私は、70歳を過ぎてから、財産も地位も、後継者も世間の評価も持たない自分の人生についてふりかえり、せめて生きた証として、自分の人生で感じたことを記録に残しておこうと思ってブログを書き続けている。
それは民俗学にとって貴重な文献となっている、江戸期尾張藩の朝日文左衛門による「鸚鵡籠中記」に刺激を受けていたからだ。
文左衛門と同じように、なるべくウソをついて自分を飾ろうとしないように、なるべく役に立つ真実を書き残そうと思ってきた。
大雑把なところで、私はたぶんウソを書いていない。見栄も張っていない。ただし、認知症に準ずる老人性劣化による間違いは、たくさんあるかもしれない。
私は、若いころ民俗学に傾倒していて、柳田国男や宮本常一を読み漁って、自分でも、登山のついでに地方に出かけて民俗調査を試し見たりしていた。
よく行ったのは、徳山ダムの底に沈んでしまった徳山村だ。1970年代、まだこの村は生きていた。
能郷白山の登山ついでに、個人的な志によって、地元で、いろいろな話を聞いて回ったものだ。
この村の調査は、当時、資本主義や近代合理化のために地方が、どのように破壊されてゆくのか? 平安時代から続く集落の伝統が、どのような倫理観をもたらすのか? について、とてつもなく深い知見を私に与えてくれた。
「人間そのものを学ぶことができた」と、今でも私は徳山村に感謝している。
徳山村で私が見たものは、老人が若者に虐げられる苛酷な姿だった。
無垢で汚されない山奥の集落に、ダム建設という巨大な利権がやってきた結果、ある種の人々が、強欲に支配された餓鬼のように変質して、節度や倫理が失われてゆく残酷で残念な姿だった。
同じものを、私は、三重県紀勢町の芦浜原発反対運動のなかでも見た。
そして、老人が、孫娘に手を出して、妊娠させるような事例を知った。だが、それは徳山では特別なことではなく、ありふれたものだった。
さらに、都会に出ていたが、故郷に移住して飲食店を開業している女性に対し、若者たちが夜な夜な訪れて「やらせろ」と迫る女性の嘆きを聞いた。
後家は、未婚若者たちのセックス処理をするのが当然と思われていたのだ。
徳山は、ダム建設計画が登場するまで、「夜這い」習慣が普通に残っていて、無礼講などが盛んにおこなわれ、フリーセックスのような集落が多く、老人たちの実父を特定するのは困難であり、そのことが、老人への封建的な価値観、一家の長としての儒教的な尊厳を希薄にしていたように思う。
生まれた子供は、家の子というより「集落の子」というのが、弥生人末裔の夜這い集落の価値観である。
この結果、老人の地位は高いとはいえず、また認知症老人も多かったように思う。しかし、もしもダム建設の凄まじい金銭投入がなく、昔ながらの貧しい生活が保たれていたなら、老人たちが認知症になったり、孫娘に手を出したりというような事例は少なかったのではないかと思った。
貧しい生活は、老人の経験と知恵を必要とし、その地位を高く保つ理由になるからだ。
今回は、自分が老人になってわかったことを少しだけ伝えたい。
私は、幸いなことに徳山の老人のような家族からの迫害は受けていないが、代わりに誰とも対話さえできない孤独がある。どちらが不幸なのかはわからない。
私が、自分の老化を自覚するようになったのは、たぶん50歳代になってからのような気がする。
老化現象は、気づかないうちに、じわじわと忍び寄ってくる。
最初は、40歳ころ、膝痛風を発症し、歩けなくなり、厳冬期アルプスの単独大縦走をするほどだった私が、近郊の低山を歩くことさえ困難になってしまった。
体力が衰えるとともに、歩くことで体液の循環が図られ、脳に好影響をもたらしてきたのだが、だんだん歩くのが億劫になった。歩かずに循環が弱まれば、当然、脳に悪影響がある。
50歳ころになると、文章を書いていても単語が瞬時に浮かばなくなった。連鎖記憶法を用いて、あれこれ思い浮かべないと、目的の単語にたどり着けなくなった。
その記憶劣化は年々ひどくなり、70歳を過ぎた今では、取り扱いの少ない単語を瞬時に思い出すことは不可能になってしまった。
だから、ワープロが欠かせない。
父が、死ぬ前はアルツハイマーの傾向があったので、遺伝的に自分もそうなるのだと覚悟した。
何せ、物忘れが著しくなった。スマホやキーを、どこに置いたのか? 置いた直後からわからなくなってしまうのだ。
自分で置いたはずの場所がわからず、いつでも探し回らなければならなくなった。何もかも思い出せなくなり、車に乗っていても、今現在、自分がどこにいるのか、ふっと分からなくなる瞬間があった。
自分の生活に直接関係しないカレンダーの日付とか、さまざまな事象に関心が薄くなる。すると、そのことに関心を持てなくなり、今日が何曜日なのか、分からなくなってしまう。
「このままでは徘徊老人になる日も近い」
私の場合は家族がいなくて一人暮らし、この年では、今後、自分を支えてくれるような異性と出会うのも不可能というわけで、大きな危機感を抱いた。
父が徘徊して、家に帰れなくなり、みんなで探し回った日のことが思い出された。
自分の現在が、ふと空白になり、自分が何者であるのか、どこにいるのかさえ、見失ってしまう。それは人生最大級のホラーなのだ。
若い人に言っておきたいが、この老化問題、認知症問題から逃れられる人は、人として生まれた以上、一人もいない。
若いころに、どんなに認識力を高めても、老化の力には勝てず、誰でも必ずボケるのだ。だから、若い人たちは、数十年後に自分がボケる日を想定して、さまざまな計画を建てる必要がある。
私でも、40歳のころ、ワープロが普及していて、当時のタイピングスピードは、たぶんだが毎分150字前後はあったと思う。周囲の人は、目にも止まらずにタイプする私に驚愕し、私はナルシズムを感じていた。
今は、毎分50字くらいだろうか? タイピングスピードは決して遅くないが、とにかくミスが多く、狙ったキーを打てないのだ。だから入力50なら、修整も50以上というわけだ。
「ミスが多い」、これが私が老人となった最悪の属性だ。理由は単純、視力が落ちたからだ。いわゆる「老人性遠視」というやつで、こうやってブログをタイピングしていても、表示が100%だと見えないので、150%にしている。
それでも、書いていて目が疲れて読めなくなる。
だから、私のブログは、誤字脱字だらけで、それを指摘していただいた方も呆れて指摘をやめてしまった。
今では、書き込んでから数回読み直して、やっと誤字脱字に気づくことが多く、それでも気づけないままも多い。
視力が衰えることで、鮮明に見えないものから、自分の心が離れてゆく。それは認知症の第一歩なのである。ミスが多いと、それを直そうとするより、関心が薄れてゆくことで、自分をごまかそうとするのだ。
私の世代は、トラボルタのサタデーミッドナイトフィーバーに触発されて、名古屋のジュリアナに通って踊り狂っていた女性たちが多いはずなのだが、その大胆露骨だった彼女たちも、いま70歳代半ば。
まさか、今でも全裸に近い、あの衣装を身に着けている人はいないだろうが…。
みんな老眼鏡をかけて、登美ヶ丘高校女子のジュリアナ再現ダンスに歓喜し、感涙を流しながら、久しぶりにビージーズの曲をかけながら踊ってみても、急性腰痛で歩けなくなったりするのだろうか?
まあ、認知症予防にダンスは強い効果があると思うので、ぜひ取り組んでほしい。
若者たちよ、君も必ず老化する。ごくまれに、柔軟性と機敏さを維持した老人もいないわけではないが、それでも老眼から逃れるのは無理だ。
若いころは、休みさえあれば日帰りで雪のアルプスに登り、沢を登っていた私だが、今や、部屋のなかで体を移動させるだけでも、「ヨッコイショ」と掛け声をかけ、立ち上がる気迫を準備しないとできないのだ。
私の場合は、肺線維症のために、庭のバケツを移動したり、しゃがんだりするだけで激しい息切れが起きて、布団干しさえまともにできない。トイレに行って布団に入っても、息切れが消えるのに時間がかかる。だから自宅はゴミ屋敷そのものだ。きれいにしたくとも、体が言うことをきかない。
私は認知症になることを恐怖し、相当な苦痛ではあるが、ほぼ毎日5000~8000歩、4~5Kmくらいの山道を歩いている。これで呼吸トレーニングをしないと、すぐに呼吸力が衰えて苦しくなるからで、夜、横になると、息切れが起きて寝られなくなってしまうのだ。
私の毎日は、2014年に間質性肺炎を発症してから、息切れとともに歩むことになってしまった。
もう自分の終末が目の前に迫っていることを思い知らされているので、考えることは、人生の後悔と、死後の始末だけだ。
自分の息切れ人生は、どんなカルマから生まれているのだろう?
必ず、私の人生か前世における瑕疵からきているのだろう。
前世で、私は誰かを水責め拷問にでも遭わせたのだろうか?
私は70歳を過ぎてから、自分の死と対峙しながら、釈迦の「因果応報」を思い知らされることになった。
人生のカルマは、小さな糸くずのようなカルマでさえ、容赦なく完全無欠につけ払いを迫られる。
生きているうちにカルマを返せなければ、次の人生に持ち越される。
私の人生で行った、あらゆる悪業が私を苦しめ続けている。もちろん、このカルマは自分自身で生成したものなのだが…。
カルマというのは、それに気づいた瞬間に生成されるもので、人生の終わりが近づいてくると、誰でも、自分の人生の総括を迫られる。
一人暮らしの場合は、ほかに考えることがないので、次から次へと幼いころからの自分の悪業が心に押し寄せて、立ちふさがる。
なんという愚かな人生だったのかと、後悔しか浮かばない。
とてもじゃないが、カルマを還しきれないので、結局、次の人生にも持ち越すしかないのだと覚悟させられる。
これが、一人暮らしの老人の終末に起きることだ。
だから、若い人は、人生で、自分のやったことは小さなゴミの一片の投げ捨てでさえ、自分で片づけなければならないことを知ってほしい。
それから、もう少し具体的に老化現象で気づいたことを書いておこう。
まず、視力が衰え、視野が狭くなる。目の前に母子が散歩していても見えなかったことがあり、私はショックを受けた。
私は大型二種免許で長い運転歴があって経験豊富なはずなのに、目の前の母子に恐怖を与えてしまったことに、大きな精神的ダメージを受けた。
気づかないうちに、どんどん能力が衰えてゆく。見えていたものが見えなくなってゆく。対処できていたものが、対処できなくなる。
やるべきことが、やれなくなってしまう。
泥棒に遭って、犯人が分かっていても摘発できない。気づけば、監視カメラの電池を入れ忘れたたり、管理が不十分で雨濡れで壊してしまっていたり。
なんて、自分はバカなんだ、アホなんだと無力な自分を責めるだけの毎日なのだ。
これが人生に対する緊張と感受性の低下する「老化」というものだ。
それは民俗学にとって貴重な文献となっている、江戸期尾張藩の朝日文左衛門による「鸚鵡籠中記」に刺激を受けていたからだ。
文左衛門と同じように、なるべくウソをついて自分を飾ろうとしないように、なるべく役に立つ真実を書き残そうと思ってきた。
大雑把なところで、私はたぶんウソを書いていない。見栄も張っていない。ただし、認知症に準ずる老人性劣化による間違いは、たくさんあるかもしれない。
私は、若いころ民俗学に傾倒していて、柳田国男や宮本常一を読み漁って、自分でも、登山のついでに地方に出かけて民俗調査を試し見たりしていた。
よく行ったのは、徳山ダムの底に沈んでしまった徳山村だ。1970年代、まだこの村は生きていた。
能郷白山の登山ついでに、個人的な志によって、地元で、いろいろな話を聞いて回ったものだ。
この村の調査は、当時、資本主義や近代合理化のために地方が、どのように破壊されてゆくのか? 平安時代から続く集落の伝統が、どのような倫理観をもたらすのか? について、とてつもなく深い知見を私に与えてくれた。
「人間そのものを学ぶことができた」と、今でも私は徳山村に感謝している。
徳山村で私が見たものは、老人が若者に虐げられる苛酷な姿だった。
無垢で汚されない山奥の集落に、ダム建設という巨大な利権がやってきた結果、ある種の人々が、強欲に支配された餓鬼のように変質して、節度や倫理が失われてゆく残酷で残念な姿だった。
同じものを、私は、三重県紀勢町の芦浜原発反対運動のなかでも見た。
そして、老人が、孫娘に手を出して、妊娠させるような事例を知った。だが、それは徳山では特別なことではなく、ありふれたものだった。
さらに、都会に出ていたが、故郷に移住して飲食店を開業している女性に対し、若者たちが夜な夜な訪れて「やらせろ」と迫る女性の嘆きを聞いた。
後家は、未婚若者たちのセックス処理をするのが当然と思われていたのだ。
徳山は、ダム建設計画が登場するまで、「夜這い」習慣が普通に残っていて、無礼講などが盛んにおこなわれ、フリーセックスのような集落が多く、老人たちの実父を特定するのは困難であり、そのことが、老人への封建的な価値観、一家の長としての儒教的な尊厳を希薄にしていたように思う。
生まれた子供は、家の子というより「集落の子」というのが、弥生人末裔の夜這い集落の価値観である。
この結果、老人の地位は高いとはいえず、また認知症老人も多かったように思う。しかし、もしもダム建設の凄まじい金銭投入がなく、昔ながらの貧しい生活が保たれていたなら、老人たちが認知症になったり、孫娘に手を出したりというような事例は少なかったのではないかと思った。
貧しい生活は、老人の経験と知恵を必要とし、その地位を高く保つ理由になるからだ。
今回は、自分が老人になってわかったことを少しだけ伝えたい。
私は、幸いなことに徳山の老人のような家族からの迫害は受けていないが、代わりに誰とも対話さえできない孤独がある。どちらが不幸なのかはわからない。
私が、自分の老化を自覚するようになったのは、たぶん50歳代になってからのような気がする。
老化現象は、気づかないうちに、じわじわと忍び寄ってくる。
最初は、40歳ころ、膝痛風を発症し、歩けなくなり、厳冬期アルプスの単独大縦走をするほどだった私が、近郊の低山を歩くことさえ困難になってしまった。
体力が衰えるとともに、歩くことで体液の循環が図られ、脳に好影響をもたらしてきたのだが、だんだん歩くのが億劫になった。歩かずに循環が弱まれば、当然、脳に悪影響がある。
50歳ころになると、文章を書いていても単語が瞬時に浮かばなくなった。連鎖記憶法を用いて、あれこれ思い浮かべないと、目的の単語にたどり着けなくなった。
その記憶劣化は年々ひどくなり、70歳を過ぎた今では、取り扱いの少ない単語を瞬時に思い出すことは不可能になってしまった。
だから、ワープロが欠かせない。
父が、死ぬ前はアルツハイマーの傾向があったので、遺伝的に自分もそうなるのだと覚悟した。
何せ、物忘れが著しくなった。スマホやキーを、どこに置いたのか? 置いた直後からわからなくなってしまうのだ。
自分で置いたはずの場所がわからず、いつでも探し回らなければならなくなった。何もかも思い出せなくなり、車に乗っていても、今現在、自分がどこにいるのか、ふっと分からなくなる瞬間があった。
自分の生活に直接関係しないカレンダーの日付とか、さまざまな事象に関心が薄くなる。すると、そのことに関心を持てなくなり、今日が何曜日なのか、分からなくなってしまう。
「このままでは徘徊老人になる日も近い」
私の場合は家族がいなくて一人暮らし、この年では、今後、自分を支えてくれるような異性と出会うのも不可能というわけで、大きな危機感を抱いた。
父が徘徊して、家に帰れなくなり、みんなで探し回った日のことが思い出された。
自分の現在が、ふと空白になり、自分が何者であるのか、どこにいるのかさえ、見失ってしまう。それは人生最大級のホラーなのだ。
若い人に言っておきたいが、この老化問題、認知症問題から逃れられる人は、人として生まれた以上、一人もいない。
若いころに、どんなに認識力を高めても、老化の力には勝てず、誰でも必ずボケるのだ。だから、若い人たちは、数十年後に自分がボケる日を想定して、さまざまな計画を建てる必要がある。
私でも、40歳のころ、ワープロが普及していて、当時のタイピングスピードは、たぶんだが毎分150字前後はあったと思う。周囲の人は、目にも止まらずにタイプする私に驚愕し、私はナルシズムを感じていた。
今は、毎分50字くらいだろうか? タイピングスピードは決して遅くないが、とにかくミスが多く、狙ったキーを打てないのだ。だから入力50なら、修整も50以上というわけだ。
「ミスが多い」、これが私が老人となった最悪の属性だ。理由は単純、視力が落ちたからだ。いわゆる「老人性遠視」というやつで、こうやってブログをタイピングしていても、表示が100%だと見えないので、150%にしている。
それでも、書いていて目が疲れて読めなくなる。
だから、私のブログは、誤字脱字だらけで、それを指摘していただいた方も呆れて指摘をやめてしまった。
今では、書き込んでから数回読み直して、やっと誤字脱字に気づくことが多く、それでも気づけないままも多い。
視力が衰えることで、鮮明に見えないものから、自分の心が離れてゆく。それは認知症の第一歩なのである。ミスが多いと、それを直そうとするより、関心が薄れてゆくことで、自分をごまかそうとするのだ。
私の世代は、トラボルタのサタデーミッドナイトフィーバーに触発されて、名古屋のジュリアナに通って踊り狂っていた女性たちが多いはずなのだが、その大胆露骨だった彼女たちも、いま70歳代半ば。
まさか、今でも全裸に近い、あの衣装を身に着けている人はいないだろうが…。
みんな老眼鏡をかけて、登美ヶ丘高校女子のジュリアナ再現ダンスに歓喜し、感涙を流しながら、久しぶりにビージーズの曲をかけながら踊ってみても、急性腰痛で歩けなくなったりするのだろうか?
まあ、認知症予防にダンスは強い効果があると思うので、ぜひ取り組んでほしい。
若者たちよ、君も必ず老化する。ごくまれに、柔軟性と機敏さを維持した老人もいないわけではないが、それでも老眼から逃れるのは無理だ。
若いころは、休みさえあれば日帰りで雪のアルプスに登り、沢を登っていた私だが、今や、部屋のなかで体を移動させるだけでも、「ヨッコイショ」と掛け声をかけ、立ち上がる気迫を準備しないとできないのだ。
私の場合は、肺線維症のために、庭のバケツを移動したり、しゃがんだりするだけで激しい息切れが起きて、布団干しさえまともにできない。トイレに行って布団に入っても、息切れが消えるのに時間がかかる。だから自宅はゴミ屋敷そのものだ。きれいにしたくとも、体が言うことをきかない。
私は認知症になることを恐怖し、相当な苦痛ではあるが、ほぼ毎日5000~8000歩、4~5Kmくらいの山道を歩いている。これで呼吸トレーニングをしないと、すぐに呼吸力が衰えて苦しくなるからで、夜、横になると、息切れが起きて寝られなくなってしまうのだ。
私の毎日は、2014年に間質性肺炎を発症してから、息切れとともに歩むことになってしまった。
もう自分の終末が目の前に迫っていることを思い知らされているので、考えることは、人生の後悔と、死後の始末だけだ。
自分の息切れ人生は、どんなカルマから生まれているのだろう?
必ず、私の人生か前世における瑕疵からきているのだろう。
前世で、私は誰かを水責め拷問にでも遭わせたのだろうか?
私は70歳を過ぎてから、自分の死と対峙しながら、釈迦の「因果応報」を思い知らされることになった。
人生のカルマは、小さな糸くずのようなカルマでさえ、容赦なく完全無欠につけ払いを迫られる。
生きているうちにカルマを返せなければ、次の人生に持ち越される。
私の人生で行った、あらゆる悪業が私を苦しめ続けている。もちろん、このカルマは自分自身で生成したものなのだが…。
カルマというのは、それに気づいた瞬間に生成されるもので、人生の終わりが近づいてくると、誰でも、自分の人生の総括を迫られる。
一人暮らしの場合は、ほかに考えることがないので、次から次へと幼いころからの自分の悪業が心に押し寄せて、立ちふさがる。
なんという愚かな人生だったのかと、後悔しか浮かばない。
とてもじゃないが、カルマを還しきれないので、結局、次の人生にも持ち越すしかないのだと覚悟させられる。
これが、一人暮らしの老人の終末に起きることだ。
だから、若い人は、人生で、自分のやったことは小さなゴミの一片の投げ捨てでさえ、自分で片づけなければならないことを知ってほしい。
それから、もう少し具体的に老化現象で気づいたことを書いておこう。
まず、視力が衰え、視野が狭くなる。目の前に母子が散歩していても見えなかったことがあり、私はショックを受けた。
私は大型二種免許で長い運転歴があって経験豊富なはずなのに、目の前の母子に恐怖を与えてしまったことに、大きな精神的ダメージを受けた。
気づかないうちに、どんどん能力が衰えてゆく。見えていたものが見えなくなってゆく。対処できていたものが、対処できなくなる。
やるべきことが、やれなくなってしまう。
泥棒に遭って、犯人が分かっていても摘発できない。気づけば、監視カメラの電池を入れ忘れたたり、管理が不十分で雨濡れで壊してしまっていたり。
なんて、自分はバカなんだ、アホなんだと無力な自分を責めるだけの毎日なのだ。
これが人生に対する緊張と感受性の低下する「老化」というものだ。