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学校の「お勉強」と「現実生活」の出会い

インターネットの素晴らしさは、一流の学者(特に科学者)の書いた文章に容易に、そして気軽に接することができることで、私のように怠け者の学生だった人間でも、現在の新コロ騒動の中で下の荒川央氏のような学者の文章を読めば、生物学に興味を持ったかもしれない。
私は医者にはなりたかった人間だが、医者など、「症状から病名を判断する」「その病気に対して適切な治療法を判断する」ことさえできればいい、つまり、江戸時代の医者のようなものでいいという考えだったから、高校や大学(医学部ではなく歯学部に進んだが中退した)の生物の授業などまったく興味も無かったのだ。化学や物理も同様で、何で小難しい「原理」などを覚える必要があるのか、と思っていた。そもそも原理を知っていることと、その原理を使ったものを道具として使用できることはまったく別の話で、人類の中の天才たちが何百年もかかって獲得した知識を凡才が「理解する」など僭越だ、くらいの考えだったのである。
下の記事の中の細胞の核分裂の話など、高校生物の教科書を思い出して、なかなか懐かしい。それが、新コロ問題の中の「ウィルスやワクチンによるゲノム書き換え」とこうして関係するとは、意外でもある。

(以下引用)


まず、一人の人間を構成する細胞数は何十兆個というレベルになります。またRNAワクチンに含まれる脂質ナノ粒子の数も膨大です。それぞれがすでに天文学的数字です。スパイクタンパクのRNAが逆転写されたものが、その天文学的な数の中のたった数個の細胞のゲノムにでも取り込まれて、その細胞が免疫の監視を免れて生き残るとすれば、大きな問題となる可能性があります。「すべての細胞でRNAワクチンが効率よく逆転写されゲノムに取り込まれる」といったような極端な事を言いたいのではありません。すでに世界中で数十億人が接種しているRNAワクチンです。その中で実際どれほどの人数にどの程度の頻度でRNAワクチンがゲノムに取り込まれる事態が起き得るのか、という話です。



逆転写されてゲノムに取り込まれる代表的なウィルスがレトロウィルスです。ゲノムへの遺伝子導入にしばしば使われるレトロウィルスベクターはレトロウィルス由来のものです。ベクターは外来遺伝物質を別の細胞に人為的に運ぶために利用されるDNA (またはRNA) で、分子生物学や細胞生物学で汎用されます。レンチウィルスはHIV (human immunodeficiency virus、ヒト免疫不全ウィルス)  を代表とするレトロウィルスの一種で、レンチウィルスベクターはHIVゲノムから作られています。HIVは核膜を越えるための特別なタンパクの tatを持っており、レンチウィルスベクターはtatを使って核膜を乗り越えてゲノムに感染します。レトロウィルスベクターは核膜を乗り越えるタンパクを持ってはいませんが、ゲノムに感染できます。それはなぜでしょうか?ヒントはレンチウィルスベクターは増殖しない細胞にも感染できるが、レトロウィルススベクターは増殖中の細胞にしか感染できないという事です。


実は細胞増殖の途中に「核膜が無くなるタイミング」があるのです。細胞周期とは1つの細胞が2つの娘細胞を生み出す周期の事です。1つの細胞周期の間にゲノムDNAの複製と娘細胞への分配が起こります。細胞周期は、G1期 (間期1) -> S期 (染色体複製期) -> G2期 (間期2) -> M期 (分裂期) というように進行します。M期に染色体が凝縮し、反対側の極に引っ張られ、半分ずつ2つの娘細胞に受け継がれます。このM期には核膜が崩壊し、一時的に消失します。レトロウィルスベクターはこの核膜消失時に核に侵入し、そしてゲノムに挿入されます。M期に核膜が消失するという事は生物学の基礎知識でもあります。

RNAワクチンが逆転写されてゲノムに取り込まれる事はあり得るのでしょうか。ワクチンではないのですが、コロナウィルス自体のRNAゲノムがヒト細胞由来の逆転写酵素によって逆転写されてゲノムに挿入される事はあるようなのです。


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「要請に→応じる」「命令に→従う」という日本語の呼応関係

赤字にした「ネットゲリラ」記事中の一コメントだが、はっとさせられた。私も最近はネットの滅茶苦茶日本語に感覚が麻痺しているし、文章を斜め読みする習慣がついているので、こういう指摘は貴重である。確かに、「従う」は「命令」に対するものであり、「要請」には「応じる」か「応じない」かだろう。
マスコミが「要請に従わない店舗」と書くのは、「要請」には従うのが当然で、それに応じない店は「要請に『従わない』反逆者・不届きもの」のイメージを作るためではないか。


(以下引用)


都内の飲食店、半分以上が時短に協力しなくなってしまったというんだが、そりゃ、3月分の協力金も払ってくれないんだから、我慢できないわw アタリマエ。そもそも、「居酒屋の店員から客にコロナが感染った」というケースがどれだけある? コロナの客が、居酒屋で客同士コロナを伝染しまくっているという、それだけ。居酒屋がコロナを伝染しているわけじゃない。

新型コロナウイルスに関する4回目の緊急事態宣言が発令中の東京都で、都の要請に従わずに午後8時以降も営業する店舗が増えている。日本経済新聞が新宿などの個人飲食店500店を調べたところ5割超の店舗が時短営業していなかった。時短協力金の支給の遅れなどが店主らの離反を招き、緊急事態宣言の実効性が薄れている。

【日経】緊急事態宣言下の都内飲食店、5割超が時短営業せず 時短協力金の支給遅れが店主らの離反招く というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。
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未だに要請守ってもお金配らないからな
そりゃ守らんわ
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命令じゃないから聞く必要性はないな
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五輪で感染拡大するのを見込んで意図的に協力金を遅らせてるんだよなぁ
ほら、感染拡大はお前ら国民の自己責任だぞwって全て自己責任で誤魔化そうとする国賊政府と小池ババァ
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五輪は盛大にやるが国民は自粛しろっておかしいだろ
協力金も払わねえのに誰が守るんだよバカ
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新宿だけなら7割ぐらい守ってないんじゃ下町は割と守ってるよ
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協力金を遅らせてる理由解ったよ

わざとらしい
飲食店が諦めて潰れるのを国や行政はわざと遅らせて待ってるんだと
その方が緊縮自民党は金出したくないから助かるんだし
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↑正解だろうね。
テレビで代表者変更さえ認めないって言ってたし
潰れて仕舞えば、どうでもいいしな
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支給が遅れる
つまり国が不渡出してる様なもんか
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自分たちは税金を懐に入れてぬくぬく。
下々の者にはコロナ禍で厳しいところに更に追い打ち。
北斗の拳の世界ですかね?
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マスゴミどもは
要請に「従わない」って表現してるけど、
要請に「応じない」だろ アホどもが

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「造反有理」

差別問題やいじめ問題ですっぽり抜け落ちている視点だと私が思うのは、差別やいじめをする側にとって「差別やいじめは娯楽である」ということだ。差別やいじめは「面白い」から無くならないのである。これは自明の理だと思うのだが、誰も言わないようだ。
なぜ差別やいじめが娯楽かと言うと、これは人間の最大の本能である「自己愛」から来ている。動物なら「自己保存本能」だが、人間だとそれが「自己愛」になる。自分を優れた存在だと思いたい気持ちであり、他者に対する自分の優越性を喜ぶ気持ちだ。我々が他人から賞賛されると喜び、叱責されると不快になるのは、その自己愛のためである。我々が自分の趣味や自分の家族が他人から褒められると嬉しいのも、その趣味や家族が自分の一部だからである。
差別やいじめは、自分がその差別やいじめの対象より優れた存在であるか、少なくともその行為に対して相手が無力であり、自分が力ある存在だ、ということを示す行為である。劣等生が優等生をいじめた場合、「力においての優劣関係」では劣等生が上なのである。
差別やいじめは、その優劣関係を逆転しない限り無くならない、と私は思っている。それは、誰かの力を借りての逆転でもいい。つまり、差別しいじめる人間の道義の心に訴える行為はまったく無意味だろう、ということだ。
もちろん、差別されいじめられている人間自身が反撃するのが一番である。暴力による反撃でも、差別やいじめが明白ならある程度許されていいと私は思う。言い換えれば、理不尽な仕打ちを受けている人間には暴力による反撃の権利がある。昔の流行語を使えば「造反有理」だ。まあ、体制側としては「言葉で解決したい」だろうが、体制というのはそれで利益を得ている人々のためにあるのであり、下の人間のためにあるのではない。言葉による解決が不可能だからこそ、差別やいじめは無くならないのだ。

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都民はまた小池劇場(狸の芝居)に化かされるのか?

まあ、また入院してもそれが本物の過労か病気か仮病かは医者以外には分からないし、そういう時のための病院や医者はちゃんといるwww

(追記)舛添要一のツィートである。

政治は演技である。嘘も方便。IQの低い大衆は、それを見抜けない。だから演説のとき、聴衆の中のIQ最低の人に合わせろとヒトラーは言った。トップが10日間も静養する病気の正式な診断名を誰も求めない都庁村の異常さ。首相が10日間も休めば病名公表は霞ヶ関では当然である。国政ではありえない非常識。

小池都知事「東京都は今が一番重要な時期。どこかで倒れるかもしれませんが、それも本望!」→ネット「・・・」

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小池都知事 会見 退院 東京五輪 本望に関連した画像-01
■過去記事
【心配】小池都知事、過度の疲労により今週いっぱい静養との発表
「どこかでバタッと倒れるかもしれませんが、それも本望」小池都知事が退院後、初の記者会見

小池都知事 会見 退院 東京五輪 本望に関連した画像-02

<記事によると>

過度の疲労で都内の病院に入院、6月30日に退院していた小池都知事が2日夕方、記者会見を開いた。

小池都知事は「時間をずらしても最近の、また最新の状況などを私から直接お訴えをしたかった」と切り出し、午後4時からの会見になったことについて説明。

その上で、「東京都において今ほど重要な時期はない。その期間において体調不良、ということで多くの方々にご心配、ご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げたい。総力を上げて山積する課題に全力を挙げていく。どこかでバタッと倒れるかもしれませんが、それも本望と考えていると、時折苦しそうな表情も見せながら語った。

以下、全文を読む

この小池都知事の会見に、ネットでは批判の声が溢れてしまう↓↓↓

<この記事への反応>

本当に危ない状況なら自分で退くのもひとつだと思いますよ。
残酷な現実ですが、代えが効かない人間なんてほとんどいません。


「どこかでバタッと倒れるかもしれませんが、それも本望と考えている」
↑公務に復帰して、全力で取り組むという主旨なのだろうが、危機管理の上で絶対にあってはならないこと。


倒れても本望って知事級の人が言うべき発言じゃない。倒れる可能性があるのなら都政を考慮して倒れる可能性のない人に譲るべきだと思う。

倒れても本望、は気持ちと立場からすると立派だと思います。

社会人にも言えると思うけど休むのも仕事です
体調管理出来ない人と見れてしまう
何か患っておられるなら別ですが


こういう発言が出るなら、重要な職務に就く場合は年齢制限も必要じゃないの?せめて若い人と思える人材。あとは副都知事への引き継ぎなり、確実にフォロー出来る体制が必要だと思う。

もともと支持はしていないが東京都のリーダーとして失格だ。

気持ちは分かるけど、それでも自分も守らなあかんで。誰が都民を守るんや?都知事でしょう?その都知事の身体はあなたしか守れないんですよ。

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一夫多妻はフェミニズム的にどうか

「紙屋研究所」記事を省略無しで載せる。少し古い記事だが、女性から見て、特にフェミニズム的な視点で見てどうなのだろうか。
なお、「乙嫁語り」の中でこの話の登場人物はこの回しか出てこなかった気がする。私の印象では「一夫多妻でも、妻同志がレズなら、それはそれで楽しいんじゃね?」という話に読めてしまったwww
なお、シーリーンは豊満な美女、言葉を換えればやや肥満型で、食うのが好きでボウっとした女性で、軽い知的障碍者に見え、アニスが彼女のどこに惚れたのか私には理解しがたかった。単に体に惚れたのかもしれない。

(以下引用)

『乙嫁語り』7巻


またもし、おまえたちが孤児に対して公正にできないことを恐れるなら、女性でおまえたちに良いものを、二人、三人、四人娶れ。それでもし、おまえたちが公平にできないことを恐れるならば、一人、またはおまえたちの右手が所有するものを*1。それがお前たちが規を越えないことにより近い。(中田考監修『日亜対訳クルアーン』p.107)


乙嫁語り 7巻 (ビームコミックス) 19世紀の中央アジアを、現実的・歴史的根拠をもとにフィクションで描く森薫乙嫁語り』は、7巻でイスラームの「一夫多妻」をテーマにする。
 アニスは富豪の嫁である。



「奥様は本当にお幸せでございますね」
「そう?」
「そうですとも 何不自由なくお暮らしですし
 こうして男のお子様にも恵まれて
 旦那様だって これだけのお家なら
 もう2・3人 奥方をお持ちに
 なってもよろしいのに
 奥様ひとすじで ございますからねえ」


というのがアニスのデフォルトである。夫はグラフィックからしていかにも優男。草食系男子。
 アニスは森薫が「今回絵柄も少し変えてみました」(あとがきマンガ)と言っているように、はじめ森のキャラクターとは思えなかった。痩身で、関節がクネクネしている。夫が彼女を「柳」にたとえるが、髪と服が風にたなびく様と、ほそ〜い腕と脚が強調して描かれるので、本当に「柳」という印象を与える。そして、薄い胸!
 瞳がトーンで淡く描かれ、眠そうで、いつも深窓にいる姿は、アニスから一切の生活感を剥奪している。この世のことを知らないお姫様、みたいな感じがぽわぽわと溢れ出ている。あー、もちろん夫がいるし、裸でピロウトークしている様子は出てくるので、「おぼこ」というわけではないのだが。


 何不自由なく暮らしているはずなのに、どこかもの足りない、というか根拠のわからない疎外感を抱いたアニスは、侍女に「姉妹妻」を持つようにすすめられる。森によれば姉妹妻は「縁組姉妹」であり、生涯仲よく、そして支え合う「女性同士の結婚」ともいうべきもので、17〜19世紀のころまで現実に存在した制度だという。
 確認できるような資料を持たないので森の説明によるしかないのだが、それを読んでのぼくの受け止めは、親密な女性の友人を契約(縁組)によって確実にしあうものといったところ。こちらのブログで指摘があるように、戦前の女学生の「エス」を想起させる。




以下ネタバレがあります


 侍女にすすめられて出かけた公衆浴場で、アニスはシーリーンという女性にひとめ惚れしてしまい、姉妹妻となる。
 姉妹妻となったとたんに、シーリーンの夫が卒中とおぼしき症状で急死し、貧困の渕にあるシーリーンおよびその亡夫の義父母はたちまち生活困窮の危機にさらされるのだ。


まさかシーリーン
わたしらを置いて 出て行くのかい!?
息子が こんなことになって
お前にまで 出て行かれたら 
わたしらもう 物乞いになるしか ないよ
後生だよ シーリーン
行かないで おくれよ 頼むよ


とすがりつくのはシーリーンの義母である。20歳をこえて子連れでの再婚の困難にその場にいた皆が溜息をつく。
 姉妹妻としてシーリーンを支えると誓ったばかりのアニスの悩みようは推して知るべしである。
 彼女の苦悩の果ての提案は、21世紀の日本に住むぼくらにとっては驚くべきものであった。アニスは思い悩んだあげく、自分の夫に、シーリーンをもう一人の妻にしてもらえないかと頼むのだ。




 夫の承諾を得て、シーリーンはふたりめの妻として迎えられる。
 シーリーンの義父母には別宅が与えられ、義父母たちも信じられないというような顔をしてその巡り合わせに感謝する。
 この巻のラストは、庭園の池の前で親密に、そして幸せそうに話しあうアニスとシーリーンを、白っぽい、花を背負わせた画面になっている。いかにも昔風の、泥臭い現実感を削いだ少女マンガの幸福を示されたような思いで読む。




 というのよりもさらに粗い粗筋だけを聞いたつれあいは、「うへえ、なにそれ」と顔をしかめた。
 一夫多妻(ポリジニー)というのは、現代の日本女性の感覚からすれば悪夢でしかない。
 にもかかわらず、森薫の手にかかれば、それが極上の幸せのようにして提示されるのである。まことに不思議というか、創作の力である。
 森が描いている一夫多妻は、イスラームにおける一夫多妻の原理を厳格に、それゆえに最も公正な形で適用したものだといえる。
 冒頭に引用した『クルアーン』にもあるように「おまえたちが孤児に対して公正にできないことを恐れるなら」というのが複数の妻を娶るさいの目的とされている。つまり、夫の死によって貧窮にさらされている孤児を救うことがこの「一夫多妻」の許容の目的だというわけである。
 これは、イスラームの一夫多妻に関する「誤解」を解こうとする解説本の多くに登場する説明である。



一夫多妻を認定する啓示が下された経緯については、当時の社会的背景を知る必要がある。すなわち当時、オホドの戦役において、700人のムスリム軍の中から74名の戦死者を出し、多くの孤児と未亡人を生じた。これらの救済はウンマ共同体の直面する困難な社会問題となっていた。多妻主義の啓示はこのような共同体の窮状を救うためにいわば緊急措置として下されたものであり、これによって多くの孤児と未亡人が路頭に迷うことを免れたのである。(安倍治夫『FOR BEGINNERS イスラム教』p.78)



このところ〔『クルアーン』の該当部分――引用者注〕をきちんと読むと、重婚は、「孤児に対して公正にできないことを恐れるなら」という条件が前にあるため、野放図な性欲のために複数の妻を持ってよいと言っているのではないことが分かります。戦災などで父を失った孤児を持つ母親が路頭に迷うことのないように重婚を承認しているのです。(内藤正典イスラム戦争』p.143)



まず初めにこの啓示はウフドの戦いの直後に顕われたものであり、戦闘の結果マホメットの周囲に多数の寡婦と孤児が生じてしまった。その救済の手段として提示されたのが、この示唆である。〔…中略…〕原則は一人妻、困難な社会情況に対するセーフティネットとして多妻を許す啓示があった、というのが標準的な解釈である。(阿刀田高コーランを知っていますか』p.230)


 マルキストである浜林正夫はもっと控えめに書いている。


多妻制が孤児との関連で説かれているのはどういうわけなのかよくわかりませんが、六二五年にムハンマドはメッカの軍隊と戦って敗北し、多数の未亡人と孤児が出たので、その救済のために未亡人との結婚をすすめたという説もあります。(浜林『これならわかるキリスト教イスラム教の歴史Q&A』p.52)


 アニスの夫は、この『クルアーン』解釈に厳密に則っている。*2
 「孤児救済」というのが目的であるというのはまず適合しているし、「公平にできないことを恐れるならば」とあるように、多妻できる夫はすべての妻に「公平」に接することができることが原則である。「第一夫人」「第二夫人」という呼び名は正しくない! と言われるゆえんであるが、アニスの夫は作中で


公平に接することができるのであれば
妻は4人まで持てます



「しかし 妻が4人もいて うまくいくとは
 私には 想像もつかない 話です」
「ですから 公平に接する というのが 大事なのですよ」


という『クルアーン』解釈と思しきものを調査旅行中の西洋研究者に披露している。そして、アニスの夫がこれまで別の妻を持たなかったのは、アニスを愛していたからであって、それで十分であるとともに、アニスの気持ちを害することを恐れていたからだという告白をしている。
 つまり、本来の愛はアニスにしかむけられておらず、シーリーンを娶ることは孤児救済のための方便なのだというエクスキューズが本作にはくり返し入る。


 現実のイスラム社会では、この『クルアーン』を口実にして「野放図な性欲のために複数の妻」を持つ例もあったようで、阿刀田は


時が移りイスラム社会が多様化すると蓄妾的な傾向があらわな〔寡婦救済とはちがう〕一夫多妻制も現実に見られたりして、きれいごとだけでは片づけられない側面が、なきにしもあらず。(阿刀田同前p.230)



と述べているし、森薫が描いている作中でも、アニスのまわりの富豪では、単なる多情のために妾をたくさんもっている家が当たり前であることがほのめかされている。
 だからこそ、『クルアーン』に記された啓示の通りに実践したアニスの夫の「良さ」が浮かび上がる。
 アニスは臥所で、夫に対して


…………あなたは 素晴らしいひとだわ


私 あなたの事を本当に尊敬しているの
あなたが夫で 幸せだわ


私 やっと わかったわ
あなたみたいな ひとと
結婚できて 本当に 幸せ なんだわ


真顔の大ゴマでつぶやく。
 自分以外のもう一人の妻を娶ったことを、妻が心の底から感謝し、これでもかと深い尊敬と幸福の吐露をくれるんだぜ! そしてそれを説得的に描こうとする、この森薫の野心!


 アニスの夫の草食男子的描写は、おそらく森薫を愛好しているであろう女性、そしてぼくのようなヒョロヒョロ文系エセインテリの好みに適っている。アニスだけを本当は愛し、シーリーンを娶る必然を整然と『クルアーン』的厳密解釈で述べるという知的っぷり。




 まだ「多妻のすすめ」をアニスに聞かされる前に、アニスの夫がシーリーンの不幸を聞かされたとき、無関心というわけでもないし、逆にことさら痛ましがるふうでもない。


生き死には 神の御心だ
人に できることは それほど多くない


と少し哀しげな顔でいうのも、(伝え聞くかぎりでの)イスラム的である。よく冗談ごかしてイスラムの人とつきあうと遅刻してきても「インシャラー(神の御心のままに)」と言うとされるが、イスラームを擁護する立場からすれば、自分の運命や環境は小賢しい人為でどうにかなるものではなく、あらゆることが「インシャラー」なのだと。




 ちょっと見方を変えると、貧乳の美人と、肉感的で豊満な美女を二人も嫁にできて、しかもそれは体裁としては貧者救済であって社会の尊敬を集め、妻からも1グラムの嫉妬も引き起こさずに敬意と一層深い幸せを引き出しているんだから、21世紀の現代日本男性からみると逆にウハウハのような気がする。
 全体におっぱいの描写が多いのと、百合っぽい画面・展開からして、まあ十分にこの作品は、エロチックに機能していると思うよ。
 個人的に好きです。アニス。ええ。




 阿刀田高は、『コーランを知っていますか』の中で、『クルアーン』に示された女性像について、夏目漱石の『こころ』を「女性蔑視文学」と批判されたときのことを書いている。
 『こころ』に出てくる「先生」というのは、妻に愛情を示しているようではあるけども、それを21世紀の日本の女性からみると上から目線の「いたわり」「あわれみ」にすぎない、しょせん明治の男の限界ではないかという批判である。
 阿刀田はこの批判を紹介しながら、『クルアーン』に直接示された女性観は、まあ、現代の西洋的基準からすると確かにツッコミどころ満載なのだが、当時としては十分に進歩的だったんじゃねえのという旨の意見をのべている。


横暴で粗野な男よりはずっとましではあるけれど、時代が二十一世紀まで進んでは、このビヘイビアは根元において女性をきちんと認めていない、と言われても仕方ない。(阿刀田前掲p.235)


 森の描き方は、孤児救済の側面をとにかく前面に出し、しかも夫の「アニス一筋」&まじめぶりを強調することで、この「遅れ」「今ひとつ」感を無くしてしまっているのがすごいと思う。女性が読むとどうなのかは知らないけど。





ハレ婚。(1) (ヤンマガKCスペシャル) ところで一夫多妻といえば、NONの『ハレ婚。』。
 結婚していることを知らされずに騙されて主人公が、不倫はこりごりだと思って帰郷してみると、郷里は重婚を認める特区に指定されていたというとんでもない設定で、現代に「一夫多妻」を描こうとしている。
 まだ2巻までなので結末がどういう展開になるのかわからないが、前作『デリバリーシンデレラ』ではデリヘルを福祉職とダブらせながらセックスワークを挑戦的に「正当化」していた。どちらも前提としては「一夫一婦を永久に続けるってなんかおかしくないか?」という問いがある。男の都合っぽくはあるんだけど。
 『乙嫁語り』で示された以上の「一夫多妻」の「説得性」を示せるかどうか注目している。




 ちなみに、現代のイスラム圏では、一夫多妻制は国によって制度事情が異なるが禁止、例外規定のみ、現実にはほとんど無理、というのが実情のようである。


2人目との結婚…「実はかなり難しい」:日経ビジネスオンライン 2人目との結婚…「実はかなり難しい」:日経ビジネスオンライン


*1:女奴隷のこと。


*2:森の作品には設定がイスラームであることの言及は直接にはどこにもない。


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夏痩せ

これが柳原白蓮。
竹久夢二風の美人である。

ついでに、竹久夢二の短詩というか、俳句みたいなものを紹介する。(表記は私が適当に書いている。言うまでもなく、元の句には引用符は入らない。たぶん「答えて」は「答へて」だろう。)くどく説明しなくても、読む人が脳内補完することで情景や事情が分かり、詩情を感じるのが短詩の良さだ。


「夏痩せ」と答えて後は涙かな



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白蓮事件

柳原白蓮の人生は、すべてが小説的で、NHKの朝ドラにでもしたらいいと思うのだが、既にあるかもしれない。
ここでは白蓮事件の前半だけ載せる。ある意味では、「大正時代のフェミニズム闘争事件」である。
ちなみに白蓮は「大正三美人」のひとりだが、現代的感覚では、その中でナンバーワンの美人だろう。

「その行動には反対しても、結婚自体には同情する男性の意見があった一方、女性は燁子により厳しい批判を寄せた。」

というのが面白い。

(以下引用)

事件の経緯[編集]

白蓮失踪[編集]

1921年(大正10年)10月20日、伊藤伝右衛門は夫婦で滞在していた東京府日本橋の旅館「島屋」から、福岡へ帰るために車で東京駅へ向かい、妻・燁子は親族を訪問する予定で東京に残り、伝右衛門を見送った。しかし、燁子はそのまま日本橋の旅館に戻らず、行方をくらませた。


22日、大阪朝日新聞朝刊社会面に「『筑紫の女王』伊藤燁子 伝右衛門氏に絶縁状を送り 東京駅から突然姿を晦(くら)ませす 愛人宮崎法学士と新生活?」の見出しで失踪の第一報が伝えられる。失踪当日の様子、身辺の整理、宮崎龍介との出会いの経緯と唯一当事者である龍介の談話[1]を掲載し、一面を埋める扱いで伝えられる。大阪朝日の単独スクープであった。


同日の夕方、各紙一斉に報じ、地元福岡の九州日報では「伊藤燁子夫人が紛失した」と大見出しで記事をあげ、「一本の巻紙」に伊藤家を去る理由を綴り、それまでに与えられた調度品と共に送付された事を伝えた。朝日と競い合う立場の大阪毎日新聞は、夕刊9面に白蓮夫人と伊藤氏の別れ話が事実であるという関係者の証言を小さく取り上げるのみであった。大阪朝日は同日夕刊で、さらに単独スクープの燁子から伝右衛門に当てた「絶縁状」を全文公開する。

取材合戦[編集]

伝右衛門は福岡へ戻る途中で立ち寄った京都の宿「伊里」で、22日朝刊の報道を知って驚愕する。たまたま京都に来ていた燁子の兄・柳原義光と連絡を取り合い、その日のうちに落ち合っている。宿に詰めかける記者に対し、一切の取材を拒否していた伝右衛門は、同日の夕刊で絶縁状が公開された事で、ようやく数社のインタビューに応じる。


その頃の燁子は東京府下中野の弁護士・山本安夫の元に、伊藤家から伴った女中と共に匿われていた。山本は龍介の父・宮崎滔天の友人であり、子供の頃から親しい龍介に相談を受け、燁子の身柄を預かっていた。22日夜、山本は新聞各社に燁子の居所を連絡し、記者が押し寄せて取材が行われ、23日朝刊には記者に対応する燁子の写真が掲載される。また22日夜には別の場所で龍介が萬朝報記者の訪問を受け、「すべては山本氏に一任している」と語る。


朝日のスクープは、姦通罪[2]を逃れるため、龍介が新人会の仲間で友人の赤松克麿や朝日新聞記者の早坂・中川らに相談し、マスコミを利用して世論に訴え、人権問題として出奔を正当化するために仕掛けられたものだった。当初の予定では、絶縁状を伝右衛門に郵送した後に失踪が記事になる予定であったが、新米記者の早坂・中川の動きから19日には事を察知した大阪朝日が、失踪翌日には記事を出そうとした事から、龍介側から掲載を1日伸ばす要請が入り、その代わりに絶縁状を渡す交換条件が出された。赤松の説得を受けた大阪朝日はその条件を呑み、スクープ記事掲載は1日延期された。絶縁状の文章は燁子の書いた原文に赤松・龍介らの手が入ったものであり、「私は金力を以つて女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます。私は私の個性の自由と尊貴を護り且培ふ為めに貴方の許を離れます」という自由と人権を訴える大正デモクラシー当時の社会風潮が反映されたものだった[3]

反響[編集]

女から男に宛てて、新聞という公器を使って縁切りの宣言を行うという前代未聞の出来事に対し社会的反響は大きく、大阪朝日24日夕刊には、5百余通の投書が殺到した事が書かれ、世間を大いに揺るがす事件として受け止められた。柳原家や燁子が身を寄せた山本家には多くの賛否の手紙の他、脅迫まがいのものも届いた。


完全に出遅れた大阪毎日新聞には、福岡支局在籍時代に燁子と親しく交流があった記者・北尾鐐之助[4]がおり、失踪直前の19日にも連絡を取り合って会う約束をしていた事から、20日に龍介側から流れてきた伊藤夫妻離別の噂、21日午後に京都から入った燁子家出の情報も北尾によってデマであると打ち消されていた。2日間の空白の後、22日公開された朝日の絶縁状で事実を悟った北尾は京都に赴き、面目をかけて伝右衛門に食い下がり、3時間のインタビューを取りつけて巻き返しを図る。


10月24日、大阪毎日新聞で北尾の筆による[5]「絶縁状を読みて燁子に与ふ」という絶縁状への反論文の連載記事が始まる。手記の公開を渋る伝右衛門に対し、事後承諾の形での掲載となった。燁子を悲劇のヒロインとして取り扱った朝日に対し、毎日は女性評論家による燁子への批判コメントを掲載し明確に伝右衛門サイドに立った記事であった。「俺の一生の中に最も苦しかつた十年」と燁子との結婚生活での苦悩を語る伝右衛門のインタビューは、自分が受け取る前に新聞公開された憤りや屈辱感と、伊藤家の内情を詳細に語った生々しいものとなる。連載は3回目になって伊藤家からの中止要請が入り、4回で終了となった。


新聞での反響は、第一報では燁子の行動を止むを得ない、という同情する世論があったが、二報・三報と詳しい内容が伝わってくるにつれ、糾弾すべき行為とする割合が増えている。その行動には反対しても、結婚自体には同情する男性の意見があった一方、女性は燁子により厳しい批判を寄せた。


11月4日に時の首相である原敬暗殺事件が起きているが、その大事件の最中にも報道記事の勢いが衰える事はなく、白蓮事件の顛末が世間の関心を集めた。

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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