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ヒトラーのユダヤ人憎悪の機序

第二次世界大戦の自分なりの総括は私の思考テーマのひとつだが、その中には「ヒトラーはなぜあれほどユダヤ人を憎悪したのか」という問題がある。どの論説を見ても(少なくとも私の読んだかぎりでは)それを説明した記述は無かったからだ。
で、先ほど少し読んだジョン・トーランドの「アドルフ・ヒトラー」の中で、「ははあ、こういう経路だな」という手がかりを得たので、メモしておく。
これは第一次大戦末期の状態である。点線部分は省略したところ。補注した部分もある。

「『我が闘争』によれば、ここで(ヒトラーは)ようやく(軍隊の)士気の低下の答を見つけた。ユダヤ人!…彼らは銃後でドイツの崩壊を策していたのだ。…彼はまた「ユダヤ経済」がドイツの生産を支配していると確信した。『蜘蛛は国民の毛穴から徐々にその血を吸いはじめていた』」

「銃後でも国民は犬や猫を食うことを強いられていた。…ドイツの同盟国もまた窮乏していた。…ウィーンとブダペストでは、飢えのみならずドイツが誕生まもないロシアのボルシェヴィキ政権との和平に失敗したことも引金となって、(反戦運動と)ストライキが発生した。…1918年1月18日の月曜日に、ドイツ全土の労働者たちがストライキに入った。…首都には反乱の機運が横溢して、大規模な革命が勃発するのは時間の問題かと見えた。」
「ゼネラル・ストライキのニュースは前線において複雑な感情で受け止められた。兵士たちの多くは銃後の国民と同じように戦争に倦み疲れ、嫌気がさしていたが、それに劣らず多くのものが祖国の民間人に裏切られたと感じていた。ヒトラーはそのことを指して『全戦争を通じての最大のペテン』と呼んだ。彼は兵役忌避者と赤に激怒した。『本国そのものがもはや勝利を望んでいないとしたら、軍隊はなんのために戦っているのだ? この途方もない犠牲と苦難はいったいなんのためだ? 兵士は勝利のために戦うべきだといいながら、本国では勝利を阻むストライキとは!』」

「ヒトラーはこの時期にユダヤ人と赤(これはほぼ一心同体とみなされた。)を恐れることを学んだ何百万人という愛国者の一人にすぎなかった。なぜならこの数か月間に、国じゅうがドイツの存立を根底から脅かすマルキシズムの影響を受けた一連の蜂起に呑みこまれてしまったからである。」
「この労兵評議会は兵士と労働者だけでなく、多数派社会党と独立社会党の合同戦線でもあった。この組織はすでにわずか数か月前には不可能と思えた数々の社会的改革を実現していた。すなわち八時間労働の確立、労働組合結成の制限撤廃、労働者の老齢、疾病、失業手当の増額、新聞検閲の廃止、政治犯の釈放などがそれである。
ヒトラーは社会改革には賛成だったものの、それを実行した革命家たちを信用していなかった。執行委員会はボルシェヴィキと(?)前線兵士を裏切った者たちの手先であり、その究極の目標はもう一つの赤色革命である、というわけだった。」


つまり、自分たち兵士が前線で必死で戦っている間に銃後でゼネストなどを起こすのは、「軍隊の足を引っ張る」行為であり、裏切りである。そしてその首謀者たちは共産主義者でありユダヤ人だ。なぜならマルクスはユダヤ人だからだ。(で、ユダヤ資本家も本当は敵だが、カネを持っているから、彼らの始末は後回しにして自分の政治活動にカネを出させよう)、というわけで、ユダヤ人=共産主義者とし、ユダヤ資本家と切り離したのだろう。カッコ内は私の補足である。

なお、ヒトラー自身が社会主義と共産主義を明確に区別していたのは、これほどまでの共産主義憎悪に関わらず、彼が自分の政党に「国家社会主義党」という意味のナチスという名をつけたことで明白である。それ(その区別)は当時の常識だったのだ。それがいつのまにか、社会主義と共産主義の混同が(意図的に)為されてきたわけだ。今さら言うまでもないだろうが、労働運動による労働者の社会主義的待遇改善(労働者の利益増進と幸福の増進)は資本家の利益の削減になるからである。


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