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情緒的・非論理的言説を見抜く目

「日々平安録」から転載。
『逝きし世の面影』(ブログではなく、本のほう)は、まだ読んだことがない。読まなくても、だいたいこんな本だろう、というのが想像がつくからだ。その著者の渡辺京二が何者なのかも分からない。文芸評論家なのか、社会評論家なのか。
で、下の文章中で紹介された渡辺氏の言説を読むと、相当に頭が混乱した人間のように思えるのだが、それでも断定的な口調で何かを語られると、ついそれに耳を傾けてしまい、「そうかもしれないなあ」という気持ちになるのが、頭の鈍い私のような人間の常だ。だから、そういう人物の著書は「読まないに限る」。
もちろん、読めば、中にはいいことも有益な知識もたくさん書いてあるだろうが、「独断的な人間」の怖いのは、洗脳能力の高さである。
その代表が小林秀雄で、彼の文章は、「一切の論証無しで、すべてを断定する」ような文章で、しかもその内容が面白いものだから、読んだ人を洗脳する力がすごい。私もだいぶ洗脳されたものだ。そうなると、それは私自身の精神の一部を形成しているのだから、今さら除去するつもりもない。(洗脳云々以前に、それまで考えもしなかったような「物の見方」を教えられた、という部分も大きい。)まあ、「欠点も長所も主観の問題だ」というのが私の主義だから、その「精神の偏り」を含めての自分なのだ、と考えている。ドストエフスキーなども私の精神を形成した(つまり洗脳した)重要な要素である。読む者が洗脳されるくらいの力が無い「軽い書物」を読むのはただの「気晴らし」であって、どうせ読むなら読者を洗脳するくらいの「凄い本」を読んだ方がいい、とも言える。若いころなら特にそうだろう。
というわけで、読書と洗脳(読書の影響力)という問題はここまでとするが、「日々平安録」管理人氏くらいの冷静な読解力(あるいは知性)があれば、読んだ本に洗脳されることも無いだろう、というのは少し羨ましい。若い頃はともかく、他者の愚劣な主張(あるいは非論理性)を見抜けないようでは社会人としての資格に欠けるだろうからである。


(以下引用)

2015-08-16

[][]渡辺京二対談集「近代をどう超えるか」(2)Add Star

   弦書房 2003年


 


 この対談集には、7人との対談を収めるが、榊原英資氏と中野三敏氏との対談は(1)でとりあげたし、また岩岡氏との対談「石牟礼文学をどう読むか」も一部論じたので、ここでは、大島仁氏との対談「9・11とグローバリズム」、森崎茂氏との対談「魂の飢えこそ思想の課題」の二つの対談を見ていくことにしたい。


 9・11が2001年で、この対談は2002年に行われている。渡辺氏は、自分は「資本制によって前近代的共同体が世界的な規模で破壊される過程が「近代」である」としているが、グローバリズムの実体は政治にあるのではなく、経済の世界での話であり、それは資本主義の新しい段階ではあるが、国家が主導したものではないと考えるという。


 9・11のようなイスラムテロリズムは、抽象的な観念によって社会を計画的に変えようとする思想の流れの中にある急進的な社会革命の論理にもとづいているという点で、スターリン主義や毛沢東主義と同じものと考える、自分の基本は個々人の尊厳を重んじるのが一番大切であるとする啓蒙である。抽象的な理念で社会を変革しようという革命の思想は近代が生んだ驕りである、という。


 キリスト教においては、近代化に直面したときにバチカンは中世的な神の理念を反省した。イスラム教ではそれができていない。世界を単純に善と悪に分け、自己を善とし、異教徒(悪)を改宗させなければならないとする。これはスターリニズムと同じ考え方である。


 政教分離ができていないから、思想的に自由な模索ができない。一番の問題はイスラム教普遍主義であることで、イスラム改宗すれば故郷を失わなければならなくなる。聖地がアラビア半島にあるのだから。それはイリイチのヴァナキュラーな(土地に根差した)ものを否定する。これも「労働者には祖国なし」とするマルクス主義と同じである。イスラム教グローバリズムなのである。


 米国こそが最大級のテロ国家であるというチョムスキーは、自分をヒューマンな立場に置いて、回りを攻撃する聖人なのである。己一人を高しとして、他を批判するのは、聖人的な自己満足を与えるだけで、何ら問題を解決するものではない。チョムスキーは理性主義を奉じるウルトラ原理主義者である。


 昭和初期の青年テロリストたちはすでに近代にさらされていたので、単純に農村共同体に帰りたいとしたわけではなかった。ただ資本主義の社会が共同体的なものや人間同士のきずなを破壊していくのを目のあたりにして、共同体的なものへの飢えを感じ、それを天皇投影した。そこまではイスラム原理主義と似ている。しかし北一輝も2・26の青年将校も近代を肯定していた。彼らは白樺派なのである。大切なのは個人だった。三島由紀夫も2・26にこだわったが、彼には近代化に置いてけぼりを食らった民衆への共感がなかった。北一輝や2・26の将校たちを動かしたものは悪い感情であるとはいえないが、北がもつ日蓮の霊的世界の部分は自分は苦手である。


 グローバリズム自体は資本主義の宿命である。問題はそれがもたらす世界の均質化である。伝統的な生活の根っこが押し流されようとしていることである。人間にとって大切なのは何らかの土地に生きて、具体性な食べ物や言語で生きることである。アフガンの子供たちは貧しいがいい顔をしている。グローバリズムがもたらす害を否定するには、生活民衆が自立するしかない。一人の人間がいて、家族、友人に囲まれた毎日の生活の中で、息が通うようないい世界をつくるのがまず第一となる。そこでは国家は関係ない。しかし同時にぼくらは国家の一員でもあるので、国家の行動に責任を負っていかなかればならない。(→自分たちの生活文化を守ろうとすれば、国民国家の立場をとらざるをえない。)


 土地の霊性に代表されるような生命の流れが現代文明によって圧殺されていることへの反抗がイスラムの過激主義の根底にあることは認めなければならない。フランスの現代文学を読むと、男女の関係にしても何と孤独な世界かと思う。


 自分は国家からも思想集団からも宗教集団からも縛られない個人でありたいが、一方で、人間の共同的なあり方は求めたい。


 ここまでが大島氏との対談での渡辺氏の論のまとめで、以下が森崎氏との対談。


 人の生はただそこにあるだけで価値そのものである。石牟礼氏とであって、それまでの自分の知識人的な個でない、ほんとうの生活民に目を開かされた。


 自分が抱えている問題は魂の飢えということである。


 古代や中世の思想の中には真善美の価値観が確固としてあって、人間はそれを目指せばいいという安心感があった。近代はそれをことごとく打ち壊した。それを極限まですすめたのがポストモダン思想である。しかし、人と人の交わりを成り立たせる原理、道徳や倫理は古今を通じて変わっていない。とすればそれは生物進化の過程に裏づけられているはずである。古今変わらざる真善美を信じるというのは自分の決断であり、選択である。しかし選択の対象は恣意的なものではなく、(進化の過程に)根拠づけられているとしか言いようがないものである。人間は事実問題として倫理を抱え込んでいるのであるから、それは生物的進化の産物としか考えられない。これは自分の信念の問題ではない。信念であれば、恣意であり、相対であるに過ぎなくなる。信念ではなく、人間が進化の過程で形成してきた揺るがぬ普遍的な価値なのである。それへの自信の回復が今日の最も大事な課題である。われわれは進化の過程でそういう感覚をもつような生物として形成されたのだという事実をもとにそれを取り戻さねばならない。


 


 9・11の事例がスターリン主義や毛沢東主義と同じというのがわからない。イスラム宗教であるのだから、社会主義思想も一種の宗教であるとするのであれば別であるが、


「抽象的な観念によって社会を計画的に変えようとする思想」とするのだから、そうではない。宗教は抽象的な観念なのだろうか? 宗教には個人の救済と民族(集団、共同体)の救済の二つの側面があって、もしも宗教が「個々人の尊厳を重んじる」方向のみにのみ特化しているとすれば、それは宗教として衰弱した形であるとする見方もあるだろう。近代化に直面したときにバチカンが中世的な神の理念を反省したのだとすれば、それは共同体を統合する力の衰弱を自覚して、カイザルのものはカイザルに帰しただけのことであって、政教が分離せず一元化しているイスラム教のほうが本来の宗教としての生命を保っているのかもしれない。宗教というのは人間の理性の判断をこえるものであって、理性の産物であるマルクス主義と同じに根のうえにあるとするのは無理な議論の進め方であると感じる。「個人が一番大切であるとする啓蒙」の立場にたてば当然、宗教というものは否定せざるをえないわけで、それが「抽象的な理念で社会を変革しようという革命の思想」であるか否かは関係がないはずである。


 政教分離ができていないから、思想的に自由な模索ができない、というのも変な議論で、思想的に自由な模索などというのは宗教の立場からすれば、神をも恐れぬ人間の傲慢ということになるはずである。


 イスラム教普遍主義であることが一番の問題なのだろうか? 故郷を失ってもあまりある何かが得られるからこそ宗教帰依するひとが出るのではないだろうか? マルクス主義だって同じで、普遍主義には普遍主義の魅力があるのである。


 チョムスキーは、自分をヒューマンな立場に置いて、回りを攻撃する聖人で、己一人を高しとして、他を批判しているというのはその通りであろうが、渡辺氏の論をみて、チョムスキーに似ていると思うひともいそうな気がする。


 昭和初期の青年テロリストたちは(あるいは北一輝)は白樺派なのだろうか? 白樺派のような微温的なものでは何も変わらないと思ったからこその行動なのではないだろうか?


 人間にとって大切なのは何らかの土地に生きて、具体性な食べ物や言語で生きることであるとするならば、亡命するひとたちは人間たることの資格を欠くのだろうか? 「アフガンの子供たちは貧しいがいい顔をしている」というのは、村上龍の「希望の国のエクソダス」でアフガニスタンのパシュトゥーン族の民族衣装を着たナマムギ少年がいう「あの国には何もない、もはや死んだ国だ、日本のことを考えることはない。・・すべてがここにはある。生きる喜びのすべて、家族愛と友情と尊敬と誇り、そういったものがある」というのを思い出させた。だが、ナマムギ少年は日本の土地と食べ物と言葉を捨てて、幸せなのだろうか? そこには、「家族、友人に囲まれた毎日の生活、息が通うようないい世界」があるのだろうか? ナマムギ少年は、国家の一員であることをやめ、国家の行動に責任を負うこともやめた。


 渡辺氏は「生活民衆の自立」ということをいうのだが、それはとても観念的で理念的で生活の実感をともなわない言葉であるようにわたくしには思える。「理性」の産物であるように感じる。「土地の霊性に代表されるような生命の流れ」というのもまた同じである。そういうものを感じ取れるひとは(少数であるのかもしれないが)間違いなく存在する。しかし、そういう感性というのは同時に宗教的な何かともきわめて親和性が高く、理性の対極にあるものではないだろうか?


 「自分は国家からも思想集団からも宗教集団からも縛られない個人でありたいが、一方で、人間の共同的なあり方は求めたい」というのは虫がよすぎないだろうか? これはあちらを立てるとこちらが立たないような二律背反に近い関係にあるのではないだろうか?


 「知識人的な個でない、ほんとうの生活民」というのも随分と観念的な言葉に思える。渡辺氏が抱えているという「魂の飢え」を「ほうとうの生活民」はみな感じているのだろうか?


 古代や中世の人間には安心感があったのだろうか? そもそもそこには「個人」がいなかったというだけはないだろうか? 近代が「個人」というものを持ち込むと、それは壊れざるをえなかったというだけなのではないだろうか?


 「人と人の交わりを成り立たせる原理、道徳や倫理は古今を通じて変わっていない」というのが一番わからない。この古今というのはいつからのことなのだろうか? というのがこれが「物進化の過程に裏づけられているはずである」としているからで、現在の進化の主流の見方では人間という生物を進化の過程から規定しているものは狩猟採集時代の生活であって、農耕以降の時代は進化の過程に組み込まれるには時間的に決定的に不足しているとされているからである。そうであるとすれば、「古今変わらざる真善美」というのが狩猟採集の時代に人間に組み込まれたことになるが。


 人間は事実問題として倫理を抱え込んだのは文明以降ではないのだろうか? 倫理というのは文明の産物であって、進化の過程とは無関係なのではないだろうか? 人間というのはきわめて弱い動物であったはずで、集団で生きるしかなかった。その集団を保持統制する上で宗教とつながっていくような何かが人間のなかに生まれたということはありうると思う。しかし人類などという概念をその頃の人間が持っていたはずはないので、ある数の構成された自分の集団の外にいる人間は敵であったはずである。そこから真善美などというものが生まれるだろうか?


 渡辺氏の「なぜいま人類史か」を読むと、進化ということで想定しているのはローレンツの論であるらしい。「ローレンツは、動物の行動の非常に大きいしかも重要な部分が生得的なものであることを明らかにしたのですが、さらに進んで、人間の儀式や伝統や習俗や倫理のもつ意味も、おそらくそれが生得的な行動様式によって基礎づけられているところにあるのではないかと考えました。そしてそこから彼は、伝統や倫理を合理主義的な批判によって解体する現代文明の動向に警告を発したのですが、そのためにこの偉大な生物学者は学問的な名声まで失墜する危険にさらされることになりました。・・ローレンツは文化には生物学的な基礎があると主張していることになります。これは重大な論点です。一般に、人間は文化を獲得することによって生物進化の法則から離脱したとされています。」 渡辺氏はネオ・ダアーウィニズムが嫌いらしく、「じつはローレンツの確立したエソロジーという学問はいまや、彼の弟子のティンベルヘンを経由してE・O・ウィルソンやドーキンスなどの社会生物学という、極端に戯画化されたネオダーウィニズム的畸形に到達している」などという。そして今西錦司などを「観念や知的なものの基礎に自然のいとなみをみいだそう」としたといって、ローレンツもそれに近いという。そして最後にはこんなことを言い出す。「この地球という実在系はしかるべき方向性をもって進化して来たのだ。その方向性はそのもっとも基礎には物理化学的法則性が存在するものであって、なにも神秘的な生気論は必要としない。意識も精神も文化も制度も言語も進化の産物である。その進化の方向性は一種の目的論的解釈を当然許容するものである。」


 日高敏隆氏はローレンツノーベル賞を受賞する以前からローレンツをふくむエソロジーの日本への紹介につとめた人である。その日高氏は、ローレンツの受賞(1973年)の直後に書かれたローレンツを論じた文で「西欧人には共通したことかもしれないが、《人間》の優越性という感覚と、それに対応すべき道徳感覚がローレンツの頭からはどうしても消しきれないらしい。つまりぼくからみれば、ローレンツはエソロジーの考えから逸脱しているようにみえるのである」といっている。渡辺氏はローレンツを援用することによって、人間のもつ道徳感覚も生物学的基盤ももつ進化に基礎を持つものとして説明できるとしているわけで、したがって道徳感覚も超越的な何かを持ち出すことなく自然科学的なものとして提示できているとしているようである。しかし、ローレンツはデズモンド・モリスの「裸のサル」という表現を嫌い、人間は「累積的伝統をもったサル」と呼ぶべきであるとするひとである。日高氏によればモリスのほうがエソロジーの考えに忠実なのであるが、生物学の正統(つまりネオ・ダーウィニズム)にいるドーキンスなどを渡辺氏は嫌うのである。日高氏は突然変異の累積だけで新しい種が生まれるだろうかという疑問を提出してほとんどの生物学者はそれを内心ではうたがっているとしている。


 このことでもわかるように日高氏は“種”の問題にこだわっており、ローレンツもこだわっている。ローレンツの仕事は今から50年も前のものでノーベル賞をとったけれども、その学問の基礎となったものは、渡辺氏が嫌いなネオ・ダーウィニズムのドーキンスらによって、今ではほぼ完全に否定されいるとしていいであろう。


 長谷川真理子さんの「進化生物学への道」は簡潔な学問的自伝のようなものであるが、長谷川氏が大学にはいった翌年の1973年にローレンツらがノーベル賞を取ったことが書かれている。そのころに長谷川氏も「刷り込み」とかを知ったらしい。長谷川氏もいうように、動物行動学によって従来からの本能と学習の二分法が通用しなくなっていった。長谷川氏は博士課程の2年の時にチンパンジーの言語訓練で有名なプレマック夫妻の来日のアテンドをし、その時に自分が書いている論文を見てもらい、「この論文は、観察事実としてはたいへんおもしろいが、理論的には完全に間違っている」という指摘を受け衝撃を受ける。論文を「群淘汰」の観点から書いていたのだが、「遺伝子淘汰」の観点から書き直すようにいわれたのである。群淘汰はたとえば人間という種に淘汰の圧がかかるという考えだが、遺伝子淘汰は個体(正確にはその遺伝子)に淘汰の圧がかかるとする。そしてその時にドーキンスの「利己的な遺伝子」をはじめて知ったのだという。読んで目から鱗だった、と。「群淘汰」から「遺伝子淘汰」へのパラダイム変換は1970年代前半におきていたのだが、まだ情報の伝わるのが遅かった当時ではそれに気がついていなかった、と。


 ローレンツの著作はすべて群淘汰の考えに基づいて書かれている。学問の根源的な基礎が間違っていたのである。もちろんローレンツが見出した事実は残る。しかしそれをどのように説明するかの方法論の基礎が崩れたのである。「社会生物学という、極端に戯画化されたネオダーウィニズム的畸形」などという問題ではないのである(たしかにウイルソンの「社会生物学」は戯画化といわれても仕方のない部分をたくさんふくんでいるが)。


 とすれば、「この地球という実在系はしかるべき方向性をもって進化して来たのだ。・・意識も精神も文化も制度も言語も進化の産物である。その進化の方向性は一種の目的論的解釈を当然許容するものである。」というようなことはとてもいえなくなる。渡辺氏の主張の根拠が消えてしまう。どうもこのあたり「神」のかわりに「進化」をもってきただけで、たまたま自説に合致する(ということもあるが、それだけではなく、単なる生物学者ではなく、文明の問題をも論じる人でもある)ローレンツの説をもってきただけという気がしてしまう。渡辺氏は自説は人間と人間以外の動物の連続性を主張するものと考えているようだが、日高敏隆氏もいっているように、ローレンツは人間は人間以外の動物とは切れている、飛躍があるとしているようにも思えるので、渡辺氏もまたそうではないかと見えてしまう。


 「進化の方向性」とか「目的論的解釈を許す」というような言い方は限りなく「人間原理」それも「強い人間原理」の方向を示しているように思う。こういう考えはキリスト教の伝統のある西欧でしか生まれないものではないかと思えて、わたくしにはほとんどカトリックの代用品のように思えてしまう。


 進化論について多くの人が感じる不安はそれが倫理や道徳といったものの根っこを掘り崩してしまうのではないかということだろうと思う。人間も動物であるとするならば倫理とか道徳とかを持った動物など他にはいないのだから、神といった超越的な存在を別に仮定しなければならなくなる。しかしそうする必要はなく《進化が倫理や道徳を保証すると》いう渡辺氏の論は特異である。その論によって、根拠のない倫理や道徳にこだわる多くの人文系の学者を斬り、他方、社会生物学といった《狭い生物学によって人間も説明できる》とする能天気な自然科学系の学者をも斬るというのが渡辺氏の行き方である。とすると周囲は敵だらけということになってしまう。


 人は倫理的である(渡辺氏はそれを事実とする)、人は進化の産物である(渡辺氏はこれも事実とする)、よって倫理は進化の産物である(これは一個人としての渡辺氏の考えではなく、これまた事実である)、というのはかなり杜撰な三段論法のように思う。人は進化の産物であるというのは事実であるとわたくしは思う(しかしアメリカでは、そう思うひとは半分もいないらしい。日本では多くのキリスト教徒進化論も受け入れているであろうと思う。万世一系天皇進化論が両立した国である)。しかし、人は時に倫理的であるが、いつも倫理的ではないと思う。ひとが倫理的でありうる基盤は進化がもたらしたものであるかもしれないが、その基盤がつねに倫理をもたらすとはいえないだろうと思う。「偉大な創造的行為やまっとうな人間関係は、すべて力が正面に出てこられない休止期間中に生まれるのである。この休止期間が大事なのだ。私はこういう休止期間がなるべく頻繁に訪れてしかも長くつづくのを願いながら、それを「文明」と呼ぶ。・・力はたしかに存在するのであって、大事なのは、それが箱から出てこないようにすることではないだろうか。いずれは出てきて、そうなれば、人間ばかりか人間がこれまで創ってきた美しいものをすべて破壊してしまうのだから。だが、しじゅう出ているわけではないのだ」とフォースターはいう。フォースターは間違いなく啓蒙の伝統のなかにいる人である。「神よ、私は信じません―どうか許したまえ」を自分のモットーとするとフォースターはいう。渡辺氏は信じる人である。正直、渡辺氏の論をみていくと氏がなぜ、カトリックに入信しないのかがよくわからない。パステルナークソルジェニーツィンイリイチもみなカトリックに通底しているひとだと思う(カトリックではなくロシア正教などかもしれないが)。


 「国家からも思想集団からも宗教集団からも縛られない個人でありたい」が、一方で、「人間の共同的なあり方は求めたい」というのはちょっと欲張り過ぎなのではないだろうか? 「私の世界文学案内」とか「細部にやどる夢 私と西洋文学」などという渡辺氏の著書を読むと、氏がいかに西洋の小説を愛するひとであるかということがよくわかる。そこに表れた西洋の「個人」をいかに愛しているひとであるかもわかる。しかし、そういう「個人」を求めてきた結果が「フランスの現代文学での男女の関係の孤独」ということになり、だからこそ「共同体」なのかと思うが、「個人」を求めたら「孤独」がくるのは当たり前なのではないだろうか? 吉田健一の「文学の楽しみ」の最終章は「孤独」と題されている。「我々は望みを絶たなければならない事柄に就ては望みを絶たなければならない」と吉田氏はいう。「文学に必要なのもこの孤独である。・・我々は或る言葉を美しいと認める時に自分一人になり・・ここに一人の人間がいるという意味での、その限りでは凡ての人間である自分であり、これは我々がその経験をすることで何の得をしなくても、その瞬間に少なくとも我々が自分というもの、自他の区別というものを忘れることで解る。」 渡辺氏が「人の生はただそこにあるだけで価値そのものです。それは何も人間の生命の尊厳などということじゃなくて、人間なんて犬猫以上にえらいものでもなんでもないけれども、それでもただ生きているだけで価値なんだと思います」というのと、吉田氏のここで言っていることはあまり違ったことではないと思う。われわれはただ生きるためにも文学を読んだりするのである。


 渡辺氏は「個人」と「共同体」に分裂している。その分裂こそが渡辺氏の魅力でもあるのだろうが、E・S・エリオットがたどった道を氏もまたその後を追おうとしているように見えないこともない。「荒野ははるか南の熱帯地方にあるのではありません、荒野は街かどをまわったところにあるだけでなく、荒野はみなさんのまぢか、地下鉄のくるまのなかにひしめいています、荒野はみなさんの仲間の心のなかにあります。・・主といっしょに建てるのでなければ、私たちが建ててもむだです。主がみなさんの手をかりずに守っている都市を、みなさんは守ることができますか。交通整理をするたくさんのおまわりさんも みなさんがどうして生れ、どこへゆくかを教えることはできません、ひとむれのテンジクネズミや活発なモルモットの方が 主なしでつくる人間たちより、りっぱなものをつくります。」(「『岩』の合唱」から、詩の行分けをはずして引用)


 しかし何だか口語訳の聖書みたいで、訳文がダルである。原文。


 The desert is not remote in southern tropics,


 The desert is not only around the corner,


 The desert is squeezed in the tube-train next to you,


 The desert is in the heart of your brother.


 ・・


 We build in vain unless the LORD build with us.


 Can you keep the City that the LORD keeps not with you?


 A thousand policemen directing the traffic


 Cannot tell you why you come or where you go.


 A colony of cavies or a horde of active marmots


 Build better than they that build without the LORD.


 


 西欧社会の若者たちからイスラム国へ向かうものがでてきているらしい。彼等は「魂の飢え」を感じていて、西欧の飼い慣らされた宗教には満足できず、宗教の原初の荒々しさを未だ失っていない(ように見える?)イスラムに惹かれるのかもしれない。世界を単純に善と悪に分ける見方も超越的なものに惹かれる心情もともに進化の基礎を持つのだろうと思う。「啓蒙」というものこそが進化の基礎を持たない、したがっていたって危うい基盤の上にかろうじて建っているものなのだろうと思う。「この芸術(小説)は、誰も真実の所有者ではなく、しかもだれもが理解される権利をもっている、あの魅惑的な想像的空間を創出することができました。この想像的空間は近代ヨーロッパとともに生まれました。それはヨーロッパのイメージであり、というか、すくなくともヨーロッパに抱く私たちの夢です。・・しかし、個人が尊敬される世界(小説の想像的世界と、ヨーロッパの現実の世界)がもろく、はかないものであることを私たちは知っています。・・個人の尊重、個人の独自な思想と侵すことのできない私的生活の権利の尊重、このヨーロッパ精神の貴重な本質は、わたしには金庫ともいうべき小説の歴史のなかに、小説の知恵のなかに預けられているように思われるからです。」(クンデラ「小説の精神」)


 「悪魔の詩」を書いたことによりホメイニ氏に死刑宗教布告を出され逃亡を強いられているラシュディが9・11の後、「日常性に戻ろう」という文を書いて、イスラム原理主義者たちが反対する「社会的多元性世俗主義ミニスカート、ダンス・パーティ、髭をそる自由、進化論、セックス」のすべてに自分は賛成すると述べ、ただの自由、日常生活でのささいでありふれた自由、安逸な日常生活、ぬるま湯につかった平和、これらすべてが大切なのだ」といっていることを、加藤典洋氏が「ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ」の中で紹介している。しかし西欧の少女たちのなかには、ミニスカートやダンス・パーティにはただただ虚しさを感じ、安逸でぬるま湯につかった生活にひたすら空虚だけを感じてイスラムにむかうものがいるのだろう。渡辺氏からすれば、西欧世界に生きて「魂の飢え」を感じるのは、いたって当然のことなのであるが、その解決策はイスラムというグローバリズムに赴くことではなく、それぞれの地域で根をもった生活をとりもどしていくことにある。渡辺氏には何が正しいかわかっている。しかし、それは「誰も真実の所有者ではな」いという啓蒙の根本に反する。だから渡辺氏はこれは自分の見方、考え方ではなく、進化の過程がもたらした客観的な事実であるとすることで、その難点を回避しようとする。しかし、進化を論じるひとたちの中で、渡辺氏のいっていることが主流であるかといえば、まったくそういうことはなく、進化心理学の分野は利他心をどう説明するかの問題を血縁淘汰といった考えで乗り切ることに四苦八苦している段階である。人間のもつ倫理とか道徳とかが進化がもたらしたものであると胸を張れる生物学者はいないだろうと思う。そもそも倫理とか道徳とかが人間に普遍的なものでなければ、それを進化で説明しようという方向さえ出てこないわけである。だから本来、そんなに自信をもてるはずはないと思うのだが、渡辺氏は自信たっぷりに自説を滔々と披露している。なんだか「己一人を高しとして」いるようで、(宗教の人ではない)啓蒙の人としてちょっと異例である。


 「渡辺京二評論集成」に収められたもう少し古い文章では、議論がもっと緻密で、いろいろなところに目配りもとどいているように思う。書いていることに絶対の信を抱いてはいるのだが、それでも自分の言論が世にあたえうる影響ということについては醒めている。「逝きし世の面影」が評判になって、ある程度売れて、なにがしか自分の論が世を変えうるという思いがでてきているのだろうか?


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「他人の死」への想像力

二つの記事を並べて転載する。同一内容だが、二つ目の記事は、前の記事の前半部分に広瀬すずを嘲笑するタイトルを付けたものである。
広瀬すずは、少し前にテレビ局の裏方を貶めるような発言をして以来、ネットでは「広瀬くず」と呼ばれたりしている。そして彼女が「特攻隊隊員の心情が理解できない」という趣旨のことを言ったために右翼が頭に来て「広瀬くず(17)『特攻とかバカじゃないのw』」という、ありもしない発言に捻じ曲げたタイトルを付けたわけである。つまり、右翼としては、日本国民ならば特攻隊を無条件に賛美すべきであって、それを「理解できない」という人間は非国民である、と言いたいわけだろう。
だが、私としては、ここは広瀬すずを擁護したい。
17歳の子供(私の記憶では、通常の17歳の人間は、社会意識政治意識の面ではまったくの無知であるか、少しは社会認識があっても、教科書で得た知識と現実社会の乖離によって意識が混濁しているのが常である。つまり、精神的にはまったくの子供なのである。)が70年前の特攻隊隊員の心情や意識が「理解できる」という方が嘘だろう。つまり、彼女は実に正直なのである。(少し前の「裏方仕事をやる大人の心情が理解できない」発言も同様の「正直な発言」だったわけである。つまり、「空気が読めない」し、「うまく立ち回ることができない」子供なのだ。そして、私は子供はそうであってほしいと思う。)

 「命を捨てて特攻に向かう人のことが、やっぱり想像できなくて。わからないことが多すぎて、話を聞くだけで必死でした」

というのは、まともすぎるくらいにまともな言葉だ。それどころか、「話を聞くだけで必死でした」というのは、理解し難い対象を理解しようとする誠実さに溢れた態度だと思う。
その一方で、私が疑問を感じたのは、当時特攻隊員を「笑顔で見送った」と記事中に書かれている女性である。朝日の記者も同じ疑問を抱いたのか、


「戦争は、教科書に載っている昔の話。死に行く特攻隊員を笑顔で見送るなんて、想像できない。」


と、広瀬すずの「想像できなくて」が、特攻隊員の心情だけでなく、それを見送った側の心情のことでもあるのではないか、と勝手に忖度した一文を記事の最初に置いている。あるいは、実際の広瀬すずの言葉の中に、そう思わせるものがあったのかもしれない。
で、私もこの女性が死に行く人を「笑顔で見送った」心情が「理解できない」。
いや、実は理解できる。「何も考えていなかっただろう」と推定できる。彼女にとって、それは「他人の死」でしかなかったからだ。
当時、出征兵士を見送った人々が、兵士たちの運命を悼み、同情している人々ばかりだったとは私は思わない。特に、当時15歳の女の子にとって、凱旋兵士ならともかく、これから死ぬ運命しか無い人間など、恋愛の対象にも結婚の対象にもならないから、本当の関心など持ち得ないのが当然だろう。
私は、彼女の「みんな元気ででかけていきましたよ」に、そういう恐るべき無関心と冷酷さを感じるのである。
もちろん、私が(男女の違いはあるにせよ)同じ立場の子供なら、同様に「他人の死」には無関心だっただろう。




(以下引用)

特攻を見送った時代、やはり知らないと 広瀬すずさん

上遠野郷


2015年8月5日15時26分


【動画】広瀬すずさんインタビュー
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■継ぐ記憶:5


 戦争は、教科書に載っている昔の話。死に行く特攻隊員を笑顔で見送るなんて、想像できない。

 俳優の広瀬すずさん(17)は、福島県南相馬市の八牧(やまき)美喜子さん(86)を訪ねた。70年前、八牧さんは近くの基地で訓練を受けた特攻隊員を何人も見送った。「みんな元気に出かけていきましたよ。『特攻したら新聞に名前が載るから、必ず読んでね』って」


 隊員たちが残した50通ほどの手紙や和歌がテーブルに並ぶ。「御奉公の一途に邁進(まいしん)致します」。広瀬さんは紙片を手に取り、びっしり書き込まれた文字に目を落とした。言葉が見つからなかった。


 「命を捨てて特攻に向かう人のことが、やっぱり想像できなくて。わからないことが多すぎて、話を聞くだけで必死でした」


     ◇


 南相馬市には、操縦士の養成学校が置かれた「陸軍原町飛行場」があった。当時15歳の八牧さんは基地近くにあった牛乳店の看板娘。店は20歳前後の隊員らのたまり場になり、八牧さんは皆にかわいがられた。


 毎晩のように家に遊びに来る隊員がいた。久木元(くきもと)延秀少尉、21歳。豪快に笑う九州男児で、自分に恋心を抱いてくれているのを感じていた。


 1944年12月1日朝、久木元さんから自宅に電話がかかってきた。「これから出撃することになりました」。いつもの元気な声。八牧さんは言葉に詰まった。死に行く人に「お元気で」とも言えない。沈黙に耐えかね、自分から「さようなら」と電話を切ってしまった。



2015/08/06 20:37


【衝撃】 広瀬くず(17)「特攻とかバカじゃないのw」


1: 名無しの捨て猫さん 2015/08/06(木) 07:40:10.017 ID:ZktEDcoap.net

広瀬すず


http://www.asahi.com/articles/ASH8403YMH83TIPE03S.html


俳優の広瀬すずさん(17)は、福島県南相馬市の八牧(やまき)美喜子さん(86)を訪ねた。70年前、八牧さんは近くの基地で訓練を受けた特攻隊員を何人も見送った。「みんな元気に出かけていきましたよ。『特攻したら新聞に名前が載るから、必ず読んでね』って」


隊員たちが残した50通ほどの手紙や和歌がテーブルに並ぶ。「御奉公の一途に邁進(まいしん)致します」
広瀬さんは紙片を手に取り、びっしり書き込まれた文字に目を落とした。言葉が見つからなかった。


「命を捨てて特攻に向かう人のことが、やっぱり想像できなくて。わからないことが多すぎて、話を聞くだけで必死でした」


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極右の論理を一言で言えば

武藤貴也議員の支離滅裂な論理を一言で言った言葉があった。
人権よりも国が大事なら、こういうことになる。


(以下引用)




小田嶋隆 @tako_ashi 17時間前

つまり、国のために死ねない国民は死ね、と

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人生に相渉るとは何の謂いぞ

「日々平安録」の一節である。
娯楽小説には内容が無い、とすれば、純文学には内容がある、ということに当然なるのだと思うが、さて、その内容とは何だろうか。
古い言葉だが、「人生に相渉(わた)る」ものが、その「内容」ではないか、と取りあえず考えられる。とすれば、山本周五郎あたりの小説を読んでその人の物の見方が変わり、すなわちその人の人格の一部に変化が起こったとすれば(それが現実にはほとんど影響はしなくても)山本周五郎の小説は、その人にとっては純文学だった、と言えるのではないか。もっと純文学らしい作家を例に出そう。志賀直哉の作品は、それを読む人に「志賀直哉の目」で見た世界を見せる。その目を一度経験したら、それ以降は、もとのままの世界の見方はできなくなるだろう。もちろん、そういう経験(体験というべきか)をするのは、ごく一部の人間だろうが、そこが純文学と娯楽文学の違いではないか、と思う。
つまり、本当の意味での純文学は、それを読んだら、ほんの僅かな部分の変化ではあっても前と同じ人間ではなくなる、というものではないだろうか。(つまり、作品の質の面と読み手の質の面の両面が問題になるわけだ。)
私の場合、それが明確に(自覚的に)現れたのはドストエフスキー体験であったが、たとえば小林秀雄や三島由紀夫の評論なども私の「世界の見方」に大きな影響を与えている。
そういう大げさな話ばかりだと偉そうだから、もっとささやかな、しかし私の精神史の上では大きな影響を与えた例を言うと、みつはしちかこの漫画「小さな恋の物語」である。
中学生か高校下級生くらいのころだと思うが、姉の雑誌に載っていたそれを読んで、私の世界観はがらりと変わったのである。それまでの私にとって世界はただの「芝居の書割」にしかすぎず、何の感銘も与えないものだった。ところが、その漫画の中の雨の東京を描いた一こまで、「自分を取り巻く世界、特に自然は『美しく』『詩的な』感動に満ちたものだったのだ」と初めて理解したのである。私が詩情というものを生まれて初めて理解した瞬間だったかもしれない。その後は、詩(もちろん短歌や俳句や漢詩も含めてだ)そのものも好きになったが、何より、「世界(風景)を眺めるだけで感動できる」という素晴らしい精神的財産を、その瞬間に私は与えられたのである。ある意味では、彼女は私の最大の恩人かもしれない。私の内面的人生を大きくグレードアップさせてくれたのだから。もちろん、山岸涼子(本当はニスイの「りょう」)や萩尾望都の漫画なども大きな精神的財産を与えてくれたが、「精神革命」に近い影響は、この経験が最初で最大のものだったと思う。
こういう、「その人の世界(の見かた)を変える」経験の有無が純文学と娯楽文学の違いだ、と仮定するならば、私にとっては「小さな恋の物語」は純文学であったと言える。


(以下引用)


 昔、三島由紀夫アイラ・レヴィンの「ローズマリーの赤ちゃん」を論じて、作者の技量は恐るべきものである。日本の純文学雑誌に書いている「作家」の何百倍もの技術がある。しかし内容のなさも恐るべきものである。まったく何もない。内容の一切ない小説を技術だけで読ませてしまうという一種の産業としての娯楽小説という分野ができてしまっているというようなことを論じていた。

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「男性」対「女性」

「in deep」の記事の中の二つの写真が面白いので転載しておく。
「男性」の写真は言うまでもなく「旗本退屈男」早乙女モンドノスケ(カナで書いたら間抜けである。)で、これこそ皮肉な意味でまさに「男性」の本質(ヤンキーの男など、その本質丸出しである)を示す写真であるような気がする。

1)化粧(メーキャップ)をしている。つまり、本性(醜さ)を隠している。
2)刀を持っている。つまり、自分の本質的な弱さを、武器を持つことで強化している。
3)派手な衣装を着ている。つまり、「俺は偉い」とアピールしている。
4)人差し指を立てている。つまり「俺が一番だ」と誇示している。

なお、「旗本」、つまり権力の末端であり、「退屈」している、つまり働かなくてもいい、というのも男性の理想だろう。(笑)

「女性」の方の写真もある意味女性の本質(自分の肉体そのもので勝負、というところとか、無意味なアクセサリーが好き、とか)を示している気もするが、本質というよりは女性のある種の願望の異常な進化形と見る方がよさそうだ。だが、その詳しい分析は面倒だから、しない。
まあ、要するに、男性と女性は外見からそう見えるほど中身(精神)が違うわけではない、とも言える。中身が男の女も、中身が女の男も無数にいる。
「in deep」氏がわざわざこの二つの写真を並べた意図はそういうことかと思う。



(以下引用)


男性・・・。

man-001.jpg


そして、女性・・・。

Chyna.jpg
チャイナ - Wikipedia

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「ゴミ」は本当にゴミなのか

今日は、「徽宗皇帝のブログ」との連動記事で、引用は無しで「資源の無駄使い」の考察をする。

私が大学生として上京した時、すぐ上の兄のアパートでしばらく一緒に生活をしたことがあったが、その時に驚いたのが、兄が漫画週刊誌(青年誌で、「漫画アクション」だったと覚えている。バロン吉元の『柔侠伝』などがお目当てだったようだ。)を買って、それを読んだらすぐに捨てていたことだった。当時の私には、本や雑誌を捨てる、いや、金を出して買ったものを捨てるという行為そのものがショッキングだったのだ。もちろん、捨てる側の言い分としては、「一度読めば、その雑誌はそこから得られる情報は吸い取った後の抜け殻にすぎない。つまりゴミでしかない」ということだろう。兄に聞いたわけではないが、その事はすぐに推測できた。確かに、狭いアパートの部屋に住む以上、ゴミを増やすわけにはいかないことは理解できた。だが、その時に感じた「冒涜」の感じは、今でも忘れられない。
その後、読んだ後の新聞や雑誌、ひいては文庫本までも捨てることが日本人の一般的習慣となったのだが、果たしてこれは正しいことなのだろうか、という疑問は今も抱いている。
泉鏡花のように、文字が書かれたものは商品の包み紙まで保存する、というほど「文字信仰」をしているわけではないが、それを読むことで自分の魂の一部を確かに形成した「文字(文章)」の書かれた物を「ゴミ」として捨てる行為は、それ自体が「魂の希薄化」につながるような気がしないでもない。
雑誌や新聞だけではない。現代では、「用の済んだ物」はすべて「ゴミ」である。
ならば、もともと「役に立たない存在」(これは「有能な、役に立つ人々」の目から見て、ということだ。)である老人や病人などが「ゴミ」と看做されるのは当然だろう。そして、「ゴミ処理」を請け負う業者だけが、老人や病人を「商売対象」として扱うことになる。そこには、敬意も何も存在せず、相手をただの「モノ」としてしか見ないことになるのは当然だろう。

話が逸れたようだ。本題は「資源の無駄使い」であった。
私は、ペットボトルなどを捨てることに、今でも心理的抵抗がある。明らかに、それは「容器としての機能」を持ち続けているからだ。仮に、江戸時代か明治時代あたりにペットボトルの空き容器を持っていけば、軽くて丈夫な、「驚異の水筒」として家宝扱いされただろう。それが、中の飲料を飲み終えると同時に、「ゴミ」として平気で捨てられるのである。
時代が違うから当然だ、何をごちゃごちゃ言っている、これだから老害(この言い方にも「人間をゴミ扱いする」思想があるようだ。)は、と若者などに言われそうだが、私にはこうした「物を粗末にする姿勢」が「人間を粗末にする姿勢」「人生や生命を粗末にする姿勢」とどこかつながっているような気がするのである。



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親は早死にするのが子供の利益

「大摩邇」から転載。
「株式日記と経済展望」は、扱う社会問題の幅が広く、いろいろと面白い記事を探して紹介しているので、昔はよく読んでいたが、管理人氏の考え方自体はあまり好みではないので、最近はたまにしか読んでいなかった。下の記事は、扱っている問題が私には興味深い。
私の両親がしてくれた、最大の子供への贈り物は、二人とも早死にしてくれたことだ、などと言うと、私が親を嫌っていたかのように聞こえるだろうが、そうでもない。二人とも、標準以上の親だったと思うし、私をこの世に生み出し、育て上げてくれたことに対してはこの上なく感謝している。親が生きている間は親を煙たく思っていたが、親を煙たく思うのは、ほとんどすべての子供に共通するものだろう。
私の両親とも60少しで死んだから、早死にだと言えると思うが、その結果、子供に老後の負担をかけることがまったく無かったというのは、子供たち全員にとって大きな恩恵だった、と、親への感情とは別に、客観問題として私は思っているだけだ。
これは、冷酷な言葉に聞こえるだろうが、はたして親がいることは、子供にとっていいことなのかどうか。私は必ずしもそうだとは思わないのである。経済問題だけで言えば、親がいない子供は辛い人生を送るだろうが、精神面ではどうか。それに、親が高齢になってからは、先に書いたように、子供が負担する側になる。
世間には、いない方がいい親はゴマンといるし、「いい親」がいることが、はたして子供にとっていいことかどうかも、少々疑問である。「いい親」は、子供の依存心を強め、自立心を生まれにくくするのではないか。
実は、親の善悪とは別に、親がいること自体が、子供の精神的自立を阻害するのではないか。私の場合で言えば、私が自分の頭で考え、判断できるようになったのは、親が二人とも死んでからだった。それ以前は、何をするにもどこか頭の片隅に親の判断を顧慮する気持ちがあったのである。親がいなくなってから、頭が実にクリアになった気がしたものだ。そう考えると、私自身もできるだけ早死にする方が子供のためだとは思うが、自殺するのも何だから、せめて子供の迷惑にならない程度に生きるつもりである。



(以下引用)


06:13

介護の現場からは「ご本人の終末期の対処法が曖昧なので困る」という声はよく聞かれる

株式日記と経済展望さんのサイトより
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/57d50077b1d14f49abeec664a2906fd4
<転載開始>

介護の現場からは「ご本人の終末期の対処法が曖昧なので困る」
という声はよく聞かれる。やっと、終末期に焦点が当たり出した

2015年6月24日 水曜日

日本はなぜこれほどまでに「病院死」比率が高いのか 6月24日 浅川澄一


■「終末期」の対応が大きく遅れている日本


「東京圏の高齢者は地方に移住を」と提言して物議を醸している日本創生会議の座長、増田寛也・元総務相が、「延命治療の議論を」と呼び掛けている。昨年「消滅可能性都市」を挙げ、その後、名指された自治体が少子化対策に熱を入れだすなど、政策へ大きな影響を及ぼしているだけにその発言に注視したい。


?増田さんは、5月24日の産経新聞のコラムで「終末期医療のあり方」を論じた。そのなかで、「終末期の人工栄養による延命は、世界的にみると必ずしも当たり前のことではない」「むしろ非倫理的であるとさえ認識されている国がある」と、穏やかな表現ながら、延命治療への再考を喚起している。


?介護の現場からは「ご本人の終末期の対処法が曖昧なので困る」という声はよく聞かれる。やっと、終末期に焦点が当たり出した。「素人」なだけに直感が働くことは多く、増田さんの発言は正鵠を射ている。死というゴールを見据えて初めて、高齢者の医療と介護は成り立つはずである。


?日本の病院や施設では、口から食べられなくなったので鼻や静脈からチューブを通じて、あるいは胃に穴を開けて栄養を与えられている高齢者をよく見かける。手足の関節が固まって寝返りを打てない寝たきりの人も。自分で呼吸できなければ人工呼吸器が装着される。気管切開されているため、痰の吸引やチューブの交換の際に苦しみもがく姿も見られる。認知症などを抱え、全く言葉を発しないままの人も。


?無理に栄養分を注入するため、消化されず、体中がむくんで目も当てられない様子になってしまうこともある。人間としての自然な死とは縁遠い、こうした延命治療が終末期に待ち受けている状況には、ぞっとさせられる。


?高齢者ケアへの取り組みは先進諸国の共通の課題である。それは、(1)「終の住処」を何処に求めるか?(2)認知症ケアの手法?(3)終末期・看取りのあり方―――という3つの課題に集約されるだろう。
?


?このうち、(1)は「脱病院、脱施設」という合言葉に象徴されるように、最期の時を迎える場として「生活の場」への転換が進んでいる。自宅の延長である「ケア付き住宅」をできるだけ自宅の近辺に求める考え方である。
?
?国際的には「Ageing in Place」と言われる。即ち「年老いても同じ地域で住み続けましょう」という意味だ。同じ内容を日本では、「地域ケアシステム」と名付けた。これは、Community-based Care System(地域住民のためのケア体制)とIntegrated Care System(包括的なケア体制)を合体させたCommunity-based Integrated?Care Systemの日本語訳である。

「包括」は日常用語でなく分かり難いが、「総合」「まるごと」のこと。異なる要素が一緒になって、という意味で、異業種連携であり、高齢者だけでなく障害や子育てなどを大きく含んで一緒に、と理解すればいいだろう。


?それから(2)は、先ごろ東京で認知症ケアの国際サミットが開催されたように、先行組に追い付こうとの意気込みが表れ、政策として結実しつつある。精神科病院問題など、まだ出遅れた分野を抱えてはいるが、欧米諸国と同じ方向に舵を切りつつあるのは確かだ。


?つまり、(1)と(2)は国際レベルへの引き上げを目指して、一応路線は敷かれてきた。ところがである。(3)になると日本だけが大きく取り残されている。日本の常識が世界の非常識、とみても過言ではないほどの状況だ。


■日本は80%が「病院死」


?それを端的に示しているのが、死亡場所の数値だ。病院と施設(欧州では実質的にケア付き住宅)、自宅の3ヵ所に分けた比率を見ると、欧州諸国では病院死が50%前後である。最も低いのは30%台のオランダだ。


?病院死が少ないのは、訪問診療や訪問介護が充実していて、入院しなくても自宅や近辺のケア付き住宅で最期まで過ごすことができるからだ。各国の共通施策である「在宅重視」の成果が、病院死比率の多寡で判定できる。


?では、日本はどうか。なんと病院死は80%近い。欧州諸国とこれほどに大差がついた「生活指標」は珍しい。出産と死亡は、あらゆる生物が同様に体験する自然な現象だろう。決して「病」ではない。ライフスタイルの一環でもある。


?パソコンや携帯電話のICTをはじめ、スポーツや音楽、映画、食文化、ファッション、インテリアなど日々の生活を彩り、欠かせない生活諸要素のひとつが、出産であり死亡・看取りであろう。日本人は、パソコンやレストランなど他の要素はほぼ世界レベルの水準を持ち、その便宜性や快適性を共有している。だが、死の文化だけが、日本は他国とまるっきり異なり、それが数字に表れている。


「歴史や文化が地域や国によって異なるのだから、違いがあっても不思議はない」という指摘がよくある。確かに、地域性は欠かせない。生活の潤いには必要である。だが、方言を使う場が時にはあっても、ほとんど標準語で会話が成り立っているのが現実だろう。大きな流れは、一定の方向への収斂だ。快適性や合理性、それに一定の倫理観に基づいて希求すべき方向が地球規模で絞られていく。


?では、死についてはどうか。なぜ、日本だけが病院死比率が高いのか。


■医療や病院、医師への盲目的な受け入れは日本の特徴


?医療提供者だけにその理由を問うのは当たらないだろう。医療だけでなく国民一般の意識が大きな影響を与えている。それを辿ると、日本の今の急激な「豊かさ」をもたらした多くの要素と重なってくる。


?医療や病院、医師への盲目的な受け入れは、「信仰」に近い。欧州諸国には見られない信頼であり、すがりようだ。モノの獲得を通じて豊かな生活を目指してきた発想そのものに通じる。家電製品やマイカー、新幹線など最新技術への礼賛は、病院や医療にも通じる。


?豊かさは、総中流意識を醸成して全国民が加入する皆保険システムも誕生させた。医療が低価格で使える手近な存在になったことも、医療信仰に拍車がかかった。


?心身に少しの支障が生ずると、すぐに診療である。通院から入院への回路は短い。日本人の受診率や入院期間はずば抜けて高く長い。


?受け入れる医療の側では、治療には熱心ではあるが、ほぼ治療を終えたに近い慢性期の高齢者には別の手立ては持ち合わせない。年齢にかかわりなく、受診に来た高齢者には病名を付け、診療報酬を受け取る。


?老衰による細胞劣化が全身で進行していても、高齢者は病名を求め、薬を欲しがる。これまでの医療のメカニズムに、高齢者と医療側がたやすく乗ってしもまう。老衰を「古いもの」「役に立たたないもの」として認めたがらない。新しいモノが「豊かさ」を生み、それを一心に追い求めてきた。老衰を嫌うのはその弊害であるが、自身は気付かない。


?患者の刻印を押されれば、手術や薬で手を打ち、また元の状態に戻ることができると願う。その「錯覚」に手を貸す医療側の責任は当然問われる。
だが、日本の医療教育では、「死」は教科書の対象になっていない。死への自然のプロセスを学ぶことはない。ギリシャのヒポクラテス以来の「医療者にとって死は敗北」という信条に絡め取られたままだ。


?生物は必ず死ぬ。人間も生物に過ぎない――そんな当たり前の事実から目を背けたいのだろうか。(後略)

(私のコメント)

介護の問題は何度か書いてきましたが、出産と死は誰にでも必ず体験する事だ。特に自分の死については若いうちから考えるべき問題ですが、ほとんどの人は死を身近な問題として考えない。死にたいと思う事はよくあるのでしょうが、病気や老衰でいつかは死ぬことはあまり考えたくない事だ。

私自身も、死んだらどうなるかと考えたら憂鬱になる。やりたい事をやりつくして死にたいものですが、体の衰えがあちこちに現れ始めると死ぬことがだんだん怖くなってくる。やがては病気か老衰で死ぬのでしょうが、私としては病院で死にたくはない。

誰もが自宅で家族に見守られながら死にたいと思うのでしょうが、小家族化の時代では息子や孫に囲まれて死ぬことなどテレビのホームドラマでも最近は無い。昔は出産ですら自宅でしたのですが、最近では出産から死まで病院で行われる。

出産などは病院でなくても、出産所などの所でもいいと思うし、同じように死ぬ時も自宅が無理なら介護施設で死ぬのが良いと思う。そうでなければ病院がパンクしてしまう。出産や老衰は病気ではなく生理現象であり、問題があれば病院が対応すればいい。

単なる生理現象を病気扱いするのは、医師会の陰謀だと思うのですが、出産も安産なら自宅でしても昔は当然だった。最近は家族の介護が当てに出来なくなったので自分で介護施設に入る用意はしなくてはいけないのでしょうが、行政の対応が遅れている。


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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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