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人生そのものの「停年」は七十歳か

「逝きし世の面影」から転載。
健康寿命の平均が70歳くらいだ、というのは納得できる。多くの人は、その少し前に大病をしたりするが、医療のおかげでその後は「半病人」として死ぬまで生きるのが現実ではないか。「人生七十、古来希(稀)なり」というのは見事に「近代医学」以前(平均寿命=健康寿命時代)の、鋭い洞察だったわけである。
年金を七十歳で貰うというのは、寿命が尽きてから貰おうという計画に等しいのではないかwww
まあ、健康寿命が終わってからこそ、「半病人」にはカネが要るのだから、賢い選択だ、という見方もできる。

まあ、春秋に富む人々は、平均寿命よりは健康寿命を重視して人生設計をする(たとえば、ライフワークの完成をそれまでに行うことを目指すなど。)のがいいかと思う。

(以下引用)




『DNA解析による人間の本来の寿命は38歳』 2019年12月25日ニューズウィーク  

12月12日付科学誌サイエンティフィック・リポーツ論文で、研究者たちは動物が年を取るにつれてDNAがどのように変化するかを調べて、DNAの変化は寿命と関連していることを突き止めた。
動物は年と取るにつれ、生体機能が衰えていき、やがて寿命を迎える。
生物の青写真であるDNAは寿命の差を決定づけるが、今まではDNA配列から見分けることは不可能だった。しかしここ数年、DNAメチル化と呼ばれるDNAの特殊な変化を使って動物の年齢を特定する「DNA時計」の開発が進んできた。
データベース化されている252のゲノム(DNAの全塩基配列)を、別のデータベースにまとめられている既知の動物の寿命と比較、脊椎動物の寿命を推測することが可能だとわかった。
研究の結果、世界で最も長寿な哺乳類と考えられているホッキョククジラの寿命は268年。絶滅種のケナガマンモスの寿命は約60年だった。現生種のアフリカゾウもほぼ同じ約65年。
現生人類の絶滅した近縁種であるネアンデルタール人の寿命はたった37.8年で現生人類の38歳と同じだった。
(抜粋)



ゾウの時間・ネズミの時間『ネズミもゾウも、心臓は15億回打って 止る』本川 達雄



心臓が1回打つ時間を心周期と呼び、ヒトの場合はおよそ1秒。ところがハツカネズミは、ものすごく速くて1分間に600回から700回。1回に0.1秒しかかかりません。ちなみに普通のネズミは0.2秒、ネコで0.3秒、ゾウだと3秒かかる。
こういった時間を計り、体重との関係を考えてみると、どれも体重が重くなるにつれ、だいたいその4分の1乗に比例して時間が長くなるということが分かっています。
動物の時間は体長に比例する。つまり体のサイズの大きい動物ほど、心周期も呼吸も筋肉の動きもゆっくりになって「時間」が体重の4分の1乗に比例するということは、体重が2倍になると時間が1.2倍長くゆっくりになる。体重が10倍になると時間は1.8倍。例えば、30gのハツカネズミと3tのゾウでは体重が10万倍違いますから、時間は18倍違い、ゾウはネズミに比べ時間が18倍ゆっくりだということになりるます。
哺乳類の場合、いろんな動物の寿命を心周期で割ってみると15億という数字が出る。つまり、哺乳類の心臓は一生の間に15億回打つ。ハツカネズミの寿命は2−3年で、インドゾウは70年近くは生きますから、ゾウはネズミよりずっと長生きなのですが、心拍数を時間の単位として考えるなら、ゾウもネズミもまったく同じ長さだけ生きて死ぬことになるわけですね。15億回という心拍数から見た人間の動物的寿命は26.3年で、これは縄文人の平均寿命31年とほぼ一致する。
(抜粋)

「男子3日会わざれば刮目せよ」
なにも三国志演義でなくとも、男女とも人の細胞は半年で全て新しくなり分子的に見れば別人(新品)だが、40歳を超えるとDNAのコピーミスにより癌や老化が起きる。高齢化で1年で百万人ががんになる日本の小児がんは数千人、40歳以下のAYA世代のがんは3万人と圧倒的に少数。やはり癌は高齢者の病気だった。




 
 
 
 
『年々大きくなる平均寿命と健康寿命の差』
 
 
 
 
 
 
 
 
 


日本人の平均寿命は男女とも過去最高値だが、自立した生活を送れる期間「健康寿命」は平均寿命より男性は9年弱、女性は12年強も短い。平均寿命の男女差は6歳強だが健康寿命の男女差は半分の3歳である。これは医療技術や社会進歩による平均寿命の延びに比べて「健康寿命」の延びが小さいことが原因していた。(弱肉強食の野生動物ではこの差はゼロ)

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ネトウヨ化は巨大な劣等感の持ち主の自己防衛

知性の優れた人でも左翼にも右翼にもなるが、ネトウヨというのは特殊なもので、知性の低さがその特徴だと思う。ネトサヨという言葉が無いのがネトウヨの軽薄さの証拠で、ネットに影響されて左翼になった人間はほとんどいない。ネトウヨには堅固な思想性や深い思索や自己分析や歴史的知識の確認が無く、漠然とした「国家体制(時の権力)との仮想の一体感」がその心理的基盤だからである。つまり、権力に媚びへつらう下種心理だ。ネトウヨの言動の非論理性も他民族への無思慮なヘイト行動も、知性の低さを示している。要するに、自分自身に存在価値を見出せない人間や極端な劣等感のある人間の精神的自己防衛がネトウヨ化である。これは金持ちだろうが職業作家だろうが職業評論家だろうが政治家だろうが同じだ。もちろん、多くはそれで「実利」をも得てもいるわけだ。

下の「桜」氏の文章(個人の問題というより、ネトウヨの発言の代表のようなものだ。)を読めば、その知的レベルは明らかだろう。小学生並みの国語力である。

1)「犬死や無駄死が心があると思いますか?」は文章になっていない。
2)「忘れ無い」は国語的には不可。補助形容詞の「~ない」は平仮名で書く。
3)「~では無い」も2)と同じ。(「~が無い」なら形容詞で、補助形容詞ではない。)
4)「勤め」ではなく「務め」である。

2)や3)は微妙な問題だが、前の文節(数文節)の否定をする機能が補助形容詞であり、助動詞の仲間、親類だ。だから、「いない」を「い無い」と書く人はいない。まあ、簡単に、「判断の否定」は補助形容詞、「存在の否定」は形容詞と考えればいい。

それでも「言いたいことは何となく分かる」で済んでしまうのがSNSというもので、日本語はどんどん雑になっていく。


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いいか「英霊」というロジックは、イジメで自殺した同級生に対して、イジメた生徒やイジメを放置していた学校側が…

「彼はかけがえのない大切な
 仲間でした。本当に残念です」

…と何食わぬ顔で言っている
鬼畜野郎と同じだと思え。

国の失策で餓死や病死した戦没者
に英霊のレッテルを貼るな!





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三代目は組織や国を滅ぼす

「東海アマ」ブログ記事の一部で、前に私が「売(り)家と唐様で書く三代目」という川柳を引き合いにして書いた文章と同じような主旨だが、思考の緻密さが私とは段違いで面白い。
若者の右傾化(具体的には安倍政権支持)の理由がパソコンゲームなどにある、というのには同意しないが、実は戦争漫画やアクション漫画を書く漫画家は戦争や暴力を知らず知らずのうちに「人間の業であり、否定するのは偽善だ」と思いがちになると私は見ている。つまり、戦争や暴力を否定すると、それを描いている自分自身への否定になるからだろう。戦争肯定論者は、安倍政権擁護派と類縁関係になるのである。ただし、読者や視聴者として戦争漫画や戦争映画を好む人間が右翼的になると言ってしまうのは短絡的すぎるだろうし、パソコンゲームなどだと(自分が操作する世界だというだけでもフィクション性を常に実感するのだから)漫画や映画以上に現実性には乏しく、それだけに心理的影響は少ないと思う。



(以下引用)一部省略。



 昔から言われてきたことは、「会社は三代目が滅ぼす」という格言である。
 https://books.google.co.jp/books?id=ZtikBwAAQBAJ&pg=PA118&dq=%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%81%AF%E4%B8%89%E4%BB%A3%E7%9B%AE%E3%81%8C%E6%BB%85%E3%81%BC%E3%81%99&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwj30ce8xIfnAhXQwosBHTZxDW0Q6AEIKTAA#v=onepage&q=%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%81%AF%E4%B8%89%E4%BB%A3%E7%9B%AE%E3%81%8C%E6%BB%85%E3%81%BC%E3%81%99&f=false

 江戸時代の商家でも同じで、贅沢や特権を生まれながらに与えられた者は、自分の地位や組織が何によって支えられているのか、どうしても理解できず、特権を自分に備わった、天から与えられた資質だと勘違いし、実力もないのに思い上がってしまい、組織を支えている人たちを上から目線で軽蔑する結果、独裁が生まれ、不信から求心力が失われてゆき、諫言をしてくれる者もいなくなり、結局、社会に追い詰められて破綻してゆくのである。

 今の安倍政権は、「三代目が滅ぼす」を地で行く愚かな姿を我々に見せつけている。初代、岸信介は、妖怪といわれた強力なリーダーシップがあり、二代目、安倍晋太郎も、祖父の苦労を見せつけられて、十分に用心深く世渡りした。
 しかし、三代目の安倍晋三は、生まれながらのお坊ちゃまで、何一つ苦労した経験もなく、周囲がすべてお膳立てしてくれる人生のなかで老い、しかも日本最高の権力を与えられたことで、何でも、場当たり的な嘘が通用すると信じ、権力を誇示すれば何でもできると、完全に思い上がってしまった人物である。

 この男は、一企業ではすまない、まさに「国を滅ぼす者」である。

(中略)

 翻って、現代のリストラ企業、そして日本国家はどうか?
 企業組織に独裁権力をふるい、膨大な利益を「内部留保」としてため込みながら、これを社員には分配せず、社員を追い詰めて馬車馬のように働かせ、過労死させ、情け容赦なくリストラし、社会的保障を奪い去り、社員を、まるで日雇い浮浪者のように低賃金で扱うようになった企業ばかりだ。

 そうして、組織員のなかに、まるで18世紀の奴隷社会のような、支配的階級と奴隷階級のような差別分別を作り出した。
 こんな企業組織には、利権を得る者以外は、誰も愛着も持たず、三井家の奉公人が持っていたような帰属意識も失われてしまい、企業組織は、単に、わずかな日雇いの金を得るだけの場と化すわけだから、従業員、組織員は、会社が潰れることにさえ何の関心も持たなくなる。

 潰れたら、別の働き口を見つけるだけのことだ。こんな組織に誰がした?
 もしも具体的な人名を挙げることが許されるなら、私は、竹中平蔵と小泉純一郎、そして安倍晋三・麻生太郎の名前を挙げておこう。

 今、描いているのは企業組織についてだが、これは、すべての人の集まり、組織に共通する本質である。
 その最大のものが国家なのだ。日本国民が国家を愛さなくなれば、それは崩壊する道しか残されていない。

 今、安倍晋三政権による日本国家に満足している者が、どれだけいるというのか?
 「安倍が良い人」と勘違いさせられている者は、たくさんいるが、それは、安倍政権を支える反共グループの、嘘にまみれた宣伝による洗脳であって、安倍の汚い正体を思い知らされた人々は劇的に増えている。

 安倍は保守政治家という議員特権=既得権益の三代目であり、アメリカの反共政策に助けられ、自分が苦労して作った国でもないのに、家柄だけで周囲から持ち上げられて、ろくに苦労も経験せずに権力をふるう地位についた。
 今の自民党・公明党は、大半が安倍と同じ既得権益組であって、日本国民の幸福を願って行動する議員など皆無といっていい。

 日本国家にとって災厄でしかない安倍晋三を、このまま許しておけば、「三代目が組織を滅ぼす」法則が、国家にも適用され、日本は安倍と、その取り巻きによって、今まさに滅亡しようとしているのである。

 私が、何よりも憂慮するのは、安倍政権=保守、右翼に幻想を持つ若者が極めて多いことだ。理由は、パソコンゲームなどで、戦争戦闘に陶酔する習慣を持った若者が増えたせいだと思っているが、その思考力、日本語力、思想性のお粗末さに驚かされる。

(後略)

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動画の不自由さと「時間強奪罪」

動画の欠点は、どこが重要なのか分からないから飛ばし読みならぬ「飛ばし見」ができないことである。つまり、全部見ないといけないわけで、これは人生の限られた時間の途方もない浪費である。だから私は「信頼する映像作家」の作品以外には映画もほとんど見ない。
私はテレビゲームが好きなのだが、ゲーム操作場面、つまりプレイヤーが操作している場面以外に、物語の要所要所でアニメーション映像で物語るタイプのゲームがあり、これが非常に退屈なものが多い。制作者側が一番カネをかけ力を注いでいる部分なのかもしれないが、見たくもないアニメーションを延々と見せられる苦痛は、分かる人にしか分からないだろう。まあ、勉強の苦手な子供が学校の授業を受ける時の気持ちに近いのではないか。

「相手の時間を奪う」ことは大きな罪である、という意識の無い人が世間には案外多いと思う。病院で患者を長時間平気で待たせるなどがそれである。刑法に「禁固刑」という、「相手の人生の時間を奪う」刑罰があるように、人の時間も、一種の財産なのだと思うべきだろう。しかも、その価値は実は何より尊い。
だから、私は「約束の時間に遅れる人間」も大嫌いである。相手を待たせることは「他人の時間を奪う」行為だからだ。いや、何かの約束をすることも何かの予定を入れることも嫌いであるし、就学時間や勤務時間というのも、病院で点滴を受けることなども含め、束縛されることはすべて嫌いなのだがwww 束縛されて嬉しいというのはマゾヒストだけだろう。
あなたの命が残り数時間だとして、その半分くらいを病院の待ち時間のように「他人に奪われた」なら、あなたはどう感じるだろうか。
自分で自分の時間を無駄遣いするのと他人に奪われるのはまったく違うのである。後者は犯罪行為(時間強奪罪)だと私は思っているが、自分で時間の無駄遣いをするのは自由の証であり、快感であり、すなわち幸福でもあるわけだ。


転載予定のツィートをコピーできなかったが、その趣旨は上の文章でだいたい分かるだろう。








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寒さは老人の大敵

私が不思議に思うのは、冬の寒さが厳しい地方でも、大陸の床下暖房(朝鮮ではオンドルと言ったかな? 中国ではカンとか何とか言うと思うが、漢字すらワードではなかなか出て来ない。)が日本では普及しなかったことだ。木造住宅だと床下暖房は火事の危険が大きいというためかもしれないが、大陸も木造住宅だったのであり、工夫の問題だろう。
まあ、いずれにしても冬の寒さが老人には大敵である、というのは同感で、そういう意味でも私は「地球温暖化は(それが事実なら)人類への恵み」だと言うのである。まあ、地球温暖化のために様々な自然災害が起こる、などというわけのわからない理屈は、もっと明確にその機序を説明してから言え、と言いたい。


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前にも書いたけど、日本人の平均寿命が格段に延びたのは医療のおかげでもあるけど、暖冷房器具の普及も大きい訳で。特に冬場は暖房で室温を20度程度にして置かないと年寄りほど肺炎で死ぬから。銀の父方の祖母も肺炎が元で死んでる。医療費抑制と健康寿命維持にはまず快適な室温調整からw





(注)オンドルとはこんなもので、イラストを見れば仕組みは簡単だが、言葉の記述だけでも理解できるだろう。床下の「板石」が日本ではなかなか手に入らなかったのだろうと思う。


本来の形式は台所で煮炊きしたときに発生する煙を居住空間の床下に通し、床を暖めることによって部屋全体をも暖める設備。火災の危険を避けるためオンドルを備えた家の土台はすべてクドゥルジャン구들장)という板石を用いて築き、部屋の床は石板の上を漆喰で塗り固め、その上に油をしみこませた厚紙を貼る。朝鮮半島においてはすでに三国時代から使用の痕跡が見られ、飛鳥時代の日本に渡来した高句麗百済出身者もオンドルを備えた家に住んでいたらしい。しかしこの暖房方法は、日本では多く受け入れられなかった。


台所で調理する際の排気を利用した暖房システムだが、炊事を行わない時も暖房用として竈に火を常時入れておく。台所が無い別棟には、暖房目的での焚口を作る。また、暖房の必要が無い夏季はオンドルに繋がらない夏専用の竈を炊事に使用する。しかし床下の殺菌、殺虫目的で半月に一度ほどオンドルに火を入れることもあった。



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「物はあるけど貧しい」とはどういうことか

私などは、飢え死にしないだけでも幸福ではないか、と考える人間だから、「物はあるけど貧しい」というのは「物の価値に(恣意的に)上下の値付けをする」、ブルジョワの思想だと思ってしまう。問題は、実は今の日本では飢え死にしている人間がかなりいるだろうということだ。生活保護すら拒否されている人間やホームレスの人間である。中には犯罪に走る人間もいるだろう。それは、「物がある」とは言っても、それが行き渡らない層があるということだ。百均やコンビニやストロングゼロやユニクロが利用できるのはまだ恵まれているわけである。私などには、ユニクロ製品など贅沢品に思える。コンビニの存在には生存を助けられている。百均はデパートなどより庶民生活にはるかに貢献していると感謝している。
そうしたものを「貧しい」と思うのは勝手だが、では、ゴッホやセザンヌやフェラーリを私有できるような生活が人間の理想なのだろうか。価値観というのは、実は自分で決めることが可能であり、私は、いくらカネがあっても、孫正義や柳井や前澤何とかと自分の人生を取り換えたいとはまったく思わない。数億円の宝石より、草の上の露や青空や白い雲が美しいと思う。
まあ、物があるけど貧しいと言うのなら、それは、たとえば利休が褒めたからと言って、朝鮮の尿瓶を茶器として有難がるような人間のことだろう。いや、尿瓶を茶器としてもいいが、要するに「高い値段がついたから」有難がる心根の卑しさを私は貧しいと言っているのである。
なお、私は、「自分が江戸時代(でも奈良大和時代でもいいが)の人間だったら、今の最底辺の生活でもたいへんな贅沢だと思うだろうな」、と、よく想像する。そういう意味では、人類は確かに進歩しており、時代が進むほど幸福なはずなのである。それが幸福でないのは、実は、「他人と自分を比べる」ことから来ているのだ、と思っている。自分と他人ではなく、今の時代と過去の時代を比べるのは、精神衛生的に有効な思考法である。言い換えれば、幸福も不幸も主観が一番の決定要素だということだ。これをさらに言い換えれば、「我はただ足るを知る」が幸福への指針だ、となるだろう。と言うのは、不幸とは不満とほぼ同じであるからだ。「足るを知る」なら不満ではありえないわけである。
などと言うのは、形而上的な問題解決であり、現実にはカネが無いがゆえの無数の悲惨にこの社会は覆われている。だから私は(世の不幸の救済策として)社会主義を主張するのである。




百均やコンビニやユニクロやストロングゼロに衣も食も満たされている生活のことです。












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お宝は古い地層の中にこそある

今話題の「映像研には手を出すな!」の中に出てくる言葉遊びだが、こういうものがある。

「ちょっと待つ茸」
「あっと驚くタメゴロー」
「レッツラゴー!」
「何をトンチキなこと言ってんです」
「なんじゃらほい」
「パーペキ」
「よっこい、しょういち」(人間をおんぶする掛け声)

以上は、2050年(という設定)の高校生女子(映像研部員)の会話の一部である。
とりあえず、漫画の第二巻までだが、作者(大童澄人氏)の年齢より古い時代のギャグも混じっていて、そのアニメが今、幅広い年齢層(小学生や幼児含む)にウケているようだ。つまり、言葉(あるいは笑いやギャグ)は「伝承される」ものだ、と言いたいわけである。落語など、その代表だろうが、漫画やテレビのバラエティ番組のギャグも同様である。
私が毎度言っている「古いものの中にこそ巨大な財宝が眠っている」例である。「映像研」という漫画そのものが藤子不二雄の漫画や宮崎駿のアニメのような過去の文化遺産から生まれている。いや、クリエイターだけでなく、市井の多くの人が、そうした名作漫画や名作アニメから精神的養分を得て心を育ててきたのだ。社会から市民図書館が無くなり、本屋がすべて消滅した世界の住人はどこからその精神的養分を得るのだろうか。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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