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小山田事件における記事の「脚色」と「編集」の相違

「百万年書房LIVE」というブログから転載。
長い記事だし、最後の画像部分は(目が悪いので)読んでいないが、画像は本文の内容と同じだろうからカットするかもしれない。記事自体、読む価値があるとは思わないが、保存する。長い前置きもカットするかもしれない。
まあ、記事本文を読んだ限りでは、騒動の発端となったらしい「孤立無援のブログ」筆者に「編集」されていたとしても、それは小山田の行為をまったく「脚色」してはいない。単に「印象の強い部分」を切り取っただけで、記事に書かれた事実しか書いていない。下記記事筆者の抗弁は、裁判なら、犯罪者の家族が「でも、あの人は家族には優しい人です」と言っても、判決にはまったく無関係であるようなものだ。そもそも、何かの記事を引用するなら、その記事引用に嘘があるか無いかだけが問題で、「編集による意図的誘導」などは事実の前には無力だろう。しかも、下の記事はこのいじめ事件の中で最大の嫌悪感を催す事実である「被害者に糞を食わせた」件に触れていない。編集者仲間内の仲間擁護にすぎない。そうした腐敗の記録としての記事保存だ。

(以下引用)

いじめ紀行を再読して考えたこと 02-90年代には許されていた?


2021年07月31日 夕方公開終了


取材&文=北尾修一(百万年書房)

(前半省略)
つまり、この「いじめ紀行 小山田圭吾の回」は、意図を持って構成が練られた、全体で22pにわたる長編読み物(=起伏のあるストーリー)なのですが、「孤立無援のブログ」はその文脈を無視し、煽情的な語句(情報)だけを切り取った上で、読んだ人の気分が悪くなるように意図的に並べ替えた上で公開しているものなんです。


たとえるなら、「ビジネス書はたくさん読むけど、小説や詩は生まれてから一度も読んだことがない人が作るまとめ記事」みたいなものです。


以下、私が記事のコピーと「孤立無援のブログ」を照合して気付いた点を列挙します。


●いじめられていた人として「学年を超えて有名」だったと記事の中で紹介されている西河原さん(仮名)の、以下の証言が「孤立無援のブログ」からは削除されています。「(筆者注:小山田さんからは)消しゴムを隠される程度のいじめしか受けていない。」(『QJ』vol.3 本文55p)


●「この対談、読み物としては絶対面白いものになるだろうし、僕も読むけど、自分がやるとなると……(苦笑)」(『QJ』vol.3 本文55p)という一文が「孤立無援のブログ」からは削除されています。
当初の小山田さんは、この企画に引き気味です。今回の報道で多用された「いじめ自慢記事」というレッテルに、少し疑問が湧いてきませんか?


●「小山田さんによれば、当時いじめられてた人は二人いた。」(『QJ』vol.3 本文55p)という一文が「孤立無援のブログ」からは削除されています。
細かい点ですが、「いじめてた人」ではなく「いじめられてた人」という表現が気になります。というのは、後述しますが、この二人のうちのひとり沢田君(仮名)と小山田圭吾さんの関係を、当事者ではない第三者が「いじめ被害者」「いじめ加害者」と決めつけていいのか、再読して私にはかなり疑問だったからです。


で、元記事では、最初にその沢田君のエピソードが語られます。


●「肉体的にいじめてたっていうのは、小学生くらいで、もう中高ぐらいになると、いじめはしないんだけど……どっちかって言うと仲良かったっていう感じで。いじめっていうよりも、僕は沢田のファンになっちゃってたから。」(『QJ』vol.3 本文57p)という発言が「孤立無援のブログ」からは削除されています。


●高校時代、沢田君と小山田さんがずっと隣の席だったこと。小山田さんはクラスに友達がいなかったので、お互いアウトサイダー同士で沢田君とは仲が良かったという発言が、「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文58p)。


●今回、特に酷い性虐待エピソードとして紹介された小山田さんの以下の発言。
ジャージになると、みんな脱がしてさ、でも、チンポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ、チンポ出したままウロウロしているんだけど。だけど、こいつチンポがデッカくてさ、小学校の時からそうなんだけど、高校ぐらいになるともう、さらにデカさが増しててさ(笑)女の子とか反応するじゃないですか。だから、みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして。
この発言は「孤立無援のブログ」で紹介されていますが、これに続く以下の小山田さんの発言を同ブログは削除しています。
でも、もう僕、個人的には沢田のファンだから、『ちょっとそういうのはないなー』って思ってたのね。……って言うか、笑ってたんだけど、ちょっと引いてる部分もあったって言うか、そういうのやるのは、たいがい珍しい奴っていうか、外から来た奴とかだから」(『QJ』vol.3 本文58p)
素直に読めば、この性虐待エピソードは小山田さんとは別人の犯行です。小山田さんは周りで笑いながら引いていた、というポジションです。そして、この「笑ってた」という小山田さんを責める資格、少なくとも私にはありません。


●沢田君が、透明な下敷きの中に石川さゆりの写真を入れてきて、隣の席の小山田さんがツッコミを入れるエピソード(もちろん沢田君はボケてる自覚なし)。個人的にはまさに青春、という良いエピソードだと思いますが、「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文58p)。


●高校生になってエチケットに気を付けるようになった沢田君。ポケットティッシュがすぐなくなってしまう沢田君に、小山田さんは首にかけられるようにビニール紐を通した箱のティッシュをプレゼントしました。それ以来、沢田君は自分で箱のティッシュを買うようになったというエピソード。これも「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文60p)。


●小山田さんのインタビューの合間に入るM氏の文章。
いじめ談義は、どんな青春映画よりも僕にとってリアルだった。恋愛とクラブ活動だけが学校じゃない。僕の学校でも危うく死を免れている奴は結構いたはずだし、今でも全国にいるだろう」(『QJ』vol.3 本文61p)という一文が「孤立無援のブログ」からは削除されています。
SNSがなくて学校外に居場所を作りづらかった時代の感覚なので、今の若者にはピンとこない文章だと思いますが、M氏が「いじめ自慢を並べる、鬼畜系記事」を意図していたとしたら、あまり必要のない文章に思えます。


ここで、沢田君から村田(仮名)という人物のエピソードへと話題は移ります。


●高校の修学旅行。留年した一コ上の先輩「バカな渋カジ」と、村田と、小山田さんという「かなりすごいキャラクター(笑)」の3人が、「好きなもんどうしが集まったとかじゃ全然な」いのに同じ班に集められて、修学旅行に行くことになった、というエピソードが「孤立無援のブログ」からは削除されています(『QJ』vol.3 本文63p)。


●この修学旅行の出来事として、「バカな渋カジ」が先導した性虐待のエピソードが登場します(筆者注:以下、読むと気分悪くなります。ご注意ください)。
ウチの班で布団バ〜ッとひいちゃったりするじゃない。するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。たとえばバックドロップだとかって普通できないじゃないですか? だけどそいつ(筆者注・おそらく村田)軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。それがなんか盛り上がっちゃってて。みんなでそいつにプロレス技なんかかけちゃってて。おもしろいように決まるから「もう一回やらして」とか言って。
それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。いちおう、そいつにお願いする形にして、「バックドロップやらして」なんて言って(笑)、”ガ〜ン!”とかやってたんだけど。
で、そこになんか先輩が現れちゃって。その人はなんか勘違いしちゃってるみたいでさ、限度知らないタイプっていうかさ。なんか洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。「オナニーしろ」とか言っちゃって。「オマエ、誰が好きなんだ」とかさ(笑)。そいつとか正座でさ。なんかその先輩が先頭に立っちゃって。なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。「ここはヤバイよな」っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。「オマエ、誰が好きなんだ」とか言って。「別に…」なんか言ってると、バーン!とかひっぱたいたりとかして、「おお、怖え〜」とか思ったりして(笑)。「松岡さん(仮名)が好きです」とか言って(笑)。「じゃ、オナニーしろ」とか言って。「松岡さ〜ん」とか言っちゃって。
この発言は「孤立無援のブログ」で紹介されていますが、これに続く以下の小山田さんの一言を、同ブログは削除しています。
かなりキツかったんだけど、それは」(『QJ』vol.3 本文64p)
ここに意図がないとはとても思えません。


沢田君と比較し、村田とのエピソードはそれほど多くありません。
次に、「いじめっていうのとは全然違って、むしろ一緒に遊んでた奴」である朴(仮名)の家庭が厳しかった、というエピソード。
小山田さんの母校では、他の学校で特殊学級にいるような子が同じクラスにいたという話。
母校の近くに養護学校があったので「小学校の時からダウン症って言葉、知ってた」という話などが披露されます(念のため、小山田さんが養護学校の生徒をいじめていたというエピソードは、記事内にありません)。


こうやって元記事を再読すると、記事の中で大きいのは沢田君の存在で、村田さんと朴さんのエピソードとは比重が違います。が、「孤立無援のブログ」だけを読むと、この事実はまったく伝わってきません。


そして沢田君、村田さん、朴さんに、M氏が小山田さんとの対談を申し込んで断られるエピソードへと話は移ります。M氏が手を尽くしても、村田さんと朴さんには連絡がつきません。そして、肝心の沢田君。


●取材当時、沢田君は学習障害で「家族とも『うん』『そう』程度の会話しかしない」状態だったことが明かされます。M氏は沢田君の家の最寄り駅から電話をし、沢田家に上がって取材依頼をします。
「孤立無援のブログ」では、この時のやりとりを紹介しています。
お母さん「卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知ってる人にばかり囲まれているから。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」
寡黙ながらどっしりと椅子に座る沢田さんは、眼鏡の向こうから、こっちの目を見て離さない。ちょっとホーキング入ってる。
ーー(小山田と)対談してもらえませんか?
「(沈黙……お母さんのほうを見る)」
ーー小山田さんとは、仲良かったですか?
「ウン」
 数日後、お母さんから「対談はお断りする」という電話が来た。(『QJ』vol.3 本文67p)
話が脱線しますが、当時の私ではなく現在の私は、この「ホーキング入ってる」はいかがなものかと思いますよ。〉M氏
この沢田君からの「対談NG」を聞いた小山田さんの反応は、「孤立無援のブログ」で削除されています(ここが、この読み物で一番大事なところなのに!)。
この沢田君への小山田さんからの言葉が、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」という記事全体のクライマックスです。この記事の末尾に記事全体の画像を貼っていますので、みなさんぜひ実際の記事を読んで確かめてください。
少なくともこの「いじめ紀行」という記事だけで、第三者が「小山田さん=障害者を暴行した加害者」「沢田君=暴行被害を受けた障害者」という単純な関係性だったと決めつけるのは、あまりに乱暴ではないかと私は思います。


そして、卒業式当日の沢田君と小山田さんのエピソードが披露され、記事本文は終わります。最後に、沢田君が小山田さんに送った年賀状の実物が掲載されています。


●誌面に沢田君の年賀状が掲載されていることについて、「孤立無援のブログ」は(今回の騒動後の)2021年7月18日に、「小山田圭吾が障害児の母親からもらった年賀状を雑誌でさらして爆笑する」というタイトルで記事公開しています。
タイトルの「爆笑する」が示す箇所が特定できないので、このタイトル自体がずいぶん粗雑だと思いますが、本文の方も(「孤立無援のブログ」にしては珍しく)粗い印象操作になっています。急いで公開しようと焦ったのでしょうか。


ここから、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」が「沢田君の年賀状」を掲載している理由について、自分なりに推理していきます。
まず本文56pに、この年賀状について、以下の小山田さんの発言があります。
それで、年賀状とか来たんですよ、毎年。あんまりこいつ(筆者注:沢田君)、人に年賀状とか出さないんだけど。僕の所には何か出すんですよ(笑)。
ここで、沢田君が小山田さんに年賀状を毎年出していた(沢田君は小山田さんを友達だと思っていた)ことが分かります。
そして、ポイントになるのは、この年賀状の画像が、記事本文を読み終わってページをめくったところに掲載されている、ということです。
不肖・私、26年前は使い物にならないダメ編集者でしたが、それからずっと編集稼業を続けてきました。現在の私がこの「沢田君の年賀状」がなぜこの位置に掲載されているのか、その編集意図を推測するとこうなります。
記事本文のラストは、現在の沢田君が学習障害になってしまったと知った小山田さんがショックを受け、「沢田とはちゃんと話したいな、もう一回」と思っていること、卒業式の日にお互いにサヨナラの挨拶をしたエピソードなどが、感傷的なトーンで綴られます。
その本文が終わってページをめくったところに、突如ドドーンと現れるのがこの「沢田君の年賀状」なわけです。
ということは、この画像が象徴しているものは「小山田さんと沢田君が、かつてクラスで席を並べて過ごしていた時間」です。そこに、部外者が簡単に決めつけられるような関係性ではない何かがあったはずだと、読者に連想させるための画像、のはずです。


で、注目すべきは、この年賀状の内容です。「手紙ありがとう」と沢田君は書いています。
ここで、本文でずっと匂わされていた「実は小山田さんと沢田君は仲良しだったんじゃないのか?」ということの、物的証拠が初めて示されます。つまり、読者はこう発見するのです。
「小山田さんも、沢田君に手紙を書いていたんだ…(やっぱりふたりは仲が良かったんだ…)」


記事のラストとして上手いなと思います。


しかも感動的なのは、取材時に「社会復帰はしていない」沢田君ですが、この年賀状を書いている過去の沢田君は「三学期も頑張ろう」なのです。つまりここにあるのは未来に対して前向きだった、小山田さんと仲が良かった頃の沢田君の姿なのです。


以上、記事の現物を素直に頭から読めば、どう考えても「沢田君の年賀状」はこういう解釈になります。それを「障害児の母親からもらった年賀状を雑誌でさらして爆笑」というタイトルで紹介するのは、いくらなんでも悪意のかたまりだと私は思います。


なので、ここまで読んでくださったみなさんはぜひ、今web上やメディアの記事で「『いじめ紀行』読みました!年賀状をさらしものにするのなんて最悪だと思います!」と書いている人は全員、実際の記事を読んでいない(確定)という、リトマス試験紙に使っていただければ幸いです。


と、ここまで確認してきて分かるように、たとえば7月21日「朝日新聞」の天声人語欄にこうありますが。
「(筆者注:小山田さんが)小中学校の頃、同級生や障害者にひどいいじめをしていた。20代半ばになって、それを雑誌で得意げに語っていたことが問題となった」
この天声人語の執筆者は本当に元記事にあたったのかどうか、私には甚だ疑問です。しつこく確認してきたとおり、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」の現物記事を読めば「《得意げに》語っていた」という言い回しには絶対にならないはずなのです。


他にも「いじめられっ子にアポなし突撃取材」と言われていたり(元記事を読むかぎり、アポなしではなくM氏は事前に電話をしているようです)、あまりにもいろんな罵詈雑言が飛び交っていて、ここまで炎上すると下手に近づくと自分も丸焦げになるに決まっているわけですが、少なくとも私は私の気づいたことを知らせるべきだと思ったので、火の粉を被る覚悟の上で「元記事の記述はこうですよ」ということを報告しました。


あと、こういう微妙な事柄を書くと「なんでこの文章をそういう意味に受け取るの……???」という人が必ず出てくるので、しつこいくらい繰り返しておきますが、私はこの文章で「小山田圭吾さんはいじめ加害者ではない」と言っているわけではありません。
早とちりされないように強調しますが、小山田さんはいじめ加害者です。だって、小山田さん自身が謝罪文で「いじめ行為をはたらいていた」と認めていますから(そもそも「いじめ紀行」という連載にゲスト出演しているわけだし)。
ただ、小山田さんがいじめ加害者だったという事実があるとしても、報道やSNSで言われていることは、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」の記事現物と照合すると、ずいぶん小山田さんにとってアンフェアな傾きがありますよ、と言いたいわけです。


で、実は私の話、これでまだ前哨戦なのです。
話が長くて恐縮ですが、次がいよいよクライマックスです。
今回指摘したポイントは些末なことで、元記事を再読した私が一番驚き、世の中に伝えたいと思ったことを、最後に書きます。ここまで読んでくださったみなさんは、どうか次回も読んでください。


では、また後ほど。


(次回7/23更新、「最終話 「いじめ紀行」はなぜ生まれたのか」)



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コロナ? クラスター? 三密? 何それ

つまり、政府としては最初から「コロナはただの風邪」方針だったわけであるwww 世間が騒ぐから対策めいたものを少しやっただけで、PCR検査も無意味だと、これも最初から分かっていたから熱心じゃなかったのである。ワクチン接種が急停止したのは、国民にとっては恩恵だろう。いまだに、「感染者数が拡大~、大変だあ~」と騒ぐ連中は、PCR検査について調べたことはあるのか。新コロは重症化したら大変だ、と言うのならイベルメクチンなどの使用を推進すればいいだけの話だ。何も無症状者まで感染者扱いする必要はない。
新コロウィルスが実在するなら、それを地上から絶滅させることは不可能だし、ワクチンが効果があるとしても変異株には適応しない。それどころか通常のワクチンではありえない確率で過激な副反応があり死者も大量に出ているのである。
まあ、最初から言っているように、風邪にかかるのを恐れて社会活動をすべて停止するという馬鹿げた行動が、ここ2年間続いていただけのことだ。風邪だって、死ぬことはあるのであるが、だからといって風邪を引きたくないから会社も学校も休んでずっと家にいる、という馬鹿がいるか、という話だ。



(以下引用)


熱が38度超えたからヤバいと思って横浜市のコロナ相談窓口に連絡したら、自力で病院探してくださいって言われたんだけど…え、もしこれで検査しないで放置して周りに知らせないでいたら感染知らないままで広がりませんか?って言ったら、もうコロナの可能性あるなしはどうでも良い方針になったとの事。


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創作者と創作物

ドラクエは好きだし、ドラクエの音楽も好きだが、すぎやまこういちという人物の政治思想は大嫌いである。杉田水脈や高須院長や安倍晋太郎の同類だ。愛国者ではなく下種な狂信者である。
人格低劣なクリエイターだが作品は素晴らしいということはよく見られる。これは当たり前の話であり、何かの能力や才能と高潔な人格が結びつく理由は無い。高度な技術はその技術の修練で得られるのであり、そこに見られる人格は「努力家」であるか、あるいは「何かに熱中する性格だ」ということだけだろう。あるいは「人気者になって人から賞賛されたい」という性格かもしれない。そのジャンル以外の部分では小学生並みの頭脳や三歳児の倫理感覚であってもおかしくはない。しかし、クリエイターが下種や人格破綻者だと知ると、その作品を楽しめなくなるのが普通の人間だろう。
まあ、最低限の心得として、「公的な場にはその人物を起用しないし、その作品を使わない」とするのが正解だろう。既に使ったがwww
 
(以下引用)

ドラクエ作曲者「私財投じて安倍首相を応援する」理由

すぎやま氏の自宅にて。現在も精力的に音楽活動を続けており、3月1日には京都コンサートホールにて、4月14日にはアクロス福岡シンフォニーホールにてコンサートが行われる〔PHOTO〕原 一平

 ゲームを始めるときは、「さあ、これからどんな物語が始まるのだろう」と胸が躍るものですが、誕生したばかりの安倍政権についても「これからどんな政策を実施して、どんな日本を創ってくれるのだろう」とワクワクしていますね。


 いまの日本は〝日本軍〟と〝反日軍〟に分かれた内戦状態にあるんですよ。日本の良さを守り、継承していこうというのが日本軍。日本を弱めようというのが反日軍。そして反日軍のリーダーが民主党だったと思っています。ようやくその民主党が倒れて、安倍晋三・自民党政権が誕生しました。これで日本が正しい方向に進む、と安堵しています。


 作曲家・すぎやまこういち氏(81)。『亜麻色の髪の乙女』などの名曲の生みの親であり、名作ゲーム『ドラゴンクエスト』の音楽の作曲者としても有名な氏は、安倍晋三氏をはじめとする自民党保守派の熱烈な支援者である。


 民主党政権のときは、本当に日本が終わりを迎えるのではないかとヒヤヒヤしていました。問題を挙げるとキリがないが、特に中国に対する弱腰外交にはうんざりしていた。尖閣諸島の問題に象徴される中国の傲慢な外交に対して、民主党はなにも対処しようとしなかったでしょう。パラオのような小国でも、昨年中国漁船が領海侵犯してきたときには、射撃して追い払おうとしました。ところが、民主党政権は尖閣に上陸した中国の活動家を逮捕して強制送還するだけで、ことを済まそうとした。その程度の対応しかできない民主党政権のままでは日本が「中華人民共和国・日本自治区」になってしまう、と本気で恐れていましたよ。


 しかし、安倍政権が登場したからには、こんなことは二度と起こらないはずです。その裏づけとして、安倍氏は総理に就任早々、東南アジアの国々を訪問しましたね。これが素晴らしかった。東南アジアの国々と団結して、中国に対抗するための布陣を築いていこうとしています。早速民主党との違いを見せています。今後も期待できますよ。

安倍よりメディアが悪い

 すぎやま氏は、2011年には安倍晋三氏に100万円、稲田朋美行革担当大臣に150万円を寄付したのをはじめ、定期的に自民党の政治家に寄付を行っている。さらに、'07年には米ワシントン・ポスト紙に、自費で従軍慰安婦問題に関する意見広告を出した。


 残りの人生を考えたときに、最近は自分のことよりも、日本のこれからについて考えるようになったんですよ。僕のコンサートにはドラクエファンの若い方もたくさん来られるのですが、彼らの姿を見たときに「いまのままの日本を孫たちの世代に渡してもいいのかな」、と。山積する問題を次の世代に放り投げちゃっていいのか、と思うようになったんです。


 81歳になったいまでも、ゲームをやっています。いまは『ドラクエ10』に夢中で、楽団の仲間たちとパーティを組んで進めていますが、まもなく最後のボスとの対決、というところまできました。


 初代『ドラゴンクエスト』のクライマックスで、ラスボスの竜王が勇者に向かって「ワシの仲間になるなら世界の半分をやろう。どうだ、仲間にならんか」と誘惑してくる場面があるでしょう?分かりやすく言えば、あそこで「はい」と答えてしまうようなズルい政治家を生み出してはいけないんです。善き政治家を育てるために自分に出来ることがあるなら、惜しむことなく、力を注ぎたいと思っています。日本を正しい方向に導くための活動を続けて行きたい。


 安倍政権に対する不安は、現在のところありませんが、足を引っ張ろうとする勢力がたくさんいるのが心配ですね。特にメディアは、揚げ足取りをしてでも引きずり下ろそうとする。それが不安です。まだ安倍政権は誕生したばかりでしょう? 参議院選挙が終わるまでは、あたたかく見守って欲しいと思うのです。


「フライデー」2013年2月22日号より



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DSは金融完全支配世界を目指す

まあ、このツィートが事実だとしたら、DSのグレートリセットの本丸は「世界の経済体制を根底から変えて、庶民には一切の財産を持たさないようにする」あるいは「カネそのものを実物からただの『情報』に変え、情報を支配するものがすべての人類を支配するようにする」ことだろう。
なお、「罰金」と書いてあるのは、「手数料(預かり手数料)」であるらしい。
その「手数料」が毎月発生するとしたら、銀行に預けたカネは(基本所有容認額を除き、だが、簡便に見積もるなら)毎月0.05%目減りしていくわけである。逆に言えば、銀行側資産は毎月自動的に0.05%増えていくわけだ。1年で0.6%の資産移動で、10年で6%、100年後には60%の資産移動になる。わずか0.05%と馬鹿にしていると100年後には庶民の資産は60%減少し、それがすべてDSの所有になるのである。

(以下引用)

嫁さんから怒りのメールが来て恐る恐る読んでみたら、ドイツ国内で通常口座には最大10.000€(120万ぐらい)までしか持っちゃダメ、ってなるらしい。。。それを超えて口座にお金があると罰金(0.05%)を払わされるというアホみたいな法律が8月から施行とのこと

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日置貴之とは何者か

私もインタビュー記事を読んで、物凄い傲慢な態度だな、と思ったが、この日置という男は何者なのだろうか。次々に偉材が現れるオリンピックであるwww
こいつも首にしていいのではないか。意図的にかどうか知らないが、村祭りに芸能人をまぶした程度のチャチな(日本のイメージダウン必至の)開会式を企図しているようだ。もちろん、もう変更は無理だろう。

28ニューノーマルの名無しさん2021/07/20(火) 14:31:29.06ID:W53Zf1c00
五輪パラ開閉会式統括、組織委日置貴之氏が共通コンセプトに込めた思いとは
www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202107140001278.html

日置貴之氏(スポーツブランディングジャパン代表取締役)がHALF TIMEのアドバイザーに就任
biz.halftime-media.com/stories/106
2015年より東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の開閉会式のエグゼクティブロデューサーを務める。
また、スポーツに特化したライブ中継の制作会社「Easy Production」、プロ野球のファームを中心としたライブ配信サービス
「イレブンスポーツ」を運営する。

Easy Production 代表取締役 趙 守顕
www.easyprod.tv/

イレブンスポーツ 代表取締役 趙守顕
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%96%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84

同胞コミュニティー東西南北 趙守顕
korea-np.co.jp/sinboj2001/4/0406/83.htm

どうやら、博報堂出身で、韓国または北朝鮮人脈とのコネがあるようだ。



(以下引用)

いや、びっくりした。 ここまで不遜な態度でインタビュー受ける人ってある意味すごい。 インタビューした記者がよっぽど不快だったとしか思えないまとめ方が、かなり笑える。 どんな開会式になるのか、ますます期待がふくらんできた。 色々な意味で、ね。
五輪パラ開閉会式統括、組織委日置貴之氏が共通コンセプトに込めた思いとは - 東京オリンピック2020 : 日刊スポーツ
東京五輪・パラリンピック組織委員会は14日、東京大会における開閉会式のコンセプトを発表した。五輪パラ4式典の共通コンセプトは新型コロナウイルス禍において「前を… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)
nikkansports.com


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脳筋集団の「伝統」

まあ、これが体育会系集団にはよくある「伝統」というものだろう。
なぜ、こういうサディスト的行為が伝統となるのか、社会心理学のテーマになりそうである。
それはともかく、同性の写真を見ながらオナニーをするというのはなかなか困難な行為だろうから、それが「精神を鍛える」のだ、という言い分が存在するのかもしれない。傍から見ればホモ養成である。ある意味、同性だけの集団というのは同性愛者には天国だろう。




ざっくり言うと

  • ベッカム氏が16歳のころに受けた、衝撃的なイジメ体験を告白した
  • 選手の写真を見ながら、チームメイトを前に自慰行為をさせられたという
  • 新入りのイジメは、ベッカム氏の時代で終わりにすることができたそう

【イタすぎるセレブ達】デヴィッド・ベッカム、衝撃の“新人イジメ”を激白。


新人時代の衝撃的なイジメ儀式について明かしたデヴィッド・ベッカム

写真拡大



サッカー界のトップスターとして活躍し、その実力とカリスマ性でファンを魅了し続けたデヴィッド・ベッカム(38)。しかし10代の頃には先輩たちによるシゴキに耐えねばならず、そのひとつとして“あまりにも屈辱的な行為”を強要されたという。


このほど、90年代のサッカー界スター達を取り上げる新ドキュメンタリー『The Class of 92』にデヴィッド・ベッカムが出演。その中でデヴィッドは、まだ16歳だった1991年に強要された“あまりにも屈辱的な行為”の内容について衝撃的な告白をした。


「そう、ユースチームへ入門する際の儀式ってやつで、みんながやらされたのさ。でも俺がやらされたことは最も不愉快な“儀式”のひとつだったね。」


その際デヴィッドは、ウェールズ出身のクレイトン・ブラックモア選手の写真を見ながらチームメイト達を前に自慰行為をさせられたとのこと。もちろんデヴィッドは「もう二度とあんなことはゴメンだね」と当時を思い出しながら語っている。


ちなみにこのような新入り向けの儀式は長い間続いたというが、デヴィッド達の時代でどうにか終わりにすることができたそうだ。それについてデヴィッドは英紙に「誇りに思っているよ」とコメントしており、長男のサッカー界入りを噂される父としての思いも垣間見せた。
(TechinsightJapan編集部 ケイ小原)



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兵庫県知事選とパソナ「仁風林」

「大摩邇」記事の匿名コメント氏のコメントが興味深い。維新政治家による大阪の惨状を眼前に見ている兵庫県民が本当に維新候補を当選させるだろうか。選挙操作の可能性が大かもしれない。
淡路島の「仁風林」を調べると日本の政治の実態が分かりそうである。

(以下引用)

  •  匿名 
  • 2021年07月19日 23:01
  • パソナ仁風林に常連ルース駐日大使
    2010年8月6日にルース駐日大使(当時)が、
    現職の駐日大使として初めて
    「広島原爆の日」に参列

    2011年3月11日東北大震災津波と
    マグナBSPが管理していた
    福島第一原発事件

    五輪警備など名目に
    共謀罪を強行採決したが、
    東電福一原発事故当時、管理会社マグナBSPが
    東京五輪警備のトップ?

    東京オリンピック警備のトップは警察庁では なく マグナBSP

    https://true-int.com/2020/02/07/オリンピック警備のトップは警察庁ではなくマグ/

    JAL123便事件 関東山地も含む
    フォッサ マグナ 地帯 ?

    IOCぼったくり男爵バッハ会長が
    2021/7/16広島原爆ドーム訪問強行?
    「ろくでなしの称号」

    2021/6/24平和記念公園(広島市中区)の
    原爆死没者慰霊碑に
    午後0時55分頃
    「インセキ」などと赤字で記した貼り紙

    https://www.yomiuri.co.jp/national/20210626-OYT1T50125/

    https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/301c22c23df33c5ddb68bc7834f99fae


    兵庫県がコロナ731部隊本拠地?
    自民党西村と菅・安倍麻生 不正選挙工作に
    維新はしげも?電通 桜井親子?
    不正選挙後は、
    電通・パソナの98%中抜き汚輪ピック
    パソナ仁風林に常連
    西 村 康 稔 兵庫9区衆院議員,
    兵庫9区は淡路島・明石市
    兵庫県パソナ淡路島731部隊エプスタイン島化サポート?
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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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