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100円の幸せ

私はこの「蚊遣り豚」(と呼ぶことは初めて知った。)のフォルムが好きで、この前100円ショップで売っているのを見つけて大喜びで買ったのだが、もちろん、飾り(置物)としての購入だ。単なる蚊遣りなら、普通の蚊取り線香立てで十分である。それに私の買ったものは、(フォルムは下の写真の物より気に入っているが)中に蚊取り線香を入れるのがなかなか難しい。豚の空洞部分の中で小さな針金の先に線香の中心部の小さな穴を刺すのが難しいのである。まあ、「美術品」としてなら十分だ。身の周りに好きな物があると、何かの拍子にそれを一瞬眺めるだけも気分がいいものだ。あるいは、使いもしない文房具、たとえば墨や筆や万年筆があるのも気分がいい。値段は関係なく、いつでもそれを手にすることができるというのがいいのである。

(以下引用)


 
 
 
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上薬塗りや絵付け作業を待つ素焼きの「蚊やり豚」=三重県菰野町の「松尾製陶所」で2021年6月7日、兵藤公治撮影© 毎日新聞 提供 上薬塗りや絵付け作業を待つ素焼きの「蚊やり豚」=三重県菰野町の「松尾製陶所」で2021年6月7日、兵藤公治撮影

 夏本番を前に、蚊取り線香を入れる「蚊やり豚」が三重県菰野町の万古焼(ばんこやき)の窯元「松尾製陶所」で製作されている。


 作業場では、窯から出されたつぶらな瞳の愛らしい素焼きの豚たちが、上薬塗りや絵付けの順番を待っていた。ススキやトンボなど涼しげな絵を描いた後に本焼きして完成する。成形から完成まで約2週間かかるという。


 松尾徹也社長(68)は「コロナ禍で家にいる時間が長くなる中、線香の香りで癒やされてほしい」と話す。6月下旬までに約2000個を製作する予定。【兵藤公治】





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GUNS AND ROSES

別ブログの過去記事を読んでいて思い出した昔のアイデアだが、自分では書く能力が無いのでアイデアだけここに書いておく。もちろん、無断使用可である。テレビシリーズにしたら面白いと思う。観る人には犯人が最初から分かっているという点では「古畑任三郎」に近い。そして、殺される人が必ずしも悪人ではない場合がある、というのは観る人にリアルな感じと不条理感を与えるのではないか。なお、私は「Guns and roses」のファンではないし、たぶん一度も聞いたことは無い。

(以下自己引用)


銃が「自分の身には危険が無く、遠距離から人を殺せる」卑怯な武器である、ということをテーマにした脚本の案。
登場するのは、「女、子供、老人、病人(障害者)」で構成された殺し屋集団。ただし、それぞれ優れたガンマン(ガンウーマン)。
その女子供老人病人に、屈強な体格の男たちが銃で簡単に殺されていくのが、話の主筋。毎回、そういうパターン。(別に、相手が悪だから殺すというのではなく、純粋にビジネスとして殺す。)
主人公(あるいは副主人公)は、毎回、その殺し屋のひとり。テレビドラマなら、視聴者は、その登場人物が殺し屋であることを知っているから、「神の視点」でドラマを上から眺めることになる。映画「バリー・リンドン」のような感じにしたい。視聴者が感情移入しそうな「善人」も回の最後では(ビジネス上)殺される。
登場人物のひとりに、「銃はイクエイター(平等を作るもの)である」という哲学を語らせ、同時に銃が卑怯者(あるいは弱者)の武器であることをも語らせる。

主要人物(仮に想定しただけで、いくらでも増やせるし改変できる。)

30代女性:最悪の人生を歩んできた、筋金入りのフェミニストで、美人。社会と男性を憎悪している。
50代女性:最愛の旦那を街のチンピラに殺され、銃で犯人を殺して服役。見かけは優しい中年女性。
70代男性:上司の犯罪の罪を着せられ、人生を棒に振った男。
40代男性:聾者。
10代男性:トランスジェンダーで、美少女に見え、女装が得意。

なお、この案は、先ほど見た昔の映画「三人の狙撃者」からヒントを得た。その映画では、戦場で27人殺したことが自慢の殺し屋フランク・シナトラが、おそらく銃を撃ったこともない家庭の主婦(平和主義者で銃嫌い)にピストルで撃ち殺され、惨めに死んでいく。

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生命の値段

まあ、事件被害者(死亡者)の「生命の値段」を出すのが賠償金だと言えるわけで、これは不可能なことを無理に可能だとしてやる行為ではないだろうか。たとえば竹中平蔵のような最悪の犯罪者の生命の値段を裁判所が計算したら、その稼ぎから計算して何兆円と気前よく算出するだろう。一方、天使のような性格で、周りの誰からも愛されていた子供でも、障害者だと健常者の40%ということになる。まあ、常識的な人からは、人格と生命の値段は無関係だ、と言われるだろう。だが、そもそも生命の値段がまともに出せるのか?

(以下引用)

交通事故で亡くなった女の子の裁判 聴覚障害があることを理由に 生涯の収入見込み額の基礎収入を、きこえる女性労働者の40%で 賠償金を算出しようとしているということを知りました。 ご家族の哀しみに障害の有無は関係ないです。WEB署名できるそうなのでシェアします。 daicyokyo.jp/info/ikuno.html

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脳内人生と現実人生

ネットゲリラ氏(野次馬氏)は幅広い教養というか雑学的知識をかなり膨大にお持ちだが、それを露骨に表に出さずにエロ小説やお色気動画などでサイトを満載にしているのが奥ゆかしいwww まあ、商いの宣伝ばかりしているのはあまり奥ゆかしくないが、大半の読者はそこは読み飛ばしているだろうwww テレビと同じだ。CMを真面目に見る視聴者はいない。だが、あれば記憶に残り、購買につながるわけである。
そんなことより「椰子の木」である。この歌詞を知ったのは小学校低学年か中学年くらいだったと思うが、私にとっては「謎のフレーズ」の多い歌詞だった。「旧の樹はおいやしげれる」とか「枝はなお影をやなせる」の「おいやしげれる」「影をやなせる」が意味不明だったわけだ。
かなり後になって、塾で古文を教える必要があって「係り結び」について調べている時にたまたま読んだ大野晋の文章(岩波古語辞典の付録的文章だったと思う。)で、「係り結び」とは、「終助詞を強調のために前に持ってきたもので、一種の倒置法である」と書かれているのを読んで目が開かれたのだが、この説を書いている参考書はひとつも見たことが無いし、他の国語学者で同じことを言っている人の文章も見たことがない。大野晋は国語学界では異端とされている学者なのかもしれないが、私はこの「係り結び=終助詞の倒置」説ほど腑に落ちた説明はほかに無い。
つまり、「おいやしげれる」は「生い茂れるや」の文末の疑問終助詞「や」が強調のために前に出たものなわけだ。「影をやなせる」も同様で「影を成せるや」の文末の終助詞「や」が前に出て「影をや成せる」となったわけである。(ちなみに「影」と「陰」は違うが、椰子の樹はその木陰で憩えるほどの「陰」を作らないという判断か、あるいは木の陰全体ではなく「枝」の「影」が浜辺に落ちているイメージを描きたかったからだろう。)
まあ、そういうところに疑問を持つ生徒がどのくらいいるか分からない。たいていは機械的に「ぞ・なむ・や・か→終止形止め(連体形止め説もあるか?)」「こそ→已然形止め」と丸暗記して終わりだろう。そして一生、謎の「係り結び」など記憶の彼方に追放して古文など自分の人生に無縁のものと澄まして生きるわけである。まあ、学校教科書に載っている古文や漢文や詩歌を理解するだけでも「脳内人生」がかなり豊かになるのだが、生活とは目に見えるものだけだと心得て生きる人間は膨大にいる。もっとも、そのほうが健全で客観的には幸福かもしれない。

最近読んでいる(残り4分の1くらいだ。)ドストエフスキーの「悪霊」の最初の辺りに、「人間、あまりに高尚になりすぎると、その教養が多面的になるという理由ひとつだけからしても、えてしてシニカルな考え方に陥りがちなものである」という一文がある。これはステパンという善良で根は無邪気な知識人が時としてシニカルな考え方をすることについての一文だが、素晴らしい洞察だと思う。「高尚になりすぎると」とは、要するに無駄な知識を頭に詰め込みすぎると、と言い換えてもいいだろう。「教養が多面的になりすぎる」と物事を単純に判断できなくなり、その結果、何事にも懐疑的になり、とどのつまりはシニカルになりがちだということである。


(以下「ネットゲリラ」より引用)

名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
 故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月

旧(もと)の木は生(お)いや茂れる 枝はなお影をやなせる
 我もまた渚を枕 孤身(ひとりみ)の 浮寝の旅ぞ

実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂
 海の日の沈むを見れば 激(たぎ)り落つ異郷の涙

思いやる八重の汐々 いずれの日にか故国(くに)に帰らん



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「悪霊」のユーモア感覚

昨日は久しぶりに本を読めるだけの余暇があったので、気持ちが落ち着いたらやろうと思っていたドストエフスキーの「悪霊」再読を始めたが、第一章を読んだだけでも実に面白い。前に読んだのが18歳かそこらだったので、読みはしたが内容のほとんどは理解していなかったのである。ただ、面白いという印象だけはあり、理解できた部分部分だけでもその面白さのレベルが他の作家とは段違いだと思ったわけである。当時は世界についても歴史についても政治についても人間についてもこの作品の舞台の当時のロシア社会についてもまったく無知な状態だったので、この作品の理解度は、まあ、20%程度だったと思う。いや、10%あったかどうか。つまり、人物や事件など、話の大筋を漠然と感じ取っただけだったのだ。神学論争が柱である「カラマーゾフ兄弟」のほうが高校生でもある程度理解はできるのではないか。
年齢による理解の限界というのはあるのであり、たとえばディケンズの作品であれバルザックの作品であれ、高校生や大学生では理解できない部分が多いだろう。同じ作者でも、作品によって理解できる年齢というのがある。
つまり、高齢者こそ、大いに読書をすべきである、という話である。若いころには理解できなかったことや面白さが分からなかったことが、理解でき楽しめる可能性は大きいのである。
なお、「悪霊」とは、おそらく「狂熱的な改革思想、革命思想」の意味だろうと思う。ただし、作者がその思想を完全否定しているかどうかは分からない。それはともかく、帝政ロシアにおける「革命前夜」の社会の様相を描いていると知れば、興味を持つ若い人々もいるのではないか。帝政か、民主主義を詐称した資本主義社会かに関わらず、社会の上位層が革命を恐れながら、「仮に革命になったときどう保身するか」を考えて、革新主義者たちにも「渡りをつけておく」様(第一章は主にそのドタバタ喜劇である。)が非常に面白いのである。
「悪霊」は、冒頭部分に関してはほとんど「ユーモア小説」なのだが、題名がおどろおどろしいために敬遠されているという可能性が高い。(北杜夫が昔、部分的なユーモアを少し指摘したくらいか。)
まあ、一行、あるいは一文を読むだけでも面白いという作品が、大長編として目の前にあるのだから、これほどコスパのいい娯楽は無いわけである。
なお、ユーモアは「真面目」の反対だから、真面目な人間はもちろんユーモアや笑いを好まない。特に宗教とユーモアは両立できない。ユーモアは価値の相対化で生まれるから、「絶対性」が生命線である宗教には受け入れられないのである。これはウンベルト・エーコの「薔薇の名前」(私は映画しか見ていないが)で明示されたテーゼである。逆に、政治はドタバタ劇やナンセンスがほとんどだから、常に笑いの宝庫である。もちろん、暴力と死を内蔵した笑いだ。


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野のユリを見よ

幸福とは何かというと、「自分を幸福だと思うこと」だろう。ソロモンの叡知も栄華も、彼本人が自分を幸福だと感じていなければ幸福ではないわけだ。まあ、私は当たり前のことを言っているのだが、そのソロモンが「伝道の書」の中で「空なるかな、空なるかな、空の空なるかな。すべて空なり」と言っている(「伝道の書」はソロモンが書いたとされている。まあ、伝説だが。)のは、権力や栄華が幸福だと思っている人の参考になるのではないか。もちろん、その権力や栄華を求める過程そのものがその人に幸福感を与え、獲得した権力や栄華が幸福感を与えるなら、それで良いわけだが、問題は、その努力のコストに見合う見返りが権力や栄華に本当にあるのかと疑問に思われることだ。
とうぜん、その権力や栄華を求める無数の人々の中で生き残り、最後の勝利を得るためには単なる努力だけでなく、無数の策謀や非道なふるまいも要するだろう。将軍なら、無数の戦士の死や膨大な無辜の庶民の死が、その栄光の背後にある。果たして、そうした犠牲に見合う結果を彼らは得て満足したのだろうか。
カマラ・ハリス副大統領が某所での講演の中で「米国は石油のために戦争をしてきた」と口を滑らしたそうである。その石油で巨額のカネを得たのは米国民全体ではなく、一部の資本家だろう。無数の死の上で得たそのカネは彼らにどれほどの幸福感を与えただろうか。

「気が飢える」という言葉がある。或る種の罪悪感に基づく不満感と言っていいかと思うが、公明正大な生き方をしている時には「気が飢える」ことはないようだ。ちなみに、不正な生き方をし続けている人間はみな顔が卑しくなる。維新政治家、自民政治家の大半がそれである。

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人相と手相

次に書くのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの手記の一節である。

(以下引用)

なるほど人相は一部、人間の性格、その気質を表している。が、面にではない。(夢人注:顔の部品の配置や顔の美醜ではなく解剖学的な特徴に性格の一部が現れる、の意味か。)
(イ)快活でよくわらう人なら、唇、鼻孔、目瞼と頬との分かれぎわがはっきりしている。そのしるしがはっきりしないものは思索労働者である。(夢人注:思索家は他人と交わることが少なく、表情筋を動かすことが少ない結果か。)
(ロ)顔の造作が非常に浮き上がったり深くなったりしている人は野獣的で癇癪持ちで、理性に乏しい。
(ハ)眉間に強くはっきりした筋のある人は癇癪持ちだ。
(ニ)深い筋のある額に縦皺の入っている人は、ひそかな、あるいは表立った悩みが多い。
多くの部分について同様のことがいえるだろう。
しかし手相は? 君は大軍の兵が同時に短剣で殺されるのを見るが、[その人々の]手相はお互いに同じではない。難破船の場合も同様。(夢人注:これはその他の多くの占いも同様。占星術など、天体が地上の無数の個人の運命と結びつくはずなどない。娯楽として個人的に占いを楽しむぶんにはいいが、占い師に大金を払うのは馬鹿だろう。)

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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