか。 恥ずかしながら私は日本人で...


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  • 知恵コレ


cam********さん


2014/11/1808:47:27



敷居や畳のへりを踏んではいけないのは何故ですか。
恥ずかしながら私は日本人です。
できればこの質問に最もふさわしいカテゴリーも教えてください。


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ベストアンサーに選ばれた回答

2014/11/1810:33:17



マナー、作法というのには全て意味、目的、理由、歴史といった背景があります。

作法として語られる内容には全て「生活に密着した」狙いがあります。

例えば「布団を踏むな」「座布団を踏むな」という話。
このような戒めを語る場合、「布団にはその家の先祖が宿り…」というような説明をしてタブー視するようなことがありますが、こういうのはいわば方便。
そのような「宗教的な理由」ではなく、もっと現実的な理由があります。ただ「ご先祖様が…」と厳しく戒めておけば、より守るであろうということが期待出来ます。

寝具は寝るもの、座布団は座るもの。中に入っている綿は重みをかけるとつぶれてしまいます。
寝る、座るという使い方なら体重は分散されますが、踏む=立って乗ると一点に体重が集中し綿の劣化が早まります。これは「布団を長持ちさせるための知恵」です。

「畳の縁を踏むな」
よく言われるのは「昔の畳のヘリにはその家の家紋を入れる慣習も見られ、その場所を来客が踏むのは、訪問宅を侮辱するに等しい行為だ」という話。これが方便です。
確かにオオーダーメードの畳なら家紋を入れることもありましたがそれは本来の理由ではありません。
こちらももっと日常的です。
畳の縁というのは小さな段差になっています。今でこそ基礎や畳の性能も良くなりましたが、かつては畳の反りは縁の部分に発生するものでした。そこに足を引っかけると転倒したり滑ったりする恐れがあります。思わぬ事故を防ぐために日頃から踏まないように心がけるということです。

「敷居を踏むな」
柱が家屋を垂直面で支える構造物であるのと同様に、敷居というのは水平面で支える構造物です。
ここを踏むと「家が歪む」という物理的な不具合があったために戒めた訳です。
もちろん「敷居は段差になっているので躓きやすい」という意味においては畳と同じ要素もあります。

作法というのは全て意味がある訳ですから「畳の縁には家紋が…」などという縁起だけを云々して形だけ受け継いでもなんにもなりません。

しかし「綿が傷む」「転倒する」「家が傷みやすくなる」という部分については現代社会においても生きています。

形だけではなく意味とセットにして語り継いで行きたいです。


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こういうふざけた論を出すくらいなら「天皇廃止」論のほうが潔い

私は紙屋高雪氏を非常に尊敬しているが、下に書かれた論は(タイトルからしてふざけ半分だが)あまり感心しない。だが、どこがどうと考える気力も無いので、考察資料として保存だけしておく。ただ、自分の意志によって皇族をやめることもできる、というようにするのは悪くないような気もするし、人権的に必要な気もするが、深く考察したわけではない。元号については廃止ではなく、公的書類だけは西暦に統一したほうが便利だろうが、元号を残したほうが後世の歴史にとってはむしろ便利だということになると思う。
まあ、天皇を選挙する、などは愚論だと思う(それだと総理以外に天皇を置く理由が無い。)が、もともと天皇という存在に存在価値を認めていない人の論だろう。

(以下引用)


紙屋研究所


ぼくのかんがえたさいきょうのてんのうせい


 日本国憲法第1条は


天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く


 っていう具合に「日本国民の総意に基く」わけだから、天皇という制度自体はそもそも基本的人権や平和主義のように「永遠に」動かせない原則じゃなくて、国民の意思で憲法を変えて制度をなくしたり根本的に変更したりすることもできる。


 だけど、憲法を変えず、今の憲法の範囲内でも、「日本国民の総意に基」いて、天皇のあり方をもっと自由にデザインできるし、してもいいんじゃねーか。


 めざすところは、

  1. 天皇個人・皇室のメンバーをもう少し自由に生きさせてあげたい。人としての尊厳=人権を保障するというか。
  2. 明治憲法を引きずるような神的性格・権威的性格を削って、実権のない、しかし親しみと実感のわくシンボルとしての役目=「1日駅長」「〇〇県ぶどう大使」くらいのゆるさにしたい。
  3. 政治家が政治利用をできないようにしながら、同時にその地位が国民の総意に基づくことを制度上きちんと組み入れたい。
  4. 「こいつこそ、ニッポン!」的な統合象徴性はできれば大事にしたい。

といったあたりだ。憲法で定まっていないことは、法律や皇室典範を変えたらいいんだから、思い切ってそこをゆるやかにやるべきだということである。


 

天皇をやめられる・キョヒれる

 まず、天皇がイヤになったら・しんどくなったら交代できる、お休みできる。そういう制度にしたい。即位も拒める。老舗の跡継ぎじゃないんだから「将来はお前に店をまかすぞ」ってな具合に人生を縛られるのは誰でもイヤだろう。


 そこで、女性天皇女系天皇などを取り入れる。


 だけど、それでも順番を強制的に回される方はたまったもんじゃない。「え、〇〇宮がイヤって言ってんの? じゃ、じゃあ次は俺しかいないじゃん!! ちょ、待って待って待って待って。やだよ、おれ……やりたいことあるもん」。


 町内会の輪番、PTAの役員と同じである。 


 

養子をOKにする

 しかし、そこでネックになるのが第2条だろう。


皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。


 世襲かあ。世襲じゃあなあ。


 たとえ女子や女系を許容しても、受け継げるメンバーは限られてしまう。


 そこで養子ですよ。


 皇室典範第9条、


天皇及び皇族は、養子をすることができない。


 を変えればいい。まあ、養子構想ってすでにあるみたいなんだけどね。


 民間人で天皇になりたい人がいたら手を挙げてもらって、民主的な手続きでそれを決めて、養子縁組をするのである。歌舞伎の芸養子っぽく。


 AKBメンバーとか、スーパーボランティアの人とか、清原和博とか、ホリエモンとか、イチローとかが手をあげるのである(決め方は後で言う)。


 そして、そういう民間人出身の天皇は、退位後天皇家にいたくなければ離脱する(養子離縁)。


 

天皇を休める

 「しばらく天皇、休みたい」。


 そういう場合は、摂政にやってもらうのである。


 摂政は皇室典範第16条で


第1項 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。
第2項 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。


となっているんだけど、これでは摂政を置く条件が狭すぎる。これを例えば「天皇が、やむを得ない事情で、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」とかに改正したらいいのでは。


 

天皇について選挙する

 今の天皇の制度は、天皇になる順番をあらかじめ厳格に決め、有無を言わさず生物的に死ぬまで天皇をやらせるところがあって、それゆえに政治が介入する余地が少ない。つまり首相などの政治家が国民にウケるタイミングで即位させたり、気に入らない天皇を退位させたりといった具合に、皇位継承や退位などで政治利用しにくいのである。


 これを皇族や天皇の自由意志でやらせたり養子を取ったりするようになると、今度は政治利用の可能性が高まってしまう。


 そのあたりのジレンマをどうするか。


 そこで、天皇の選挙、もしくは信任投票をしたら?


 3人くらいの候補者の中から選ぶ。


 もしくは1人について信任投票する。


 最高裁裁判官みたいに、直近の国政選挙のときに一緒にやる形で。


 まあ、元来皇室の人は信任投票にして、民間人出身で養子を取る場合は選挙にしたらいいのでは。


 こうすれば、政治家による政治利用も防げて、「日本国民の総意に基く」も制度に組み入れられるわけですよ!


 本当は退位もそういう選挙で認めるかどうか決めるのがいいんだけど、そこまでやると「もうしんどいからやめさせて……」的なことが無理になるので。そこは内閣が出したオッケーが政治利用でなかったかどうかを国政選挙で審判下すしかないわな。


 


 ここまでで、「ぼくのかんがえたさいきょうのてんのうせい」はだいたい終わり。


 あとは、「できれば実行したら?」程度のプラスアルファの提案。 


 

プラスアルファ1:国事行為だけやってね

 天皇の仕事は、本来、憲法に定められた「国事行為」だけにすべきだ。


 それ以外は「公的行為」とされている。例えば共産党だって、公的行為は“憲法の範囲を逸脱しないものはいい”という形で認めている。「公的行為」を認めるという憲法学者は「国事行為の憲法のリストはあくまで『例えば』ってことだから、それ以外もやっていい」と言っている。


 しかし、「公的行為」なんて憲法には規定されていない。「公的行為」なんて認めない、という憲法学者も少なくない。


 憲法第4条はわりとはっきり書いてある。


天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。


 だから国事行為以外をやめさせたほうがいい。


 

プラスアルファ2:ニッポンの象徴にふさわしく

 「これぞニッポン」的な象徴のあり方を模索してほしい。


 さてここが難問である。


 例えば、民間養子天皇の場合、AKBメンバーが天皇になったり、スーパーボランティアが天皇になったりする。「オタクこそ今の日本だ」と思えばAKBのメンバーがやってもいい。スーパーボランティアの精神こそ日本的だと思うなら、尾畠さんみたいな人がやってもいい。天皇の仕事は憲法通りだから、国事行為しかやることはない。それ以上はやらなくていい。やってはいかん。でも、こういう元民間人の養子天皇の場合はすでにイメージがあるので、国事行為だけこなしていても大丈夫である。


 しかし、もともと皇室の人、つまり生まれながらに天皇家の人は、なかなかそういう具体的な象徴性を示しにくい。


 「天皇家の人というだけでいいじゃないか」という人がいるかと思うが、前天皇明仁)はそこから脱却し、狭義の「国事行為」のみならず、いろいろ「公的行為」を駆使して動き回って、「感情労働」をこなすことで「平和憲法の理念を受け継ぐ象徴」という、国民全体はもとより、左翼の中でもけっこう人気の統合イメージを得たわけだから、「公的行為」を禁じた上で「天皇家の人というだけでいいじゃないか」とするのは、何となく抵抗を覚えてしまうのである。


 だけど、しょうがないよね。そこは、がまんしてください。


 まあ、どうしてもっていうなら……「公的行為」を多少認めてもいいけど。


 

プラスアルファ3:元号をやめる

 「明仁天皇やめるってよ」みたいなことが頻繁に起きるかもしれないので、元号はコロコロ変わってしまう可能性がある。


 昔の元号みたい。ウィキペディアとかで確認しただけど、2年とかで変わるもんな。特に鎌倉時代のひどさに草。2年で終わった元号が12もある。「天福2年」だってw   三波伸介かよ。


 だから元号の公式利用をもうやめる。混乱するだけなので。西暦だけにする。


 元号は、天皇家が私的に発表するだけにしておく。LINEのメッセージとかでさりげなく使うと、「お、マニアなもん、知ってるね」みたいに、ちょっとおしゃれでプレミアなクール感☆が漂うかも!



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涙をふるって馬謖を斬る

便利な時代である。まあ、孔明以外に需要がどれだけあるか、またカット済み馬謖にどんな用途があるかは知らん。





さんがリツイート

馬謖を斬るときにどうしても涙が出てしまい困っています、という軍師の声に応えてメーカーが開発したのがカット済み馬謖














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