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川内原発爆発に比べれば煙は薄し桜島山

おい、川内原発が大丈夫だと言っている連中、大丈夫じゃなかったら、責任取るんだろうな。
全員、死刑だよ。



(以下引用)



桜島が爆発的噴火…噴煙11か月ぶりに4千m超


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鹿児島市・桜島(1117メートル)の昭和火口で1日午後3時36分頃、爆発的噴火が起き、噴煙の高さは火口から約4100メートルに達した。


噴煙が4000メートルを超えたのは、昨年5月21日以来約11か月ぶり。鹿児島地方気象台によると、噴石が5合目付近(火口から500~800メートル)まで飛散した。桜島での爆発的噴火は今年43回目。






















(夢人追記)「逝きし世の面影」の、約半月前の記事である。

羊たちの沈黙  最初の14日熊本県地震は1580ガル、川内原発の耐震基準は1/3の620ガル

2016年04月16日 | 放射能と情報操作
『熊本地震の本震、最大加速度が阪神大震災の2倍』2016年04月16日 読売新聞

14日夜の熊本地震の本震の揺れは、震度7を観測した熊本県益城ましき町で最大加速度1580ガル、最大速度92カインをそれぞれ記録、加速度は1995年の阪神大震災の891ガルを大きく上回ったことが防災科学技術研究所(茨城県つくば市)の地震波の解析でわかった。
加速度と速度はともに、地震の揺れの大きさを示す指標で、両方がそろって大きいほど地震の破壊力が強いとされる。加速度は速度の変化率で、地震のインパクトの強さを知る手がかりとなる。速度は自動車などのスピードと同じ単位で、建物の被害の程度と関係が深い。今回の揺れは両方とも大きく、家屋の倒壊などの被害拡大につながった可能性が高い。
阪神大震災の揺れは891ガルと112カイン、2004年の新潟県中越地震は1722ガルと148カインだった。
今回の熊本地震の最大加速度は、阪神大震災の約2倍で、新潟県中越地震より少し小さかった
2016年04月16日 読売新聞

『巨大地震が連続する中でも「異常なし」と川内原発を稼働する九州電力』


原子力規制委員会の新基準に対する、平成26年4月30日、九州電力作成の『川内原子力発電所1,2号機の新基準への適合性確認のための許可申請に係る補正書の提出について』は4月14日に起きた熊本地震の3分の1の620ガルしか想定していない。
14日夜の直下型のマグニチュード6.5の熊本地震の揺れは熊本県益城ましき町では震度7を観測したが、営業運転中の鹿児島県の川内原発は震度が低かったとして稼働を続けている。
15日には少し小さいマグニチュード6.4、震度6弱の余震が起きたが、16日未明にはマグニチュード7.3の最大の地震が発生する。
マグニチュード7.3という地震の規模は、21年前の阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震と同じ規模の大地震。14日の熊本地震のマグニチュードは6.5(最大加速度1580ガル)で、今回の地震は地震のエネルギーに換算すると熊本地震のおよそ16倍。
現在はまだ16日未明のマグニチュード7.3の熊本地震の最大加速度の発表が行われていないが、14日の1580ガルと同程度か大きく超えることが予想されている。
気象庁記者会見(4月16日午前10時 青木元地震津波監視課長)は4月14日午後9時26分以降に発生した震度6弱以上を観測した地震は6回。

孫崎 享 ‏@magosaki_ukeru 4月15日

熊本地震であらためて、日本に原発を置くことの危険性を示す.今次地震は1580ガル。中越地震は2515.最大の地震予測し設計建築される川内原発は620ガル。あまりに危険

別に孫崎 享が指摘するまでも無く、震源地に極めて近い鹿児島県の川内原発の営業運転は誰が考えても余りにも危ないでしょう。ところが、日本の主要なマスコミは御用報道機関のNHKを筆頭に朝日も毎日も読売も産経も(日本共産党機関紙赤旗まで)誰も彼も同じで、巨大地震が連続して発生している中での原発の稼働の危険性を言い出さない不思議、まさに日本版ホラー・サスペンス『羊たちの沈黙』である。


九州電力の川内原子力発電所がある鹿児島県も今回の熊本地震では震度5弱の強い揺れを記録している


(16日付け朝日記事に添付した地図には震源の活断層の延長線上にはっきりと川内原発が書き込まれている)

『「震源、じわじわと東に」 別の活断層に影響の可能性』2016年4月16日朝日新聞

今後の地震活動について、専門家はさらに別の活断層が動く可能性を指摘する。九州を東西に横断する別府・島原地溝帯沿いには多数の活断層が存在し、四国や紀伊半島を通る中央構造線断層帯に連なる。
川崎一朗・京都大名誉教授(地震学)は「震源はじわじわと東に移動している。断層が動くと、その延長線上の断層も動きやすくなる」と話す。地震が発生すると、周囲の断層への力のかかり方が変化して、地震を起こしやすくなることがあるからだ。
地震予知連絡会会長の平原和朗・京都大教授(地震学)も「大分の地震は震源地から100キロ近く離れており、余震とは考えにくい。大分県の別府―万年山(はねやま)断層帯が誘発されて動いた可能性もある。今後、何が起こるかは正直わからない。仮に中央構造線断層帯がどこかで動けば、長期的には南海トラフ巨大地震に影響を与える可能性があるかもしれない」と話す。
東北大の遠田晋次教授(地震地質学)は「地震活動が南へ拡大する可能性も忘れてはいけない。日奈久断層帯は北部で地震が発生したが、南への延長部分では地震が起きておらず、注意が必要だ」と話す。
2016年4月16日朝日新聞

日本列島を真横に縦断する中央構造線上に震源地が連なって、今回の巨大地震が連続して発生しているが、もしも『震源はじわじわと移動している。断層が動くと、その延長線上の断層も動きやすくなる』との川崎一朗・京都大名誉教授(地震学)の指摘が正しいなら、間違いなく大分県熊本県と続いるのですから、その次は鹿児島県の川内原発付近の活断層が動く可能性が極めて高いことになる。(最新の気象庁は『西南方向に動いている』と発表している)
朝日新聞の16日付記事には、九州電力による原発再稼働の危険性への言及とか熊本県地震と川内原発の距離的近さには見出しにも記事にも一行も触れていない。ところが、当該記事に添付した地図にははっきりと鹿児島県の川内原発が書き込まれていた。
朝日新聞の記者も編集部も同じで、今回の熊本県地震でも原発の営業運転を止めない電力会社や日本政府の暴走を密かに心配しいるのだろうが、表だって新聞に書くだけの勇気が無い。
(気象庁による火山の噴火や地震の予知は極めて困難で的中率は2割以下にとどまっている。しかも今回のように短期間に震度6弱以上の巨大地震が連続して起きた前例が無く今後の展開は一切不明。これから何が起きるかは誰にも分からない)

『専門家が警告 震源地至近の阿蘇山「破局噴火」の可能性も』2016年4月16日 日刊ゲンダイ

今回の地震は活断層の活動による横ずれ断層型。東日本大震災のようなプレートの境界で発生する海溝型地震とは異なる。震度7の巨大な揺れをもたらした地震の規模はM6.5。震源の深さは11キロと、比較的浅かったため、局所的に大きく揺れたとみられる。
「眠れる巨大断層がついに動きだしました」と、武蔵野学院大特任教授の島村英紀氏(地震学)はこう続けた。
今回の震源地は日本最大にして最長の活断層『中央構造線』のライン上にあります。長野県伊那地方から鹿児島県の薩摩半島まで1000キロ以上を走る断層で、長野から愛知県豊川市をかすめ、紀伊半島から淡路島、四国を横断し、愛媛県の伊方原発付近から豊後水道を渡り、大分、熊本へと延びる。日本列島に私たちの祖先が住みだしてから、中央構造線上でこれだけ巨大な地震が発生したのは初めて。名古屋や大阪など巨大都市のすぐそばを走る活断層だけに、今後も注意が必要です」
甚大な被害を受けた益城町から阿蘇山までの距離は約20キロと極めて近い。昨年夏から噴火を繰り返しているだけに不安が募る。
「今回の地殻変動で刺激されたマグマだまりが地下から一気に上昇し、巨大噴火を起こすことは十分に考えられます。恐ろしいのはカルデラ破局噴火です。阿蘇山は30万年前から9万年前の間に、4度も破局噴火を起こしています。最後の噴火では東京ドームの10万倍分のマグマが噴き出し、火砕流が北九州全域をのみ込み、瀬戸内海を越えて中国地方に及んだとされます。
日本列島で破局噴火は約6000年周期で起きていますが、最後の発生は約7300年前。いつ起きてもおかしくありません」(島村英紀氏)
地震列島で生きていくにはそれなりの覚悟が必要だ。
2016年4月16日 日刊ゲンダイ

『以前は「何でもあり」だったのに、なぜか安全パイだけになった無難な日刊ゲンダイの最近の記事』

3月末に安倍晋三首相は政府当局による目に余るマスコミの言論統制について国会で追及され、『日刊ゲンダイを読めば言論統制などが無いことが分かる』と言い放ったが、実はこの安倍答弁以後の日刊ゲンダイの報道姿勢が微妙に違っている。政府が本当に困る最重要記事を書かなくなっているのである。
今回も川内原発の危険性の方は他の主要マスコミと横並びで一言も触れていない。阿蘇山のカルデラ噴火の危険性ですが、最後の発生は約7300年前の縄文時代であり周期の誤差はプラスマイナス1000年程度。目の前の差し迫った川内原発の危険性に比べれば問題ともならない低すぎる確率である。




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パリは燃えている






仏全土で労働法改正への抗議デモ 残業手当カットなどに反対
2016年03月10日 13:46 発信地:パリ/フランス
問題となっている労働法改正案は、雇用を促進するため解雇や採用における企業側の裁量を拡大する内容。また、1990年代に社会党政権が導入した週35時間の法定労働時間を超える労働について、超過勤務手当を削減する改革も盛り込まれている。

政府は若者を支援する法案だと主張しているが、若者らは将来がさらに不安定になりかねないとの懸念から強く反発している。
http://www.afpbb.com/articles/-/3079895?pid=
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小権力はどこでも作られる

宋文州さんも言っていたが、日本にはこういう「暗黙の強制」が多すぎる。それが日本の治安のよさの原因の一つだ、と文州さんは言っていたが、こうした暗黙のルールによる束縛の不利益、特に精神的抑圧(ストレス)の害のほうがはるかに大きいのではないか。少なくとも、PTAのメリットなど、何があるのか、私には分からない。それ自体が、生徒と父兄全体を抑圧する権力機構化していないか。町内会にも同じ問題がある。


(以下引用)

菊池桃子さんがPTAに問題提起 「よく言ってくれた」共感広がる

投稿日: 更新:
MOMOKO
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菊池桃子さん「PTAは任意」 発言に広がる共感なぜ?


学校のPTAは、入っても入らなくてもどっちでもいいはずなのに、全員参加の雰囲気がある――。先月、タレントの菊池桃子さんのこんな趣旨の発言が、ネット上で話題になった。活動するもしないも個人の自由のはずなのに、なぜPTAの世界ではそれが難しいのか。


■共感の投稿相次ぐ


菊池桃子さんがメンバーを務める政府の「1億総活躍国民会議」終了後だった。発言は3月25日にあった会議で語った内容を明らかにしたものだ。ネット上で注目され、ツイッターには「よく言ってくれた」「正論だ」など共感するコメントが相次いだ。


菊池さんの発言に反響があったのは、PTAが一般的には「事実上の強制加入」だからだ。子どもが入学すると、入会するかどうか意思確認をせずに自動的に会員としたり、退会の規定がなかったりする学校がほとんど。会員になるだけでなく、「全員が一度は役員を」「一人一役」といったルールもある。活動を休んだり役員を断ったりすると、「不公平だ」「授業参観には来るくせに」などと言われることもあるという。建前は「任意」でも、「入会しない」選択は難しいのが実情だ。


この春に東京都世田谷区の小学校に長女が入学した女性(33)は、入学前の学校説明会でPTAの説明を受けた。入会の意思確認は何もなく、「毎年一つは係をしてもらいます」などと書かれた紙が配られた。PTA活動は任意と聞いたことはあったが、「子どもに何か不利益があったらと考えると、参加しないと言い出せる雰囲気ではなかった」。


■「加入義務はない」


首都大学東京の木村草太教授(憲法学)は「PTAに加入する義務は法的にはない。憲法21条が保障する結社の自由は、加入しない自由も保障している。任意であるものを強制かのように見せたり、子どもへの影響をちらつかせて強制したりすれば、詐欺や脅迫行為だ」と指摘する。


2014年には、熊本市内の男性がPTA加入の際に意思確認がなかったことを不服として、会費の返還などを求めてPTAを提訴するという訴訟沙汰になったこともある。熊本地裁は今年2月に請求を棄却したが、男性は控訴している。


大津市が今春、市内55の小中学校を対象にアンケートを実施したところ、8割の学校がPTAが任意団体であることを保護者に説明していなかった。会費の徴収方法も、2校をのぞくすべてが「学校徴収金と同時に保護者口座から引き落とし」だった。子どもの学習のためのお金と一緒くたに集めていることも判明した。


■規約に明記の動き


そんな中、任意性のあいまいさを問題視する動きも出ている。


横浜市PTA連絡協議会は今月13日に開いた新任PTA役員向けの研修会で、任意性の指導をした。任意性を取り上げるのは今年で5年目。だいぶ浸透してきたという。浜松市内には、今年度から規約の冒頭に、「入退会は自由」と明記した小学校がある。今年4月までPTA会長を務めた越智浩さん(50)は「入会申込書もなく、『入って当然』という雰囲気がまかり通っていた。規約は自由な活動への第一歩だ」と話す。


「運営からトラブル解決まで PTAお役立ちハンドブック」著者でフリーライターの田所永世さん(41)は「フルタイムで働く親が増えているのに、専業主婦を前提としたまま。『参加しにくい』『入りたくない』と感じる人が増えている」と指摘したうえで、「必要なのは、無駄な活動を見直し、負担を軽くすることで、さまざまな環境の人が参加しやすい形にしていくことだ」と話す。


     ◇


■菊池桃子さんの発言要旨


働く母親にとって、PTA活動の負担が大きく、仕事に支障を来しているとの声があがっている。任意参加なのに全員参加することが暗黙の了解となっているケースが多い。政府が積極的に関与・指導をし、女性の就業問題の議論を深めて欲しい。


(朝日新聞デジタル 2016年4月27日05時00分)




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認知症徘徊老人事故死事件ではむしろJR側に重大過失あり?

「泉の波立ち」の南堂氏が、例の認知症徘徊老人鉄道事故死事件について、面白い指摘をしているので、転載しておく。この記事の内容が事実なら、アメリカならばJRに対して巨額の賠償を求める裁判が起こされるはずである。(「私はラブ・リーガル」などでは、もっと下らない、あほらしい理由での裁判が堂々と起こされ、大企業からカネをむしりとる話が何度も出てくる。まあ、ドラマで、しかもコメディだから誇張はあるだろうが、訴訟社会アメリカの現実を反映しているのは確かだ。)
敷地内に入った方が悪い、としてJRを擁護する意見も出てきそうだが、これは相手が認知症老人でなく、子供であっても起こりうる事故である。むしろ、子供のほうが、こうした事件を起こす可能性は高いだろう。鍵が掛けられておらず、簡単に入れる扉(まあ、金網の扉だろう。)があれば、子供が侵入する危険性があるのは当然だ。そして、事故が起こった場合、責任を問われるのは、「判断力の無い」幼児や子供ではなく、施設管理責任者である、というのは常識だろう。
つまり、JRは、下の記事内容が本当なら、今回の事件での徘徊老人の死に大きな責任があり、それは家族の監督責任などより、はるかに大きなものだ。(案外、この「扉」の件を最高裁裁判官たちは知っていて、こういう判決になったのではないか。もちろん、これは声を大にしては言えないことなのだろうが。)

ただし、余計な一言を付け加えれば、認知症老人の死亡に賠償金を払う必要があるかどうかは、別問題だ。どんな人間にも価値がある、というきれい事を私は言わない。未来の可能性のある子供や幼児の死と、認知症老人の死が同価値かどうか、それこそ議論が必要だろう。

なお、南堂氏が「時効」の話をしているが、はたして、この件に関する時効はそんなに短いだろうか。これは専門家に聞きたいところだ。少なくとも「殺人事件」での時効は、刑事事件としての時効よりも民事事件としての時効の方が長い、とどこかで聞いた気がする。そして、この事件は殺人事件ではなく「過失死」ではあっても、人間の命が失われた事件(事故)なのである。


(以下引用)


以下では、安全の話をしよう。こちらが本題だ。

 そもそも、この事故はどうして起こったか? 徘徊老人がいたからか? いや、徘徊老人が毎度毎度、あちこちで事故を起こしているわけではない。この駅には、特別な事情があった。
 上の記事には現場の画像があるので、それをちょっと拝借しよう。(著作権を言うほどの画像じゃない。似た画像はマスコミ各社にある。)


jrkaidan.jpg
※ 認知症の男性が電車にはねられ死亡したJR共和駅構内の事故現場付近。
  ホーム端の階段から線路内に立ち入ったとみられている → 
日本経済新聞


 この階段を下りて、徘徊老人が勝手に線路に入って、電車に轢かれてしまったわけだ。
 とすれば、ここに扉と錠を設置しておかなかった JR に、根源的な管理性人があると言えるだろう。
 だいたい、人命の危険が生じる場所には、きちんとした扉や錠を設置するのが常識だ。さもなくば、子供が線路に入って死んでしまう危険もある。また、犬や猫が入る危険もある。当然、扉と錠は必要だ。なのに、JR は「扉と錠」という防護策をとらなかったのだ。(扉はあったが、錠がなかった。)
 妻が片付けのために玄関先に出て、そばにいた母もまどろんだ一瞬の間に、父は自宅を出た。
 小銭も持たず、自宅近くのJR大府駅の改札を抜け、一駅先の共和駅まで列車に乗って移動。駅のプラットホーム端にある階段から線路に下りたとみられ、列車にはねられた。階段前には柵があったが、鍵のかかっていない扉から線路内に下りることができた。
( → 朝日新聞デジタル
 ここには「鍵のかかっていない扉から線路内に下りることができた」とある。これが最大の過失だった。非常に重大な過失だ。ここに最大の責任があったと言える。
( ※ 家族の監督責任など、ごく小さな責任であるにすぎない。家から出ることはちっとも危険ではないからだ。一方、線路のそばの扉に鍵をかけないことは、ものすごく危険な行為だ。責任の大きさは、大差がある。)

 さらに言えば、記事では「小銭も持たず」とあるのだから、徘徊老人が駅には入れるはずがないのだ。なのに、入ってしまった。ということは、無賃乗車を認めるのも同然であり、駅員の監視ができていなかったことになる。ここでは、駅員の監視責任が果たされていなかったことも、重大な過失と言える。

 ──

 結局、重大な過失は、駅の側にあった。
  ・ 扉に鍵をかけなかったこと。
  ・ 小銭を持たない老人を駅に入れてしまったこと

 重大な過失が二つもある。

 とすれば、ここから得られる結論は、こうだ。
 「家族の側には、賠償責任はない。一方、JR の側には、徘徊老人を死なせたことの、賠償責任がある。家族の側は1円も払う必要がないが、JR の側は家族に数千万円の賠償金を払う必要がある」
 これが妥当な判決であろう。



 [ 付記 ]
 ただし現実には、家族は JR に賠償を求めていない。求めるべきだったが。もし求めていれば、馬鹿げた裁判が最高裁まで続くこともなかっただろう。今から請求するとしても、たぶん時効だから、もう無理だね。

 なお、JR としては、本人への賠償金の分を、家族に請求できたはずだ。相続という形で。そうすえば、遺産の分だけは、賠償金を取れただろう。とはいえ、今から請求するとしても、たぶん時効だろう。これも無理だね。

 というわけで、お金の点については、どっちにしても馬鹿げたことをしている。呆れるしかない。
 一方で、安全性の点では、「扉に鍵をかける」という教訓ができているかどうかが、気になる。写真を見ると、今でも安っぽい柵があるだけのようだが、もうちょっとしっかりとした柵で、安全性対策をしてもらいたいものだ。





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お母さんありがとう

「カラマーゾフ兄弟」の中でイヴァンは、「世界に罪無くして流された一粒の涙があるかぎり、俺はこの世界を作った神を認めない」と言う。
ここに、罪無くして流された一粒の涙がある。私も、このような涙がある限り、創造神というものを絶対に認めない。





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虐待を受けて殺害された小学五年の女の子が学校の行事(二分の一成人式)で親への感謝の手紙を書いた。「お母さんありがとう…お母さん大好」子どもは親に感謝するものという教育のもと日常的な虐待がありながら大人が喜ぶ言葉を並べた。

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日独友好はこんなところからも

私は「ガンダム」にはまったく興味が無いし、政治や経済での西洋文明の精神(すなわち、白人至上主義と侵略と策謀と偽善と欺瞞)というのが大嫌いなのだが、こういう「大衆文化の相互浸透」というものは世界平和と世界の文明発展の基盤になると思うので好印象を持っている。
お互い、相手の多少の欠点や過ちを寛容に笑い飛ばし、相手の文化を受け入れていくことが大事だろう。などと鹿爪らしい(この語源は何だろう?)ことを書いたが、なあに、下記記事の内容と文章が面白いから、他の人にも紹介したいだけである。
日本のサブカルチャーというものを世界が受け入れているというのは実に楽しいことだ。
まったく自分の力でもないのに、自分が褒められているようにいい気分になる。これが「愛国心」という奴の本質だろう。つまり、錯覚的な自己愛の満足。


(「young germany」から転載。)


誤用戦士ガンダム・荒野を走るニセドイツの列!
© マライ・メントライン
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シャア! 謀ったな、シャアっ!」
「君はよい友人であったが、君のドイツ語がいけないのだよ」


…皆様いかがお過ごしでしょうか? ドイツ的職場と日本的住居の間を毎日高速移動する機動戦士マライです。
ガンダムといえば。
実はむかし、知人の付き合いでアキバの某巨大家電量販店のプラモ売り場に行った際、ガンプラ箱に書かれていた「ノイエ・ジール(Neue Ziel)」という、文法的にも発音的にも超アウトアウトアウト! スリーアウトチェンジ! なニセドイツ語と遭遇してしまったのが、なんと私とガンダムの最初の出会いでした。あまりハッピーとは言いかねるシチュエーションです。


ちなみに、「ノイエ・ジール」がいかにドイツ語としてヤバいかというのはWikipediaにも明記されているほどなので本稿では繰り返しませんが、これについてオタ系の知人に対し啓蒙を図ってみたところ、以下のような実に興味深い&勇気ある反応をいただきました。


①「ノイエ・ジール」も充分ドイツ語っぽいのでオレ的にはノープロブレム。
②「ノイエス・ツィール」よりも「ノイエ・ジール」のほうが大型モビルアーマーの名前としてカッコイイじゃないか。


…つまり。
こーゆー業界文脈においては、「正確なドイツ語」よりも、「ドイツ語っぽいカッコよさ」のほうが重要度が高い、という心理現象がうかがえるのです。ナルホド。リアルドイツよりも「脳内ドイツ」イメージを優先する主義、ともいえるでしょうか。


この場合ドイツ人としては、ついつい正しいドイツ語の普及&誤用の矯正に邁進したくなりますけど、なんとなくそういうアクションは商業市場的にお呼びでない予感がします。もし強行すると小うるさいロッテンマイヤーさん扱いを受けてしまいそうです。ううむ、この局面、一体どうしたらよいものか?
ただ、かくいう在日ドイツ人の間でも、たとえばグラニフ(graniph)の変てこドイツ語まみれTシャツが、最近の製品は以前と違い文法的に正しくなっていてつまらん! という逆説的な意見を聞いたりするので、根本的には似たようなものかもしれません(笑)

シュヴァルツェスマーケン 紅血の紋章 ©ixtl

シュヴァルツェスマーケン 紅血の紋章 ©ixtl


…とか思っていたところ、次なる事態が勃発!
私の友人の内田弘樹先生がノベライズを担当している『シュヴァルツェスマーケン』シリーズというメディアミックス作品があって、製作サイドからドイツ語協力を依頼されたのです。で、最初に私が述べたのが、「そのタイトルはそもそもドイツ語文法的におかしいDeath!」でした。はい。ラウンド開始前の金的攻撃みたいなものだったのですが…


「いやもう決まっちゃってるんで、て言うか、日本人からみると語感的にイケてるので…」


ということで、こちらも日本人から観たドイツ語の格好良さ優先という根拠があったため、呆気なく了承してしまった次第です。物分りいいなあ私。
ちなみに『シュヴァルツェスマーケン』は、東独が存続している(つまり歴史が異なっている)並行世界にエイリアンが攻撃を仕掛けてきて、世界各国がそれぞれ立ち向かうという内容です。この「東独」というのが大きなポイントですね。
なお余談ですが、最近ドイツ本国では旧東独のアレコレが社会派サスペンスのテーマとして旬を迎えつつある(ちょうどそういう年代)ので、日本でこのような動きが生じてくるのは大変興味深い…文法的にはアレなんだが(笑)

日独協会『中二病で学ぶドイツ語』現場の状況。『エルフェンリート』をめぐる漢字・カタカナ・アルファベットの濃厚なビジュアル三位一体が参加者を直撃する! 伸井さんのポーズが何気にキマっているのもポイント。 ©日独協会

日独協会『中二病で学ぶドイツ語』現場の状況。『エルフェンリート』をめぐる漢字・カタカナ・アルファベットの、濃厚なビジュアル三位一体が参加者を直撃する! 伸井さんのポーズが何気にキマっているのもポイント。 ©日独協会


…とか思っていたところ、さらなる事態が勃発!
公益財団法人日独協会にて、リアルドイツ語を超えた「装飾ドイツ語」を追究する『中二病で学ぶドイツ語』というイベントが2015年12月に開催されました。企画・プロデュースは『ニセドイツ』で有名な伸井太一さんです。
これがヤフーニュースヘッドラインでも取り上げられるほどの大反響を呼び、ドイツ大使館が積極的にバックアップする展開に至りました。もちろん「中二病ドイツ語」は「誤用」とは違いますが、上記リンク先を見れば窺えるとおり、明らかに「ネタ」としてのイレギュラーなドイツ語を全面展開する知的遊戯です。素敵におかしいのは間違いない。大袈裟に言えば、伝統的ルール・価値観逆転のポテンシャルを内包するイベントをドイツ大使館が後援したわけで、これは文化的になかなか画期的な出来事だったといえるでしょう。

MiG-23 シュタージ機。うむ、悪っぽそう!(笑) ©ixtl

MiG-23 シュタージ機 うむ、悪っぽい! ©ixtl


…と、ここまで事態が展開してくると、この手の文化ベクトルも一時的趣味的なイレギュラー事例として扱えなくなってきたなあ、というのが最近の率直な実感です。
ひとつ確実に言えるのは、SF的な名称にしてもTシャツのロゴにしても、誤用でむしろソレっぽくなってカッコよい、というのはある種の特殊なセンスの介在によって初めて成立する現象だろうということです。
厳しげな単語ならOK、という安直なものではない。何らかの共有幻想の核となるパワーが宿っていなくてはなりません。その源泉はどこなのか? ということで、有力なイレギュラー語を支える動機、つまり背景の世界観の構成に探りを入れることが重要、という気がいたします。
たとえば、そもそもガンダムは何故OVAや派生作品でジオン軍の「ドイツ軍化」が進んだのか、『シュヴァルツェスマーケン』は何故「東ドイツ」なのか、といった点ですね。その考察によって比較文化的な美味しさが増すともいえるでしょう。

Jorge Luis Borges : Labyrinths:Selected Stories & Other Writings Ⓒ Penguin Books

Jorge Luis Borges : Labyrinths:Selected Stories & Other Writings Ⓒ Penguin Books


リアルドイツ語よりも「俺ドイツ語っぽさ」を追究する、という文脈で思い出すのが、アルゼンチンが誇る文豪ボルヘスの短編小説『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』です。これは要するに、たとえば窃盗事件のニュースで良く出る言葉「バールのようなもの」が具体化して「バール」の座を奪い、さらに諸事そのように「…のようなもの」がオリジナルを乗っ取って現実を侵食していく、という話です。ぶっちゃけ、共有幻想が現実を乗っ取ることは可能か、というすごい現代的な内容の作品ですね。上記ウィキペディアだと何を言っているのかわかりにくいけど、短編集『伝奇集』に収められた原典は読みやすいので必読です。この物語は、メインカルチャーに対するサブカルの逆襲と浸透がどのように成されるか、ということの秘伝書みたいな側面を有している気がします。


爛熟しきってある意味「何でもあり」状態になってきた現代エンタメ業界にて、「知的に効果的な次の一手」を打つとしたら、それは意外とボルヘス系とかかもしれないんだよねー、とはちょっと前からつれづれ思うところだったりします。ラテンアメリカ文学恐るべし! ということで今回は、アニメがらみの「ドイツ文化」問題のオモシロな解が、意外や意外、岩波文庫にあったよー、というお話でした。


…あ、最後の最後に入ってきた情報ですが、㈱イクストル様によると、なんと、『シュヴァルツェスマーケン』のドイツでの放映が決定したそうです。おめでとうございます。まさに、「ドイツ語のようなもの」によるドイツ逆上陸作戦! ああ、ボルヘス的な現実侵食がこんな形で加速してしまうとは!(笑)


それでは、今回はこれにて Tschüss!


※今回、㈱イクストル様、および公益財団法人日独協会様から画像提供をいただきました。改めて感謝いたします。


(2016.01.29)

© マライ・メントライン

© マライ・メントライン


マライ・メントライン


シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育 『テレビでドイツ語』 出演。早川書房『ミステリマガジン』誌で「洋書案内」などコラム、エッセイを執筆。最初から日本語で書く、翻訳の手間がかからないお得な存在。しかし、いかにも日本語が話せなさそうな外見のため、お店では英語メニューが出されてしまうという宿命に。 まあ、それもなかなかオツなものですが。


twitterアカウントは @marei_de_pon



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酒とデフレ経済

「日々平安録」から転載。


兎に角、正月に他のものよりも早く起きて既に出来上がったこのおせちを肴に同じく大晦日の晩から屠蘇散の袋が浸してある酒を飲んでいる時の気分と言ったらない。それはほのぼのでも染みじみでもなくてただいいものなので、もし一年の計が元旦にあるのならばこの気分で1年を通すことを願うのは人間である所以に適っている


私の理想もこれに近い。「ほのぼのでもしみじみでもなくただいいもの」という気分で1年を過ごせたら、まさに理想的だろう。
で、酒を飲んでいる時の気分がそれである、と言っていいのだが、残念ながら酒を朝から晩まで飲んでいれば体を壊すし、それ以前にカネが続かない。なるべく安酒を買うにしても、限度がある。まあ、酒を飲みすぎると体を壊すから、ほどほどに止めておく、というのは天の配剤と言ってもいい。さすがに朝から酒を飲むことは酒好きの私もやらない。そして飲んでもほどほどでやめているから、吉田健一などから見れば酒飲みの風上にも置けない意気地なし、とされるだろう。
ただで宣伝をするのもステマかと疑われるから、名前を出すのは控えるが、安酒でも案外満足できる酒が最近はあるから、特に高価な酒を買わなくてもいいのは助かる。高級酒でも、ウィスキーとかなら、水割りの数杯も飲めば陶然たる気分にはなるから、家で飲む限りは実はそれほどカネはかからない。ワインなら酸化防止剤無添加の某・安ワインで十分うまいし、日本酒も純米酒なら、特に高い酒でなくてもまず満足な味である。いい時代になったものだ。(つまり名前でなく自分の舌で選べば安くていいものは見つかるわけだ。)
これがデフレの恩恵というものであり、それを政府や日銀がこぞって物価上昇2%、いやそれ以上のインフレにしたい、などというのは馬鹿か、と思う。
今の低所得時代にインフレになったら、国民の半数は死ぬしかないだろう。非正規社員や貧困層はデフレだから何とか生き延びているのである。物価高は景気回復とペアでなければ庶民を苦しめるだけのことだ。そして、今の日本が景気回復するなど、「逆アベノミクス」で庶民にカネを回さない限りありえないのである。


(以下引用)

2016-01-30

[吉田健一の50の言葉(5)酒Add Star


 本当を言ふと、酒飲みといふのはいつまでも酒が飲んでゐたいものなので、終電の時間だから止めるとか、原稿を書かなければならないから止めるなどといふのは決して本心ではない。理想は、朝から飲み始めて翌朝まで飲み続けることなのだ、といふのが常識で、自分の生活の営みを含めた世界の動きはその間どうなるかと心配するものがあるならば、世界の動きだの生活の営みはその間止つてゐればいいのである。


 


 小説「酒宴」の一節。こう続く。「庭の石が朝日を浴びてゐるのを眺めて飲み、それが真昼の太陽に変つて少し縁側から中に入つて暑さを避け、やがて日がかげつて庭が夕方の色に沈み、月が出て、再び縁側に戻つて月に照らされた庭に向つて飲む、さうかうしてゐるうちに、盃を上げた拍子に空が白み掛つてゐるのに気付き、又庭の石が朝日を浴びる時が来て、「夜になつたり、朝になつたり、忙しいもんだね、」と相手に言ふのが、酒を飲むということであるのを酒飲みは皆忘れ兼ねてゐる。」


 飲めないひともいるようなので、酒が飲める体質に生まれたのは幸いであった。しかしまだ、まる一日のみ続けたことはない。確かに翌日のことを考えてそろそろここら辺でなどと考えるのは味気ないものだが、外で飲んでいれば閉店ということもあるし、家で飲んでいても、ある程度飲むと眠くなる。しかし、とにかく飲んでいる状況というのは普通はさしあたりすぐにはしなければいけないことはない状態のはずで、酒を飲んで気持ちよくなる理由のかなりはそれによるのではないかと思う。だから、翌日にもしなければいけないことがないならば、翌朝まで飲むというのは理屈にはかなっている。「酒宴」には「少しも眠くはなかつた。いい酒といふのは、さういふものである。疲れは酒で直るから、眠る必要はないといふことになるらしい」とある。こちらがいい酒を飲んでいないだけかもしれない。しかし「酒宴」でも主人公は、翌日には東京から大阪まで当時の「つばめ」で移動する汽車(当時はまだ十二時間かかった)の中では「眠りに眠って」いる。


 氏の「私の食物誌」に「東京のおせち」という項があり、そこに「兎に角、正月に他のものよりも早く起きて既に出来上がったこのおせちを肴に同じく大晦日の晩から屠蘇散の袋が浸してある酒を飲んでいる時の気分と言ったらない。それはほのぼのでも染みじみでもなくてただいいものなので、もし一年の計が元旦にあるのならばこの気分で1年を通すことを願うのは人間である所以に適っている」とある。正月もまた普通は何もしなくてもいい、さしあたってはすることのない時である。吉田氏にとっては何もしていない時間こそが本当の時間なのであり、それを実感できる時が酒を飲んでいる時なのであった。


 しかし晩年にいたってこう書くようになる。「冬の朝が晴れてゐれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日といふ水のやうに流れるものに洗はれてゐるのを見てゐるうちに時間がたつて行く。どの位の時間がたつかといふのではなくてただ確実にたつて行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間といふものなのである。」(「時間」) 酒をのまなくても時間が自然に流れるようになったのである。この句点を一切欠く、見方によっては異様な文体も、また氏の時間の感覚が要請したものなのであろう。氏の晩年、どのような境地に実際にあったのかは知らない。氏はとにかくある方向を目指そうとしていた。


 そして氏が目指そうとしたものの一端に、われわれは酒を飲むことで触れることができるのである。


 


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