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「イスラムテロ」という幻想の敵

「晴耕雨読」から転載。

マリ・アルジェリア問題については無知なので、その学習テキストとしては恰好の文章かと思う。途中まで筆者の立ち位置や視点がはっきりしない観があるが、全体的には理性的かつ不偏不党の立ち位置のようなので、ある程度信頼していいかと思う。

「ある程度」、というのは当然の話であり、私は「ビッグバン宇宙生成論」や「進化論」さえあまり信じていない人間だし、大好きなドストエフスキーだって、そのキリスト信仰はまったくの直覚的理解であり、合理性とは無縁だとして、眉に唾をつけている。(ドストエフスキーの信仰を信じないのではなく、ドストエフスキーへの渇仰は彼の信仰した対象をそのまま信じることには結びつかない、ということである。もっとも、キリストは大好きだし、彼がこの世にかつて存在したこと自体が一種の奇跡だとは思う。だが、世界創造神としてのエホバは、私は信じない。つまり、A→B→Cという信用連鎖・信頼連鎖は私の場合自動的には起こらないということだ。あるいはそれは私の根本的欠陥かもしれないのだが。)

引用した記事にしても、全面的に信じたら、それは信仰である。書いた方にもそれは迷惑だろう。
ということで、下記記事とはまったく無関係な前説になったが、それは毎度のことだ。
とりあえず、こうした記事や論説を読んで、少しづつでも情報を確かにしていけばそれでいいと思う。

特に注意しておきたいが、後半部の「イスラム教徒憎悪世論の醸成」は、『文明の衝突』が出版されたころからマスコミに浮上し、それが「9.11事件」で怒涛のように世界中に溢れたことから、これは冷戦終了後の新たな世界戦略として採用されたものだと分かるのである。
つまり、「テロ(架空のイスラムテロ)との戦い」によって先進国の軍産複合体を維持し、テロ撲滅名目の戦争によって消費を加速し、無駄な貧民を削減し、貧民のための福祉費用も削減し、国民の不満や疑問を「戦時体制」によって圧殺する、という方針が先進国間の合意になったということである。それはもちろん、政府を背後から操り、支配する世界金融界・産業界の意思であるわけだ。




(以下引用)




2013/1/21


「内藤正典・同志社大学大学院教授によるアルジェリア人質事件の背景解説」  憲法・軍備・安全保障

http://togetter.com/li/441998

日本では、90年代の常軌を逸したアルジェリアでの内戦について正確に知っている人はほとんどいないから、マスコミがアルジェリアについて論評するのを聞いていると、ひどく紋切型で「知らないんだろうな」という印象を受ける。

アルジェリアは「イスラム過激派のテロと戦ってきましたから武装勢力を許さない」という解説を耳にするが、そういう表現をすると、アルジェリアが親米だったかのように聞こえることだろう。

とんでもなくずれているが。




中東・イスラーム世界の出来事を断片的にみていると、こういう出鱈目な解説を流しやすい各国首脳の発言をみると、安倍首相のが最も平和的に見えるのは皮肉なことだ。

しかし、日本はなぜ救援機を飛ばさない?

解放された人たちや負傷された人たちを迎えるためにこれまで何度も中東で日本人が取り残される事件が起きたが、その度に日本政府は救援機を飛ばさなかった。

80年代のイラン・イラク戦争の時には、テヘランで取り残された邦人救出に日本の民間機は飛ばずトルコ航空が救出した。

国民国家なら邦人救出は国家の責務。

一連の事件、仏軍マリ侵攻からアルジェリア人質事件に関する米国、英国、仏国などの報道をみていると、次第にアルカイダがアフリカに猛威を振るいつつあるから、力で掃討するのは正当だという方向に収斂しつつある。

だが、これはアフガニスタンにアメリカとその同盟国が侵攻したときに怒涛のような勢いで流布された反イスラム宣伝とよく似ている。

当時も、アルカイダがテロを起こしタリバンは彼らをかくまっているから同様にテロリストであるという理屈でアフガニスタンは攻撃された。

アルジェリアの犯行グループをテロリストとするのは妥当としても、マリのイスラム勢力ごと叩き潰すことの正当性がどこにあるのか?

フランスは、マリへの軍事介入を正当化するために、介入後に起きた人質事件を引き合いに出している。

我々の介入は正当化されたとオランド大統領

アフガニスタンのときもそうだったが、マリについてもイスラム勢力の支配がいかに残虐かという記事がフランスのメディアのみならず日本のメディアにも並んでいる。

窃盗容疑で手首を切断されたマリ人、朝日朝刊。

事実なら報道するのはいい。

だが、住民の支持がないとイスラム勢力の統治が広まるはずはない。

人々がなぜイスラム勢力を支持したのかー欧米や日本のメディアは報じない。

イスラムを名乗る勢力を殲滅することは西欧的価値の優位を維持するために許されるというなら、世界は再び9.11の悲劇を繰り返すことになる

犠牲者の少ないことを祈るのみ。

日本人であろうと、なかろうと

2011年に始まった中東での民主化運動、チュニジアやエジプト、リビアで激しかったが、アルジェリアには波及しなかった。

2012年にはアルジェリアで総選挙があったが、1960年代からずっと与党の座にあるFLN(国家救済戦線)が勝利。

その時も、どうしてアルジェリアでは「アラブの春」が起きないのかと、ずいぶん議論になった。

結論的に言えば、

1.90年代の内戦があまりに凄惨な殺し合いであり、その鮮烈な記憶が残る人びとは体制変革が再び殺戮をもたらすと危惧した、

2.石油とガスの収入を公務員や中流層に還元したいわば一方で「飴」を与え、他方で、「恐怖の記憶」を操ることで、ブーテフリカの政権は、隣国での市民運動のうねりを抑え込むことに成功した。

この無言の弾圧は、当初、シリアのアサド政権も同じことを考えていたはずである。

しかし、シリアの市民は、南部のダラアという町で起きた治安機関による子どもの殺害に憤りの声をあげ、それが燎原の火のごとく広がって、今日の惨状に至った。

アルジェリア政府にしてみれば、今回のオペレーションを国際世論が称賛してくれると期待していることだろう。

90年代の泥沼の内戦を制したこと自体、政権にとっては、「イスラム過激派テロ組織」の芽を早くも90年代初頭に摘み取った功績だった。

9/11が起きた2001年より前にアルジェリアはすべて知っていたのだと。

イスラム主義者の台頭はテロをよぶと。

しかし、論理的にも、事実の点からも、これは誤りである。

冷戦の崩壊で、ソ連のタガが外れたアルジェリアでも、複数政党制への移行を可能にする選挙をした。

90年代のはじめ、地方選挙に続いて総選挙を実施したら、イスラム主義者のFIS(イスラム救済戦線)が勝利した。

それをFLN(国家救済戦線)が軍の力を頼りに潰した。

フランスは暗黙のゴーサインを与えた。

国際社会は、この理不尽な弾圧を非難しなかった。

その結果が、悲惨な内戦となったのである。

イスラム主義者の側も、政治闘争では軍に勝てないから、地下に潜伏して激しい武装闘争を展開した。

市民を標的にする殺し合いが、軍部、過激化したイスラム武装勢力の双方によって続いた。

FLNの政権は、治安に絶対的な力をもつ軍にあやつられてきた。

その結果としてのアルジェリア政府と、その軍が、今回の人質事件の当事者なのである。

武装勢力に対して、どう対処するか、それは事件が起きたときから明白だった。

この種の事件について、私には、フランス政府が知らなかったとは思えない。

英国のキャメロン首相が「事前に情報がなかった」と不快感を示したことも、もちろん額面通りに受け取れない(英と仏はともに中東・アフリカを分割してきた植民地統治の主役である)が、英国が知らなくても、フランスは知っていなければいけないのである。

それでこそ、植民地支配を恬として恥じない大国の面目躍如である。

かつて、こういう明確な政治的意図をもって政権を攻撃する勢力は、「反政府ゲリラ」とよばれてきた。

いまや、だれもゲリラと呼ばず、「テロリスト」と呼ぶ。

違和感がある。

ある人物や集団が「テロリスト」と規定されたら最後、誰も、それに逆らうことはできないかのように殲滅される。

テロリストを殲滅するのは一向にかまわないが、問題は、彼らが本当にテロリストなのかどうか、である。

むろん、ガス田で人質となった人たちにとって、彼らがテロリストであったことに疑いの余地はない。

しかし、そのことと、テロリストを育てたのがアルジェリア政権と軍部の残虐な対応だったこととは無関係ではない。

90年代以来、政権と軍が、イスラムを掲げて世直しを計ったFISを、市民の支持によって選ばれたFIS(イスラム救済戦線)を、残酷に力で壊滅させなければ、マグレブのアル・カイダをはじめ、さまざまな名前が取りざたされる「テロ組織」は、アルジェリアでは活動できなかったのである。

イスラム主義というのは、イスラムに従って世直しをして、イスラムに基づく統治をしようとする政治運動である。

市民の多数がそれを望むなら、そうなるだけのことである。

何か、とてつもなく邪悪な政治思想であるかのように思われるのは、アメリカやフランスなどの欧米諸国にとって、都合の悪いからにすぎない。

国家としての米国や仏にとってだけではない。

すでに信仰を捨ててしまった世俗主義者にとっても、神と共に生きるムスリムは、はなはだ目障りな存在なのである。

それはそうだろう。

欧米では、「神」など居場所を失っている。

人間は、なんでも「理性」に従って行動するのがよいとされる。

他方、ムスリム(イスラム教徒)は、決して「神の下した規範」を乗り越えることはできない。

むろん、「戒律」を破るムスリムならいくらでもいる。

しかし、そのことを、どうとらえるかは信徒にゆだねられている。

そして、彼らは、やはりどこかで、「神の示した正しい道」へと回帰していく。

1980年代以降のイスラム復興の潮流というものは、西欧の真似をしてつくった国家の中で生きるイスラム教徒の「生きにくさ」を反映したものだったのである。

「信仰を捨てて欧米の民主主義国家のようになれば可愛がってやろうじゃないか」アメリカもフランスも、実に自分勝手に、ムスリムの諸国家に、そう言い続けてきた。

ムスリムの国でも、アメリカ風になったり、フランス風になった人は数多い。

だが、やっぱり、それは違うんじゃないか、と思う人が増えたその帰結を、今、私たちはエジプトやチュニジアでのイスラム政党の伸長のなかに見ている。

西欧風の国家をつくることにかけては先端を行ってきたトルコでさえ、いまや、「西欧思想に追いつかなければ進歩にならないんだ」という西欧追随をやめてしまった。

だが、こういう現象は、ムスリム諸国が自分で選択したとは限らない。

いいようにアメリカに利用され、いいようにフランスに支配され、いいようにEUにあしらわれたことによって、中東諸国の人々は、少しずつ、ムスリムとしての自覚を新たにしたのである。



(後略)










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