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「英語を話す」と「英語で話す」の違い

「現代ビジネス」記事の一部を転載。
この記事は、東大・京大・早大・慶大を出て一流企業に入社し、社内で頭角を現わしてMBA取得のために米国に派遣された4人が合同で書いたものである。
まあ、いわば、学歴エリート集団と言っていい。ここでは「英語力」についての部分だけ抜き出した。
要するに、「英語を話す」のではなく「英語で(聞き手が聞く価値のある内容を)話す」能力が大事だ、ということだ。言い換えれば、文化的教養や社会的好奇心、政治への関心などの無い人間が口先だけペラペラと英語を喋っても、本物のエリートにはなれないということである。
さて、日本の政界、官界、学界、経済界にどれだけ本物のエリートがいるだろうか。



(以下引用)



英語の教育にも疑問


日本でも英語を身に着けることの重要性が広く認識されはじめ、学校だけでなく私の働く企業でも力を入れて取り組んでいる。しかし、日本人の多くは英語の真の重要性を分かっていない気がする。



小学校時代をアメリカで過ごした後に日本に帰国した、いわゆる帰国子女の私は、日本で英語力を評価するテストとして有名なTOEIC・TOEFLはどちらもほぼ満点を取得している。TOEFLについては過去スピーキングセクションで満点以外取得したことがない。はっきりいって、英語には自信があった。



しかし、アメリカに来てすぐに、自分の英語力が世界では全く通用しないことに気づいた。それは「英語を話せる」「英語を聞き取れる」だけが英語力ではなかったからだ。そのことを、私は重要な就職面接で撃沈したことで痛感した。撃沈の理由は、英語が話せなかったことではない。詳細は長くなるので割愛するが、私が面接官がもとめるアメリカの文化や消費者の選好を理解しておらず、きちんとコミュニケーションができなかったことだ。



大切なのは相手の懐に入るための「学問では習得できない英語力」とも言えるだろうか。英語の発音や聞き取り能力だけではなく、何より大切なのは英語を「使って」のコミュニケーションなのだ。「会話をする人の環境を知ること」が英語コミュニケーションの重要ポイント」と言える。これらは机で学べる英語ではない。



自分から動いて相手を知ろうとする態度こそがここでは求められる。これがグローバル化する社会で逞しく生きるために必要な素養だとすれば、正直に言って今までの私はその重要性について意識を払えてはいなかった。日本の英語教育が悪いとか、こうすべきとだかを言いたいわけではない。ただ事実として、日本国内において間違いなく「すごいね」といわれるレベルの「英語力」をもつ私はグローバルの環境におけるコミュニケーションの場で苦戦している。



私は企業という枠組みの中で上手く生きることやテストというルールで勝負することについては間違いなく得意なほうだと思う。しかし、それだけで本当によかったのだろうか。このコラムで語られる懸念が、私の取るに足らない杞憂であり、世の多くのビジネスパーソンにとって、一笑に付すものであれば幸いである。








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惰夫をして起たしむ





パリのデモは(大手メディアの報道とは逆に)鎮火する気配が無いらしいが、赤いフードのオッパイ丸出し軍団が現れた、ということで、やはり民衆を率いるにはオッパイ丸出しに限る、かwww なお、パリは気温0度らしい。女性は皮下脂肪が厚いとはいえ、大変だ。



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国の代表はファッショになるよりファッションに気を使うべし

前に本庶教授の着物姿の良さについて書いた時は、1枚の写真を見ての個人的感想だったが、同じ感想を持った人は外国にも多かったようだ。
ファッションという点でその対極にあるのが、安倍首相のゴルフ姿である。夏場だろうが何だろうが、下腹の出た老人が半ズボン姿というのは見苦しい。あれほど醜いファッションは稀だろう。まあ、当人の頭の悪さや美的センスの無さが表に出ただけだろうがwww


(以下引用)


海外「日本人は気高いな」 羽織袴で授賞式に出席した本庶教授に世界から賞賛の声

ノーベル賞の授賞式が日本時間の11日未明にスウェーデンで行われ、
医学・生理学賞に選ばれた京都大学の本庶佑特別教授に、
受賞記念のメダルが授与されました。

本庶教授は授賞式に、紋付羽織袴姿でご出席。
和装での出席は1968年文学賞の川端康成氏以来50年ぶりの事でした。
袴姿で出席された理由を問われた本庶教授は、
「日本で研究してきたので和服がふさわしい」と語っていらっしゃいます。

本庶教授の紋付羽織袴は外国人にも感銘を与えており、
特に欧米以外の国の方々にとっては、非常に特別な光景に思えたようでした。

中国「日本はアジアの誇りだ!」 本庶教授のノーベル賞受賞に賞賛と羨望の声

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翻訳元



■ 伝統衣装に身を包んだホンジョ教授、カッコ良すぎます! +21 アメリカ




■ 日本の伝統衣装を着て表彰式に出席したという事実が最高。 +43 アメリカ




■ 科学者としても、人間としても本当に素晴らしいお方。 +4 ボリビア




■ ホンジョ先生、素晴らしいハカマをお持ちでいらっしゃる。 アメリカ




■ JAPANNNN!!!
  ホンジョ教授は愛国者だね……。
  欧米人は度肝を抜かれたかもしれないけれど……。 トルコ




■ 日本は本当に尊敬に値する国だ。
  近代化以降、科学面、技術面、政治面、文化面、社会面、
  様々な面で特筆すべき偉業を達成してきたんだ。
  その事はただただ見事であって、敬意を抱かざるを得ない。 +2 モロッコ




■ 謙虚な研究者が賞を受賞したのね……。
  お二人の立ち居振る舞いを見るだけでそれが分かる。 +5 ブルガリア




■ 伝統衣装を堂々と着てる姿が本当にカッコイイ。 +1 タイ




■ 異例という訳ではないんだけどね、
  以前にカワバタ・ヤスナリさんも着物姿で出席したから。 国籍不明




■ 表彰式の映像で私が一番目を奪われたのは日本の伝統衣装❤️
  ホンジョ教授は科学の世界のサムライね。 +6 リビア

海外「日本は唯一無二の国」 本物のサムライ達の写真に外国人感動




■ すごくハンサムに見える。本当に素敵。 +7 アメリカ




■ 間違いなく受賞に値する。
  ハルキ・ムラカミも文学賞を受賞してくれたらいいんだけど。 +3 ベトナム




■ 僕も首が締まって窮屈なスーツよりハカマを着たい。 +2 アメリカ




■ とても高潔で落ち着いて見えますね。
  日本の伝統的な衣装を選んでくださって本当に良かった。 +17 アメリカ




■ ビューティフォー。
  日本の伝統では正装なんだもんね。カッコいい! +4 アメリカ




■ 尊敬します。素晴らしくエレガントだ。 +3 イギリス




■ 映画の世界から飛び出してきた人みたいに見える……。 タイ

海外「世界的大スターだった」 戦前に全米の女性を虜にした日本人俳優 早川雪洲




■ 「洗練」ってこういう事だよなぁ。
  俺も一度着てみたいけど、サイズの面で難しいかも。 +1 オーストラリア




■ 日本の伝統衣装に身を包んでると、より知的に見える!! +1 イギリス




■ 日本人は気高いな。自分の国や文化や言語を大事にしてるんだ。
  その姿をみんなも見てくれ! +7 アルジェリア




■ 着物はフォーマルな衣装なんだから問題ないよね? +5 アメリカ




■ 表彰式に見合った衣装だよ。
  教授のあの威厳に満ちた姿を見てよ。 アメリカ




■ 自分たちの伝統を残そうとする姿は美しいね。 スウェーデン




■ ノーベル賞は欧米人たちの為の賞。
  彼らが優越感に浸るためにあるんだよ。
  その辺りはオスカー賞と変わりがない。 +13 国籍不明

海外「白人国家ばかりじゃん」 日本は5位 『世界最高の国ランキング』が話題に




■ 教授は自国の伝統を誇りに思ってるんだね。
  いつか伝統衣装を着て国際会議に出るエジプト人が出てきてほしい。
  素晴らしい光景だと思うんだ。 +7 エジプト




■ 一分の隙もないってくらいカッケーわ。 +20 国籍不明



   ■ うむ。教授は完璧に着こなしてるな。 +9 国籍不明



■ 伝統衣装に身を包んだ姿を見て、
  ホンジョ教授に対する敬意がさらに高まった! +4 エジプト




■ 科学と、文化と、伝統の融合ですね。 +3 スウェーデン




■ 伝統衣装で表彰式に参加された日本の科学者に敬意を表します。 +16 タイ




■ あのモンツキのカモンの種類が分かる人いませんか? +3 国籍不明

海外「日本の家紋カッケー!」 日本の家紋のデザインが外国人に大好評



   ■ たしかハカマのロゴは家の紋章だよね。
     彼の家紋か関係する大学の校章なんじゃないかな。 +2 国籍不明



■ 教授は素晴らしい選択をされた。
  比較すると燕尾服が退屈なデザインに見えてしまう。 +2 オーストラリア




■ 皆の衆、品格とは教授のような佇まいを指すのだよ。 +3 カナダ




■ いつか、そう遠くない未来に、僕の国の人間が伝統衣装を着て、
  ノーベル賞授賞式に出席出来る日が来る事を願ってる。 +30 フィリピン



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今の時代に過労死という狂気

私が不思議なのは、なぜみんなあれほど努力をするのだろう、ということである。
いや、努力するのが好きな人はすればいいし、天才というのはその仕事そのものが好きな人でないと天才としての結果は残せないと思う。だが、それ以外の人は、普通に仕事をすればいいのであって、社員がその仕事をするのに苦痛があるようでは、経営者失格なのではないか。
そして、苦痛の無い程度で仕事をして、その中で優秀な数名が少し高い給与を貰えれば、それでいいと思うのだが、どうも世間の人間は、おそろしくくだらない仕事にまでも死ぬほどの努力を求めているような気がする。
だいいち、もう少しすれば、人間のやる仕事の大半は機械に置き換わるという話もある。そうすれば、仕事をするために死ぬほどの努力をする、というのは過去の遺物になるのではないだろうか。むしろ、「仕事をする」のは趣味になるのではないか。


(以下引用)




さんがリツイート

『死ぬほど仕事をしろ!死なないから!』

生き残った人「そうだな。仕事は続けた方がいいな。」

生き残った人「この人の言う通りだ!」

死んだ人「…」

死んだ人「…」





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人を殺しても無罪?

こちらは産経新聞ネット版からだが、NHK版とまったく同じ内容で、文章まで実によく似ている。つまり、こういう結果が出ると最初から分かっていて、記事内容も「こう書け」とどこかから指示されていたのだろう。
なお、「補充裁判員の女性」の発言も私には理解できない。「遺族感情」を考えたら、有罪に投票すべきだと私は思うのだが、この無罪判決(裁判を行ったことに対して、と言っているが、結果的には「無罪になったこと」に、となる。)に満足している、というのはどういうことなのか。

(以下引用)






 死刑確定後、別の2件の殺人事件への関与を告白し、殺人罪に問われた指定暴力団住吉会系元会長、矢野治(おさむ)被告(69)をめぐり東京地裁で13日開かれた裁判員裁判の判決公判。死刑囚が被告となった初の裁判員裁判で、裁判員は有罪となっても新たな刑罰が科されない事件を判断することになった。結局、告白の目的が「死刑執行の引き延ばし」だとされ、無罪という結果に。証拠も乏しく、審理を終えた裁判員からは困惑の声が漏れる一方、被害者遺族の気持ちを踏まえ、意義を強調する意見も出た。


 刑法は「確定死刑囚に他の刑は執行しない」と規定しており、有罪となっても処遇に影響はない。だが事件の真相解明を求める遺族らは公判に期待を寄せた。「誰に殺されたのか真実が知りたい」。公判では遺族の調書も朗読された。


 ところが、矢野被告は公判で「(告白は)虚偽」と述べ無罪を主張。裁判終結まで死刑の執行はないため「告白は執行の先延ばし目的だったのではないか」(捜査関係者)との見方も広がった。


 いずれも20年以上前の事件で、関係者の多くは既に死亡。直接的な証拠がほとんどない中、裁判員は難しい判断を迫られた。


 裁判員を務めた50代の男性は「証拠をみても話し合いをしても最後まで何があったか分からず、もやもやした気持ちがあった」と振り返った。補充裁判員の女性会社員(33)は「延命目的との話も出ていたので、裁判をしたら相手の思うつぼなのでは、と思ったが、遺族の気持ちを考えると裁判はやる意味があったと思う」と話した。


 遺族の代理人弁護士は「これ以上控訴されても、(死刑執行が)一日一日と延びるだけで、遺族を振り回すことになる」とし、東京地検に控訴しないよう求めたことを明らかにした。







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容疑者が犯罪の証拠となる事実を自白したのに無罪になる不思議




容疑者本人が被害者の遺体の在り場所を告白し、その言葉通りに遺体が発見されたのに、なぜ無罪になるのか、私には理解できない。理解できる人はいるのだろうか。

20年前の事件だから物証が確認できない、と言うのなら、なぜ裁判を開いたのか。私には裁判が開かれたことそのものに何か背後に大きな力が働いたのではないかという気がする。

仮に、容疑者本人の自白が嘘だったとしたら、その告白のとおりに遺体が現れたことはどう説明されるのだろうか。唯一、合理的な説明は、警察はあらかじめ遺体の在り場所を知っていて、容疑者の告白だとして告白書を「作文」した、という説明だけだろう。つまり、警察による意図的な冤罪事件になる。そうなると、警察の責任は途方も無く大きなものになるはずで、そこを糾弾する必要が出てくる。
まあ、容疑者が暴力団組長だというだけでも私は死刑にすべき人物だと思うのだが。

なお、裁判員裁判でこういう判決が出たというのは、裁判員の選定に闇の力が働いたのか、あるいは裁判員たちが暴力団の報復を恐れたのか、あるいはどこかからカネを貰ったのだろう、としか思えない。


(以下引用)多分、NHKニュース ネット版より

殺人告白の死刑囚に無罪判決 東京地裁




死刑囚の元暴力団会長が、男性2人の殺害を告白する手紙を警察に送って発覚した殺人事件の裁判員裁判で、東京地方裁判所は「手紙の内容は信用できない」として無罪を言い渡しました。


無罪を言い渡されたのは、住吉会系の元暴力団会長、矢野治死刑囚(69)です。平成8年と10年に当時60歳と49歳の男性2人を殺害した罪に問われていました。

矢野死刑囚は、平成15年に前橋市のスナックで4人を殺害した罪で平成26年に死刑が確定し、その後、警察に行方不明の2人の殺害を告白する手紙を送って遺体が発見されるなど、2つの事件が発覚しましたが、裁判では一転して「手紙は出したが、内容はうそだった」などとして無罪を主張していました。

13日の判決で、東京地方裁判所の楡井英夫裁判長は、「20年以上の時がたち、主要な関係者が死亡し、発見された遺体から事件を解明することも困難な状況で、間接的な事実から判断するには限界がある」と指摘しました。

そのうえで、「手紙による告白が唯一の直接的な証拠だが、被告には死刑執行を引き延ばすためにうその告白をする動機が十分にあり、信用できない。殺人の実行犯などと認定するには合理的な疑いが残る」と指摘し、いずれの事件についても無罪を言い渡しました。

刑法では、死刑囚に対して新たに懲役などの刑を執行できないと定めていて、13日の判決にかかわらず、死刑囚の立場であることに変わりはありません。

裁判長は判決を言い渡したあと死刑囚に対して、「20年ぶりに告白して遺体が発見されましたが、遺族の方を混乱させ、つらい思いをさせたことについて私は大変遺憾に思います」と強い口調で語りかけました。

これに対して矢野死刑囚は、「ご迷惑をおかけしました。すみません」と述べて法廷をあとにしました。


無罪の判決について東京地方検察庁は、「判決内容を十分検討して適切に対処したい」というコメントを出しました。

遺族側「控訴しないで」

無罪の判決を受けて、平成10年に殺害された不動産会社社長の斎藤衛さん(当時49)の姉の代理人を務める米田龍玄弁護士が記者会見を開きました。

米田弁護士は「遺族の心境を代弁する」としたうえで、「矢野死刑囚は手紙で告白したにもかかわらず、裁判では否認に転じて何も語らなかった。殺害の実行犯は誰だったのかなど、真相が結局わからないまま無罪となったことは残念です」と話しました。

一方で、「告白によっておよそ20年ぶりに遺体が戻ってきたことは救いでしたし、被害者参加制度で裁判に参加して矢野死刑囚と法廷の場で対面できたことも1つの区切りとなりました。今後、検察が控訴してさらに裁判が長引けば、遺族が再び事件に振り回されて苦しみが続くことになります」と述べ、判決のあと、東京地方検察庁に対して控訴しないよう申し入れたことを明らかにしました。

裁判員の反応

確定死刑囚が被告となった裁判員裁判は初めてで、判決のあと裁判員と補充裁判員の合わせて7人が会見に臨みました。

裁判員を務めた50代の男性は、「被告が死刑囚なので、この事件で刑が執行されないことについて『これでいいのか』と自問自答を続けていましたが、被害者の遺族のためにも真実を追究して、明らかにしなければいけないと考えて、裁判に臨みました」と話しました。

また、補充裁判員の30代の女性は、「被告が死刑の先延ばしを目的としているという指摘もあったので、正直なところ、裁判をやることで死刑囚の『思うつぼ』になるのではないかとも考えました。遺族は、行方不明のままだった被害者の命日や、誰に殺害されたのかなどを知りたかったと思います。結果として無罪となり、悔しさはあると思いますが、裁判を開くことは必要だったと思います」と話していました。





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英語の社内公用語化は社員の大半の沈黙しか生まない

「泉の波立ち」から転載。
南堂氏は独断や偏見も多いが、ツボにはまるとホームラン級のいい記事を書く。これはそのホームランだろう。長いので、もしかしたら「余談」部分はカットするかもしれないが、その「余談」部分も面白い。

(以下引用)

2013年12月15日

◆ 英語の社内公用語化は?

 英語の社内公用語化を進めた企業は、どうなったか? 特に、日産自動車は? ──

 「グローバル経済の環境では、企業のグローバル化のために英語の社内公用語化を進めるべきだ」という動きがあった。
 では、そのてんまつは? この件は、前に下記項目で論じた。(前半は冗談で、後半は真面目。)
  → TOEFL で日本を弱体化 (2013年05月05日)

 そこでは、次のような例を示した。(いずれも外部の記事)
  → ユニクロ・楽天・グーグルほか 急増中!「英語ができて、仕事ができない」若手社員たち
  → 富士通で TOEFL 推進
  → 富士通、9500人削減 13年3月期最終赤字950億円
  → パナソニックで TOEFL 推進
  → パナソニックの巨額損失

 別項では、次のリンクも示した。
  → 楽天『kobo Touch』不具合の裏に社内公用語英語化の影響が!?

 ──

 さて。ここでは抜けている企業が一つある。それは日産自動車だ。日産自動車は、どうか? 
 まず、最近の経営実績を見ると、日産は特に悪いというほどではないが、自動車会社のなかでは1社だけ落後している感じだ。
  ・ トヨタはハイブリッド車が絶好調。
  ・ ホンダは新型ハイブリッドが絶好調。ガソリン車も。
  ・ 富士通は米国で新型車が絶好調。
  ・ マツダはスカイアクティブなどで好調。
  ・ スズキとダイハツも軽自動車が好調。
  ・ 三菱も負債の完済などで、回復。


 このように各社は好調なのだが、日産だけは例外だ。中国市場では新型車の売上げが好調だが、これはモデルチェンジがそろっているからにすぎない。(シルフィ、ティーダ、サニー、ティアナ、中国専用車……というふうに新型車がいっせいに出たから、売上げも好調。)一方、中国市場以外の世界販売を見ると、日産の売上げはホンダにかなり後れを取っている。
 特にひどいのは電気自動車だ。これがちっとも売れない。その一方で、ハイブリッド技術の開発はほったらかしにしたため、ハイブリッド車では世界レベルの大メーカーでは1社だけ落後している感じである。(韓国メーカーにも負けているかもね。)
 
 ──

 日産は、ひところはゴーン社長の経営方針で、かなり復活した。しかしその後の成長速度が鈍化している。本来ならば(落ち込んだ分)他社よりも成長していいはずだが、他社にかなり負けている。それを如実に示すのが株価で、トヨタやホンダに比べて、株価は低迷している。
 ではどうして、日産だけが駄目なのか? 私はちょっと不思議に思っていたのだが、その理由となることがわかった(推定できた)。社内の英語公用語化だ。
 日産は、社内の英語公用語化を推進した。それで社員は英語をぺらぺらと話している……というふうに聞いていたが、実はそうではなかった、という記事がある。引用しよう。
 社内で会議をしたら、外国人はどんどん発言するが、日本人は端の方でもじもじ。
 経営会議の半数が外国人だから、放っておくと社員の評価も外国人の方が良くなる。
( → 朝日新聞 2013-12-15
 つまり、英語の社内公用語化を推進したら、社員は英語がペラペラになったのではなく、英語ができないまま口を噤んでしまったのだ。

 これは前項で述べたことに似てる。
  ・ 「魚が陸に上がっても、魚に足は生えない。魚が干からびるだけだ」

 この比喩と同様のことが、日産にも起こった。日産の社員は、新たな環境に適するように進化するのではなくて、新たな環境に適応できないまま、干からびてしまった。ちょうど、陸にほうりだされた魚が、足を生やす代わりに、干からびてしまうように。

 もう一度繰り返す。
 英語の社内公用語化を推進したら、社員は英語がペラペラになったのではなく、英語ができないまま口を噤んでしまった。……これが日産で起こったことだ。
 一方、他社ではどうだったか? 英語でなく日本語で社内連絡をしたから、社員は日本語で連絡し合って、盛んに情報を交換した。そのせいで、社内は活性化していた。
 日産で活性化したのは、上級職に当たる経営会議の外国人だけだった。日本人社員は口を閉じてしまったし、それ以下の専門技術者も蚊帳の外になってしまった。
 たとえば、何かエンジンのトラブルが起こったとして、それを報告するには、英語で報告しなくてはならない。

 例。
 「 The trouble of this engine are ~ 
 ええと。 are じゃなくて is だったか。冠詞はどうだっけ? 前置詞はどうするんだったかな?」


 なんてことばかりを考えていると、肝心のエンジンのことに割く時間は大幅に減ってしまう。こんなことじゃ、まともな技術開発はできません。

 ──

 さらに記事から引用しよう。
 11月下旬に都内で開かれたグローバル人材を育成するためのフォーラム。大学生ら500人近くが集まった。
 日産自動車の志賀俊之副会長は「ガラパゴス人材になるな」と大学生を挑発した。
 「日本でしか役立たない人はガラパゴス人材。日本ではとっても貴重だが、残念ながら海外では役に立たない」
 同世代の外国人と戦える力を備えよ、という学生への強いメッセージだった。
 アホじゃなかろうか? 学生に向かって「ガラパゴス人材になるな」と語ったところで、今さら英語がぺらぺらになるわけじゃない。そういうことは、大学生に語るべきことじゃなくて、それ以前のずっと若い人材に語るべきことだ。というか、むしろ、英語教育を推進する政府に語るべきことだ。今さら学生に向かって英語力を高めよと訴えても、ほぼ手遅れだ。

 そもそも大切なのは、英語力じゃなくて、技術開発力だ。英語力なんて、二の次だ。そんなこともわからないバカ社長だから、英語でゴーン CEO と会話することばかりに熱中して、日本人の優秀な技術者と会話することができない。そのせいで、日産の技術開発力は大幅に低下してしまった。ホンダやマツダが素晴らしい技術開発力を発揮しているのに比べて、最近の日産は目を覆いたくなるほどひどい。それというのも、技術開発より、英語力アップなんかに熱中しているからだ。
 「日本でしか役立たない人はガラパゴス人材。日本ではとっても貴重だが、残念ながら海外では役に立たない」
 それでいいのだ。ガラパゴス人材でいいのだ。社員に求められることは、技術開発であって、英語力ではないからだ。
 「海外では役に立たない」って、いったい、何を考えているんだ? 日本で研究開発をすることをやめて、アメリカや欧州で研究開発をする気なのか? それも、現地の社員でなくて、日本人社員で? これは狂気の沙汰だろう。
 日本人なら日本で研究開発をすればいい。米国人なら米国で。イギリス人ならイギリスで。それぞれの現地で研究開発をすればいい。なのに何だって日本人が外国で研究開発をする必要があるんだ? あまりにも馬鹿げている。
 つまり、「海外では役に立たない」なんていう発想をすること自体が、根本的に狂っているのだ。それはいわば、「魚は木の上では役に立たない」と言っているのと同じだ。「魚は水中で泳げばいい」ということを理解できず、「魚は空を飛ぶべきだ」とか、「魚は木登りをするべきだ」とか思い込んで、魚を空中や樹上に放り出そうとする。
 これこそ狂気の方針だ。それが日産の社長(現・副会長)のやっていることだ。
 志賀副会長は「グローバル化を進めれば進めるほど日本人が埋没する。とても優秀で勤勉なのに残念だ」と嘆く。
 残念だって、何言っているんですか。「グローバル化を進めれば進めるほど日本人が埋没する」とわかっているんでしょ? 自分の経営のせいで、そうなるんでしょ? だったらそれを改めるのが経営というものだ。
 経営が間違っていたら、「残念だ」と語るべきではなくて、経営を改めるべきなのだ。なのに大学生に向かって、「英語力をアップしてくれ」と頼む。自分の経営のせいで会社が傾いているのに、大学生に「英語力と技術力の双方を兼ね備えてくれ」と頼む。あまりにも他力本願だ。
 日産の社長(現・副会長)は、自分で経営を改善しようという意思がない。というか、それ以前に、自分の誤りを理解する能力すらない。あまりにも愚かすぎる。
 
 日産の社長に進言しよう。それほど英語力が大切ならば、文学部・英文科か、外国語学部・英語学科から、社員を採用すればいいのだ。そして、技術力なんかは無視すればいいのだ。日産で出世するために必要なのは、技術開発力ではなくて、英語力なのだから、英語力の高い社員ばかりを採用すればいいのだ。そうすれば、企業はどんどんグローバル化する。
 最終的には? 日産は、倒産して、外国企業に買収される。あげく、日本人社員はみんな追い出されて、外国人社員ばかりになるだろう。植民地になるようなものだ。そして、そのときこそ、「100%外国人社員になったから、グローバル化は完成した」と宣言できる。これこそ、社長の望むことだろう。



 [ 余談1 ]
 実は、英語の人口なんて、たいしたことはない。世界人口で最大の言語は、中国だ。だから、英語よりも中国語を推進して、社員も中国人ばかりにするといいだろう。日産を中国に占領されてしまえ。……そのときこそ、日産の「グローバル化」という理想はまさしく実現するのである。(そこをめざしているんだから。)

 [ 余談2 ]
 それにしても、ユニクロの社長 にせよ、日産の社長にせよ、「グローバル化」を口にする経営者というのは、どうしてこうもバカがそろっているんだろう? 「グローバル化」とは、つまり、「愚脳馬鹿化」のことなんだろうね。

 [ 余談3 ]
 楽天の事情として、求人広告の文書が転載されていた。下記。
 「カナダのKoboチームと時折コミュニケーションを行い、グローバルなベストプラクティスを実践していただくグローバルなオポチュニティです。」
( → ガジェット通信
 英語力がアップしたのではなくて、単に日本語力が低下しただけだった、ということかな。日本語でおk

 [ 補足1 ]
 志賀俊之は、2005年にCOO・代表取締役(つまり社長)に就任した。2013年11月に代表取締役副会長に就任した。
 本項では便宜上、「社長」と示しているが、正確には上記の通り。
 
 なお、この人が社長になったのは、有能だったからではなくて、英語が得意だっただけから、というような話がある。引用しよう。
 志賀氏は英語が得意でコミュニケーション能力に優れていることも今日までゴーン社長の女房役を続けられる重要なスキルである。日産はかつて役員の半数以上を東大卒が占めていた時代もあったが、ルノーと提携後は学閥などによる優劣は通用しなくなった。もっとも、彼らが日常業務で大きな功績を挙げても、「英語はペラペラ」でなければ、役員どころか、部長職にも昇進できない。語学の壁にぶつかり不本意ながら会社を辞めた有能な幹部社員は多い。
( → 分析「無能でも役員になれる人、やり手でも躓く人」
 この記事のタイトルの通り。英語さえできれば、無能でも役員になれる。英語ができないというだけで、やり手でも躓く。……それが日産という会社だ。実力主義とは正反対。単に英語だけに従属する。まるで語学スクールだね。

 [ 補足2 ]
 日産の社長について、こう記した。(上記)
 「そんなこともわからないバカ社長だから、英語でゴーン CEO と会話することばかりに熱中して、日本人の優秀な技術者と会話することができない」

 一方、これと逆のことをした人がいる。
   → 専門家と対等に話ができるようになる
 サンリオの米国子会社を経営した人がいる。彼は圧倒的な業績を上げたが、そこでは単に「専門家に任せる」というような方針を取らず、専門家と対等に話ができるように知識を習得していった。

 ひるがえって、技術のことを何もわからない社長が、会社の技術開発の方針を勝手にあれこれと決めたのが、日産だ。
 では、どうしてこういうことになったのか? 私の推測は、こうだ。
 「ゴーン社長が部下に意見を求めたとき、部下は英語ができないので、社長の方針に反論できなかった」
 要するに、英語の社内公用語化のせいで、まともな技術的な議論ができなくなってしまったのである。英語力のできる文系の人の意見ばかりがまかり通って、英語のできない技術者の意見は通らなくなってしまったのだろう。技術よりも英語力を評価基準にしたため、技術面では素人の意見ばかりが通ってしまったのだろう。
 これが「英語の社内公用語化」のもたらした結果だ。
 
 [ 補足3 ]
 志賀社長は、大阪府立大学経済学部卒。(国立大阪大の方ではない。)
 これじゃ、技術のことはとてもわからないだろう。歴任してきた職も、技術とは関係のない分野だ。
 思えば、ゴーン CEO も、文系の人だ。頭のいい人ではあるが、技術のことはわからない。そのせいで、「電気自動車に専念して、ハイブリッドを切り捨てる」という致命的な戦略ミスをしてしまった。

 さらに言えば、ゴーン CEO は、デザインのこともわからない。そのせいで、駄目な人にデザインを丸投げして、今日の日産のデザインの停滞を招いた。
 この件は、前にも論じた。
  → 日産車のデザイン
 ここに、次の記述がある。
 「日産車のデザインは、最近の車はみんなひどい。これも英語ばかりに熱中しているせいだろうか」

 本項とよく似た話題なので、上記項目も読むといいだろう。
 
 [ 補足4 ]
 日産のデザイン部門の責任者である中村史郎は、カルロス・ゴーンの就任直後にヘッドハントされて、デザイン本部長に就任した。それが 2000年である。以後、今日まで 14年間もの長きにわたってデザイン部門を牛耳っている。おまけに、この人はすでに 63歳という高齢者だ。
  → 中村史郎の経歴
 しかし、同一人物が 14年間も統括し続けていれば、人事は停滞するし、機構にも澱みが出てしまう。実際、日産車のデザインはひどいデザインになっており、そのまま刷新されもしない。
  → 日産車のデザイン
  → 日本車 vs 韓国車
 
 以上のことは、きわめて不自然なことだ。
  ・ 同一人物が 14年間もデザイン部門を牛耳っていること
  ・ ひどいデザインの責任を取らずに居座っていること

 どうしてこういう奇妙なことが起こるのか? ずっと不思議に思っていたが、本項を書いたあとで、推測した。
 「この人は英語が得意だから重用されているのでは?」
 早速、上記の経歴を調べると、まさしくそうだとわかった。いすゞに入社後、次の経歴がある。
 1981年米国アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン、トランスポーテーションデザイン専攻卒業。その後、GMデザイン勤務後、欧州デザインマネージャー、米国副社長、デザインセンター部長を歴任。
 海外在住歴がとても長い。これなら英語はペラペラだろう。そして、その特性ゆえに、ゴーン社長に重用されたのだろう。彼と英語で十分に意思疎通ができるデザイナーは、他にはほとんどいないと思えるからだ。(デザイン力と経営力を備えた人はいるだろうが、英語力まで備えた人は少ないだろう。)

 結論としては、こうだ。
 「英語重視」という方針ゆえに、人材の選択の幅が極端に狭められた。そのせいで、同一人物が 14年間も部門の長の座に居座った。失敗しても、停滞しても、14年間も居座った。そのせいで、日産のデザインは停滞して澱(よど)んでしまった。流れのない川のように。
 その代表的な例が、「醜い」と評される GTR だろう。また、最近のエクストレイルもひどい。スカイライン(インフィニティ)もセンスがない。これほどにも駄目なデザインを連発しながらも、英語力があるというだけで居座り続ける。
 英語は日産を滅ぼす。



 【 関連項目 】

  → 英語で授業:その是非

 「英語の授業を英語でやる」という、日本政府の方針。
 英語ができない生徒に、英語で英語を教えたら、どうなるか? もちろん、チンプンカンプンである。結果はひどいことになるに決まっている。
 楽天・富士通・パナソニック・日産は、「英語の社内公用語化」で会社をひどい状況にしてしまった。
 それと同じことを日本全体でやろうとするのが、日本政府の方針だ。富士通・パナソニックを倒産寸前にさせたように、日本全体を倒産寸前(沈没寸前)にしてやろう、ということか。
 ひどいね。





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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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