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「いざ生きめやも」は誤訳なのか

前回、絵の写真をコピーさせていただいた「晴れの日も、雨の日も」から転載。
絵画だけでなく、文学にも造詣が深く、深い鑑識眼があるお方だと思う。
この「風立ちぬ、いざ生きめやも」がヴァレリーの詩の誤訳だという説については、私も聞いたことがあるが、今ひとつ納得がいかないものを感じていた。そのモヤモヤしたものが何であったかが、下の文章で見事に解明されている。
結核という病気がかつて持っていた死病のイメージからは、「風が立った、さあ生きよう」という元気な発言は出てこないだろう、という推定はまったく正しいと思う。あるいは、堀辰雄自身、「いざ生きめやも」は誤訳だと知りながら、あえてこの訳をしたのではないか。いや、訳というよりは、ヴァレリーの詩に基づく創作だ、という意識だったのだろう。一種の本歌取りである。
私自身、考えることが趣味だと書いているが、こういう「謎解き」は普通の推理小説の何倍も私には面白い。もっとも、一番難しいのは謎を解くことよりも謎の存在に気が付くことだと思っている。



(以下引用)




「風立ちぬ、いざ生きめやも」は誤訳とはいうけれど。




Kaze_2


 堀辰雄の小説「風立ちぬ」の冒頭近くで語られる有名な台詞「風立ちぬ、いざ生きめやも」。これは美しい響きの言葉であり、印象深い句なのだが、誤訳であることでもよく知られている。

 「風立ちぬ」の巻頭には、ヴァレリーの詩の一節「Le vent se lève, il faut tenter de vivre」が引かれていることから、「風立ちぬ、いざ生きめやも」はそれの翻訳であることは明らかではある。
 原詩のほうは、一般的によく使われるフランス語の言いまわしで、特に難しいものではない。英語に訳すと、「The wind is rising, you should try to live」くらい。後ろの句の主語は本来はweなんだろうけど、この句は自分に言い聞かすような言葉なので、youのほうがいいとは思う。
 それで和訳すると、「風が起きた、生きることを試みねばならない」の意味となる。要するに、吹いた風を契機に、著者の「生きるぞ!」との決意を現わしているのである。

 ところで、堀辰雄はここの部分を、「いざ、生きめやも」と訳している。「生きめやも」は「生き+む(推量の助動詞)+やも(助詞『や』と詠嘆の『も』で反語を表す)であり、現代語になおすと「生きるのかなあ。いや、生きないよなあ」となる。ダイレクトに訳してしまえば、「死んでもいいよなあ」であり、つまりは生きることへの諦めの表現である。
 「生きめやも」を逆にフランス語に訳せば、Vous ne devez pas tenter de vivre.…ではあんまりだから、やんわりとVous n'avez pas à tenter de vivre.くらいになるだろうけど、いずれにせよ、己の生への強い意志を詠じた原詩とはまったく反対の意味になってしまう。

 それゆえ、堀辰雄の「いざ生きめやも」は誤訳の典型として知られてきており、例えば大野晋、丸谷才一の両碩学による対談で「風立ちぬ」が取りあげられたとき、両者により、堀辰雄は東大国文科卒のわりには古文の教養がないと、けちょんけちょんにけなされている。

 ただ、誤訳といえば、誤訳ではあろうけど、私は小説「風立ちぬ」では、「生きめやも」でもいいと思う。

 結核に冒された人達の生活を描いたサナトリウム文学を代表として、結核患者が著書の作品には独特の世界が広がっている。
 結核は抗生物質のある現代では治療の方法のある感染症の一つであるが、20世紀前半までは、効果的な治療法のない死病であった。今の感覚でいえば、末期癌のようなものであり、これに罹ったものは、自身の命を常に見つめて生きていくことになる。

 それゆえ、結核患者の作品は、短く限られた命を真摯に見つめ、その貴重な時を文章に凝集させていくため、清明でありながら密度が濃い、独自の文学を創造している。
 彼らの残した作品は、堀辰雄をはじめ、梶井基次郎、立原道造、富永太郎、…と日本近代文学の珠玉の宝物となっている。

 そういった人たち、毎日死と向き合っていた人たちの作品として、「風立ちぬ」を読んでみれば、季節の移り変わりに吹いた風に、「生きよう」という意思が立ちあがるとは思えず、季節の流れとともにこのまま静かに命が消えても、という感慨が起きても不思議ではなく、かえって自然な感情とも思える。
 元々「風立ちぬ」は軽井沢の療養所で、死を迎えいく若い男女の、残された日々の静謐な生活を描いたものであり、「il faut tenter de vivre」という能動的な精神はどこにもなかった、と思う。

 ヴァレリーの原詩では、いくつもの魂の眠る墓地に地中海から風が吹き付け、そこで著者は「生きねばならない」という強い意思を抱くわけであるが、軽井沢の森に吹いた秋の訪れを知らせる風は、地中海の風のようにある意味精神を鞭打つような剛毅なものとはほど遠く、もっと人の心に寄り添うような、人に赦しを与えるようなやさしいものであったには違いない。それゆえ堀辰雄は、吹く風にヴァレリーの詩を想起したとき、敢えてあのように訳したのでは。

 「風立ちぬ」という不朽の名作につきものの誤訳問題。
 いろいろと意見はあるようだが、私は堀辰雄を擁護したい。


 風立ちぬ 堀辰雄著






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聖なる森

「死の島」で有名なベックリンの「聖なる森」である。
「死の島」同様に、見るものに恐怖感を与える絵画だ。こうした絵の描ける才能の持ち主はそう多くはない。
写真は「晴れの日も、雨の日も」というブログから拝借した。今日知ったばかりのブログだが、そのブログの管理人氏は芸術に関して深い見識のある人のようなので、過去記事を今後読むのが楽しみである。
なお、「聖なる森」を英訳すると「Holly Wood」つまりハリウッドになる。あの虚飾の都とこの死の森では大違いだが、映画「イナゴの日」のラスト近いシーンでは、ハリウッドが白く塗られた墓であることが幻想的に描かれていた。


(以下引用)




Hollywoods

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寒い話

「長く、暗い冬」というタイトルで徽宗皇帝のブログに記事を書いたが、そこからの連想で、小泉八雲の「鳥取の布団の話」を思い出したので、ネットで拾ったものを転載しておく。訳が少し軽すぎるし、アレンジしてあるので、八雲作品の持つ詩情や不気味さが失われた感があるが、冬の夜、寒さに震えて布団をひきかぶる時には、この話を思い出すのもいいだろう。子供なら、この話がトラウマになって、布団そのものを怖がるようになりかねない話である。

ついでに、同じく寒さからの連想で、山上憶良の「貧窮問答歌」も後で追加しておこうと思う。



(引用1)最初の「ムカ~シ」は、この話の陰惨さにまったく釣り合わないと思うので、訂正させてもらう。その他、少々変更した。







鳥取の、ふとんの話

〔小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談』から〕





 昔、鳥取に小さな宿屋がありました。
この宿屋の主人は開店して初めてのお客に一人の旅の
商人を迎えました。宿屋は新しい店ではあり
ましたが、お金があまりなかったため、家具などはすべ
て古道具屋から買ってしつらえたものばかりでした。  
 お酒などのたくさんのもてなしを受けたお客は横にな
るとすぐに眠ってしまいました。


眠っていると
誰もいないはずの部屋から
もの悲しげな声がきこえてきました。

「兄さん寒かろう」

「おまえこそ寒かろう」

 二人の子どもの声でした。

 お客は明かりをつけて部屋の中を見回しましたが、だ
れもいません。気のせいかと思いましたが、また、

「兄さん寒かろう」

「おまえこそ寒かろう」

 という声が聞こえてきました。
よく聞くと、掛けているふとんからこの声が聞こえてくるのです。
 

 気味の悪くなったお客は慌てて勘定をすませ宿をとびだしていきました。

 つぎの晩も同じようにふとんに怯えた別の客が出てい
ってしまいました。
 はじめは、お客の話を信じていなかった主人もさすが
におかしいと思い、そのふとんを自分で掛けて寝てみる
ことにしました。すると――

「兄さん寒かろう」

「おまえこそ寒かろう」

 という声がするのでした。




 
 このふとんは、もとは貧しい一家のものでした。
 貧しい家でしたが両親と2人の子供の4人で仲良く暮
らしていました。しかし、あるとき父親が病気で亡くな
り、それを追うように母親まで亡くなってしまったので
す。残された2人の子どもは頼りもなく生きていくため
に身の周りのものを売っていくしかありませんでした。
そして一番最後に残ったのがこのふとんでした。

 ある寒い日、二人がふとんにくるまって寝ていると、
家主が家賃を払えとふたりのところへやってきました。
家賃が払えないふたりは、ふとんを取り上げられ、雪の
降るなか外に放り出されてしまいました。ふたりは寒さ
を凌ごうと抱き合い、いつしか眠ってしまい、永遠に目
覚めることがなかったのです。あまりの寒さにふとんに
魂が取り憑いてしまったのでしょう。

 そんなかなしい話を知った宿の主人は、ふとんを供養
してもらいました。
 
 それからは、ふとんがしゃべることはなかったという
ことです。








(引用2)夢人が少し訂正してある。たとえば、「布肩衣」が「布肩着ぬ」と誤記されていた。その他、返歌が長歌部分と連続していたのを分けて表示し、一部は色字にした、など。


貧窮問答歌

 風雑(ま)じり 雨降る夜の雨雑じり 雪降る夜は術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしお)取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜(すす)ろひて 咳(しは)ぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭かきなでて 我除(われお)きて 人はあらじと ほころへど 寒くしあれば 麻襖(あさぶすま) 引きかがふり 布肩衣 有りのことごと きそへども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢え寒(こご)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ このときは 如何にしつつか 汝(な)がよはわたる
 天地(あめつち)は 広しといへど 吾がためは 狭(さ)くやなりぬる 日月は 明(あか)しといへど 吾がためは 照りや給はぬ 人皆か 吾のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 吾れもなれるを 綿も無き 布肩衣の 海松(みる)のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち掛け ふせいおの まげいおの内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは足の方に 囲みいて 憂へさまよひ 竈(かまど)には 火気(ほけ)吹きたてず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯炊(いひかし)く 事も忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると 言えるが如く 鞭(しもと)とる 里長(さとおさ)が声は 寝屋戸(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり 術なきものか 世の中の道 


世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば




風交じりの雨が降る夜の雨交じりの雪が降る夜はどうしようもなく寒いので,塩をなめながら糟湯酒(かすゆざけ)をすすり,咳をしながら鼻をすする。少しはえているひげをなでて,自分より優れた者はいないだろうとうぬぼれているが,寒くて仕方ないので,麻のあとんをひっかぶり,麻衣を重ね着しても寒い夜だ。私よりも貧しい人の父母は腹をすかせてこごえ,妻子は泣いているだろうに。こういう時はあなたはどのように暮らしているのか。

 天地は広いというけれど,私には狭いものだ。太陽や月は明るいというけれど,私のためには照らしてはくれないものだ。他の人もみなそうなんだろうか。私だけなのだろうか。人として生まれ,人並みに働いているのに,綿も入っていない海藻のようにぼろぼろになった衣を肩にかけて,つぶれかかった家,曲がった家の中には,地面にわらをしいて,父母は枕の方に,妻子は足の方に,私を囲むようにして嘆き悲しんでいる。かまどには火のけがなく,米をにる器にはクモの巣がはってしまい,飯を炊くことも忘れてしまったようだ。ぬえ鳥の様にかぼそい声を出していると,短いもののはしを切るとでも言うように,鞭を持った里長の声が寝床にまで聞こえる。こんなにもどうしようもないものなのか、世の中というものは。


この世の中はつらく,身もやせるように耐えられないと思うけれど,鳥ではないから,飛んで行ってしまうこともできない。


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ひ~らひ~ら♪

暇つぶしにネットを見ていたら、「めぞん一刻」結末部の総集編みたいな動画があって、なかなか感じがいいので、ここに取り込んでおく。
「ひ~らひ~ら♪」のあたりは、あのアニメを見ていた人なら、この真面目な動画ではなく、例のアホダンス(登場人物たちが並んで、ガニ股で横歩きする奴)を思い出すだろう。(一番の歌詞では「き~らき~ら」だが、二番では「ひ~らひ~ら」。アニメでは二番の歌詞が使われていた。)

昭和は遠くなりにけり、である。





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肉体的な美と精神的な美の一致

「文殊菩薩」に皇后様の記事が載っていたが、その一部だけ転載する。他の部分も皇后様の人柄を表すエピソードであるが、この部分に特に私は感銘を受けたからだ。中でも赤字部分が、それだ。最初の手話の件は、皇后様が、この障害者大会を参観するに際して、あらかじめ、称賛を意味する手話を覚えた上で参観なさったことを意味している。果たして、他の来賓にそれほどの心配りのできる人間はいただろうか。おそらく、ほとんどいるまい。
次の、知的障害者の子供たちに皇后様の印象を訊ねた時の彼らの答えは、相手が皇后様であることは知らなくても、「きれいな人」「やさしい人」という印象はそのまま伝わったということだ。これが人格の力である。
私は皮肉な人間だから、女性が「幾つになってもきれいでいたい」などと言うのを聞くと、「きれいな婆あがいるもんか」と憎まれ口をききたくなるのだが、ある種の人間は、人格の力が外面まで美しくするのではないか、とも思う。はっきり言って、洒落ではないが、皇后様はまさしく「皇后しい」いや「神々しい」美しさだ。女優などの、骸骨の上に肉で化粧しただけの表層的な美しさとは別種の美しさである。だから、年齢を超越した美しさなのだろう。
若いころの美智子妃も美しかったが、今の美智子妃の方が、ある意味、若いころよりも美しいのではないだろうか。




(以下引用)



10月6日、東京都文京区であった「第15回日本太鼓全国障害者大会」を訪れた時もそうでした。

 この大会には、耳が不自由な人や知的障害がある人たちが参加。熱のこもった演奏が披露され、皇后さまは身を乗り出すようにして鑑賞していました。演奏が終わると、両手を高く上げ、ステージに向かってひらひらと左右に振り続けました。関係者に聞いたところ、「称賛」を意味する手話だったそうです

 帰り際、皇后さまは、出演を終えた人たちを「立派でしたよ」とねぎらい、これから出演するメンバーには「たくさん練習なさったんでしょう。しっかりね。いつものようにたたいてくださいね」と激励。福島県郡山市から参加した太鼓チームには「被災されなかった?」「太鼓は無事でしたか」と気づかっていました。

 主催した日本太鼓財団の塩見和子理事長が話してくれたエピソードも印象的でした。皇后さまがお出ましになった際、大会に参加した知的障害のある子どもたちに「どなたかわかる?」と聞くと、皇后さまのことは知らないようでしたが、口々に「きれいな人!」「やさしい人!」などと話したといいます。「皇后さまはいつも本当に障害者福祉のことを気にかけてくださっています」と塩見さんは話していました。



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地上とは思い出ならずや

「谷間の百合」ブログから転載。
ご本人はブログの中で「私は本を読まない人間だ」と謙遜なさっているが、岡潔、稲垣足穂と、渋い趣味の本を読んでいらっしゃるようだ。この読書傾向から、数学的、物理的、宇宙的なロマン、理系的詩情がお好きなのではないかと拝察する。
稲垣足穂は私も好きだが、その作品の大半はほとんど「理解」はできない。ただ「散文詩」として読み、何となく面白い、と感じているだけだ。「山ン本五郎佐衛門ただいま退散仕る」が一番好きで、あれは数回読んだ。その最後に書かれた「愛という経験は、その後ではそれが無いと物足りなくなるという欠点がある」という言葉は、私の大好きなアフォリズムの一つだ。これは、お化け軍団と半年近く(だったと思う)、毎晩のように戦った後、そのお化けの大将が別れの挨拶をして、それきり出なくなった後の、主人公の少年の述懐(付録参照)に関して筆者が補足した言葉である。つまり、お化けとの戦いの日々は、「愛という経験」の一つだったということだ。
まさに「地上とは思い出ならずや」である。
家族と共に暮らす、毎日の平凡な日々も、お化けとの大騒ぎの戦いの日々も、すべては愛の経験かもしれない。ひいては、見上げた空に、光に縁取られた雲を眺めた時の感慨、それに伴って思い出す、幼い頃、心をかすめた思い、すべて愛の経験だと言える。





(以下引用)



岡潔の次に転生について触れたのが稲垣足穂の本でした。

「地上とは思い出ならずや」という言葉に、ナニ?!と思ったのは一瞬で、次の瞬間にはその意味を理解していたと思います。


「兜率上生」より

「俺はもっと人生を愛したい、味わいたい、面白いことをしたい。或いは苦しみたい・・・など言って死に際に喚くには当たらないのである。

自分がいま、ここにいるように、死んだら又別ないまここの裡に閉じ込められるであろうことに、疑いはない。

この論旨が薄弱だと考えるのは、未だ一度も『自分は何故他のだれかではないのか?』『何故たったいま此処にいるのか』について思いを凝らしたことのない者共である。

どこにも居なくなってしまうなんて、そんな気の効いたことがそう簡単に起こって堪るものか!」




(付録)



足穂『山ン本五郎左衛門ただいま退散仕る』より

…………アノアト星ノ光ノ様ナモノガヤガテ蛍ガ乱レ飛ブ様ニ見エテ物哀レヲ唆ツタ……アノ心細サガ、今デハ何カ悲シイ澄ンダ気持ニ変ツテイル。秋ノセイダロウカ? 然シ、コンナ何事カガ一段落付イタ様ナ、ソレトモコレカラ新生活ガ始マルカノ様ナ気持ハ、僕ハ今迄何処ニモ覚エタコトガ無イ。…………山ン本五郎左衛門ノ顔ヲ僕ハ生涯忘レルコトハナイデアロウ。殊ニ「只今退散仕ル」ノ尻上リノ一言ハ、何時々々迄モ忘レハシナイ。槌ヲ打ツ心算ハナイガ、僕ノ心ノ奥ニハ次ノ様ニ呼ビ掛ケタイ気持ガアル。山ン本サン、気ガ向イタラ叉オ出デ!



夢人注:「槌を打つ」の「槌」は、お化けの大将(山ン本五郎佐衛門)が、戦い相手の少年であった主人公を褒めた後、自分を呼びだしたい時は、この槌を打て、と言って与えたものだった記憶があるが、確かではない。
我々が「思い出」に感じる気分はまさに「何か悲しい澄んだ気持ち」ではないだろうか。あらゆる事は、過ぎた後では思い出に変わる、というのは当たり前のことだが、現在という一瞬よりも、思い出の方が遥かに長い時間なのである。










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I can't stop loving you


pjolさんという方の「訳詞の世界」というサイトから転載。レイ・チャールズの「I can’t stop loving you」である。ただし、最初の部分の「決めたんだ」を「だから僕は決めたんだ」に変え、その他、主語を少し増やさせてもらった。通常は、英語にはやたらと「I」が多すぎる(英語の歌には「愛」=loveという語も多すぎるw)ことに私は批判的だが、この詞に関しては、一般の人々(They)が言う「時が壊れた心を癒してくれるさ」に背を向けて生きる「I」の孤独さを際立たせるためには主語を明確にした方がいいと思うからである。それ以外にも変えた部分が幾つかあるが、些細な変更である。たとえば最初の一文は「愛さずにはいられない」を逐語訳的に「君を愛することはやめられない」にした。理由は、「何となく」その方がいいと思うからだ。



さて、なぜ突然こんな歌詞を載せたかと言うと、今朝の目覚め前の夢の中で大友克洋の「メトロポリス」(手塚治虫の漫画を元にしたアニメ)の中のあるシーンを見たからだ。「パセティック」という形容がぴったりする滅びのシーンだ。そして、おそらくそのシーンでこの歌が使われたのだと思う。私は下の動画でしかこのアニメは知らないのではっきりとは知らないのだ。だが、このシーンだけでも、このアニメは見る価値がありそうだ。



大友克洋の褒章記念にその動画を掲載しておく。ミッチーと言ったと思うが(下の動画ではtimaのようだ)、可愛い顔のアンドロイドが無残な顔になって落下していく、その顔と表情が素晴らしい。



 



 



(以下引用)



 



 



I Can't Stop Loving You - 愛さずにはいられない



 



君を愛することは止められない
だから僕は決めたんだ
思い出を胸に寂しい日々を過ごすと
僕は君が欲しい
言っても無駄なことだけど
だから僕は 過去の夢の中で生きて行くことにする
「昨日」の夢の中で




君と共に過ごした幸せな時間は
遠い昔のことだけど 



でも 思い出すとまだブルーな気持ちになる
心の傷は時が癒してくれると人は言うけれど
僕達が別れた日から 時は静かに立ち止まったまま

くりかえし

愛さずにはいられない
だから僕は決めたんだ
思い出を胸に寂しい日々を過ごそうと
君が欲しい
言っても無駄なことだけど
だから 僕は過去の夢の中で生きて行くことにする
過去の夢の中で

*****************

(I can't stop loving you)
I've made up my mind
To live in memory of the lonesome times
(I can't stop wanting you)
It's useless to say
So I'll just live my life in dreams of yesterday
(Dreams of yesterday)
Those happy hours that we once knew
Tho' long ago, they still make me blue
They say that time heals a broken heart
But time has stood still since we've been apart

(I can't stop loving you)
I've made up my mind
To live in memories of the lonesome times
(I can't stop wanting you)
It's useless to say
So I'll just live my life in dreams of yesterday
(Those happy hours)
Those happy hours
(That we once knew)
That we once knew
(Tho' long ago)
Tho' long ago
(Still make me blue)
Still make me blue
(They say that time)
They say that time
(Heals a broken heart)
Heals a broken heart
(But time has stood still)
Time has stood still
(Since we've been apart)
Since we've been apart

(I can't stop loving you)
I said I made up my mind
To live in memory of the lonesome times
(Sing a song, children)
(I can't stop wanting you)
It's useless to say
So I'll just live my life of dreams of yesterday
(Of yesterday)








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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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