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スポーツ界にはびこる「偽善的発言」

これ(「勇気と感動を与えたい」)は、スポーツ選手がよく口に出す言葉だが、スポーツ(には限らないが)というのは本来「自分のために」やるものではないか。そこが一番肝心だろう。だから、部活などはそれが苦痛ならやめてもいいし、誰も批判はしない。(馬鹿な親や、自分のエゴで部活を利用しているコーチや監督以外は)
まあ、「見る人に勇気や感動を与えたい」というのは、インタビューでの返答の決まり文句として、馬鹿な子供(程度の頭脳の若者)が何も考えずに使っているのだろうが、それを聞くと不愉快になる私のような人間はただのへそ曲がりなのだろうか。「何を偉そうに」とすら思う。
だいたいが、一人の勝利の背後には、その他のすべての選手の敗北があるわけで、勝利した選手やその関係者が感動し、場合によっては恩恵を受けるだけではないか。少なくとも、スポーツで「不特定多数の誰か(世間のみなさん)のために戦う」という偽善は、やめてほしいものだ。堂々と、勝利はあくまで勝者(私・俺)だけのもの、としてほしい。

(以下引用)


ていうか、日本国民には私を含め「別に感動を与えてほしいとか望んでませんよ?」って人いいいいっぱいいますよ。大人ってそういうもんっす。皆に勇気と感動を与えたいというその思考自体がああ若いな危険すぎる・・・と思わざるを得ないのよね。

(夢人追記)参考までにwww




「こいつらどう見える?勝者だ!」

「ああ、俺らのケツを蹴っ飛ばすぜ!!」

「違うね!お前らは超強い!勝つのはそっちだ!!」

そっちだ!」

「違う!お前らが優勝を飾るんだ!!」

「上等だ!今すぐ負けてやるからな!!」




『頑張れ!?リトルリーグ(原:The Losing Edge)』は『サウスパーク』のシーズン9第5話。
通称“やきう”回。
やりたくもない野球に挑まされる子供達と、子供そっちのけで無邪気に野球観戦を楽しむ大人達の対比と悲喜劇を描く。
また、身勝手な理由で喧嘩を繰り返すランディの姿は『ロッキー』のパロディになっている。

【あらすじ】


カイル「これで終わりだ、ストライクで家に帰れるぞ!」

サウスパークvsコニファーの試合。
マウンドに立つスタンのストレートが最後の打者相手にも見事に決まっていくが、何故か当のスタン初め、チームの面々の表情が優れない。

挙げ句に、汚いヤジの末にランディが乱闘を始めたのを見て、お馴染みの目頭を押さえるポーズで頭を振るスタン。

スタン「あぁ、またかよ」

落ち込んだスタンをカイルが励まし、気を取り直して渾身の表情で投げ込まれたボールは……ストライク!

審判「三振!バッターアウト!」

スタン「よし!終わった!終わったぞ!!」

“4対0でサウスパークの勝利”

カートマン「やった!野球はおしまい!」

カイル「来年までやらなくていいんだ!」

マウンドに駆け寄り、無邪気に喜ぶ子供達……だが、

スティーブン「よくやったな、お前達!これで決勝戦にいけるぞ!

スタン「What?」

スティーブン「勝ったろ?だから地区優勝だ」

ジェラルド「おめでとう!これでポストシーズン進出だ!」

スタン「ポストシーズン?」

カイル「そんなこと言ってなかったよ!」

大人達の言葉に混乱する子供達に、リトルリーグはたくさんあるんだという事実を伝える大人達。
……真実を知って、勝利したにも関わらず見る間に顔が曇っていくスタン達。

ランディ「自分の身を守っただけだろ!?ここアメリカじゃないの?アメリカだと思っててゴメンね!」

パンツ一丁で捕まったランディのカットを挟みつつ「口笛ウイリーの店」での祝賀会へ。

……折角の祝賀会なのに、そこでも浮かない顔の子供達。
実は、子供達はゲームにネットにその他のホビーやスポーツと娯楽に溢れた現代……今さら、伝統的で古臭い野球なんかやりたくなかったのだ。

他にやりたいことはたくさんあるのに、リトルリーグの季節となり、大人達から半ば強制的に野球に挑まされている子供達……。

わざとらしく負ければ大人達に怒られるし、失望もさせたくないし、と悩む子供達。
しかも、普段は野球をやってもいないのに*1、お馴染みの面子(四年生クラス)で構成された「カウズ」はそこそこに強く、適当な相手では余裕で勝ててしまうと悩む。

ジミー「現実を見よう……僕たちは勝っちゃうんだ」

スタン「やろうと思えば、きっと負けられるはずだって!」

勝ちたくても勝てないチームに謝れ。


それに対し、ビールを飲み交わす野球好きの大人達は子供達の悩みを知る由もない。
100ドルを払って釈放されてきたランディもジョッキ両手持ちで合流し、次なる遠征先での乱闘に思いを馳せている。
毎回バカ白人と乱闘してるが、これからは昼間っから飲んだくれてるような連中が絡んでくるぞと言われるが、ランディは、だったらトレーニングして挑んでやると豪語する。

何か手は無いかと考えたスタン達は、次からは勝ち抜き戦になることを活かし、全力で負けにいく試合をすることを決意。
一生懸命に見せつつも、負ける試合をやることを誓うのだが、シーズンオフ初戦で出会ったフォートコリンズも全く同じ悩みを抱えていた。

「君達。俺達勝ちたくない。このリスト通り投げるから……」

「そうは行かねえぞ!サウスパーク!」

「俺達が勝ちたいとでも思ってるのか?」

「TVゲームやりたい」

試合前、密かに球種リストを渡そうとしたスタン達だが、「俺達こそ負けさせて貰う 」と豪語する相手チームの態度に、互いにこっちが負けてやるといきり立つ。

その様子を見て勝手に闘志を燃やすランディの野次にも力が籠る。
負けるべく、ボール球は振り、ストライクは見逃す戦法を取るが見極めは難しく、互いに点を取ってしまう展開は、僅差でサウスパークの勝利

その後も、グリーリー、プエブロ……と同じ境遇の相手との試合を繰り返しながらも、勝利し続けてしまうサウスパーク・カウズ。

そして、ランディは生傷と逮捕歴を増やしていく

……遂には、ポストシーズンでも決勝まで進み、大人達の喜びは最高潮に。

次でシーズンも終わりだ、との言葉を聞いて顔を上げる子供達だが、次の瞬間には優勝チームは夏の間中、全米各地をサーキットしなければいけないという事実を聞き、いよいよ絶望に追い込まれる。
しかも、回るのはネブラスカ、アイオワ、ワイオミング……クソ田舎だ!

これに慌てたスタンは、もう我慢できないとばかりにランディに助けを求めようとするが、サウスパーク初の快挙を前に喜びに浸りきって格好つけてるランディの姿を見て黙って踵を返す……。

そして目前に迫ったシーズンオフ決勝の相手デンバーチームだが、インタビューの場で遂に顔を見合わせた彼等も、案の定負けたがっていた

しかし、エースの父親として上機嫌でインタビューに答えるランディの前に現れる最強の敵。

元プロレスラーにして、パンツ姿でバットマン風マスクを被った変態酔いどれ親父……その名もトム・ネルソン……またの名を悪親父!!Bad Dud

試合も始まっていないのに、飲みながら挑発してくる悪親父の前にさしものランディも萎縮する。

「せいぜい頑張れよ」

「俺達には負けられないぜ」

捨て台詞を吐きつつ、敗北宣言していったデンバーチームの態度に勝利を確信して夏中野球をやることになる……と、落ち込むスタン達サウスパークチーム
だが、カートマンの提案で『がんばれベアーズ』の様に、事態を悪く出来る助っ人を入れることに。

チームの敗北のためにマジでいけてなくて、コイツが居れば絶対に勝てないと思わせる程の最高の運動オンチ……果たして、カイルが自信を持って呼び寄せたその相手とは……?

そして、悪親父の圧力の前にメジャーリーグの球場で行われる息子の晴れ舞台の応援から逃げたランディは、果たして決勝でも口汚くヤジれるのか……!?

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過去記事の発掘と日干し

別ブログの昔の記事を自己引用。
たまたま読んで、今でも考えは変わっていないし、放っておくと地中に埋もれるだけなので、少し日干しするために外に出したわけだ。

(以下引用)


「ときどき休みます」という穏やかな「私生活ブログ」から転載。
私生活ブログとは、今私が名付けたもので、身辺雑記ブログと言う方がいいかもしれない。まあ、筆者が好感の持てる人物である場合にのみ存在の許されるブログだ。
その一方、私のブログなどは、下記記事にある「他人の悪口」「言い訳」「時事問題」ばっかりで、書いている人間の人間性が嫌われても仕方がないな、というものだ。
しかし、村上春樹や堀井憲一郎は、なぜ「他人の悪口を書くな」と言っているのだろう。そりゃあ、社会的有名人だからさ、という答えがすぐに返ってくる。彼らにとって他人の悪口は百害あって一利無し、である。あの精神科医の香山リカも、小出ブームに関して、社会批判をする人々全体を、自分が社会に受け入れられていないルサンチマン(恨みつらみ)からだ、と批判しただけで、逆批判を浴び、一辺でそれまでに築いた地位を失いそうになった。不特定多数の人間を批判しただけでこうなのだから、特定人間への悪口がどんなに危険かはわかるだろう。
それでも、私のこのブログは、多分他人の悪口をこれからもたくさん書くだろう。なぜって、私は無名であり、匿名性に隠れて他人の悪口を言うことが好きだからだ。まあ、その匿名性も本当は脆いものだろうが。
それに、私の悪口とは、「社会批判」であり、社会批判こそが社会を改善すると私は信じているからだ。
まあ、村上春樹の「エッセイ三原則」は、ただの処世術である。



(以下引用)


歯医者さんへ。前回から少し間が空いた。先生からあと2回くらいだと言われる。ようやく出口が見えてきた。主にポッドキャストなどで聴いてる、TBSラジオ『小島慶子 キラ☆キラ』の火曜日パートナーの神足裕司さんが、くも膜下出血で入院中。その代役で出演している堀井憲一郎さんが、『いますぐ書け、の文章法』という自著を紹介していた。興味があったのでさっそく読んでみた。(以下ネタバレ)どんなことが書いてあったかというと、いちばん書きたい結論を真っ先に書けということだった。その伝でいくと、まずタイトルの「いますぐ書け」ということが堀井さんのいちばん書きたいことなのだ。四の五の言わずにともかくすぐ書け、と。そうは言っても、なかなかうまく書けない。困った。うまく書きたいと思うなら、うまく書きたいと思わなければいい、と堀井さんは続ける。これについてはおいおいもう少し具体的な説明がある。




この本を通じて大前提となる心構えはこういうことだ。読んでいる人のことをいつも考えて書け。


アマチュアの人が文章を書いてるときに設定してる読者は「きちんと読んでくれる読者」ですね。自分の意図に沿って読んでくれて、好意的な同調をしてくれる読者。それは読者とは言わない。自分の考えの反射でしかない。(p20引用)


そうとう耳が痛い話だ。ではそのためにどうするか。僕が気になったことをいくつか拾って箇条書きしてみる。

  • 悪口を書くのは難しい。だからやめたほうがいい。
  • 自分が書いた文章にタイトルをつけてみるといい。タイトルをつけにくいものは、悪い文章である。
  • 文章はあくまでも個人から発するもので、それは自分の話である。借り物の時事問題やたいして詳しくもない社会問題などはやめておけ。
  • 「独断と偏見によれば」という単語を使わない。そういう当たり前の弁解をしない。
  • いま持っているもので戦え。慌てて辞書を引いたりしてふだん使わない難しい言葉を使うな。
  • 読み手を特定しろ。身の周りのごく個人的な知人に読んでもらうことを想定する。
  • スポーツと同じで、上達したい人は理論ばかり捏ねくってないでさっさと体を動かせ(つまり書け)

あと、より細かい方法として、漢字を減らせ、すぐ改行しろ、「ぼくが」「わたしが」という冒頭の一人称をやめる、文末の「思う」もやめる、などということも書いてあった。まったく、やめておけがことごとく僕に当てはまり、いずれも頷けるものばかりだった。まあでもここまで指摘されても実践は難しい。つまりそれはどこかで「うまく書きたい」と思うからだ。「うまく書きたいと思わなければいい」ほど難しいことはないのだ。本当の意味でそれは、読んでくれる人のこと真剣に考えてない、からなのだろう。う~ん、マイッタ。




と、ここまで書いてきて、同じような話をつい最近なにかで読んだなあと考えたら、村上春樹さんのエッセイ『おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2』を思い出した。あの中にも、悪口を書かない、言いわけを書かない、時事問題は避ける、という村上さんが守っているエッセイを書く上での三原則みたいなものが紹介されていて、僕はなるほどなあ、と納得したばかりだった。そら、もう忘れていた。なお、堀井さんの場合も村上さんの場合もそれぞれ、ここで僕が大まかに箇条書きしたものなど鵜呑みにせず、実践してみたい方は是非実物を手に取ってくださいね。

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古い文化財の修復の危険性

日光陽明門の修復もひどかったが、これもひどい。特に武者の絵など、馬の姿勢以外は原型をとどめていない。武者の顔の向きが明らかに違うだろう。


(以下引用)

勇壮な武者生き生きと 大絵馬修復、鹿島市の五の宮神社

杉光さん、中村さん1年半かけ彩色

10/14 19:30

修復された大絵馬。武者の勇壮な姿を描いている。修復に当たった中村啓三さん(左)と杉光定さん=鹿島市の五の宮神社



修復が完了した絵馬。「国造り」を描いている



修復する前の絵馬



修復する前の五の宮神社の絵馬


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懐かしの「私作る人、あなた食べる人」問題の再燃か?

元ツィートの論理が今ひとつ分からないのだが、批判対象はA:妻の手料理を食べる人(岸田新総裁?)、なのか、B:妻の手料理を食べる人を親しみやすいと感じる人なのか。まあ、両方だろうが、比重はBにあるだろうと思うので、検討してみる。
基本的に、何かを見てどう感じるかは個々の主観の問題であるので、それを批判することに何の意味があるのだろうか。この文脈からすると、「妻の手料理を食べる人を親しみやすいと考える人」は「妻を奴隷扱いする」人間だと推定しているわけだが、これは「夫は妻の手料理を拒否すべきである」という意味なのか。おそらくそうではなく、「妻=料理を作る人」という観念を嫌悪しているのだろう。
だが、これは「家計の主な収入源」が夫か妻かで決まるのであり、夫が外で働き、妻は家庭生活を維持し向上させるというのが基本的役割である家庭は多いだろう。(もちろん、共働き家庭のほうが今は多いのかもしれない。その場合は家庭内労働の分担は半々であるべきだ。)このツィート主は、「専業主婦」という存在を否定しているのか、それとも結婚という制度そのものを否定する意味で発言しているのだろうか。

元ツィート主(シクラメン氏)はプロフィールに「フェミニスト」と自称しており、キャリアウーマンであるらしい。とすると、専業主婦憎悪というのが、このツィートの一番の動機で、それと同時に、岸田総理の足を引っ張りたいという、「リベラル」志向があるかと思われる。まあ、私自身、自民政治には嫌悪感が大きいが、一部のリベラル(特に立憲民主)と戦闘的フェミニズムがなぜか共同歩調を取っているらしいのは感心しない。(今は詳説しないが、支持層を分断させるのは野党として政治戦略的に間違っている、というのが主な理由だ。)私は女性の権利拡張 (「女性に不利な社会制度や社会習慣」の変革)には大賛成なのだが、「男と喧嘩する」(実は女、特に既婚女性や専業主婦、あるいは「色気のある」「色気を売り物にする」美人一般とも喧嘩しているwww)のがフェミニズムだと勘違いしているフェミニスト(上野千鶴子がその旗頭か)の存在は実に愚劣だと思っている。彼らは女性全体にとって不利益をもたらしていると思う。

(以下引用)

このツイートを見て「亭主元気で留守が良い」という言葉を思い出した。 これなんかはまさに「夫の奴隷化」だと思うんだけど、調べてみたら「1986年の流行語の一つにも選ばれている。」ということだった。 「1986年」ですよw weblio.jp/content/%E4%BA
引用ツイート
シクラメン
@pappapararira_
·
妻の手料理を食べる俺=親しみやすいと思ってるかもだけどそれ親しみやすいと感じるのって妻を奴隷化してる夫たちばかりだと思うよ... twitter.com/m_hariqmaharit…




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久しぶりに「知性と教養」のある総理の誕生か

「ネットゲリラ」氏が珍しく茶化さないで書いている。
岸田家はかなり知性に優れた家系のようだ。まあ、通常の欲(金欲、権力欲、色欲)まみれの政治家家系ではないと思っていいのではないか。別サイトのコメントで見たが、利権に縁の無い外務大臣を長い間勤めていたところも、欲の無さを示しているようだ。まあ、そういう淡泊さが政治闘争においては弱点になるかもしれないが、竹中や維新政治家や小泉親子や安倍一味などの物欲権力欲まみれの下種・エゴイストばかり見てきた目からは、非常に好感が持てる。
当人が東大でなく早稲田というのも、早稲田の「在野精神」がまだ存在した時代に学生生活を送っただろうと考えると、かえって良かったのではないか。
なお、教養というのは、知識が人格の向上に結びつくことだ、というのが私の持論で、(学歴や読書量=教養)ではない。

(以下引用)

岸田家のルーツ

| コメント(1)

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岸田家のルーツ、という話なんだが、上の図版は明治時代の基隆の地図で、「岸田喫茶店」「岸田呉服店」というのが、首相になった岸田さんの先祖がやっていた事業です。岸田幾太郎(1867-1908)というのが岸田さんの先祖です。
1891年(明治24年)頃に農機具、種苗、呉服などを輸出し、輸出先である北海道にて仕入れた海産物の販売業を始める[4]。1894年(明治27年)に三宅直之助の四女・スミと結婚。翌年には、長男の正記が生まれる。 長男が生まれて2ヶ月が経った頃には台湾の基隆市に移住し、現地で呉服商と材木商を営む[4]。
その後、幾太郎は1899年(明治32年)に帰国すると、地元の西志和村にて木材商、呉市にて金物商の経営を経て[4]、1906年(明治39年)頃には満州に移住し大連市の中心部に1町5~6反の土地を購入するが[5]、1908年(明治41年)9月14日に急死[6]。40歳の若さであった。
この人の息子が、岸田正記といって、戦前・戦後に国会議員をやっていた。

西志和高等小学校卒業。1913年(大正2年)、広島県立広島商業学校卒業。広商時代の同級生に大木惇夫がいる。長崎高等商業学校[5]、京都帝国大学法学部卒業[3]。在学中の1922年(大正11年)高等文官試験行政科合格[6]。
先代経営の貸家業を継ぎ1933年(昭和8年)に幾久屋百貨店を創立[7]。
大連および奉天で不動産業や百貨店経営に従事[3]。
1928年(昭和3年)に衆議院議員となって、以後6期連続当選、その間第1次近衛内閣の海軍参与官、小磯内閣の海軍政務次官、翼賛政治会国防委員長、自由党総務等を歴任した[3]。
戦後、公職追放。追放解除後の1953年(昭和28年)に衆議院議員に当選。代議士に復帰し1期務めたほか、幾久屋商事社長、穏田マンション社長を歴任した[3]。
ところが岸田家は外地で事業を営んでいたため、戦争で全てを失ってしまう。この人の息子が岸田文武といって、通産官僚から政治家になる。といっても、父の地盤をすんなり継いだというわけでもないようで、年代が違う。地盤をついでの世襲ではないようだ。
広島県広島市出身[1]。
1945年旧制東京高等学校卒業[2]。東京大学へ進学[2]。しかし、戦争末期のころであり、入学早々から勉強どころではなく、連日の勤労動員に続いて、終戦間近の同年七月には、学徒動員で旭川の師団に入隊した[2]。そして、その一カ月後には、郷里広島に原爆が投下され、広島市の自宅はその被害に遭い、また、多くの知人を亡くした[2]。在学中に高等文官試験に合格[2]。1948年東京大学法学部政治学科卒業[1]。
1949年商工省(現・経済産業省)入省[1]。繊維局配属[3]。通産省大臣官房会計課長、資源エネルギー庁公益事業部長なとを経て、1974年貿易局長、1976年中小企業庁長官を歴任して1978年退官[1]。
1979年の第35回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選[1]、以降当選5回[1]。

1945年8月15日、終戦と同時に、東京にあった家も進駐軍の接収に遭い、また、外地において大きく事業を営んでいた一家の財産も、すべて失ってしまった[2]。

岸田は、自他ともに認める読書家であり、秘書が「先生の姿が見つからないときは、本屋へ行け」と言われるほどであった[2]。政治、経済、歴史、科学あるいは文学等と分野にこだわらず幅広く読み、広く国の未来を見据えるために、多くの知識、情報を取り入れ、それを政策として反映させた[2]。
この人の息子が、岸田文雄という事になる。
東京都渋谷区に生まれる[6]。父・岸田文武は広島県出身の通産官僚だった。岸田家は広島の一族であるため、一家は毎年夏に広島に文雄を連れて帰省し、文雄は広島原爆の被爆者たちから当時の話を聞いた[7]。岸田一族も多くが被爆し、死に至った者たちもいた[7]。
1963年、父の仕事の関係でアメリカ合衆国・ニューヨークに居住し、小学校1年生から3年生まで3年間、現地の公立小学校に通う[8]。1963年秋から「PS 20」に通ったのち、1964年春からクイーンズ区の近隣住区エルムハーストに位置する「PS 13 Clement C Moore School」に通った[7]。岸田にとって少年時の在米経験は、白人の女児に手をつなぐのを拒まれた差別体験など[9]、原点に人種差別により正義感と義憤の念を強く持ち、世の中の理不尽さに気付くきっかけとなり、政治の原点となったが[10]、アメリカの国家としての大らかさ、多様性、活気などが印象付けられ、国家の普遍的価値である「自由」に大きな影響を受けることとなった[7]。
アメリカの公立校に通ったという珍しい経験の持ち主ですw 高校時代は野球とフォークソングに夢中で、東大は2浪して果たせず早稲田進学。長銀に就職し、5年間勤めた後、衆議院議員の父の秘書となる。ところで宮沢喜一の甥っ子が宮沢洋一という国会議員なんだが、この人は岸田文雄の従兄弟です。

さて、そんなわけで世襲といえば世襲なんだが、戦争で原爆の被害を受けたり、外地の資産を失ったり、NYで差別されたり、親戚筋がみんな東大出の官僚だったり、人並みの苦労はしている家系のようだ。宏池会30年目の首相です。まぁ、頑張ってくれたまえ(謎の上から目線w

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生産性(経済合理主義)が切り捨てるもの

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ警句」の一節である。記事の内容は「師」というほどのものではないので敬称略。もちろん、興味深い部分があるから転載するのだが、最近の文章は切れが悪い。しかし、冒頭部分は脳梗塞仲間として「あるある」である。
「客でない人間はすなわち『敵』」という時代思潮については、世の中に余裕がどんどんなくなっているのは確かにそうだろうと思う。その一方で、店側の気持ちも分かる。店のベンチに毎晩座り、買い物もしない人間は客ではなく、邪魔者、つまり店の「敵」だと思うのは自然だろうからだ。まあ、「生産性」が現代の(資本主義社会の)宗教的教義である、とでも言っておこう。生産性(あるいは経済合理主義)とは「最も合理的にカネを稼ぐのがエライ」という教義である。つまり、親を殺せば(法的には無罪にして)1億円やる、と言われればためらうことなく殺すのが、正しい信徒であるwww ここでは毒ワクチンの話はやめておくwww

(以下引用)

客でない人間はすなわち「敵」という時代


13件のコメント


小田嶋 隆

コラムニスト


 8月の半ばまで、3週間ほど入院した。
 退院してみると、驚くほど歩けなくなっている。
 思い出してみると、このたびの入院に先立つ6月の半ば過ぎ以来、体調に不安を感じていた。そこのところから起算すると、およそ2ヶ月にわたって、私は、ろくに外出することもかなわず、部屋の中に閉じこもりきりで過ごしていたことになる。
 と、現金なもので、すっかり体力が落ちている。
 足腰の筋力もさることながら、心肺機能が目に見えて衰えている。であるから、少し歩くと、たやすく息が切れてしまう。
 そこで、8月の下旬からこっち、意識的に歩くことを決意している次第なのだが、いかんせん残暑の戸外はあまりにも暑い。しかも都内の街路と店舗は、コロナ禍とパラリンピックのはさみうちで、正常に機能していない。
 なので、夜中に歩くことにした。
 夜になれば、暑さも多少はやわらぐ。
 それに、9月の声を聞いてから、吹く風にも、心なしか秋の気配が感じられるようになってきている。


 問題は、真夜中におっさんが町中を徘徊することの不穏さだ。
 ごぞんじのとおり、21世紀の時代思潮は、中高年男性による深夜の単独歩行を許容しなくなっている。
 いや、世間の目から見て、私はもはや「おっさん」というよりは「年寄り」に分類されているのかもしれない。
 どっちにしても、事情はそんなに変わらない。
 おっさんであれ、じいさんであれ、真夜中に平和な街路をうろつき回って良いキャラクターではない。うちの国の市民意識は、きわめて偏狭な方向に研ぎ澄まされつつ、今日に至っている。


 そんなわけで、夜の9時を過ぎた時刻に町中を徘徊する折には、なるべく嫁さんと連れ立って歩くことにしている。とはいえ、無目的に歩くことはできない。われわれは、行き先を定めずに歩くことを楽しめる年齢をとっくに過ぎてしまっている。仕方のないことだ。
 そこで、近所にある24時間営業のスーパーマーケットをとりあえずの目的地に定めることにした。これでようやく歩き始めることができる。
 かくして、8月の終わり頃から、ほぼ毎日、若干の遠回りをまじえながら、目的地である24時間営業のスーパーに立ち寄って、トマトだの牛乳だのを買って帰る散歩を日課としている。
 ここまではまあ、まあ、あたりまえな話だ。
 牧歌的なエピソードであると申し上げても良い。


 ところが、昨晩、いやな事件が起こった。
 この1週間ほど、私は、件のスーパーに到着するや、1階のセルフレジ近くにあるベンチに腰掛けて、比較的長い休憩をとることが習慣化していた。
 ショッピングそのものに興味がないのもさることながら、スーパーに到着する頃には、すっかり息があがっているのが常だったからだ。
 ついでに申せば、その24時間スーパーは、日々の歩行の目的地で、私個人の心の中では
「到着」
 という気分を抱かせる場所だった。
 であるから、私は、嫁さんが地下と1階の売り場を歩き回って商品を物色している間、ベンチに座って、ひとりしずかに、その日一日の歩行実績の達成をことほいでいたわけなのだ。
 そういう繰り返しが1週間ほど続いた。


 で、ゆうべのことだ。
 なんと、セルフレジの後方にしつらえてあったはずのいつものプラスチック製のベンチが消えている。
 周囲を見回してみると、ベンチは、通路の奥に片付けられている。そして、6本の脚で自らを支えることをやめて、座面の裏側を晒すカタチで、無残に立てかけられている。つまり、ベンチは、撤去こそされていないものの、人間が座ることのできないブツとして、壁際に押し付けられていたのである。


 なるほど。
 私は、考えた。
 この1週間あまり、買い物もせずに夜中の売り場でベンチを専有していた私の習慣は、店舗を管理する人間の側から評価してみれば、迷惑な行為だったのかもしれない。
 だから彼らは、商品を買わない来店客が、ベンチを長時間使用することを、やんわりと拒絶する挙に出たわけだ。
 壁の隅に立てかけられたベンチの、ホコリにまみれた裏面を眺めながら、私は、すっかりいやな気持ちになって店を出た。
 思うに、これは偶然ではない。
 売り上げに結びつかない人間を売り場から排除することは、現代にあっては正義に類する行為だ。そうやって21世紀の資本主義は動いている。客でない人間はすなわち敵なのだ。われわれはそういう時代に立ち至っている。


 3日ほど前だったか、ツイッターのタイムラインに、自民党の総裁選に立候補している政治家が、2012年にさる政治集会の席で話したスピーチの動画が流れついてきた。
 私は、横向きに立てかけられている無残なベンチを眺めながら、そのスピーチを思い出さずにおれなかった。
 彼女は、国にとって一番大切なのが「国家経営の理念」であるという、故松下幸之助翁の言葉を紹介したうえで、こんな意味のことを言っている。
「さもしい顔して貰える物は貰おうとか、弱者のフリして少しでも得をしよう、そんな国民ばかりでは、日本国(にっぽんこく)は滅びてしまいます。◯◯総理は常に……多くの方がマジメに働く、ヒトサマにご迷惑をかけない。自立の心を持つ……もう一度、皆さんと力をあわせて、また◯◯総理に頑張っていただいてですね、日本を奴らから取り戻しましょう」


 なるほど。
 特定個別の政治家の発言をあげつらって論難することは私の本意ではないので、名指しにはしないが、件のスピーチは
「さもしい スピーチ 創生日本」
 あたりの検索ワードを入力すれば、随時フリーで流通する動画として確認できるはずだ。ぜひ、自分の目と耳で確認してみてほしい。
 私が読者の皆さんに、このスピーチ動画の視聴をおすすめするのは、必ずしもその内容が非常識だからではない。
 むしろ、あのスピーチの中で政治家が訴えていた内容が、令和の時代の平均的な日本人にとって、「常識」に属する感覚なのかもしれないという疑念を、拭い去ることができないでいるからこそ、私は、その「常識」を客観的に見直してみてほしいと考えている。もしかしたら、われわれは、すでにして狂っているのかもしれないわけだから。
 そうでなくても、昨今のあたりまえな若い人たちにとって、典型的な「弱者」は、「さもしい」とまでは言わないまでも、迷惑な存在ではあるのだろう。だからこそ、買い物もせずにマーケットのベンチを専有している人間は、「うさんくさい年寄り」として冷遇されるのである。

(中略)



 思うに、昭和が終わってからの日本の社会は
「私権の尊重」
「私有財産の優位」
「自己責任」
「公共概念の後退」
「企業的経営という理念の絶対性」
「自由競争の賛美」
 を旨とする新自由主義に傾いている。
 そこへ持ってきて古くからの東アジア的な伝統である
「ヒトサマに迷惑をかけない」
「世間の大勢に従うのが無難だ」
 という感じの集団主義と事大主義が加味されている。
 で、このふたつの本来は相容れないはずのプリンシプルが悪魔合体した結果として、21世紀のわれら日本の社会の空気は、異様なばかりに周囲の目を気にする世間絶対主義という、限りなく窮屈な個体として結晶しつつある。


 その結果が、寝転がることのできない仕切り付きベンチと、「排除アート」(公共空間にホームレスが居住することを防ぐために設置される尖った彫刻もどきのモニュメント)の蔓延でもあれば、散歩のためにやってくるベンチ占有者をスーパーの休憩スペースから追い立てないと健全な営業が立ち行かないと考える売り場担当者のオブセッションであるわけだ。


 さて、エピローグというほどのことでもないのだが、長くなってしまったので、最後にいやな読後感のネタを紹介しておく。
 コロナ禍のあおりを受けて美術館や博物館が苦境に陥っているという話がいくつか耳にはいってくる。
 たしかに、美術館や博物館は苦しいだろう。ふつうに考えればわかる話だ。
 ところが、この件に関して
「多額の公金が投入されている施設である以上、美術館だとかは、富裕層のための文化施設なんではなかろうか」
「美術館や博物館に通うことで教養や知的好奇心を涵養する階層があるのだとすれば、その階層こそが恵まれた人々であり、そういう人々を優遇することは逆進性だぞ」
 という感じのツイートを流している人気アカウントがいて、しかも、これらのツイートにはバカにならない数の「いいね」がついている。


 世も末だと思う。
 個人的には、美術や芸術や先人の文化に親しむための施設を「富裕層のための文化施設」と言ってしまう感覚や、それらのために傾ける努力や興味を「逆進性」のひとことで説明してしまうセンスに、げんなりさせられる。


 たぶん、人類の営為を「効率」と「自己責任」の観点から評価しなおせば美術館だの博物館だのは、富裕層の道楽にしか見えないのだろう。
 私は、富裕層ではないが、だからといって貧困層に分類されたいとも思っていない。
 というよりも、自分以外の人間を「富裕」と「貧困」という観点からしか評価できない人間こそが本当に貧しい人間なのだと思っている。
 そういう人たちが総裁選を争っている。
 きっとおそろしく貧しい近未来がやってくることだろう。
 その先の未来に期待することにしよう。
 また来週。


(文・イラスト/小田嶋 隆)


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自由主義の破壊性(年齢と読書)

先日、高校1年の時の担任の教師だった人が亡くなったのだが、その人の或る言葉は私の記憶に残り続けている。
私は数人の友人と浪人時代にその教師と会ったのだが、その頃、ドストエフスキーの作品の面白さにかぶれていて、その教師に「ドストエフスキーの作品を全部読んだら、それ以上に面白い作品にはもう出会えないだろうから、それが残念だ」と生意気なことを言ったところ、その教師は少し黙った後、「僕はドストエフスキーが理解できたら死んでもいいと思っている」と言ったのである。この言葉は私に大きなショックを与え、その後、「文学を理解する」ことを安易に考えなくなった。とは言っても、生意気ざかりだから、「ドストエフスキーをこれほど面白く思っているのだから、俺のドストエフスキー理解がダメなはずはない」と思いながらも、「俺はドストエフスキーをいい加減な理解で読んだだけかもしれない」とも思ったわけだ。
「文学」などというたいそうな言い方はあまり好きではないし、私は純文学が大衆小説より上だという序列意識もさほど無いのだが、やはり「文学」あるいは「純文学」と、通常の娯楽小説には違いがあると思う。前者は、それを読むことで読んだ人間そのものに変化があるのに対し、後者は純然たる「時間つぶし」である。もちろん、楽しい時間つぶしはそれなりの価値があるが、肝心なのは、それを経験することで読んだ人の内面に大なり小なり変化が生じるかどうかということだ。つまり、その作品を読んだことで読んだ人間の「世界理解、あるいは人間理解の幅が広がる」わけだ。そして、ある作品がどの程度まで「読める」かどうかは、読む人のレベルによる。同じ人間でも、十代での理解と六十七十代での理解には大きな違いが出て来る。ただし、若年でもその作品の「大雑把な面白さ」や「哲学」は分かることが多いと思うが、細部はほとんど理解できていないのではないか。そして、優れた作品は細部にこそ本当の面白さがあるのである。
などと書いたのは、しばらく前に「悪霊」を再読した時にも感じたのだが、最近再読している「白痴」も、若い時に読んだ時には感じていなかった細部の面白さが抜群なのである。特に会話の面白さは、おそらく世界文学の最高峰だろう。
なぜドストエフスキー作品の会話が面白いかと言うと、人間自体の持つ喜劇性のため、と言えるかと思う。真摯さと偽りが同時に同じ人間の中に存在するから、その言葉も嘘と真実の混合となり、しばしば混迷そのものになる。実はこれは現実世界の人間も同じなのであり、何かを言う時にはあれこれ計算して話そうとするが、すぐに気が変わって支離滅裂な話しぶりになるわけだ。
我々は、自分で思うほど合理的なふるまいや発言をしているわけではない。
ドストエフスキーが「悪霊」や「白痴」の中で描いているのは、「自然な人間は、どのように欠点だらけでも美しいが、思想や信条に毒された人間は醜く、一種の怪物となる」ということかと思う。特に「自由主義」を彼は批判しているが、これは現代においてこそ納得されるだろう。
自由とは、束縛を脱することで、その行き着く先はあらゆる宗教や道徳や法律の否定になる、ということを彼は暗示していると思う。これは現代の新自由主義の世相を見れば、その先見の明が分かるのではないか。もちろん、ロシア正教の擁護者であるドストエフスキーは「宗教」という信条の毒には触れていない。ただ、「自由主義」の持つ破壊性が、「悪霊」や「白痴」には示されている、ということだ。
いずれにしても、老年での読書は、過去に読んだ作品の再読でも、若いころには理解できなかった細部の理解が可能になるという、素晴らしいメリットがあるのである。まあ、泉鏡花など、未読の作品で読んでみたいのもたくさんあるが、手元にある本の再読だけでも死ぬまで楽しめそうである。



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