「両親がタバコを吸う人は手を挙げて」と担任の先生が言い、憤りを感じた

気の赴くままにつれづれと。
前提として、これはわたしの記憶だ。小学生のわたしが、他人の話をどれだけ正確に聞き取れていたか、そして今に至るまでのわたしが、思い出にどれだけバイアスをかけずに回想できるかは分からない。
それでも、どうしても、無かったことにはできずにいる幼い殺意がある。
6年2組のクラス担任は、体育教師だった。強くしなやかな体をした、若い男性教諭だ。わたしは、彼の大きな声とシアトリカルな振る舞いが苦手ではあったけれど、最初のうちは教員全員へ向ける敬意から彼を例外とすることはなかった。個人の性格として相性が今ひとつであることは関係ない。教卓に立つ大人というだけで、彼はわたしにとって尊敬に値していた。
保健体育の授業だった。「お父さんがタバコを吸う人は右手、お母さんがタバコを吸う人は左手を挙げましょう。いま手を挙げた人は恥ずかしいと思ってください。君たちのことが本当に好きなら、お父さんもお母さんもタバコを吸わないはずです」と担任の先生は言った。
「死ね」と思った。わたしの両親は、喫煙者だった。わたしは、彼らの愛を疑ったことがない。たかだか2年足らずをクラスで過ごしているだけの男に、その6倍の年月を一緒に暮らしてきた家族の何が分かるんだ。恥かどうかは、わたしが決めることだ。
わたしの感情を外側から弄れると思うな。2人の愛を外側から測れると思うな。わたしが恥じるのは、わたしがあなたの教え子であることの方だ。好きなひとを傷つけないのが唯一の愛情表現なら、今わたしをこんな思いにさせているあなたは、わたしのことが大嫌いなのか? そもそも、仮に愛されていないとして、それを子が恥じる必要がどこにある? 憤りと悲しみと呆れと諦めとが一度に湧き上がると、言葉としては殺意になるのだと知った。
黙って俯くことだってできた。しかし、わたしは両手を挙げた。あなたが“先生”で、わたしたちが“生徒”である空間で、あなたの放つ言葉がどれだけ暴力になり得るか気付けと願った。自分のしたことを理解して、傷付けと呪った。なるべく酷く、深く悲しめと祈った。許せなかったし、許そうとも思わなかった。
彼がわたしの心を決められなかったように、わたしにも彼の感情を動かすことはできなかったようだったけれど。
ときどき、政治や宗教について、教員の思想が強く出る授業が話題になる。とても悩ましい問題であるし、悲しく恐ろしいことだと思う。教師だってひとりの人間である以上、完璧にフラットな立場をとることはなかなかできないだろう。難しいと唸りつつ、名前になるだけ“先生”を付けずに呼ぼうと、卒業まで頑張った相手をを思い出す。
いわゆる大人の事情というものが察せられるようになって、一部の文句は飲めるようになった。いつかそういう納得に加えたいと思いつつ、12歳の殺意を未だ消化出来ずにいる。
喫煙が自他を害することは知っている。喫煙の害を伝える授業で、他人の愛を否定しなければならなかった理由は知らない。
小学6年生のわたしがそうであったように、20代のわたしも両親の愛を疑わずにいる。「死ね」とまで短絡的な嫌悪を抱くことは無くなったが、記憶の中で先生を睨む女の子にかける言葉は今も見つからない。
昨年6月にベネッセホールディングス(HD)会長兼社長に就任した原田泳幸氏が打ち出した構造改革は、ダイレクトメール(DM)に頼らない新しいマーケティング戦略と新規事業の展開だ。700人の配置転換で新規事業に大量の人材を投入する一方、300人の希望退職で社員数を適正化し、販売管理費の削減、高コスト構造の刷新を図り、業績をV字回復させるというシナリオだ。ベネッセグループの正社員は約2万人。退職日は3月末で、特別退職金を支給する。そのため、リストラ関連費用50億円を構造改革費の名目で特別損失として計上している。
さらにベネッセHDは、 1月中をメドに11人の執行役員のうち6人を外部から招く。最高法務責任者(CLO)にパナソニックで情報セキュリティ本部長を務めた金子啓子氏が昨年10月1日に就いたほか、今年1月1日付でマッキンゼー・アンド・カンパニー出身の上田浩太郎氏が最高戦略責任者(CSO)に就任した。最高財務責任者(CFO)は外国人2人を起用する。データベースの保守・運営のために立ち上げる子会社のトップも外部から招聘する。
ベネッセグループ社員が進研ゼミ会員の相談に乗る施設「エリアベネッセ」も開設する。4月までに全国500カ所に設置する予定だ。これまで主力にしてきたDMによる新規会員獲得からエリアベネッセでの営業活動にシフトするという触れ込みだ。グループ各社から700人をエリアベネッセと介護子会社ベネッセスタイルケアに3月末までに移籍させる。今後、グループ各社の人事・経理など間接部門の機能を統合し、900人いる間接部門の人員を450人に半減する。併せて本社やグループ40社の間接部門から300人の希望退職者を募集する。ベネッセHDが希望退職者を募るのは、1955年の創業以来初めてのことだ。
幹部を総入れ替えして、人員を減らし、社員の再配置を行う。ベネッセグループを根底から変えようとする荒療治だ。
昨年12月2日の発表資料には「既にこれまでで最大規模の公募を実施済みで150人が異動、12月付で250人が決定しており、1月までに合計700人の異動を完了する予定」と書いてある。「40歳以上の社員には再就職斡旋のパンフレットが配られている」(ベネッセグループ社員)という。発表文には「転進支援については、希望者に対して期間無制限で行います。これにより社員が自分のキャリアの選択の道をグループ内外に持つことができるように支援します。選択は全て社員の意思に委ね、会社はそのサポートに徹します。退職勧奨はしません」とうたっている。ちなみに昨年7月に発覚した顧客情報流出事件を受け、社内の指名・報酬委員会で役員報酬の引き下げが検討されたが、「原田氏がこれにストップをかけた。2億円以上とされる自らの報酬を下げて、本社社員、グループ会社の社員と痛みを共有する気など原田氏にはない」(ベネッセグループ関係者)という。
●敵を徹底的に攻撃
原田氏が日本マクドナルドHDのCEO(最高経営責任者)に就いたのは2004年5月。米アップルコンピュータ日本法人社長と米本社副社長を兼務していた原田氏は、米マクドナルド本社にヘッドハンティングされた。当時、日本マクドナルドHDは債務超過50億円という、どん底状態にあった。同社の体質を根底からつくり替えるのに、うってつけの人物ということで原田氏は送り込まれた。
「今から新しいバスが出発する。新しいバスのチケットを買いたい人は買え。買いたくない人は乗らなくてかまわない」
原田氏が同社本社の全社員を集めて発した第一声だ。原田氏の経営手法は、味方と敵を明確にして、敵に攻撃を仕掛けるところに特徴があるとされる。原田氏が最大の敵と定めたのは日本法人の創業者で初代社長の藤田田氏だ。原田氏は藤田氏がつくり上げた経営システムと人脈を、ことごとく破壊した。多くの社員の役職を解き、新たな仕事を与えるなどの荒療治に、身内から反発が噴出。「米国の手先、原田の横暴を許すな」と書かれた怪文書まで流れる事態となった。
しかし原田氏はそうした反発をものともせず、フランチャイズ店(FC店)拡大を経営刷新の柱に据えた。直営店をFC店に切り替えることで、3割にも満たなかったFC店比率が7割を超えた。既存の直営店をFC店に転換させるスキームは利益を膨らませる妙案だった。店長がFC店に移籍することで人件費が減る。FC化に伴う店舗売却により利益を計上した。直営店のFC化には、もうひとつの狙いがあった。
原田氏は10年2月、大胆な店舗改革を打ち出した。向こう1年間で全店舗の1割に当たる433店舗を一気に閉鎖。その後、5年以内に633店を集客が見込める立地の良い場所に移転する、というものだった。店舗の大量閉鎖の狙いは創業者の藤田田の子飼いのFC店を一掃することにあった。藤田氏は社員が将来生活していけるように、のれん分けのような制度を取り入れた。その制度を利用して店長たちは独立して、FC店を開いた。社員の独立をマックの増収につなげる、一石二鳥の善政であった。彼らは、一国一城の主に引き上げてくれた藤田氏の信奉者になった。原田氏が脱藤田路線を打ち出した時に最大の抵抗勢力となったのが、こうしたFC店のオーナーたちだった。
●一時的に利益、現場は荒廃
07年11月、FCオーナーの店舗で、サラダの賞味期限偽装事件が起きた。性急なFC化の歪みが出たと原田氏は批判された。事件は原田氏にとって大打撃になるはずだったが、事件を逆手に取った。
「オーナーの中には、ブランドを傷つけることを外に向かって行う人がいる。これまで目をつぶってきたが、時機が到来した。そういう方には撤退してもらいます」
こう宣言し、藤田氏子飼いのFC店を一気に淘汰したのである。経営陣もバスから降ろされた。原田氏の社長就任時代に役員は3回転し、藤田時代の役員はすべて去り、原田氏が外部からスカウトしてきたメンバーも今はまったく残っていない。
原田氏が日本マクドナルドHDで行った構造改革に対しては、「彼は破壊屋であって再生屋ではない。一時的に利益をもたらしたが、現場は荒廃した。マックの今日の窮状はこうして起こった。見せかけの利益を出すために、店舗のリニューアルはしていない。メニューだけでなく店舗が劣化してしまった」(同社関係者)との批判も多い。そのため、原田氏が去った後のベネッセHDも同様に荒れ地になってしまうとの見方もある。
(文=編集部)
(引用2)容量超過のためだいぶ省略した。
はらだ えいこう 原田 泳幸 | |
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生誕 | 1948年12月3日(66歳)![]() |
出身校 | 東海大学工学部通信工学科 ハーバード・ビジネス・スクール Advanced Management Program |
職業 | ベネッセホールディングス代表取締役会長兼社長 ベネッセコーポレーション代表取締役社長 日本マクドナルドホールディングス取締役会長 日本マクドナルド株式会社取締役会長 |
配偶者 | 谷村有美 |
原田 泳幸(はらだ えいこう、1948年12月3日[1] - )は、株式会社ベネッセホールディングス代表取締役会長兼社長。株式会社ベネッセコーポレーション代表取締役社長。日本マクドナルドホールディングス株式会社取締役会長兼日本マクドナルド株式会社株式会社取締役会長。ソニー株式会社社外取締役。
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