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「崖っぷち社長」の思考的姿勢を見習えばみんな大丈夫

私が愛読するブログの中でも、総合的な知性の高さという点では私は「崖っぷち社長」を最上位の一人と考えている。彼が書いた文章内容で私が疑問を持った経験はおそらく一度も無い。
物事に対する判断が、偏見や先入観に眩まされていない、という点において、彼は他の多くのブログ主より上位にある、と私は思っている。
より適切な言い方をすれば、世界や社会に対するパースペクティブ(遠近感・遠近法)が、誰よりも正確だ、と思っている。他の人は、たとえば民族問題(対中国、対ロシア、対韓国etc)などが混じると、とたんにパースペクティブがおかしくなる。私にしても、白人種(本当は、ユダ金など、その中の一部を対象としているのだが)嫌悪の言説が多いとは思う。基本的には誰もが狂った遠近法で自分の世界像を描いているのである。だから、常にそれを意識し、修正する必要がある。その、正しい遠近感を持った人物の見本が崖っぷち社長であるわけだ。

崖っぷち社長はいつも、自分は自分の我欲から行動しているだけだ、と言うが、これは韜晦というものであり、我欲だけの人間が、あのような体制批判の鋭い発言をいつもするはずはない。
この世界は結局はエゴ(既得権)のぶつかりあいだ、という彼のお得意の言葉も、私の「すべての人は平等に、生きる権利と幸福になる権利がある」というのを偽悪的に言っただけのことだと私は考えている。つまり、上にいる人間は「きれいな言葉」を利用して、下に犠牲を強いることで、自分たちの既得権を守り、拡大するから、それに騙されるな。自分の権利は堂々と主張しろ、というのが社長の言葉の意味だ、と私は考えている。

で、書くことが無い時には崖っぷち社長の言葉や文章を引用していれば、それで世界に「真の理性」の見本を紹介できるわけだから、私としては楽に社会貢献ができるわけである。(笑)



(以下「崖っぷち社長」ツィッターから転載)



で、もうひとつの話題である、いわゆるアベノミクスの件だが、マスコミさんたちはいまだにインフレについて「物価上昇率」という一側面ばかりを必死に強調してやがるね。いいかげんしつこいかもしれんが、インフレは物価が上昇するんじゃなくて、通貨価値が下落するもんなんだって。
01-23 07:11


マスコミにしろ教育にしろ、カネに関して、通貨価値ってものに目を向けずに隠そうとしている意志をものすごく感じるのだよ。カネなんて、実はそのくらいいいかげんなものだってことを、どうしても国民に知られたくないのだろうな。
01-23 07:14

カネに対する信奉が崩れると、ついでに財政再建論、ムダを削れ論など、カネの絶対化による国民奴隷化政策に多くの人間が疑問を抱くようになるんでね。そのへんに気づいている人どれだけいるだろうか。正直、まともだと思ってたエコノミストのなかにも、単にインフレ悪玉論に走ってる人いるからねえ。
01-23 07:22

あくまでも私見だけどさ、前から書いているように、安倍政権の経済運営については、金融面で見れば賛成できる部分も多いんだよ。財政面というか、カネの使い方についてはいろいろ弊害ありそうだし、結局、増税やTPPで全部チャラになること考えりゃ支持できるものではないんだけどね。
01-23 07:25

これまた、前からずっと書いてきたことだが、景気を刺激したいなら、一番意識しなきゃならんのは可処分所得を上げることだ。簡単にいえば、幅広いバラマキによるインフレ化ってことになる。カネの量が増えて価値が下がるのだから、それをみんなにバラまきゃ済む話なのだ。
01-23 07:36

で、自民党が前から言ってた話として、バラマキではなく、仕事や雇用を作り出してどうこうって話につながる。要は働かないヤツにカネはやらんと言いつつ、実は企業にだけカネをくれてやるという「偏向バラマキ」なわけだが、なぜかこんなマゾな理論が正しいと頷いてしまう人が多いんだよな。
01-23 07:39

さっきも書いたけど、インフレってのは、カネの量が増えて、なおかつ、通貨の価値が下がること。それを金融政策として、国民全員に影響がある形で実行するというのだから、当然、その分は国民みんなに公平に分配・補填されて当然だと思うのだが、なんでそういう考え方にならんのだろうね。
01-23 07:44

金融・財政政策にしろ、そのほかの政策でもなんでも同じなんだが、もちろん、我々の利権や既得権を奪い取りに来ている連中は「我々から見れば」ろくでもないヤツらってことになるだろさ。でもさ、そんな連中の仕掛けに騙されて、自分の首を締めてる我々の固定観念のほうがよほど恐ろしいと思うのよな。
01-23 07:50

おいら、思い切りマイノリティーだもんで、政治経済や国際情勢なんかで周囲とまったく話が合わないことが多いのよね。まあ、人それぞれなんでべつに構わんのだけど、そういう話をしてると、世の中はマゾな人が多いんだなあって、いつも思う。その割には愚痴が多いよなあ、とも。
01-23 08:14

この世の中、我慢を強いるようなことをさも当たり前のように要求される場面はいっぱいあるわけだけど、それがいったい誰の利益につながってるのかって考えてみると、結局、世の中の常識みたいなものを利用して、どっかの誰かさんの利益のために都合よく利用されてることばかりと気づくはずなんだが。
01-23 08:23

もっとも、自分の生活とか立場とか、いろいろ守らなきゃならないものがあって、仕方なくってことはあるけどな。まあ、そうだとしても、黙って従ってるフリしつつ爪を研ぐくらいのことはしたほうがいいんじゃねえの…ってのは余計なお世話だな。
01-23 08:25



(引用2)「陽光堂主人の読書日記」記事の一部である。上記記事の補強として転載する。



 デフレ経済を脱却して景気回復するためには、国民経済の中心を占める内需が拡大する必要がありますが、給料が増えなければ消費は落ち込んだままです。こんなことは子供でも解りますが、政府は公務員の俸給をカットし、生活保護費も10%削減してして最低賃金を引き下げようとしています。

 国民の懐を寂しくしておきながらデフレ脱却を訴えるのですから、訳が判りません。幾ら何でも官僚や政治家はそこまで愚かではないでしょうから、わざとやっているとしか思えません。

 現状のまま金融緩和をすれば、行き場を失ったお金は株と土地に向かいます。マネーゲームと土地投機使われるだけで、既に首都圏のマンションの家賃は値上がりし始めています。アベノミクスは金持ちと大企業を潤すだけで、一般庶民の生活は一層苦しくなることでしょう。

 円安が続けば生活必需品の値段も上がらざるを得ず、土地バブルが起きればサラリーマンの悲願である住宅取得も困難になります。このままでは、景気が停滞して物価が上昇するスタグフレーションに陥る公算が大です。










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アルジェリア人質テロ事件総括

「新ベンチャー革命」から転載。
有名ブログだから、既読の方も多いだろうが、今回の事件についてのブログ主の推定はかなり正解に近いように思うので、取りあえず、この引用で今回の事件についての記事は、(よほどの新情報が出てこない限り)終わりとする。

一言で結論を言えば、これはアルジェリア政府、およびその背後にいる欧米政府による自作自演テロ事件である、というのが当面の結論だ。

別記事で「カレイドスコープ」管理人氏が言っているように、周りに何も無い砂漠に、30人だか何十人だかの武装勢力が近付いてきたら、警備隊(海外のこういう石油・天然ガス施設は、ほとんど軍事施設並に警備されているようだ)がその接近を阻止するはずである。テレビ報道では、施設の前で銃撃戦があったとされているが、はたして事実かどうか。八百長的銃撃戦でお茶を濁して施設内に襲撃者を導き入れた可能性もある。
その他、下記記事にあるように腑に落ちないところはたくさんあり、これはアルジェリア政府(およびその背後の欧米政府)による「自作自演テロ事件」ではないか、という推測も、あながち荒唐無稽とは言えないように思う。何しろ、「9.11事件」という世紀の自作自演テロ事件があるのだから、この程度の規模の自作自演テロは簡単だろう。犯行実行犯は、騙して使い捨てにし、人質もろとも爆破すれば死人に口無しである。
それに巻き込まれた日本人たちは気の毒だが、資源国での資源採掘関連会社で働くことは、もともとそうしたリスクがある、ということだろう。政治的都合で無辜の民が簡単に殺されるというのがこの世界の現実でもある。時には、それが一時に数千人、数万人である場合もあるわけだ。
不気味なのは、下記記事にある、日本人が最初に選択的に殺された、という証言である。
これは改正自衛隊法への日本の国民世論を作るために上(指令犯、さらにその上)から「やれ」と命じられた行為ではないか、というのが取りあえずの私の(そしてベンチャー革命管理人氏の)考えだが、あるいは単に、今やアラブ諸国やアフリカ諸国で日本人が嫌われている、という可能性もある。その方が悲しいことだが、欧米のパシリである日本が、世界中で、どのような目で見られているか、もう一度考えてみる必要がありそうだ。



(以下引用)*(1.)(2.)の部分を省略したほか、読みやすくするため一部を整理した。



3.1.16アルジェリア・テロ事件への疑問点とは


 
今回の事件でいくつか疑問点が浮かびますが、その中でも特に、際立つ疑問点は以下の二つです。
(1)アルジェリア政府はアルカイダ・テロ攻撃を警戒しており、イナメナスの被害プラントも軍によって厳重警備されていた(戦車隊が配備されている)ようですが、なぜ、30人を超える武装テロ集団の侵入を易々と許したのでしょうか。
(2)救出者の証言にて、テロ犯は日本人を探しだして、即、射殺しているようですが、この行為は人質事件としては不可解です、なぜなら、日本人は絶好の人質、すなわち犯人にとって自分の身を守る盾だからです。

4.アルジェリア政府は事前に知っていたのではないか

 上記の疑問から、本ブログではアルジェリア政府はアルカイダのテロ計画を事前に知っていたのではないかと思います、つまり、これは未必の故意の事件だったのではないでしょうか。その証拠に、よく見てみると、アルジェリア政府にとって失ったものは何ひとつありません、すなわち、被害プラントで働く700人近いアルジェリア人は全員無事だったし、肝心のプラントは破壊されていません。
 そして、この事件にて、アルカイダの人質テロ作戦はアルジェリアに限って無効だとテロリストに示すことができたわけです。
 大きな被害を受けたのはこのプラントで働く非イスラム系外国人(日本人含む)のみです。
 要するに、天然ガスの宝庫を抱えるアルジェリア政府は、それを狙う強欲集団に対し、アルカイダを使う人質テロ作戦は効果がないことを証明してみせたということです、ただし、40人前後の外国人(日本人を含む)を犠牲にすることによって・・・。

5.皆殺しにされたテロ集団の連中はだまされたのではないか

 
今回、テロに加わった30数人のテロ実行犯は高額の報酬につられて群がったいかがわしい連中だったのではないでしょうか。
 彼らはこの事件の仕掛け人から、どのような名目で仕事を請け負ったのでしょうか、それは、何人かの外国人を拉致してマリに連れ込むことだったのではないでしょうか。プラント内で暮らす外国人は丸腰ですから、彼らから見れば、それは簡単な仕事にみえたはずです。そして、彼らはバスを使ってそれを実行したのですが、待ち構えていたアルジェリア特殊部隊のヘリで攻撃されたということです。バスに乗れず、逃げ遅れた連中は人質を取って立てこもったが、全員射殺されたのです。
 おそらく、実行犯は仕掛け人からこう聞かされていたのではないでしょうか、それは、プラント内で働くアルジェリア人の一部と水面下で話がついているからプラント内に侵入しても攻撃されることはないから大丈夫と・・・。

6.なぜ、日本人は選択的に射殺されたのか
 

筆者がもっとも疑問を抱いたのは、上記のように、日本人を探し出して、あっさり射殺したテロ犯一味の行為です。これは、あらかじめ、日本人は射殺せよと命令されていた可能性があることを意味します。
 この点から、この事件にはマリに何人かの外国人人質を移送するミッションの他、日本人を射殺するウラ・ミッションがあったのではないかと疑われます。
 プロのテロ仕掛け人は、必ず、一石二鳥、一石三鳥を狙うのが常です。なぜ、このプラントがテロのターゲットに選ばれたのか、それは、日本人が多くいる工事中のプラントだったからではないでしょうか。
 この事件に米戦争屋ネオコンが関与しているとすれば、この事件をネタに法改正をやらせて、自衛隊を米戦争屋ネオコンの傭兵として、中東紛争地域にて便利に活用しようとする魂胆があるのではないかと感じます。
 そういえば最近、中東紛争地帯ゴラン高原に派遣されていた自衛隊が2012年1月15日に撤退完了していますが、上記のテロ事件はその翌日に起きています。
 今回のテロ事件は、自衛隊を中東紛争に巻き込み、米戦争屋ネオコンの傭兵化を狙う連中にとっては、非常に有意義な事件だったと言えます。
 われら国民は、彼らの仕掛ける大きなワナに嵌らないよう、くれぐれも、括目すべきです。





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家畜国家の末路

今日の記事は「徽宗皇帝のブログ」の補完記事のような内容になる。
どうも、事態が非常にキナ臭いので、のんびりと文芸・芸能などの文章を書いていられる心境ではない。(今、ワード変換で「新疆」と出てびっくりした。私が一度も使ったことのない言葉である。つまり、ワード変換はネット右翼御用達であることを最優先しているのだろうか? 個人的使用頻度は無視して、ネット世界で頻出する言葉を変換上位に載せているようである。これは蛇足ではなく、見えない危険性がそこにあると思うから書いているのである。「阿修羅」でもネット右翼や工作員の投稿記事が膨大に増えているのが懸念される。)

下記引用記事は、なぜアフリカでテロが拡大しているのかということを分析したものだ。「徽宗皇帝のブログ」では事態の「現象面」や「今後の推移」を中心に書いたのだが、これはより大きな「根本原因」を示している。
これを私流にさらに大きく、図式的に言えば、

「東(アジア)と西(欧米)との今後の政治経済的対立の舞台(象徴)が今のアフリカだ」

ということになる。
そして、この図式の中で、ロシアは東(=アジア同盟)であり、日本は西の下部国家(パシリ、財布、使い捨て国家)なのである。
で、私としては、日本が地理的に、また長いスパンでの歴史的には東の一員でありながら、明治以降の短い期間にしかすぎない欧米化(特に第二次大戦敗戦後の過去の文化的伝統からの断絶)によって欧米の一員になったかのような錯覚を持っているのは大きな誤りだ、という意見である。

日本が欧米の意にかなう政治的行動を取った時に、日本を称賛する欧米人は多い。だが、それはいわば「褒め殺し」なのである。(本来の「褒め殺し」の用法とは違うかもしれない。心の中でベロを出しながらのうわべだけの称賛、と言うほうが適切だろうが、適切な言葉が無いので、「褒め殺し」と言ったわけだ。)日本人が必死になって欧米にお仕えしているから、よく芸を仕込んだ犬を褒めるように褒めているだけなのだ。その末路は、安楽死させてもらえば幸い、というところだろう。




(以下「櫻井ジャーナル」から引用)




2013.01.21


中東/アフリカで戦乱が広がっている一因は利権を維持したい米英仏が支配システムを維持し、中露を排除しようとしているためだが、日本は中国との緊張を高めようと必死


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 中東やアフリカで戦乱が広がっている。この地域はかつてイギリスやフランスをはじめとする欧米の植民地。第2次世界大戦後はアメリカの影響力が拡大していたが、21世紀に入るとこうした「西側」の国々が保有していた利権が揺らぎ始めた。

 その大きな原因はBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やSCO(中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン)の台頭にある。BRICSはベネズエラなどのラテン・アメリカ諸国もつながり、SCOにはオブザーバー国としてインド、イラン、モンゴル、パキスタンが参加している。勿論、BRICSとSCOを結びつけているのは中国とロシアだ。

 現在、「西側」の国々は揺らぎ始めた利権を取り戻し、さらに拡大しようとしている。そのひとつの結果が「アラブの春」。マリやアルジェリアでアル・カイダ系武装集団が活発に動き始めた理由もその辺にあるだろう。好戦的な雰囲気を高めるためにメディアが果たした役割も忘れてはならない。

 ネオコン(アメリカの親イスラエル派)に支えられたジョージ・W・ブッシュが大統領に就任した2001年の9月11日に大きな出来事があった。ニューヨークの世界貿易センターにそびえていた超高層ビル2棟に航空機が突入、国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのである。その後、アメリカは中東に軍事侵攻、国内ではファシズム化が急速に進む。

 9/11から10日後の時点でブッシュ・ジュニア政権はイラク攻撃を決定、6週間後にはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンが攻撃予定国のリストに載っていたとクラーク大将は語っている。

 中東/北アフリカでは中国とアメリカは強力なライバル関係にあるが、経済面で強く結びついていることも事実。いわば、握手しながらナイフを突きつけ合っているような状態である。そうした中、日本は中国との軍事的な緊張を高めようとしている。


(後略)








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「イスラムテロ」という幻想の敵

「晴耕雨読」から転載。

マリ・アルジェリア問題については無知なので、その学習テキストとしては恰好の文章かと思う。途中まで筆者の立ち位置や視点がはっきりしない観があるが、全体的には理性的かつ不偏不党の立ち位置のようなので、ある程度信頼していいかと思う。

「ある程度」、というのは当然の話であり、私は「ビッグバン宇宙生成論」や「進化論」さえあまり信じていない人間だし、大好きなドストエフスキーだって、そのキリスト信仰はまったくの直覚的理解であり、合理性とは無縁だとして、眉に唾をつけている。(ドストエフスキーの信仰を信じないのではなく、ドストエフスキーへの渇仰は彼の信仰した対象をそのまま信じることには結びつかない、ということである。もっとも、キリストは大好きだし、彼がこの世にかつて存在したこと自体が一種の奇跡だとは思う。だが、世界創造神としてのエホバは、私は信じない。つまり、A→B→Cという信用連鎖・信頼連鎖は私の場合自動的には起こらないということだ。あるいはそれは私の根本的欠陥かもしれないのだが。)

引用した記事にしても、全面的に信じたら、それは信仰である。書いた方にもそれは迷惑だろう。
ということで、下記記事とはまったく無関係な前説になったが、それは毎度のことだ。
とりあえず、こうした記事や論説を読んで、少しづつでも情報を確かにしていけばそれでいいと思う。

特に注意しておきたいが、後半部の「イスラム教徒憎悪世論の醸成」は、『文明の衝突』が出版されたころからマスコミに浮上し、それが「9.11事件」で怒涛のように世界中に溢れたことから、これは冷戦終了後の新たな世界戦略として採用されたものだと分かるのである。
つまり、「テロ(架空のイスラムテロ)との戦い」によって先進国の軍産複合体を維持し、テロ撲滅名目の戦争によって消費を加速し、無駄な貧民を削減し、貧民のための福祉費用も削減し、国民の不満や疑問を「戦時体制」によって圧殺する、という方針が先進国間の合意になったということである。それはもちろん、政府を背後から操り、支配する世界金融界・産業界の意思であるわけだ。




(以下引用)




2013/1/21


「内藤正典・同志社大学大学院教授によるアルジェリア人質事件の背景解説」  憲法・軍備・安全保障

http://togetter.com/li/441998

日本では、90年代の常軌を逸したアルジェリアでの内戦について正確に知っている人はほとんどいないから、マスコミがアルジェリアについて論評するのを聞いていると、ひどく紋切型で「知らないんだろうな」という印象を受ける。

アルジェリアは「イスラム過激派のテロと戦ってきましたから武装勢力を許さない」という解説を耳にするが、そういう表現をすると、アルジェリアが親米だったかのように聞こえることだろう。

とんでもなくずれているが。




中東・イスラーム世界の出来事を断片的にみていると、こういう出鱈目な解説を流しやすい各国首脳の発言をみると、安倍首相のが最も平和的に見えるのは皮肉なことだ。

しかし、日本はなぜ救援機を飛ばさない?

解放された人たちや負傷された人たちを迎えるためにこれまで何度も中東で日本人が取り残される事件が起きたが、その度に日本政府は救援機を飛ばさなかった。

80年代のイラン・イラク戦争の時には、テヘランで取り残された邦人救出に日本の民間機は飛ばずトルコ航空が救出した。

国民国家なら邦人救出は国家の責務。

一連の事件、仏軍マリ侵攻からアルジェリア人質事件に関する米国、英国、仏国などの報道をみていると、次第にアルカイダがアフリカに猛威を振るいつつあるから、力で掃討するのは正当だという方向に収斂しつつある。

だが、これはアフガニスタンにアメリカとその同盟国が侵攻したときに怒涛のような勢いで流布された反イスラム宣伝とよく似ている。

当時も、アルカイダがテロを起こしタリバンは彼らをかくまっているから同様にテロリストであるという理屈でアフガニスタンは攻撃された。

アルジェリアの犯行グループをテロリストとするのは妥当としても、マリのイスラム勢力ごと叩き潰すことの正当性がどこにあるのか?

フランスは、マリへの軍事介入を正当化するために、介入後に起きた人質事件を引き合いに出している。

我々の介入は正当化されたとオランド大統領

アフガニスタンのときもそうだったが、マリについてもイスラム勢力の支配がいかに残虐かという記事がフランスのメディアのみならず日本のメディアにも並んでいる。

窃盗容疑で手首を切断されたマリ人、朝日朝刊。

事実なら報道するのはいい。

だが、住民の支持がないとイスラム勢力の統治が広まるはずはない。

人々がなぜイスラム勢力を支持したのかー欧米や日本のメディアは報じない。

イスラムを名乗る勢力を殲滅することは西欧的価値の優位を維持するために許されるというなら、世界は再び9.11の悲劇を繰り返すことになる

犠牲者の少ないことを祈るのみ。

日本人であろうと、なかろうと

2011年に始まった中東での民主化運動、チュニジアやエジプト、リビアで激しかったが、アルジェリアには波及しなかった。

2012年にはアルジェリアで総選挙があったが、1960年代からずっと与党の座にあるFLN(国家救済戦線)が勝利。

その時も、どうしてアルジェリアでは「アラブの春」が起きないのかと、ずいぶん議論になった。

結論的に言えば、

1.90年代の内戦があまりに凄惨な殺し合いであり、その鮮烈な記憶が残る人びとは体制変革が再び殺戮をもたらすと危惧した、

2.石油とガスの収入を公務員や中流層に還元したいわば一方で「飴」を与え、他方で、「恐怖の記憶」を操ることで、ブーテフリカの政権は、隣国での市民運動のうねりを抑え込むことに成功した。

この無言の弾圧は、当初、シリアのアサド政権も同じことを考えていたはずである。

しかし、シリアの市民は、南部のダラアという町で起きた治安機関による子どもの殺害に憤りの声をあげ、それが燎原の火のごとく広がって、今日の惨状に至った。

アルジェリア政府にしてみれば、今回のオペレーションを国際世論が称賛してくれると期待していることだろう。

90年代の泥沼の内戦を制したこと自体、政権にとっては、「イスラム過激派テロ組織」の芽を早くも90年代初頭に摘み取った功績だった。

9/11が起きた2001年より前にアルジェリアはすべて知っていたのだと。

イスラム主義者の台頭はテロをよぶと。

しかし、論理的にも、事実の点からも、これは誤りである。

冷戦の崩壊で、ソ連のタガが外れたアルジェリアでも、複数政党制への移行を可能にする選挙をした。

90年代のはじめ、地方選挙に続いて総選挙を実施したら、イスラム主義者のFIS(イスラム救済戦線)が勝利した。

それをFLN(国家救済戦線)が軍の力を頼りに潰した。

フランスは暗黙のゴーサインを与えた。

国際社会は、この理不尽な弾圧を非難しなかった。

その結果が、悲惨な内戦となったのである。

イスラム主義者の側も、政治闘争では軍に勝てないから、地下に潜伏して激しい武装闘争を展開した。

市民を標的にする殺し合いが、軍部、過激化したイスラム武装勢力の双方によって続いた。

FLNの政権は、治安に絶対的な力をもつ軍にあやつられてきた。

その結果としてのアルジェリア政府と、その軍が、今回の人質事件の当事者なのである。

武装勢力に対して、どう対処するか、それは事件が起きたときから明白だった。

この種の事件について、私には、フランス政府が知らなかったとは思えない。

英国のキャメロン首相が「事前に情報がなかった」と不快感を示したことも、もちろん額面通りに受け取れない(英と仏はともに中東・アフリカを分割してきた植民地統治の主役である)が、英国が知らなくても、フランスは知っていなければいけないのである。

それでこそ、植民地支配を恬として恥じない大国の面目躍如である。

かつて、こういう明確な政治的意図をもって政権を攻撃する勢力は、「反政府ゲリラ」とよばれてきた。

いまや、だれもゲリラと呼ばず、「テロリスト」と呼ぶ。

違和感がある。

ある人物や集団が「テロリスト」と規定されたら最後、誰も、それに逆らうことはできないかのように殲滅される。

テロリストを殲滅するのは一向にかまわないが、問題は、彼らが本当にテロリストなのかどうか、である。

むろん、ガス田で人質となった人たちにとって、彼らがテロリストであったことに疑いの余地はない。

しかし、そのことと、テロリストを育てたのがアルジェリア政権と軍部の残虐な対応だったこととは無関係ではない。

90年代以来、政権と軍が、イスラムを掲げて世直しを計ったFISを、市民の支持によって選ばれたFIS(イスラム救済戦線)を、残酷に力で壊滅させなければ、マグレブのアル・カイダをはじめ、さまざまな名前が取りざたされる「テロ組織」は、アルジェリアでは活動できなかったのである。

イスラム主義というのは、イスラムに従って世直しをして、イスラムに基づく統治をしようとする政治運動である。

市民の多数がそれを望むなら、そうなるだけのことである。

何か、とてつもなく邪悪な政治思想であるかのように思われるのは、アメリカやフランスなどの欧米諸国にとって、都合の悪いからにすぎない。

国家としての米国や仏にとってだけではない。

すでに信仰を捨ててしまった世俗主義者にとっても、神と共に生きるムスリムは、はなはだ目障りな存在なのである。

それはそうだろう。

欧米では、「神」など居場所を失っている。

人間は、なんでも「理性」に従って行動するのがよいとされる。

他方、ムスリム(イスラム教徒)は、決して「神の下した規範」を乗り越えることはできない。

むろん、「戒律」を破るムスリムならいくらでもいる。

しかし、そのことを、どうとらえるかは信徒にゆだねられている。

そして、彼らは、やはりどこかで、「神の示した正しい道」へと回帰していく。

1980年代以降のイスラム復興の潮流というものは、西欧の真似をしてつくった国家の中で生きるイスラム教徒の「生きにくさ」を反映したものだったのである。

「信仰を捨てて欧米の民主主義国家のようになれば可愛がってやろうじゃないか」アメリカもフランスも、実に自分勝手に、ムスリムの諸国家に、そう言い続けてきた。

ムスリムの国でも、アメリカ風になったり、フランス風になった人は数多い。

だが、やっぱり、それは違うんじゃないか、と思う人が増えたその帰結を、今、私たちはエジプトやチュニジアでのイスラム政党の伸長のなかに見ている。

西欧風の国家をつくることにかけては先端を行ってきたトルコでさえ、いまや、「西欧思想に追いつかなければ進歩にならないんだ」という西欧追随をやめてしまった。

だが、こういう現象は、ムスリム諸国が自分で選択したとは限らない。

いいようにアメリカに利用され、いいようにフランスに支配され、いいようにEUにあしらわれたことによって、中東諸国の人々は、少しずつ、ムスリムとしての自覚を新たにしたのである。



(後略)










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他国ヘイト言説をやめよう

今回は特に引用はしないが、今朝のあるブログを読んで非常にがっかりしている。原発問題などでは政府に猛烈な抗議をし、ネット弾圧らしきものとも戦った立派なブログなのだが、問題が中国のことになると、そこが共産党独裁政権である、というだけでほとんど全否定的論調になっているのである。
いったい、この世界に本物の言論の自由があり、民主主義が機能している国や政権があるとでもいうのか。また与党の独裁でない国があるというのか。むしろ、プーチンのロシアのように、独裁に近い政権だからこそNWOやグローバリズムの侵略と戦えている、というのが実情ではないか。

こうした中国共産党否定言説は中国否定言説との区別なく世間に流通し、世間の中国印象を悪化させる役にしか立たない。
つまり、欧米によるアジア分断戦略のお先棒を担ぐ行為なのである。

実のところ、私が愛読し、しばしば引用するブログの大半は、そうした中国嫌悪言説、中国共産党嫌悪言説をするブログが非常に多い。他の点では理性的で尊敬できるブログ主が、この点になるとまるで欧米やユダ金やジャパンハンドラーズから金でも貰っているかのように、他国ヘイト言説をするのである。
そうでないのは飯山一郎老人などほんの少数にすぎない。
何度も言うが、彼らは自分自身、中国共産党や日本共産党から、ほんのわずかでも害を受けたことはあるのか。なぜ自分が直接の関係もない政党や政権をそれほど口を極めて罵倒する必要があるのか。私にはまったく信じ難い態度である。他国民が「独裁政権」下にあるのがそんなに頭に来るというのは、私には理解できない。

念のために言うが、私は議会制度に基づく漸進的社会主義を推進すべきであるという意見の持ち主だが、「共産主義」は、現実には実現不可能なファンタジーだと見ている。つまり、共産主義を否定する者である。しかし、政治制度については、それこそその国民の問題であり、他国の人間がそれを云々する資格は無いし、そういう言説は他国ヘイトの心情を喚起する有害なものだと思う。

また、共産主義はファンタジーであるにしても、国民全員の平等を理想とする理想主義であり、格差社会や身分固定社会において、その対立軸の一方の旗としては有効であったし、今でも有効だと考えている。


なお、蛇足で言えば、

社会主義とは生産手段を国有化することで国民全体の平等を目指す思想、
共産主義とは私有財産まで否定することで国民の完全な平等を目指す思想

である。


つまり、本当の意味での共産主義国家など歴史上存在したことはないのである。





















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鳩山は偉い! 鳩山は凄い!

「晴耕雨読」より転載。ツィッター部分の途中から別話題になるので、そのあたりは省略する。
やはり鳩山由紀夫は偉い。
真の愛国者であり、日本にとっての利益を第一に考えて行動している。そのためには、自分が逆に「売国奴」の罵言を浴びるのも最初から覚悟している。まるで山本周五郎の『樅の木は残った』の原田甲斐である。世の中に、こうした無私の行動、勇気ある行動ができる人間がいることが、私には奇跡のようにすら思える。

何よりも大事なのは、アジアが手を取り合って発展することである。
それをさせたくないのが欧米(特にユダ金)である。
このことを根底に考えれば、すべての錯綜した意見や主張は簡単に一刀両断できる。
何も迷うことはないのである。

しかし、鳩山は凄い。良い意味での「宇宙人」である。我々地球人のレベルをはるかに超えた精神性を持っている。一人だけ先にアセンションしてしまっているようだ。

日本政府の「領土問題は存在しない」は、まるっきりダチョウが砂の中に頭を突っ込んでいる姿である。目を閉じさえすればものは存在しなくなるとでもいうのか。
あるいは差別問題での「用語規制」にも似ている。言葉を消せば現実問題が解決するとでもいうのか。
もっとも、こうした「問題そのものが存在しない」というのは、自分の国(政府)にとって都合の悪い問題が起こった時の政府の決まり文句にすぎないのだが。
しかし、自分たちが事を荒立てておいて、「係争地問題は存在しない」は矛盾そのものである。
問題の存在を認めないで、問題を論じることは不可能だ。
つまり、永遠に日中両国間の争いは残る。
まずは問題の存在を認めた上で、「棚上げにする」というのなら、これは立派な解答なのである。

自民党の政治家たちが早速鳩山の日中友好回復活動の悪口を言っているようだが、日中戦争を起こすことが自民党の使命だとでもいうのだろうか。






(以下引用)



2013/1/18


「尖閣諸島 係争地であることはいうまでもない。だから先人達が係争しないように棚上げしてきた:宋 文洲氏」  憲法・軍備・安全保障

https://twitter.com/sohbunshu

ああ、また売国奴と呼ばれる。

尖閣諸島「係争地認定を」=鳩山元首相。http://t.co/ZIZPZ0lf

係争地であることは、いうまでもない。

だから先人達が係争しないように棚上げしてきた。

石原達右翼が係争地を係争にしただけ。


係争地ではないなら、なぜアメリカの新聞に領有権を宣伝する必要がある。

外交上が「固有領土」というのが分かる。

しかし、係争地ではないならば、中国公船を監視するのではなく、即時に駆逐をすべきだ。

米国は日本領土を守る義務がある。

寝た虎を起こすな。

もっと重要なことが山ほどある。

そんな暇がないはず。

(中略)

日本経済が本当に元気を戻り戻すには、中国との関係を早く、「普通」のレベルに戻すことだ。

日中友好じゃなくてもいいから、せめてこのような不健全な状態から脱出することだ。

----------------------
http://t.co/ZIZPZ0lf

尖閣諸島「係争地認定を」=鳩山元首相が中国側に主張

時事通信 1月16日(水)22時6分配信

 【北京時事】中国を訪問した鳩山由紀夫元首相は16日、北京で賈慶林全国政治協商会議(政協)主席や楊潔※(※=タケカンムリに褫のつくり)外相らとそれぞれ会談し、沖縄県・尖閣諸島をめぐる問題などで意見交換した。取材に応じた鳩山氏は尖閣諸島が「係争地であると互いに認めることが大事だ」との考えを中国側に伝えたことを明らかにした。
 日本政府は領土問題は存在しないとの立場で、鳩山氏の発言には批判が出そうだ。鳩山氏は田中角栄、周恩来両首相が1972年の国交正常化に当たり、尖閣問題を「棚上げ」したとして、こうした「認識」に戻ることが必要だとの考えも述べた。賈氏らは鳩山氏に同意したという。 












(追記) 下記引用記事は「読売新聞」記事だから当然鳩山批判記事になっているのだが、その中からでも鳩山由紀夫の一連の活動が中国の国民感情を大きく和らげたことが読み取れる。つまり彼は素晴らしい成果を上げたのである。
しかし、報道記事の中に記者の意見まで入れるという現在のマスコミ記事は、報道の本質から逸脱しているはずだのに、なぜ誰もそれを批判しないのだろう。まあ、マスコミ自身がマスコミを批判するはずがないのは当然だろうが、せめてネットの中で、その事に大きく声を上げていくべきだろう。




(以下引用)



「30万人」にうなずいた…中国紙、鳩山氏絶賛



読売新聞
2013年01月18日21時13分



 【北京=五十嵐文】18日付の中国主要各紙は、鳩山元首相が南京大虐殺記念館で手を合わせる写真を1面に掲載した。

 日中関係が冷え込む中、中国メディアが日本の政界関係者の言動を好意的に報じるのは異例。安倍政権の対中政策に批判的な鳩山氏を持ち上げ、日本の世論を分断したい考えがあると見られる。

 18日付京華時報は鳩山氏の写真と共に、鳩山氏が歴史問題で「おわび」を表明し、沖縄県・尖閣諸島は「係争地」だとの認識を示したことを「理性的」だと絶賛。新京報も同日付で、「日本国内にも強硬一辺倒ではなく、友好的で歴史を直視する声もある」との専門家の談話を掲載した。

 鳩山氏の今回の訪中が、中国側の宣伝に利用された側面は否めない。鳩山氏は大虐殺記念館を訪れた際、諸説ある南京事件の犠牲者を「30万人」と特定している記念碑での献花は見送っていたが、国営新華社通信は18日、「30万人」との記念館側の説明に鳩山氏が「うなずいた」と報じた。









(追記2)「櫻井ジャーナル」に関連記事があったので、これも転載しておく。日本政府の現在の姿勢がいかに危険なものであるか、これを読めば分かるし、その危険を未然に防ごうという鳩山由紀夫の身を挺した行動がいかに素晴らしいものであるかも分かるだろう。




(以下引用)



2013.01.18


尖閣諸島を係争地だと表現した鳩山元首相を小野寺防衛相は「国賊」だと罵ったが、係争地でないなら中国の航空機が日本の設定した防空識別圏に入れば警告射撃もありえる


カテゴリ:カテゴリ未分類

 鳩山由紀夫元首相を小野寺五典防衛相は「国賊」だとBSフジの番組で発言したのだという。尖閣諸島は日本と中国との間の係争地だと中国で語ったからだというが、係争地だと認めないということは、この件に関して中国とは問答無用、「中国政府を相手にせず」ということである。

 日本政府は1895年1月に尖閣諸島を日本の領土にすることを閣議決定、この決定を金科玉条のように主張しているのが小野寺防衛相のような人びと。日清戦争の最中の決定であり、しかもこの決定を日本政府は少なくとも正式には公表していないのだが、そういうことは意に介していない。そして翌年の3月に日本が戦争で勝利、中国/清側は文句を言えない状況になった。その後、中国では他国の侵略を受け、内戦もあって国土は荒廃する。

 中国を侵略していた国の代表格が日本だが、その日本は1945年にポツダム宣言を受け入れ、連合国に無条件降伏する。第2次世界大戦で敗北したわけだ。日本の戦後はポツダム宣言を受け入れるところから始まった。

 そのポツダム宣言の第8条には次のように書かれている。

 「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」

 本州、北海道、九州、四国は日本領として認められているが、それ以外は連合国側が決めるとしている。1946年1月に出された「連合軍最高司令部訓令」によると、日本の領土とは4主要島のほか「対馬諸島、北緯30度以北の琉球諸島等を含む約1000の島」で、竹島、千島列島、歯舞群島、色丹島などは除かれている。(孫崎享著『日本の国境問題』)

 そしてカイロ宣言も日本は受け入れなければならない。カイロ宣言には次のようなことが書かれている。

 「第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト」、また「満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト」、そして「暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ」。

 日本が中国人から奪った一切の地域を中国へ返還しろとされているのだが、尖閣諸島は日清戦争のドサクサ紛れに領土だと閣議決定、しかも外部に対しては宣言していない。歴史的な背景を云々かんぬんする以前に、ポツダム宣言/カイロ宣言で日本側の主張は揺らいでいる。少なくとも日本側は中国に対し、「問答無用」と言うわけにはいかない。

 しかし、日本政府は尖閣諸島を係争地でないと主張している。尖閣諸島を自国の領土だと主張する中国の航空機が日本の主張する「防空識別圏」に入ればどうなるのかは明らかだ。その明らかなことを小野寺大臣は1月15日の記者会見で語っている。

記者:「つまり、中国の飛行機が日本のいわゆる領空に入ってきた場合、この警告射撃ということは、ありうるということでしょうか。」

大臣:「どこの国も、それぞれ自国の領空に他国の航空機が入って来て、さまざまな警告をした中でも退去しない、領空侵犯を行った場合、これはそれぞれの国がそれぞれの対応を取っておりますし、我が国としても、国際的な基準に合わせて間違いのない対応を備えていると思っています。」

 尖閣諸島を特別扱いしないことを確認している。当然、状況によっては警告射撃の可能性はあるということ。菅義偉官房長官も16日の記者会見で、国際的な基準に基づいて、尖閣諸島に限らず、一般的に領空侵犯機に対しては、従前通りの厳正な対領空侵犯措置を実施する、と述べている。

 尖閣諸島が係争地でないと主張する以上、警告射撃の可能性があるというのは必然的な結論。係争地でないとする主張が軍事衝突、戦争の勃発を引き起こしかねないことを再確認させる記者会見だった。














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嫌な現実に目を閉じさえすれば生きるのは容易、か?

私の母が何かの機会に言った言葉で、今でも覚えているのが二つある。
それは「見ぬもの清し」と「我がサミ(かさぶた)や、かぎ(美しい)サミ」という言葉で、後者は沖縄か宮古島のことわざかと思う。どちらも実に皮肉な言葉で、ラ・ロシュフコーばりの冷徹・冷厳な人間観が底にある。
前者は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」に少し似ているが、それよりも、「心ここに在らざれば、見れども見ず、聞けども聞かず」(一般には「見れども見えず、聞けども聞こえず」として知られている。)の方に近いか。しかし、それよりも短くて、鋭い箴言である。この言葉は二つの解釈ができる。一つは、我々は自分の目の前のものに何の根拠もなく信頼を置くが、それが信頼に値するとは限らない、ということ。もう一つは、我々は自分が見たくないものは存在しないものとして自分自身を騙しながら生きることが多い、ということだ。
後者(「我がサミや……」)は、言うまでもなく、人間の自己愛をからかった言葉である。「我がものと思えば軽し 笠の雪」という俗な俳句にどこか似ている。自分に関するものは何でもよく見え、他人のものには嫉妬し、見下したがる、というのが通常の人間性である。
こういう言葉を言う私の母親であるから、リアリストではあったのだが、弱者への同情心は非常に強かった。私の反権威主義や、常に自分を弱い者、劣った者の側に置いて考える性向は、あるいは母親からの遺伝かもしれない。父親の方はというと、西郷隆盛の大ファンで、「敬天愛人」の額を家の鴨居に懸けるような夢想的博愛主義者であった。
子供の頃は、そういう両親の良さを知らなかったし、どちらもとっくに死んでいるのだが、まあ自分の中にその両親の血が流れていることは、嬉しいことである。

さて、何だか個人的回想になってしまったが、これは下記記事の前置きなのである。
要するに、最初に書いた「見ぬもの清し」が、下記記事の除染活動を一言で言ったものだ。
つまり、除染など最初から不可能だし、除染した土を捨てる場所もあるはずがない。
であるから、とにかく「やったふり」をしていればいい、というのが政府の福島原発放射能汚染対策であったというのが事実なのである。
良く使われる比喩で言えば、「敵から隠れたつもりで頭を砂の中に突っ込んでいる駝鳥」というのが現在の日本政府と日本国民の姿であるわけだ。
で、ほとんどの日本国民は「放射能汚染など存在しない」、というふりをして、見たくないものから目をそむけつつ、個人の日常という砂の中に頭を突っ込んで生きている、というわけである。





Living is easy with eyes close……(ビートルズ「ストロベリーフィールズ・フォーエバー」)







(以下「阿修羅」から引用)



除染で汚染物不法投棄 ゼネコンの底知れぬ悪意と腐敗 (とある原発の溶融貫通(メルトスルー)) 
http://www.asyura2.com/12/genpatu29/msg/656.html
投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 1 月 10 日 14:54:00: igsppGRN/E9PQ

http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/6856502.html
2013年01月10日09:59 とある原発の溶融貫通(メルトスルー)

■捨て場所がないので川に
福島県内などで行われている除染作業で、汚染された土や枝葉、水などを日常的に、川などに不法投棄していた。除染作業を受注した元請けのゼネコンは「指示はしていない」と否定するが、現場作業員からは「不法投棄は日常的」とする声も聞こえる。

■汚染土、汚染水、枝葉も
福島第一原発事故により飛び散った放射性物質を除去するいわゆる「除染」は、大手ゼネコンが受注。その後、2次、3次の下請けに回す形で作業が行われている。
作業については、環境省が細かいガイドラインを定めている。建物を洗浄する際には、下にブルーシートを敷いて水を受け、たまった水はポンプでくみ取り、浄化装置で処理する。
枝葉はフレキシブルコンテナバッグと呼ばれる専門の袋に入れ、仮置き場で管理する。
はぎとった汚染土壌は、やはりバッグに入れて、市町村などの提供する仮置き場に置くことになっている。
ただ、現場ではこういったガイドラインは全く守られていない。毎日新聞の取材によると、そもそも仮置き場が不足しているため、日常茶飯事になっているという。
■大手ゼネコンは指示を否定
今回、汚染土壌を不法投棄したとされるのは、田村市、楢葉町、飯舘村で行われた除染作業。担当するのはそれぞれ、田村市が鹿島JV、楢葉町が前田建設工業、飯舘村は大日本土木。
それぞれの大手ゼネコンは、「不法投棄するよう指示していない」と回答しているが、常識的に考えれば、仮置き場が足りないことは知っていたはずだ。
どう対処するのか、指示、監督する責任を負うべきであり、下請けのせいにして逃げるのであれば、国と現場の間に入って「ピンハネ」している企業として、最低限の仕事すらする気はない、ということになる。
■除染はゼネコンのため
そもそも除染活動は意味がない。除染しても、時間経過とともに線量が戻ることは、各地で報告されている。セシウムなどの放射性物質は、風や雨にのり、常に移動しているためだ。
昨年10月、みんなの党の柿沢議員がウクライナを視察した際、当時の非常事態省副大臣、ボリス・プリステル氏が、チェルノブイリ事故の影響を説明。
同国では、事故直後から4年間にわたり、巨額の費用と軍隊を投入して、除染活動を行ったが、全く効果はみられなかった、と語り、日本は同じ間違いを犯すべきではない、とアドバイスしている。
除染はもっぱら、ゼネコンに血税を吸い上げられるだけで、何の効果も生まないことは明らかだ。さらに除染モデル事業を実質的に仕切ったのは、今回も問題となっている鹿島JVの他、大林組、大成建設の3社だ。
3社は原発建設受注でも、トップ3を占める。国内57基の原子炉建屋の受注実績は、鹿島24基、大林組11基、大成建設10基となる。
原発を作り、事故が起きれば、無意味な除染を受注。さらに手抜きまで行って利益を増大させる。原発ムラに連なるこういった企業にいかに対応するか、安倍新政権の手腕に注目したい。









(1月17日追記)「晴耕雨読」に同じ話題についての記事が出ていたので転載しておく。私も相田みつをは嫌いなのだが、その理由は、「何でも肯定的に見ることは、現状への批判心を眠らせ、世の悪を温存する結果になる」からである。「悪があったっていいさ。人間だもの」というわけである。これが世の権力者や支配層にとってどんなに都合のよい大衆心理であるか、気づかない人が(相田みつをファンはもちろんだが)案外多いのである。ついでに言えば、相田みつをのあの「下手ウマ字体」も「狙って作った素朴さ」という厭味と臭みがあって私は嫌いである。



(以下引用)


2013/1/16


「室井佑月氏 「手抜き除染」問題は「にんげんだもの」に似ている〈週刊朝日〉」  世界経済のゆくえ

室井佑月氏 「手抜き除染」問題は「にんげんだもの」に似ている〈週刊朝日〉 投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 1 月 15 日 から転載します。

週刊朝日 2013年1月25日号

 作家の室井佑月氏は新年から「手抜き除染」の記事を読んで、「なぜか『相田みつを』さんの『にんげんだもの』という言葉を思い出している」という。

*  *  *

 1月4日、朝日新聞朝刊のトップ記事は、「東京電力福島第一原発周辺の除染作業で、取り除いた土や枝葉、洗浄に使った水の一部を現場周辺の川などに捨てる『手抜き除染』が横行していることが、朝日新聞の取材でわかった」というものだった。

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 作業員いわく、「計測地点周辺だけきれいにすればいいと指示された」だって。

 ってことは、汚染物質のたかが移動に、この国は6500億円もの金をつぎ込むのね。だったら、その金を地元の人々に直接渡したほうが良いんではないかとあたしは思う。

 どうせ国は国民に本当のことを教えてくれないし、どうせ国民の一人一人の命や健康なんてつまんないことだと考えているんだろうし(今回、計測地点だけきれいにしろって指示されていたってことからしてもわかるじゃん)、だったらできる限りの金を渡してくれて「自分で考えろ」っていってくれたほうが親切というものだ。

 相田みつをさんの「にんげんだもの」。どういう内容の詩だったか気になって、きちんと調べてみた。

――つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの くるしいことだってあるさ 人間だもの まようときだってあるさ 凡夫だもの あやまちだってあるよ おれだもの――

 なんかやっぱり、あたしはこのニュースにピッタリの詩だと思う。絶対に安全だっていってた原発で事故が起こった、にんげんだもの。事故の収束上手くいかない、人間だもの。放射能の被害が出たらどうしよう、凡夫だもの(超人じゃないって意味)。

 ただ、相田さんは、そんな弱くておろかな人間だけど、反省して前を向いて行こうと、詩の中で訴えかけている。この国の一部の指導者の心根とは、真逆。

「あやまちだってあるよ おれだもの」の次は「まあ、いいか。被害を受けるのおれじゃないもの。おれだけ良ければそれでいっか」。そんなもんなんだろ?


コメント


01. 2013年1月15日 19:09:40 : GCziX3ujBY
にんげんだものというより、無責任・いいかげん・どうでもいいが団子になった結果でしょ。

02. 2013年1月15日 19:15:53 : 90iotVfajo
効果のない”除染”なるものに使う金はこの日本にふんだんにあるということだ。

しかし生活者に回る金はないらしい。


03. 2013年1月15日 19:26:11 : Pj82T22SRI

>汚染物質のたかが移動に、この国は6500億円もの金をつぎ込む

除染とは、そもそも、「汚染物質のたかが移動」

どうせ時間が経てば自然放射線以下になるような無意味なことに人やモノを回すのは止め

必要不可欠なインフラ整備や、それに関連した失業訓練などを最優先に行う方が、余計なインフレも抑えられるので遥かによい


04. 2013年1月15日 19:26:22 : 0obSollhXY
いや。おれは最近、歳のせいで目がわるいものだから、「にんげんだもの」を「けだものだもの」と読み違えた。われながらはっとして、よくみると「にんげんだもの」だった。ほっとした。

――つまづいたっていいじゃないか けだものだもの くるしいことだってあるさ けだものだもの まようときだってあるさ けだものだもの あやまちだってあるよ おれはけだものだもの――

相田みつおって三流のパスカルみたいな短文を書くひとだけど、あれだね、銀行の支店長室なんかに飾ってるのをよくみるね。
けだものだもの。か。(ぷっ)



05. 2013年1月15日 19:40:25 : GCziX3ujBY
>>04

相田みつおを感性が好きな人と嫌いな人がいる。
私は嫌いで、皮膚の表面がムズムズする。気色が悪い。
支店長室とか、零細・中小企業の社長室とかによく飾ってありそうな相田みつを。
高速道路の土産物屋とか、道の駅で色紙を売ってそうな相田みつを。

この感性に感動しちゃう人って、俗っぽいのが好きな人だと思うよね。
昔、「一杯のかけそば」に感動して国会で紹介しちゃった議員がいたが
(たしか公明党のガハガハ・ゲハゲハしたオヤジ議員)、
そういう単純な粗い感性。


06. 2013年1月15日 19:41:31 : GCziX3ujBY
>>05 訂正

× 相田みつおを感性が好きな人と嫌いな人がいる。

○ 相田みつおの感性が好きな人と嫌いな人がいる。


07. 2013年1月15日 19:43:02 : w18f1GkoJs
「自己中」だものって言った方がいいかも。「俺は俺のために偉くなったのであって、国民なんか、ホントはどうでもいいんだよ」っていうような奴が多いようだ。

08. 2013年1月15日 20:57:06 : I0wUTwXRRk
問題は原発の安全性を力説する者が結局作業は下請け任せで直接作業には関わってないという事だ。
つまり彼らの安全性は天気予報レベルであるという事だ。
こんな体制で原発再稼動、無論原発増設などもっての他だ。
政府と東電は未だに原発の安全性に責任を取ってない!下請けに聞いてくれ状態なんだ。
事故が起きても隠蔽しかしないのにどう安全だと信じれるのか?ふざけないでくれ。
東電社長の、あの謝罪は何だったんだ?政府は事故後に一体何のどんな対応をした?
結局、何にもやってないじゃないか!経産省も東電も少しは真面目にやってくれよ!
被災地の農家を、作業員を、何だと思ってるんだ!これじゃ中国、北朝鮮云々を言えないだろ?同レベルですやん。

09. 2013年1月15日 21:53:45 : 0obSollhXY
高校の体罰問題もそうだ。
ハシシタあたりが体罰禁止なんていってるが、今回の高校生の自殺は体罰が問題なんじゃない。
体罰から逃れるにも逃れようが無いという日本の閉塞した社会のあり方が問題なのに、なぜかそれを問題にせず、体罰自体が原因のようにマスゴミがはやしたてる。
そうじゃないのだ。
体罰はたしかに悪いが、それよりも体罰をさけるような方向に進むにも世間の狭さゆえにどこにも逃げ場がなかったことが問題なのだ。
その意味では両親も、仲間も体罰以上の「悪」なんだ。
クラブ活動をやめる事ができないような空気。学校に訴えることもできないような空気。どこにもだれにも相談できない空気。このような現代日本の閉塞した空気が問題であるのにだれもそれに言及しないで、
むしろそれを隠蔽するために教師にすべての責任をおいかぶせる。
体罰なんかむかしからいくらでもあった。
自殺するまでに至るには体罰以上にそこから逃れることのできない世間全般のがんじがらめの空気にこそ問題があるのだ。

10. 2013年1月15日 22:02:55 : FMdMRKf5Fw
09〉さんに賛同します。
体罰・自殺問題に、まともな論評を初めて接しました。

11. 2013年1月15日 23:08:31 : RxJtylE7p6
10さん同様、09さんの意見に賛同。

12. 2013年1月15日 23:24:49 : RxJtylE7p6
それで、100万年殺人廃物の製造湯沸かし器ってのは、設計者の段階では、トラブルにはこうしてああしてと、その人の中では出来るだけ手を打った設計をする(した)つもりで出すんだそうだが、結局現場の作業には、あろうことか職人が入れずに、素人に近い現場作業員が、複雑怪奇な図面に対応できずに、とんでもない低レベルで作業するんだって、現場監督の方が経験談を語ってた。
移染作業でも、指示者と作業員が乖離してるし、そもそも建設の現場からしてそうだってんだから、あの殺人機械ってのはとことん性質の悪い厄介もんだ。

一つの暴力の権現にたいな存在だから、暴力団体よろしく巨額を動かしやがりますから、どうしても麻薬同様の中毒者が出現しちまう。いわゆる既得権益、利権って麻薬だ。移染にしても、原発ってやつにしても、その中毒症状から、この国の人間は解脱できない、したくないってんなら、残念ながら滅びが待つだけだ、我々は。

自分だけは得したい、他人を押しのけても、というのが大陸型の強欲だが、この国は、自分だけは損したくない、という強欲の国民性だ。だから、みな一斉に止める以外には世の中が変わりようがない。ほんの一部の人間は、自分が持っているものを失っても、子孫のため、他者のためならいいと考えるが、またそんな人々をあざ笑うから始末が悪い。せめて干渉しないでおればいいが、どっか己の内面で後ろめたいのは自覚があるせいだろう、揶揄し、罵詈雑言を浴びせずには落ち着いていられない(というのが工作員の適正というか、性分ということか)。

これだけゆがんだ国民が多数となれば、全ての人間は自滅以外の方向性しか持てない、これは真に悲劇だ。


13. 2013年1月15日 23:28:52 : MpRTrXYSR2
蕎麦屋のトイレではじめて相田みつおの色紙を見たとき、
「づ」にゴミがついていて「が」に見えた。

「つまがいたっていいじゃないか にんげんだもの…」
なかなか粋なことをいう人だなと思ったが、
その後、本物を知って気持悪くなった。

この蕎麦屋の主人はみつおのファンらしく、店内所狭しと彼の言葉が並んでいて、蕎麦を食いながら説教されている気分になるので、この店に行くのをやめた。
蕎麦は旨かったのに残念だ…。

相田みつおと金子みすずは反吐が出る。


14. 2013年1月16日 00:23:37 : 90iotVfajo
人間がけだものより倫理的に優れているということはない。

人間は人間同士殺しあう。それも組織的に大量に。ほかにそんなにばかなことをする種はない。

ナニに関しても普通の動物は普通発情期以外は発情しない。生殖に適した時だけ発情する。人間は男も女も年がら年中発情している。(これには人間の生長期間がやたらと長いということに適応したもの)

まるでけだもののようにという表現は大笑いである。


15. 2013年1月16日 05:06:06 : KZWsL1KpwQ
『流石は<平成の和泉式部・室井佑月様>、事態の本質をやんわりシャープに提示していますねぇ。』

<相田みつを氏>の色紙の言の端を比喩として持ち出すなんざぁ、お見事!としか言いようがない。
そもそも<相田みつを氏>は詩人でも書道家でも思想家でも無い、単なる<レタリング作家=書道の丸文字作家>でしかない…と私は思っている。
<相田みつを氏>の言の端は、言ってみれば、大昔の<武者小路実篤氏>の「仲良きことは美しき哉」「君は君 我は我なり されど仲良き」なーんて、訳のわかんない、体制温存・予定調和・ガス抜き文言と似たようなモノに過ぎないのである。

とは言え、<相田みつを氏>自身がそうした政治的な意図をもって活動していたかって問われれば、そうではないでしょう?と言わざるを得ない。
恐らく、<相田氏>は元来が‘僧侶=仏教家’であると思われるから、その道に沿って行動・表現したのであろう。が、それが<自己保身・既得権益族=広告媒体>の餌食になってしまったってことさ。

だから、<13~MpRTrXYSR2 様>が『相田みつをと金子みすずは反吐が出る。』と仰る根源は、芸術的創作者が“権力構造&広告媒体”に“身を売る”ことに対する「嫌悪感」にあるって私は思う。
創作者ご本人も版権継承者も、銭金の問題はさて置いて、よーく熟慮した方が今後の御身のためでっせ?


16. 2013年1月16日 07:26:35 : EYHTwT0u8w
私は震災直後の怒涛のような『ぽぽぽぽーん』もキライです。
でもうちの両親はほとんど民放を見ないので、震災後しばらくはずっとテレビをつけていたらしいのに『ぽぽぽぽーん』を知らないらしい。

事件後の周辺取材で犯人について、道で会ったら必ず挨拶してくれるいい人なのに、みたいな。
暴力教師は学校内外で挨拶しないのかな?殴られてもいいんだな?って許可とってる。ぽぽぽぽーん

一生かけたって使い切れないほど蓄財してもいいじゃないか、にんげんだもの。
そのためにどんな手使ってもいいじゃないか、にんげんだもの?












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