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ワクチン禍で少女の腕の切断

「大摩邇」から転載。
強調のために、ワクチン禍に遭った少女の腕の写真を含む記事の部分だけ載せる。体外からの異物注射以外に、このような腕の状態になることは考えられないだろう。つまり「血栓製造ワクチン」が原因だと考えるのが当たり前である。

(以下引用)

泣いて生まれてきたけれどさんのサイトより
https://ameblo.jp/sunamerio/entry-12761329372.html
<転載開始>

You@You3_JP 8月20日

大手メディアSABCニュースによれば、Yamekela Saplanさんは、ファイザーのワクチンを接種した女の子だ

左腕の接種部位にラグビーボールのような腫瘍ができ、医師は、この状態を解決するには腕を切り落とすしかないと告げた

子供の権利保護団体は、少女のために正義を求めている。酷すぎる人災だ



 

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自分が「養分」であることを自覚しながら洗脳の快楽に溺れること

「シロクマの屑籠」記事の後半だが、筆者の熊代氏は精神科医である。その精神科医がこれほど容易に洗脳されるという、資本主義的洗脳の恐ろしさの事例として載せたwww しかも、その洗脳に当人は自覚的であり、喜んで洗脳されているのである。これは宗教の洗脳によく似ているのではないか。なお、この記事を「医療・健康」の項目に入れたのは、もちろん精神科の問題だからだ。

(以下引用)


実際、その直後のプレイヤー同士のレース、「レオ杯」では初めて他のプレイヤーをさんざんに打ち破った。お、おれの育てたウマ娘がAリーグで優勝したぞ! 脳汁が出た。手がぷるぷると震えた。これで勝つると思った。
 
ところが8月のお盆明けに再び環境が変わり、"人権"カードとしての「玉座」はわずか一か月半の寿命を終えて、「便座」と呼ばれるようになった。インターネットの都大路に流れる、玉座、便座、玉座、便座といった言葉に私の心は千々に乱れた。短い栄光の時間は終わった。今は心を入れ替えて、ウマ娘たちのために、それと重課金プレイヤーや利口なプレイヤーのために再び養分をやるという決意を新たにしている。
 
 

「かわいいから、推しだから養分をやる」というマインドと資本主義の摂理

 
こうして私は、かわいいウマ娘たちのために、それと自分のソーシャルゲーム音痴のために、ウマ娘プリティーダービーでもっぱら養分をやっている。こうした、レースに勝てない状況に自覚的に養分をやるというゲーム体験は初めてで、『FGO』の時も『アズールレーン』の時も意識していなかった。これは、ウマ娘プリティーダービーがレースを中心につくられているからだろう。でもってそれなり悔しい。
 
じゃあ、いったいなぜ私は、レース場をジュエルで敷き詰める養分の一匹をわざわざ続けているのだろう?
 
それは単純に、キャラクターの魅力のためだと思う。
ウマ娘のデザイン、特にゲーム版のデザインは私の好みのストライクゾーンを撃ち抜いている。ライブ映像などは、どれだけ眺めていても飽きない。3Dみがちょっと残っているので、苦手な人には苦手なデザインだろうけれども、私の場合、この適度に残った3Dみがかえって良くて、見た目だけでいえば、自分史上、いちばん好みだと思う。
 
そのウマ娘が走って、笑って、駆け抜けるのが見たくて今もウマ娘プリティーダービーにかじりついている。本来それは、ゲーム愛好家・アニメ愛好家のありかたとして好ましいものだったはずだ。
 

 
けれども上掲ツイートで言われているように、「好きなキャラクターを推す」という感情や活動は、とっくの昔に資本主義のロジックに組み込まれている。たとえばウマ娘プリティーダービーも、それを作ったサイゲームズにしてみれば成功した集金スキームってことになるのだろう。そのような集金スキームがなければ、あの綺麗なライブ映像も誕生しなかったのかもしれない。
 
いやしかし、一歩身を引いて考えると、私はその集金スキームが生んだ集金装置に群がった蛾の一匹でしかなく、正しく資本主義の養分をやっていると考えざるを得ない。
 
人生は短く、なすべきことは多い。
 
二十代の頃なら「これも人生の彩り」などと言ってしまえただろうが、中年のみぎり、こうしてディスプレイの向こう側のかしましさに囚われて本当に良かったのか、考え込まずにはいられなくなる。今のところ、このハマったぬかるみから抜け出す目途は立っていない。

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Come! September

ユダ金配下のリベラルジャーナル「ニューズウィーク」記事で、リベラル視点(正確には新自由主義視点)のつまらない記事だが、アメリカが内乱の危機に瀕しているということだけ知ればいいと思う。記事の引用部分の後は中絶問題という、アメリカの馬鹿話である。おそらく、中絶反対派というのは基本的にキリスト教的価値観を持った保守主義者が多いのではないか。白人至上主義というのは偏見に思えるが、まあ、そういう面もあるだろう。
とにかく、アメリカの内乱は、グレートリセットの「最後の藁一本」になる可能性もあり、それがDSの計画外のことなら、世界にとっての福音となることもありうると私は思っている。とにかく、欧米は世界の癌なのだから、DSも含めて滅びるのが世界のためであるのは明白だ。
ついでながら、映画「9月になれば」は主題曲も有名だが、原題は「9月よ来い!」と訳すべきだろう。なぜ私が「9月よ来い!」と言うかと言えば、911ではないが、9月に世界は大きく動く可能性があると思うからである。と言うのは、インフレがどんどん昂進し、飢餓、エネルギー危機の冬が近づくため、庶民が自分たちを守る最後の機会が残り少ないと感じるだろう、という予測だ。


(以下引用)

アメリカが直面する内戦の危機と中絶問題──武装化したQAnonやプラウドボーイズ

2022年08月19日(金)16時50分

中絶反対派の暴力化が問題になっている...... REUTERS/Aude Guerrucci



<カリフォルニア大学のグループが行った調査で、半数以上が数年以内にアメリカで内戦が起きると回答した......>


日本ではほとんど報道されることはないが、アメリカでは多くの国民が内戦を現実起こり得る脅威として認識している。カリフォルニア大学のグループが行ったアメリカ全土を対象にした調査では、半数以上が数年以内にアメリカで内戦が起きると回答したほどである。


アメリカが内戦の危機に直面していることを示した書籍『How Civil Wars Start』はベストセラーになっている。著者のBarbara Walterは30年間内戦を研究し、CIAの諮問機関Political Instability Taskforceに所属していたこともある。この分野の専門家の指摘とあって、さまざまなメディアで大きく取り上げられ、注目されている。



世界各地の武力衝突をモニターしているArmed Conflict Location & Event Data Project (ACLED)は2021年1月6日にアメリカで起きた連邦議事堂襲撃を事前に警告していた。そのACLEDが今年に入ってアメリカについて3つのレポートを公開している。


中間選挙に先だって極右などの過激な運動が広がる、反LGBT+運動の増加と暴力化、もっとも最近のレポートでは中絶問題に関係したデモなどに武装化グループが中絶反対派として参加し、暴力化が進んでいることを指摘している。いずれも極右、陰謀論者、白人至上主義などのグループが引き起こすものだ。最近では中絶問題が拡大し、アサルトライフルなどで武装化したグループが中絶擁護グループを襲撃する事態となっている。


近著の『ウクライナ侵攻と情報戦』(扶桑社新書)でも紹介したように、アメリカではこうしたグループの勢力拡大と武装化が進んでおり、さまざまな社会問題に顔を出すようになっている。たとえば、反ワクチン、親ロシア反ウクライナなどの活動にもこれらのグループが参加している。プーチンとトランプを支持していることが多く、先日はトランプ支持者がFBIの支局を襲撃しようとして射殺される事件も起きた。現在のアメリカはいつ暴動が起きてもおかしくない状況なのだ。


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蛇の足

前回記事のオマケである。オマケと言うより、「白蛇伝」だけに「蛇足」かww


(以下転載)



アニメの巨匠、宮崎駿氏も影響を受けた? 中国の『白蛇伝』が“日本人”の心を打つワケ

中島恵ジャーナリスト
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京劇「白蛇伝」のポスターより




6月5日まで東京・池袋の東京芸術劇場で行われていた中国国家京劇院の日本公演『京劇 白蛇伝2016』を見に行った。連日好評で、6月9日には名古屋で、11日には大阪でも公演を行う予定だという。京劇にはほとんど馴染みがない素人の私だが、わかりやすいストーリーと俳優の演技や歌の上手さ、衣装や舞台の美しさなどにグイグイ引きこまれ、「京劇ってこんなにおもしろかったんだ!」と感動した。


ごく普通の日本人である私が見ても違和感がなく、こんなに素直に中国の本場の京劇を楽しむことができるのはなぜなのだろう? そう思っていたとき、京劇研究の第一人者である加藤徹・明治大学教授の解説をうかがって「なるほど」と合点がいった。以下、加藤徹教授の解説や『京劇 白蛇伝2016』のプログラムをもとに、『白蛇伝』と日本のつながりについて紹介したい。


白素貞(『白蛇伝』プログラムより)
白素貞(『白蛇伝』プログラムより)

テーマは「愛と憎悪は紙一重」

まず物語は、美しく善良な白蛇が、修練を積んで白素貞(はく・そてい)という女性に姿を変え、下女の小青(しょう・せい)とともに人間界にやってくるところから始まる。西湖のほとりで美男子、許仙(きょ・せん)と偶然出会い、恋に落ちて結婚する。ところが、老僧、法海(ほう・かい)から「人間と化身が愛し合うことは許さない」といわれ、妻に(蛇であるかどうかを確かめるため)薬酒を勧めるようにいわれる。夫から薬酒を勧められた妻は、夫から疑われたくない一心で薬酒を飲むが、そこで自分の正体が蛇であることが明らかになってしまう……。ショックで倒れた許は法海にそそのかされて仏門に入ってしまい、夫婦は離ればなれになるが、白と小青が奮闘して、ついに紆余曲折ののち、白が夫の愛を取り戻す、というラブ・ストーリーだ。


テーマは「愛と憎悪は紙一重」。中国語では「冤家(ユアンジァ)」(憎らしい人、愛しい人)。クライマックスで主人公の白が夫に情感をたっぷり込めていうセリフにもなっている。

日本の安珍清姫伝説にも通じる、わかりやすいストーリー

内容は単純明快でわかりやすく、予備知識がなくても、日本語の字幕を見なくても、誰でも十分に理解できる。日本の歌舞伎やミュージカルとは違う舞台を見ているだけで楽しめるのだが、もっと楽しむためにはいくつかのポイントがある、と加藤教授は指摘する。そのひとつは「異類婚姻譚」(いるいこんいんたん)であることだ。人間と人間以外の動物や妖怪が結婚することをこういうが、日本にも「鶴の恩返し」などの物語があるので、日本人にもすんなりと理解しやすい(ただし、「鶴の恩返し」では、正体がばれた途端、鶴は空に帰ってしまうが、「白蛇伝」の場合は姿をくらますわけではない)のだという。


また民衆の間で語り継がれてきた「世代累積型集団創作」であるという点だ。日本のおとぎ話と同じく、いつ、誰が書いた作品かはわからなくても、長い年月をかけて語り継がれてきており、馴染み深い話になっている。湖にまつわる伝説はイギリスのネス湖など世界中にあるが、とくに東アジアには「蛇女」「湖や川」「名刹」という3点セットがある。日本にも和歌山県・道成寺の安珍清姫(あんちん・きよひめ)の伝説などがあるため、日本人にとっては、より親しみやすい内容となっているのだ。


さらに、日本人にとって『白蛇伝』が親しみやすい理由がある。日本でも江戸時代に人気を得た『雨月物語』という小説があるが、これはまさに『白蛇伝』を翻案した作品なのだ。また、1956年、東宝が香港の映画会社と合作で『白夫人の妖恋』という特撮映画を作ったが、その出演者は、白蛇が山口淑子、許仙が池部良、小青が八千草薫という豪華な顔ぶれだった。


許仙(『白蛇伝』プログラムより)
許仙(『白蛇伝』プログラムより)

宮崎駿作品に洪水のシーンが多いのはなぜか?

1958年になると、今度は東映が長編アニメ『白蛇伝』を制作する。日本アニメ史上に残る画期的な作品だったといわれており、声を森繁久彌と宮城まり子が担当した。当時高校生だった宮崎駿氏がこの作品を見て感動し、のちにアニメの世界に入るきっかけとなったという。宮崎氏が手掛けた作品といえば、『千と千尋の神隠し』や『崖の上のポニョ』など数々あるが、思い出してみると『白蛇伝』のように洪水が出てくるシーンが多くはないだろうか。また『魔女の宅急便』は魔法少女の話であり、変身や妖怪にも通じる部分がある。このことから、『白蛇伝』は宮崎氏に何らかの影響を与えていた、といえそうだ。


加藤教授は「子どものときに見ておもしろかったり、印象深く思い出に残っている作品は、大人になっても、繰り返し見たいと思うもの。『仮面ライダー』や『キングコング』なども同様で、子どもだけでなく大人も楽しめるというところが“ミソ”です。『白蛇伝』も、子どもも大人も感情移入して楽しめる場面が何カ所かあり、それがこの作品が長年愛される魅力につながっています。ディズニー作品が『白蛇伝』を参考にしている、という話もありますし、あらゆる年齢層の人が見て、楽しめる作品ですね」と解説する。


解説する加藤徹・明治大学教授
解説する加藤徹・明治大学教授

今回、中国国家京劇院を招聘した「京劇中心」理事長の津田忠彦氏も「昨年は『孫悟空』を公演しましたが、今年もポピュラーな作品をこうして日本に持ってくることができてよかったです。とくにこの作品は『わかりやすい』、『楽しい』というお客様の声を多数いただいており、手応えを感じています」と喜んでいる。


なるほど、確かに私の右隣に座っていた40代くらいの女性は、3年連続で京劇を鑑賞しているといい、「4か月前にもうチケットを買って、今日を楽しみにしていました」と話していたし、左隣の20歳くらいの女子大生は「中国でも京劇を見てみたい。ねえお母さん、今度中国に見に行こうよ」と母親に熱心に話しかけていた。


また、ツイッターなどでも「初めての京劇だったけど、おもしろかった!」「おもしろかったし感動したし、やばかった!!」「京劇、白蛇伝を観劇してきたんだが、なんかもう、ボロ泣き」「白蛇伝つくった中国人ほんとうに神でしょ……むり……ありがとう……」など、文面から想像して若い人が書いたと思われる感想が多数アップされている。

中国では申年にちなみ、京劇『孫悟空』が大人気

京劇の本場・中国でも、伝統演劇が復活し、各地で京劇が公演されるようになってきている。昨今は若い女性のファンも増えているようだ。今年(申年)にちなんで、『孫悟空』が話題になっている。中国人の手によるアニメ『西遊記之大聖帰来』が昨年からヒットしているし、京劇『孫悟空』も各地で上演されている。日本にも留学経験があり、国家一級俳優として有名な厳慶谷(イエン・チングー)氏は今年、年間を通して『孫悟空』を演じており、話題となっている。『孫悟空』はいわずと知れた物語で、これも日本人にとって馴染み深い作品だ。この機会に一度中国で『孫悟空』を見てみたいと思った。


京劇というと「とっつきにくい」「見たことがない」「中国語がわからない」と日本では敬遠されがちだが、百聞は一見にしかず。『白蛇伝』はここまで述べてきたように、大人も子ども楽しめる作品である上に、役者のセリフを聞いていると「日本人も中国人も同じ人間なんだな。似たような喜怒哀楽の感情を持つのだな」、「自分もこういうときには、同じように感じることがあるな」と思わせられて、爆笑したり、共感したりできる。だからこそ、すんなりと、違和感なく見られるのだなと納得し、心が少し豊かになったような気分になった。



ジャーナリスト

山梨県生まれ。ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミアシリーズ)、「中国人のお金の使い道」(PHP研究所)、「中国人は見ている。」、「日本の『中国人』社会」、「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」、「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日本経済新聞出版社)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」、「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」、「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など。主に中国、香港、台湾、韓国などを取材。


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恋する理由(「白蛇伝」などなど)

別ブログの過去記事を読んでいるうちに、昨日ネットテレビ(アマゾンプライムビデオ)で見た「白夫人の妖恋」を思い出して、それと対比してみる気になった。
先に「白夫人の妖恋」について書くと、これは中国の説話を元にしたもので、同じ東映のアニメ映画「白蛇伝」も同じである。映画の内容もアニメとほぼ同じで、単に映画の方は少し濡れ場があるくらいの違いだ。アニメの方は子供相手の商売のために話に無関係な動物たちが添え物で出てきて、子供のころの私はそういうシーンがあまりに下らなく思ったものである。相原コージの持論のように「子供は子供騙しに騙されるものである」というのが大半だろうが、私のようにひねくれた子供もいるわけだ。私はむしろ、道士の道術でヒロインの白娘(ぱいにゃん)が空中で苦悶する姿にひどく印象づけられたのだが、成長してサディストになったりしてはいないwww
「白夫人の妖恋」のヒロイン白娘は白蛇の変身したものだが、俳優は山口淑子である。残念ながら現代人の私の目には美女には見えなかったが、お供役の八千草薫よりは色気だけはあったようだ。可愛さでは後者が百倍上である。こちらは青蛇が変身したもの。
で、主人公で白夫人に一目ぼれされる貧乏青年(おそらく童貞ww)が池辺良である。まあ、演技が童貞青年のそれなのだが、これが煮え切らない性格で、せっかく相手が惚れてくれて、自分も惚れるくせに、周囲の人々から「あの女は怪しい。たぶん妖怪だ」と忠告されると、あっさり逃げ出すのである。それを白夫人がどこまでも追いかけるから「妖恋」なのだろう。何であんな薄情な男をどこまでも追いかけるのか、というのが私の抱いた疑問である。
で、ここで、別ブログに書いた記事につなげる。
ちなみに、アニメの「白蛇伝」は、これを見た宮崎駿がアニメ界に入る決心をするほど感動したという話がある。

(以下自己引用)

私がまったく理解できないのは、女性から見ての男の魅力とは何かということである。これは本当に理解できない。ひとつ言えることは、バルザックの小説で或る貴族の夫人が言った「女は、他の女が評価しない男にはまったく興味を持たないのよ」という言葉である。
とりあえず、有名文学作品の男主人公の中で女性読者から見て魅力的だと思える人物の人気投票をしたらどうなるだろうか。私の予想だと「嵐が丘」のヒースクリフあたりが人気上位になりそうな気がする。で、男からの人気投票だと、おそらくかなり下位だろう。つまり、「恋愛の相手になる男」「誰か(女主人公、つまり読者のアバター)のためにすべてを犠牲にする、恋愛のためだけに生きる男」が人気を得るのではないか。で、そういう男は男から見ると糞なのである。いくら愛した女でも、既に結婚した相手の家庭を壊す行為は唾棄すべきものだと感じる男のほうが多数派なのではないか。つまり、人生における恋愛の価値が男と女ではかなり違うだろう。いや、これは私が日本人だからそう思うので、西洋の小説には、男が書いた作品でも、恋愛のために身を滅ぼす男は無数に描かれている。
これは不思議な現象だと思う。たとえAという相手に失恋しても、Bという相手と恋愛して幸福な人生を送ることは無数にあることだし、Aを得られなければ相手を殺して自分も死ぬということの何が偉いのか、素晴らしいことなのか、私にはまったく理解不能なのである。
ただし、バルザックのウジェニー・グランデのように、恋愛妄想だけのために一生を費やすという行為もまた「凄い人生」だとは思う。だが、やはりそれは女性の生き方の特殊例であって、恋愛機会の少なかった時代の話であり、社会の中で生きる男の生き方としてはかなり奇形だろう。

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この人を見よ

写真は衝撃的だが、この女性の心情は同情させられるし、その決断力は素晴らしい。
こうした行動力は日本人に最も欠けているところだろう。まあ、そういう日本人の慎ましさも私は好きだが、それが、因循姑息で、悪への批判が堂々とできない社会を形成してもいる。

(以下引用)



上海でロリータファッションをする50代の中年女性がSNSで賞賛されている、ある理由

中島恵ジャーナリスト


中国メディア「捜狐号@四令大叔」より引用





今年6月ごろから中国のSNSで話題になっている1人の中年女性がいる。派手なロリータファッションに身を包み、上海市内のストリートを闊歩している姿が注目されているのだ。当初は「あの人、頭がおかしい?」などと揶揄されたが、その服装をしている経緯がわかった今、SNSは賞賛の嵐に変わったという。


頭にはティアラ、ロリータ衣装の中年女性


上海市のおしゃれなストリート、安福路(アンフールー)。もともとフランス租界だったエリアで、今では西洋料理のレストランや流行のカフェなどが立ち並ぶ一角として有名だ。ここを毎日のように派手なロリータファッションで歩く1人の中年女性がいる。



年齢は50代くらい。かなり太っていて、髪は短髪だ。それだけならよくいるおばさんの1人だが、特徴的なのは派手なロリータ衣装を着ていることだ。



ここ数年、中国でも10代~20代の女性を中心にロリータファッションは大流行しているので、ただロリータの衣装を着ているだけでは、人々は振り向かないし、SNSで話題に上ることもない。



だが、中年の、しかも、一見男性かと見間違うような容姿や体形の中年女性がこのようなファッションをしていることに、通りかかった人々が驚き、女性を撮影した写真がSNSに出回り、話題に上るようになった。




中国メディア「捜狐網」より引用
中国メディア「捜狐網」より引用



写真の通り、女性は頭にお姫様のようなティアラをかぶり、ロリータの衣装を着ている。手には小さなハンドバックを提げ、靴は低いパンプスを履いている。買い物袋などを提げていることもあり、頻繁にこのストリートに出没している。



中国メディアで検索してみると、この女性は「安福路の小公主」(安福路のお姫様、安福路のリトルプリンセス)などと呼ばれていることがわかった。



関連して「安福路のお姫様は女性か男性か?」「安福路のお姫様の若い頃は?」などのワードもヒットする。SNSには通行人が撮った写真が多数掲載されており、この女性が頻繁に出没する安福路に、わざわざ写真を撮りに出かけている人まで増えているという。



当初は「あの人、頭がおかしいのでは?」「おっさん?おばさん?気持ち悪い」などと批判されたり、嘲笑されたりしていたが、メディアで多数取り上げられるようになり、この女性がなぜそのような奇抜なファッションでストリートを歩いているかがわかってくると、人々の反応は一変した。


女性の生き方に賞賛の声


報道によれば、女性はこの付近に住んでおり、もともと家庭は裕福だったが、数年前に大病を患った。長期間、薬を服用した影響で髪が薄くなり、身体もむくみがひどくなって、太ってしまったという。



女性は、自分の変わり果てた容姿や体形に落胆し、悲嘆にくれた時期が長かったが、気を取り直し、「今後、残された人生はもっと自由に、自分の好きなように生きてみよう」と決意。以後、若い頃に着たくても着られなかったロリータファッションで、思い切って外に出てみよう、と思い立ったという。



通常の既製服では体形に合わないため、衣装はすべて手作りだ。大きなフリルやリボンもあしらい、色もコーディネートしている。ティアラも身に着け、気分だけはお姫様になろうと決めた。



そうした、吹っ切れて堂々とした姿が人々の目に留まったわけだが、ロリータを着る理由が分かった今、SNSでは賞賛の声が巻き起こっているという。



「人にはそれぞれ自分の人生があるよね」「この人は誰にも迷惑をかけていない。好きなように生きていて、カッコいいよ」「残された人生、自分の好きなように生きるべきだと思う」と感銘を受ける人が続出するようになった。



女性は見ず知らずの通行人やインフルエンサーなどから声を掛けられても気軽に応じ、堂々とストリートを闊歩しているという。



上海といえば、今年3月から約2ケ月、中国の厳しいゼロコロナ政策の下でロックダウンされたことが記憶に新しい。人々は自由に外に出ることも許されなかった。



そうしたこともあり、「人生、何が起こるかわからない」「好きなように生きる」という女性の言葉に共感し、勇気づけられた人が多かったのかもしれない。










ジャーナリスト

山梨県生まれ。ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミアシリーズ)、「中国人のお金の使い道」(PHP研究所)、「中国人は見ている。」、「日本の『中国人』社会」、「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」、「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日本経済新聞出版社)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」、「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」、「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など。主に中国、香港、台湾、韓国などを取材。


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シオン長老の議定書(再掲載)

このブログ内のジャンル分けの項目として、たった1ページのこれを載せているが、あまり読まれないだろうと思うので、時々「虫干し」的に日の目を見せることにする。
これを書いた当時は、DSという名前も聞かれなかったと思う。だが、20世紀初頭から「ユダヤ陰謀論」はあり、それがまさに正鵠を射ていたことは、今なら多くの人が認めるのではないか。その「ユダヤ的思想の結晶」がこの「シオン長老の議定書(ユダヤプロトコル)」なのである。

(以下自己引用)

シオン長老の議定書(抜粋)

愚民支配の原則と戦略

*以下に書く文章は、「シオン長老の議定書」とか「Yプロトコル」とか言われている文書の抜粋である。これはY民族迫害のために作られた偽書であるという説もあるが、書かれた内容自体は、いわば「悪の政治教科書」とでもいった内容であり、現実に人民を支配するのに有効な事柄ばかりである。いや、現在の世界そのものがこういう思想や戦略で動いているようにしか見えない。ならば、この文章を研究することは、我々が愚民化しないために絶対的に必要なことではないだろうか。ただし、元の文章は小難しい文章なので、読みやすく変えて(ただし、その古風な趣きは残すが)ここに掲載する。元の文章そのままではないのだから、誤解が含まれるのは勿論だ。それを割り引いても、ここに書かれた内容について知るのは、我々被支配者にとって大いに役立つだろう。

*私は、この世界は一部の人間たちによってコントロールされていると思っているが、それは基本的には民族とは無関係だと思っている。確かに他民族を人間扱いする必要はない、という思想を土台にするなら、その政治的行為は強力極まりないものになるのは確かである(植民地時代の西欧の行為がそれだ)が、言うまでもなく、一部の人間の悪事のために、その民族全体が迫害されることはけっしてあってはならないことである。くどく言うが、世界を支配する巨大資産家(経済的モンスター)は、その民族とはまったく無関係の存在なのであり、自分たちの悪事を隠すために民族迫害のタブーを利用しているだけなのである。したがって、以下の文章中での「異民族」云々は「支配される連中」くらいの意味で読むべきである。

以下の文章が、「シオン長老の議定書」あるいは「Yプロトコル」と呼ばれる文書の抜粋である。

○我々の合言葉は「力と偽善」である。政治上の問題で勝ちを制するのは何といっても力であり、国家の事業に携わる人士に必要な力が蔵せられる場合は殊にそうである。奸策と狡猾との「偽善」は我々の目的を達成する唯一の手段である。それ故に我々の計画遂行に役立つ事なら、「暗殺、買収、詐欺、裏切り」等に尻込みしてはならない。政治上の権力を獲得するに必要な場合は、躊躇することなく、他人の財産を奪取する事を心得ていなければならない。

○自然の本性には自由は無く、「理性と性格と才能の不平等」をその法則とする。(注:これは、フランス革命における『自由・平等・博愛』のスローガンを嘲弄したものだろう。他の場所で、「自由と平等が両立するはずはないではないか!」という発言も書かれている。また、フランス革命自体がこの議定書を書いた人々の筋書きによる出来事だったとも書かれている。つまり、『自由・平等・博愛』は、愚民たちを釣るための餌にすぎなかったという趣旨である。)

○(我々は)人間の貪欲を利用して支配する。(注:他の人々を押しのけて自分が上に行きたいという欲望が下層階級の連中を死に物狂いに働かせ、その働きを利用することで上の人間は労せずして利益を得るわけである。井伏鱒二の「さざなみ軍記」に書いてある、貴族の庶民支配の原理が、まったくこれと同様である。)

◎この目的(支配)のために我々は始終、「新聞、雑誌」を利用して、この命令に盲目的に信従するように(人々を)鼓舞する。

○我々の仕組んだ「ダーウィン、マルクス、ニーチェ」の教説に注意なさるがよろしい。(注:この部分の説明は長くなるので、最後に補注として説明する。)

○いわゆる「民権」とはただ概念としてのみ存在しえるもので、けっして実際に実現することはできない。実際、我々の命令にもとづき、我々の密使(為政者)を選任する投票にしても、下層民が憲法政治(立憲政治)から得るものは何もない。(注:これと同趣旨のことをルソーも述べている。「イギリス人は選挙で代議士を選ぶが、庶民が支配者であるのは選挙の間だけで、それが終わるとまた彼らは奴隷に戻るのである」と。ただし、日本における2009年衆議院選の「無血革命」によって、日本の立憲政治は変わる可能性がある。)

◎優越を得るための、極度に緊張した闘争と経済生活に対する衝動とは、絶望的な、しかも悲惨極まる「冷酷な社会」を実現するであろう。否、すでに実現したのである。(注:前出の「我々は人間の欲望を利用して支配する」とほぼ同趣旨。ただし、その行く先にあるのが「冷酷な社会」であることを、我々のどれだけが理解しているか。))

○自由主義の社会では、買収と贈賄の汚職が至る所に侵入し、富は「巧妙なる奸策」と「虚偽の駆け引き」によって得られ、徳義(社会道徳)は、ただ「厳罰と酷法」によって維持される。

◎我々の統治の主要任務は、社会的理性を去勢し、反抗を可能ならしめる彼らの思索を奪い、そして一般の知力を空虚なる雄弁の交戦に堕せしめることである。(注:このために利用されるのが公教育とマスコミであることを、今では多くの人が知っているだろう。)

◎異民族諸国民および各個人たちは、あらゆる時代において、「言葉」を「行為」と思ってきた。彼らは単なる外見に満足して、公的世界において「約束が実行されたかどうか」ということには滅多に気がつかなかった。(注:社会生活を営む上での基本の基本が、「相手の言葉ではなく、行為を見よ」であるが、社会の多くの「善人たち」は言葉を行為と区別していない!)

◎世論を掌中に収めるためには、それ(世論そのもの)をして「了解に苦しましめ」ねばならない。すなわち、各方面から互いに矛盾した種々の意見を言わせ、異民族の人民を迷宮に彷徨せしめ、政治的問題に関しては、何等の意見も持たぬ方がましであると断念せしむるべきである。

◎政権掌握に必要な第二の秘訣は、「風俗、習慣、欲望、社会生活の基準」を繁縟ならしめ、何人もその選択に迷い、互いに理解することができぬような混沌状態に陥らしめるにある。(注:これは情報洪水の現代において、もっとも重要なポイントの一つである。)

◎商工業への投機を奨励せねばならぬ。投機の役割は工業(実業)に対立するにある。投機によって世界の富をことごとく我々の手に収め、以て異民族全部を下層階級に投げ込む事が必要である。(注:金融業という「自分では何一つ生産せず、金で金を生む」職業が世界を支配している点に、世界のあらゆる不幸の根本原因がある。そして、国際金融家は、自分たちに都合がいいように様々な国際機関を利用するのである。ところが、我々は学校で、WTO、GAT、世界銀行などは有益な組織だと偽りの知識を埋め込まれるのだ。)

○我々はあらゆる国家に、(我々以外には)異民族無産大衆と、我々に心服する数人の富豪と、我々を守護する警官と軍隊のみがあるように配慮せねばならない。(注:警察や軍隊の真の仕事は、国民の保護ではなく、支配層の保護だということだ。)

○我々は欧州大陸及び、それを基点とした他の諸大陸に「動揺と紛争および敵対関係」を惹起せしめねばならない。(注:これは、この書が書かれた当時の世界情勢であるが、現代でも「動揺と紛争および敵対関係」は庶民支配の道具に用いられている。一例がアメリカのイラク戦争、アフガニスタン派兵である。戦争や紛争などの大義名分があれば、支配層の望む政策のほとんどは実行できるのである。)

○我々に抵抗を試みようとする国家に対しては、我々はただちにその隣接諸国との戦争を以て、対応し得るように準備しておらねばならぬ。

○あらゆる政治的成功の最大の要訣は、あらゆる企画を厳重に秘するにある。真の政治家の言説はけっして外交官の行動と一致してはならぬ。

○我々は法律用語の最も巧緻な措辞や難解な問題に通暁して、法外に大胆で、かつ不当にも見えかねない決断を下す必要がある場合に、弁解する途をあらかじめ備えなくてはならない。

◎我々の望み通りの結果を得るためには、その過去において後ろ暗い傷を持っている大統領を選挙すべきである。そうすれば彼等は我々の指令の忠実な実行者となる。(注:日本のK元総理についても、殺人・レイプその他の様々な暗い噂がある。)

◎我々は、法律を提案したり変改したりする権利を議院から剥奪して、それを我々の傀儡たる大統領の手に委ねるであろう。(注:日本では、国会は唯一の立法府であると定められているにもかかわらず、成立する法案は内閣提出の法案がほとんどである。議員立法による法案はほんの一部にすぎない。すなわち、国会は内閣に支配されている。宮本政於の「お役所の掟」その他に、官僚支配の実体が書かれている。)

○我々は戒厳令布告の権利を大統領に与える。(注:要するに、いざという時には、大統領(そしてその背後の人間)は法律を無視した行動が可能だということである。)

◎共和国の新憲法を施行すると共に、我々は国家機密の保護という口実を設けて、政府の処置に関して質問する権利を議院から奪取するであろう。

◎大統領は、様々に解釈し得る現行法律を解釈する場合には、我々の意味において解釈するであろう。また彼は、我々が是非そうして貰いたいと指示するならば、現行法を廃棄するであろう。こうして我々は初期に当たって共和国憲法に取り入れざるを得なかったもののすべてを「なし崩し的」に変更させることができる。

◎言論機関におけるいかなる報道も、書籍の内容も、我々の検閲を経ないでは絶対に公表を許さない。このことはある程度までは現在でも実行されてはいるが、その方法として、全世界の各地からのニュースを少数の通信社に集め、そこで手を加えて、それから諸方面へ配布している。 (注:アメリのロイター、日本の共同通信などが想起できる。しかし、インターネットの急速な普及によって、9.11事件などはその最初の段階から米政府やその背後の連中による自作自演であるという見方が広まっていた。実際、あまりにも粗雑なシナリオではあったのだが、表のマスコミはまた見事にそうした見方を無視したのである。これ一つを取っても、マスコミが支配者の道具でしかないことは明白である。)



筆者補注:「ダーウィン、マルクス、ニーチェ」の教説がなぜ陰の支配者(と仮に呼んでおこう)にとって都合がいいのかを説明する。
まず、ダーウィンの進化論は「適者生存」の思想を人々の頭に植え付けた。つまり、生き延びた者は、生き延びるにふさわしい存在であり、滅びた者は滅びるのが当然の「無価値な」存在だったという思想である。これによって、たとえば欧米人種の行ってきた過去の悪行(他人種からの略奪行為や大量虐殺)も正当化される。弱い者、無能な者は滅びても当然であり、弱者への同情はセンチメンタルな感情でしかない、というわけだ。そして、もちろん、資本主義社会における様々な悪行(詐欺行為や非人間的な搾取)も正当化される。なぜなら、強い者が生き残るのは当然であり、資本家が金の無い人間に勝つのも「適者生存」だからである。
次に、マルクスの教説がなぜ陰の支配者にとって都合がいいのかだが、陰の支配者とは要するに、表舞台には出てこない大富豪や大財閥である。彼らは政治そのものを動かす力があるので、税金すら払わず、(いや、アメリカにおいては紙幣を印刷する権利すら持っているのだが)高額納税者(世間の人間は、これを大富豪と錯覚している)として公表されることはないために彼らの存在は世間には知られていない。しかし、誰かが搾取しているからこそ、大多数の人間は貧困から逃れられないのだと人々が思うことは避けられない。そこで、そのスケープゴートとして彼らが用意したのが表に出るレベルの富豪・資本家であり、「資本家対無産階級」という対立図式である。この資本家はあくまで世の法律に従って生産活動をする実業家に過ぎず、暴利をむさぼっているわけではない。しかし、彼らは目の前にいる、目に見える存在である。そこで貧民の憎しみは彼らに向けられ、陰の支配者の望む「混乱と無秩序」が作り出されるのである。その間に、もっと大きな金を動かして、投機市場を操作することによって、あるいは定期的に大恐慌を起こすことで低レベルの資本家の金はみな大富豪の手に入っていくのだが、それは庶民には見えないのである。つまり、マルキシズムの効用とは「分割して統治せよ」のパターンの一つなのである。
最後に、ニーチェの教説の目的だが、それはキリスト教の破壊である。キリスト教は本来、清貧と貧しい者への施しを教えており、資本主義にとっては都合の悪い思想だ。そこでカソリックやプロテスタントの中枢にスパイを潜入させてキリスト教を変質させると同時に、キリスト教の神自体をニーチェによって否定させたのである。ニーチェとはいわば、思想的テロリストである。アメリカ政府の中枢は一見、キリスト教信者が占めているように見えるが、それは、彼らが自分をキリスト教徒だと名乗っているからにすぎない。(多くの俗衆は、言葉を事実と誤認する、という「議定書」の嘲笑を見よ。)彼らの行為を見れば、それがキリスト教的精神からどれほどかけ離れているかがわかるだろう。

*さて、以上をお読みになって、どう感じただろうか。もちろん、私自身、ここに書かれたことのすべてを信じるわけではないが、これが現実政治の教科書として有効なことだけは否定できないだろう。つまり、多くの人が心の隅に止めておくべき文章なのである。

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