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古い文化財の修復の危険性

日光陽明門の修復もひどかったが、これもひどい。特に武者の絵など、馬の姿勢以外は原型をとどめていない。武者の顔の向きが明らかに違うだろう。


(以下引用)

勇壮な武者生き生きと 大絵馬修復、鹿島市の五の宮神社

杉光さん、中村さん1年半かけ彩色

10/14 19:30

修復された大絵馬。武者の勇壮な姿を描いている。修復に当たった中村啓三さん(左)と杉光定さん=鹿島市の五の宮神社



修復が完了した絵馬。「国造り」を描いている



修復する前の絵馬



修復する前の五の宮神社の絵馬


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懐かしの「私作る人、あなた食べる人」問題の再燃か?

元ツィートの論理が今ひとつ分からないのだが、批判対象はA:妻の手料理を食べる人(岸田新総裁?)、なのか、B:妻の手料理を食べる人を親しみやすいと感じる人なのか。まあ、両方だろうが、比重はBにあるだろうと思うので、検討してみる。
基本的に、何かを見てどう感じるかは個々の主観の問題であるので、それを批判することに何の意味があるのだろうか。この文脈からすると、「妻の手料理を食べる人を親しみやすいと考える人」は「妻を奴隷扱いする」人間だと推定しているわけだが、これは「夫は妻の手料理を拒否すべきである」という意味なのか。おそらくそうではなく、「妻=料理を作る人」という観念を嫌悪しているのだろう。
だが、これは「家計の主な収入源」が夫か妻かで決まるのであり、夫が外で働き、妻は家庭生活を維持し向上させるというのが基本的役割である家庭は多いだろう。(もちろん、共働き家庭のほうが今は多いのかもしれない。その場合は家庭内労働の分担は半々であるべきだ。)このツィート主は、「専業主婦」という存在を否定しているのか、それとも結婚という制度そのものを否定する意味で発言しているのだろうか。

元ツィート主(シクラメン氏)はプロフィールに「フェミニスト」と自称しており、キャリアウーマンであるらしい。とすると、専業主婦憎悪というのが、このツィートの一番の動機で、それと同時に、岸田総理の足を引っ張りたいという、「リベラル」志向があるかと思われる。まあ、私自身、自民政治には嫌悪感が大きいが、一部のリベラル(特に立憲民主)と戦闘的フェミニズムがなぜか共同歩調を取っているらしいのは感心しない。(今は詳説しないが、支持層を分断させるのは野党として政治戦略的に間違っている、というのが主な理由だ。)私は女性の権利拡張 (「女性に不利な社会制度や社会習慣」の変革)には大賛成なのだが、「男と喧嘩する」(実は女、特に既婚女性や専業主婦、あるいは「色気のある」「色気を売り物にする」美人一般とも喧嘩しているwww)のがフェミニズムだと勘違いしているフェミニスト(上野千鶴子がその旗頭か)の存在は実に愚劣だと思っている。彼らは女性全体にとって不利益をもたらしていると思う。

(以下引用)

このツイートを見て「亭主元気で留守が良い」という言葉を思い出した。 これなんかはまさに「夫の奴隷化」だと思うんだけど、調べてみたら「1986年の流行語の一つにも選ばれている。」ということだった。 「1986年」ですよw weblio.jp/content/%E4%BA
引用ツイート
シクラメン
@pappapararira_
·
妻の手料理を食べる俺=親しみやすいと思ってるかもだけどそれ親しみやすいと感じるのって妻を奴隷化してる夫たちばかりだと思うよ... twitter.com/m_hariqmaharit…




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久しぶりに「知性と教養」のある総理の誕生か

「ネットゲリラ」氏が珍しく茶化さないで書いている。
岸田家はかなり知性に優れた家系のようだ。まあ、通常の欲(金欲、権力欲、色欲)まみれの政治家家系ではないと思っていいのではないか。別サイトのコメントで見たが、利権に縁の無い外務大臣を長い間勤めていたところも、欲の無さを示しているようだ。まあ、そういう淡泊さが政治闘争においては弱点になるかもしれないが、竹中や維新政治家や小泉親子や安倍一味などの物欲権力欲まみれの下種・エゴイストばかり見てきた目からは、非常に好感が持てる。
当人が東大でなく早稲田というのも、早稲田の「在野精神」がまだ存在した時代に学生生活を送っただろうと考えると、かえって良かったのではないか。
なお、教養というのは、知識が人格の向上に結びつくことだ、というのが私の持論で、(学歴や読書量=教養)ではない。

(以下引用)

岸田家のルーツ

| コメント(1)

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岸田家のルーツ、という話なんだが、上の図版は明治時代の基隆の地図で、「岸田喫茶店」「岸田呉服店」というのが、首相になった岸田さんの先祖がやっていた事業です。岸田幾太郎(1867-1908)というのが岸田さんの先祖です。
1891年(明治24年)頃に農機具、種苗、呉服などを輸出し、輸出先である北海道にて仕入れた海産物の販売業を始める[4]。1894年(明治27年)に三宅直之助の四女・スミと結婚。翌年には、長男の正記が生まれる。 長男が生まれて2ヶ月が経った頃には台湾の基隆市に移住し、現地で呉服商と材木商を営む[4]。
その後、幾太郎は1899年(明治32年)に帰国すると、地元の西志和村にて木材商、呉市にて金物商の経営を経て[4]、1906年(明治39年)頃には満州に移住し大連市の中心部に1町5~6反の土地を購入するが[5]、1908年(明治41年)9月14日に急死[6]。40歳の若さであった。
この人の息子が、岸田正記といって、戦前・戦後に国会議員をやっていた。

西志和高等小学校卒業。1913年(大正2年)、広島県立広島商業学校卒業。広商時代の同級生に大木惇夫がいる。長崎高等商業学校[5]、京都帝国大学法学部卒業[3]。在学中の1922年(大正11年)高等文官試験行政科合格[6]。
先代経営の貸家業を継ぎ1933年(昭和8年)に幾久屋百貨店を創立[7]。
大連および奉天で不動産業や百貨店経営に従事[3]。
1928年(昭和3年)に衆議院議員となって、以後6期連続当選、その間第1次近衛内閣の海軍参与官、小磯内閣の海軍政務次官、翼賛政治会国防委員長、自由党総務等を歴任した[3]。
戦後、公職追放。追放解除後の1953年(昭和28年)に衆議院議員に当選。代議士に復帰し1期務めたほか、幾久屋商事社長、穏田マンション社長を歴任した[3]。
ところが岸田家は外地で事業を営んでいたため、戦争で全てを失ってしまう。この人の息子が岸田文武といって、通産官僚から政治家になる。といっても、父の地盤をすんなり継いだというわけでもないようで、年代が違う。地盤をついでの世襲ではないようだ。
広島県広島市出身[1]。
1945年旧制東京高等学校卒業[2]。東京大学へ進学[2]。しかし、戦争末期のころであり、入学早々から勉強どころではなく、連日の勤労動員に続いて、終戦間近の同年七月には、学徒動員で旭川の師団に入隊した[2]。そして、その一カ月後には、郷里広島に原爆が投下され、広島市の自宅はその被害に遭い、また、多くの知人を亡くした[2]。在学中に高等文官試験に合格[2]。1948年東京大学法学部政治学科卒業[1]。
1949年商工省(現・経済産業省)入省[1]。繊維局配属[3]。通産省大臣官房会計課長、資源エネルギー庁公益事業部長なとを経て、1974年貿易局長、1976年中小企業庁長官を歴任して1978年退官[1]。
1979年の第35回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選[1]、以降当選5回[1]。

1945年8月15日、終戦と同時に、東京にあった家も進駐軍の接収に遭い、また、外地において大きく事業を営んでいた一家の財産も、すべて失ってしまった[2]。

岸田は、自他ともに認める読書家であり、秘書が「先生の姿が見つからないときは、本屋へ行け」と言われるほどであった[2]。政治、経済、歴史、科学あるいは文学等と分野にこだわらず幅広く読み、広く国の未来を見据えるために、多くの知識、情報を取り入れ、それを政策として反映させた[2]。
この人の息子が、岸田文雄という事になる。
東京都渋谷区に生まれる[6]。父・岸田文武は広島県出身の通産官僚だった。岸田家は広島の一族であるため、一家は毎年夏に広島に文雄を連れて帰省し、文雄は広島原爆の被爆者たちから当時の話を聞いた[7]。岸田一族も多くが被爆し、死に至った者たちもいた[7]。
1963年、父の仕事の関係でアメリカ合衆国・ニューヨークに居住し、小学校1年生から3年生まで3年間、現地の公立小学校に通う[8]。1963年秋から「PS 20」に通ったのち、1964年春からクイーンズ区の近隣住区エルムハーストに位置する「PS 13 Clement C Moore School」に通った[7]。岸田にとって少年時の在米経験は、白人の女児に手をつなぐのを拒まれた差別体験など[9]、原点に人種差別により正義感と義憤の念を強く持ち、世の中の理不尽さに気付くきっかけとなり、政治の原点となったが[10]、アメリカの国家としての大らかさ、多様性、活気などが印象付けられ、国家の普遍的価値である「自由」に大きな影響を受けることとなった[7]。
アメリカの公立校に通ったという珍しい経験の持ち主ですw 高校時代は野球とフォークソングに夢中で、東大は2浪して果たせず早稲田進学。長銀に就職し、5年間勤めた後、衆議院議員の父の秘書となる。ところで宮沢喜一の甥っ子が宮沢洋一という国会議員なんだが、この人は岸田文雄の従兄弟です。

さて、そんなわけで世襲といえば世襲なんだが、戦争で原爆の被害を受けたり、外地の資産を失ったり、NYで差別されたり、親戚筋がみんな東大出の官僚だったり、人並みの苦労はしている家系のようだ。宏池会30年目の首相です。まぁ、頑張ってくれたまえ(謎の上から目線w

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生産性(経済合理主義)が切り捨てるもの

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ警句」の一節である。記事の内容は「師」というほどのものではないので敬称略。もちろん、興味深い部分があるから転載するのだが、最近の文章は切れが悪い。しかし、冒頭部分は脳梗塞仲間として「あるある」である。
「客でない人間はすなわち『敵』」という時代思潮については、世の中に余裕がどんどんなくなっているのは確かにそうだろうと思う。その一方で、店側の気持ちも分かる。店のベンチに毎晩座り、買い物もしない人間は客ではなく、邪魔者、つまり店の「敵」だと思うのは自然だろうからだ。まあ、「生産性」が現代の(資本主義社会の)宗教的教義である、とでも言っておこう。生産性(あるいは経済合理主義)とは「最も合理的にカネを稼ぐのがエライ」という教義である。つまり、親を殺せば(法的には無罪にして)1億円やる、と言われればためらうことなく殺すのが、正しい信徒であるwww ここでは毒ワクチンの話はやめておくwww

(以下引用)

客でない人間はすなわち「敵」という時代


13件のコメント


小田嶋 隆

コラムニスト


 8月の半ばまで、3週間ほど入院した。
 退院してみると、驚くほど歩けなくなっている。
 思い出してみると、このたびの入院に先立つ6月の半ば過ぎ以来、体調に不安を感じていた。そこのところから起算すると、およそ2ヶ月にわたって、私は、ろくに外出することもかなわず、部屋の中に閉じこもりきりで過ごしていたことになる。
 と、現金なもので、すっかり体力が落ちている。
 足腰の筋力もさることながら、心肺機能が目に見えて衰えている。であるから、少し歩くと、たやすく息が切れてしまう。
 そこで、8月の下旬からこっち、意識的に歩くことを決意している次第なのだが、いかんせん残暑の戸外はあまりにも暑い。しかも都内の街路と店舗は、コロナ禍とパラリンピックのはさみうちで、正常に機能していない。
 なので、夜中に歩くことにした。
 夜になれば、暑さも多少はやわらぐ。
 それに、9月の声を聞いてから、吹く風にも、心なしか秋の気配が感じられるようになってきている。


 問題は、真夜中におっさんが町中を徘徊することの不穏さだ。
 ごぞんじのとおり、21世紀の時代思潮は、中高年男性による深夜の単独歩行を許容しなくなっている。
 いや、世間の目から見て、私はもはや「おっさん」というよりは「年寄り」に分類されているのかもしれない。
 どっちにしても、事情はそんなに変わらない。
 おっさんであれ、じいさんであれ、真夜中に平和な街路をうろつき回って良いキャラクターではない。うちの国の市民意識は、きわめて偏狭な方向に研ぎ澄まされつつ、今日に至っている。


 そんなわけで、夜の9時を過ぎた時刻に町中を徘徊する折には、なるべく嫁さんと連れ立って歩くことにしている。とはいえ、無目的に歩くことはできない。われわれは、行き先を定めずに歩くことを楽しめる年齢をとっくに過ぎてしまっている。仕方のないことだ。
 そこで、近所にある24時間営業のスーパーマーケットをとりあえずの目的地に定めることにした。これでようやく歩き始めることができる。
 かくして、8月の終わり頃から、ほぼ毎日、若干の遠回りをまじえながら、目的地である24時間営業のスーパーに立ち寄って、トマトだの牛乳だのを買って帰る散歩を日課としている。
 ここまではまあ、まあ、あたりまえな話だ。
 牧歌的なエピソードであると申し上げても良い。


 ところが、昨晩、いやな事件が起こった。
 この1週間ほど、私は、件のスーパーに到着するや、1階のセルフレジ近くにあるベンチに腰掛けて、比較的長い休憩をとることが習慣化していた。
 ショッピングそのものに興味がないのもさることながら、スーパーに到着する頃には、すっかり息があがっているのが常だったからだ。
 ついでに申せば、その24時間スーパーは、日々の歩行の目的地で、私個人の心の中では
「到着」
 という気分を抱かせる場所だった。
 であるから、私は、嫁さんが地下と1階の売り場を歩き回って商品を物色している間、ベンチに座って、ひとりしずかに、その日一日の歩行実績の達成をことほいでいたわけなのだ。
 そういう繰り返しが1週間ほど続いた。


 で、ゆうべのことだ。
 なんと、セルフレジの後方にしつらえてあったはずのいつものプラスチック製のベンチが消えている。
 周囲を見回してみると、ベンチは、通路の奥に片付けられている。そして、6本の脚で自らを支えることをやめて、座面の裏側を晒すカタチで、無残に立てかけられている。つまり、ベンチは、撤去こそされていないものの、人間が座ることのできないブツとして、壁際に押し付けられていたのである。


 なるほど。
 私は、考えた。
 この1週間あまり、買い物もせずに夜中の売り場でベンチを専有していた私の習慣は、店舗を管理する人間の側から評価してみれば、迷惑な行為だったのかもしれない。
 だから彼らは、商品を買わない来店客が、ベンチを長時間使用することを、やんわりと拒絶する挙に出たわけだ。
 壁の隅に立てかけられたベンチの、ホコリにまみれた裏面を眺めながら、私は、すっかりいやな気持ちになって店を出た。
 思うに、これは偶然ではない。
 売り上げに結びつかない人間を売り場から排除することは、現代にあっては正義に類する行為だ。そうやって21世紀の資本主義は動いている。客でない人間はすなわち敵なのだ。われわれはそういう時代に立ち至っている。


 3日ほど前だったか、ツイッターのタイムラインに、自民党の総裁選に立候補している政治家が、2012年にさる政治集会の席で話したスピーチの動画が流れついてきた。
 私は、横向きに立てかけられている無残なベンチを眺めながら、そのスピーチを思い出さずにおれなかった。
 彼女は、国にとって一番大切なのが「国家経営の理念」であるという、故松下幸之助翁の言葉を紹介したうえで、こんな意味のことを言っている。
「さもしい顔して貰える物は貰おうとか、弱者のフリして少しでも得をしよう、そんな国民ばかりでは、日本国(にっぽんこく)は滅びてしまいます。◯◯総理は常に……多くの方がマジメに働く、ヒトサマにご迷惑をかけない。自立の心を持つ……もう一度、皆さんと力をあわせて、また◯◯総理に頑張っていただいてですね、日本を奴らから取り戻しましょう」


 なるほど。
 特定個別の政治家の発言をあげつらって論難することは私の本意ではないので、名指しにはしないが、件のスピーチは
「さもしい スピーチ 創生日本」
 あたりの検索ワードを入力すれば、随時フリーで流通する動画として確認できるはずだ。ぜひ、自分の目と耳で確認してみてほしい。
 私が読者の皆さんに、このスピーチ動画の視聴をおすすめするのは、必ずしもその内容が非常識だからではない。
 むしろ、あのスピーチの中で政治家が訴えていた内容が、令和の時代の平均的な日本人にとって、「常識」に属する感覚なのかもしれないという疑念を、拭い去ることができないでいるからこそ、私は、その「常識」を客観的に見直してみてほしいと考えている。もしかしたら、われわれは、すでにして狂っているのかもしれないわけだから。
 そうでなくても、昨今のあたりまえな若い人たちにとって、典型的な「弱者」は、「さもしい」とまでは言わないまでも、迷惑な存在ではあるのだろう。だからこそ、買い物もせずにマーケットのベンチを専有している人間は、「うさんくさい年寄り」として冷遇されるのである。

(中略)



 思うに、昭和が終わってからの日本の社会は
「私権の尊重」
「私有財産の優位」
「自己責任」
「公共概念の後退」
「企業的経営という理念の絶対性」
「自由競争の賛美」
 を旨とする新自由主義に傾いている。
 そこへ持ってきて古くからの東アジア的な伝統である
「ヒトサマに迷惑をかけない」
「世間の大勢に従うのが無難だ」
 という感じの集団主義と事大主義が加味されている。
 で、このふたつの本来は相容れないはずのプリンシプルが悪魔合体した結果として、21世紀のわれら日本の社会の空気は、異様なばかりに周囲の目を気にする世間絶対主義という、限りなく窮屈な個体として結晶しつつある。


 その結果が、寝転がることのできない仕切り付きベンチと、「排除アート」(公共空間にホームレスが居住することを防ぐために設置される尖った彫刻もどきのモニュメント)の蔓延でもあれば、散歩のためにやってくるベンチ占有者をスーパーの休憩スペースから追い立てないと健全な営業が立ち行かないと考える売り場担当者のオブセッションであるわけだ。


 さて、エピローグというほどのことでもないのだが、長くなってしまったので、最後にいやな読後感のネタを紹介しておく。
 コロナ禍のあおりを受けて美術館や博物館が苦境に陥っているという話がいくつか耳にはいってくる。
 たしかに、美術館や博物館は苦しいだろう。ふつうに考えればわかる話だ。
 ところが、この件に関して
「多額の公金が投入されている施設である以上、美術館だとかは、富裕層のための文化施設なんではなかろうか」
「美術館や博物館に通うことで教養や知的好奇心を涵養する階層があるのだとすれば、その階層こそが恵まれた人々であり、そういう人々を優遇することは逆進性だぞ」
 という感じのツイートを流している人気アカウントがいて、しかも、これらのツイートにはバカにならない数の「いいね」がついている。


 世も末だと思う。
 個人的には、美術や芸術や先人の文化に親しむための施設を「富裕層のための文化施設」と言ってしまう感覚や、それらのために傾ける努力や興味を「逆進性」のひとことで説明してしまうセンスに、げんなりさせられる。


 たぶん、人類の営為を「効率」と「自己責任」の観点から評価しなおせば美術館だの博物館だのは、富裕層の道楽にしか見えないのだろう。
 私は、富裕層ではないが、だからといって貧困層に分類されたいとも思っていない。
 というよりも、自分以外の人間を「富裕」と「貧困」という観点からしか評価できない人間こそが本当に貧しい人間なのだと思っている。
 そういう人たちが総裁選を争っている。
 きっとおそろしく貧しい近未来がやってくることだろう。
 その先の未来に期待することにしよう。
 また来週。


(文・イラスト/小田嶋 隆)


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自由主義の破壊性(年齢と読書)

先日、高校1年の時の担任の教師だった人が亡くなったのだが、その人の或る言葉は私の記憶に残り続けている。
私は数人の友人と浪人時代にその教師と会ったのだが、その頃、ドストエフスキーの作品の面白さにかぶれていて、その教師に「ドストエフスキーの作品を全部読んだら、それ以上に面白い作品にはもう出会えないだろうから、それが残念だ」と生意気なことを言ったところ、その教師は少し黙った後、「僕はドストエフスキーが理解できたら死んでもいいと思っている」と言ったのである。この言葉は私に大きなショックを与え、その後、「文学を理解する」ことを安易に考えなくなった。とは言っても、生意気ざかりだから、「ドストエフスキーをこれほど面白く思っているのだから、俺のドストエフスキー理解がダメなはずはない」と思いながらも、「俺はドストエフスキーをいい加減な理解で読んだだけかもしれない」とも思ったわけだ。
「文学」などというたいそうな言い方はあまり好きではないし、私は純文学が大衆小説より上だという序列意識もさほど無いのだが、やはり「文学」あるいは「純文学」と、通常の娯楽小説には違いがあると思う。前者は、それを読むことで読んだ人間そのものに変化があるのに対し、後者は純然たる「時間つぶし」である。もちろん、楽しい時間つぶしはそれなりの価値があるが、肝心なのは、それを経験することで読んだ人の内面に大なり小なり変化が生じるかどうかということだ。つまり、その作品を読んだことで読んだ人間の「世界理解、あるいは人間理解の幅が広がる」わけだ。そして、ある作品がどの程度まで「読める」かどうかは、読む人のレベルによる。同じ人間でも、十代での理解と六十七十代での理解には大きな違いが出て来る。ただし、若年でもその作品の「大雑把な面白さ」や「哲学」は分かることが多いと思うが、細部はほとんど理解できていないのではないか。そして、優れた作品は細部にこそ本当の面白さがあるのである。
などと書いたのは、しばらく前に「悪霊」を再読した時にも感じたのだが、最近再読している「白痴」も、若い時に読んだ時には感じていなかった細部の面白さが抜群なのである。特に会話の面白さは、おそらく世界文学の最高峰だろう。
なぜドストエフスキー作品の会話が面白いかと言うと、人間自体の持つ喜劇性のため、と言えるかと思う。真摯さと偽りが同時に同じ人間の中に存在するから、その言葉も嘘と真実の混合となり、しばしば混迷そのものになる。実はこれは現実世界の人間も同じなのであり、何かを言う時にはあれこれ計算して話そうとするが、すぐに気が変わって支離滅裂な話しぶりになるわけだ。
我々は、自分で思うほど合理的なふるまいや発言をしているわけではない。
ドストエフスキーが「悪霊」や「白痴」の中で描いているのは、「自然な人間は、どのように欠点だらけでも美しいが、思想や信条に毒された人間は醜く、一種の怪物となる」ということかと思う。特に「自由主義」を彼は批判しているが、これは現代においてこそ納得されるだろう。
自由とは、束縛を脱することで、その行き着く先はあらゆる宗教や道徳や法律の否定になる、ということを彼は暗示していると思う。これは現代の新自由主義の世相を見れば、その先見の明が分かるのではないか。もちろん、ロシア正教の擁護者であるドストエフスキーは「宗教」という信条の毒には触れていない。ただ、「自由主義」の持つ破壊性が、「悪霊」や「白痴」には示されている、ということだ。
いずれにしても、老年での読書は、過去に読んだ作品の再読でも、若いころには理解できなかった細部の理解が可能になるという、素晴らしいメリットがあるのである。まあ、泉鏡花など、未読の作品で読んでみたいのもたくさんあるが、手元にある本の再読だけでも死ぬまで楽しめそうである。



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「暇つぶし」の人生論

或る人のツィートだが、いろいろと思考素になる話だ。必ずしも書かれた内容に同意するわけではないが。
第一に、「酒を飲む」のが習慣の人間は、酒を飲むことだけを黙々としているわけではない。一番多いのは、仲間や友人と飲むことだろう。酒は交友のガソリンであるわけだ。次に多いのは、酒を飲みながら本を読んだり音楽を聞いたりネットテレビで映画を見たりすることだろう。これらは、「酒+他の趣味」であるわけで、酒を飲む以外の暇つぶしはあるが、酒を伴うとより楽しいわけだ。
第二に、「暇つぶし」ということに関してだが、人生自体が生まれてから死ぬまでの壮大な暇つぶしである。で、仕事というのも「暇つぶし」としては有益なもので、何しろ1日に8時間も暇つぶしをさせてくれるwww だが、たいていは「面白くない」から最悪の暇つぶしだとも言える。しかし、カネが貰えるから、そのカネで、一日の残りの時間を楽しい暇つぶしに使うわけで、そのひとつが飲酒である。まあ、中島らもみたいに飲酒ではなく違法薬物を使う人もいるwww 酒のほうが、法に触れないだけマシかもしれない。
第三に、「教養とは(酒を飲まなくても)暇つぶしできる能力である」というのは、酒を敵視していること以外は同感だ。煙草なども「煙草休憩」というのがあるように、「精神を休めるお供」としては最高だが、酒同様に健康には悪い。美食もそうだが、気持ちいいことはたいてい健康に悪いのであるwww まあ、暇つぶしに絵を描いたりしたら「いい趣味ですね」と言われるが、酒を飲み煙草を吸うと非難されるのである。

人生が暇つぶしである、という観点に立てば、「他人や社会の役に立たなければならない」という重圧や束縛から解放されるのではないか。つまり「いつでも好きな時に死ねるのだ」と思えば気楽に楽しく生きられそうである。ところが、親兄弟や妻や子供や友人のことを思うと「死ぬに死ねない」となり、生きることが苦痛の連続になる。それは、ある意味、「自分の存在は他にかけがえのない貴重なものだ」という自惚れでもある。
だが、少なくとも、会社などの組織では「他にかけがえのない存在」など存在しない。総理大臣など、最悪の人間ばかりがその地位についているから、辞めたら大喜びされるくらいである。まあ、そういう「機能による存在価値」ではなく、愛情による存在価値は、また別ではある。機能に関しては、ひとつの歯車など、いくらでも取り換え可能なのである。むしろ、その歯車が表舞台で居座っているために、もっと有能な歯車の存在価値が世に現れない可能性が高いのだ。

(以下引用)


作家の中島らもさんが「教養がない人間は酒を飲む以外の暇つぶしが浮かばない」と言っていて「凄くいい言葉だなぁ」と思いました。つまり教養とは「酒を飲まなくて暇を潰せる能力」なのかもしれませんね。




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汝、天に赴くべし

洗礼者というよりは「誘惑者」という印象で、現代のロックスターみたいである。表情が悪魔的だ。よく見ると、右目と左目の視線の方向が違う。右目は地上、または地上の人物(絵を見ている人)を見、左目は天を見ている。




洗礼者ヨハネ / Saint John the Baptist

完成作品におけるレオナルドの最後の作品



レオナルド・ダ・ヴィンチ《洗礼者ヨハネ》1513年〜1516年。Wikipediaより。
レオナルド・ダ・ヴィンチ《洗礼者ヨハネ》1513年〜1516年。Wikipediaより。

概要



作者レオナルド・ダ・ヴィンチ
制作年1513〜1516年
メディア油彩、クルミパネル
サイズ69 cm × 57 cm
ムーブメント盛期ルネサンス
所蔵者ルーブル美術館

《洗礼者ヨハネ》は1513年から1516年ころにかけてレオナルド・ダ・ヴィンチによって制作された油彩作品。完成作品の中では彼の最後の作品で、実質的な遺作とみなされている。また、レオナルドのスフマート技法が最高潮に達した頃の作品である。サイズは69 cm × 57 cm。パリのルーブル美術館が所蔵している。


 


明暗のコントラスト技法であるキアロスクーロで描かれた人物は背景の黒い影から出現しているように見える。


 


この人物は孤独な状態にあるヨハネを描いたものであるという。十字架と着ている毛皮で人物がヨハネであることがわかるが、また、レオナルドの代表作である《モナ・リザ》を彷彿させる謎めいた微笑を見せている。


 


ヨハネは救世主の存在を知らせる「メッセンジャー」であり、右手はレオナルドの《聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ》と同じように、天を差しており、左手は胸に手を当てている。




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