私は言葉にわりとうるさいわりに、世間の一部の人間が「誤用だ」と言っている事例にも素直にはうなずけない。つまり、自分の感覚に合っていれば正用、合わなければ誤用、という感じかもしれないwww
「確信犯」の使い方の大半は誤用だ、という意見もあまり納得していない。「確信」の内容がどうであれ、何かを確信して犯罪を実行するなら、すべて確信犯であり、悪いことだと確信しながらやろうが正しいことだと確信しながらやろうが確信犯である、とするのが言語的には当たり前ではないか。つまり、かりに「確信犯」が法律用語なら、法律用語は単なるジャーゴン(専門用語、または隠語)でしかないのに、それをなまかじりした人間が「確信犯は誤用されている」と主張していると見るべきではないか。
「姑息」「穿った見方」「憮然とした表情」の誤用された例は私は見たことがないというか、私自身が誤用しているのかもしれない。「役不足」の誤用は知っているが、その誤用に対する正しい言い方とされている「役者不足」は、まるで新コロで役者がみんな休養して役者の数が足りなくなったみたいであるwww つまり、「誤用」にも理由がある(「正用」の言葉自体に問題がある)わけだ。ならば、それは果たして誤用として完全に否定するべきなのだろうか。
(以下引用)
「確信犯」の使い方の大半は誤用だ、という意見もあまり納得していない。「確信」の内容がどうであれ、何かを確信して犯罪を実行するなら、すべて確信犯であり、悪いことだと確信しながらやろうが正しいことだと確信しながらやろうが確信犯である、とするのが言語的には当たり前ではないか。つまり、かりに「確信犯」が法律用語なら、法律用語は単なるジャーゴン(専門用語、または隠語)でしかないのに、それをなまかじりした人間が「確信犯は誤用されている」と主張していると見るべきではないか。
「姑息」「穿った見方」「憮然とした表情」の誤用された例は私は見たことがないというか、私自身が誤用しているのかもしれない。「役不足」の誤用は知っているが、その誤用に対する正しい言い方とされている「役者不足」は、まるで新コロで役者がみんな休養して役者の数が足りなくなったみたいであるwww つまり、「誤用」にも理由がある(「正用」の言葉自体に問題がある)わけだ。ならば、それは果たして誤用として完全に否定するべきなのだろうか。
(以下引用)
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