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「暇つぶし」の人生論

或る人のツィートだが、いろいろと思考素になる話だ。必ずしも書かれた内容に同意するわけではないが。
第一に、「酒を飲む」のが習慣の人間は、酒を飲むことだけを黙々としているわけではない。一番多いのは、仲間や友人と飲むことだろう。酒は交友のガソリンであるわけだ。次に多いのは、酒を飲みながら本を読んだり音楽を聞いたりネットテレビで映画を見たりすることだろう。これらは、「酒+他の趣味」であるわけで、酒を飲む以外の暇つぶしはあるが、酒を伴うとより楽しいわけだ。
第二に、「暇つぶし」ということに関してだが、人生自体が生まれてから死ぬまでの壮大な暇つぶしである。で、仕事というのも「暇つぶし」としては有益なもので、何しろ1日に8時間も暇つぶしをさせてくれるwww だが、たいていは「面白くない」から最悪の暇つぶしだとも言える。しかし、カネが貰えるから、そのカネで、一日の残りの時間を楽しい暇つぶしに使うわけで、そのひとつが飲酒である。まあ、中島らもみたいに飲酒ではなく違法薬物を使う人もいるwww 酒のほうが、法に触れないだけマシかもしれない。
第三に、「教養とは(酒を飲まなくても)暇つぶしできる能力である」というのは、酒を敵視していること以外は同感だ。煙草なども「煙草休憩」というのがあるように、「精神を休めるお供」としては最高だが、酒同様に健康には悪い。美食もそうだが、気持ちいいことはたいてい健康に悪いのであるwww まあ、暇つぶしに絵を描いたりしたら「いい趣味ですね」と言われるが、酒を飲み煙草を吸うと非難されるのである。

人生が暇つぶしである、という観点に立てば、「他人や社会の役に立たなければならない」という重圧や束縛から解放されるのではないか。つまり「いつでも好きな時に死ねるのだ」と思えば気楽に楽しく生きられそうである。ところが、親兄弟や妻や子供や友人のことを思うと「死ぬに死ねない」となり、生きることが苦痛の連続になる。それは、ある意味、「自分の存在は他にかけがえのない貴重なものだ」という自惚れでもある。
だが、少なくとも、会社などの組織では「他にかけがえのない存在」など存在しない。総理大臣など、最悪の人間ばかりがその地位についているから、辞めたら大喜びされるくらいである。まあ、そういう「機能による存在価値」ではなく、愛情による存在価値は、また別ではある。機能に関しては、ひとつの歯車など、いくらでも取り換え可能なのである。むしろ、その歯車が表舞台で居座っているために、もっと有能な歯車の存在価値が世に現れない可能性が高いのだ。

(以下引用)


作家の中島らもさんが「教養がない人間は酒を飲む以外の暇つぶしが浮かばない」と言っていて「凄くいい言葉だなぁ」と思いました。つまり教養とは「酒を飲まなくて暇を潰せる能力」なのかもしれませんね。




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酔生夢人
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男性
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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