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「純文学」とは何か

竹熊健太郎のツィートだが、「ファインアート」の定義を初めて見た。この定義は世界的に公認されたものだろうか。いや、公認ではなくとも、常識としてそう認識されているのか。
もちろん、私はこの定義にほとんど同意するが、他の定義も成り立ちそうな気もする。
ちなみに、私は「純文学」の定義を、「世界(あるいはその国)に人間性や精神などへの新しい思想や感覚や発見をもたらした文学」と思っている。その点ではSF作品の中には「純文学」的価値を持った作品が多いが、推理小説などは、いくら面白くても「純文学」にはならない。「なろう小説」の大半が「何かの亜流の亜流の亜流」であるに至っては、単なる「消費物」である。
私の「純文学」の定義を言い換えれば、「読む人の精神世界を拡大する小説や詩」である。たとえば、詩でいえば、アルチュール・ランボー、小説で言えば、スィフトやルィス・キャロル、ポー、ドストエフスキーなどである。或る種の「狂人性」がそこには必要な気がする。もちろん、読む人の感性や解釈能力によっては「ドン・キホーテ」なども純文学だ。

(以下引用)

こういう表現をなんと呼ぶべきか。「純文学」「純音楽」「ファイン・アート(純粋芸術)」という言葉があるが、これらは「娯楽」とか「商業芸術」に対比される言葉で、目的が「表現そのもの」にある表現を言う。言葉を替えれば「その表現手法でなければ表現できないもの」のことだ。

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キチガイの「正義」

某ツィートだが、言い得て妙である。(念のために言うが「妙」は誉め言葉である。「妙(たえ)なる」とか「神妙」「妙好人」の類。)魔女狩りをした連中やナチスの協賛者とかは、現在の「ポリコレ」グループとまったく同質である。


(以下引用)

魔女狩りやらナチスの暴虐やら、今の時代から考えると信じられないことのように思うかもしれないが、 今の欧米のポリコレバカを見ていると、「ああ、確かにコイツらがそれを行ったんだな」と確信できるから面白いよな この300年、全く成長していなかったわけだ

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鉛筆の好みと書初め

何種類かのブログを書いているので、どのブログに書いたか忘れたが、私も2Bか4Bの鉛筆を使うことを推奨した記憶がある。書き味、書く快感というのが全然違う。HBは、まさに「仕事用」鉛筆である。書いてて、その感触が気持ち良くない。
ちなみに、子供にとっての書道の不快さというのは、「書いたら書き直しができない」という絶望感にある。絵を描くのも同じである。特に、絵の具を使うと、「失敗したら訂正できない」という圧迫感が子供にはある。その恐怖感を無くすために、画用紙やスケッチブックにでたらめに筆を走らせ、その筆跡やかすれや色のにじみの面白さを子供に教えることが、子供への美術教育として有益だと私は思っている。
私が最近凝っているのは、「水彩絵の具を使った『抽象画としての書道』」である。これは、偶然性も加わって、面白い作品になることが多い。つまり、才能など不要で、必要なのは筆やブラシ(掃除用ブラシである)を走らせながら、つぎに、どこにどの色の線や筆跡を走らせようか、という咄嗟の判断だけである。そして、基本的に「失敗は無い」と考えればいい。単に、「世界的な傑作」と「普通の出来」があるだけだ、と考えればいい。ちなみに、洗濯ブラシ(と言うより掃除用ブラシ)を使う場合は、同時に複数の色をブラシに載せて紙の上を走らせる。そうすると、色と色が混じって面白い効果が出る。
そのうちに、この方式で世界的な傑作を書く子供や若者が出て来ると思う。
ついでに言えば、書初めで試しにアクリル絵の具を使ったら、見事に汚い作品になった。水彩絵の具でないと、この方式は向かないようだ。


(以下引用)




 
 
 
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小学校ではHB鉛筆より2B推奨?(Coprid/stock.adobe.com)小学校ではHB鉛筆より2B推奨?(Coprid/stock.adobe.com)


 「今の小学生はHB鉛筆を使わないらしい」ーーこんな話を聞き、兵庫県内の小学校に通う親戚に電話で尋ねると「2Bだよ。かきかたの授業だけ6B」。入学時の説明会では学校から「鉛筆はBまたは2Bを4〜5本」と指定があったそうです。昭和世代の筆者にとっては鉛筆=HBだったのに。慣れ親しんだHB鉛筆の「今」を調べました。

鉛筆の硬度のJIS規格は17種類

 日本筆記具工業会のホームページによると、鉛筆の芯の硬度はJIS規格により6Bから9Hまで17種類あり、やわらかい順に6B、5B、4B、3B、2B、B、HB、F、H、2H、3H、4H、5H、6H、7H、8H、9Hの記号が付けられています。やわらかい芯の記号BはBlackの頭文字B、かたい芯のHはHardの頭文字。「HとHBの間にFがありますが、これはFirm(ひきしまった)の頭文字を使っています」。

HBと2B、2012年に逆転

 老舗鉛筆メーカー「トンボ鉛筆」(本社、東京都北区)では鉛筆の硬度別売り上げ比率は、1999年はHBが43%、2Bが22%、Bが21%でしたが、20年後の2019年には2Bが51%、HBが20%、Bが17%と首位が逆転しました(同社社内構成比)。


 同社担当者によると、2B鉛筆がHBに追いつきそうな傾向が見え始めたのは2006年のこと。2009年までほぼ同数出荷が続き、2010年には完全に同数出荷に。そして2012年、2Bがわずかに上回り逆転。2013年と2014年は2Bが少しずつ上回り、現在に至ります。


 HBはなぜ減ったのでしょうか? 同社担当者は2つの理由を教えてくれました。


 1つは小学校による2B鉛筆の推奨です。「小学校入学時、学校からの通達は以前は『鉛筆を持ってきてください』だったのが、『濃いめの鉛筆を持ってきてください』という説明に変わりました。教育がよりていねいにされているようです」。


 もう1つは、スマートフォンの登場です。「2007年にスマホが登場し、IT化も進み、文字を書かずにコミュニケーションが取れるようになりました。仕事など事務用のHB鉛筆が使われなくなりました」。


 といっても2B鉛筆の売り上げが増えたわけではなく、構成比において2BがHBを上回っただけだそう。「2Bは学校で使うため堅調に売れますが、鉛筆全体ではHBの売り上げが激減しました」。


トンボ鉛筆の売り上げ構成比(トンボ鉛筆への取材より作成)トンボ鉛筆の売り上げ構成比(トンボ鉛筆への取材より作成)

HB鉛筆じゃないとダメな場面も

 小学校やオフィスなどで使用される機会が減ったHB鉛筆。このままでは消えてしまうのでしょうか。


 同社担当者は「HB鉛筆は大学入学共通テストのマークシートやTOEICテストなどに指定されています。また、法務手続きなどの書類上で捺印や署名箇所を示す鉛筆書きの丸印はHB鉛筆が使われることが多いです」。HBの長所「何も書いてなかったかのようにきれいに消し去ることができる」が生かされているといいます。


 「HB鉛筆は社会のお役に立っています。HBの消費本数は減っていますが、信頼感を担っています。今後も社会をしっかり守っていく存在だと思います」(同社担当者)


大学入学共通テストの「机の上に置けるもの」に「黒鉛筆(H,F,HBに限る)」とある(同テストホームページのスクリーンショット)大学入学共通テストの「机の上に置けるもの」に「黒鉛筆(H,F,HBに限る)」とある(同テストホームページのスクリーンショット)

書道教室「字を濃く太く書くことが重要」

 児童や小学生も多く通う書道教室の現状は。小学校教諭の経験もある「睦麗書道教室」(神戸市中央区)の書道家、睦麗さんに話を聞きました。


──やわらかい鉛筆とかたい鉛筆の特徴は。


 「やわらかい鉛筆は字が濃く書ける。線の太い細いの強弱を出しやすい。小さい文字になると美しく書きにくくなります。一方、かたい鉛筆は字が薄い。線の強弱を出しにくい。小さい文字は書きやすいです」


(以下略)








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見えない「階級」

今、ドストエフスキーの「未成年」を断続的に読んでいるのだが、その一節を読んでいる時に「見えない階級」という概念が思い浮かんだ。まあ、学校という閉鎖集団などでの「見えない階級」はよく知られているが、やや誇張されている。階級ではなく、いじめ集団対いじめ被害者が大半だろう。私が言うのは、もっとはっきりしている「階級」だのに、それが階級だと意識されていない、というものだ。
それは封建時代には普通だった「長子相続制」における長男(長子)と、それ以外の子供の「階級差」であり、それが日本全国で普通だったのだから、明らかな階級なのだが、それが階級という意識がほとんど無かっただろう。
で、時代劇でおなじみの「御家騒動」だと、長子の相続に不満を持つ他の子供たちが長子を暗殺する計画を立てる悪人だ、つまり「秩序を壊す大罪人だ」となるわけだが、長子相続が本当に正当性があるのか、正義にかなったものなのか、ということは問題にならない。世界には「末子相続」という制度もあり、末子の年齢が低いなら後見人制度というのもある。
まあ、騒動など起こらぬに越したことはないわけで、一部の人間が不満を飲み込むことですべてが丸く収まってきた、というのが日本社会だったわけだが、これが自己主張の強い西洋人だと、同族の間の殺し合いで100年間くらい戦争が続いたのではないか。もちろん、日本も戦国時代にはそうだったわけで、戦国時代が終わって平和になったのは良かったが、「自分の不利益」を我慢した無数の人々の犠牲の上にその平和はあったわけである。
ちなみに、ネットコメントなどを見ると、他県民を蔑視し、東京都に住むだけで自分たちを「上流階級」であるとする馬鹿コメントに時々お目にかかる。まあ、タワマンの上層階に住むのは低層階に住む連中より上流階級だ、というキチガイ思想もあり、人間は階級というのが大好きなようだ。13階段の一番上まで行けば、後はどうなるかwww

(追記)上の話と関係があるような無いようなツィートだが、「家系」というのも「見えにくい階級」ではある。

平野啓一郎
@hiranok
保守系議員が夫婦別姓に反対したり、「家庭」という文言に拘ったりするのは、イデオロギー教育の場として、或いは自己責任論の押しつけ先として家庭に期待しているからだろうが、それだけでなく、二世、三世議員は「家系」というものが価値を失ったら、空っぽだからなのではないかと、最近疑ってる。

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歌とノスタルジー

「谷間の百合」さんのブログ記事(前半のみ)だが、私もこの「東京大衆歌謡楽団」はごひいきで、いつか書こうかと思っていたが、動画のコピーの仕方が私は運任せなので、できなかったww
私が「夜来香(エーライシャン)」や「蘇州夜曲」など、戦時中の歌が好きだということは何度か書いたが、それより古い日本の歌謡も好きなのである。たとえば、黒澤明の「生きる」の中で、志村喬がブランコに乗って雪の中で「ゴンドラの歌」を歌う場面は涙無しには見られない。日本の歌謡に限らず、たとえばロシア民謡の「カチューシャ」とか、イギリスの戦時歌謡の「遥かなティペラリー」とか、あるいは日本の唱歌とか、好きである。「無法松の一生」で、子供が歌う「青葉の笛」なども好きだし、あるいは浅草オペラの「ディアボロの歌」とか、ノスタルジーを掻き立てられる。まあ、要するに「大衆歌謡」が好きだ、ということだ。その点、「ムード歌謡」などは酒や化粧の匂いがしてあまり好きではないwww
ちなみに、私は音痴だが、ディック・ミネの「或る雨の午後」だけは歌えるし、自分でも悪くないと思っているww 歌など、ひとつ歌えればいいのである。

「東京大衆歌謡楽団」

「ネットゲリラ」のコメント欄に、初めて聞く名前でしたが「あさみちゆき」という女性の歌が紹介されていて、なんとなく癖になりそうというかこころに沁みる歌だなと思いながら聴いていました。
ところが、動画サイトに彼女の曲とともに次々と上がってきたのが、これも初めて聞く「東京大衆歌謡楽団」というバンドの動画でした。
その動画の一つを下に貼りましたが、これを見た人はまず何を感じたでしょうか。
高島4人兄弟のバンドで、兄弟はそれぞれ別の音楽をしていて、とくに長男でボーカルの孝太郎さんはロックが好きだったそうですが、転機になったのが「誰か(たれか)故郷を想わざる」という歌だったそうです。
西条八十作詩、古賀政男作曲の戦前に流行った曲です。
その歌が少年のころを思い出させ、それに家族の風景が重なり、さらにそれは故郷としての国に繋がっていったということでしょうか。
お年寄りが一様に言うのが「最後は家族なんだ」「家族が大事なのだ」ということだったそうで、そこには社会によって家族が分断されたことへの悲しみと怒りが込められていたのではないでしょうか。
最初は老人の真摯なというかこころを刺してくるような視線にたじろいだということですが、その視線が何かを理解する手掛かりになったということでした。
老人はカラオケで懐かしい曲を歌っても満たされずに不完全燃焼で終わっていたのだと思います。
つまり、より多くの人となつかしさを共有したいのです。
それは同年代の人間だけではなく、日本人として日本という故郷を多くの人と共有したいということです。
その思いにかれらは気がつきそれに応えたのです。
こういう歌が内包しているのはだれのこころにもある故郷なので、老人と若者の区別もありません。(外国人の区別もないでしょう。)
哲学的な兄弟のインタビュー記事からわたしは多くの示唆を得ましたが、その記事を見失ってしまいました。
記事が見つかればまた書くことがあると思います。
わたしが感動し興奮したのは、このバンドが、DSがやろうとしている人類の画一化、平準化へのささやかな抵抗の方法と方向を指し示しているのではないかと思ったからです。
演芸はテレビ局と事務所によって恣意的権威的に運営され、そのテレビ局や事務所を監督統制しているのがDSです。
そんなテレビ局に認められるために芸人や歌手は必死なのです。
それしか念頭にありません。
たけしさんが言っていましたが、猿回しの猿です。
猿はどこを向いているのかということです。
演芸の原点が見失われています。
「東京大衆歌謡楽団」がこの先どうなっていくのかは分かりませんが、かれらが原点を逸脱することはないと思いたい。



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外の音に耳を傾けること

「心」という漢字は面白い。左右対称でもないし、上下対称でもない。つまり、「偏りがあるのが当たり前」だ。そして、直線が使われていない。自然界には直線は存在しないという。直線とは合理性の極みだろう。
なお、英語のheartの中にはhearが入っている。hearを外界からの刺激の受容と考えれば、「徒然草」の「心は縁によって起こる」を想起させる。

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「病無く身強き人」は障害者を理解できるか

私は「神戸だいすき」さんの、文章から漂う臭みというか、キャラクターはあまり好きではないし、その本来の性格と思われる(当人が引用文末尾に書いてある。つまり、自覚しているわけだww)「高慢で鼻持ちならない」人間には、現実世界ではあまりお付き合いしたくないし、その文章も「偉そうで」不快な印象を与えるものが多いのだが、私の知らない特殊な情報が時々入ったりするので、不定期に読んでいる。
しかし、下の文章は、これはできるだけ多くの人、極端に言えば、全国民が読むに値する、「障碍を持つということがリアルにどういう事か」を明確に描いたもので、医療者や養護関係者は自分たちが当たり前に知っているこういう「事実」を世間にもっと訴えるべきだと思う。
なお、私自身の実見としても「自力で歩ける」ことがいかに「エリート」であるかは知っている。寝床で膝も立てられない、という状態は、私自身経験がある。

(以下引用)


かつて、私は、車いすで出歩いたり、

まひした体で、杖にすがって歩く人を見ると

「気の毒に、さぞかし、不自由だろう」と、思っていました。


たいていのひとはそう思うと思う。

なかには、脚のかたちさえ、曲がってかたまり、体をゆらしながら、転びそうな歩き方の人も見かけます。


たいへんだなあ、ああなったら・・・と、私は、思っていたのです・・・主人が、脳卒中で入院するまでは。

数日後、ICUを出られるようになった時、

「主人は、どこまで治るでしょうか?」と、尋ねたとき、医師は「努力次第で、杖をついて歩けるところまでは行けます。必死でリハビリに励めばね」

主人はまだ55歳でした・・・杖で歩けるところまで、だけ?

「手は、治りますか?」
「手はあきらめてください」

「え?何とかならないのでしょうか?」
「手を動かす神経は、足よりはるかに数が多いのです。それが傷ついているのだから、戻りません。いいじゃないですか?歩けたら。
歩けさえしたら、自分でトイレに行けますよ。」

倒れる前の日まで、自分でトイレに行くどころか、両手が使えて、歩くのも走るのも、自由自在だったのに・・・リハビリを、必死でやっても・・・歩けるようになるだけ?

それも、杖を突いて!!!

それは、ショックでした。

これからどうしよう・・・私も血圧がボン!と、上がりました。


救急病院で、さまざまな患者さんに出会いました。

たいていのひとは、救急車できても、2週間点滴をすれば、すっかり元通りになる「軽い脳梗塞」の患者さんでした。


でも、脳溢血は違います。主人は脳溢血でした。点滴で、血管が通るというのでなく、破れて出血しているのだから、

点滴なんかで元通りにはなりません。

でも、そこに入院している1か月の間に、いろんなことを知りました。

6人の病室で、脳溢血の患者は、主人だけでした。

ほぼ、脳梗塞。おひとり、交通事故の外傷性の脳出血の方がありました。


脳梗塞の人は2週間で、どんどん出ていかれます。

同病相哀れみようにも、同じ脳出血の仲間がいないのです。

やがて、その理由がわかりました。


脳出血で運ばれるのは、最近では稀なこと、血圧降下剤があるので、たいていはそこまでいかないのです。主人は白衣症候群で、おびえて医者に行かなかったので、非常にまれなケースになったのです。


たいていは、血圧管理しているから、脳出血は起こさない。にもかかわらず、脳出血を起こす患者さんは、まず、助からない。

脳出血を起こしても、命があるのは、むしろ僥倖だったのです。

脳出血でも、生きたという点で、主人はエリートでした。

隣のベッドに、奥様を長く看病されて、極限で送った後、葬儀も終え、親族がみんな、去った後、脳梗塞で倒れたご主人が運ばれてきました。


みんな、やれやれと思って、去っているので、お父様の突然の病に気づきませんでした。発見されたのは3日後・・・こうなると、2週間の点滴では、回復できません。

奥様の後も追えず、全身がマヒしてしまった体を横たえた患者さんは、あきらめきった表情でした。

体に全く力が、入らないので、車いすに乗り移ることさえ、困難でした。

寝たきりから、まずは膝を立てられるようになり、ベッドで身を起こせるようになり、ベッドの縁に座れるようになり、
少しの間、立ってられないと、車いすにも乗り移れないのです。

私は、励ますつもりで「膝が立てられるようになれば、よくなりますよ」と、声をかけた。

その人は、悲しそうに、膝を立てようとするのだけど、できない。

私は、手伝って膝を立てさせた・・・すると、そのままでいることができないで、足がぶるぶるがたがた震えて、膝が落ちた・・・・


膝が立てられる・・・それさえも、不自由な人からみればエリートなんだと思った。

身を起こせること、

ベッドの縁に座れること、

車いすに乗り移れること。

ここまで来れるのは超エリート。


私は、車いすに乗っている人を、哀れだと思ってはいけなかったことに気づきました。

そこまでたどり着けない人が、たくさんいるのです。

人の目に触れないだけで。

「卒中での死」を免れても、車いすにたどり着けるまでに、いくつもの関門。

そして、そこから「歩行訓練が始まります」

平らなところに腰をおろして、そこから立ち上がるというのも、たやすいことではありません。

まひした足は、足首がぐらぐらなので、持ち上げて、前に運んでも、つま先が、違う方向を向いています。

それを、進行方向に整えるのも、大変な努力です。

6か月間の入院、リハビリを終えて、自宅に戻った主人は、杖をついて歩ける。手すりにすがって階段を上り下りできるようになっていました。


でも、わずか数メートルの道路を横断するのに、1分以上かかりました。

長い入院で脚の筋肉がゼロになっている感じでした。

けれど、ここまで来るのが、どれほどの幸運であるか、私は知っていました。動かないのは、脳の神経が壊れているからです。

その場所によって、どういう障害が残るかが決定されるので、もう、運だとしか言えません。


また、倒れた状況、発見されるタイミング・・・そういうことに、幸運が重ならなければ、杖を突いて、よちよち歩けるところまで登ってこれないのです。


それ以後、障害を持つ人を見る目が変わりました。

以前は、あんな歩き方しかできないのに、よくまあ、外に出てくるわ!?と、思っていました。

なんか、別の生き物を見るように。

でも、どんなに、ぎくしゃく、のそのそしても、「寝たきり」から、そこまでの高いハードルを越えてきたエリートなんだと思うようになりました。

凄いことであることを知ったからです。

こうして、私は、人生で、精神障害の弟と同じ地面に立ち、父や夫が身体障碍者であることで、障碍者に寄り添い、

そうして、ようやく「人間」になれたかなと思っています。

ようやく、他人の悲しさが、少しは身に染みるようになれた。


少しだけですよ。


こういう経験も、もしなければ、私は、どれほど、鼻持ちならない高慢な人間だったろうかと思います。

悲しみが深いだけ、喜びも大きいというのは本当ですね。

私は、高慢で喜びさえもわからない人間だったと思う。もともとは。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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