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ああ世は夢か幻か

「我が回想賦」というブログから転載。
ディアボロの歌という、浅草オペラの曲をユーチューブで探しているうちに、脱線して、こういう超ナツメロに行き着いたのだが、私はAKBとか何とかいうのには全く関心が無いのだが、なぜか、昔の歌、それも大正や明治の頃の歌が大好きなのである。
ところで、私はそれほどの老人ではないが、なぜか田谷力三の実物を見たことがある、というのが自慢の一つだ。しかも、それは日劇ミュージックホールの最後のステージを、「黒テント」の演出家(名前は失念)が演出した、いわば昭和の最後を象徴するような舞台の上でのことだったのである。つまり、大正演芸の最後の生き残りが、昭和の最後の舞台に出た、という稀有なステージの目撃者となったわけだ。しかも、私は演劇にまったく興味が無い人間で、その時も日劇ミュージックホールがこれで最後だから、見ておこう、という友人の誘いに乗せられて、渋々見たのである。それが一生の精神的財産になるのだから、人生とは不可思議なものである。
なお、「世は夢か幻か」のネタである野口男三郎事件について書かれた、ある推理小説があって、これもなかなか面白いのだが、おそらく今では入手不可能だろう。そういうものだ。題名もおそらく「(ああ)世は夢か幻か」であったと思う。(今、調べてみたが、おそらく鮎川哲也の「ああ世は夢か」だと思う。なんとなく、鮎川哲也の名前が思い浮かんでいたのだが、ピッタシカンカン(死語)だったようだ。)
なお、こういう、自分の生まれていなかった時代へのノスタルジーについては、「春の港に生まれた鳥は」という漫画が、一番ツボを抑えていると思う。作者は高野文子。

なお、「美しき天然」は、きれいに歌った歌よりも、ソウルフラワー・モノノケ・サミットという得体の知れないグループの歌うそれが、チンドン屋(ジンタ)の哀愁を感じさせて、面白い。
一聴に値すると思う。




(以下引用)

2014年6月10日 (火)

ああ世は夢か幻か


「美しき天然」という唱歌のメロディーが好きである。 


   空にさえずる鳥の声


   峰より落つる滝の音(後略) 


 しかし、この歌ほど悲惨な運命をたどった楽曲はない。まず、ジンタというサーカスの客寄せの宣伝の曲に使われた。 


 そして極め付きは、殺人者が獄中で作詞したのが巷に流れ、「美しき天然」の替え歌になってしまったことだ。 


 1902年というから明治の末期である。東京の麹町で、11歳の少年が圧殺され、臀部の肉がはぎ取られる事件がおこった。 


 犯人は、東京外語生だった野口男三郎といい、「男三郎事件」として有名になる。男三郎はある家の入り婿になったが、義兄はらい病患者だった。 


 らい病(レブラ)には人肉が効くという迷信があり、それを信じた男三郎は、少年の臀部の肉を煮て義兄に食わせ、スープを飲ませたのである。 


 逮捕された男三郎が、獄中で作った詞はこうである。 


  1,ああ世は夢か幻か


   獄舎に独り思い寝の


   夢より醒めて見廻せば


   あたりは静かに夜は更けて  


  2.月影淡く窓を射す


   ああこの月の澄む影は


   梅雨いとけなき青山に


   静かに眠る兄上の


  3.その墳墓を照らすらん


   また世を忍び夜を終夜


   泣き明かす


   愛しき妻の袂にも 


  このもの悲しい詞を、演歌師が「美しき天然」のメロディーで歌い、一世を風靡したのである。


  少年時代にこの歌を歌い、私は父にひどく叱られた。


 (去年の名月)


Img221


 


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「夢」の功罪

小田嶋隆ツィッターから転載。
いつもながら、見事なものだ。彼がフランスにでも生まれていれば、ラ・ロシュフコーの再来、箴言の名手としてもてはやされていただろうが、今の日本ではこうした苦い真実を口にする人間は好まれない。
若い人々が、マスコミや支配層の提供するエサで「夢」を持ち、その夢が現実化しないことで鬱状態になる。周囲から押し付けられる「良識」で自分を雁字搦めにし、さらに鬱状態を悪化させる。これはまさに「煩悩」と「同調圧力」と言うべきだろう。
ところで、私は「我々の生の刻々は、その人の主観で解釈されたもの、つまり夢である」という意味で、自分自身を「酔生夢人」とも名乗っている。(本当は「名宣る」と書きたいが、こちらは一般的な表記ではないようだ。)その意味の「夢」と、「あなたの将来の夢は何ですか」の「夢」の意味はまったく違うことは言うまでもない。で、私は後者の意味の「夢」は大嫌いなのである。こういう場合は「目標」と言うべきであり、夢というフワフワした言葉を使うべきではない。ここでの「夢」は、砂糖でデコレーションされた煩悩だ。
「夢は必ず実現する」などという言葉は、学校や予備校などが宣伝広告でよく使うが、それは「あなたが我々のところに来て、金を払えば、あなた自身のしかるべき努力の結果あなたの夢が実現することも可能性としてはある」ということだ。それに「必ず」という冠を付けるのは詐欺もいいところだが、こうしたキャッチコピーは詐欺とは看做されていない。
そして、この「夢はかならずかなう」というフレーズは、成功した芸能人も、成功したスポーツマンも、よく口にするのである。そのほとんどは、子供や若者へのメッセージを頼まれたとき、マシなセリフを考えるよりも、こうしたできあいの安全な文句を口にするほうが楽だからだろう。
成功した人間が、「夢の99%は実現しないよ」などと言えば、確かに若者にとってこの世は暗黒になるだろう。そして、そういうことを口にした人間がマスコミや社会から袋叩きに遭うのは目に見えている。それを言っていいのは、たいして成功していない人間だけだ。それなら、「あいつがあんなことを言うのは、成功できなかった人間の僻みさ」、「酸っぱいブドウって奴だ」ということで、軽く嘲笑され、無視されるだけで終わる。
ところで、成功した人間というのは、確かに大きな夢を持っていた人間でもあるだろう。言い方を変えれば、大きな煩悩を持っていた人間だ。自分の今の状態に満足している人間がそれ以上の努力などするはずは無いのだから、社会的にそれ以上上に行くはずはない。そういう意味では、夢を持つことが成功の原動力だ、というのも確かだ。ただし、それは社会的地位の上昇という意味での成功でしかないし、それが真の幸福かどうかは別の話である。
まあ、若い人は、とりあえず、社会的地位の上昇を目指すのが無難な選択ではあるだろう。出家遁世(あるいは「入家遁世」というのもアリだ。働く女性が結婚して家に入るのも、ある意味では「遁世」になる。だが、現在の日本は専業主婦の存在を許さないようになりつつある。)など、いつでもできるのだから。





(以下引用)


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レット・イット・ゴー?

「2ちゃんねる」系統の某サイトから転載。
「アナと雪の女王」が特に女性に大人気だそうだが、その理由を推測してみると、「今の私は真実の私ではない。真の私が理解された時に私の世界は変わる」という観客の妄想を代弁していることによるものではないか、と(見てもいないのだが)思う。
言うまでもなく、「真の私」とは、「他人が見ている私」であって、「私が思う私」とは、ナルシシズムによって美化され、装飾された幻影でしかないのである。そのナルシシズムが破壊されるのが、他者との接触によって「真実の自分」を突きつけられる時であるから、壊れやすい(良く言えば、繊細な)精神の持ち主は他者との接触を極度に嫌うようになる。いわゆる「引きこもり」などはそれだろう。
私も他人との接触で精神的な打撃を受けやすいヤワな性格で、昔から「燈台守になりたいなあ」と思っていた。灯台守になって、誰とも接触せずに生きていきたい、ということである。まあ、残念ながら、現在の社会ではたぶん燈台守という仕事は無いだろうが、今でも、一人の時間が一番好きである。
さて、下の記事だが、他人という鏡に映して初めて、自分の本当の姿が分かる、ということだ。ただし、「何事に対しても批判から入る」というのはむしろ日本人に欠けている特長(長所)であり、問題は、それを他人にそのまま話してしまうというところにあるのではないか。そういう意味では、

「正直なのは結構だがバカ正直なのは自分の首絞めるだけだぞ」

というコメントは正しい。しかし、自分を偽って、演技し、友人ごっこをするだけの友人関係など、(生きていく上では便利だが)本当の友人関係ではなく、お互いに利用しあうだけの関係でしかない。若いうちくらいは、本物の友人関係があってもいいのではないか。つまり、お互いに、本音を出しあって付き合ってもいいのではないか。
私が他人との接触が苦手なのも、一般的に行われているそういう「社会的演技」と「日常生活の政治(打算的かけひき)」が苦手だったからである。
だから、ブログなどで、中学生的な「バカ正直」なことを書いて、普段の「もの言はざるは腹ふくるる業なり」(徒然草)という内的圧力を軽減しているわけだ。




(以下引用)




titleicon 友達から「お前なんの話しても批判から入るからつまんねーわ」って言われた
2014/6/14
categories カテゴリ >>1の話
 
 
1 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:04:24 ID:AMVQAXstj

泣きそう


2 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:04:43 ID:SxSi5Zmf9

自業自得とはこのことか


4 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:05:08 ID:MnsOtHKQZ

2ちゃん脳の被害者がまたここにも


7 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:06:50 ID:7oZCs2XfX

否定から入るのはおまえらの特徴だしw


10 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:12:48 ID:AMVQAXstj

友達「トランスフォーマー4公開したら見に行こうぜ」


俺「3で糞になったからいいわ」


友達「そっかー、んじゃあなんか見に行こうよ」


俺「映画館は高いからなぁ」


友達「なんでも否定するよなお前」


俺「そういうわけじゃ」


友達「もういいわなんも誘わんから」


友達短気すぎない?


15 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:15:46 ID:qq16k5okh

>>10
これはウザい
金かかるとか言ってるなら一生引きこもってろよ


16 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:16:52 ID:5QK8F8X5b

>>10 ああ、自分ではなく友達を否定する性格か お前もうだめだわ


11 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:13:31 ID:gbj3FggR0

日頃からうんざりしてたんだろうな



18 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:19:18 ID:Ko7MykaoZ

俺の友達にもいるなそういうやつ
「今日のテストやばいな~」には「いうて~は大したことないやん」
「つぎテスト(二時間半)やしトイレ行っとこうぜ」には「まだいいやん」
「車の免許とりたいわー」には「バイクでええやん」
 で、バイクの話題掘り下げようとすると「知らん」とかえされ


19 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:19:57 ID:AMVQAXstj

友達「前々から思ってたけどお前ひねくれすぎてない?」


俺「えっ」


友達「一緒に飯食ってても大してうまくねーとか言うしイライラするんだわ」


俺「ごめん…」


友達「なんでもケチつけないと気が済まない性格なのか?」


俺「お前も今は俺にケチつけてるけどな」


友達「は?…そうか、よくわかったわお前のこと」


そして既に音沙汰なくなって一週間経つ


21 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:21:10 ID:UFoKhetYL

>>19
お前が悪い


51 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:29:00 ID:WTSBE6pe5

>>19
笑ったwwww


23 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:21:32 ID:kwMP6vm6y

これは>>1が悪い


なんでも同意しろとは言わねーが会話しててつまんねー


24 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:22:49 ID:kvPM25Fa9

ある意味いい友達じゃん。
これでお前さんは自分を見直せるいい切っ掛けができたんじゃないかな?
自分の会話に否定しかされなかったら確かに面白くないだろ?


コミュニケーションってのは自由な物だから正解はないかもしれない。
だけどあまりやらない方が良い言い回しとかもあるって事だよ。


基本は「否定」と「ネガティブ」
この2つを意識的に避けてコミュニケーションとると
少し変わるかもしれないよ


25 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:23:26 ID:AMVQAXstj

思ったことを正直に言っただけなんだがなあ


26 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:24:20 ID:kvPM25Fa9

>>25
正直なのは良いね。
あとは表現方法を変えればいいんだよ。


27 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:24:35 ID:SHragYq2T

>>25
お前はケチをつけるべきではないところでケチをつけてる
友達はケチをつけるべきところでつけてる
お前が悪い


28 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:28:06 ID:awL1jmcyH

そりゃいっしょに遊んだり飯食ったりするのに
つまんねーとかうまくねーとか言う奴より
楽しいおいしい言う奴の方が会話してて楽しいだろ


正直なのは結構だがバカ正直なのは自分の首絞めるだけだぞ


30 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:42:23 ID:i0rFEmsvy

>>28
これ


29 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:28:21 ID:uoPjvzHXq

思った事を正直に言うのは幼児のうちに卒業しとけよ


31 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:51:34 ID:aiMV0dHGg

ゲームや漫画みたいな受動的娯楽ばかりはまってると楽しむ舌が肥えてる反面、
楽しもう楽しませようってスキルが全く身に付かないんだよね
結果、不平不満しか言わない>>1みたいなのが生まれる


32 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)18:58:23 ID:Yjisz25Ht

友達さん英断だね!ああもう他人だね
今までよく友達でいたよね友達さん


33 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:10:30 ID:nVMriAvyC

謝りたいんだけどこれでいいかな?


「お前の言うことも一理ある、すまなかった。
しかし人の性格にはあまりどうこう言わない方がいいよ、また飯行ったりしようぜ!」


34 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:14:40 ID:uoPjvzHXq

>>33
しね


55 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:32:41 ID:WTSBE6pe5

>>33面白すぎるw


35 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:16:30 ID:nVMriAvyC

とりあえず送って見た


37 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:18:03 ID:S8EfRNRBI

>>35
えっお前>>1?マジでこれを送ったなら頭に問題がある人だと思うわ


36 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:17:48 ID:C53ww7FIl

えっ?
ネタだよね?
それとも友達に喧嘩売ってるの?


38 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:18:57 ID:uoPjvzHXq

これは絶交宣言だろ


41 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:20:29 ID:8gkgjtZFV

俺は中学の時に同じ事を友達に指摘されて、
それまで全然気づかなかったから改めたんだった
おっさんになったけど、そいつとは今も飲みに行く親友だ


42 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:23:56 ID:AMVQAXstj

IDかわってるけど>>1です


送ったけどどっかやばかった?


43 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:24:56 ID:AMVQAXstj

個人的には


謝ってなおかつ友達の悪いところをサポートし、
さらに飯に誘うことで赦すという的確なメールだと思ったのだが…


44 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:26:03 ID:ynwThnZTG

アウトだよ!


45 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:26:45 ID:KSwHlOH2E

AUTOだな
絶交フラグ


46 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:26:46 ID:kpJhL8o6U

アウトしかねーよ


56 名無しさん@おーぷん 2014/06/12(木)19:33:23 ID:C53ww7FIl

いや、飯食いに行くって
大学生ぐらいだろ?


中学生なら解るが、あまりに(略


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フィクションとしてのヤンキー

広島カープのバリントンが「広島はヤンキースよりも強い」と言ったということで、某サイトにスレッドが立っていたが、次のコメントに思わず笑ってしまった。なるほどねえ。何しろ、載ったのが東スポだし。
それで思い出したのが、前々からヤンキーについて何か書こうと思っていたことである。もちろん、暇人の雑談だ。
というのは、最近ネットテレビでずっと『スラムダンク』のアニメを見ているのだが、これはヤンキー漫画だよなあ、と内心思っていたからだ。原作の漫画も読んだはずだが、そっちの記憶はまったく無いので、アニメと原作の相違は知らない。主人公の青田赤道、じゃない、桜木花道は、髪の毛を赤く染めたまったくのヤンキーで、その仲間も皆ヤンキーだから、『スラムダンク』はヤンキー漫画だと言って不思議は無いと思うのだが、この漫画をそう見ている人はあまりいないようで、スポーツ漫画だとカテゴライズされている気がする。いや、もちろんスポーツ漫画なんだが、ヤンキー漫画でもあるのではないか、ということだ。
で、ヤンキーとは何か、ということを考えたのだが、現実のヤンキーは、昔なら不良と呼ばれたただの品性下劣なクズどもだとは思うが、漫画やアニメのヤンキーは、その理想化、あるいはかなりの美化が行われているのではないか。
私の定義では、その理想化されたヤンキーとはこんなものだ。

1)学業では劣等生(あるいは勉強には興味無し。先生や大人の受けは悪い)
2)でも、根は善良。(ここにかなりの美化がある。)
3)喧嘩が強く、筋の通らないことが大嫌い。(ここもかなり美化。ヤクザの美化と同じ。)
4)無意味な規則を頭から馬鹿にして、従わない。(これはある意味では若者の理想像。社会的権力に従わないだけの力を持っている、ということだから。だが、実際にはヤクザなどにはぺこぺこしているのが現実だろう。)
5)仲間や恋人のためには命を懸けて戦う。(これもかなり美化)

つまり、漫画などでのヤンキーは、規律に従うことで自分の居場所を確保せざるを得ない、無力な若者たちにとってはヒーローたりうる存在である、ということだ。
まあ、現実にはそんなヤンキーなどいないだろう、と私は思うのだが、フィクションとしてのヤンキーとは、実は「任侠の徒」の一変形なのである。どちらも、社会の爪弾き者でありながら、純情と義侠心を心の中に秘め、愛する人々のために悪と戦って死んでいく。
そういう「侠」の一字が社会から失われた現代だから、ヤンキー漫画の需要も結構あるのではないだろうか。ということは、「任侠漫画」や「仁侠映画」の需要も本当はある、ということである。
アニメの『スラムダンク』については書けることはまだあるが、長くなったのでここまでとする。



30: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/05/19(月) 11:49:55.06 ID:k1EAP0s+.net
バリ「カープは若いヤンキーたちがいて強い」 
東スポ「カープはヤンキースよりも強い」





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汚物的精神の一事例

2ちゃんねる系統の某サイトで、「人生で学んだ事書いてけ」というスレッドに、悪意の塊のようなコメントがあったので、こうした精神の持ち主も世界には存在する、という参考として転載しておく。吐き気を催す可能性もあるので、まともな精神の持ち主は読まない方がいいかもしれない。
しかし、19世紀から20世紀の歴史を振り返れば明らかだが、こういう精神は、西洋文明の、特に支配階級に属する人間には珍しいものではない。下記コメントの「低学歴」を「植民地の原住民」と置き換えれば、分かりやすいだろう。
もちろん、現在では形の上では植民地は解放されているが、こうした「選民意識(ユダヤ対他民族、白人対有色人種、王侯貴族対奴隷的国民、富裕階級対貧民)」は今ではすべての人種や民族に行き渡り、それぞれの社会を汚染しているわけである。
自分は上位にいると思い込んでいる家畜(白人富裕層などから見れば、である)が、下層にいる人間を見下し、自分は家畜ではないと錯覚しているのが下のコメントだが、逆に、社会の下層にこそ、精神的にはまったく家畜ではない、真の人間が多い、と私は思っている。むしろ、社会の上位にいる人間の中に、精神の貧困さや、低劣さを良く見てきた。金を稼ぐ能力が階層ピラミッドの基準となる社会では、それは当然の話だろう。
精神的美とはまったく懸け離れた、このコメント主のような人間こそ、人間のクズであり、世界の汚物だ、と私は思う。


社会的には下層にいて、「負け組」であった「黒子のバスケ」事件被告人の陳述(徽宗皇帝のブログに転載した)と比較してみれば、その精神性の高下は明らかだろう。





(以下引用)



28 名無しさん@ひまろぐ:2014年04月03日 23:29  ID: bkPpcPpgO  このコメントに返信する

1.低学歴は「優しい」と「弱い」の区別が出来ません。
2.又、「強い」と「悪い」と「正義」の区別も出来ないのです。
3.だから、低学歴と付き合うのはとても厄介です。
4.アメリカの高学歴も低学歴とは関わりたくありません。
5.しかし、我慢して付き合わなくてはいけない状況です。
6.低学歴は「身の程」と言う概念を知りません。
7.低学歴は、劣等感のせいで、どちらが優位な立場に居るか?それが、最重要な関心事です。
8.個人主義のアメリカ人から見ても、異常性を感じる階層です。
9.このような日常に生きる低学歴は、他人に対する思いやりや慈愛の精神は皆無です。
10.従って、高学歴が普遍的に持っている「平等感」や「対等」と言う気持ちや態度は、低学歴は敗者の態度に見えてしまいます。
11.アメリカ人は低学歴の軽薄な精神性を良く理解していますが、日本人は低学歴をあまり理解していません。
12.日本人は低学歴を「まともな人間」だと思い対応しているので、問題が発生するのです。
13.アメリカ人から日本人に忠告します。「低学歴は別の種類の生き物だと思って付き合いなさい」それが低学歴のためでもあります。謝ってはいけません。
14.筋の通らない理屈を言ったら100倍制裁をしなさい。
15.感謝の気持ちは、王が家来に褒美を与える様に接しなさい。
16.正論や理屈は意味がありません。強制と命令で動かしなさい。
17.裏切りに対して、温情は絶対にいけません。
18.実行できない無理な命令を出して、出来ない事を責め続けなさい。
 
  • 30 名無しさん@ひまろぐ:2014年04月03日 23:30  ID: bkPpcPpgO  このコメントに返信する
    ■低学歴と貧乏人とは隔離して暮らす

    価値の無い人間は時間と精神力の無駄なので1秒も相手にしてはならないし、関わったり交流してもならない。
    会話も当然ならず、そもそも同じ空間に居合わせてもならない。その為、馬鹿が多くいそうな場所にはできるだけ立ち寄らない。
    電車などはいつ何が起こるかも分からない危険な地獄である為、可能な限り車通勤を選んだり、貧乏人の住む集合住宅や住宅街では呆れるほど下らないトラブルが多発する為、高層マンションや高級住宅街に住むのは当然の対策。
    店なども、庶民が頻繁に利用するような大衆店は避ける。
    特権階級のものを好む傾向を持つ方が危険性が少なく安全に生活できる。
    庶民や、特に学力や財力の無い社会的弱者ほど決まって理性の欠落した蛮行に及び、周囲の人間に無差別に害を振りまくものだ。
    そこらを闊歩する弱者は全て害虫と看做していい。
    毒針を持つ毛虫か蜂、ムカデの類と同じ



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北山や雪積む上の夜の月

昨夜、飼い猫が死んだのだが、真夜中に目覚めると、枕元の窓から真上に見える夜空に、小さく満月がかかっていた。ふと、「愛猫の死にし深夜や寒の月」という句を思いついたのだが、今一つ満足はできない。そもそも、愛猫と言うほど私はこの猫に構ったことは無かった。娘が猫好きなので、飼っていただけだ。それに、できればこの月が天空に小さくかかる寒そうな満月であることも表したい。そこで、とりあえず、「飼い猫の死にし深夜や寒満月」としてみたが、「寒満月」という造語も鼻につく感じだ。まあ、べつに名句を作る気は無く、ただ、出来事のスケッチとして俳句にしてみただけだから、これで良し、としておくことにした。
それから目が冴えて眠れなくなって、あれこれ浮遊思考が頭の中に浮かんだり消えたりしている中で、凡兆の「下京や 雪積む上の夜の雨」という句を思い出したのだが、もちろん、一昨日の大雪からの連想だ。今も、京都の町々の屋根には雪が積もっているだろう。
この句の初五を凡兆ではなく芭蕉が「下京や」に決定したというのは有名な話だが、確かにこの「下京や」は素晴らしいとは思う。だが、それがなぜなのかを論理的に説明した文章を私は寡聞にして知らない。一つには音調の問題だろうし、もう一つは「下京」という地名の持つイメージだろうが、私には芭蕉当時の下京のイメージが湧かないのである。この句で言えば、公家衆ではなく、一般民衆の住む町家がひっそりと寝静まるイメージなのだが、それで正しいのかどうか。
「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降り積む。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降り積む。」は三好達治だっただろうか。地名や人名にはそれ自身固有のイメージがあるが、太郎や次郎の名で「すべての子供」が現出する、というのも詩の魔術である。

ブログのタイトルにした句は、今思いついて、凡兆の句を換骨奪胎してでっちあげた句、いや、盗作である。「雪積む上の夜の」の部分だけで、俳句や短歌などではすでに盗作になるのである。つまり、先行する作品のキモの部分を使ってはいけない、ということだ。これは「本歌取り」の際にも気をつけるべきことだろう。しかし、素人が俳句や短歌の練習として、あえてこの種の「盗作」あるいは「本歌取り」をしてみる、という練習法も「あり」、ではないかと思う。もちろん、私の駄句の場合は「『夜の月』だと? 月は夜のものに決まっている。これは『馬から落馬する』同様の阿呆な言い方だ」という批判が即座に出るわけだが、まあ、月は昼にも出るものだし、あえて「夜の月」と言う、適当さ、ユルさもいいではないか。(追記:「夜半の月」にすれば、「盗作」ではなくなるかな、とも思うのだが、どうだろう。時間も明確になるし。「北山や雪積む上の夜半の月」)





   下京や雪つむ上のよるの雨      凡兆

此句初冠なし*。先師をはじめいろいろと置侍りて、此冠に極め給う。凡兆あトとこたへて、いまだ落つかず*。先師曰、兆汝手柄に此冠を置べし。若まさる物あらば我二度俳諧をいふべからずト也*。去來曰、此五文字のよき事ハたれたれもしり侍れど、是外にあるまじとハいかでかしり侍らん。此事他門の人聞侍らバ、腹いたくいくつも冠置るべし*。其よしとおかるゝ物は、またこなたにハおかしかりなんと、おもひ侍る也。

--------------------------------------------------------------------------------

此句初冠なし :<このくはじめかんむりなし>と読む。「下京や」は芭蕉を交えて後から附けたということ。


凡兆あトとこたへて、いまだ落つかず:凡兆は「あっ」と答えたけれど、それでも何となく落ち着かない様子であった。そこで芭蕉は凡兆に、「凡兆手柄だ!これを枕に使え」と言ったという。


若まさる物あらば我二度俳諧をいふべからずト也:もし「下京や」よりよい上五が付けられたら、私は俳諧師を止める。芭蕉の確信。


此事他門の人聞侍らバ、腹いたくいくつも冠置るべし :この話を蕉門以外の人が聞いたら冠をいくつも用意することであろう。だが、それを自分たちが見るときっと滑稽なものに映るに違いない。それが芭蕉の凄さというものなのだ。



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信長殺しに見る、心理操作による犯罪

ずいぶん前に出版された本だが、杉山光男という人の「本能寺殺人事件の真相(信長殺しの犯人は秀吉だった!)」(同文書院)という本が面白かったのでメモしておく。
私は、以前に、得体の知れない創作衝動に動かされて「昇る太陽」という、秀吉の生涯をわずか10ページ程度に圧縮して描いた短編小説を書いたことがある。(徽宗皇帝のブログの「創作小説」ジャンルに入れてある。)たしか、何の資料も見ずに、1日で書いた記憶があるのだが、その内容を修正する必要は、あまり無さそうだ、というのが感想の一つ。
で、これは新しい知見だが、信長殺しの真犯人は秀吉だった、という説は、かなり有力だと言えそうである。もちろん、実行犯は光秀だが、秀吉が彼を心理的に操作して、彼を信長殺しに向かわせた、という話なのである。ミステリー小説としても素晴らしいプロットだが、実際、その大きな証拠もある。
それは、毛利攻めの陣中から、何の必要も無いのに、秀吉が信長に救援を求めた、という事実だ。従来の説では、これは秀吉が信長にゴマをすって功績を譲るためのものだ、とされている。実際、この頃の信長は天下統一を目前にして、彼の宿将たちを次々と粛清し、家臣たちを戦々恐々とさせていたのである。光秀の造反も、おそらく「次は自分だ」という、その恐怖からのものだろう。
そして、信長の有力家臣たちの中で、当時遊軍であったのは光秀だけであり、信長は、秀吉からの要請を受けて光秀に秀吉の応援に向かうことを命じた。つまり、信長はわずかな手兵を除いて、まったく無防備の状態で京都にいたのである。光秀に与えられたその完璧な機会が、彼に信長殺しという「犯罪」を犯させたのは明らかである。では、その機会を作ったのは誰か。秀吉だ。
秀吉からの援軍要請がなければ、光秀が軍を動かすことはできなかっただろう。信長は自分が命じた事だから、光秀軍が間近に来るまで、何の疑いも持たなかったのである。
こうして光秀の「敵は本能寺にあり」で、信長という一世の英雄は滅ぼされた。
では、信長殺しの犯人は光秀か? それとも彼に完璧な犯罪機会を与えた秀吉か?
これは、犯罪実行犯と教唆犯という単純な話ではなく、教唆された側が、その事実にすら気づいていなかったという、超高度な心理的犯罪なのである。

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