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邪馬台国から大和朝廷へのlong long way

「副島隆彦の学問道場」の「重たい掲示板」にKONAという人が投稿した邪馬台国についての考察記事である。文中の「小林説」の小林は小林恵子(やすこ)という人のようだ。なかなか興味深いことをその著作に書いている。ただ、私がそのすべてに賛同しての転載ではないことは勿論だ。
要するに「邪馬台国」は「大和朝廷」の前身だ、というのは中学で日本史を習った最初に誰でも考えることだろう。だが、なぜか学者たちの間でその説を言う人があまりいないようで、私は知らなかったが、小林がその説を言っているようだ。
下の引用では「邪馬台国」と「奴国」の関係が書かれていないが、邪馬台国の北上・東遷に伴う「邪馬台国→奴国→大奴国→大和」という名前の変遷が伺われる。つまり「奴国」の「奴(な)」が「奴隷」を表すのは当然(「魏志倭人伝」の「倭」は小人の意味のようだ。どちらも蔑称である。これは「和人」という自称を魏の書き手が「倭人」と表記したのだろう。「倭人」は当時の魏が記(志・誌)した日本史上の日本人全体である。)で奴国の人間には不愉快なので、「奴(な)の国」が類似音変化で「和(わ)の国」となり、そして「大」という美称をつけて「大和国」と改名したのだろう。
「大和」が「やまと」と呼ばれたのは、当時そのあたりの土地が「山の戸(入口)」を意味する「やまと」と呼ばれていたからではないか。これは、奈良地方が四辺を山に囲まれていたからだろう。「たたなづく青垣、山籠れる大和し麗し」である。「大和」を「やまと」という無理な読み方をしている理由は、「大和」という漢字が先にあり(まず国名が作られ)、それに「やまと」という読み方をこじつけたからだと思う。

(以下引用)

(2)邪馬台国は「間違いなく」太宰府にあったか?
下條説では「間違いなく」太宰府としているため、本当に間違いはないのだろうか?
下條説は大きくは北九州説ですが、北九州説では、気候風土が合わないという致命的な問題点がある。魏志倭人伝にある邪馬台国の気候風土は熱帯から亜熱帯であり、近畿は寒すぎて話にならないし、北九州だとしても特に冬はやっぱり寒い。

(引用はじめ「江南~神武」p133)
魏志倭人伝の記述にある、一年中緑の野菜があること、海水に潜って魚貝を捕ること、裸足でいられることなどから、少なくとも温帯地方であることをうかがわせているが、庶民の男子が上半身裸だったことは、奄美大島から沖縄にかけての東南アジアの関連を感じさせる。(中略)つまり「魏志倭人伝」にみえる男性は上半身を様々な文様の入墨で飾り、下半身はサロンのように、布を腰に巻いていたのである。また女性の来ている貫頭衣が南方系であることはすでに定説となっている。人々がこのような姿でいられるのは、熱帯から亜熱帯地域に限られるであろう。
(引用終わり)

Konaです。気候風土の問題を脇に置くとしても、邪馬台国の距離と方角についてはどう考えるべきか?
下條説では岡田英弘氏の見解に沿い、邪馬台国の距離と方角について魏志倭人伝は「記述がでたらめ」(「邪馬台国の謎」p101)としている。そして邪馬台国の位置が分からない理由は、「魏志倭人伝」が司馬懿の実績を高く評価するために改ざんされたからとしている(同書p105)。
この点、小林説は邪馬台国の所在地を不明確にしている最大の理由を魏志倭人伝が紀元前後から3世紀後半までのことを3世紀前半の記述の中に「同時に押し込めたから」としている。
(引用はじめp142)
邪馬台国の所在地にしても、紀元前後の奄美大島と、3世紀中頃までの伊都国の2箇所が同時に記載されている。「魏志倭人伝」は行程において邪馬台国が最初に都した奄美大島までの日数を記したが、政治経済については邪馬台国が北九州に移動し、伊都国がその主体となった3世紀前半の実情を記録しているのだ。その上、3世紀後半、倭国の主体が近畿の大和地方に移って、大倭と国名を変えた後のことも紛れ込ませている。
(引用終わり)

Konaです。小林説によれば、前述の気候風土の問題は奄美大島の記述として問題を解消でき、政治経済については北九州とすることでこちらも矛盾が起こらないことになります。小林説でも下條説でも結果としては近畿ではなく、北九州に邪馬台国があることでさほどの違いはない(伊都国なのか、太宰府なのかはおきます)。しかし、単に司馬懿の実績のためにデタラメを記載したとして邪馬台国の位置を推論していく下條説(岡田説)よりは小林説のほうに説得力があると私は思います。

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ひろゆきの「統一教会問題」への回答

私はひろゆきというのはマスコミの洗脳道具のひとつだと思っていて、あまり好感は持っていないが、「問題」を真剣に考える姿勢と、「事実と主観」を分けて考える思考手法は多くのマスコミ評論家の中ではマシな部類だと思う。まあ、持ち上げすぎてはいけないが、頭のいい人であるのは確かだろう。社会問題に関してはホリエモンなどよりマシだという気がする。後者は、自分が関心の無い問題は、最初から考える気も無いだろう。
ひろゆきが言うように、宗教と政治を完全に分ける(宗教の政治への関与を完全に無くす)ことは非常に困難だろう。ただ、宗教組織の集金がなぜか無税であること、宗教集団の悪事が隠蔽される(あるいは政治で保護される)ことが多いのが問題なのであり、それは政治腐敗に直接つながるのである。逆に、これがたとえばイランなどだと、確か宗教は政治の上位にあったと思うが、現在もそうなのかどうかは分からない。つまり、日本の常識が必ずしも普遍性を持つとは限らないわけだ。

(以下引用)

ひろゆき氏 〝旧統一教会〟現役信者から素朴な疑問「なんでバッシングするの?」に冷静回答


配信

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東スポWeb

ひろゆき氏(東スポWeb)



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即座に萩生田辞任(解任)要請運動を起こすべき

まあ、言いたい放題である。安倍体制の継承(統一教会存続)宣言みたいなものだ。
岸田は、この男に観測気球を上げさせて様子見をする気だろうが、危険な発言である。国民がいっせいに反発しないと統一教会的なものがそのまま続いていくことになる。
この発言で既にネトウヨは大喜びしている。

(以下引用)






萩生田 自民政調会長「防衛力増強を速やかに実行」「強い経済が必要、物価を抑え、原発をしっかり活用していく」






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「天皇の原発特許」論の「論拠」なるもの

「天皇の原発特許」というアホ話のかなり初期の投稿だと思うが、最近やたらにこの手の「反天皇言説」がネットに流行っているので、その論拠らしいものを見るためにここに載せておく。
考察するのは面倒なので、右寄りの弁者らしい人物のコメント(表現は難があるが論理的だと思う。)を借りて考察代わりにしておく。キチガイの発言をまともに考えるとこちらの頭がおかしくなるからだ。
ちなみに、この引用文の筆者はその「原発特許」あるいは「原爆特許」の書類を自分の目で確認したとは書いていない。書かれたことは何の論理性もない、ただの推測だけである。昭和天皇のイギリス陸軍元帥の称号は、ただの名誉職だろう。名誉段位の類である。だいたいが、一国の君主が他国の陸軍を指揮するはずがない。柔道の名誉段位6段くらいの老人が2段の現役柔道家に勝てるはずもない。そもそも試合などしない。

私は天皇制の存続に自分の命を賭けているほどの尊皇主義者ではないが、日本という国の個性(伝統と文化と歴史)は天皇という存在が大きな土台になっていると思っている。天皇が存在しなくなれば、日本という国の個性は消滅すると思っている。竹中平蔵(だったか?)やホリエモン流の新自由主義で、伝統文化や、それに基づく文化に敬意を持たない趣味の悪い資本主義国になるだけだろう。
世間のチンピラが、天皇を罵れば自分が天皇より偉くなった気分になってこの種のアンチ天皇発言をするのは吐き気がする。私は右翼ではないし、社会主義者だが、論議はちゃんと明確な根拠と論理でやるものだ。
もちろん、大東亜戦争(この呼び方が一番実態に合っていると思う。)での昭和天皇の判断は間違っていたことが多いし、昭和天皇にはその「戦争責任」があっただろう。そして、あの戦争(実は国民のほとんどが戦争推進派という、帝国主義時代の話なのだが)で自分の身内や知人を失った人たちが天皇を恨む気持ちも理解はできる。しかし、現代の人間がなぜ単なる「象徴天皇制」すら否定するのか、そこが分からない。天皇を庶民に引きずりおろして何が嬉しいのか。何の利益があるのか。

(以下引用)

書いてもええか?米国の原発特許所有者が東京にいる
http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/261.html
投稿者 飯岡助五郎 日時 2015 年 3 月 12 日 06:08:19: VssSC.kx7zq3c
 


米国の原発特許の所有者が東京にいる。


まずは特許が先願主義であることをご留意頂きたい。


1951年、原子力発電特許は、世界初の高速増殖炉の実験を成功させた米国が権利を有する。
ただし、その原子力発電の発明は、1945年の原爆実験の成果なくして導き出せるものではなかった。
そのため、1945年の核兵器特許所有者は、米国が核兵器特許を失効するまでの期間、原子力発電特許にまで権利が及ぶことになる。


さて、核兵器特許はどのようにして成立したのか――建物も無い、農地も無い、無人の砂漠で核爆発をさせただけでは、兵器としての破壊力や殺傷能力を実証することはできないわけだ。
そこで、原爆を、どのようにして兵器として科学的に実証することができたのか、振返ってみたいと思う。そこに関わった国や代表者が核兵器特許の所有者だからだ。



【1】建物や農地や人がいる生活圏への原爆投下に協力した者:日本軍の中枢


・動画 NHK放送『原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報』2011年8月6日
http://www.dailymotion.com/video/xkev97_%E5%8E%9F%E7%88%86%E6%8A%95%E4%B8%8B-%E6%B4%BB-%E3%81%84-%E3%81%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%A5%B5%E7%A7%98%E6%83%85%E5%A0%B1_shortfilms
文字起こし)ナレーター「原爆投下の5時間前に、原爆機接近の情報を軍の中枢がつかんでいたという新たな事実。」


・NHK>NHKスペシャル>放送内容>歴史・紀行>原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2011/0806/
コピペ)空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。



【2】原爆投下の直後(終戦前)から治療はせず殺傷記録をとった者:日本の科学者1300名
   被曝者を使った人体実験をした者:東京大学
   それらを原爆報告書として米国に提出した代表者:昭和天皇


 ・動画 NHK放送『封印された原爆報告書』2010年8月6日
 http://www.dailymotion.com/video/xkca1f_%E5%B0%81%E5%8D%B0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%8E%9F%E7%88%86%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8_news
 文字起こし)
米国公文書館スタッフ(字幕)「これが日本の科学者たちが作成した原爆報告書です」
ナレーター「17000人の〈中略〉子供たちが、原爆の殺傷能力を確かめるためのサンプルとされたのです。」
ナレーター「山村さんが命じられたのは、被爆者を使ったある実験でした。〈中略〉山村さんたちは、こうした治療とは関係のない検査を、毎日行っていました。調べられることは全て行うのが、調査の方針だったと言います。」


 ・NHKエンタープライズ>ドキュメンタリー > 歴史・戦争 > NHKスペシャル 封印された原爆報告書
 http://www.nhk-ep.com/products/detail/h16026AA
 コピペ)アメリカ国立公文書館のGHQ機密資料の中に、181冊、1万ページに及ぶ原爆被害の調査報告書が眠っている。200人を超す被爆者を解剖し、放射線による影響を分析したもの…。子供たちが学校のどこで、どのように亡くなったのか詳しく調べたもの…。いずれも原爆被害の実態を生々しく伝える内容だ。報告書をまとめたのは、総勢1300人に上る日本の調査団。調査は国を代表する医師や科学者らが参加し、終戦直後から2年にわたって行われた。



【3】原爆の殺傷記録の報告者となった昭和天皇は、実は敗戦国の君主ではなく、正規兵としての英国陸軍元帥(Field-Marshal)であった


 ・英国の官報 ロンドンガゼット1930年6月27日付け 英国陸軍省War Office 発表
 https://www.thegazette.co.uk/London/issue/33619/page/4028  ⇦右下 (画像添付)


  ・London Gazette
  Wikipedia
  http://en.wikipedia.org/wiki/The_London_Gazette


  ・Field Marshal
  http://ejje.weblio.jp/content/field+marshal


  ・War Office 
  http://ejje.weblio.jp/content/war+office



【4】太平洋戦争勃発の翌年1942年1月14日、英国の大手新聞タイムズが、昭和天皇は英国の陸軍元帥のリストから除名の必要無しという英国陸軍省事務官のコメントを掲載していた
 ・The Times (添付)
 http://www.thetimes.co.uk/tto/archive/



◆以上により、第二次世界大戦中の日本軍の中枢が空襲警報発令を差し止めて生活圏への原爆投下を許し、戦時中から原爆の殺傷記録を日本の科学者に取らせ、それを戦後も引き継いで提出したことがわかる。
ただし、終戦直後から軍の中枢は極東軍事裁判にかけられ、裁判に掛けられなかったのは昭和天皇であった。


 ・国会図書館>大日本帝国憲法>第11条
 http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html




コメント
 











09. ワシか?ワシは羊やw 2015年3月13日 13:44:37 : f.Twdr7rGx6sA AKEGfZak26
アホなのか? ん? あほだろお前w

そもそもこの手の情報の出どころが!英米中からとか自体真実とらえる
お前の脳を疑うわいw この国はお前ら左翼を含めのうのうとスパイ工作
できる環境下であるならなおさらだろバぁカ。
スパイつーのは情報を盗むだけじゃないぞ、誤情報をあざとく流布したり
ましてや捏造までするもんだ。


もし仮に天皇家が英米と繋がっていて(暗躍していて)情報がズボズボの戦後から
現在のままであるわけがない、てかその状態にさせないだろうがバぁカww


今日のような、スパイ天国の日本である状態で出てくる情報は虚偽捏造が常識つーもんだよ諸君ども。


昭和先帝にしても今上陛下にしても、莫大な財をどこで私用につかうんだ?
銀座で飲み歩く情報のただの一つでもあるのか?私用に財を築く辻褄がそもそも
破綻してんだよバァカ。


俗が下手な勘ぐりすなよ腐れアカが。


阿修羅!お前がもしもこの国元首だったらがお前の考えなんだよ。
ここに書かれてる世界がお前自身なんだぜ!


お前が邪だから魔にそそのかされんのだと知れ。


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頭の良さと「幸福度」

たまたま目についただけの記事だが、案外面白く、少しイソップ物語風の寓話の味がある。「兎と亀」の類だ。ただ、記事タイトルはダメダメで、「親孝行」は話の大筋ではないだろう。どちらの人生行路が幸福だったか、という話である。
山本周五郎の小説にも、頭のいい、才気のある人間がその才気のために人生に失敗する話が多い。頭の良さとか才能は必ずしも幸福を招くわけではない。良く例に出すが、芥川龍之介や太宰治は一種の天才性を持っていたが、彼らの実人生は(人間関係において)実につまらないものだった。頭が良すぎるのは、周囲と合わないから当然そうなりがちなのである。ただし、逆は必ずしも真ならずであり、単に性格が悪いから(狷介固陋という言葉もあるが)孤立している者も多いwww ヤンキー的人種はだいたい仲間が多いが、単に似たような馬鹿が群れているだけということもある。まあ、幸福か不幸かはすべて物差しの問題だ。何を基準にするかである。


(以下引用)

「秀才で東京に行った兄」と「ロクに勉強せず地元に残った弟」 親孝行はどっち?

2018年1月16日 16:00 マネーポストWEB


優秀な兄と平凡だった弟、それぞれの人生(イメージ)

「とても勉強ができたため、地元を離れて東京に行った兄」と「ロクに勉強しなかったため、地元に残った弟」は、どちらが親孝行なのか? 東北地方出身の男性・Aさん(40歳)は、このお正月、久々に実家に帰省して、突きつけられた現実に愕然としたという。


 Aさんは弟との2人兄弟。Aさんは学業優秀で、県下トップの県立高校に進学し、そこでも抜群の成績を残して、都内の名門私立大学に推薦で入学した。Aさんは文武両道を貫き、高校時代には部活でインターハイにも出場。両親にとってまさに自慢の息子だった。


 一方の弟は、小学生時代から勉強が大嫌いだった。中学までは兄と同じく地元の公立校に通ったが、弟が選んだ高校は、不良の巣窟となっていた工業高校。運動でも兄に敵わなかった弟は、勉強もせず、運動もせず、もっぱら釣りに没頭する日々を送った。


 Aさんはその後も順調に“表通り”を歩き続けた。成人式では、新成人代表としてスピーチを行い、大学卒業後は不動産関係の会社に就職。その後、2度転職を重ね、現在は名前を知らない人はいない超一流企業でバリバリと働いている。一方の弟は高校卒業後、両親のコネをフルに活用して地元のメーカーに就職。工場勤務で日夜汗を流している。


 20代後半までは、Aさんが帰省すると両親は大喜びし、周囲にもAさんのことを自慢していたようだった。しかし弟が結婚したことで、徐々にパワーバランスが変わり始める。Aさんが語る。


「弟の結婚式に出た時に、『弟が先に結婚するなんて…』と、人生で初めて父親に批判めいたことを言われたんです。ただ、弟は24歳で結婚して、当時自分は27歳。田舎ではともかく、東京の自分の周りで27歳で結婚するのはかなり早い方だったので、その時は『田舎と東京は違うから』と言い返したんです」


 しかしその後、Aさんは仕事が充実し、転職をしたことなどもあって、40歳の今に至るまで結婚していない。弟には、すでに3人の子どもがいる。

兄の収入は弟の倍以上あるが……

 そんなAさんが昨年末に帰省すると、Aさんは兄弟のポジションが完全に“逆転”していることに気付かされたという。


「実家に帰ると、両親は私が乗る列車を確認して、必ず最寄り駅まで迎えに来てくれたのですが、今回はそれがなく、こたつに入ったまま『あー、お帰り』というだけだったんです。その時は、『両親も年をとったから仕方ない』と思ったのですが、その後も全然私に話題がふられることはなく、話題はもっぱら孫のことでした。そこでふと気がついたんです。弟と自分と、結局どちらが親孝行なのか、そして“勝ち組”なのかと。


 多分、私の収入は弟の倍以上あると思います。けれども、住まいは賃貸で車もなく、家族もいません。正直、貯金もあまりありません。弟は、10年ほど前に一軒家を買っていて、車も2台あります。


 私は毎日、通勤ラッシュに揉まれて1時間近くかけて会社に通っていますが、弟の通勤時間は車で15分程度。私は毎日12時間近く会社にいて、平日に夕飯を自宅で食べることはありませんが、弟は毎晩自宅で家族と晩御飯を食べています。


 私は週末は2週に1回は出勤、そうでない時は、土曜は昼過ぎまで寝ていて、その後もテレビやインターネットを見てゴロゴロ。日曜も映画に行くぐらいです。一方、弟は3人の子どもとキャッチボールをしたり、釣りをしたり、ショッピングセンターに行ったりしています。


 弟は、私の『東京ドームのイエローモンキーのコンサートに行った』『渋谷で○○(有名アイドル)を見た』といった話に、『いいなぁ~、東京は』『やっぱり東京で働いてる兄貴はすげぇなー』と言ってくれるのですが、私から見れば、弟の生活が羨ましくて仕方ありません。


 実は今回、実家に帰る前、『そろそろ結婚しないのか?』とか『良い子がいるんだが……』など、両親から結婚のことについて色々言われるのではないかと身構えていたんです。でもそれは取り越し苦労でした。両親はほとんど私に対する関心を失っており、帰る時も『頑張れ』『元気でね』と言うだけでした。両親が、地元に残り、孫を連れて頻繁に遊びに来てくれる弟を可愛がるのは当たり前なのですが、私は居場所を失ったようで、少し寂しかったです」



 ただ皮肉なことに、弟はAさんのことを大変自慢に思っており、子どもたちに「兄貴みたいに勉強して、東京の大学に行け」と言っているそうだ。



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日本の新しい社会システムへの道(2)*中仕切り

また、長い間が空いてしまった「思考課題」だが、別に急ぐ旅ではないから、ゆっくりと考察していく。
極端に難しい問題を解決するのに、ふたつの方法があって、これはどちらも根本は同じだが、やり方が違う。根本が同じというのは、どちらも「問題そのものを消す」方法だからだ。
ひとつは「暴力的に問題を無くす」もうひとつは「問題の自然消滅を待つ」で、後者は多くの人が意識的・無意識的に採っている方法である。前者はアレクサンダー大王の「ゴルディアスの結び目」のように英雄視されることもあるが、ヒトラーの「ユダヤ人問題解決法」のように永久的な悪名となることもある。私はだいたい後者の方法(問題の自然消滅を待つ)を採る。世の中のほとんどの事は、机の引き出しの底の書類のように、どんどん時間の経過で見向きもされなくなるのである。つまり、我々の生活はそういう些事をまるで国家の命運を決める大問題のように大騒ぎしているわけだ。そういう意味では私は(親近感があるせいか)岸田的「その場しのぎ」手法をあまり悪く思えないのである。もちろん、政治では、時間の無駄のために多くの人命が失われ、多くの人が困窮し、不幸になるので、庶民生活と同一視はできない。

さて、前回の考察からだいぶ時間が空いたので、問題自体を再度載せておく。で、4の考察の一部も載せる。

(以下自己引用)

1:少子化問題の解決法
2:高齢社会の諸問題とその解決法
3:生産年齢人口減少とその解決法
4:日本の貧困化の解決法

この中で一番重要なのは4の「日本の貧困化の解決法」だろう。それも基本は簡単なのであって、「日本人からカネを収奪する存在への『献金』をやめればいい」だけだ。ただ、それだけだと経済自体の活性化や進歩はあまり無いだろうから、そこから考えてみる。


(引用終わり)

自己引用の中で、4の考察の一部を載せたのは、「日本人からカネを収奪する存在への『献金』」が、安倍元総理の死で政治的問題とされ、安倍的手法も批判対象となる可能性が出てきたからだ。もちろん、統一教会への協力だけでなく、米国政府への「兵器購入」などの形での献金、あるいは「思いやり予算」などの献金、あるいは米軍基地の存在そのものによる米国への「奉仕活動」など、統一教会と同じことである。要は、その事実を日本国民が意識し、問題化するかどうかだけである。今のままだと統一教会だけが問題視され、安倍的な「売国」自体は意図的にスルーされそうな気配がある。
私は共産主義は好まない(というか、非現実的なファンタジーだと思っている)が、「勝共連合」的な思想や活動が世界を毒してきたことに比べれば、その害悪の度は比較にならないとも思っている。ウクライナ戦争も土台には勝共連合的な「ロシア嫌悪」「ロシア恐怖」があるわけだ。統一教会と勝共連合は同じ盾の表と裏というか、シャム双生児なのである。だが、本題から離れすぎた。本題に戻る。と言いたいが、長くなりすぎたので、この一文はここで終わり、全考察の「中仕切り」としておく。と思ったが、思いついたことだけ追記する。

2の「高齢化社会の諸問題とその解決法」については、偶然だが、このすぐ前の記事でその方向性を示している。言い方には難があるが、「老廃人間(痴呆高齢者)処理法」を検討することだ。この「処理」は安楽死から老人ホームの改革、あるいは老齢年金の増額や高齢者の家族への金銭的援助など、残酷な印象のものから完全に福祉政策的なものまで含んでいる。まあ、私としては「国立老人ホーム」を作り、入所を望む老人(ボケ老人については家族の希望次第で。)は無料で入所できるようにするのがベストだと思う。介護職は「公務員」になるわけである。それくらいのカネは、政府の無駄遣いをやめれば簡単に捻出できるだろう。「処理」という言葉が難ありだろうから「対策」でもいい。「痴呆高齢者対策法」である。「痴呆」がダメなら、お好きなように。


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高齢者を必ず待つ「ボケ」という運命

「はてな匿名ダイアリー」記事だが、優れたドキュメンタリーであり、ある意味では、人生そのものを俯瞰したような文学性と哲学性を感じる。
ただし、「認知症」を「病気」だとする最近の傾向には私は反対である。「病気」なら治るはずだが、認知症は基本的に回復不可能だ。それなら「病気」ではない。認知症と言われているのは、高齢で自然死する人間を必ず待っている「ボケ」という「運命」だろう。もちろん、「認知症」という言葉が広まったのは、「ボケ」を「運命」であり「回復不可能だ」という事実から目を背けさせる慰安効果があるからだと思う。その「効果」を否定する気はないが、しかし事実から目を背けることは、悪い事態を悪いままで放置することである。
私が同感したコメントをふたつ、後に載せる。「人間廃棄物処理法」は残酷に聞こえるだろうが、家族のボケ老人介護があまりに困難で、犠牲が大きすぎるなら、こういう法律を作って「処理」することも必要だと思う。まあ、施設に入れて、死ぬまで養うのもいいが、それも「処理」のひとつとして問題ないと思う。そこに税金を使うのもいいだろう。安倍が海外に撒き散らした何百兆円のカネで、いや、その10分の1で即座に実行できた話である。言うまでもないが「人間廃棄物」というどぎつい言葉は、現実を直視させる効果があるが、法律名としてはそのままでは使えない言葉である。ふたつ目のコメントは、「ボケ」は当人にとっては不幸だとは限らない、ということである。5歳児の精神世界は不幸だけだろうか。

(以下引用)

2018-05-23

父は72歳の5歳児になった

父が認知症になったのは3年前のことだ。悪化したのが2年前の夏で、そこから2年で要介護認定を受けた。70歳台前半でこの状態というのは平均よりも早く、進行も速いらしい。


2018年になり、私は実家に戻ることになった。親と同居するのは10年ぶりになる。認知症になってからの父と暮らすのは初めてだ。帰省で2、3日いるのとはわけが違う。


母は介護家事仕事疲弊していた。介護士の人に母の外出中だけ父を見てもらっているが、彼らのいない朝や夜ほどやることは多い。私も仕事があるので、母のいない日中カバーすることはできない。ワンオペから脱しただけでも御の字と母は言うが、どこまで力になれているかは疑問だ。


父は家族に対しては何処までも優しく、一度も怒鳴ることも手をあげることもなく、料理日曜大工植物の世話が好きで、グルメワイン好きで、読書家で博識で、母が昔病気をした時は付きっきりで看病したり家事をこなす、こうやって並べるとちょっと信じられないくらい良き家庭人であり、知識人だった。それは今も変わらない。ただ本が読めなくなり、包丁が持てなくなり、服に頓着しなくなり、会話が成り立たなくなり、自分で服を着たり用を足したり風呂に入ったりできなくなった。前半は習慣から消え去り、後半は母が介助している。


認知症タンパク質が変質し、脳が萎縮していく病気だ。萎縮する箇所や速度は人それぞれで、予測することはできない。萎縮による記憶能力の衰退も、人格活動の変化も顕出するまで分からない。もちろん治療法もない。ただ、いくつかの傾向はあるらしい。父の場合は次の2つが表れた。ひとつめは一日に独自ルーティーンを作ること、ふたつめは何に対しても否定から入り、気難しくなったことだ。どちらも典型的認知症の症状だ。


父は毎日カフェに朝食を買いに行く。毎日同じものを頼むが、ストローをもらえなかったり店員の態度が気に食わないと不機嫌になり、店に迷惑をかけたこともあるそうだ。だが母が一緒に行くとそういうことはないという。


父は毎日、昼食を同じ店に食べに行く。時計の進みが正確に把握できないので、毎日開店前に行っては入店を断られ、やはり不機嫌になって帰ってくる。でもしばらくするとそれを忘れてまた足を向け、食べて帰ってくる。


父は毎日ケーブルテレビを見ている。大好きな洋ドラはおとなしく見ているが、CMに入ったり日本ドラマに切り替わると文句を言いはじめる。でもお手洗いに行っている間に録画しておいた洋ドラに変えておけば、けろりとそれを見ている。


父は白身の刺身を食べなくなった。鯛やかんぱちという魚が分からいからだ。風呂にひとりで入れなくなったのは身体を洗う順番が分からいから。文字は読めるが新しい知識は入らない。郵便受け手紙を取りに行くことは覚えているが、その後どうすれば分からいからその場で捨ててしまう。食後には皿を片付けてくれるが、洗うことを忘れているのでそのまま戸棚にしまおうとする。


ルーティーンはある日突然変わったり、じわじわ増えたり減ったりする。そのタイミングは本人にも家族にも、医者にも分からない。毎日の観察が大切だが、一日中目を離さずにいるのは難しい。


父は会話というものが分からなくなった。人の話を遮って喋り出す。それを諌めても、話題を変えようと質問しても自分の話をやめない。記憶に残っていることを喋るから話題はいつも同じだ。機嫌のいい時は相手の話を聞いたり、上手くやりとりが進むこともあるが、都合が悪くなるとおどけて誤魔化そうとする。何故かアイシタインの変顔の真似をするのだ。その無邪気な笑顔を見て、私は父が72歳の5歳児になったのだと思った。自我はあるが社会生活を営むには不十分で、言葉の力無自覚で、物事因果感情の律し方も分からず、大人監視と補助が必要な5歳児。それが私が今一緒に住んでいる、大好きな大好きな父だ。


実際の5歳児と違うのは、これから先、父が成長することはないということ。代わりに72年分の(穴抜けになった)記憶を抱えているが、その記憶も徐々に失われ、人格は変わり、最後には脳が不随意筋の動かし方を忘れて死ぬ認知症とはそういう病気だ。


父が私を覚えているうちに、また一緒に暮らせて良かったと思う。



  • 人間廃棄物処理法ほしい



  • お父さんは、今まで背負っていたり、演じていたりした様々な役割を一つ一つ下ろし とても個別性のある、一人の「人間」になっていっているのだと思う。     お父さんの姿は5歳児の...




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