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逆優先席という思想

「ヤフーニュース」から転載。元記事は「プレジデント」のようだが、なかなかいい記事である。
ここに書かれている事例は、両親の貯金が2000万円あったという恵まれた例だが、それでも、親の介護でほぼ破産状態である。もっと貧乏な家庭なら一家心中するしかないだろう。
で、この問題を解決するのは実は簡単な話で、認知症になった段階で、その対象者を「殺処分」すればいいのである。
「殺処分」が聞き苦しいなら「安楽死」でも「尊厳死」でもいいが、できれば60歳くらいを期に、全国民に対して意思確認をするのがいい。それは、自分が将来認知症になった場合、「殺処分」されることに同意するかしないかという意思確認だ。(いや、認知症でなくても、精神的肉体的障害などで生活の見込みが立たなくなった人間は国家が殺してやるという施設を作ればいいのである。だが、そこまでは難しいだろう。)
というのは、認知症になった人間にはもはや自殺すらできず、生きれば生きるほど周囲を不幸にするだけであるからだ。不幸でないのは、それで金儲けをする施設や機関だけだろう。そういう人間は国家の手で殺してやるのがお慈悲というものだ。これこそ究極の福祉国家だろう。
芥川龍之介の「河童」の社会では、生まれる前に胎児に対して(笑)生まれたいかどうかの意思確認をする。自分の両親からの遺伝や財産状況などから自分の将来像を予測して、暗い将来が予測されるなら、生まれる前に流産させてもらうわけだ。
そこまでの親切を国家に求めることは困難だし、さすがに胎児段階でそこまでの判断はできにくいだろうから、せめて60歳くらいで自分の将来の大事なポイントについての意思確認をさせるのがいいのではないか。
それが、冗談抜きに国民を介護地獄から救う道だろう。
念のために言っておくが、これは「役に立たない人間は殺せ」という思想ではない。60年も生きた人間は、そこまで生きていない人間にこの世界の座席を譲るべきだという「逆優先席」の思想である。
もちろん、経済的にこの社会が老人や病人に無制限に金を投入できるユートピアであれば、この問題そのものが存在しない。結局、老人というのは現在の経済社会では介護産業や医療産業のための資源でしかない、という話である。と言って、自力で自分の親を殺すと犯罪だし、このままだと介護問題は「出口無し」の地獄だ。
もちろん、自分たちがどんな経済的困難に陥っても、認知症の老親の介護をするのが誇りであり、生き甲斐である、という立派な人々には、まあ頑張ってください、と言うしかない。
ただ、そういう「立派な人々」を社会全体の標準や指標としてはいけない、ということだ。一部の人々の立派な生き方や立派な言動が逆に社会全体を誤らせることもある。こういうのもまた「合成の誤謬」と言えるだろう。


(以下引用)*後半省略。


入院2年、老親の2000万がなぜ底をついたか

プレジデント2012/8/13 08:00
西川修一=文 山口典利、松田健一=撮影

証拠調査士平塚俊樹メーカーのクレーム処理担当等を経て2004年より企業・弁護士等を対象に危機管理コンサルティング。著書に『Lawより証拠』ほか。

■母がタクシーで徘徊 一回で3万円超請求

 “その日”は必ず訪れる。しかし、親が元気なうちに介護のことを考えるのは億劫だ。考えたくないことは考えず、中途半端な情報でタカをくくってしまう。

 それだけに、いざその事態に陥ったときの動揺は大きい。

 「トラブルで食ってる僕ですら、ひどいものでした」――警察・医師・法曹界に幅広いネットワークを持ち、危機管理のコンサルティングを専門とする平塚俊樹・武蔵野学院大学客員教授(44歳)は、8年前、父親(当時73歳)が認知症となった当時をそう振り返る。今でこそ介護関係者の相談にも乗っている平塚氏だが、かつてわが身に起こった“親の介護”という突発時に、ベターな方策を選び続けるのは難しかった。

 父親が居宅の近所を徘徊するようになった頃、平塚氏夫婦は実家から車で30分程度の場所に自宅を購入していた。

 「当時はまだGPSを使った本人の位置確認ができなかった。言葉は話せても自宅に帰れなくなる、警察に保護され迎えに行く、という日々が続き、介護認定を周囲から勧められたんですが……」

 母親(当時67歳)がかたくなに嫌がった。父を自宅に閉じ込め、区役所の担当者が来たら「出ていけ」と邪魔をする。離れて暮らす実姉が母親の肩を持ったために家族ぐるみの大ゲンカ。そこで、母親が不在の間に、近所の人々や医師の協力を得て介護認定「3」を取得。デイケアと訪問介護を半々で続けた。

 そんなある日の夜中の3時頃、平塚氏の携帯電話に救急隊員から「今すぐ来てください」と連絡が入った。

 徘徊した父親が階段から落ちて、頸椎を骨折したのだ。そのまま労災病院の個室に運び込まれた。しかし、そこで「うちは介護病院じゃありませんから、看護師一人付きっきりにするのは保険適用外」と言われ、費用は実に月80万~90万円。しかも、「今の保険制度では、面倒を見られるのは3カ月だけ。次の病院を探してくれ」といわれた。

 ソーシャルワーカーとともに「まるで就活みたいに」あちこちの病院に電話をかけまくり、面接を繰り返した。ようやく見つけた介護専門の病院も、入居すれば月額30万~40万円。やはりリミット3カ月を言い渡された。

 困ったことに、父親は転倒時に通帳、財布、キャッシュカードを紛失していた。

 「銀行に行ったら、『本人じゃないから通帳の再発行はできない。本人を連れてきてください』。でも、父は病院から出られない。途方に暮れていたところで、両親と20年以上付き合いのあった銀行支店の融資係長が声をかけてくれた」

 幸い、その融資係長が気を利かせて代理人契約を結んでもらい、ようやく父親名義の預貯金を使えるようになった。

 このころから、母親の様子もおかしくなってきた。父親の面倒を見る平塚氏の携帯電話に、毎日150回以上電話をかけてくる。生肉を食べ、冷蔵庫の中をすべて腐らせた。タクシーで何度も徘徊し、請求額が毎回3万円超……平塚氏は、ついに当時の勤務先を辞めた。

 「介護休暇なんてなかった。母親を保護した警察から突然連絡があっても、有給休暇では対応できない。当然、営業成績は下がります。嫁は嫁で私が両親に時間の大半を取られているのが気に入らずケンカの毎日。もう辞めるしかないですよ。デイケアの方から『実の息子が面倒を見るのは珍しい』と言われました。サラリーマンだと、妻に丸投げする人がほとんどで、多くの夫婦が離婚に至るそうです」

その次に見つけた有料の住居型老人ホームも月50万円。ようやく事の重大さを悟った姉夫婦が奔走、月35万円の老人ホームを探し出した。

 「姉と連絡を取って、母親を『旅行だ』と騙して連れていきました」

 しかし、健康保険だけで2人で月5万円、住民税が3カ月に一度、約5万円も支払わねばならず、そこに医者の治療代や生活費も加わった。一児を持つ平塚氏の妻の病気入院も重なった。

 「僕が約300万円持ち出しました。いまだに借金が残ってます」

 その後、姉が苦労のすえ嫁ぎ先の地元の特別養護老人ホームでようやく空きを見つけた。が、「地元住民である」ことを示さなければ特養には入れない。そこで、姉が嫁ぎ先の実家にいったん父親を住まわせ、そこから特養に通わせる“儀式”を経てようやくそこに落ち着いた。

 「母についても同様の儀式をやってから、同じ特養に入れた。向こうの実家には本当に迷惑をかけました」

 約2年間の回り道。その間に、両親の預貯金2000万円を使い果たした。

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福島原発事故の再考察のために

今日の「徽宗皇帝のブログ」の補足として、「マスコミに載らない海外記事」のアンソニー・ホールの記事を全文転載する。長い記事なので、本当は福島原発事故に関する部分だけにまとめたかったが、今日は日曜日だから、この程度の長さなら読む余裕はある人が多いだろう。
特に解説は無用だと思うが、この記事を載せた意図は、世界の人間は福島原発事故をどう見ているか、ということを知らせたかったからだ。まあ、たいていの読者にとっては釈迦に説法かもしれないが、この記事をまだ知らなかった人には利益があるだろう。


(以下引用)*元記事には放射能被害者(幼児)などの悲惨な写真などもあったが、こちらのブログでは画像はコピーできないので、それは自動的に省略になる。まあ、休日の朝から放射能障害による奇形児の写真は見たくはないだろう。


福島第一: 原子力発電所から核兵器第一へ




2012年6月13日


Veterans Today


Anthony Hall



“我々の世界は、これまで想像されたことのなかった危機に直面している… 解放された原子の力が我々の思考方法以外のあらゆるものを変えてしまった為、我々は未曾有の大惨事へと押し流されつつある”

アルベルト・アインシュタイン、Bulletin of Atomic Scientists(原子力科学者会報)、1946年5月


アルベルト・アインシュタインの警告と福島第一原発の不吉な運命


福島原子力第一発電所における大災害は、危険性が減るどころか、益々増しているという悪い知らせが順次広がりつつある中、アルベルト・アインシュタインの言葉が思い起こされる。伝説的物理学者アインシュタインは、その要員が1945年に広島と長崎に投下された最初の原子爆弾を設計し、製造した、マンハッタン計画が起動するのを手助けしたことを想起願いたい。1939年のアメリカ大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルト宛の手紙で、もしアメリカ合州国が、核兵器の破壊的潜在力を利用する競争に参加して、勝利しなければ、ドイツはほぼ確実にそうするだろうとアインシュタインは警告した。


マンハッタン計画は、ドワイト・D・アイゼンハワーが後に“軍産複合体”と表現した、アメリカ政府と営利目的の大企業が結びつく協力による研究開発R&Dの主な原型となった。日本とドイツとイタリアが提携する枢軸国を打ち破ることを狙ったこの壮大なイニシアチブにアインシュタイン自身は直接参加はしなかった。20世紀で最も偶像的な思想家の一人だった彼は、他の物理学者達や科学技術者達が、アインシュタイン理論の多くを核兵器製造に応用するのを傍観者としてながめていた。


広島と長崎の原爆による破壊のみならず、東京や他の幾つかの大都会への大規模絨毯爆撃によって、日本が灰塵と帰した後、アインシュタインは彼の恐れと懸念を公表した。様々な翻訳や言い換えをされてきた有名な一節で、アインシュタインはこう述べている。“我々の世界は、これまで決して想定されなかったような危機に直面している…解き放たれた原子力が、我々の思考方法を除くあらゆるものを変えてしまったので、我々は未曾有の大惨事へと押し流されつつある。”



アルベルト・アインシュタインは、人の思考方法は、内なる宇宙の分子構造から放射される莫大なエネルギー源を取り出すことによって世界にもたらされる変化に適応するようにはできないと懸念していた。



実験室としての日本


1945年以後、そして、日本で稼働中の一番古い原子力発電所を破壊した、相互に連結した危機の連鎖反応を、津波が起動させた日、2011年3月11日以前の時期に、アインシュタインが予測した大惨事の予告のようなものは多数あった。この局所的な出来事が、危機の初期段階の現在では想像することすら困難な形で世界を変換してしまい、我々が知っている日本を何らかの形で終わらせてしまう国家的、地域的、世界的連鎖反応に拡大してゆくという証拠は日々増大している。


この変換の方向と質は、科学探求やテクノロジー革新の先達にによってもたらされた思考方法を、私たちがその変換に適応できるかどうかに大いに依存している。内なる宇宙の中に深く入り込み、分子構造の物質から放出される不安定なエネルギー源を取り出するという方向に進むことを決めたことによって、我々の文明はアインシュタインの予言に我々を直面させる形で変えられてしまった。


日本の東海岸にあった、40年を経た古い設備は、福島第一原発が破壊された時点では、核技術のバーチャル博物館だった。6基のGEマークI原子炉の設計は、アメリカ海軍の最初の原子力潜水艦用に1950年代初期に開発された発電装置を流用したものだった。


津波が襲った時、これら年代物のGE原子炉の一基、3号炉には最新世代のプルトニウムを混ぜたアレバのMOX燃料棒が満たされていた。巨大な爆発によって、原子爆弾の基本原料プルトニウム同位体が500種ほどの放射性核種の中に混じって、現在、大気、海、地下水へと拡散されるようになり、福島第一原発は世界最大で最も恐ろしい核兵器へと転換した。


日本語で「だいいち」というのは「一番」を意味している。福島だいに、福島第二原子力発電所も、福島第一より更に11キロ東京に近い太平洋岸に位置している。福島第二も3/11には大きく損傷した。現在日本の54の原子力発電所の一基を除く全てが完全に停止している。



日本の原子力災害の全貌に関する極めて重要な情報は、依然として国民に知らされていないと疑うあらゆる理由が存在する。日本の原発インフラに対する生命を脅かす被害は、福島第一では終わらない。嘘、秘密主義、軍事的な基盤で悪名高い業界に対する国民の信頼の欠如と、信用できる規制の欠如が、決意を活性化し、地学的に世界で最も不安定な地域の一つにある原子力電力網を二度と再稼働すべきではないと要求する動きを、日本国内でも、世界中でも強めている。


津波の危険を伴う日本での地震頻度と激しさが大きくなっているという証拠の増大により、そもそも決して建設されるべきではなかった原子力施設の恒久的廃炉の為の議論の緊急性は増している。この不安定な地域の下に横たわる構造プレートの中で、何らかの基本的な変化が起きているように思われる。


福島の大災害は、いまだ初期段階にすぎない


福島大災害の最悪な事態は、過去というよりは、将来に起きるという認識が増大することにより、アインシュタインの見方の適切さは、はっきり浮き彫りになっている。実際、アインシュタイン警告の予言的な特質は、日本で放射能を放出している福島第一原子力発電所で、一体何がこれほどまずいことになったのかということの恐ろしい影響に含意に、余りに多くの政府、マスコミ、学界、そしてとりわけ、資金潤沢な原子力産業の心臓部が、適切に対処しそこねていることに、くっきりと反映されている。


古い時代遅れの感覚ゆえに、この未曾有の出来事の一体化において増殖する脅威を、官僚が認識し損ねたことは、極めて重要な言外の意味がある。福島第一原発で行われていること、更に重要なのは、そこで行われていないことが、解き放された原子の力が、我々の古い思考方法以外のあらゆるものを変えてしまったというアルベルト・アインシュタインの極めて重要な見解を、悲劇的なまでに例証しているのだ。




福島大災害の本質の正しい認識を阻んでいる主な障害の起源は、1950年代のプロパガンダ・ミームにまでさかのぼる。1953年末、アメリカ大統領ドワイト・D・アイゼンハワーの国連における“平和のための原子力”演説で始まった、このプロパガンダ・ミームは、原子力産業内部の二重の区画と完全に関係を断つことを狙っていた。


原子力産業の民生部門とされるものは、優勢な軍事部門とは全く別物だと世界中の人々はだまされてきたが、この差異など実は幻影だ。そもそもの発端から、発電用の核エネルギー開発は、核兵器製造という、非常に儲かるが全く不道徳な事業に対する偽装PRとなるよう設計されていた。実際今日に至るまで、爆弾製造業者は、大量破壊兵器用のトリチウム等の様な成分を、原子力発電所の稼働から得ている。


http://www.timesfreepress.com/news/2010/feb/03/sequoyah-to-produce-bomb-grade-material/


二重性といううわべが、福島で一体何が実際に起きているのかを困難にしている。発電という、一見無害な目的のために建設された設備が、強力な原爆の巨大武器庫より遥かに大規模な破壊の可能性を持った核分裂性物質が高く積み上がった固定兵器へと、突如変身するのを、我々は福島で目の当たりにしていのだ。


ゆっくりではあるが確実な大量破壊兵器として機能する放射能




福島で何が起きているかという厳しい現実に、正面から向き合うためには、様々な種類の核放射能が、生命の循環再生に与える強力な影響を多少理解する必要がある。放射能そのものは宇宙と同じくらい古いものだが、人類が核技術の力によって、この自然力を生み出すという能力は、太陽の下、新しいものなのだ。


神のような作用によりエネルギーを解放するという、人類の新たな方法で、生命の遺伝子の青写真、我々の生存のDNAそのものを変えてしまうというのは、アインシュタインが我々に警告していた変化の中でも最も重大な変化だ。福島の放射能放出に対する、これまでの日本と国際的対応の驚くべき失敗によって、いつ何時にも、本格的核戦争で放出されるであろう量を越えて、放射能放出が急増しかねないことは、アインシュタインの最悪の恐怖の悲劇的な立証になっている。福島の核大災害は、これまでのいかなる危機以上に、我々人類が、特に我々の指導者として出しゃばっている連中が、原子を分裂させることで解放された変化に適応すべく、古い思考方法を変え損ねたことを例証している。


生物学的変換に対する放射能の影響を測定、理解する科学は依然初期段階にある。ところが、1945年以来、生命再生の自然パターンに対する放射能の影響を否定し、否認し、実際よりも軽視するのが応用原子力を推進する人々の体質だ。この否定の文化の根源は、広島と長崎の爆撃による破壊の第一波を生き抜いた、あらゆる人間、植物と動物の放射能汚染に対するアメリカ政府幹部の公式対応にある。大規模な人間集団の健康に対する放射能の影響と取り組むことをいやがっている様子は、1945年9月13日のニューヨーク・タイムズの見出しに記録されている。見出しは“広島の廃墟には放射能皆無”と宣言していた。

http://japanfocus.org/-Gayle-Greene/3672



アメリカ政府による日本の民間人に対する原爆爆撃から始まった核時代以後、何十年にもわたって、官僚世界の正式な立場はほとんど全く変わっていない。業界が生み出した放射能の、公衆の健康に対する影響は、その源がなんであれ、ごくわずかだと、再三再四彼らは我々に請け合ってきた。例えば大気中核実験や、核物質の採鉱、処理と、核兵器を含めた核製品の製造や、核のエネルギー力を発電や船舶や潜水艦の推進力への利用は、全く恐れる必要などないと説得することに、再三再四、公的資金が使われてきた。


はたして、福島の核大惨事でも、非常事態の本当のひどさ奇怪さを現実の通りに描き出し損ねて、これと全く同じパターンの偽情報が悲劇的に繰り返されている。1945年以来の専門家連中による不正行為の体制は、自ら共犯者となることを放置してきた、原子力産業幹部や、政府や、マスコミや学界の連中による福島事故の隠蔽工作にも及んでいる。大衆の健康に対し、致命的な影響の可能性があるものから、自分や家族や地域社会を守るべく最善を尽くすのに必要な情報を与えずにいることの、法的意味合いはどうなのだろう?


核汚染の影響を実際より軽く扱うという、今も継続中の官僚世界の癖は、何十年も続いているタバコ産業のはぐらかしの歴史と似ている。喫煙が健康に大きな悪影響を与えることを証明する膨大な証拠を認めようとしないタバコ産業の取り組みが、まだ目に入らないような人などいるだろうか?


これに等しいより最近のものは、主要産物を莫大な規模で燃やしているのが、何世代にもわたって地球の大気に影響を及ぼしていることを否定する大手石油会社の、古くからの、凝り固まった、資金ふんだんなロビーによるキャンペーンだ。この同じコインの裏側は、原子力発電所を、化石燃料産業に対するグリーンな代替案のように見せようとして、地球温暖化という政治的風船を過度にふくらませるために、原子力産業の大口後援者の一部が密かに献金しているという疑惑だ。



福島第一原発から280キロ離れた場所で収穫されたこの奇形トマトは、放射能汚染の影響を受けている。この赤ん坊が、イラクにおけるアメリカ軍による劣化ウラン弾の大規模砲撃の放射能の影響で奇形になったことはほぼ確実だ。

一体誰が信じられる情報源なのか?


大手マスコミは福島の話題に関して、ほとんど無断欠勤状態にあるが、核エネルギー分野における良心的な権威者の多くがロシア・トゥデイのような舞台に進み出て、緊急事態を解説してくれた。これらの学識専門家達には、アーノルド・ガンダーソン、クリストファー・バズビー、ヘレン・カルディコット、カク・ミチオがいる。少なくとも二人の日本大使と天皇自身を含む他の高官達も現在進行中の福島危機の重大さと、それが改められてはいないことを指摘、主張している。例えば国連が支援する会議で日本を代表してきたことが多い松村昭雄氏は2012年6月11日付け報告書を公開している。松村氏は鳴らしている警鐘の中で、巷ではチャイナ・シンドロームとして知られている現象が、既に起きてはいないとしても間近に迫っている可能性に注意を促している。松村氏はこう述べている。


1. 1号、2号および3号原子炉では、完全な炉心メルトダウンが起きた。日本の当局は、燃料が原子炉格納容器の底を通して溶融している可能性を認めた。これは意図しない臨界(連鎖反応の再開)または、強力な蒸気爆発に至る可能性があると推測されている。いずれの場合も、環境への大量の放射能の新たな放出に至る可能性がある。


2. 1号と3号原子炉は、特に透過性放射線が強く、この地域には近づくことができない状態である。その結果、福島事故以来、補強工事は行われていない。これらの構造が強い余震に耐えられる能力は不明だ。




この福島第1第3号炉の残骸は核燃料メルトダウンと水素爆発の両方が起きた場所だ。プルトニウムを混入した核燃料棒が装填されている施設でもある。


http://akiomatsumura.com/2012/06/what-is-the-united-states-government-waiting-for.html


益々多くの非常に深刻な危機が日々明らかになる一方、第4号原子炉で起きようと構えている大惨事中の大惨事を指摘する声が益々高まりつつある。日本の元スイス大使、村田光平氏は、国連事務局長に対し、主要な切迫した危機と考えるものを率直に指摘した。村田氏はこう断言している。“日本と全世界の運命は4号原子炉にかかっていると言っても言い過ぎではない。














上記四枚の第4号炉の建屋写真は、福島第一の、4,000トン以上の高放射性の使用済み核燃料棒を擁する7つの破損した冷却プールのうち一つの廃墟である。この構造物の残骸は、次ぎの大きな地震には耐えられないと想定されている。この分野の多数の専門家達は、もし次ぎの地震の衝撃で、既にすっかり破壊されたこの構造中にある放射性貨物が大気に漏出することになれば、放射性の巨大なかがり火が、スローモーション版の大規模核戦争を起こすと予言している。最初の3/11以前に撮影された4号原子炉上の冷却プールのものを含め、四枚の写真全てにある大きな丸い黄色の構造に注目願いたい。使用済み核燃料棒用冷却プールを空中30メートルという高さに置くという設計の愚劣さをお考え願いたい。


この元外交官は、もし次の地震が起きれば何トンもの放射性廃棄物もろとも崩壊しかねない、構造が吹き飛ばされてしまった、空中30メートルの高さにある使用済み燃料プールの不安定な状態についてコメントしている。既に激しく損傷している“冷却プール”の崩壊は、更に、科学上知られている最も有毒な放射性核種の数々を大気や海洋や地下水に放出しながら、恐らく一世紀は燃え続ける放射能の大火事をもたらすだろう。


アメリカ、オレゴン州選出上院議員のロン・ワイデンは、自ら福島の現場を視察した後、同様の感覚を表明した。彼は以下のように述べている。


原発と周辺地域に対する被害の規模は、私の想像を遥かに越えており、施設の所有者、日本政府と、地域住民に対する課題の規模は圧倒的だ。放射性物質や使用済み核燃料の膨大な在庫による福島第一原発と危険の不安定な状態は、更なる地震があった場合、その脅威は、全員に及び、より大規模な国際的支持と支援の焦点となるはずだ。


http://www.naturalnews.com/035813_Ron_Wyden_Fukushima_radiation.html#ixzz1xWqfblUu







危機の初日以来、アレクサンダー・ヒギンズは、最も粘り強く、正確で、気配りの良いブロガーの一人で、何か非常にまずいことが福島第一で起きているという増大してゆく証拠をかみ砕き、定期的に報告している。彼の記事の見出しの一つは、福島大惨事が、命にかかわる放射性セシウムを、既に広島原爆攻撃による放射性降下物の4023倍もの量、大気、海と地下水に放出したことを報じている。別の見出しはこうだ。“福島は絶えず我々全員を高レベルのセシウム、ストロンチウムとプルトニウムで攻撃しており、今後何百年もにわたり、何百万人もの人々をゆっくりと殺してゆく。”



http://blog.alexanderhiggins.com/2011/06/16/scientific-experts-fukushima-potentially-worse-20-chernobyl-governments-hiding-truth-28221/


http://blog.alexanderhiggins.com/2012/05/25/fukushima-cesium-nuclear-fallout-equals-4023-hiroshima-bombs-138001


http://blog.alexanderhiggins.com/2011/09/01/fukushima-continually-blasting-high-levels-cesium-strontium-plutonium-slowly-kill-millions-years-66941


人類に対する放射性核種の脅威には、肺、骨、筋肉や血液の中に入りこみかねない、飛散して、α線を放出する核微粒子が含まれる。我々を襲っている核汚染の一部は、我々が食べている植物や動物も一斉に攻撃している。より大きな生物がより小さな生き物を食べる過程で、人間という雑食性動物が暮らす最高位に至るまで、食物連鎖でより上位にある生物ほど、核汚染を含め、毒物汚染の濃度が酷くなる傾向にある。


福島大災害によって私たちに与えられた打撃の中では、太平洋の大規模核汚染が、恐らく最も重要な鍵を握っている。太平洋の水中生物は、日本、中国、インドシナ、オーストラリア、ニュージランド、近くの南太平洋の島々、そして西半球を含む、地球上で最も人口密度の高い地域にとって、とりわけ莫大で豊富な食料源だ。アラスカのアザラシやセイウチに現われつつある奇妙な病気は言うまでもなく、放射能で汚染されたマグロや放射能で汚染された昆布がカリフォルニアで発見されており、これは疑うべくもなく、今後起きるはずのより大規模で、よりひどい出来事のささやかな兆しだ。


近頃の最前線における必要な調査の大半同様、生態系に対して忍び寄る福島の影響の不都合な真実の大半の発見は、政府当局者ではなく、一般市民達。概して、我がカナダ政府を含め、大半の政府の福島大災害への対応は、測定プログラムを停止し、正常だという偽りの見せかけを維持できるよう、最低基準のハードルを引き下げることだった。


海における汚染は、ミルク、卵、肉、野菜や果物中で放射性核種の存在が発見されているのと軌を一にしている。優しい雨さえもが汚染されている。春の雨や夜明けのもや中での清められる散歩という癒しの力を、もはや何の懸念もなく楽しむことができなくなった場合、我々の内的資源の精神的再生は一体どうなるのだろう?



ヒギンズは、特に、東京電力が自ら以前の報告書中で公開したデータを改訂している多くの事実に対しても素早く注目している。そうした改訂は、ほとんど常に、相互につながっている大惨事の規模を、東京電力が当初故意に低く評価していたことを明らかにしている。


3/11大災害までは、東京電力が福島第一の“所有者”だった。多数のあらゆる文書で十分に裏付けられた、福島大惨事に至るまでの数々の不正行為や違法行為にもかかわらず、被災した施設での修復作業とされるものを、東京電力は不可解にも依然担当している。これまでの所、東京電力は、第三者の科学的観察者が現場で何がなされているか、あるいは何がなされていないかを監視することを禁じたままだ。同社はそのような観察者が、福島第一の本当の様子を独自に独立して研究をすることを認めようとしていない。


意味深いことに、3/11直後、この災害によって被害を受けた国民や企業に対する東京電力の法的責任のレベルが、わずか21億ドル、こうした恐ろしい状況のもとではスズメの涙だとブルームバーグ・ニューズは報じた。この金額も、もし東京電力が大災害は不可抗力で起きたものだと日本の裁判官を説得できれば、ゼロに引き下げ得るのだ。


http://www.bloomberg.com/news/2011-03-23/nuclear-cleanup-cost-goes-to-japan-s-taxpayers-may-spur-liability-shift.html


利益は私有化しながら、危険な産業・軍事活動のリスクは社会化するという話になると、保険会社が原子力発電所運営する企業を保険で保証したがらない為、原発受入国政府や国民が、核分裂による発電に伴う膨大なリスクを引き受ける本当の保険者になってしまうことが多い。


科学的合理性と、精神病院の不合理な行動との出会い


ヒギンズが指摘している初期の訂正の一つ、東京電力の福島には1,760トンの未使用と使用済みの核燃料があると指摘した推計は200%以上はずれていた。東京電力が後に発表した数値は、福島第一には4,277トンの核燃料棒があり、その大半の放射性廃棄物7つの冷却プールに保管されていることを示している。これらの冷却プールの全てが、大なり小なり損傷し、機能不全になった。地震と津波の後、福島第一での全ての産業大災害は、冷却水を使用済み核燃料棒プールにポンプで送り込むシステムの故障から始まった。この手順がなければ、これらの極めて放射能の高い棒は、核臨界の連鎖反応で過熱し、燃えだし、爆発する。こうした連鎖反応は既に、少なくとも、目の前のことに注意を払うのを怠らない人々にとっては、かなり進んでおり、起こりつつある..


http://blog.alexanderhiggins.com/2011/03/19/the-amount-of-radioactive-fuel-at-fukushima-dwarfs-chernobyl-9281/


これらの施設が、核兵器より遥かに破壊的になる可能性があるのは、福島第一や他の多数の原子力発電所で保管されている放射性廃棄物の巨大なプールの規模の巨大さだ。福島のみならず、世界中の500基以上の原子力発電所の大半に保管されている何千トンもの核分裂性物質と比べれば、原子爆弾のいわゆる“弾頭の爆発物“ などささやかなものだ。大気や水中へのこの放射性廃棄物のごく少量の放出によって引き起こされる公衆の健康、実際には、あらゆる生物の健康に対する脅威を認識するには、人間の意識は科学的発見や科学技術上の転換における跳躍からは遥かに遅れたままであろうと、アインシュタインが正しく予言した通りの、世界には悲劇的なほど不足している類の理解が必要だ。


福島第一における、核燃料燃焼や、放射性廃棄物処理や、放射性廃棄物保管用のこれほど多くの個別施設の密集は、産業の最先端を大量虐殺にまで拡張しようという軍事的動因に根ざす産業の象徴である、科学的合理性と精神病院の不合理な行動との不気味な結婚を体現している。



人類が知っているものの中で最も危険な工業的手順の、この入り組んだマヒ状態は、核ホロコーストのしきい値で、連鎖反応をさせる処方だ。連鎖反応によって、小さな問題を大きな問題に変換するために、個別にしつらえられた福島第一の環境を生み出したものは、恐らく原子力産業が究極的に依拠している中核的現象を反映している。原子爆弾なり、原子力発電所なりで、核エネルギーを解放する鍵は、内なる世界の分子レベルで連鎖反応増殖を開始することにある。


福島第一の6基のGEマークI原子炉と、アメリカ合州国の23基の同様な施設の場合、この狂気は、放射性廃棄物を保管するための高所に作られた冷却プールの文字通り真下に、核燃料を燃焼させる装置を設置するに至っている。


原子力潜水艦のように極めて空間が限定されている状況においては、この設計思想にもある程度限定的な意味があった可能性はある。今にして思えば、1950年代にノーチラス原子力潜水艦用に開発された原子力発電装置の基本プロトタイプを、単純に大型化し、その設計を、核エネルギーを電力に転換する地上設置用装置に使用するというGEの決定は、確実に史上最もうさんくさい経費削減策の一つに位置づけられるに違いない。


福島大惨事が原子力潜水艦の技術を継承しているということは、より大規模な現象の構造を物語っている。いわゆる民生経済とてし通用しているものの大半は、その優位性が冷戦の間に定着し、今や“テロ”という万能のお化けと戦うという名目の下、社会の更なる軍事化を加速している、軍の政治経済に由来する単なる工業副産物に基づいている。



完全に避けられたはずの福島の大惨事は、不幸にも、現在人類が直面している最も破壊的な恐怖の真の原因解明に役立とう。福島第一を核兵器第一に転換するのに、発射装置は不要だ。風と海の自然の流れが、いかなるミサイル、潜水艦、秘密のスター・ウォーズ兵器よりも遥かに効率的に放射性毒物を広めている。


福島第一の放射性廃棄物のプールが、破損した核格納容器の吹き飛ばされた外郭上層階で、致命的に大気にさらされている衝撃的な画像が、知的、技術的、倫理的貧困から、業界が不必要なリスクを冒すマニアとなっていたことを公の場にさらしたのだ。これらの画像は、社会の主要な公益事業の民営化と結びついた、規制緩和の奇抜な行き過ぎの、恐るべき風刺画と見なすことができる。原子力の精霊がランタンから解放された後に、放出するものの狂気を予想する上で、アインシュタインさえ十分先まで考えていたのではないかも知れないことを示唆する仮借ない証拠なのだ。


放射性廃棄物: 核サイクルの“バックエンド”


原子炉内で原子力を生み出す過程で、使用済み核燃料棒がつくり出される。これらの棒には何百万年、何十億年にもわたって極めて高い放射能を持ち続けるものを含む多様な放射性同位元素が存在する何千ものペレットが入っている。最も有毒で長寿命のものの中には、セシウム、ストロンチウム、ウラン、アメリシウム、キュリウムやネプツニウム等の同位元素がある。そのような種類の放射性廃棄物を、記録に残されているあらゆる人類の歴史よりも遥かに長い期間にわたって、土壌、大気や、水という脆弱な生態系と触れ合わない様に隔離しておくことは、膨大な技術的問題を伴っているのは明らかだ。これら問題の絡み合い方は、長らく核エネルギー産業の、いわゆる弁慶の泣き所と見られてきた。


http://coto2.wordpress.com/2011/03/26/us-stores-spentnuclear-fuel-rods-at-4-times-pool-capacity/


原子力発電の場所を、放射性廃棄物、中でも最も危険な部類の使用済み核燃料棒の長期保管用に使う正当な理由など存在しない。実際、福島第一での恐ろしい大災害は、これらの機能を決して一緒にしてはならないという説得力のある理由をまざまざと立証してくれている。核燃料の産業サイクルにおいて、異なる段階のものを組み合わせておくというこの慣行は、適切に考え出された何らかの計画の結果として開発されたものではない。この慣行は、むしろ自分達の地域、社会や、近隣に、放射性廃棄物の永久貯蔵のための施設建設に反対する世論を結集するという、ほぼ避けがたい現地住民の性向に由来して、考え出されたその場しのぎの政治的方策なのだ。このおきまりのパターンは、原子力産業の幹部連中が軽蔑する、頻繁に使われる頭字語表現を生み出した。その言葉とは、NIMBY、Not In My Backyard、つまり「自宅の裏庭に出来るのはいや」だ。


明白に放射性廃棄物を永久保管するという課題に向けた施設を、設計し、設置場所を決め、建設するという取り組みを(恐らく中国を除く) 原子力産業が事実上放棄したことには、小生が考えるに、より根深い側面があったのだ。ほとんど常に、NIMBYの姿勢から始まる住民のあらゆる動員は拡大し、一般への啓蒙や、核兵器と原子力発電所の両方を製造している産業の、事実上あらゆる側面の、一連の広範な危険を取り上げることを狙った一般向け組織に焦点をあてるようになる。

四面楚歌の原子力産業にとって、知識ある市民達によって組織化された反対運動に対処するという問題を避ける方策の一つは、原子力発電所の見えない所、大衆の注意が及ばない所に、放射性廃棄物を集積させ、目立たないようにつとめることだった。放射性廃棄物処理の為の実行可能で安全な方法を見いだすことに対する、原子力産業内部の熱意の欠如は、軍事研究開発の副産物としての核エネルギー産業の起源にまでさかのぼる。アメリカ原子力委員会の初代事務局長キャロル・L・ウィルソンは、1979年の視点で産業の初期を振り返って、こう述べている。


化学者と化学エンジニア達は放射性廃棄物には興味がなかった。それは魅力的ではなかった。それでの出世は見込めなかった。それは厄介なことだった。誰も放射性廃棄物の面倒を見て名声を得ようとはしなかった… 核燃料サイクルのバックエンドに取り組むことについては、本当の興味も利益も皆無だった。


(キャロル・L・ウィルソン、“核エネルギー: 何がまずかったのか?” Bulletin of Atomic Scientists(原子力科学者会報)、第35巻、1979年6月15日)


核エネルギーのフロンティアを拡張する


原子炉稼働の場所を、常時冷却が必要な、使用済み核燃料棒を含めた放射性廃棄物の貯蔵施設を兼ねさせることによる、この危険の増殖と複合の中心地は、アメリカ合州国内、とりわけカリフォルニアの地震/津波地域なのだ。福島第一で、危険な放出が一触即発状態にあることから、原子力発電所が最も危険な種類の放射性廃棄物の貯蔵施設も兼ねている、フランスやオンタリオの様な極めて原発の多い他の国々にも関心が集まっている。






インディアン・ポイント原子力発電所は福島第一より古く、遥かに骨董品だ。約20,000,000人のニューヨークっ子が施設から半径80キロ以内で暮している。サイトに貯蔵されている放射性廃棄物は、アメリカ原子力産業にとって重大な影響を持った訴訟の主題になっている。

70,000トン以上の使用済み核燃料棒の保管が、アメリカ合州国内104の“民生用”原子力発電所に広がっていることを当局者は認めている。放射性廃棄物を無期限に、原子力発電所に保管するというこのパターンの継続は、ニューヨークでの最近の裁定で疑問視された。ニューヨーク市を囲む巨大都市のど真ん中でのインディアン・ポイント原子力発電所の操業に対する住民の敵意が増大したことから、この訴訟が起きた。ほぼ2000万人が福島第一より更に古いこのポンコツ核施設から半径80キロ以内に暮している。



アメリカ合州国において、原子力産業のいわゆる民生部門の軍事的背景は極めて明らかだ。世界最大の放射性廃棄物の集積の一つは、広島と長崎に投下されたファット・マンとリトル・ボーイ原爆の組み立てが行われたワシントン州のハノーバー軍保有地だ。ハンフォード保留地は少なくとも2億リットルの高レベル放射性廃棄物の保管施設サイトだ。


核エネルギーに関する進行中の実験は、米軍と軍事契約企業という特権業者連中によって続けられている。この実験と、時にそうした成果の秘密裏の応用が、ほとんど認められていないにせよ、世界中の多数の人々、特にユーラシアの人々の健康に対し、大きな影響をもたらすことは確実だ。核エネルギー業界の軍事部門のおかげで、人類に現れた癌罹患率と奇形の増加は、イラクの劣化ウラン攻撃犠牲者の間で最も明らかだ。イラクの人々や他の戦災を受けた人々に負わせられた悲劇は、まもなく健康にたいする福島大惨事の短期的、長期的な影響として、より規則的に現れ、日本、東アジア、北米、北半球中、そして世界中で、より規則的に出現し始めるだろう。


国家安全保障国家の最も秘密の部門に振り向けられた莫大な秘密予算が、まだ公表されていない新たな科学原理の発見をもたらしたと考えている人々もいる。こうした発見のなかには、より対象を絞った、秘密なやり方で、核エネルギーを使用する新たな方法もあるかも知れない。そうしたものからもたらされる、こうした新たな原理と応用技術の多くが、例えば9/11で、鉄骨骨組みのツイン・タワーをほぼ瞬間的に、蒸気と細かい塵埃粒子に変換させた一つの要素だった可能性もある。冷戦の過程で合体した特権と権力の古くからの団結に、新たな生命を吹き込むのを手助けするにあたり、9/11の出来事についてのもっともらしい公式説明は明らかに役に立った。


チェルノブイリ、福島と帝国の崩壊


1986年のチェルノブイリの核大惨事が、冷戦の終焉に貢献した要素であることは疑うべくもない。大惨事は、ソ連支配者の資格に対する、国民の信頼を内部崩壊させるのに大きく貢献した幾つかの要素の一つだった。この信頼と威信の喪失は、国際社会においても、ソ連の評判と生存能力を失墜させることになった。その上、チェルノブイリの核爆発は、ヘーゲルとカール・マルクスが人類史の主要な活力と見なしていた、弁証法的唯物論を体現する科学的理性のとりでたるソ連という国家、という自己正当化神話を弱体化させた。ソ連政府内部でさえ原発事故はソ連体制に対する強烈な告発だと認識していた。


“自由世界”の指導者ぶっていた連中の視点からすれば、ソ連という国家の崩壊は、第一の敵とともに、(アメリカという)安全保障国家と、それに付随する軍産複合体の活動を監督する連中の膨大な力、影響力、富の正当化の、突然の消滅を引き起こすものだった。公式9/11説明は、新エリートが、現地の敵を、いわゆる“西欧”の包括的な敵へと転換する手段さえ与えてくれるグローバルな敵をつくり出し、戦うというあらゆる利点を、古いエリートに素早く返還したのだ。


チェルノブイリと福島の原子力発電所の崩壊への対応を比較するのは有益だ。徹底的な破壊に、まさに文字通り蓋をする為、ウクライナ穀倉地帯中心部において行われた、軍隊内外から800,000人のソ連国民動員は、ソ連最高の時間の一つとして屹立している。恐らく今よりも何百万人も多くの人々に広がっていたであろう放射能による恐ろしい病、死亡や、奇形を防ぐ為、放射能が一番高いサイト上に、何らかの障害を構築すべく、巨大石棺が建設された。もし石棺が建設されていなかったなら、一体更に何百万あるいは何千万人が汚染されていただろう?



1986年のチェルノブイリ原子炉の突然の爆発に対するソ連の対応は堂々としたものだった。ソ連という国家は危機に対応するため、軍隊の内外から800,000人の労働者を動員した。対応の一部は、損なわれた猛毒の建物を、ここに示す巨大な石棺で覆うことだった。何億人もの潜在的犠牲者の健康に対する未曾有の脅威を閉じ込めようとする大規模な取り組みは、日本における核の大惨事への生ぬるい対応とは薄気味悪いほど対照的だ。



これまでの所、福島大災害に対する対応は全く異なっている。3/11以降の日々、原子力産業の情報操作専門家連中による即座の診断は、事故は“スリーマイル・アイランド以上だが、チェルノブイリ以下だ”というものだった。別の情報操作はある程度の“部分的メルトダウン”が起きている可能性がある。部分的メルトダウンという考え方など、部分的な妊娠という考え方と同じ程度の意味しかあるまいと思ったことを思い出す。福島第一は2011年12月頃“冷温停止”になったという日本政府の偽情報をオウム返しにするほとんどの媒体、大半の大手マスコミは、福島の話題を報道の隅へと追いやった。


既に述べた通り、代替メディア報道の幾つかの部分は、実に確かで、福島大惨事の巨大さに匹敵する。そうした場所における言説では、福島がチェルノブイリ大災害の規模を遥かに越える大変異的破壊となる可能性が、次第に、一層確実になりつつある。福島の危機をこれ程まで脅威的なものにしている原因の一部に、悪化する危機への公式対応で、少なくとも公的には、東京電力を最前線にたたせている連中の、とるにたらない、無能で、脅えた様なやり方がある。一部の人々の、押し寄せる大惨事を食い止めようとする、勇気、知性、革新や自己犠牲の様々な英雄的行為がなかったと言いたいわけではない。彼らと同じ体験をするというのが一体どういうことなのかは想像することすら困難だ。


しかし、福島第一における最上級の緊急救援隊員達に対するこの称賛も、危機に対する東京電力の企業としての対応は、そもそも大災害の条件を生み出したのと同じ不正行為を証明しているという、私の主張を決して実質的に和らげるものではない。しかし、この未曾有の危機は、東京電力の企業としての無能さより遥かに重大だ。


アメリカの行政機関幹部を含め、アメリカを本拠とする原子力産業の最高幹部連中に対する最も断固たる、狙いを定めた批判を私は最後に残しておいた。のどかながら、地震が起きやすい島国に暮らす国民は決してそうするよう説得されるべきではなかったのに、こうした政府・企業幹部は、アメリカの最も従順な、公式、やがては非公式な植民地となった国に、アメリカの軍事技術の核エネルギー副産物を受け入れるよう、冷笑的に誘導したのだ。この大激変の責任は、こうした帝国権力集団の中にこそあり、まさにこの権力の中枢から、大惨事を封じ込めるための本格的取り組みが始まるべきだったのだ。


チェルノブイリ危機に対するソ連の対応と、福島の危機に対する企業本位の対応との対照はそれゆえ、非常に大きく、また多くを物語っており、究極的には、人類文明の将来にとって、地球上のすべての生命の将来にとって、甚だしい脅威である。ささやかな慰めは、我々の指導者と自称する連中による、公共の利益に対するあらゆる責任放棄のひどさから、教訓を学ぶことができるということだ。


福島第一の悪化しつつある大混乱とメルトダウンは、不振にあえぐアメリカ帝国のチェルノブイリの瞬間を具現化するものなのだろうか?


アインシュタイン対リッコーヴァー


日本全国で焼却するため、放射性廃棄物を福島地域から搬出するという政府の決定に関し、日本の内外で大きな論議が起きている。一体なぜこのようなことが起きているのかについては幾つか説がある。一つは、非常に多くの訴訟が行く手に立ちはだかるのを政府が見て取り、最も被害を受けた地域の癌や他の多くの病気の率を、それほど被害を受けなかった地域の率と比較する将来の科学的研究を複雑にさせようとして今のうちに動いているというものだ。


この馬鹿げた決定は、次から次へと続く大規模な崩壊の重みで、日本社会全体が機能停止していることに帰するものだというのが私の考えだ。日本国民は大規模な天災によって心に痛手を負っているのだ。日本の外部にいる我々は、常に天災が国民全員に加えたストレスと重圧に思いをはせるべきなのだ。福島大惨事に適切に対応し損ねた日本政府の重大な失敗は、こうしたことを配慮したレンズを通して検討されなければならない。



問題の大きな部分は、福島大災害への対処は、規模の上で、国際的であるべきだったことだ。あるいは、危機は主に日本の内政問題として扱われるべきではなかったのだ。原発内で起きることの影響が、実際は国境を越えることが余りに明白であるのに、この原子力発電所管理が国内化されていることで、大半の人間は、原子を分裂させることから生じる巨大な変化に積極的に適応することはできまいという、アルベルト・アインシュタインの恐怖にぐるり巡ってしまう。


ロバート・オッペンハイマーやマンハッタン計画に採用された他の多数の科学者達同様、アインシュタインは原子力を解放することにおいて、各国の主権の管轄内でこの分野の研究が行われるの認めるには、余りに多くの未知の要素があるという意見だった。アインシュタインは、核の秘密しっかりと守り、同時に核科学の進歩を入念に管理するような新しい形の国際機関を設立する必要性を想定していた。アインシュタイン派は核科学の原理を技術変化に応用するのは特に問題だと譲らなかった。それぞれの技術革新のあらゆる影響が徹底的に研究され、適切に理解されるまでは、そのような応用は厳格に禁じられるべきなのだと。


福島の大惨事と、国際的・共同的取り組みが皆無だったことは、誹謗者連中による、アインシュタイン派に対する先制攻撃の指標だ。 第二次世界大戦直後、原子力潜水艦開発担当者となったアメリカ海軍技術者ハイマン・G・リッコーヴァー海軍大将は、反アインシュタイン派のリーダーだった。ノーチラス潜水艦用の原子力発電装置を開発した後、リッコーヴァーは地上用原子力発電装置の開発に取り掛かった。


1954年から1957年の間に、リッコーヴァーはペンシルバニア積み出し港で“民生用”核エネルギーのモデル・プラントを開発した。彼はそのサイトを、原子力を取り出すための知識と専門技術の民主化と見なすプロセスの教育の場として利用した。彼の尽力は、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領がしかけた宣伝攻勢と合流した。“平和のための原子力”を推進するに当たり、アイゼンハワーは、益々巨大化する大気中核兵器実験がエスカレートする過程が、核戦争による核ホロコーストに向かっているようだという、冷戦の双方の側にいる大衆の、増大する恐怖を和らげようとした。


「平和のための原子力」イニシアチブは、広島と長崎で耐え忍んだ攻撃からすれば、原子力に関連するあらゆるものを拒否する有り余る理由が国民にあったし、今でもある国、日本において、特に積極的に推進された。これらの障害はアメリカ合州国帝国の公式、非公式、両方の辺境地の住民達によって克服された。アメリカによる、発電手段としての核エネルギー推進は、アメリカの為政者や、当時のGEのような、為政者達にとっての法人顧客が没頭していた反共産主義の中に深く組み込まれることとなった。計画通り、日本は中国の毛沢東主義の影響を払いのけるための封じ込めの稜堡へと作り上げられた。元GEのマスコミ代弁者ロナルド・レーガンが大統領になったことと、福島第一の6基のGE原子炉は、この年代記の自然の結果だった。



何年も後、リッコーヴァー海軍大将は、原子力発電所は平和と進歩の為の良好な手段だという見解を根本的に変えた。職業生活の最後にこの話題について質問された際、この技術者は答えた。


放射線を創り出す毎に、特定の半減期、場合によっては何十億年のものを生み出しているのです。人類は自滅すると思いますし、この恐ろしい力を制御し、廃絶しようとすることが重要です.. 放射性物質を生み出す以上、原子力にそれだけの価値があるとは思いません。



記事原文のurl:www.veteranstoday.com/2012/06/13/fukushima-daiichi-from-nuclear-power-plant-to-nuclear-weapon-1/


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中東民主革命の正体と「バットマンライジング」

「イランラジオ」から転載。
この前「バットマンライジング」を途中まで見たが、そこに描かれたテロリスト像がこのシリア「反体制派」の姿に重なって見える。
あの映画ではテロリストたちは富裕層や権力を批判し、テロ行為を行うのだが、その口先だけの「民主化」と残虐なテロ行為の実態は、シリア「反体制派」とそっくりだ。あの映画の作者たちは一般的に「革命」の正体はこんなものだよ、と皮肉っているのか、何なのか今一つその真意がつかみにくいが、テロリストの正体が傭兵で、それが「民主革命」の中核になっている、という点はシリアだけにとどまらず、中東「民主主義革命」の実態を暴いているとも言える。
なかなか面白い映画だったが、長すぎて、その後の予定に遅れそうだったので最後は見ないまま映画館を出てしまった。映像や特殊効果は凄いが、音が大音量でうるさいのには参った。字幕ではなく吹き替えで見たが、傭兵のボス(ダースベイダーみたいな奴)の吹き替えが下手くそだった。
主演俳優より脇役の方が豪華で、マイケル・ケイン、モーガン・フリーマンなど、贅沢な使い方である。警察本部長役はゲイリー・オールドマンだったと思うが、ああいう普通の演技もできるのだな、と少し見直した。キャット・ウーマンはモデル風のスレンダー美女で、これも悪くはない。主演俳優は可もなく不可もなし。バットマンという主人公自体、あまり共感を呼ぶような主人公ではない。金持ちの道楽としての正義だしね。
数年ぶりに映画館で映画を見たが、アクション映画はやはりテレビ画面ではなく映画館で見たほうが迫力はある。しかし、アクション映画そのものへの興味も今はあまり無いので、人との待ち合わせの時間調整の目的でもなければ、この映画を見ることはなかったろう。本当は「おおかみこども」か「グスコーブドリ」の方が見たかったのだが、時間が合わなかったのである。
話が下記記事とは離れてしまったが、これは毎度のことだ。

[追記] 先ほど「阿修羅」を読んでいたら、傭兵会社「ブラックウォーター」のお偉いさんが、アメリカ政府に雇われてリビアとシリアの反体制側のために働いていたことを認めているようだ。英文記事を斜め読みしただけだが、参考までに「引用2」として添付しておく。長い記事の前半だけの引用だ。私は英語は苦手だから誤読かもしれないが。

[追記2] 上記の文章中の「バットマンライジング」は、正しくは「バットマン・ダークナイト・ライジング」のようだ。面倒臭い題名だ。だいたい、「バットマン」という名前があるのに、「ダークナイト(闇の騎士か)」という別名がなぜ必要なのだ。阿呆くさい。もちろん、前作からの関連であることは知っているけどね。


(以下引用)

2012/08/02(木曜) 21:10
シリア民間人の殺害に対する国際機関の非難


モハンマディ記者
最近のシリア関連報道は、アメリカが、シリアの武装勢力を公けに支援していること、そしてシリア政府軍によるテロリストの掃討作戦が続いていることに集中しています。
シリア北部・アレッポで、武装勢力が、シリア政府を支持する住民数十名を銃撃した映像が公開された後、国際人権団体アムネスティインターナショナルは、この措置を非難すると共に、シリア市民に対する攻撃の停止を求めました。アムネスティは、声明の中で、「シリアの武装勢力は、国際法規に違反し、アレッポでアサド政権の支持者を特定、拘束すると共に、数十名を殺害している」としました。国連事務総長のネザーキー報道官は、シリア民間人の虐殺に懸念を示し、「反体制派は、衝突の中で大型の武器を使用し、これにより、数百名の民間人が死傷している」と語りました。ネザーキー報道官は、国連シリア監視団の報告に触れ、「国連は、武装グループが、戦車や大砲、迫撃砲などの大型の武器を持っており、アレッポでの衝突で、これらの武器を民間人に対して使用している」と述べました。これ以前にも、国連人権高等弁務官事務所が、大規模な人権侵害を行っているとしてシリアの暴徒を非難し、武装勢力によって、数千人が難民化していることに遺憾の意を示しました。
国際機関がシリア民間人の虐殺を非難している中、情報筋は、「アメリカ大統領が、シリア反体制派への直接支援を認める極秘大統領令に署名した」と報じました。プレスTVによれば、オバマ大統領は、この大統領令に署名することで、CIAやその他の情報機関に対し、シリアの反体制派の反政府運動を支援する許可を与えたということです。これ以前、アメリカとその同盟国が、国連安保理でシリア制裁決議案の採択に失敗していました。アメリカ国務省の報道官は、1日水曜夜、シリアの反体制派に2500万ドルの支援を行っていることを明らかにしました。こうした中、シリア政府軍は、2日前、トルコが、サウジアラビアやカタールといった一部のアラブ・西側諸国と協力し、シリア国境近くに諜報活動のための施設を設置し、シリア政府軍に関する最新の情報を、シリア国内の武装勢力に提供していると発表しました。シリア国内からも、シリア治安部隊が、国民と協力し、1日夜から2日朝にかけ、数十名のテロリストを殺害すると共に、首都ダマスカス、アレッポ、ホムスからテロリストを撤収させたと伝えられています。シリアの国営メディアによれば、シリア政府軍の、ダマスカス、アレッポ、ホムス、ラタキアでの過去数時間の作戦で、少なくともテロリスト200名が死亡、数百名が負傷、あるいは逮捕されたということです。死亡したテロリストの中には、サウジアラビア、トルコ、カタール、リビア、イエメン、チュニジアといった国の人々が見られます。この作戦では、数百丁の銃や爆弾を積んだ数十台の自動車が押収されました。武装勢力に近い筋からの最新の報告では、武装勢力がアレッポにあるシリア軍の飛行場を攻撃したとされています。


(引用2)


The US Government Sent Blackwater Veteran To Fight With Rebels In Libya And Syria
LEAKED STRATFOR EMAILS:
Michael Kelley|March 20, 2012|

http://articles.businessinsider.com/2012-03-20/news/31212864_1_stratfor-provides-syrian-opposition-regime-change

Blackwater's primary public contract is with the U.S. State Department for protective services in Iraq, Afghanistan, Bosnia, and Israel.

Blackwater's primary public contract is with the U.S. State Department…

The former director of the security firm Blackwater aided the Libyan opposition and was subsequently sent to contact Syrian rebels in Turkey at the request of a U.S. Government committee, according to leaked Stratfor emails reported on by Al-Akhbar English.

Jamie F. Smith, former director of Blackwater, is currently the chief executive of the security firm SCG International.

In an email sent to Stratfor on February 11, 2011, Smith praised the company's intelligence gathering and said his "background is CIA and our company is comprised of former DOD [i.e. Department of Defense], CIA and former law enforcement personnel. We provide services for those same groups in the form of training, security and information collection."


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経済は政治の先を行っている

「The Voice of Russia」から転載。
私はトヨタも日産も嫌いなのだが、その二社が率先してロシアに進出していることは評価したい。これからの日本を救うのはロシアを含めたアジア全体との連帯である。
政治の世界ではまだ米国によるアジア分断政策が功を奏しているが、経済は政治より先に進んでいる。こうした機微は視野の狭いネット右翼などには理解できないことだろう。あの連中はいまだに反ロ、反中、反韓で凝り固まっている。彼らこそ愛国者どころか、大いに国益を阻害する非国民である。まあ、昔から真の愛国者はアジア全体の連帯を訴えてきたものなのだが。
何度も書いているようにロシアや中国の広大な土地と豊富な資源に、日本人が蓄積した技術と資金と日本的モラルを導入すれば、大発展が見込めるのである。
まあ、先の読める企業人なら、トヨタや日産以外でもすでにその方向で動いているだろう。
中東に戦争を輸出して中東全域を焼け野原にするような「西欧の政治」にはそろそろ引導を渡してやるべきだろう。憎悪ではなく、信頼と尊敬と協力こそが世界には必要だ。

などと「核武装論者」であることと矛盾したようなことを言っているが、私の核武装論は、すべての戦争を無意味にする抑止力としての核武装であり、「戦争ができないシステム」を作る方策なのである。今のように大国が横暴を行うための核武装ではない。すべての国が核武装することで戦争は不可能になる、ということなのである。
ついでに言えば、最初に核攻撃をする国があれば、他のすべての国はその国にありったけの核ミサイルを叩きこむ、という合意をするのがその「システム」だ。
したがって、自殺覚悟でないと戦争はできないし、相手国を自殺覚悟させるほどに相手を追い込む非道な政治的要求もできないことになる。


(以下引用)


メキシコで開かれたG20サミットの場では、ロシアのプーチン大統領と日本の野田首相が初会談した。両首脳は会談で刺激的な発言を避けながら、領土問題に関する交渉を進めていくことで合意した。
日本の玄葉外相は7月、ロシアを訪問する。玄葉外相のモスクワ訪問では、ウラジオストクで9月に開催されるAPECサミットに合わせて開かれる露日首脳会談に向けた準備が主要目的となる。玄葉外相はロシアでシベリアの共同エネルギープロジェクトについても協議する見込み。

日本の旅行会社H.I.Sモスクワ支店の大室聡支店長は、露日関係では現在、経済が主要な位置を占めているとの考えを表され、次のようにお話してくださった。




音声ファイルをダウンロード



 露日問題の専門家パヴリャテンコ氏は、両国では現在、経済協力の発展が政治分野を含めた露日の全面的な協力関係の発展を促進すると理解されていると述べ、次のように語っている。

「両国関係における経済は、政治とは一切関係していない。これは特に最近サンクトペテルブルグで開かれた経済フォーラムの場で明確に示された。このフォーラムではウラジオストクのLNG工場建設に関して日本側とメモランダムに調印がなされた。日本の企業界にはロシアと関連した長期的な計画がある。日本企業は石油の探査や採掘への参加のほか、それに必要な機材を提供する用意がある。ここでは領土問題の影響は全くない。先鋭化した領土紛争は時間の経過と共にしだいに収まるだろうと語っていた人々は正しかったようだ。経済協力の成果は非常に明確だ。」

 その礎を築いたのは「トヨタ」と「日産」だった。両社は、サンクトペテルブルグ近郊の自社組み立て工場建設に投資した。またサハリン産の石油およびLNGガスの日本市場への輸出量増加は、日本企業がウラジオストクのLNG工場に新たに大規模投資する基盤となった。同プロジェクトには120億ドルが投資される可能性がある。露日経済協力の活性化は、日本が自国の問題を解決するための助力となるだろう。

 日本はシベリアと極東で協力する用意があり、それに関する一連の方向性を示した。その主要な方向性は、従来どおりエネルギープロジェクトとなっている。





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昔の怒れる若者が、今はイカレた老人か

作家丸山健二のブログから転載。
このように考え、感じるのがまともな知性、感性だと思うのだが、案外とそれが大多数の意見でもなさそうなのが不思議なところだ。特に若い連中にはこうした考え方は不評で、だいたいにおいて若者の間に見られるのは、

1) この競争社会、弱肉強食の世界を全肯定し、自分のスキルを磨いて競争の勝者になろうとする。そして競争を否定する者を負け犬として軽蔑する。これは男女とも存在する。
2) この弱肉強食の社会にうんざりしながら、それを変えようとはまったく思わず、ただ虚無的に毎日を生きる。

のどちらかだ。若者ほど保守的だ、ということになる。
で、それも当然なのであり、若者には前途に長い時間がある。下手な行動を取れば、そのツケを一生背負い込むことになるのだから、今の社会の権力の前に身をかがめて生きるしかないのである。
ネットの中で社会改革の熱意に溢れる言説をなすのは、だから年寄りばかり、ということになる。若い連中から見れば「あいつらは先が無いから、いくらでも好きなことが言えるんだよ」と不愉快な思いもあるだろう。しかし、年寄りでも家族はいるのだから、何のリスクも無しに発言しているわけではない。そして、その「老人革命家」たちは自分のためではなく、未来のため、つまり若者たちのために発言し、行動しているのである。
日本の未来がどうなってもいいのなら、わざわざ自分から不利益を背負い込むことはない。
まあ、しかし若者にはもう一つ困難がある。それは、この社会の実相を老人ほどは知らない、ということだ。世界全体、社会全体を見渡すパースペクティブの点では、やはり老人が上だろう。ネットなどでいくら情報を仕入れても、そのほとんどは何の裏付けも無いゴミ情報である。それを選別できるだけの見識があってはじめて情報が利用できるのだ。一日中ネットに貼り付いていれば賢くなる、というものでもない。

(以下引用)

あれからすでに一年半以上の歳月が、未来への明るい展望やしっかりとした成果を得られぬまま、だらだらと流れてしまった今、正義や理念なるものは非現実的というレッテルを貼られ、あくどいだけが取り柄の現実的に過ぎる現実によって世間の片隅に追いやられ、ふたたび冷酷で残虐な弱肉強食の法則が罷り通ってきているのです。
 動物としての命であるならばそれが自然の摂理ということで納得できないこともないのですが、しかし、我々は曲がりなりにも人間なのです。その気になりさえすれば人間として生きることが可能な、実に希有な動物なのです。にもかかわらず、他者を踏み台にし、他者を突き落とし、他者を食い物にしてでも自分だけはいい思いをしたいという動物以下の生き物どもが、その強靱に過ぎる生命力を裏打ちする強い我欲の力を存分に発揮することで、この国をふたたび私物化の方向へ持ってゆこうとしています。
 そうはさせじとする、こいつらの好き勝手にさせてたまるかとする、強い心組みを持続させ、おのれの精神にしっかりと根付かせることこそが、動物の立場を離れて人間になるための道であり、それ以外の、つまり、善の怒りを抜きにした、温厚な道をいくら捜しても絶対に見つからないでしょう。

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飯田哲也、Who?

山口県知事に立候補した飯田哲也については橋下のブレーンだったというだけでその正体はただの詐欺師だろう、としか思っていなかったので何の興味も無かった。NPO法人「環境エネルギー政策研究所」所長という肩書も胡散臭く思われたのだが、ウィキで調べてみると、まともな経歴のようだ。
しかし、橋下のブレーンになったというだけでも、人を見る目の無い人間であることは分かるし、政治家になるべき人物ではないだろう。まだしも今回当選した元官僚の方が、政治のプロではあるし、官僚同士のつながりで地元に利益誘導してくれるのは確かだろうから、山口県民の選択は、必ずしも間違いではないと思う。しかし、こうして官僚政治のネットワークが地方政治にまで張り巡らされると、日本が官僚政治から脱却するのはまだまだ先になりそうだ。
話は少し変わるが、マスコミによる小沢叩きの原因は小沢が「脱官僚政治」をずっと前から掲げているからだ。マスコミは官僚の指示に従っているにすぎない。小沢が「脱米政治」を目標にしているから叩かれている、というのは、考えすぎだろう。もちろん、「官僚=米国」と見做すこともできるが、米国にとっては日本などただの植民地であり、そこの政治にいちいち口出しなどしない。大体の方針さえ示してやれば、後は日本の買弁どもがよろしくご主人さまのために働いてくれる、というシステムである。
(引用2)は飯田哲也という人の人間性を知るために、橋下の「原発容認」について飯田がどんな弁明をしているか、その一連のツィッターを掲載した。要するに「官僚が悪い」論である。官僚が悪いのは当然であり、最初から分かっていたはずだ。敗戦の責任は相手にあるのではない。負けた自分の方にあるのではないか。
こういうレベルの言い訳をするような人物では、今後もまた「よんどころない事情で」いろいろな不都合を許容することにしかならないだろう。まあ、負けたのは橋下であって橋下の子分の自分には責任は無い、と言うのなら、学者の世界の処世術としては許されても政治の世界では許されないことだ。
そもそも、「環境エネルギー政策」というすぐれて政治的問題を扱う法人でありながらNPO(非政治的組織)を称するというところに、この男の頭の不明晰さは現われている。まあ、学者にはこういう馬鹿はけっこういるものだ。なまじそういう人間は「いい人」であることも多いから、他人に政治的に利用されているうちに舞い上がったりするのだろう。


(以下引用)


クローズアップ2012:山口知事選 保守王国に動揺
毎日新聞 2012年07月30日 東京朝刊

 29日投開票の山口県知事選は自民、公明両党の推薦を受けた元国土交通審議官の山本繁太郎(やまもとしげたろう)氏(63)がNPO法人「環境エネルギー政策研究所」所長の飯田哲也(いいだてつなり)氏(53)の追い上げを振り切る形で初当選を果たした。原発再稼働に反発する声が全国に広がる中、「脱原発」を掲げた飯田氏に無党派層の支持が集まり、既成政党批判が「保守王国」を揺るがした。不戦敗に終わった民主党内の衆院解散・総選挙に対する恐怖感も強まっている。
 ◇無党派票、半数飯田氏に
 飯田氏は29日夜、山口市で「保守王国の中で自公を追い詰める良い戦いができた。明日につながる足場はできた」と語った。
 選挙戦は自民、公明両党の推薦を受けた山本氏を、政党の支援を受けない飯田氏が追う展開となった。「大阪維新の会」を率いる橋下徹大阪市長のブレーンだった飯田氏は無党派層の支持を集め、山本氏を脅かした。投票率が45・32%にとどまり、組織票を固めた山本氏が選挙戦を制したが、飯田氏の善戦は原発政策などをめぐる既成政党批判が広がっていることを印象づけた。

(引用2)


まとめ
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【橋下市長の「事実上の容認」の背景と真相1】昨日5/31の橋下大阪市長の「事実上の容認」発言について、昨夜、MBSラジオ「たね捲きじゃーなる」に電話出演したが、「わかりにくい」ことは確かで、質問・問合せが相次いでいるため、ここに整理して私見を開陳します
iidatetsunari2012/06/01 12:48:59

【事実上の容認真相2】5/30に4大臣会合で大飯再稼働が事実上決まり、翌5/31に橋下市長が「事実上の容認」発言、「橋下市長がぶれた」と報道。この経緯は古賀茂明氏のメルマガ( http://t.co/4068y8JU )に整理。有料のため未読の方のためにポイントを反映
iidatetsunari2012/06/01 12:49:41

【事実上の容認真相3】大阪府市統合本部特別顧問かつエネルギー戦略会議座長代理である私としては、政権がなりふり構わず再稼働を強行する事態に対し、率直に自分の力不足を認め、原発無しでこの夏を乗り切ろうという皆さんの期待を裏切ることになったことをお詫びします。申し訳ありません。
iidatetsunari2012/06/01 12:49:50

【事実上の容認真相4】飯田の立場は、今でも不変。安全性無し、(電力需給上の)必要性無し、政治手続きの正当性無しの「3無し」の原発再稼働をすべきではない・してはならない。しかし橋下市長や嘉田知事らの考えと判断は理解できるため、今後も積極的に助言する所存(以下、説明)。
iidatetsunari2012/06/01 12:50:00

【事実上の容認真相5】橋下市長や嘉田知事らが「事実上の容認」をせざるを得なくなった背景①(明らかに経産官僚が用意したと思われる)原発礼賛論まで記された共同声明案が29夜に井戸兵庫県知事からメンバー首長に配布されたこと
iidatetsunari2012/06/01 12:50:11

【事実上の容認真相6】背景②関西電力(とおそらく経産省)は関西立地の大手企業に対して「計画停電脅し」を行い、大手企業から各首長を責め立てたこと。しかも計画停電を個別には回避する特例があることを伏せて「脅した」ことで、政治的に首長が持たなくなってきたこと
iidatetsunari2012/06/01 12:50:21

【事実上の容認真相7】背景③会議の途中で斉藤官房副長官から「もう決める時期」という最後通牒と当日夜に4大臣会合がセットという「再稼働強行」との観測。こうした「背景」で押された結果、「反対を貫いて手ぶら」か「抵抗ラインを下げて取るものを取る」かの判断を迫られた
iidatetsunari2012/06/01 12:50:33

【事実上の容認真相8】この先は、まさに橋下市長や嘉田知事らの「政治判断」。「反対を貫いて手ぶら」とは、政権がなりふり構わず再稼働を強行する中で、反対を貫くとその後の交渉力を失う恐れとの政治判断
iidatetsunari2012/06/01 12:50:49

【事実上の容認真相9】一方、「抵抗ラインを下げて取るものを取る」とはこちら(関西広域連合)が少し譲ることで、再稼働の「7~9月の時限」「大飯3・4号のみに限定」や「安全基準が暫定的であることを国に認めさせる」といったことでクギを指すとの判断
iidatetsunari2012/06/01 12:50:58

【事実上の容認真相10】結果として橋下市長や嘉田知事らは「後者の政治判断」をした。橋下市長は「ぶれた」のではなく、正直に「限定的とはいえ容認した事実」を伝えるとともに、「安全基準が暫定的であること前提とした時限・限定」は譲らず「次の闘い」が始まったことを宣言したもの
iidatetsunari2012/06/01 12:51:07

【事実上の容認真相11】なお現時点では、この「時限・限定」に西川福井県知事が難色を示していることが再稼働難航の要因となっているとのことで、まだ一山二山ありそう。さらにその先には原子力規制庁や新しい安全基準のあり方を巡る議論に移ってゆくので注目下さい
iidatetsunari2012/06/01 12:51:16

【事実上の容認真相12】今回の再稼働政局は脱原発という大きな目標の「緒戦」。敗戦というより痛み分け、むしろ得たものが大きい。政権のデタラメぶりが浮き彫り、電力不足のウソと対策も周知、デマンドレスポンスや広域連携など新しい電力市場のツールも導入
返信するRTするふぁぼる
iidatetsunari2012/06/01 12:51:26

【事実上の容認真相13】大阪府市エネルギー戦略会議としては、次回以降、引き続き節電や安定供給を議論しつつも、「第2ステージ」の闘いに備えて、中長期の脱原発・エネルギー政策の方向性の議論に着手しますので、引き続き注目ください


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最低給与が標準給与の指標となっていくシステム

今日二回目の投稿だが、前回記事は短いものだったし、これから引用する記事は非常に面白いので、忘れないうちに投稿することにする。
「内田樹の研究室」からの転載である。
日本の労働者の貧困化と日本の労働運動の衰退は、前者は後者の結果だというのが私の考えだが、なぜ労働運動が衰退したかというと、「労働運動をする人間はアカだ」「労働運動をする人間はクズだ」という社会的教育が不断に行われてきたからだと私は考えている。
実にこの「アカ」という言葉ほど破壊力の強い言葉は史上でも珍しいのではないか。こういう「レッテル用語」のもたらした影響について日本共産党は自分で分析しなければならないだろうが、自分たちでとくとくと「赤旗」などという新聞を出しているようでは、むしろ「アカ」と呼ばれることを誇りに思っているのだろう。それではアカではなくただのバカであり、つまり、永遠の負け犬になるしかない。少しは社会心理学でも学んだらどうか。いや、素人の私でよければいつでもアドバイザーになる。
話が飛躍した。下の記事は、日本の労働者が自分を首つりにする絞首台の縄を自分たちで嬉々として編んできた、という内容である。自分たちが悲惨な状況であるために、自分たちより「少し上の」生活の人間を憎悪し、嫉妬し、そのマイナスのエネルギーをうまく利用する勢力によって「少し上の」人間を引きずり下ろしたはいいが、それで「全員が地獄の池の中」という状況になっただけであったという笑い話だ。


(以下引用)



私の経験則は「『変なできごと』が『変』に見えるのは、それを語る適切な言葉を私たちがまだ持っていない場合がある」ということを教えている。「変な現象」の「変さ」がそこにかかわる人たちの愚鈍さや邪悪さで説明できるケースは私たちが想像しているよりずっと少ないのである。
その上で、橋下徹と大阪維新の会のムーブメントは「前代未聞のものだ」という仮説を採択することにする。
別にしなくてもいいのだが、したことによって失われるのは私の時間だけである(私の話に付き合わされる読者の方々も時間を失うわけだが、それはご本人の神聖なる自由に属するので、私がとやかくいう筋のことではない)。
では、どういう点が「前代未聞」なのかというと、これが「経済のグローバル化を推進して、国民国家を解体しようとしている政治運動が外形的には愛国主義的な衣装をまとっている」という点である。
維新の会の政治綱領が、「手垢のついた新自由主義」であることは誰でもが認めている。
けれども、新自由主義はそれでも「選択と集中」によるトリクルダウンという「言い訳」を用意していた。
私たちに資源を集中せよ。私たちがそれによって国際競争力を増し、ワールドマーケットで大金を儲ければ、一時的に「割を食っていた」貧乏人諸君もその余沢に浴することができる、というあれである。
だが、維新の会のグローバリズムはもう「余沢」についてはほとんど語らない。「とりすぎのやつから剥ぎ取る」という話だけである。「剥ぎ取った分」がどこに行くのかということに、有権者たちはもはや興味を持っていない。
市長が着任して最初にやったことの一つは、大阪市営バスの運転手の賃金が高すぎるので、これを民間並に引き下げるということであった。
この政策に市民のほとんどは喝采を送った。
労働者たちが、同じ労働者の労働条件の引き下げに「ざまあみろ」という喝采を送るというのは、日本労働史上でおそらくはじめてのことである。
労働者というのは労働条件の向上のために「連帯する」ものだと思っていたが、それはもう違ってしまったのである。
現に市長の組合攻撃はすさまじい。組合員というのは「非組織労働者」には与えられていない特権を享受している「ワルモノ」であるという物語に有権者もメディアも同意署名を与えた。
それが自分たちの死刑執行書に署名したことかもしれないということに誰も気づいていない。
市営バスのケースは「同一労働では、最低賃金が標準賃金である」という文字通り「前代未聞のルール」に有権者たちが同意を与えたということを意味している。
このルールに大阪の有権者たちが同意した以上、これから後、彼らはすべての賃金交渉において、「同じ労働をもっと低い賃金で引き受けるものがいる」事例を雇用者側が示し得た場合には、最低賃金を呑む他ないのである。
だって、自分で「それがフェアネスというものだ」と言ったわけだから。
このルールの導入によって最も喜んでいるのはビジネスマンたちである。
すでに、「日本の労働者は人件費が高すぎる」という理由で生産拠点を海外に移し、国内の雇用を空洞化してきたグローバル企業のふるまいを日本人の過半は「それももっとも」と同意してきた(現に、大飯原発の再稼働を決断したとき、野田首相は「電力コストが高ければ、日本を捨てて国外に出て行くのは、企業家としては当然のふるまいである」として、グローバル企業の利益の擁護は原発の安全性に不安を抱く国民感情に優先するという「常識的な」決断を下した)。
それは、国内の雇用においても、「同一の能力であれば、いちばん人件費の安いものを雇う」というルールが一般則として適用されるということである。
ご存じの通り、現在、どの組織でも、非正規雇用労働者が溢れかえっている。正社員の他に、嘱託社員、派遣社員、アルバイトと雇用形態は識別しがたいほどに複雑に複線化した。
そのときに何が起きたか。
仕事ぶりを外から見ていると、それが正社員かアルバイトか区別できないということが起きてきたのである。
場合によっては、正社員よりアルバイトの方が業務内容を熟知しており、適切な判断を下すというようなことさえ起き始めた。
そのときに何が起きたか。
正社員と同じくらいに働くなら、「アルバイトの雇用条件を正社員並にせよ」という要求がなされたのではない。
逆である。
アルバイトと同じくらいの働きしかないなら「正社員なんか要らないじゃないか」という台詞が出てきたのである。
出てきて当然である。
雇用形態の複線化は論理の必然として、「同一労働の場合、それを最低の賃金で達成するものを標準とする」という「同一労働・最低賃金の法則」を導くということに私は導入時点では気づかなかった。
でも、今はわかる。
職場に業務内容が似ており、雇用条件の違う労働者を「ばらけた」かたちに配備しておくと、最終的に雇用条件は最低限まで引き下げることができる。
だから、経営者たちは非正規雇用の拡大に固執したのである。
彼らのロジックは「日本のような高い人件費では、コスト削減の国際競争に勝てない」というものである。
日本の労働者の絶対的な貧困化はグローバル企業にとって「好ましいこと」なのである。
もちろん、貧しい労働者は消費活動がきわめて消極的なので、日本国民のほとんどが下層に固定化された段階で内需は壊滅するが、とりあえずそれまでの間は人件費削減で浮いた分は企業の収益にカウントされる。
先のことは考えない、というのが資本主義の作法であり、国民国家の将来のことなど配慮しないというのがグローバル企業の常識であるから、それでよいのである。
前に国民戦略会議の「大学統廃合」について書いたときも述べたが、日本の財界人が国際競争に勝つために採用している最優先事項は「人件費を限りなく切り下げること」である。
低学歴低学力労働者を大量に作り出せば、場合によっては中国の労働者程度の時給まで国内の賃金を下げられるかもしれない。
人件費問題さえクリアーされるなら、国内で操業する方がずっと利益が大きい。
労働者のモラルは高いし、社会的インフラは整備されているし、怪しげな党官僚が賄賂をせびることもないし、テロや内乱の不安もないし、中国の労働者の賃金が上がって、「もっと賃金のやすい国」めざしてプラントごと引っ越しをする移動コストも考えなくてよい。
実際に、「焼き畑農業的」に生産拠点を移してみたが、このやり方が予測したほどに安定的な利益をもたらさず、むしろコストとリスクを増やすことに資本家たちも気づいてきたのである。
できることなら、日本にいたい。
そこで、日本の経営者たちは「こんなに人件費が高くては生産拠点を国外に移すしかない」という言葉をことあるごとにメディアを通じて「国内向けに」アナウンスすることにした。
これは別に「そのうち移転しますので、みなさん心の準備をしていてくださいね」と事前に親切に告知しているわけではない。
そうではなくて、「国内にいてほしければ、人件費を下げろ」と言っているのである。
政治家も官僚もビジネスマンも大学人も、みんなそれを聴いて「わかりました」と頷いて、「どうやったら人件費が安くなるか?」という問いへの最適解を求めて知恵を絞り始めた。
とりあえずやってみて効果があったのは:
(1)学力が低い若者を大量に作り出し、「自分のような能力の人間には高い賃金は要求できない」という自己評価を植え込む。
(2)同一労働に雇用条件の違う労働者を配備して、「こんな安い給料で同じ仕事をしている人間がいる」という既成事実を作り出し、「同一労働なら最低賃金」のルールを受け入れさせる
(3)製造コストや人件費コストが上がりそうになると、「では国内の製造拠点を海外に移します。それで雇用が失われ、地域が『シャッター商店街』化し、法人税収入が失われても、それはコスト負担を企業におしつけたあなたたち日本国民の責任です」というロジックで脅しにかかる
やってみたら、全部成功した。
大阪維新の会はまさにこのグローバル企業と政官が国策的に推し進めている「国内労働者の絶対的窮乏化」路線そのものを政治綱領の前面に掲げたという点で「前代未聞の政治運動」なのである。
「これから『反撃のできないセクター』から順番に、国民の既得権を奪い、そのつどの最低賃金で働いてもらいます」という彼らの政策に国民自身が拍手を送った。
たしかに、この制度改革は「グレート・リセット」というのに相応しいであろう。
なにしろ18世紀の市民革命から以後の労働運動の成果そのものを否定しているからである。
維新の会が権力を掌握すれば、体制が「変わる」という点については、間違いなく変わる。それは私が保証してあげる。
ただ、その「変化」は労働者の絶対的窮乏化と「グローバル企業」の収益の増大と彼らのいわゆる「国際競争力」の向上に資するものであることは告げておかなければならない。
この労働者の組織的連帯を破壊してゆく過程で、「愛国主義」が功利的に利用されているのだが、なんだか書いているうちにぐったり疲れちゃったので、今日はここまで。

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仙人
趣味:
考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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