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体罰容認派の心理

いや、殴られれば「考え方」や「行動」は変わると思う。つまり、「これからは殴られないように、上手に悪いことをしよう」となるわけで、べつに反省したり悪事の後悔をしたりはしないのではないか。より悪い方向に進化するわけだwww
動物や幼児をしつけるのに軽い体罰は必要な場面もあるが、それは「言葉が通じない(相手に理解されない)」からであって、一定以上の年齢の相手には体罰は有害無益だろう。
そして、この先生の言いたいことは、おそらく「体罰容認派は、なぜ自分が殴られる立場になることを考えられないのか」という批判で、それは正当な批判だと思う。
なお、生徒が体罰容認派であるという場合も、「自分が殴られる羽目になることは決してない」という甘い想像によるものだと思う。死刑囚でも、銃の前に立たされても、最後まで自分が本当に死ぬとは思えない、という。それだけ人間の自己愛(自分への甘やかし)は深いということだ。
大人だから殴られない、ということもない。地位や身分がバックにあれば、大の大人(自分の部下など)を殴っても警察沙汰にもならないということもある。昔の日本陸軍はそういう体罰が蔓延しており、それが戦後の日本の教育界で体罰が正当化されてきた一因らしい。つまり、陸軍で殴り殴られてきた連中が教壇に立ち、体罰をしまくったということだ。



不注意なれこ @mnm55ky 11月9日

体罰と言えば、私の大学の発達障害を専門にしてらっしゃる先生が、「殴れば考え方や行動を変えられるっていうなら、僕、それを言ってる人を殴って考え方が変わるか試してみたいです」って言ってて、なんかすごい納得した。






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死は案外身近にある

「気の迷い」という言葉があるが、人は案外気の迷いでふらふらと自殺したりするのではないか。特に、世慣れない若いころはそうだろう。ある程度生きると、死ぬこと自体が面倒になり、惰性で生きるようになるわけだ。

例の神奈川の大量殺人(ある意味、自殺幇助事件)の被害者(と言っていいのか)のほとんどが若い女性であることから、若さというのは死と隣り合わせの時期であると分かる。何しろ、世間知が無いのだから、これから先、自分にどんな可能性があるのか、想像しようがない。自分が仄聞する程度の貧弱な情報や見聞と、自分の置かれた辛い境遇だけを見れば、ある若者層が死にたくなるのは当たり前なのである。
自分には何も取り柄が無い、という絶望を持つ若者は多いと思うし、それくらい謙虚な若者の方が私は好きだが、では、社会はそういう「取り柄の無い」若者にどのような未来を提示できるだろうか。契約社員か下層労働者で、家を買うことも結婚することもできない中高年が溢れている社会で、若者が希望に満ちた人生を思い描けると思える教師や政治家はアホの極みである。

まあ、貧困の中でも幸福な生活は不可能ではないが、それには「自分が所有しているものだけで満足できる」という精神が必要で、なかなか若者がそう達観するのは難しいだろう。

なお、下のコピペ(スレ)は、太宰治のある短編小説の冒頭部分の一種のパクリだが、それを知っている人はどれくらいいるだろうか。しかし、それはそれとして面白いコピペで、作った人は才気がある。ついふらふらと練炭を買うのだから、サンマが安ければふらふらとサンマも買うのはありそうなことで、つまり、死は案外安い(易い)ものだ、ということだ。





116:風吹けば名無し:2017/11/10(金) 16:44:24.04 ID:f6G78D+Gp.net
死のうと思って練炭を買った。安かったからサンマも買った。

1: 風吹けば名無し 2012/11/18(日) 22:44:16.55 ID:KNm7uo6h0
人生も悪くないと思えた。

なおなんJ民はこのスレは絶賛してた模様

121:風吹けば名無し:2017/11/10(金) 16:45:10.68 ID:TNSFfTjo0.net
>>116
これはあっさりしてていい
流石なんJ民って感じ


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堕胎は「殺人」か

「逝きし世の面影」記事の末尾の一節だが、問題として面白い。
「生きていることは死んでいることだ」は、何を意味しているのか分からないが、まるで禅問答みたいである。
「堕胎は殺人だ」は分かりやすいが、これはかなり昔(と言っても近代のことだが)から問題になっていることで、特にキリスト教圏では問題になるようだ。つまり、哲学的な議論の盛んな西洋では、こうした問題を論じること自体がある種の頭の体操にもなるのだろう。ひどい場合は、「針の頭で天使が何人踊れるか」ということすら議論されるwww
日本などだと、口減らしに堕胎をしたり嬰児殺しをすることが昔は割と普通だったから、自己主張のできない嬰児や胎児など最初から「生存権」はなかったのではないか。
つまり、子供というのは親の恩恵によって生かされているだけだから、それを殺そうが生かそうが親の勝手だという思想だったと私は思っている。
西洋渡来の人権思想によって子供の人権というものが考慮されるようになり、その延長で嬰児や胎児の人権というのも倫理的な問題として浮上してきたのであり、つまりもともと日本の思想風土には無い問題だったわけだ。
いや、誤解してほしくないが、私は子供や嬰児や胎児に人権は無いという思想を持っているわけではない。しかし、堕胎は殺人だ、と言われたら、すぐには賛成はできないのである。たとえば、レイプなどの結果、望まない妊娠をした場合、堕胎は殺人だから、必ず産め、とその女性に強要できるだろうか。あるいは、子供を産んだ結果、どうしようもない貧困に陥ることが明白な場合に、子供を産めと強要できるだろうか。その場合、母親となる女性の人権はどうなるのか、ということだ。
私の考えでは、胎児の意思や思考というものが確認できない以上(まあ、脳波などはあるのかもしれないが、明確な思考としては外部から認識はできないだろう。)、胎児はまだ人間ではないし、そうすると、堕胎は殺人とは言えない、と今のところは思っている。
もちろん、普通に成長すれば人間として生まれる存在を殺すのだから、平然と堕胎をするのは人間性としてどうかと思うが、まあ、世の中には偉そうな顔をしてマスコミや新聞やテレビに出ているサイコパスもたくさんいるわけだから、そういう連中より特にひどいとも思わないのである。

とりあえず、堕胎に関しては、太宰治ではないが「子供より親が大事と思いたい」ということだ。


(以下引用)



『死後を語らない仏教と、人の「死」の意味を積極的に説くキリスト教などの一神教の世界感の違い』

以前に付き合いのあった緻密で論理的な展開をすることが特徴のブログですが、唐突に『生きているとは、死んでいることだ』とカルト臭いことを言い出して一歩も譲らない。それ以外にも他のブログ主も『堕胎は殺人だ』と言い出して矢張り一歩も譲らず断絶状態になる。普通に考えれば、ほぼカルトなのです。
何とも不可解ですが、妙に『人の死』に興味があることが分かり、危ないので近寄らない様にしたが、如何もキリスト教の影響があるらしいのです。
ブッダは霊魂とか死後の世界については何も語らなかったが、逆にキリスト教やイスラム教など一神教では『死』とか死んだ後の世界にえらく関心があるので、これが影響しているのでしょうか。何とも不思議である。(日本のキリスト教徒は1%と圧倒的に少数ですが、なぜかインターネト『ブログ』では結構目立つ存在である。同じことが極左にも言えて、実世界なら沖縄県でイリオモテヤマネコやヤンバルクイナに出会える確率より低いが、ネット世界では普通に出会える)

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どこに視線を向け、何に価値を置くか

とあるスレッド(陽キャラ陰キャラを論じたもの)のコメントのひとつが、非常に鋭い。心理学的にこのコメントは正しいと思う。実際、外交的な人間が突然鬱病になる例は多いようだし、そのメカニズムはここに書かれたようなものだろう。
もちろん、陽キャラ陰キャラの優劣をつけるのはあまり意味がない話で、社会的には陽キャラが肯定されるが、当人の人生的にはむしろ陰キャラのほうが幸福かもしれない、ということだ。

まあ、一番賢いのは、陽キャラを演じる演技力を持ちつつ、その負担を苦にしない精神力も持つことだろう。社交とは基本的に8割までは演技なのだから、演技ができない人間は洞窟の中で一人で生きるつもりでもないと生きていくことはできない。(あるいは研究者や唯一無二の職人になり、業績だけで勝負するしかない。)





16. 自他とも認めるパーティマン  2017年11月06日 01:27  ID:Bn5T3Knd0
外向的な人間てのは、目に見えているものを重視する反面自分の感情に無頓着だったりする。人と話しているとき、人に気を遣う疲労よりも他人が自分との会話を楽しんでいるという事実が嬉しくて「人ともっと接したい」と考える。内向的な人はその反対やな。

だからいわゆる鬱になる人間ってのは外向的な人間なんやで。己の体や精神はボロボロなのに周りからの期待を一身に背負って無理するから、無意識の内に爆発してしまう。意外と病んでいる陽キャラは多いんやで、もちろんそんな姿は自分の外向性ゆえに滅多に見せないけどな。逆に内向的な人は内面と向き合いまくってるから、割とストレスのない人生を選択できるんやで。

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女性はありのままを嫌う



女性はありのままをきらう。ところが物事を言葉で飾ってみたまえ。女性はすんなり受け入れる。しかし、その言葉はよく選ばなければならない。女性はむき出しの言葉に憤慨するものだ。ずばりとした言葉にはおびえ、遠回しの言葉は大目に見る。粋な言葉は歓迎し、婉曲な言いかたにはほほえむ。さりげない言葉の中にいかに真実があるかを女性が知るのは、のちになってからーーしばしば、ずっとのちになってからである。たいていの女性は、和らげられた表現という危険な斜面の上で滑り、そこで転ぶ女性も多い。


       (V・ユーゴー「ファルケンブルクの斬首された騎士」の一節)

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女性と性的モラル

こういうことを書くと非難の嵐を受けそうだが、実は私は女性というものは(厳密には男性もだが)性的なモラルというものを本来は持っていないのではないかと思っているwww 
モラルというのは「禁止の体系」であり、不自然極まるものだが、社会制度の維持のためには必要とされており、男性より元来自然性の強い(それは子供を産むのは女性だけだということから来ていると思う。)女性は、性的モラルというものは「ピンと来ない」のではないか、と思うからである。まあ、そのモラルに反した行動を取れば社会的に非難を浴びることは分かっているから、モラルには従うが、渋々従っているのであり、本当は、「好きになった相手」なら、それがどういう相手(未婚既婚を問わず)だろうがセックスしたい、と思うのではないか。だから世間にはあれほど不倫が多いのだと思う。男の大半は弱虫で、自分の不倫の家庭や社会への影響を先に計算するから、男が自分から積極的に不倫行動に出るのは少数割合だろう。(なお、どういう男を好きになるかと言えば、「女性は自分を好きだと言ってくれた男性はだいたい好きになる」という法則があるらしいwww)
それは男でも同じだろう、と反論されそうだが、男の半数くらいは「美意識的に、あるいは哲学的信条からモラルを守る」ものだと私は思っている。たとえば、ハードボイルド小説の主人公は「自分で決めたルールを絶対的に守る」のがお決まりだが、男にはそういう馬鹿馬鹿しいところがあるので、これは女性から見ればそれこそ阿呆の極みに見えるのではないだろうか。
まあ、自然性の強い女性と、頭でっかちで観念に縛られやすい男性との違いが、このモラル問題の根本にあると思う。


なお、女性が「他の女性の不倫には厳しい」のはそういう姿勢を採ることのメリットから言って当然の話であり、だから女性が厳しいモラルを持っている、という結論にはならない。

これもついでに言えば、私は、モラル、特に性的モラルが不要だなどとはまったく思っていない。特に結婚制度は性的モラルと表裏関係にあり、不倫をするくらいなら最初から結婚するな、と思っている。独身だって、恋人がいるなら、その相手への守操義務があり、そうでないならお互いただの肉便器である。

下の記事の本筋とは違う話になったが、ある種の社会的才能が抜群の人間は、性的モラルに縛られて社会的に沈没するよりも「本業」で頑張ってくれるのが社会全体のためである。そういうことで、私は山尾氏を「政治的には」応援したい。




(以下引用)

山尾氏勝たせた女性の「現実」


逆風が伝えられた選挙戦だったが、山尾さんを待つ女性たちがいた=愛知県大府市で、2017年10月15日、田村彰子撮影




 意外な結果と言うべきなのか。既婚男性との交際疑惑が週刊誌に報じられたことで民進党を離党し、無所属で衆院選を戦った山尾志桜里さん(43)=愛知7区=が、834票差で自民前職との大激戦を制した。「逆風」の中、彼女を押し上げたものは何か。【田村彰子、斎川瞳】 


    「声届けて!」私生活より切実さ

     「今からそちらにうかがいますから、よかったら待っててくださいね」


     衆院選中盤の15日午後、愛知県大府市内には時折冷たい雨が降った。選挙カーの上でマイクを握った山尾さんは、集まった数人の女性にこう呼び掛けた。


     演説が終わると、山尾さんは聴衆の元に駆け寄り、子どもを抱き上げた。母親には「共働きなの? 実家が近くにないと特に大変だよね」と切り出し、子育ての悩みを話題にした。


     山尾さんは2016年2月、国会で「保育園落ちた日本死ね!!!」と題した匿名ブログを取り上げ、待機児童問題の解消を安倍晋三首相に迫り、注目された。今年9月の民進党代表選後、当選2回の山尾さんを幹事長に抜てきする人事案が固まった。だが交際疑惑が報じられたことで山尾さんは党を離れた。


     無所属で臨んだ今回の選挙。連合などの組織票は見込めず、山尾さんは「どぶ板選挙」を貫いた。陣営幹部によると、街頭演説と聴衆との握手に多くの時間を割いた。「臆せず逃げ出さず、市民の元に飛び込んでいくことが鍵になると感じたのです」と山尾さん。地元でいくら汗をかいたとしても「交際疑惑」は女性に嫌悪感を抱かせかねない。実際、街頭演説では「帰れ」といったヤジはあった。また、街頭演説を聴いていた女性(38)は「彼女と握手もしましたよ。でも、投票するかどうかは分からない。不倫疑惑が問題になるのかは分かりませんが、不審な気持ちは拭えません」と冷ややかだった。ただ、選挙戦では、山尾さんを応援している女性が目立った。


     その背景には山尾陣営が女性の支持を固める戦略を取ったことがある。選挙前は、喫茶店や個人宅などに女性を集め、騒動をわびるとともに声に耳を傾けた。そして「子育てや女性問題を取り上げる議員は少ない。だから私を使ってほしい」と訴え続けたのだ。


     その姿勢に女性は一定の理解を示したのか。子連れで集会に参加した女性(44)は「安倍首相に待機児童の解消を訴える姿をテレビで見ましたが『その通り!』と思いました。男性議員は私たちの深刻さが分かっていない。子育てに悩む女性を手助けしてくれるのは山尾さん以外には浮かばなかった」と話す。


     女性団体が反発するかと思いきや、そうでもなかった。これまでの衆院選では表立って山尾さんを応援しなかった「女性首長を実現する会 愛知」は支援を表明した。その声明文には「(山尾さんは)私たちの望む男女平等政策の実現に向け尽力している貴重な代議士のひとりです」と記し、彼女の政治生命が奪われれば政治状況が後退、悪化しかねないと表明した。事務局長の栗原茜さんは「私たちは、個人的なスキャンダルと政治家の資質は別だと考えています。さらに週刊誌が出た後『女性たちががっかりしている』という趣旨の報道がありましたが、『それは違う』と示したかった」と説明する。交際疑惑は支援に無関係と判断したわけだ。


     ブログに「保育園落ちた」と書いた女性は今、山尾さんに対してどんな感情を抱いているのだろう。交際疑惑は「疑われる行動をしたのはうかつだった」と批判するが、「国が待機児童解消へ動き出すきっかけを作ってくれたと思っていますので、とても感謝しています」と実績は相変わらず認めている。


     安倍政権は「女性が輝く社会」を掲げているが、成果は見えていない。その現実を変えたいと行動する女性議員--。山尾さんはその象徴なのだろうか。ブログの女性も「20年以上前から言われている待機児童問題は、国が本腰を入れていたら何年も前に解決できたのではないでしょうか。山尾さんには、これからも待機児童や女性にとって不利益な問題をバリバリ解決していってほしい」と期待する。

    脱「男性社会」への意思表示?

     山尾さんの当選を「男は邪魔!」「日本男子♂余(あま)れるところ」などの著書があるノンフィクション作家の高橋秀実(ひでみね)さんはこう見ている。「有権者は、プライベートではなく冷静に仕事ぶりを評価したのではないでしょうか。法律に通じている彼女を立法者として選ぶのは当然だと思いますね。それが国会議員の本業なんですから」。有能な候補だからこそ、有権者の支持を集めたと分析する。


     高橋さんは「優秀な女性はいっぱいいます」とも言うのだが、国会議員の男女比はアンバランスだ。スイスに本部がある列国議会同盟の調べでは、衆議院の女性議員の割合は解散前9・3%で193カ国中165位、選挙後は10・1%になった。


     この数字が示すように国会は「男社会」にほかならない。高橋さんは「軍隊や体育会系の流れなのか男性が多い組織は、先例主義だし、やたら序列をつけたがる。その結果が日程調整で物事が決まる今の国会じゃないですか。そのほうが男性は楽なんですよ」と話す。そんな慣習を女性ならば変えていけるのではないかと指摘する。「有能な女性議員が増えていけば、なあなあでは済まないでしょう。『うるさい女』と陰口を言っている場合じゃなくなり、きちんと議論しなければいけません。いっそのこと、国会で『自由討議』を増やして論戦を繰り広げてほしい。安倍首相は『女性が輝く社会』などと言っていますが、見本としてまず国会で実現すべきです。女性議員が増え、活躍すれば無能な人はいなくなるはず。その方が有能な男性議員だって輝けるんじゃないでしょうか」


     上智大法学部教授の三浦まりさんも女性の視点を政治に生かすべきだと主張する一方で「壁」の存在を感じている。「女性議員が政策を作りたいと希望しても実行するには、ポストを握っていたり選挙支援をしてくれたりする、権力がある男性議員の支持を取り付けないといけません。圧倒的に男性が多い中では発想や行動が必要以上に男性的になってしまい、女性の感覚と乖離(かいり)する恐れがあります」と説明する。そうした中でも山尾さんは女性の声を積極的に取り上げようとしていたと評価する。「女性候補者が多く、選択肢がある状況ならば、プライベートが気に入らないとの理由で投票しなくてもいいかもしれない。でも、女性議員が少ない現状では、有権者はマイノリティーの意見をすくい上げられる女性が必要だと判断し、山尾さんに1票を投じたのでしょう」


     女性議員が少ない現実があるからこそ、スキャンダルがあったとしても山尾さんを「女性の代弁者」として支持した層は大崩れしなかったのだろう。


     山尾さんは投開票が行われた22日夜、事務所で「赤ちゃんを抱っこしたお母さん、子どもの手を引いたお父さん、これほど女性や子どもたちの手を握った選挙は初めて。その真剣なまなざしに応えたい」と支持者の前で誓った。深夜も続けられた開票状況をテレビで見守っていた三浦さんは「組織に頼れなくなった分、より女性の切実な声を実感したのではないかと思います。山尾さんには女性の訴えを取り上げることを自分の使命としてほしい。また、各政党には、女性の声をすくい上げれば、組織力に頼らなくてもこれだけの票になるんだと気づいてほしい」と話した。


     山尾さんは女性たちの期待にどう応えていくのだろうか。






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    或る墓碑銘



    命ある間(ま)は陽気なるべし、
    やがて汝もいまの彼がごとく謹厳なるべければ。

         (フィールディング「ジョウゼフ・アンドルーズ」)


    *蛇足的に説明すれば、死体(いまの彼)を「謹厳」と言っているのが面白い、というだけのことだ。聖書に言う「幸いある日は楽しめ。悩みの日には考えよ」という言葉も私は好きである。
          

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