「偏見と独断の人」東海アマ氏のブログ記事の一部で、わりとまともな部分だけ抜粋転載する。貧困の極みにあるらしいアマ氏が、自分の「資産」の処理に困っているという喜劇的状況が面白い。まあ、当人には面白いどころではないとは思うが、氏の仏教理解に従えば、まさに「自業自得」だろう。しかも、それが生前に目の前に現れたわけだ。
なお、これを転載したのはここに書かれた「新興宗教のいかがわしさ」の例のためである。
あの愚劣そのものの教義である統一教会ですら多くの信者を産み、日本の政治中枢にあれほど入り込み、日本を破壊し続けているのだから、こうした「邪悪宗教」の害は巨大なものである。
(以下引用)
「作ったのはいいが…」というのは、私自身が、今、本当に困っていることなのだ。家や道具を作りすぎて、家族も後継者もおらず、自分の死が近づいた今、「いったいどうすんべー」と頭を抱える毎日だ。
正直、核戦争が起きて、当地をロシアの水爆ミサイル(サルマト)が直撃してほしいと願うばかりなのだ。
なにせ、家を一軒解体するだけで解体屋に依頼すれば最低でも400万円程度は飛んで行く。月々わずか5万円の年金では、どうしようもない。
クマやカモシカやタヌキが徘徊する当地は、いまだに、平米3000円程度の価値しかない。なにせ、最寄バス停まで徒歩2時間だからな…。近いスーパーまで、車で20分かかるしな…。
最近では、財務省強盗団の意向で、放置不動産の管理にもひどく金がかかるようになった。
結局、自分の死体とともに、密かに朽ちる運命しかないのか…。あとは野となれ山となれ…。きっと心霊スポットになるにちがいない。
いや近所に住むプロ泥棒と私のバトルが知られて、観光地になるかも…。
「欲しい!」という人間の普遍的欲望によって、人は生まれて以来、次々に、いろいろなものを生み出す、作りだす。
その欲望は、まれに有益な遺産として機能することもあるのだが、ほとんどの場合は「負の遺産」となる。
後世の人々にとって、邪魔、無駄なものでしかない。「壊す」という余計な手間をもたらすのだ。
日本の場合は、冒頭に紹介した御嶽教どころか、大半の宗教が、無駄、無益なコケオドシ施設を残している。
なかには、バブル時代の不動産成金が、競うように全国で巨大観音像を建設し、ことごとく廃墟化して、その始末に巨額の税金が使われていることもある。
まあ、信者のいるうちはいいし、宗教商売が成り立っているうちはいいのだが、栄枯盛衰は世の習い。一時は日本国民の一割が信者といわれた創価学会でさえ、今では落ちぶれてしまい、830万世帯という公称でありながら、実数は200万世帯以下との噂もある。
立正佼成会も同じように、団塊世代が主力だった最盛期の三分の一になっている。
創価学会も立正佼成会も、その他の新興宗教も、幹部が前世紀末のバブル時代に金の亡者になってしまい、信者に苛酷な献金要求、取り立てを行うようになって、信者が意欲を失って次々に離れていったという解説もある。
そういえば、池田大作は、戸田城聖が創立したサラ金(大倉商事)の取り立て屋で、病人の布団さえ引きはがすほどの情容赦のない取り立てで知られていたようだ。池田の後継者たちも同じだろうな。
なお、これを転載したのはここに書かれた「新興宗教のいかがわしさ」の例のためである。
あの愚劣そのものの教義である統一教会ですら多くの信者を産み、日本の政治中枢にあれほど入り込み、日本を破壊し続けているのだから、こうした「邪悪宗教」の害は巨大なものである。
(以下引用)
「作ったのはいいが…」というのは、私自身が、今、本当に困っていることなのだ。家や道具を作りすぎて、家族も後継者もおらず、自分の死が近づいた今、「いったいどうすんべー」と頭を抱える毎日だ。
正直、核戦争が起きて、当地をロシアの水爆ミサイル(サルマト)が直撃してほしいと願うばかりなのだ。
なにせ、家を一軒解体するだけで解体屋に依頼すれば最低でも400万円程度は飛んで行く。月々わずか5万円の年金では、どうしようもない。
クマやカモシカやタヌキが徘徊する当地は、いまだに、平米3000円程度の価値しかない。なにせ、最寄バス停まで徒歩2時間だからな…。近いスーパーまで、車で20分かかるしな…。
最近では、財務省強盗団の意向で、放置不動産の管理にもひどく金がかかるようになった。
結局、自分の死体とともに、密かに朽ちる運命しかないのか…。あとは野となれ山となれ…。きっと心霊スポットになるにちがいない。
いや近所に住むプロ泥棒と私のバトルが知られて、観光地になるかも…。
「欲しい!」という人間の普遍的欲望によって、人は生まれて以来、次々に、いろいろなものを生み出す、作りだす。
その欲望は、まれに有益な遺産として機能することもあるのだが、ほとんどの場合は「負の遺産」となる。
後世の人々にとって、邪魔、無駄なものでしかない。「壊す」という余計な手間をもたらすのだ。
日本の場合は、冒頭に紹介した御嶽教どころか、大半の宗教が、無駄、無益なコケオドシ施設を残している。
なかには、バブル時代の不動産成金が、競うように全国で巨大観音像を建設し、ことごとく廃墟化して、その始末に巨額の税金が使われていることもある。
まあ、信者のいるうちはいいし、宗教商売が成り立っているうちはいいのだが、栄枯盛衰は世の習い。一時は日本国民の一割が信者といわれた創価学会でさえ、今では落ちぶれてしまい、830万世帯という公称でありながら、実数は200万世帯以下との噂もある。
立正佼成会も同じように、団塊世代が主力だった最盛期の三分の一になっている。
創価学会も立正佼成会も、その他の新興宗教も、幹部が前世紀末のバブル時代に金の亡者になってしまい、信者に苛酷な献金要求、取り立てを行うようになって、信者が意欲を失って次々に離れていったという解説もある。
そういえば、池田大作は、戸田城聖が創立したサラ金(大倉商事)の取り立て屋で、病人の布団さえ引きはがすほどの情容赦のない取り立てで知られていたようだ。池田の後継者たちも同じだろうな。
PR