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子供という爆弾

話が錯綜していて、芥川龍之介の「藪の中」のように何が真実なのか分からない事件だが、ひとつ言えるのは、子供というのはどんなきっかけで自殺するか分からない、実に精神の脆弱なものだ、ということだ。
下の記事を読むかぎりでは、担任から「いじめの加害者のひとり」という誤解を受けたことが自殺の原因としか思えないが、大人の頭だと、そんなので自殺するか、と不思議に思える。また、実際にいじめをしたのかしなかったのかも不明である。これは、「いじめ被害者」とされている生徒の勘違いか、意図的な捏造か、それともいじめは実際にあったのか、調べても事実は分からないまま終わるだろう。少なくとも、自殺した少年は「自分は冤罪だ」と思っていたようだ。しかし、その悔しさを晴らす方法が「当て付け自殺」だったならば、その子供にとって自分の命というのはそれほど簡単に捨てられるものだったということで、自分が作文に書いた内容を裏切っている、ということになる。まあ、学校に出す作文に本音を書く子供などいるはずもないが、この記事の記者はその作文の内容を重視して「ドラマ」化しているようだ。
この担任の教師も暴力的な部分のあった教師のようだが、それとこの自殺とは無関係なことだと思われるし、おそらく誰が担任でもこの「いじめ事件」の処理をうまくこなすことは難しかっただろうと思う。その点では(おそらく教職を棒に振る可能性もあり)気の毒な被害者だという気もする。



(以下引用)





サッカー部でゴールキーパーとしてプレーしていた男子生徒のスパイクとグローブ。生徒は亡くなる前日にも試合に出場していた=鹿児島県奄美市で樋口岳大撮影 © 毎日新聞 サッカー部でゴールキーパーとしてプレーしていた男子生徒のスパイクとグローブ。生徒は亡くなる前日にも試合に出場していた=鹿児島県奄美市で樋口岳大撮影

 「担任が、息子や同級生たちの話をしっかり聞いてさえいれば、息子は死なずに済んだ」。死亡した男子生徒の父は、遺影の前で無念を語った。


 男子生徒は真面目で責任感が強く、勉強熱心で成績も良かった。小学1年からサッカーを始め、中学のサッカー部ではたった1人のゴールキーパーとしてチームを支えた。亡くなる前日もいつも通り試合に出場していた。残されたグローブは、繰り返しシュートを受けて擦り切れ、大きな穴がいくつも開いている。家族は仲が良く、生徒は学校での出来事をよく話していた。


 男子生徒が亡くなる約2カ月前の2015年9月15日にも、11月2日に欠席した同級生が授業後に泣きだしたことがあった。報告書によると、担任は「嫌なことがあったら話すように」と言い、同級生は生徒10人の名前と行為を挙げた。その中に「消しゴムのかすを投げる」と男子生徒の名前が挙がり、担任は生徒を指導した。


 生徒は帰宅後、母に「同級生がちょっかいを出してきたのに自分が怒られた」と不満を述べていた。11月4日に指導を受けた後の下校時にも友人に「意味が分からない。前もあった」「何で分かってくれないのか」などと語っていた。帰宅後に担任が家庭訪問した時、祖母が様子を見に行くと男子生徒は号泣していた。直後、生徒は命を絶った。


 「なぜ、息子は自殺をして罪を償うというところまで追い詰められなければならなかったのか。疑問に答えてほしい」。昨年5月の第三者委初会合で、父はそう訴えた。


 第三者委の聞き取りでは、日常的に暴力や暴言などがあった担任の指導が複数の生徒の証言から浮かび上がった。「ベルトをつかまれ、突き飛ばされた」「怒って教卓を倒した」「部活の練習でミスをした女子生徒にボールを当てた」「たばこの吸い殻の入ったコーヒー缶を顔付近めがけて投げられた」……。男子生徒らへの指導の際にも担任は別の生徒をたたいていた。


 11月4日の指導では男子生徒は当初、自分が同級生にしたことを思い出せない様子で、担任も「本当にちょっかいを出したのか」と疑うほどだった。しかし、担任はその後も謝罪をさせたり、叱責したりしていた。


 父は「担任の高圧的な姿勢が、無実の人に自白を迫る誤った指導につながった」と感じている。


  ◇   ◇


 男子生徒が毎日欠かさなかった自宅学習のノートにはびっしりと丁寧な文字が書きこまれている。一方、男子生徒の遺書は、同じ人物が書いたとは思えないほど乱雑で、殴り書きした筆跡だった。


 第三者委は遺書などから、人一倍責任感が強かった生徒が「言われなきこと」で担任から「(同級生が)学校に来られなくなったらお前ら責任取れるのか」と叱責されるなどし、心理的圧力を感じたと推察。さらに、家庭訪問で担任から「誰にでも失敗はある」などと言われたことで、男子生徒は、同級生をサッカーに誘うなど関係を保とうとした努力が否定され「これが失敗なら、これ以上どう頑張れというのか。もう、死ぬしか責任を果たせない」という怒りや絶望感を抱いたのではないか、と考察した。


 男子生徒は、亡くなる1、2カ月前の作文に、曽祖父から戦争体験を聞き「僕は、生きていることに感謝するようになった」と書いていた。戦争で左腕を失った曽祖父が右腕だけで抱きかかえてくれたことに感謝し「両腕以上の愛情で支えてくれた」と記していた。


 「息子は命の大切さも、家族から受けた愛情も十分に感じていたのに、命を絶たなければならなかった。同じことはどこでも起こりうる。どの先生も子供を追い詰める可能性があることを肝に銘じ、子供の立場に立って考えてほしい」。生徒の遺書と、作文を見つめ、父はそう訴えた。


  ■   ■


<男子生徒が亡くなる1、2カ月前に書いた作文>


 語り継がなければならないこと


 僕のひい祖父は、日本のために戦った一人であった。


 ひい祖父が若い頃、赤紙が届いてフィリピンに行ったそうだ。写真を見れば、堂々としていて、男らしかった。


 戦場に行ったが、左腕を無くして帰ってきたそうだ。左手に銃弾が貫通し、その後、破傷風になり、自ら左腕を切り落としたという。


 だが、ひい祖父はどんなときも決して涙を見せることはなかったという。


 そして年月がたち、僕が生まれた。ひい祖父はとても喜んでいたという。僕は成長していった。ひい祖父は僕と毎日遊んでくれていつも笑顔だった。とても幸せそうな毎日だった。


 そんなある日、ひい祖父は戦争について語ってくれた。空は米軍の飛行機、海は戦艦、陸上では銃弾が飛びかっていたという。また「絶対に戦争はしてはいけない。戦争をしても何もいいことはない。今はとてもいい世の中だ。幸せだ。お前は生きていることに感謝しろ」と、ひい祖父はよく語ってくれた。だが、ひい祖父も年をとり、しゃべれなくなっていった。僕は、生きていることに感謝するようになった。


 あなたは、一分、一秒を大切にしていますか。生きていることに感謝していますか。


 今、友達と遊んだり、会話をしたりしているのが僕の日常生活だ。あたり前のように感じるかもしれないが、戦争が起きている頃の時代の人々は、いつ友達や家族がいなくなるか分からないというのが、この頃の人々の日常生活なのだ。今、僕達はお金があれば何でも手に入る。


 しかし、お金で買えないものもある。


 一つは、命。ひい祖父は、僕に戦争について伝えることで、命の大切さを教えてくれた。戦争に行った友人も亡くなり、身内も襲撃されたという。戦争に対する怒り、悲しみは、はかりしれないものだと思う。


 だから、僕は、大切なものをすべて失うからもう二度とやってはいけないと思う。


 二つ目は、愛情だ。ひい祖父は片腕しかないのに、僕をよく抱きかかえていたという。そして、僕がふざけて高い所から落ちそうになったときに片腕で支えてくれた。僕にとっては、両腕以上の愛情で支えてくれたと思う。


 ひい祖父は、僕が六年生の頃の十二月に、家族に見守られながら亡くなった。僕もひい祖父の死に立ち会うことができた。とても落ち着いた表情だった。心の中でありがとうと言った。戦争に行ってつらい思いもたくさんしてきたと思うが、僕に語ってくれたことを僕は、語り継がなければならない。


奄美市の第三者委が認定した男子生徒の自殺を巡る主な経過


2015年9月15日 同級生が授業後に泣いた。担任に「嫌なことがあったら話すように」と言われ、同級生は男子生徒ら10人の名前と行為を挙げた。男子生徒には「消しゴムのかすを投げられた」とした。担任は放課後に10人を指導し、同級生に謝罪させた。男子生徒は、友人や家族に「同級生からやってきたのに、自分が怒られた」と不満を述べた


10月5日 男子生徒が家族に、担任について「意味の分からないところで怒る。目を見るのが怖い」などと話す


11月2日 同級生が欠席。同級生の母親が担任に「友達に嫌がらせを受けるので行きたくないと言っている」と伝えた


3日 男子生徒はサッカーの試合に出場


4日朝 同級生が登校。担任が紙を渡し「他の生徒からされた嫌なことを書くように」と告げる。同級生は、男子生徒を含め5人からされた行為を記入。男子生徒については「別の生徒が男子生徒に方言を教えて一緒に言ったりする」などと書く


昼 男子生徒が別の教室にいた同級生に給食を持って行き、「サッカーをしよう」と誘う


放課後 担任が生徒5人を指導。担任は男子生徒らに紙を渡し、やったことを書かせたが、男性生徒は何をしたのか思い出せない様子で、担任も「本当にちょっかいを出したのだろうか」と疑うほどだった。男子生徒は「自慢話の時、『だから何?』と言った。話を最後まで真剣に聞けていなかった」と書いた。担任は「責任取れるのか」などと5人を叱責し、謝罪させる。男子生徒は「意味分からんこと言ってごめんなさい。これからも仲良く遊びましょう」と言い、泣く。男子生徒は下校時、友人に「意味が分からない」などと不満を言う


午後5時40分ごろ 男子生徒帰宅


同6時ごろ 担任が事前連絡なしに男子生徒宅を訪問。生徒に「誰にでも失敗はあることなので、改善できればいい」などと言い、生徒は泣いていた。自宅は両親不在で、祖母らしかいなかった


同6時55分ごろ 帰宅した母親が首をつっている男子生徒を発見


5日 市教委が臨時校長研修会で「いじめた側の子が責任を感じて自殺した」などと説明


9~12日 市教委が教職員30人から聞き取り


18~27日 中学の教員が、サッカー部員と同じ学級の生徒、同月4日に担任から指導を受けていた生徒らから聞き取り


30日 校長が市教委に「(自殺の)原因は特定できなかった」とする基本調査報告書を提出。担任による指導の具体的な内容には触れず


16年1月8日 市教委が全校生徒にアンケート。「男子生徒がいじめてるとか見たことがない」などの回答。教員について「いきなり切れてたたく」「暴力を振るう先生が何人もいる」などの回答も


5月19日 遺族が市に第三者委の設置を申し入れ


8月16日 校長が遺族に「第三者委設立を(市に)お願いすることを再考できないか」などと発言


17年5月14日 第1回第三者委開催


18年12月9日 第三者委が市に報告書を提出








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「代表者」(権力主義者)は条件次第で寝返るもの

「ギャラリー酔いどれ」所載の「長周新聞」記事の一部である。


いわゆる「代表者」が存在しないことから、マクロン政府は

買収や妥協的な条件闘争 に持ち込めず、政策を抜本的に変更するか、

みずから退陣するかを 迫られる事態となっている。


というのが非常に面白い。これまでの革命の失敗は、「指導者」の裏切り、変節、内部の権力闘争(内ゲバ)などによるものであったとすれば、「代表者」が存在しない、という民衆運動は新しい革命の姿になるかもしれない。
とりあえず、国民の8割が反マクロンデモに賛同しているのなら、マクロン退陣こそが民主主義としての結論になるはずである。



(以下引用)赤字部分は夢人による強調。


3回目となった今月1日の行動には、フランス全土で13万6000人が

参加した。首都パリでは、凱旋門を臨むシャンゼリゼ大通りを

数万人の市民が埋め尽くした。

政府は大統領公邸を守るために5000人規模の機動隊を送り込み、

催涙ガスや警棒などで弾圧。 現在までに約600人が逮捕されている。

パリ中心部では、一部の過激派が商店や市民の車両にも危害を与え、

「暴徒」のレッテルを貼って弾圧を正当化する マクロン政府を助けているが、

世論調査では抗議運動への支持は 当初よりも多い8割以上に及び、

全土に広がった運動が沈静化する気配はない。


保守や革新を含む野党勢力や既存の政治団体とは 別のところから

行動が始まり、下から同時多発的に行動が広がっているのが特徴で、

「EU離脱」を主張して大統領選でマクロンと争った

ル・ペン率いる保守政党「国民連合」も、国政に議席を持つ左翼政党も

直接関与していない。

「保守・革新」の政治構造に対する 国民の強い不信感があらわれており、

参加者たちは 市民の蜂起で帝政を終焉させた

フランス革命で歌われた国歌「ラ・マルセイエーズ」を合唱し、

燃料課税の廃止にとどまらず、マクロン政府の退陣、政治への民主主義の実現、

大企業が一手に握る富を再配分して 国民の生活水準と購買力を向上させる

ことを求めている。


いわゆる「代表者」が存在しないことから、マクロン政府は

買収や妥協的な条件闘争 に持ち込めず、政策を抜本的に変更するか、

みずから退陣するかを 迫られる事態となっている。

これほど大規模で長期に及ぶ政治行動は、

1968年の学生らによる「5月革命」以来 50年ぶりといわれ、

「現代版 フランス革命」とも表現されている。


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「1割、6割、3割」構造

太田出版「ケトルニュース」より転載。
「1割、6割、3割」というのはなかなか鋭い捉え方だと思う。
特に、1割がヤンキーで、6割がそのヤンキーに怯えてそれに従う付和雷同層である、というのはまさに日本社会そのものである。

(以下引用)





日本の中高の教室には身分制が存在 「3割は被差別階級」の実態

『フェイクの時代に隠されていること』より イラスト:小田嶋隆
『フェイクの時代に隠されていること』より イラスト:小田嶋隆
Amazonより
『フェイクの時代に隠されていること』 著:斎藤環、福山哲郎

「最大多数の最大幸福」とは、政治(家)が目指す1つの考え方ではあるが、それによって社会の分断が進めば、世の安寧は失われ、幸福の総量はどこかで一気に目減りする。日本では長らく、格差の拡大を助長するような政策が取られ、“平等神話”は完全に過去のものとなったが、このまま格差拡大が進むことを、我々は指をくわえて見ているしかないのだろうか。7月13日に『フェイクの時代に隠されていること』を上梓した立憲民主党幹事長・福山哲郎と精神科医の斎藤環は、同書でこのように語っている。


 * * *
斎藤:私の個人的印象ですが、日本のシステム自体が6、7割の人々にとっての利益や幸福度を最大化する仕組みになっていて。残り3割が非常に苦しい思いをするような構造に、ずっとなっていると思うんですよね。


そう考えた根拠のひとつは、スクールカーストの存在です。中学や高校の教室のなかに身分制があるんです。生徒の上位1割がカーストの頂点で、彼らがクラスを牛耳っている。実はこれが成績上位者とかじゃなくて、いわゆるヤンキー層なんです、今はね。


そして6割がその取り巻きなど、あまり睨まれないで平和に暮らしている層です。残り3割がカースト下位者で、被差別階級なんですよ。オタクとかひきこもりはそこにいるわけです。クラスのいやなこと、掃除当番とか教材の準備とかは全部、この層に押しつけられる。というよりも、恐ろしいのは、彼らが自発的にやるんです、それを。自発的にやらないと睨まれるからという理屈で。


福山:変な意味の忖度をするわけですね。


斎藤:まさに忖度なんですよ。上位層の意向を忖度して、自分たちがいやなことを全部進んで引き受ける。やらないといじめられるという恐怖もありますが、そういうクラス内の「空気」があるんです。思春期以降、ずーっとこういう抑圧が続いていると、社会に出てからもけっこう深刻な影響が残ります。


福山:生活保護の家庭に生まれた子が生活保護になるのと同じような構造ですね。


斎藤:確かに同じようなところがあると思います。7割の利益最大化社会は、社会の平均的な幸福度は上げるかもしれないんですけど、3割の非常に大きな不幸をつくり出してしまうということです。事実、内閣府の調査でも、20代の若者の生活満足度は74%と非常に高い。でも私は、政治家の仕事は、排除された3割の不幸をどうするかということがテーマなんじゃないかと思うんです。


福山:その不幸を幸せに転換するためのサポートが政治の役割です。


斎藤:単純に再分配と言ってしまうのもあれなんですけど、どう3割の不利益を緩和できるかということですね。その3割のなかに、貧困層の他にも精神障害者とかひきこもりとか、そういった人たちの問題が含まれてくる。


福山:そのなかに、これから増えてくる低所得の高齢者とかも入ってきます。


斎藤:入ってくると思います。その層は本当に報われない状態で、放置すればその状態がますます固定化されていく。


福山:ますます社会の分断が激しくなるということですか。


斎藤:実質的には分断統治みたいなものなので、諍いはそのなかで起こるんですよ。


福山:わかります。要は3割のなかで諍いが起こるんですよね。


斎藤:階級闘争が起こらないんですよ。すごく巧妙な、それこそ江戸時代の士農工商みたいなシステムになっている。下の階層を見下し、排除することで成り立っている。「日本人って放っておいてもこういうのをつくっちゃうんだな」と、ついつい感心してしまいますけれどもね。


で、悪いことに、この構造で社会はかなり安定するんですよ。安定性というか、恒常性が高い。とんでもないことはなかなか起こらない。個人の自由や権利よりも、社会の治安や維持可能性を優先するということなら、かなりよくできたシステムでもあるんです。


福山:ですね。


斎藤:6割が支持していますから。その分厚い層を論駁するのはなかなか難しい。これにどう楔を打つか。この空気をどう変えていくかということだと思うんですよね。


福山:今、そこが構造的に崩れ出しているんじゃないかなと思うんです。


今、世帯収入が300万以下の人が34%です。斎藤さんの言われた数とちょうど一緒ですね。これ、1997年からずっと増えてきたんです。つまり中間にあった層からこちらへずぅ~っと落ちてきているわけですね。それでどんどん貯蓄もなくなっているんですよ。この層が増えてきている。斎藤さんが3割と言われた層が、実はもう4割近くにまで増えてきているんです。


斎藤:そうなっていますね、確かに。中間層が剥落しているんですね。


福山・そのなかで、「あいつは自分よりも貧しいんだからオレはこれでいいんだ」と思っている。斎藤さんのさっきの「1割・6割・3割」の話はすごくわかりやすかったんですが、私らが高校無償化をやるときに所得制限を入れなかったのは、その分断を避けたかったからなんです。


たとえば高校無償化をやって、所得制限を入れると、3割の子が無償化対象で、7割の子が無償化対象じゃないとすると、クラスのなかに親の年収とか地位とか、親の状況によって分断の亀裂を入れることになるわけです。なぜならクラスのなかで、「あの子は無償化対象だ」「あの子は授業料払っている子だ」というのが明確に色分けされるわけじゃないですか。そのことを私らは避けたかったんですね。


つまり子どもの可能性は、どんな親に生まれようが変わらないんだと示したかった。また、お金持ちで今は授業料を払っている子どもたちでも、親が突然亡くなったり、失業したり、離婚して片親になったりして、無償の3割の方に移動するようなことは、高校時代にいくらでもあり得るわけじゃないですか。人生ってそういうものじゃないですか。


でも、そのとき、無償の方に移ってきた子は、(2016年に発生した)「やまゆり園事件」の犯人が「措置入院させられた」と感じたのと同じように、傷つくことも含めていろんな葛藤が生じると思うんですよ。


そういう状態を回避するためには、所得制限なしに全員を無償化の対象にして、それぞれに自分の可能性を求められるようにしたいと思っていました。子どもはどんな家庭に生まれようが、チャンスが広がっている。それが当たり前の社会にしたかった。社会として子どもの可能性を等しく応援したいという考え方で、私らは所得制限を入れなかったんです。


だから6対3の分断線を薄く弱くして、社会の皆が普遍的なサービスの供給を受けられたり、教育の機会を提供するというのが、次の時代の社会のあり方じゃないかなと私は思っているんです。日本語では「ユニバーサリズム」のことを「普遍主義」と訳しますが、これがなかなかイメージしにくいんです。


斎藤:まったく同感です。オープン・ダイアローグはフィンランドで発祥したんですけど、フィンランドでは現在、ベーシック・インカムの実験がなされています。ベーシック・インカムの目的は、就労意欲の亢進なんですよね。普通は逆に考えるじゃないですか。定期的に一定額のお金を支給したら、皆働かなくなっちゃうだろうと。でも、そうじゃなくて、貧困という不安に曝されずに就労モチベーションを高める方が有効であるという考え方なんですね。


いつ貧困になっちゃうかわからないと余裕がなくて、非常にストレスフルな仕事を選んでしまってバーン・アウトしたりしやすい。とりあえずすぐには食うに困らないという状況の方が、ゆとりを持って自分にとってベストな選択ができるだろうということでやっているらしいです。


まだ結論は出ていませんけど、今のところいい結果になっていると聞きます。残念ながら日本ではベーシック・インカムは難しいとは思いますが、この社会実験が成功すれば、自助努力ばかりが強調されがちな福祉への見方も多少は変わるかもしれません。


ただ、今おっしゃったようにせめて教育の機会を均等にするとか、生活の最低条件を政府の力で揃えていくということが、非常に重要です。人間にとって一番ベーシックな安心感とか自尊感情とか、安全保障を政府が担保してくれることが重要だと思うんですよ。


苅谷剛彦さんが早くから指摘しているように、教育機会がバラバラだと、そうした格差がたまたま下層にいる子どもたちから自尊心や自発性を奪ってしまって、向上心が持ちにくくなってしまう。進学しようとか就労しようとかね。それで自暴自棄になって非常にキツい仕事についちゃったり、ニートになっちゃったりする。


いかに若い世代の自己肯定感にダメージを与えずに社会参加に導くかということを考えると、教育の問題は本当に重要です。経済的には無償化が究極の答えですよね。


 * * *
こんな時代に、否、こんな時代だからこそ教育が大切だという意見は誰もが納得できるはず。親の経済格差が子どもの教育格差に直結する状況を変えなければ、分断はますます進むばかりだが、果たして“上位層”が状況の変化を望むのかどうか……。


なお同書ではこのほか、忖度がなぜ暴走したのか、真実よりもフェイクが氾濫する理由、最悪の法改正案、高齢化するひきこもりなど、「政治の現場」と「精神科医療の現場」の視点から、この時代の裏で起こっていた事を解説している。


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日本は「人種の坩堝」となり、荒廃が進むだろう

「ネットゲリラ」の野次馬氏の言葉だが、これはまだ誰も言っていなかったことではないか。まあ、的を射ているか外れているかはまだ分からないが、面白い視点である。
なお、政府は人手不足を移民推進法(正式名称は知らない。)の理由にしているが、介護業界は超低給与のために人手不足なのであり、就職希望者はたくさんいるらしいし、東京オリンピック後は建設業界が人余りになるようで、つまり労働者不足ということは無いようだ。(大阪万博はそのために誘致したのではないかと思う。つまり、バックで大手建設会社が糸を引いている。)
いずれにしても、移民法によって日本の国体(という言い方は「天皇制君主主義」を意味するのが普通だが、ここでは「国や国民の基本的性格や特徴」としておく。つまり、日本には日本の国体があり、アメリカやフランスやイギリスやロシアや中国にも、それぞれの国体がある。)はまったく違うものになるだろう。TPPによる政府や国民の主権喪失と合わせて、日本という国は完全に消滅した、と言っていい。


(以下引用)


なんで移民を急ぐかと言うと、北朝鮮の改革開放が近いからだろう。北朝鮮は教育レベルも高いし、おかみに逆らわないという従順な性格で、マジメで良く働く。中国、韓国、日本、ロシアで、北朝鮮の出稼ぎ労働者を奪い合う時代が来る。だから、自民党は移民を急いでいる。



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アメリカに残る民主主義精神



ここで言われている大リーグの様子は、さすがに民主主義の本場という感じがする。最近のアメリカは政治的には民主主義が形骸化して資本家の傀儡政権ばかりだが、実生活では民主主義精神というのが残っているのだろう。
簡単に言えば、「上下関係より横の関係(基本的な平等さ)を重視する」ということである。つまり、「役職の権限は尊重するが、それ以外の部分では個人としてはみな平等」というのが民主主義の精神ではないか。だからこそ選挙ではどんな人間でも平等に一票が与えられるのである。その一票を平気で放棄している国民の国が民主主義になるはずがない。

(以下引用)



https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181208-00000133-sph-base
 イベントの途中、和久田氏から発言を求められた岩隈は、日米野球界の考え方の違いを指摘。
「アメリカは選手同士がみんなリスペクトしているから、誰かがエラーをしてもその選手のせいにはしない。監督のコメントでも選手のことを悪く言うことはまずない。日本はすぐに責任問題にしてしまうところがあるなと。
チームが連敗している時にミーティングをするけど、日本では中心選手、リーダー格の選手が話して終わることが多い。アメリカはルーキーだろうが、試合に全然出ていない選手だろうが関係なく、自分が思ったことを発言する。
たぶん日本だったら『何でお前が発言してるの』となる。全員がリスペクトし合っているから、メジャーという舞台は力が発揮しやすい場所なのかもしれない」と発表した。

 ちょうど、日本では部活動において「力の不均衡」などからいじめが起きやすい、という話題を議論していたところだったこともあり、参加者たちからは岩隈に大きな拍手が送られた。

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専門家集団(玄人)の糾弾すべきところと擁護すべきところ

まあ、多くの素人がマスコミや政界や芸能界や学会、すなわち「玄人の世界」の暗部について知るようになったのは大いに結構だと私は思うが、些細な玄人知識をひけらかして、たとえば寿司屋で「お愛想」なんて言い出すと、玄人に陰で笑われて当然だと思う。素人は、素人の分際を心得るべきである。
玄人には醜い部分はたくさんあるが、その世界の一員になるまでの苦労は(二世三世議員以外は)膨大なものだっただろうし、その世界の権威や権力者に従わないと追放されるだろうから、安易に個人批判はできない。
ただし、そういう「世渡りの義理」とは別に、その存在自体が世間一般に大きな害悪を及ぼすのが、たとえば「原子力村」や電通のような存在である。
特に電通はいわば、マスコミの影の支配者であり、日本国民全体を洗脳しているわけで、どれだけ糾弾しても嘲笑してもいいと思う。私がAKBやワンピースが嫌いなのは、その売り方の根底に「電通的なもの」があるからだ。映画界の凋落の根底にも「電通的なもの」がある。つまり、映画の主役にアイドルタレントを強引にキャスティングする手法などだ。要するに、日本の文化全体の堕落と劣化の根底にあるのが「電通的なもの」であり、電通とは資本主義精神の象徴と言っていい。
  1. 小田嶋隆‏ @tako_ashi 12月5日
  1. 30年前は、たとえばドラマのキャスティングについて「この役者はどこどこのプロダクションだから誰々のバーターでハメこまれたんだろう」みたいな話をする人間は、局周辺にタムロしている半可玄人に限られていたのだが、昨今ではそこいらへんの中高生が「バーニングのタブー」を語っていたりする。
  2. 5件の返信 62件のリツイート 120 いいね
  1. この場合の「素人」は、たとえば「内角に食い込むシュートボールを打つ時の左肘のたたみ方を解説する非野球経験者」や「キャラがカブってるとか天丼がどうしたとか芸人のテクニカルタームを使ってお笑いを批評したがる観客」だとかを含めた、専門家目線ないしは玄人ワナビーの一般人を指しています。
    1. ツイッター上には「ネーミングそのものの評価はともかく、悪趣味な煽りで注目を引いたことは成功と見なして良いのではないか」的な見方が溢れている。ネーミングそのものの評価はともかく、この種の代理店っぽい一歩引いた解釈を振り回しにかかる素人が大量発生していることの方に不快感を覚える。
    2. 13件の返信 671件のリツイート 1,392 いいね





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ペレスプラードでもラブドールでもない大統領

「ロペスオブラドール」とは覚えにくい名前だが、写真(コピーできず)を見ると、人格の良さそうな顔だ。ただ、現在の「地上の地獄」メキシコに必要なのは人格者ではなく、フィリピンのドゥテルテ大統領のような、犯罪者は皆殺しにする勇気を持った人間だろう。
だが、貧困対策をちゃんとやるという意思を見せているところは、バックにユダ金や米国政府などがいないまともな大統領だと思える。





メキシコ新大統領 発表

メキシコのロペスオブラドール新大統領は就任翌日の2日、東部ベラクルス州で「汚職まみれの政治家が使っていた政府専用機やヘリコプターを全て売却する」と表明した。大統領専用機を含む飛行機60機とヘリコプター70機を売って貧困対策などに回す‼️


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酔生夢人
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仙人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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