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(再掲載)泳幸の栄光と社員・会社の不幸

まあ、新自由主義経営(ユダヤ式経営)の旗手のようなものだ。もちろん、妻へのDV逮捕記念。

(以下再掲載)

泳幸の栄光と社員・会社の不幸

前回引用した記事もそうだが、「ビジネスジャーナル」は立て続けにヒットを飛ばしている。経営方針に変更でもあったのか。元からそうなのか。表向きは大企業立て直し請負人、実はブラック企業的経営者の暗部をこれほど明白にした記事も珍しい。
(引用2)で、原田泳幸のウィキペディアによる経歴紹介記事を転載する。東海大学という三流大学(失礼。だが東大よりはマシかもしれないw)出身者がこれほど、大企業を渡り歩けること自体に不自然なものを感じるが、秘密のカギは、社会人になって後、ハーバードで学んだことか。おそらく、彼を「ユダヤ的人材だ」と見込んだユダヤが、彼をスカウトしてハーバードで学ばせ、ユダヤ精神、ユダヤ式経営(非情な経営)を叩き込んだ後、目を付けた大企業に送り込んでいるのだろう。それでなくては、なぜ彼がまったくの異業種に次から次へと迎えられ、独裁的経営ができるのか、理解できない。
彼の経営はまったくの利益至上主義であり、社員はそのために奴隷化されるようだ。その結果、一時的に業績は上がるが、無理が祟って会社は疲弊し、やがて衰亡していく。社員も会社も使い捨て、である。これがユダヤ式経営の本質だ。本質的に彼らは「吸血鬼」なのである。


(以下引用)

マックでは怪文書、ベネッセでは再就職斡旋パンフ…原田氏の破壊的切り捨て経営

ビジネスジャーナル




















© Business Journal 提供

 昨年6月にベネッセホールディングス(HD)会長兼社長に就任した原田泳幸氏が打ち出した構造改革は、ダイレクトメール(DM)に頼らない新しいマーケティング戦略と新規事業の展開だ。700人の配置転換で新規事業に大量の人材を投入する一方、300人の希望退職で社員数を適正化し、販売管理費の削減、高コスト構造の刷新を図り、業績をV字回復させるというシナリオだ。ベネッセグループの正社員は約2万人。退職日は3月末で、特別退職金を支給する。そのため、リストラ関連費用50億円を構造改革費の名目で特別損失として計上している。

 さらにベネッセHDは、 1月中をメドに11人の執行役員のうち6人を外部から招く。最高法務責任者(CLO)にパナソニックで情報セキュリティ本部長を務めた金子啓子氏が昨年10月1日に就いたほか、今年1月1日付でマッキンゼー・アンド・カンパニー出身の上田浩太郎氏が最高戦略責任者(CSO)に就任した。最高財務責任者(CFO)は外国人2人を起用する。データベースの保守・運営のために立ち上げる子会社のトップも外部から招聘する。

 ベネッセグループ社員が進研ゼミ会員の相談に乗る施設「エリアベネッセ」も開設する。4月までに全国500カ所に設置する予定だ。これまで主力にしてきたDMによる新規会員獲得からエリアベネッセでの営業活動にシフトするという触れ込みだ。グループ各社から700人をエリアベネッセと介護子会社ベネッセスタイルケアに3月末までに移籍させる。今後、グループ各社の人事・経理など間接部門の機能を統合し、900人いる間接部門の人員を450人に半減する。併せて本社やグループ40社の間接部門から300人の希望退職者を募集する。ベネッセHDが希望退職者を募るのは、1955年の創業以来初めてのことだ。

 幹部を総入れ替えして、人員を減らし、社員の再配置を行う。ベネッセグループを根底から変えようとする荒療治だ。




 昨年12月2日の発表資料には「既にこれまでで最大規模の公募を実施済みで150人が異動、12月付で250人が決定しており、1月までに合計700人の異動を完了する予定」と書いてある。「40歳以上の社員には再就職斡旋のパンフレットが配られている」(ベネッセグループ社員)という。発表文には「転進支援については、希望者に対して期間無制限で行います。これにより社員が自分のキャリアの選択の道をグループ内外に持つことができるように支援します。選択は全て社員の意思に委ね、会社はそのサポートに徹します。退職勧奨はしません」とうたっている。ちなみに昨年7月に発覚した顧客情報流出事件を受け、社内の指名・報酬委員会で役員報酬の引き下げが検討されたが、「原田氏がこれにストップをかけた。2億円以上とされる自らの報酬を下げて、本社社員、グループ会社の社員と痛みを共有する気など原田氏にはない」(ベネッセグループ関係者)という。

●敵を徹底的に攻撃

 原田氏が日本マクドナルドHDのCEO(最高経営責任者)に就いたのは2004年5月。米アップルコンピュータ日本法人社長と米本社副社長を兼務していた原田氏は、米マクドナルド本社にヘッドハンティングされた。当時、日本マクドナルドHDは債務超過50億円という、どん底状態にあった。同社の体質を根底からつくり替えるのに、うってつけの人物ということで原田氏は送り込まれた。

「今から新しいバスが出発する。新しいバスのチケットを買いたい人は買え。買いたくない人は乗らなくてかまわない」

 原田氏が同社本社の全社員を集めて発した第一声だ。原田氏の経営手法は、味方と敵を明確にして、敵に攻撃を仕掛けるところに特徴があるとされる。原田氏が最大の敵と定めたのは日本法人の創業者で初代社長の藤田田氏だ。原田氏は藤田氏がつくり上げた経営システムと人脈を、ことごとく破壊した。多くの社員の役職を解き、新たな仕事を与えるなどの荒療治に、身内から反発が噴出。「米国の手先、原田の横暴を許すな」と書かれた怪文書まで流れる事態となった。

 しかし原田氏はそうした反発をものともせず、フランチャイズ店(FC店)拡大を経営刷新の柱に据えた。直営店をFC店に切り替えることで、3割にも満たなかったFC店比率が7割を超えた。既存の直営店をFC店に転換させるスキームは利益を膨らませる妙案だった。店長がFC店に移籍することで人件費が減る。FC化に伴う店舗売却により利益を計上した。直営店のFC化には、もうひとつの狙いがあった。

 原田氏は10年2月、大胆な店舗改革を打ち出した。向こう1年間で全店舗の1割に当たる433店舗を一気に閉鎖。その後、5年以内に633店を集客が見込める立地の良い場所に移転する、というものだった。店舗の大量閉鎖の狙いは創業者の藤田田の子飼いのFC店を一掃することにあった。藤田氏は社員が将来生活していけるように、のれん分けのような制度を取り入れた。その制度を利用して店長たちは独立して、FC店を開いた。社員の独立をマックの増収につなげる、一石二鳥の善政であった。彼らは、一国一城の主に引き上げてくれた藤田氏の信奉者になった。原田氏が脱藤田路線を打ち出した時に最大の抵抗勢力となったのが、こうしたFC店のオーナーたちだった。




●一時的に利益、現場は荒廃

 07年11月、FCオーナーの店舗で、サラダの賞味期限偽装事件が起きた。性急なFC化の歪みが出たと原田氏は批判された。事件は原田氏にとって大打撃になるはずだったが、事件を逆手に取った。

「オーナーの中には、ブランドを傷つけることを外に向かって行う人がいる。これまで目をつぶってきたが、時機が到来した。そういう方には撤退してもらいます」

 こう宣言し、藤田氏子飼いのFC店を一気に淘汰したのである。経営陣もバスから降ろされた。原田氏の社長就任時代に役員は3回転し、藤田時代の役員はすべて去り、原田氏が外部からスカウトしてきたメンバーも今はまったく残っていない。

 原田氏が日本マクドナルドHDで行った構造改革に対しては、「彼は破壊屋であって再生屋ではない。一時的に利益をもたらしたが、現場は荒廃した。マックの今日の窮状はこうして起こった。見せかけの利益を出すために、店舗のリニューアルはしていない。メニューだけでなく店舗が劣化してしまった」(同社関係者)との批判も多い。そのため、原田氏が去った後のベネッセHDも同様に荒れ地になってしまうとの見方もある。
(文=編集部)





(引用2)容量超過のためだいぶ省略した。

原田泳幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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はらだ えいこう
原田 泳幸
生誕1948年12月3日(66歳)
日本の旗 日本長崎県佐世保市
出身校東海大学工学部通信工学科
ハーバード・ビジネス・スクール Advanced Management Program
職業ベネッセホールディングス代表取締役会長兼社長
ベネッセコーポレーション代表取締役社長
日本マクドナルドホールディングス取締役会長
日本マクドナルド株式会社取締役会長
配偶者谷村有美

原田 泳幸(はらだ えいこう、1948年12月3日[1] - )は、株式会社ベネッセホールディングス代表取締役会長兼社長。株式会社ベネッセコーポレーション代表取締役社長。日本マクドナルドホールディングス株式会社取締役会長日本マクドナルド株式会社株式会社取締役会長。ソニー株式会社社外取締役。




学歴[編集]

職歴[編集]





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現代の一人っ子はひとり五役か六役

少子化というのは、こういうことだ、という盲点。もちろん、予防医学や衛生観念が未熟で、生まれた子供の何割かが死ぬのは当たり前という時代と同等には考えられないが、基本的に少子化社会では「家」は維持できないのは明白である。そして、税金納付者も少ないから政府も維持できなくなる。この事は何十年も前から言われていて、大学入試の小論文の必須課題だったのだが、現状のようになっているのは歴代政権の無能さを明白に示している。もっとも、私自身、ある程度の少子化は「国土や社会インフラの適正配分になるからむしろ有益だ」という考えで、その考えがまったく間違いだとは今でも考えてはいない。しかし、無策のままだと労働力不足、税収不足は避けがたいだろう。


restorecon -RF /home/東風谷さずりん
@Xatz
「一人は働かせ、一人は病気で死に、一人は軍にとられたりなんだりで奉仕活動に行き、ようやく一人を大学にやり、一人は家に残ってくれる。それのすべてを一人や二人の子供に望んだらお互いに不幸だ」ってのは私の曾祖母の生前の弁。

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広瀬隆の現在

この前から、「最近広瀬隆の名前を聞かないが、もしかして亡くなっているのだろうか」と気になっていたので、調べると、少し前に脳出血を起こしたらしいが存命であり、著作も出しているようだ。
脳出血で一時は半身不随だったが、現在は完治している、というのが疑問で、脳出血で失われた身体機能が元に戻ることが可能だとしたら、素晴らしいことではある。私の兄のひとりも脳出血で半身が麻痺しているが、それが回復可能だとしたら大きな福音だ。しかし、どのようにして「完治」できるのか、その詳細が知りたいところである。
まあ、脳出血の内容や、その発症直後のケアなども千差万別だろうから、広瀬氏の場合には幸運も重なって「完治」したのかもしれない。

(以下引用)

広瀬隆さんが「わが家の罪業」を告発!


日本の植民地政策とわが家の歴史



 反原発活動家として知られ、『東京に原発を!』、『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』などのロングセラーもある著述家の広瀬隆さん。近現代史の裏面や暗部をテーマにした著作が多いが、本書『日本の植民地政策とわが家の歴史』(八月書館)は多少趣向を変えている。「広瀬家」の歴史そのものをまな板に載せ、手厳しく批判しているのだ。

脳出血で一時は半身不随

 1943年生まれの広瀬さんは今年77歳。東日本大震災の時は、あちこちで引っ張りだこだった。最近ちょっと見かけないな、と思っていたら、2年前に脳出血になり、1か月ほど半身不随だったそうだ。現在はほぼ完治したというが、心境の変化もあったようだ。


 広瀬家の歴史を書こうと思ったのは、20年近く前、高齢の母親の散歩を付き合うようになったのがきっかけだという。1時間ほど歩きながら、朝鮮生まれの母親の昔話を聞く。身近なところに「民衆史」があることに気づいた。自分が日本史や世界史をテーマに著作を続けてきたのに、自分の家の歴史については深い関心を持たずに生きてきたということを痛感したそうだ。


 本書の骨子は、「私自身が、日本の植民地政策の犯罪者的な系譜から出た人間だという、読者が卒倒するような実話である」。


 さらに広瀬さんは続ける。

 「だからと言って、小生がわが家の罪業を隠そうと思ったことは、天に誓って金輪際ない・・・これまで、その秘密のファミリー・ヒストリーを書籍に記述する機会がなかった。しかし面汚しな秘密だからと言って、もはや語らずにはいられない心境に達したので、読者も覚悟して、富豪の家に生まれたその人間が、いかにして今日まで読者と共に活動する役割を演じてきたか、この奇想天外な『広瀬隆の人生の一部始終』に耳を傾けて戴きたい」

日露戦争のころに朝鮮へ

 本書は三部構成。概略は以下。

 第1部
 第1章 日本の商人が軍隊を引き連れて朝鮮半島に進出し、日清・日露戦争を起こす
 第2章 わが家の野々村家が朝鮮に渡る
 第3章 いよいよ朝鮮を正式に植民地統治する時代に突入した
 第5章 朝鮮人の強制連行がスタートした
 第6章 日中戦争が勃発して、日本は泥沼にはまりこんでいった など
 第2部
 第12章 翻訳者・小説家として第三の人生に踏み出す
 第13章 反原発運動に飛びこみ、新しい運動をめざして市民と共に活動する
 第25章 青森県六ヶ所村の核燃反対運動
 第27章 政争の具にされた原発反対運動 など
 第3部
 第33章 大事故を予告する狼少年が全国を回る
 第36章 自然エネルギーが自然を破壊する
 第41章 『黒い雨』上映と沖縄体験の衝撃 など

 この章立てを見てもわかるように、「広瀬家の歴史」については第1部に詳述されている。具体的に何をして「富豪」になったのか。それを書いてしまうと、種明かしになるので、実際に手に取ってご確認いただければと思う。


 ごく一部をお伝えすると、広瀬さんの母方は野々村家。ご先祖はすでに明治期に関西の貿易業界の重鎮だった。日露戦争の直後には、曾祖父が朝鮮に渡っている。祖父の野々村謙三は事業を拡大して京城で商工会議所会員にトップ当選、戦後に「野々村謙三・思ひ出の記」を残している。母方のもう一人の曾祖父は、中林思孝。明治初期に東京の大学南校(東大の前身)を卒業した英才だ。日露戦争のころの外相だった小村寿太郎の同期。朝鮮で税関長などを務め、多数の土地を持ち、権力を握っていた人物だという。

ほとんどの日本人に共通する

 広瀬さんは本書で、こうしたご先祖の「ある種の"罪業"」のような史実を記述する。当初は、本のタイトルを『わが家の罪業』にしようと思っていたという。「この世に起こった、そうした動かしようもない家族の史実を、ほかの人に知られることを恥じる、それが人間の最も犯しやすい間違いなのである」という信念からだ。


 しかし、そのタイトルは止めた。広瀬さんが戦後に知る野々村家の人々はみな心やさしい、愛すべき人たちであった。むろん、日本人が朝鮮を植民地とした行為を、悪事だったと語ることはなかったが、広島の原爆では、4人が戦死し、一族は戦争被害者という一面もあった。


 タイトルを変えたのは、いろいろと調べるうちに、これは野々村家だけの話ではなく、ほとんどすべての日本人に共通することが分かってきたからだ。

 「なぜなら、この時代の大日本帝国による軍事侵略は、朝鮮半島だけではなかった。満州においても、フィリピンにおいても、インドネシアにおいても、台湾、ベトナム、シンガポール、マレーシア、インド、ビルマ(ミャンマー)、タイ、太平洋諸島においても、同じように展開された蛮行だからである」
 「読者が『潔癖なわが家は違う。無実だ』と信じているなら、あなたの先祖がそれを隠して、語らなかっただけだ」

反原発の檄を飛ばす

 こうして広瀬さんは、本のタイトルを『日本の植民地政策とわが家の歴史』という、どの日本人にも当てはまるものに変える。そして日清・日露戦争を起点に、日本の近現代とご先祖のファミリー・ヒストリーを絡ませながら朝鮮で起きたことを辿っていく。


 後半は、自身が深く関わることになった原発反対運動に多くのページを割いている。2016年10月、広瀬さんが、「これから講演会で、韓国のソウルへ行くよ」と、99歳で寝たきりの母親に告げたら、「私は京城(現ソウル)生まれよ。京城の小学校を出たのよ」という返事が返ってきた。その時は極めてしっかりした記憶と意識があったが、約二か月後に亡くなった。反原発運動の広瀬さんの人生が、晩年になって一族の故郷・朝鮮と重なった瞬間だった。


 母が亡くなったということもあり、本書をまとめることにしたという。本書の最後では、反原発運動で関わった有名・無名の故人たちの名を挙げながら、「この精鋭たちの遺志を、生きている我々が継がなくてどうする!」と檄を飛ばしている。


 BOOKウォッチは関連書を多数紹介している。『近代日本・朝鮮とスポーツ』(塙書房)はスポーツを通して「内鮮一体」「皇民化」が図られた歴史を振り返る。『天皇のお言葉 明治・大正・昭和・平成』(幻冬舎新書)は明治天皇と日清戦争、昭和天皇と戦前の朝鮮への思い、平成の天皇の古代史にさかのぼる発言などが掲載されている。『増補 遥かなる故郷 ライと朝鮮の文学』(皓星社)は父方も母方も古くに朝鮮に渡り、「植民者三代目」として朝鮮で生まれ、戦争に負けて21歳で「帰国」するまで日本を知らなかったという村松武司さんの懐旧記だ。『従軍慰安婦と公娼制度』(共栄書房)は慰安婦問題の歴史的背景を記す。『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)は戦争を金銭面から徹底総括している。


 原発関係では『原発に挑んだ裁判官』(朝日文庫)、『ふくしま原発作業員日誌――イチエフの真実、9年間の記録』(朝日新聞出版)なども紹介している。

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霧を越えた向こうに何が待つか

「考える楽しみ」の一例として、別ブログに載せた小論を転載する。かなりお気に入りの小論なのである。ただし、推理小説の犯人と動機に関する推理なので、その作品を未読の人は読まないほうがいいかもしれない。とは言っても、この小論を書いたのは、全体の7割程度を読んだ時点なので、その推理が合っているとは限らない。この小論を読んだ上で作品そのものを読んでもべつに問題ではないとは思う。

(以下自己引用)


*注意:綾辻行人「霧越邸殺人事件」の内容にかなり触れています。
この小論に書かれた内容(私の推理)が「正解」かどうかは原作と読み比べてのお楽しみ。





美という悪魔(「霧越邸殺人事件」試論)


 


(最初にお断りしておくが、私は綾辻行人の「霧越邸殺人事件」を読了していない。正確には同書の470ページまで読んだ時点、文庫版で700ページ近いこの長い小説の7割弱読んだ時点でこの文章を書いている。つまり、主要な事件はほぼ終わりと思われ、後は謎解き部分が始まるのではないか、というあたりだろう。で、この段階で私は犯人も犯行の動機も分かったと思い、その犯罪を面白く思ったので、この試論を書いている。だから、もちろん、この「推理」が大外れである可能性は十分にあることをお断りしておく。ただ、かりにこの「推理」が間違っていても、それはおそらく「正解」より面白いのではないか、と思うのでこの文章を書いているのである。)


 


あまりもったいぶらずに、最初に私の「推理」を書いておく。霧越邸における殺人事件の「犯人」は、槍中秋清だろうと推定する。ただし、最初の2件は主犯が槍中で、実行犯はおそらく甲斐倖比古だと思われる。実行犯は名望奈志であっても(どちらにもアリバイは無いので)べつにかまわないが、作中での言動から推察して、甲斐のほうが実行犯だと思われる。


いずれにしても、3件の殺人事件の「真犯人」は槍中だろうというのが私の考えだ。


問題は、槍中の「動機」である。作中で作者(綾辻氏)は語り手役のアマチュア作家に推理小説での動機にはさほど意味が無い、と論じさせているが、これは作者による「落とし穴」だと私は推測する。なぜなら、この推理小説の一番の面白さは、犯人のその「動機」にこそあるからだ。


で、その動機に関わることだが、この一連の殺人事件の真犯人は実は「霧越邸」そのものだ、と言えないこともない。太陽がまぶしかったので通りすがりの人間を殺したという殺人犯がいたら、真犯人は太陽だ、という論法である。まあ、それよりも「霧越邸」の犯罪関与度は大きいのだが。別の言い方をすれば、漱石の「猫」に出てくる、「機会は人をして罪を犯せしむ」という思想の壮大な発展形がこの「霧越邸殺人事件」ではないかと思う。


まあ、これで私の「推理」が正解なら推理小説ではタブーであるネタばらしになるのだが、私は「解答部分」を未読なので、安心して(良心に咎めることなく)論を進めることにする。


 


 


順序としては、私がいかにしてその解答に至ったか、から説明したいのだが、これは推理ではなく、同作品を読み進めながら私の潜在意識の中で進行していた無意識的思考が突然、「解答はこれだ」と提示してきたので、説明はできない。ただ、その「根拠」らしきものを挙げれば、


 


1) 3つの殺人事件の中で、最後の死体だけが「美しいまま」である。


2) 劇団員の中で槍中だけが、明らかに芸名かペンネームらしい名前なのに、「本名」が一度も書かれていない。


3) 槍中の「芸術至上主義」的思想。「背景」へのこだわり。


4) 霧越邸の様々な事物に劇団員の名前を無理にこじつける言動。


5) 劇団主催者として、榊由高と希美埼蘭のスキャンダルの発覚を恐れていたこと。


6) 榊と蘭の「殺人劇被害者」としての死は、上記のスキャンダルを消し去り、逆に劇団のマスコミ知名度を一挙に上げること。(劇団員はいくらでも補充できるし、「使い勝手」の悪い二人におそらく槍中はうんざりしていただろう。)


7) 芦野深月の寿命が残り少ないことを知っていたこと。だから、霧越邸という美しい舞台で「美しいままで」死なせてやろうという、自分勝手な「思いやり」。


 


といったところだろうか。


 


で、「霧越邸」が真犯人だ、という奇矯な言い方を説明すれば、この事件は槍中が霧越邸という「背景」に出会うことで生まれたものだ、ということだ。つまり、雪の山中で迷ったことも、彼ら劇団員が霧越邸に遭遇したのもすべて偶然である。したがって、霧越邸の住人は3つの殺人事件にまったく関与していない。事件の中でしばしば登場する謎の「影」のような人物は、おそらく4年前の火事で顔を火傷し、足が不自由になった奥さんだろう。霧越邸主人がこんな山中に隠棲したのも、奥さんを人目から隠すためだったわけである。若いころの奥さんが芦野深月と瓜二つだったのも単なる偶然であり、世の中には容貌の似た人間などたくさんいるものだ。


まあ、この作品全体が偶然と必然の曖昧な境目の中で進行するわけで、読者はこんな偶然などあるわけがない、という思い込みから、推理の迷宮に迷い込むわけだ。だが、人生の出来事の9割は偶然だ、と言っても過言ではないのである。


さて、槍中は霧越邸という「背景」あるいは舞台に遭遇することで、一連の殺人事件、というより、最初は榊と蘭のふたりだけを殺す計画だっただろうが、その計画を思いついたわけだ。つまり、霧越邸との偶然の遭遇が無ければ、これらの事件は生まれなかった。そういう意味では、霧越邸が真犯人だ、と言える。これは一連の「○○館殺人事件」を書いてきた綾辻氏にとっては実に自然な発想だろう。


なお、一連の「見立て殺人」は幼稚なもので、特に意味は無い。北原白秋の童謡「雨」に忠実なのは最初の榊の死体の状況だけで、蘭の死体は「いやでもお家で遊びましょう」という歌詞に反して戸外の目立つ場所に「展示」されている。深月の死体も童謡の歌詞との関連性は薄く、一階のテラスに「きれいに」置かれた(窓から投下したというのは、整然とした死体の状況から見て誤った推定だろう。)それを見下ろすように雉の剥製が二階の部屋の窓辺に置かれただけだ。


ここで深月が殺害された理由について推測すれば、深月は槍中が榊と蘭を殺した犯人だと推定して、それを槍中に確認したのだろう。その結果、殺されたわけだ。つまり、前の二人とは殺害理由が違い、槍中には深月を殺す積極的な理由は無かったのである。むしろ、殺したくなかったが、そのままだと自分が犯人だとバレるから殺した。殺す理由は、「そのままでも、心臓の悪い深月は30まで生きられないという話だから、今、この『美しい舞台(背景)』で、美しいままに殺してやるのがむしろ慈悲だろう」という自分勝手な理屈でもつけたのだろうと思われる。芸術至上主義者というのはそういうものだ。


 


というわけで、この小論の題名を「美という悪魔」とつけた理由がお分かりかと思う。

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生存環境としての沖縄


昔は天気予報というと当てにならないものの代表だったが、最近はかなり信頼性が高くなっており、嘘情報の多い政治や芸能界や経済のニュースに比べるとはるかにマシなのではないかww

沖縄などだとたとえ雨が降っても温かいから濡れてもどうということは無いし、この時期の雨は少し降ってはすぐに止むという雨が多い。つまり、外出時にさほど天気を気にする必要もない。子供のころは、雨になど濡れても平気だったのだが、成人後、本土在住の時はそうもいかなかった。寒冷な地では雨に濡れて体温が奪われるのは生死にかかわることすらあるだろう。
気候がほとんど年中温暖であるのは、最高の自然の恵みであると私は思っている。もちろん、本土のたいていの土地のように四季の変化があるのも素晴らしいが、その分自然の脅威も大きいようだ。特に寒冷な土地は冬には大変だろう。暖房だけで膨大なエネルギーとカネが使われているのではないか。沖縄なら厚着して寝床に寝ていれば済むし、夏でも窓を開け放して風を通せば済むのである。周囲が海だから、夏は海水温が気温を下げ、実は夏でもやたらに暑くなることもない。まあ、冬でも凍死しないというのは、ある意味、天国かもしれない。
地球温暖化というのは、全世界の沖縄化ではないか? wwww

 
 



3か月予報 立春を過ぎて寒気南下か それでも季節前進 春の災害に注意© tenki.jp 提供 3か月予報 立春を過ぎて寒気南下か それでも季節前進 春の災害に注意

2月は前半を中心に、北日本に寒気が一時的に南下する可能性があります。3月には、寒気の影響を受けにくくなるでしょう。4月は、北日本を中心に暖かい空気に覆われる見込みです。


●2月~4月 偏西風は本州付近で平年より北を流れやすくなる


25日、気象庁が発表した3か月予報によると、2月から4月にかけて、偏西風は、中国大陸上では、平年より北を流れやすく、日本の西でやや南に蛇行する見込みです。このため、シベリア高気圧の南東への張り出しがやや強く、沖縄・奄美では一時的に寒気の影響を受ける時期があるでしょう。一方、偏西風は、本州付近で、平年より北を流れやすく、寒気の影響を受けにくい見込みです。


●2月 前半を中心に寒気が南下する可能性も


今年の節分は、2月2日、3日が立春で、暦の上では春です。


2月は、前半を中心に北日本に寒気が一時的に南下する可能性があります。


北海道から九州の日本海側では、平年と同様に曇りや雪、雨の日が多い見込みです。太平洋側では、平年と同様に晴れの日が多いでしょう。ただ、低気圧や湿った空気の影響を受けやすく、雨が降る時期があるでしょう。沖縄・奄美は、平年と同様に曇りや雨の日が多い見込みです。


気温は、北海道や東北は、2月の前半は、北海道を中心に平年より低くなる日が続くことがあるでしょう。期間を通しては、ほぼ平年並みで、後半になると、急に春めきそうです。関東から九州は、平年並みか高いでしょう。沖縄・奄美は、ほぼ平年並みの予想です。


●3月 北日本は寒気の影響を受けにくくなる


3月は、北日本は寒気の影響を受けにくいでしょう。


北海道や東北の日本海側は、平年と同様に曇りや雪または雨の日が多い見込みです。とはいうものの、平年の晴れ日数(晴れ日数とは、日照率40%以上の日)は、北海道や東北の日本海側は、2月は7.9日で、3月は13.2日ですので、3月になると、平年同様に日差しが届く日がグッと増えます。太平洋側は、平年と同様に晴れの日が多いでしょう。


関東から九州では、春らしく、数日の周期で晴れや雨になる見込みです。沖縄・奄美は、湿った空気の影響を受けにくく、平年に比べて、曇りや雨の日が少ないでしょう。


気温は、北海道や東北は、平年並みか高い見込みです。関東から九州、沖縄・奄美は、平年並みでしょう。沖縄では、晴れる日が少ない時期ですが、平年に比べて、春の日差しを感じられる日が多い見込みです。


●4月 北日本を中心に暖かい空気に覆われる


4月は、北日本を中心に暖かい空気に覆われやすいでしょう。


平年と同様に北海道から九州、沖縄・奄美は、春らしく、天気は短い周期で変わります。北海道や東北の太平洋側と関東や東海、近畿から九州では、平年と同様に晴れの日が多いでしょう。


気温は、北海道や東北は、平年並みか高い見込みです。関東から九州、沖縄・奄美は、平年並みでしょう。


●南岸低気圧による太平洋側の雪


冬の終わりから春先にかけて、低気圧が本州の南を東進する、いわゆる南岸低気圧により、関東など太平洋側で、大雪になることがあります。昨年2020年は、3月14日、前線を伴った低気圧が本州の南を進みました。その日、東京都心では観測史上最も早く桜が開花しましたが、春の訪れを実感するどころか、雨が雪に変わりました。





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大河内山荘

今日は朝イチで病院に行ったついでに、天気もいいし、バスの一日乗車券を無駄にするのも何なので、今年の紅葉を眺めに嵐山まで行ってきたが、いつも数百メートルで音を上げる膝の調子が良くて幸いだった。とは言っても、嵐山全体で歩いた距離は3キロか4キロ程度かと思う。その間に野宮神社から竹林の道、常寂光寺、落柿舎、大河内山荘、渡月橋と回れるのだから、散歩コスパが実にいいのが京都、特に嵐山の利点だろう。
その中で実に素晴らしかったのが大河内山荘で、あの庭園は世界的に評価されるべきものだろう。入園料は1000円とお高めだが、お茶(抹茶)と和菓子(落雁)の接待付きだし、何より、あの庭園だけでもそれ以上の価値がある。常寂光寺から大河内山荘までのうち200メートルほど軽斜度の坂道を歩くので、足の弱い人間(私)は少しくたびれるから、まずはお茶で一休みというのは有難い。

落雁の抹茶に溺れ 紅葉かな

というのが、そこで詠んだ狂句である。もちろん、落雁を「空から落ちた雁」と見立てて、それが腹の中で抹茶に溺れる、というおふざけだ。
庭園は、実に工夫されたもので、最初は両側を密な低木で囲まれた狭い歩道を歩いていく。紅葉は頭上に見えるだけだが、その、視覚的に限定された空間だからこそ、背景を空にした紅葉をじっくり眺めることになる。そして、道の角ごとに視界が開け、遠くの山(嵐山連山)や京都の遠景がわずかに見える。そのアクセントがいい。大河内伝次郎は俳優として、あるいは映画関係者として、映画から学んだ「見せる技術」をこの山荘に活かしたのだと思う。
そして、しばらく行くと、紅葉の林の中の建物(平屋の和室)が見えるが、このあたりの紅葉は実に見ごたえがあり、思わず、何枚か写真を撮ったものである。まあ、誰にも見せるものでもないが、記念だ。

京都に住む利点は、観光をするのに好きな日時が選べることで、せっかく観光に来たのに雨降りだったなどということが無い。晴れた日に、気が向いたら遠出すればいいのである。まあ、そう言いながら、私はロクに観光もせず、近所の裏山を散歩するだけで十分満足なのだが、春の桜や秋の紅葉を眺める楽しみは、我が故郷、南国沖縄では得られないものである。まあ、こうした満足がいつまで得られるか分からないが、とにかく今日は満足な一日だった。

なお、大河内山荘から渡月橋までの途中に、周恩来の記念石碑があり、そこに書かれた詩(「雨中嵐山」)が面白そうだったが、私の無学と碑の風化のためなどで読めない字が多かったのが残念である。
その一節。漢字は適当に充(あ)てた。

瀟湘雨霧濛濃
一線陽光穿雲示
(以下4文字、読めず)

一線の陽光が雲を穿って示したのがどういう光景か、気になる。


(以下ウィキペディアから一部抜粋)

人物[編集]

その立ち回りから「八方破れ」、「型破りの快剣士」、大きな目玉から「目玉のデンジロー」とも呼ばれた[1]。『忠治旅日記』出演のころから、一脈のニヒリズムを底流とした大河内の眼光は、ファンの胸を揺さぶった。


「丹下左膳」のような殺し屋役以外に、大河内は喜劇物にも好んで出演した。内田吐夢監督の『仇討選手』はインテリファンを喜ばせ、その後も『小市丹兵衛』、『怪盗白頭巾』(泥棒ヒゲの滑稽メイクで登場)、『でかんしょ侍』などといった作品に出演している。喜劇物では高勢実乗鳥羽陽之助市川百々之助などと共演した。


俳優になるまでは文学者志望だった大河内には、哲学的な性格があった。晩年は仏教に帰依し、名利にこだわることなく淡々と生き、人徳が出て人間として超脱した姿を見せた[26]


極度の近視で、普段は牛乳瓶の底のような度の強い眼鏡をかけていた。しかしこれがかえって大河内の眼に異様な光を与えることとなる。近視のため相手に肉薄して刀を振るうので、迫力ある乱闘が生まれた。裸眼では足下もよく見えず、『新版大岡政談』の撮影時には乱闘中勢いあまって顔面を泥の中につっこんでしまうほどだった。

 

剣戟スタア・大河内傳次郎[編集]

澤田正二郎譲りのリアリズム、火花を散らすような大河内の立ち回りの秘密は、強度の近眼にあった。立ち回りでは刃引きをした「ホンミ(真剣)」を使った。絡みの役者は殺陣師の指示に従い、斬られる部分に綿を入れてかかっていくが、大河内は相手の身体に刀が当たらなければ承知しなかった。


刃引きはしていても真剣が当たれば相手は生傷、タンコブだらけとなり、大河内との絡みには「膏薬代」が出た。伊藤大輔は大河内の立ち回りについて次のように語っている。

バンツマ(阪東妻三郎)は間合一寸で抜く、(市川)右太衛門は舞踊ですから呼吸を合わせれば怪我はない、(嵐)寛寿郎は正確無比に剣が飛んでくる、これも殺陣の段取りが狂いさえしなければ安心です。それぞれに、避けようがある。傳次郎これはぶっつけ本番で、避けも逃げも出来ません。迫力が出なければ嘘になりましょう— 伊藤大輔、大殺陣 チャンバラ映画特集

大河内は『鞍馬天狗』の近藤勇役で嵐寛寿郎と絡む時は必ず抜き身の真剣を使った。嵐は「一番怖かったのは大河内傳次郎」、「あの人、近眼でっしゃろ。怖かったですよ」と語っている[28]

大河内山荘[編集]

大河内山荘 大乗閣

大河内は敬虔な仏教信者としても有名で、1931年(昭和6年)に京都嵯峨の小倉山[注釈 7]の向かいの亀山の山頂に広壮な山荘を置いた。大河内は広大な和式庭園を自ら設計し、家続きの寺院「持仏堂」を建て、そこで教典をひもとき、朝夕「南無阿弥陀仏」を唱えてすごした。東映時代劇など晩年の多数の脇役出演によって稼いだ多額のギャラは、その大半が山荘造営に注ぎ込まれたという。現在この山荘は大河内山荘として一般公開されている。彼の死後も、妻をはじめとする遺族が山荘を維持しており、傳次郎生誕100周年の1998年(平成10年)に刊行された山荘の写真集は、未亡人に捧げられている。

日活時代の大河内の自宅は撮影所のすぐ傍らの竹藪にあり、撮影所内の人たちは大河内を「藪の神様」と呼んでいた。「大河内に楯をついたらえらいことになる」とのことから「カミサマ」と呼んだものらしい。大河内は撮影中に気に入らないことがあると、プイと仕事をやめてこの亀山の山荘に閉じ籠ってしまった。稲垣浩がのちに本人にその理由を聞くと、「聖徳太子は自分の政事や行いに誤りがないかと夢殿に籠って反省したと聞いています。私が山荘に行くのも、あそこで座禅を組んで反省しているのです」と答えた。


山荘は戦後、本格的な建築に改められたが、いちばん苦心したのは井戸だったという。高い山頂での掘削であるため、地下水脈に至るまで相当深く掘らなければならず、出来上がった井戸は石を投げ込んで七、八ツを数えなければ音がしないほどの深さだったという。鎌倉様式と室町様式が混然としている大河内山荘は、出来上がったころはあまり評判は良くなかった。


ある日、大河内が常盤のあたりを散策していると、道端に転がっている石地蔵を見つけた。立ち去りかねて野仏を拾い上げた大河内は表情が気に入り、これを抱き上げ、山荘に持ち帰った。ところがこれを近在の子供が目撃して、常盤村の人たちが大河内に地蔵を返さねば訴えるとねじ込んできた。これに大河内は平然と、「あの地蔵は盗んだのでない、常盤を散歩していたらあの地蔵様が“大河内、大河内”と呼びとめなさった。道端に転んでいるお姿がとても傷わしく思われたので山荘にご案内して、大切におまつりしただけのこと。あなた方がそれほど大切な地蔵様であるなら、なぜおまつりをなさらぬか。なぜ道端に横倒しになっているのを起こして差し上げぬのか。草むらに横たわった地蔵様を見つけたというのは霊の導き、縁あってのことでありましょう。訴えなくとも戻せと言うなら戻しますが、その代り地蔵寺をたてて立派におまつりしてください」と答えて見せた。こうした話し合いが何度かあり、結局常盤村が地蔵を大河内山荘に寄贈することで裁判沙汰にもならず決着したという[29][信頼性要検証]







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言葉の「誤用」への疑問

私は言葉にわりとうるさいわりに、世間の一部の人間が「誤用だ」と言っている事例にも素直にはうなずけない。つまり、自分の感覚に合っていれば正用、合わなければ誤用、という感じかもしれないwww
「確信犯」の使い方の大半は誤用だ、という意見もあまり納得していない。「確信」の内容がどうであれ、何かを確信して犯罪を実行するなら、すべて確信犯であり、悪いことだと確信しながらやろうが正しいことだと確信しながらやろうが確信犯である、とするのが言語的には当たり前ではないか。つまり、かりに「確信犯」が法律用語なら、法律用語は単なるジャーゴン(専門用語、または隠語)でしかないのに、それをなまかじりした人間が「確信犯は誤用されている」と主張していると見るべきではないか。
「姑息」「穿った見方」「憮然とした表情」の誤用された例は私は見たことがないというか、私自身が誤用しているのかもしれない。「役不足」の誤用は知っているが、その誤用に対する正しい言い方とされている「役者不足」は、まるで新コロで役者がみんな休養して役者の数が足りなくなったみたいであるwww つまり、「誤用」にも理由がある(「正用」の言葉自体に問題がある)わけだ。ならば、それは果たして誤用として完全に否定するべきなのだろうか。

(以下引用)

誤用で使われている「確信犯」に代わる本来の言い方って何?

Category: 未分類  
1: 名無しさん 2020/10/19(月) 13:47:39.59 ID:oL2kzOjc0
悪いと知りながら行為に及ぶことを確信犯以外では何と言えばいいの?


引用元: https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1603082859/



2: 名無しさん 2020/10/19(月) 13:48:17.90 ID:1kldrf5A0
確信犯はどういう意味なん?

4: 名無しさん 2020/10/19(月) 13:49:02.99 ID:oL2kzOjc0
>>2
正しいと信じて行為に及ぶことみたいなものだったはず
誤用の確信犯とは反対や

3: 名無しさん 2020/10/19(月) 13:48:21.41 ID:iS1+ImL90
故意犯らしいが通じないわね

6: 名無しさん 2020/10/19(月) 13:49:58.15 ID:oL2kzOjc0
>>3
語呂悪いから普及しそうにないやね…

5: 名無しさん 2020/10/19(月) 13:49:29.97 ID:6Uhhu0+6p
結構こういうのあるよな
「○○は誤用やで!」ってドヤ顔で指摘する割に、じゃあ何て言えばいいのかは知らないパターン
穿った見方とかもそう

7: 名無しさん 2020/10/19(月) 13:51:02.82 ID:0oxtvHPx0
わかっててやってる

10: 名無しさん 2020/10/19(月) 13:52:20.13 ID:lfqYZfQ10
確信犯役不足姑息はもう市民権得たな

11: 名無しさん 2020/10/19(月) 13:52:53.09 ID:7N1fzSH80
分かっててやってる

12: 名無しさん 2020/10/19(月) 13:53:16.18 ID:TcczZXhC0
言葉なんて時代に合わせて変わってけばええがな

13: 名無しさん 2020/10/19(月) 13:53:20.71 ID:6PHjF9Dh0
嫁も市民権得てるな

14: 名無しさん 2020/10/19(月) 13:54:17.58 ID:oL2kzOjc0
確信犯って言ってる人に指摘することもないけど自分が言うときは故意犯を使っていきたいね

15: 名無しさん 2020/10/19(月) 13:54:46.45 ID:6Uhhu0+6p
慣用的に使われる「穿った見方」って、なんて言い換えればええんや?

慣用的に使われる「憮然とした表情」って、なんて言い換えればええんや?

17: 名無しさん 2020/10/19(月) 13:54:53.39 ID:8W+SBzFU0
他力本願の誤用は浄土真宗がキレてたな

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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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