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「自由」

「徽宗皇帝のブログ」で「革命」について書いたあと、革命とは基本的に「現秩序による異常な束縛からの自由を求める行為」ではないか、と考え、それと「新自由主義」との違いを少し考えたのだが、その際に、ジャック・プレヴェールの「自由」という詩を思い出し、ネットで探したのだが、まったく見当たらない。
プレヴェールは「枯葉」などの作詞や映画「天井桟敷の人々」の脚本で有名だが、今ではあまり知る人はいないだろうし、彼の詩の中でも「自由」という詩は知られていないと思う。
私がこの詩を知ったのは大昔に読んだ大島弓子の漫画(たぶん、「リベルテ144時間」、つまり「144時間(6日間)の自由」というタイトルだったと思う。)の最後にこの詩が引用されていて、それが非常に印象深かったのだが、もちろん、今ではそのフレーズはほとんど覚えていない。要するに、詩に対して冒涜的な圧縮をするなら、「(僕が子供から青年時代まで出会った)あらゆる場所に、物の上に僕は君の名を書こう、『自由』と」、という詩である。おそらく、フランス語では「自由(リベルテ)」は女性名詞だと思うのだが、「自由」に捧げる愛の告白、といった印象の詩で、ある種の人間にとって自由が人生そのものと切り離せないものだと分かる。
その自由の中には、「ある種の考え方を拒否する自由」もあれば、「自分で自分の人生を終わらせる自由」もあり、またたとえばホーキング博士のように自分の力ではほとんど動けない人間、つまり身体的には不自由の極致にある人でも、その頭脳の中は常人のレベルを超えた活動をする人もいる。自由とは身体的なものだけではない。
何かをやる自由もあれば、やらない自由もある。いずれにしても、自由の無い人生とは、それは「生きている」と言えるのか、疑問である。生きることと自由は不可分だろう。私が新コロへの自粛を嫌悪するのも、その「自由への束縛」が生理的嫌悪感を抱かせるからかもしれない。

まあ、プレヴェールの詩のひとつをネットから探したので、それについての随想ともどもここに載せて、彼の詩がどんな感じか見本としておく。

(以下引用)

ジャック・プレヴェールの詩「Le jardin」

2019/10/08 20:34

Des milliers et des milliers d’années
Ne sauraient suffire
Pour dire
La petite seconde d’éternité
Où tu m’as embrassé
Où je t’ai embrassée
Un matin dans la lumière de l’hiver
Au parc Montsouris à Paris
À Paris
Sur la terre
La terre qui est un astre.

・・以下日本語訳・・


何千年かかっても
とうてい言えっこない
あのほんの一瞬を
きみがぼくにキスをして
ぼくがきみにキスをした
ある朝のこと 冬の光のなか
パリのモンスリー公園で
パリで
地球で
地球という惑星で


・・・・・


フランス語を学習していた時に、フランス語の先生が朗読してくれたジャック・プレヴェールの詩。題名の「Le jardin」は”庭”という意味。読み方は、ル ジャルダン。
私はこの詩の朗読を聞いて、綺麗な詩だな、と思った。フランス語の発音の美しさはもちろん、フランス人の愛に生きる生き方がこの詩にギュッと詰まっているような気がして。
冬の光がさすある朝のこと、小さなモンスリー公園で、パリで、地球で、惑星で、広がっていく宇宙のなか、まるで時が止まったかのような。でも、言えない。キスをした、あのほんの一瞬を語ることなんて、どんなに時間がかかっても言えっこない。何回読んでも、素敵だなぁ。
こういう詩で思うことは、日本語にしてしまうと、どうもくさすぎるセリフになりがち、ということ。私は村上春樹の本はムズムズして読めないのだけれど、きっと英語とかフランス語訳で読んだら自然な表現に感じるんだろうなと思う。言語と表現の相性というか。日本語の感覚、英語の感覚、というのかな。その言語の感覚ってあるよね。言語って、言葉って、文化だもんね。







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It の考察

別ブログに試しに書いた文章だが、書くのに時間も頭もわりと使ったので、ここにも載せておく。

(以下自己引用)

日本人はIt(それ)を知らない



誰も読まないようなこんなブログにこういう話を書くのも意味が無さそうだが、まあ、もともと誰かに読ませるより、自分の頭の整理と考察と保存のためのブログであり、それを誰かが読んで参考にでもしてくれれば大いに満足である。
などと前置きしたのは、これから書く記事の中身が「英語に関する思い付き」で、私自身英語は苦手であり、今さら勉強する気も無いのだが、ふとした思い付きを大事にするというのが私のポリシーなので、浮遊思考を失わせないためにこうして書いているわけだ。

その「英語考察」の内容は、「itの使い方」であり、広く言えば「英語の指示語の使い方はわりと幅が広い」ということだ。たとえば「this」は身近な事柄や物を指すが、それは「空間的に近い」場合にも「時間的に近い」場合にも用いる、といったようなことである。
とりあえず、「it」について言えば、その基本的用法は「漠然と何かを指す」という、用法自体が漠然としたもので、ボケ た老人が「あれだよ、あれ」というような感じに似ているか。で、ポイントになるのは、会話をしている双方で「今話題の中心になっている物や事柄」が「it」であることだ。
たとえば、「That's it!」というのは、その問題となっている漠然とした対象が明確になった時の思わず手を打ち合わせる感じだと言えそうだ。この「that」の使い方も面白いが、この一文を心理的に言えば、「遠いところにあると思っていた何か(あれ)が、現在の話題の中心となっている物や物事そのもの(それ)であった」という「解決感」だろうか。「あれがそれなんだよ!」と直訳しても感じは分かりそうだ。

"I don't get it."(分かりません)は、「私は、あなたが言っているそれ(it)を把握できません」ということだろう。つまり、双方の話題の中心がitである。
" Let's give it a try."(ちょっとやってみましょう)は、「問題のそれ(it)に、我々(私)がそれを試す機会を与えましょう」ということで、Itの示す概念が日本人の使う「それ」より生々しく現実的な印象が強い。ほとんど擬人化的だと思う。
" Hold it!"(待て!)は、「それ(it)を保持せよ」という命令文で、当然、保持状態を維持することを含意するから「待て」という訳になる。この場合、日本人は絶対にitを使った英文にすることは想像もしないと思う。なぜなら、itが両者の間の問題事項であるという概念が無いからだ。もちろん、「wait!」でも同じことだが、英語文化圏の人間にとってはitが「親しい存在の言葉」(使い勝手のいい言葉)だということだろう。
" Leave it to me!"(私に任せて)は日本人にも分かりやすい。「それ(it)を私に(私の仕事として)残して」ということだが、日本人だと「私にそれを任せて」ではなく、「私に任せて」と言うだろうというのが文化の違いである。物事の関係を明確にする、つまり、主語と目的語を明確にするのが英語文化だと思う。それは日本の「責任の所在がどこにあるのか分からない(意図的に曖昧にする)」という文化とも話が関連すると思う。
" We've made it."(着きました)は、分かりにくいが、itが現在の問題事項だと理解していれば、自動車に乗っているふたりの間の問題事項は「目的地に到着すること」であり、「我々はそれ(it)を為した」は「目的地に到着した」となるわけである。
" You've got it."(了解しました)も上記と同じことである。現在の問題事項が「私が相手の指示内容を把握したかどうか」であるなら、「あなたはそれ(it)を得た」は、「私があなたの指示を了解するという結果をあなたは得た」は「了解しました」となる。たぶん、「I've got it」でも同じだと思うが、これだと「私の頭が鈍くて、了解するのに手間取った」というニュアンスになるのではないか。そうではなくて、「お前の説明が下手だから私は了解するのに手間取った」が"You've got it"のニュアンスだろうというのは考えすぎか。
" You have it all wrong."(君は全部勘違いしている)のhaveは知的把握(理解)も「所持」の一種だということだろう。で、ここでもit が話者双方の問題事項だというのが分かる。だが、私が上に書いたこと全体が「君は全部勘違いしている」と英語話者から言われるかもしれないwww

なお、例文はすべて「英語コミックス鉄腕アトム」(実業之日本社)から採った。

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松本人志と三浦瑠璃という、最悪ヴィジュアル二名のCMww

アマゾンプライムのCMに松本人志と三浦瑠璃の極右ふたりが起用されて、解約が相次いでいるようだ。
下のコメントによると、アマゾンジャパンの社長は香港人のようだから、電通に騙されたのだろうと思うが、どうなのか。
なお、記事タイトルはヴィジュアルのことを言っているが、下種は顔を見れば分かるので、これは性格や思想も含めての彼らへの嫌悪感のことである。

(以下引用)

アマゾンジャパンの社長は香港出身。極右二人起用をするとはよっぽど日本政府の圧力が凄かったんでしょうね。


(夢人追記)批判の声がアマゾンジャパンを動かしたようである。賢明な判断だ。

Amazonプライムビデオは、インターネットショッピングサービス「Amazon」が運営している動画配信サービスだ。激安価格で映画やドラマが見放題なだけでなく、オリジナル番組も多いことから、世界中で支持されているサービスである。そんなAmazonプライムビデオが大炎上している。

・三浦瑠麗さんの思想に反対する人たち
AmazonプライムビデオがテレビCMの出演者として三浦瑠麗さん(39歳)を起用したところ、一部の人たちから猛烈な批判の声があがり、インターネット上で大炎上状態となった。怒っている人たちの大半は三浦瑠麗さんの思想に反対する人たちのようで、彼女がCMに出るたび、不快な気持ちになるようである。

・三浦瑠麗さんが出演しているCM動画が削除
三浦瑠麗さんがAmazonプライムビデオのCMに登場するたびに不快に感じている人たちが、TwitterなどのSNSで三浦瑠麗さんをCMから消すように強い要望を書き込み。その影響なのか、Amazonプライムビデオの公式YouTubeから三浦瑠麗さんが出演しているCM動画が削除される事態に展開した。

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マスク神話の小学校算数的考察

「in deep」記事の一節だが、まさに「形而上的」というか、宗教的思考とでもいうべきか。「論証拒否」のままに現実が動かされている状態である。
果たして、「50メートルの穴が無数にあいた壁で、体長1メートルの無数の生物を閉じ込めることが可能だろうか」。(ウィルスは、生物と無生物の中間的存在とされているようだが、これは単なる比喩である。)
昔、スコラ哲学で、「針の先に天使が何人とまれるか」という問題を論じたことがあったらしい。この「マスク問題」はそれを思わせる。

(以下引用)



なお、ウイルスの直径はおおむね 0.1マイクロメートルなのに対して、一般的なマスクの穴は 5マイクロメートル程度です。


つまりマスクをするという行為は、「 50メートルの穴を 1メートルのものが通過することを阻止できるか」という話であり、極めて形而上的な話です。


こんなアバンギャルドな世界が実現しているのが今の現実です。

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「春秋の筆法」の巧みな読者心理操作

「春秋の筆法」について調べていて、少し面白い文章に出逢ったので、転載する。東大のある研究室のホームページに載った文章のようだ。
そもそも「春秋の筆法」とは、(goo辞書だと)

の解説

《「春秋」の文章には、孔子の正邪の判断が加えられているところから》事実を述べるのに、価値判断を入れて書く書き方。特に、間接的原因を結果に直接結びつけて厳しく批判する仕方。




このように説明されている(別の解説だと、「事実のみを公正な立場で記述する書き方」という、正反対のものもある。つまり、「一見事実のみ書いているように見えながら、その書き方に実は筆者の価値判断が入っている」、巧妙なプロパガンダ文章だろうか。下に引用した文章は、そこを鋭く見抜いていると思う。)ので、現在のマスコミとこの筆法を結びつけたのはなかなか意想外だが、言われてみれば、「読者を洗脳する意図をもって書かれた文章や報道された情報」はすべて「春秋の筆法」と言えるかもしれない。
つまり、「舞文曲筆」であるが、その創始者と見做されているのが孔子なので、誰も「春秋の筆法」とは「舞文曲筆」だ、とこれまで指摘しなかったわけで、むしろ「面白い、知的な表現法のひとつ」とされてきたのではないだろうか。昔の人が「春秋の筆法で言えば」云々と言う場合は、「間接的原因を結果に直接に結びつけて」言うレトリック、つまり、「彼が死んだのは、彼が生まれたこと自体が原因だ」のような表現かと思う。

(以下引用)

「春秋の筆法」によるジャーナリズム?


作者: Wang Le | 2019年5月11日Posted in: フィールドレビュー



今回のフィールドレビューは、博士課程の王が担当いたします。ずっと疑問を抱えているジャーナリズムの社会的役割についてお話します。


『春秋左氏伝』から生まれる「春秋の筆法」という文章の書き方が存在しています。「春秋の筆法」とは、ある立場か価値観に沿って、それに相応しい史料を取捨し、史料に構成されるストーリーと史料を描く言葉遣いによって、決まった結論へ読者の判断を誘導しようとする書き方だと言われています。


たとえば、「鄭伯 段に鄢に克つ」では、弟の段と母親の武姜が起こした叛乱を謀略で対策し、鄭国の安定を遂げた鄭荘公が批判されています。批判的な態度を表現するため、荘公が君主であるのに「伯」と、段が弟であるのに直接に下の名前の「段」として呼称されています。魯国の史官としての孔子と左丘明の立場、儒教が最も強調する価値観「五常」(仁、義、礼、智、信という道徳を守ること)と「五倫」(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友関係を維持すること)に従い、史書である『春秋左氏伝』は国の利益を守るため理性的な戦略を練り上げる鄭荘公の行為を陰険かつ悪徳的なものとして批判しています。


このような「春秋の筆法」的な文章の書き方の根底にあるのは、執筆者をめぐる利害関係でしょう。特に広範囲に公開される文章の執筆者は常に「何をどんな言葉で書くべきか」と考える時点で、すでに身の周りの状況と情報に左右されてしまいます。この特徴を持つ「春秋の筆法」は現在のジャーナリズムにもまだその精神が存命しているようです。


最近の大津園児死亡事故の記者会見は明らかに「春秋の筆法」の方向に猛進しているように見えます。記者陣は警察に拘束されている加害者に取材不能の状況で、一刻も早く保育園側でどうしても新しい手がかりを発見しようとしました。「普段から危ないという認識はしているのか」という質問が出されたほどついに園側の正確性に質疑するようになってきました。今回の事件には確実な証拠があり、保育園も被害者である事実がはっきり認識されているため、マスコミが間違えたと一般大衆も自発的に批判できました。しかし、このようなマスコミの姿勢が一貫している現在、自分の正当性を充分に証明できる証拠がない被害者の場合は、このような質問に構成される報道によって、どのような窮地に立たされるのでしょうか。


ジャーナリズムは最初から社会正義などを実現できる役割を果たせるものではありません。ジャーナリズムは道義を犠牲にすることで、個人か組織の利益を守る道具としても使えます。大学側の人間として、記者を目指している学生へどのようにジャーナリズムの本質を伝達したらいいかについて、なおさら考えなければならない問題ではないでしょうか。


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死ぬ前にしたい四つのこと

別ブログに書いたものだが、読み返すと、さほど悪くない内容なので、ここにも載せておく。まあ、私は二十歳前に自殺していてもおかしくない人間だったので、その後の人生は余禄である。この年になれば、いつ死んでもかまわないが、もう少し生きられるなら、という仮定の話だ。
他の三つはともかく、四番目は、これは誰でも、そして「天啓」が降りてきたら死ぬ間際にでも実現できることであり、それができたら一気に釈迦やキリストを超える史上最大の偉人であるwww
ウェッブ夫妻の「漸進的社会主義」と同様の思想は、「徽宗皇帝のブログ」にも、このブログにもずっと書き続けてきている。要するに、「社会主義の精神(理想)を持った資本主義」である。


(以下自己引用)


「たとえば人生の残り時間が五年なら何をしたいか」という問題だが、今日も酒は相変わらず飲んでいるがまだ酔いはさほどでもないので、酒のつまみに考えてみる。
一番にしたいことは、もっと自然と親しむことである。私は出不精なので散歩にも滅多に出ないが、出ると自然の風情に感動することが多い。そういう時に、雑草の花や木々の花を見て、その雑草や木々の名前を知っていれば良かったなあ、と思う。名前を知らないから俳句にも短歌にもならない。
二番目は、過去の記憶を探ることである。私は物覚えが非常に悪く、自分の経験したことをほとんど覚えていない。それで生きてきたと言えるのか、非常にこころもとない。まあ、私が悪いのではなく、記憶力のせいである、と迷亭みたいなことを言ってみる。
三番目は、何かいい小説なり脚本なりを一本書いてみたい、ということで、そのための準備などはこのブログに資料として少し残している。
四番目は、これは私が生きていることの「言い訳」みたいなものだが、もしかしたらある日突然、天からの啓示が降りてきて、「世界から貧乏や戦争を無くし、人類全体が幸福になり、地上の天国を作るアイデア」が心の中に生まれるのではないか、という期待というか、希望がある。
それを生み出せれば、私はただの飲兵衛の無能者から人類史上最大の偉人になるのであるwww
まあ、実はそれはウェッブ夫妻の「漸進的社会主義」思想で既に提示されてはいるのだが、それがなぜか(まあ、資本家がすべてを、特にマスコミと教育界と政治を牛耳っているからだが)全世界に広がっていかないのである。


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日本の子供が皆コナンとラナになれば日本の未来は明るい

総合テレビでの放映というのはいいが、なぜ深夜放送なのだ。これこそ、今の子供に見せたいアニメだろう。朝七時台とか夕方六時台とかに放映すべきアニメである。騎士道精神とか正義を行う勇気というものが払底した現代に、そういう素晴らしい精神を子供に教えることの意義をNHKはまったく考えていないのか。古いアニメオタクを喜ばすことに何の意味がある。
(親が録画して子供に見せればいいというのは浅薄である。それほど意識の高い親なら、NHK再放映以前にレンタルDVDなどで子供に見せている。「偶然に」子供が見るからこそ、その興奮と感激が後々まで残る強い感銘になるのである。)
なお、告知から放映までの期間も短すぎる。せめてひと月前から告知して期待感を盛り上げるべきである。

(以下引用)


NHKアニメ
@nhk_animeworld
「未来少年コナン」放送決定!
#宮崎駿 監督が手がけた不朽の名作が、総合テレビによみがえります!
デジタルリマスター版です。

[総合] 5/4(月)午前0:10~(※5/3深夜)

どうぞお楽しみに!

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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