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軍神マルス第二部 12

第十二章 ザイード

計画実行の日、マルスとピエールがマチルダを連れてザイードの宮殿に向かおうとすると、ヤクシーが、自分も連れて行けと言い出したので、二人は目を見交わした。
「あなたはここに残っていていいのよ、ヤクシー」
マチルダが言ったが、ヤクシーは、どうしても自分も行くと言ってきかない。
「まあ、美女が二人の方が、ザイードは喜ぶだろうし、いざという時、二人で助け合えるだろう」
ピエールの言葉で、四人全員でザイードの宮殿に向かう事になり、マルスとピエールは商人の服装をし、マチルダとヤクシーは女奴隷らしい身なりをして出発した。
ザイードの宮殿では思った通り、衛兵に誰何されたが、ザイードへ女奴隷を献上するという事をグリセリード語で喋り、身に武器を有していない事を示すと、しばらく待たされた後、宮殿に入る事を許された。
四人は宮殿の大広間に通された。
ザイードは七十近い老人だが、眉毛の黒々とした矍鑠とした男であった。
「わしに美女を献上しようというのはお前らか。ははは、わしはこの通りの老人じゃのに、わしを余程好色な男と思っておるようじゃな」
「滅相も無い。ザイード様の宮廷には多くの美女がおられ、屋上屋を架すようなものではありますが、この女奴隷は美貌といい、また高貴な血筋といい、卑しい庶民の手に置くよりもザイード様の側室のお一人に加えて貰う方が、ふさわしいかと思いまして、献上いたすのでございます」
慣れぬボワロン語ではなく、グリセリード語で流暢にピエールが言った。若い頃グリセリードを旅したこともあるピエールは、グリセリード語はお手の物である。
「ほう、高貴な血筋とな」
「はい、パーリの王族の者です」
ピエールがヤクシーを指して言った。
ザイードは側近の一人に何かを言った。
 その側近は、マルスたちには分からぬ言葉でヤクシーに話し掛けた。
「この者の申した事は事実です。パーリの皇女、ヤクシーという者だそうです」
「パーリか。ならば、ついこの前わしの軍勢が滅ぼした国ではないか。こんな美女がいたとは聞いてないぞ」
側近は再びヤクシーに聞いた。
「宮殿から逃亡した後、人買いの者の手に捕らえられ、ここに売られてきたそうです」
「なら、もはや生娘ではないな。それは残念じゃ。その、もう一人の方は?」
「こちらは、アスカルファンの生まれだそうですが、詳しい素性はよく分かりません」
ピエールがマチルダに代わって答える。
「どちらも、滅多にいない美女じゃ。お前らへの褒美は、追って渡す事にする。しばらく控えの間で待っておるがよい」
 マチルダとヤクシーはザイードの後宮に連れていかれ、ピエールとマルスは控えの間に案内された。
 マルスとピエールは、この機会に賢者の書を探したかったが、部屋には衛兵がいて、彼らを見張っており、自由に動けない。
 その間にも、マチルダが早くもザイードの毒牙に掛かっているのではないかとマルスは気が気でない。
 やがて、ザイードからの褒美を持った役人が二人の前に現れた。
「お前らはもう下がってよいぞ」
ピエールはその役人に聞いてみた。
「あの二人の女奴隷はどうなりましたでしょうか」
「ああ、殿様はたいそうお気に入りじゃ。まだ昼間なのに、早速味を試してみる気か、先ほど後宮に行かれたぞ、はっはっ」
マルスとピエールは顔を見合わせた。もう一刻の猶予もできない。二人はこの役人や衛兵を倒して、マチルダとヤクシーの救出に向かうことにした。
その時、宮殿の奥でなにやら騒がしい物音が聞こえ、人々が走り回る気配がした。
こちらに走り寄ってきた役人の一人に、先ほどマルスたちに褒美を渡した役人が聞いた。
「何事だ。騒がしいぞ」
「ザイード様が倒れられた! もしかしたら、暗殺かもしれん。その者たちを外に出すな」
 驚いて二人を振り返った役人の首に、マルスは手刀を叩き込んだ。
 ピエールがもう一人の役人を殴り倒し、慌てて剣を抜いて掛かってきた衛兵の一撃をかわしてハイキックでその側頭部を蹴った。
 二人は、衛兵の武器を奪い、後宮のあるらしい方向に向かって走り出した。
「待て、マチルダとヤクシーは俺が救う。お前は賢者の書を探せ」
ピエールの言葉で、マルスは一瞬躊躇したが、すぐにうなずいてザイードの書斎と思われる部屋に飛び込んだ。
ピエールは後宮に向かったが、後宮が目に見えた所で足を止めた。役人や衛兵が、入り口近くに固まって騒いでいる。どうやら、後宮に入れろ、入れないで後宮の女官と役人や衛兵たちが押し問答しているらしい。ピエールはにやりと笑った。領主以外の男は後宮には入れないという規則を守ろうとする女官の官僚主義が、思わぬ助けになりそうだ。
ピエールは後宮に向かう中庭の側面の壁に攀じ登った。
壁の上から外を覗くと、壁は切り立っており、足場は無い。だが、後宮の側まで行けば、窓の近くに僅かに手を掛けられる出っ張りがある。危険だが、やるしかない。
ピエールは壁の外側にぶら下がった。

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軍神マルス第二部 11

第十一章 ヤクシー

「ヨゼフの爺さん、また妾を買う気か。もう五人もいるくせに」
マルスの後ろで忍び笑いをする声がした。マルスには、その言葉は分からなかったが、笑い声の感じで、それが老人の好色を笑う声だと見当がついた。
マルスは千ドラクマの値をつけた。
老人は怒ったような声を上げた。
「奴隷一人に千ドラクマなんてべらぼうだ」とでも言っているのだろう。
結局、その女奴隷は千ドラクマでマルスの手に落ちた。

周囲の好奇の目にさらされながら、マルスたちは奴隷の競り市を離れた。
女奴隷は大人しくマルスたちの後を付いて来る。どうせ自分の前には大した運命は待っていないと諦めきった顔である。
マルスたちが女奴隷を連れて帰ると、ロレンゾはさすがに驚いた顔をしたが、女の顔を興味深げに眺めて、言った。
「この女は高貴な生まれじゃな。かなり不幸な目にあったようだが、死なずにいてよかった。この女には他人には無い強い運命があるようだ」
ロレンゾが女に名前を聞くと、女は、ヤクシーと名乗った。
「ヤクシーじゃと?」
ロレンゾは驚いて問い直した。
マルスが、その名がどうしたのか、と聞くと、ロレンゾは答えた。
「ヤクシーは、古代の神の一人じゃ。まあ、偶然にその名をつけたのかもしれんがな」
「どんな神様だい?」
ピエールが聞いた。
「……魔神じゃよ。争闘と復讐の神じゃ。もっとも、母性の神でもあるがな。矛盾した心を持った神じゃな」
「女ってのはみんなそうさ。虫も殺さねえ顔して、結構残酷な事をするもんさ」
「なかなかうがった事を言うの。よほど女にひどい目にあったと見える」
「みんなひどい事言うのね。この人はそんな人じゃないわ。顔を見れば分かるでしょう」
マチルダが怒って言った。
 ヤクシーは、自分が召使にされるわけでも、誰かの妾にされるわけでもない事に戸惑っているようだった。
「ところで、お主らが取ってきた、あの光輝の書だがな、あの中になかなか面白い事が書いてあったぞ。普通の剣を魔法の剣に作り変える秘法じゃ」
「魔法の剣ですって?」
「うむ、別名、大天使ミカエルの剣じゃ。ミカエルは、昔から、悪魔と戦う者の象徴となっている。この剣を以てすれば、あるいはダイモンの指輪無しでも、悪魔と戦うことが出来るかもしれん」
「それは簡単に作れるのですか?」
「簡単ではないよ。剣に呪文を彫り、七日間の清めの儀式をしなければならん。そのためには、太陽の香料も手に入れねばならん」
「太陽の香料とは?」
「それを作るにもまた、秘法があるのさ。まあ、それはわしに任せておけ。お主らは、何とかして宮殿に忍び込んで、賢者の書を探してみるのだ。賢者の書があれば、悪魔と戦うには一番確実だからな」
 ロレンゾは、翌日、魔法の剣を作るために、近くの山の山頂に行ってしまったので、マルスたちはその間に宮殿に忍び込む計画を立てた。
「宮殿に入るのに一番いいのは、正面から行くことだな」
ピエールが言った。
「どんな風にして?」
マルスが尋ねると、ピエールが言いにくそうに言った。
「ヤクシーを領主のザイードに献上する、という名目で宮殿に入るんだ」
「それは駄目よ。ヤクシーが危いわ」
マチルダが言った。
「なんなら、あんたでもいいんだが……」
ピエールがマルスの顔色を窺いながら続けた。
「なんて事をいうんだ。マチルダにそんな事がさせられるもんか」
マルスは大声で言った。マチルダはそれを押し止めて、言う。
「私でいいならやるわ。私だってヤクシーほどじゃないけど、美人でしょう?」
「あんたなら、ザイードは涎を流して欲しがるよ。だが、危険だぜ」
「大丈夫よ。マルスも一緒なんだもん。私が危なくなったら助けてくれるんでしょう?」
マルスは考え込んだ。マチルダを女奴隷として献上するというのは危険すぎるが、しかし自分たちの目の届かない所に女二人だけで残すのも不安である。かえって、近くにいるだけこの案の方がいいのかもしれない。
「よし、それで行くことにしよう。しかし、危なくなったら、僕たちには構わず逃げるんだよ」
「馬鹿ね。女だけで逃げられるわけないじゃない。もしも、貞操を奪われそうになったら、死ぬわ。どう、こんなに思われて嬉しいでしょう、マルス」
マルスは、マチルダの冗談にも何と答えていいか分からなかったが、目頭が熱くなるのを感じるのであった。
 ヤクシーはマチルダに説明されて、事情を理解したようだが、どの程度分かっているのか、にっこり笑ってうなずくだけであった。

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軍神マルス第二部 10

第十章 奴隷市

 マルスたちはダンガルの町の中を歩き回って宮殿と寺院の警備の様子を調べたが、やはり宮殿の警護は厳しく、中に忍び込むのは難しいようである。
「ロレンゾ殿は、姿を消す術をお持ちのはずだが、それで宮殿に忍び込まれてはどうでしょう」
マルスはロレンゾとの最初の出会いの時、彼が目の前で消えたのを思い出して言った。
「あれは催眠術じゃよ。お前を瞬間に眠らせて、その間に立ち去っただけだ。お前を少し驚かせてやろうと思っての。相手が一人なら出来るが、何人もの警備兵を相手には難しい。それに、盗みならピエールの領分じゃ」
ロレンゾはあっさり言った。マルスには、ロレンゾが力の出し惜しみをしているように思えたが、それ以上は言えず、引っ込んだ。
「まあ、物事は簡単な事からやるのがいいものじゃ。寺院は警護はほとんどないし、そこに賢者の書があるならそれに越したことはない」
ロレンゾの言葉で、マルスとピエールは寺院に忍び込むことにした。
「賢者の書の特徴は?」
マルスはロレンゾに聞いた。
「分からんな。だが、お前の瑪瑙のペンダントが教えてくれるのではないかな」
夕暮れを待って、マルスとピエールは寺院に忍び込んだ。人の気力が減退し、集中力のゆるむ時刻である。
 寺院に参詣する人々の数も減り、黄色の僧服を着た僧侶たちは、夕べの祈りのために寺院の大広間に集まっている。
 ピエールが先導して、寺院の奥の部屋に進む。長い間の盗賊生活で、獲物のありそうな場所は直感が働くのである。
「この部屋が怪しいな」
ピエールの言った部屋に入ると、なるほど、そこが図書室であった。 
しかし、膨大な書物の中から、どうやって一冊の本を探せばいいのか。
途方に暮れながら、マルスは本棚の間を歩き回った。やがて日がすっかり暮れて、あたりは闇に包まれ始める。
「おい、こう暗くなっちゃあ、探すどころじゃないぜ」
ピエールはいらいらと言ったが、マルスは、せめて本棚の最後の場所まで歩いてみようと思って、それには答えなかった。
 とうとう最後の本棚に来た時には、マルスもすっかり諦めかけていたが、その時、マルスのペンダントが闇の中で、かすかに白く輝き出したのであった。
 マルスはその本棚の前に立って、並んだ本の前にペンダントをかざしながらゆっくりと動かしていった。
 一冊の本の前で、ペンダントは一際明るくなった。
「これだ!」
マルスはその本を棚から抜き出した。
本にはずいぶん埃が積もっていた。このあたりの本は、ずいぶん長い間、ほとんど見向きもされていなかったのだろう。
マルスとピエールは、探し出した本を持って、寺院を抜け出した。
ロレンゾとマチルダの待つ宿屋に戻ると、ロレンゾは待ち兼ねたように本を手に取ってめくりはじめた。
やがて、その顔に失望の表情が浮かんだ。
「これではない。これも確かに珍しい、貴重な魔法の書物だが、これにはダイモンの指輪の呪文は載っていない。詳しく読んでみないとはっきりしたことは分からんが、これではなさそうだ。だが、これも十分に役には立つ。わしも知らないような魔法の呪文が沢山載っている。少し、研究してみよう」
 ロレンゾがその本「光輝の書」を読んでいる間、マルスたちは御用済みということで、ダンガルの町中をのんびりと見物し歩くことになったのであった。 

 ダンガルの町には、あちこちから商人が集まってきていて、様々な取引が行われている。
 中でも目を引くのは、奴隷の売買である。男は頑健さ、女は美貌によって値段がつけられている。奴隷の多くは黒人だが、白人奴隷や黄色や褐色の肌の奴隷も混じっている。
「この男は体は普通だが、算術ができるし、字が読める。差配人として重宝するぞ。この優秀な奴隷をたった百ドラクマでどうだ」
「この女は戦争で負けたパーリ族の皇女だ。見ろ、この美しさ、今すぐ女房にするのもいいし、召使、妾、なんでもいいぞ。こんな美女がたった五百ドラクマだ。誰か買う者はいないか」
 人間が牛や馬並みに扱われ、売買されていく有様を、マルスたちは痛ましい思いで眺めていた。
「マルス、あの人を買って」
マチルダが言ったのは、奴隷商が、これはパーリ族の皇女だと言った娘である。年の頃は二十くらいだろうか。確かに、毅然とした態度には風格があり、顔も美しい。おそらく、戦に負けた後、さんざんに男たちの慰み者になってきたのだろうが、そんな気配は微塵も無い。
マルスはマチルダの意図を測りかねて、その顔を見た。マチルダは悲しげな目で、奴隷女を見つめている。単に、この薄倖の皇女への同情心から、そう言ったものらしい。
マルスは手を上げて、買う意思を示した。しかし、その後から六十くらいのグリセリード人の老人が手を上げて、六百ドラクマの値をつけた。

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軍神マルス第二部 9

第九章 マルシアス

デロスは、ヴァルミラに意中の人があるということが気に掛かっていた。しかし、どう考えてもそれが誰なのか思い浮かばないのである。
「デロス殿、船の完成も間近いという話を聞きましたが、今回の遠征には私も連れて行って貰えるのでしょうな」
 宮廷でデロスに声を掛けたのは、友人のマルシアスである。様々な人種の入り混じっているこのグリセリードの宮廷でも目立つ風貌のこの男は、アルカード生まれということだが、十年以上前からグリセリードに仕えている。
 異国の人間がグリセリードに仕えるのは、そう珍しい事ではない。グリセリードはこの大陸の南部の砂漠の小国だったのだが、先先代国王ルガイヤの頃に近辺の諸国との闘争によって国を急激に広げ、先代のヴァンダロスの時に大陸のほぼ全部を統一したのであった。だから、廷臣の半分以上は統一の間に併合された国々の諸将や家臣である。ヴァンダロスは、本来のグリセリード生まれの人間だからと言って重く用いる事はなかった。能力のある人間で、グリセリードへの忠誠を誓った者なら、どんどん引き上げて重い地位に付けたのである。その一方、無能な人間には厳しかったが、力のある者ならいくらでも出世ができたので、有能な人間は喜んでグリセリードに仕えたのであった。
 このマルシアスも、異国の人間だが、剣の達人で、軍略にも優れていたので、ヴァンダロスに可愛がられて出世し、シルヴィアナ女王の下で現在は首都軍警備隊長を勤めていた。
「お主には、首都の護りという大事な仕事があるだろう」
「首都は今のところ大丈夫です。それに、私ならアスカルファンの地理も分かる。そういう人間こそこの遠征には必要でしょう」
「アスカルファンに詳しい者は幕僚の中にもいないではないが、お主が来てくれるというなら、心強い。シルヴィアナ様に願い出てみよう」
「有難い。首都警備の仕事では戦らしい戦も無く、体がなまっていたところだ。また、デロス殿と同じ戦場で働けるのは楽しみですな」
 デロスは宮殿の政の間に伺候して、アスカルファン遠征計画の大要を奏上した。腹の内では、シルヴィアナなどに何を言っても分かりっこないとは思っていたのだが、問題はロドリーゴがつまらぬ難癖をつけるのではないか、ということである。
「遠征隊の総人員はおよそ三十万人、うち兵士は二十万人で、この三十万人を二手に分けてアスカルファンに向かいます。一隊は、陸地を西に向かって南西大陸の北部のボワロンにまず向かいます。もう一隊は、船で南西大陸を海岸沿いにぐるっと回ってそこから北のレント、及びアスカルファンに向かいますが、その途中でボワロンで待機している陸地軍を船に乗せ、全軍揃ったところでアスカルファンへ向かい、総攻撃します。合流までは、陸地軍の指揮は私デロスが、船団の指揮は第二将軍エスカミーリオが執ります。全軍合流後はすべて私が指揮します」
 デロスの奏上を受けたシルヴィアナは、傍らのロドリーゴの顔を見た。シルヴィアナが即位した後の政治的判断は、すべてロドリーゴが行ってきたのである。
「悪くない計画だと思うが、海回りの軍は、途中でレントの海軍に遭うのではないかな?」
ロドリーゴが、眠たげな半眼だが奇妙な光を持つ目をデロスに向けて言った。
「そうなる可能性はありますな。しかし、エスカミーリオ殿なら、レントの海軍など問題にしないでしょう。それとも、ロドリーゴ殿も船にお乗りになって、船団の守護をなさいますか? そうすれば、この上ない力になりましょう」
デロスの言葉に、ロドリーゴは苦笑した。デロスの気持ちは分かっている。いつも自分は安全な場所にいて、自分たちを死地に追いやる連中、特にこのロドリーゴを彼が嫌っていることはよく知っていた。
「わしは戦のやり方は知らぬよ」
「ロドリーゴ殿は、常人にはない超能力をお備えだとか聞いております。何でも、思いのままに雨を降らせ、風を起こす事すらできるとか。船旅には持って来いのお方かと存じます」
わざと丁寧な言葉でデロスは迫った。
「いい加減にせよ、デロス! ロドリーゴは国家の柱石じゃ。その大切な命を戦などで失って良いと思うのか」
 シルヴィアナが叫んだ。
「ほほう、成る程。では、我ら武辺の命はいくらでも失って良いと?」
「それがお前らの仕事であろう。戦の働きによってお前らの報酬はあるのじゃ。戦の無い武人に何の用がある」
「道理ですな。ははは、ではせいぜい命を的に頑張ってくることにしましょう」
高笑いを上げて、デロスはシルヴィアナの御前から退出した。

 デロスの屋敷の裏には、広い中庭があったが、デロスはこの庭をもっぱら馬場として使っていた。デロスの屋敷には馬が二十頭近くいて、戦のない時のデロスの小姓の仕事はもっぱら馬飼いと、馬の調教だった。そして、もう一つ、ヴァルミラの武術の練習の相手という仕事があったが、これが一番大変な仕事であった。
 馬に乗って剣で戦う練習をしていた小姓の一人が、ヴァルミラの剣の一撃で馬から叩き落された。もちろん模擬刀だが、打撃と落馬の衝撃は大きい。
「他に相手になる者はおらんか!」
ヴァルミラの言葉に、他の小姓たちは尻込みしたが、その時、屋敷のベランダから声が掛かった。
「久し振りに私がお相手しよう。ヴァルミラ殿」
その声の方を振り向いたヴァルミラは頬を染めた。
「マルシアス様!」
にこやかな笑顔で近づいてくる栗毛の髪の武士に、ヴァルミラは胸をときめかせていた。

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軍神マルス第二部 8


第八章 ダンガル潜入

 アプサラスを追い払ってやっと魔力の解けたロレンゾは、方向感覚も取り戻し、夜空の星座の形や風の方向からダンガルがどの方角にあるかも判断できるようになった。
 三日の歩行の後、マルス、マチルダ、ピエール、ロレンゾの四人の目の前に、目指すダンガルの町はその姿を現した。オアシスの側に出来たその町は、遠くから見ても美しい町である。石造で、アーチ状の屋根を持つ大きな宮殿と寺院が町の真ん中に並び、それを取り巻いて庶民の小さな家々が無数にある。
「賢者の書はあの寺院の中ですか?」
マルスがロレンゾに聞いた。
「多分な。だが、もしかしたら寺ではなく宮殿の方かもしれん」
ロレンゾが答える。
二人の話を聞いていたピエールが不審そうに聞いた。
「おい、その『賢者の書』ってのは何だよ」
「わしらが目指す獲物さ」
「俺が欲しいのは本じゃなくて、賢者の石だぜ」
「賢者の石か、そういうものがあれば、世の中の金という金は無意味になるな。そんなものは無いよ」
ロレンゾはぬけぬけと言った。
「おい、じゃあ俺を騙してここまで連れてきたのかよ」
「騙したわけではない。お前はわしらと同行する運命にあると、お前の顔に書いてあったのじゃ」
「また、訳のわからんことを」
「賢者の石は嘘じゃが、賢者の書はそれよりも大事なものじゃ。世界を救う鍵なのじゃよ」
「世界などどうなろうと知ったことか」
「あわてるな。ザイードの宮殿にはお前がこれまで見た事も無いような財宝が無数にあるぞ。お前の獲物はそれにすればよい」
「……まあ、ここまで来て帰るわけにもいかんから付き合うが、二度と俺を騙すんじゃないぞ」
「よしよし、まあ、機嫌を直してくれ。ところで、王宮と寺院には、お主とマルスに忍び込んで貰う事にする。マチルダには少し危険すぎる仕事じゃからな」
「あんたはどうするんだよ」
「もちろん、マチルダを守ってやる仕事がある」
「楽な仕事ばかりしやがって」
「まあ、そういうな。マチルダは、いわばマルスの守護神みたいなものでな、マルスの力を引き出すには彼女の存在が必要なのじゃ」
「ちえっ、俺の守護神はいねえのかよ」
「大丈夫じゃ。この旅の終わりには、お前にも素晴らしい女神が現れるとわしの卦に出ておる」
「……信じられねえな。いつ、そんな卦を立てた」
「なに、お前の顔にお前の運命は現れとる。人、いずくんぞ隠さんや、じゃ」
「どうも一々うさんくさいな。まあいい、ここで揉めててもしょうがねえ、とにかく町に入ろう」
 四人は、顔を塗料で褐色に塗っていたので、町に入ってもそれほど目立つことはなかった。町の人間の半分は褐色の肌の南部グリセリード人で、残る半分は黒人である。男は大体ゆったりとした上着にパンタルーン、頭にはターバンという姿で、グリセリード人の多くは顎髭を長く伸ばしており、女は黒い帽子に、顔の下半分はヴェールで覆っている。
「あんたはもともとグリセリード人みたいだから、変装が楽でいいやな」
ピエールが周りを見ながら、ロレンゾに言った。
町は多くの人々が歩いて賑やかである。男の多くは家の戸口で水パイプを手に煙草を吸い、女たちは頭の上に壷や何かを載せて歩いている。通りは白昼の光が眩く、影も濃い。
とりあえず四人は町の酒場で、飯と酒を注文した。砂漠を越える間の粗食でご馳走に飢えていた四人は、出てきた食事を貪り食った。
「ああ、人心地ついたぜ。ジャンの奴にもこいつを食わせてやりたかったな」
ピエールの言葉で、他の者はジャンの死を思い出してしゅんとなってしまった。
「おっと、お前らを責める気はないんだ。どうせこういう商売だから、お互いいつ死んでも文句は言わねえことにしている。ただ、ちょっと懐かしく思っただけだ」
「ジャンの事はまったくわしの過ちじゃった。わしがあのアプサラスに騙されさえしなければ、ジャンを死なす事も無かったのじゃが……」
ロレンゾが力無く言った。
「まあ、いいさ。嘆いたところであいつが生き返るわけでもないし」
ピエールの言葉に、マルスは思いついて、ロレンゾに聞いてみた。
「ジャンを魔法で生き返らすことは出来ないのですか」
ロレンゾは難しい顔でしばらく考え、答えた。
「まあ、無理じゃな。死体が残っていればともかく、あのように溶けてしまったんでは、たとえ霊魂を呼び戻しても、帰る体が無い。それに、死者を甦らす魔法は、魔法の中でももっとも困難なものじゃ。仮死状態から息を吹き返すという事なら、魔法でなくても無数に起こっているが、本物の死人を生き返らすことが出来るのは神か悪魔だけじゃろう」
「そうですか……」
マルスは力無くうなずいた。
宮殿潜入の事は明日考えようということで、その夜は四人は旅の疲れのため、宿屋で死んだように眠ったのであった。

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軍神マルス第二部 7

第七章 アプサラス

 一方マルスたちは砂漠で迷い、渇きで死にかかっていた。
ロレンゾは何とかして精神を集中させて、地下の水脈を探す呪文を唱えようとしたが、いつからかかっていたのか、魔物の力によって、絶えずロレンゾの思念は掻き乱されているようであった。
 ロレンゾは精神を集中するために、仲間から一人離れて、ある岩陰に座った。
「おい、アンジー、そっちへ行っちゃあ駄目だぜ。ロレンゾが来るなと言っていたからな」
なぜかアンジーがロレンゾの後を追って行こうとしたので、ピエールがそれを呼び止めた。
その声が岩陰にいるロレンゾにも聞こえた。
 ロレンゾは、はっと気が付いた。砂漠に入る前、アンジーが自分たちに付いて行きたいと言った時、自分はアンジーの人柄を確かめるため、アンジーの目を覗き込んだ。魔に捕らえられた機会はその時しかない。自分が相手の心を覗き込んだ瞬間、その隙につけこまれて妖魔に心を支配されたのだ。
「ほほほ、ばれてしまったようね」
ロレンゾの前に来ていたアンジーは、一瞬に姿が変わり、妖魔の実体を現した。
その姿は、ペルシャ風の美女であるが、口元には恐ろしい牙が生えている。
「私はこの通りの魔物さ。おまえ達を砂漠で迷わし、日干しにして殺すため、お前たちの仲間になったのさ。正体がばれたんでは仕方が無い。ロレンゾ、まずお前から殺してやろう」
「愚か者め。相手の姿さえ分かれば、戦いようはある。わしがお前の真の姿に気づく前にわしを殺すべきであったぞ」
ロレンゾの精神の集中力は急激に高まっていた。
「お前の名は、魔女アプサラスであろう! 善神アロエギムの名によって汝アプサラス、および汝が主ガンダルヴァに命ずる。汚れたる黄泉の世界の者よ、速やかに自らの不浄の地に戻り、黄泉の縛めを受けよ。エリ、デヴィリア、ゾンマ、アロエギマ!」
アプサラスは、ぎゃっと異様な悲鳴を上げると、硫黄の匂いのする煙と共に、その姿を消した。
 争闘の気配にロレンゾの所に駆けつけたマルスたちは、目の前でアンジーの姿が妖魔に変わり、それがロレンゾの呪文で消えてしまったことに呆然とした。
「なんてこった、あのアンジーが化け物だったなんて」
ピエールはあきれたように言った。
「そう言えば、あの子、マルスの側には近づかなかったわ。きっとマルスのペンダントで正体が分かるのを恐れたのね」
「いや、何度か近づいたことはあったが、別に光らなかったよ」
マチルダの言葉に、マルスが答えた。
「おそらく、マルスに近づいた時には、あの女は邪気を発していなかったのだろう。アプサラスという魔物は、妖魔ではあるが、男好きなのだよ。おそらく、マルスが気に入っていたのだろう」
ロレンゾの言葉に、マチルダの目がきらっと光り、マルスを睨んだ。
「へえ、いいわね、マルス、化け物とはいえ、あんな可愛い子に好かれて嬉しいでしょう」
「何を馬鹿なことを」
「さっき、アンジーに何度か近づいたって言ってたわね。どのくらい近づいたの。私の見てないところで何してたのよ」
「近づいたって、普通に話しただけだよ。それに、今はそんな暢気な話をしている場合じゃないだろう」
「あら、マルスにとってはこんなのは大した話じゃないんだ。成る程、よーく分かったわ」
二人の痴話喧嘩の間に、ロレンゾは再び精神を集中し、地下の水脈を探った。
「ここだ、この真下に水はある。ここを掘るんだ」
マルスとピエールは歓声を上げて、ロレンゾの示した岩陰の砂を掘り始めた。
だが、掘っても掘っても水は出てこない。
「おい、爺さん、どこまで掘りゃあいいんだよ。水なんて出てこねえぜ」
「まあ、気長に掘ることじゃ。老人と女は、こういう力仕事は苦手じゃから、わしとマチルダは少し休ませてもらおう。その代わり、疲れたら、疲労回復の呪文を唱えてやるからな」
マルスは不平も言わずにせっせと掘るが、ピエールの方はぶつぶつ文句を言っている。
「あの爺さんの呪文って奴はあてになるのかよ。だいたい、魔法使いなら、こんな面倒な事をしないで、魔法で地面に穴を開けるか、天から雨を降らせりゃあいいじゃねえか。大体、自分の都合のいい時だけ、自分は老人だとかなんだとか言いやがって。俺よりよっぽど頑丈な体をしているくせに」
 だが、二人の苦労は報われた。
 地表から五メートルほど掘った辺りから砂に湿り気が出てきて、さらに二メートル掘ると、砂から水が滲み出してきたのである。
 水は見る見るうちに穴の底に溜まり、数センチの深さになった。最初は細かい砂粒で濁ったような水だったが、やがて泥は沈殿し、上澄みはきれいな水になった。
 マルスとピエールは水を皮袋に入れ、穴の上で待ち兼ねているマチルダとロレンゾに渡した。この穴掘り作業で少しも働かなかった二人が、最初に水を飲む栄誉を担ったわけである。
「よし、大丈夫じゃ。飲めるぞ。大いに飲むがいい」
ロレンゾの言葉でマルスとピエールも溜まり水に口を付けて飲んだが、あまり慌てすぎて底を掻き乱し、砂粒も多少飲み込む事になった。だが、命が救われた事に比べれば、砂粒混じりの水くらい、どうという事はない。一同大満足で渇きを癒したのであった。

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軍神マルス第二部 6

 
 第六章 デロス

 マルスたちが砂漠をさ迷っている頃、グリセリードの大将軍デロスは、アスカルファン侵攻の計画を幕僚たちと練っていた。
 計画は、大船団によって五万のグリセリード主力軍が南の海上からアスカルファンに上陸すると同時に、北のアルカードから一万のアルカード駐留グリセリード軍が山脈を越えて南進し、アスカルファン・レント連合軍を壊滅させるというものである。
 問題は、これだけの大船団の航海どころか、二百人規模の大船の就航自体が初めてであり、南西の大陸を回っていく大航海にこれらの船が耐えうるかどうかであった。
「船の設計をした者の名は何と言う」
デロスの問いに、幕僚の一人が答える。
「キョン・ジュアンという東部グリセリードの男です」
「その男も今度の航海に連れて行くぞ。船の工事の責任者の役人もだ。その二人を船の舳先に縛り付けておくことにする。そうすれば、命がけで船を作るだろう」
デロスの大声の笑いに、幕僚たちも仕方なく調子を合わせて笑う。いい加減な仕事をした者に対するデロスの厳しさは良く知っているからである。
ある参謀の案で、船には水夫とは別に、兵士の半分だけを乗せ、残る半分は南回りの陸路を取ってボワロンに向かうことになった。これは、難船の可能性を考え、危険を分散するための案であった。大きく南西の大陸を迂回してきた船団と、南西大陸の北部砂漠を回ってきた陸上軍は、ボワロンの海岸で落ち合って、そこで船に乗ってアスカルファンへピストン輸送されるわけである。
「それはいい考えだ。わしは陸上軍を率いることにする。海上軍は、誰に指揮を任せようか」
デロスは、不慣れな船に乗らずに済むと満悦して言った。
「さしずめ、ロドリーゴなど、適任ではないかな?」
デロスの言葉に、幕僚たちはその真意を測りかねて顔を見合わせた。
「今度のアスカルファン侵攻は、奴の考えではないか。なら、自分でその尻拭いをして貰うのは当然だろう。ついでに、奴が海に沈めば、この国にとってはこの上ない幸いだわ」
この国の事実上の最高権力者に対する歯に衣着せぬ批判に、幕僚たちは真っ青になってうつむいた。
「はは、それは冗談だが、ロドリーゴ殿は魔力の持ち主だ、気象すらも支配できると言うではないか。なら、そういうお方に乗っていて貰えば、船が嵐に遭っても安心というものだろう」
 幕僚たちは、安心した顔になってめいめいうなずいたが、もちろんこの案は、ロドリーゴに身も心も支配されている女王シルヴィアナに後で拒否されたのである。
 その代わりに、というわけか、船団の指揮は、ロドリーゴの腹心の侍従武官エスカミーリオが将軍として執ることになった。
「エスカミーリオか。あいつ、戦場に出たことも無いのではないか」
デロスの問いに、参謀の一人が答える。
「いえ、デロス様が北部の十年戦争に出ておられた際に、南方の反乱を二度も鎮圧しておられます。その際、船に乗られ、海戦の指揮もなさってられます」
「なら、最適任というわけだな。まあ、お手並みを見せてもらおうか」
 娘のヴァルミラをどの軍に帯同するか迷ったが、デロスはやはり自分の軍に入れる事にした。いくら男勝りの武術の達人とはいえ、若い娘を野獣のような兵士たちの中に一人で置く気にはなれなかったからである。
「早くアスカルファンが見てみたいわ。美しい国ですってね」
ヴァルミラは家に戻ったデロスに言った。
「アスカルファンを征服したら、わしはシルヴィアナ様にそこを頂いて自分の領地とするつもりだ。もういい加減戦も飽きたでの。そうすれば、そこの次の領主は、ヴァルミラ、お前じゃよ」
「まあ、本当に?」
ヴァルミラは、まだ見た事もない異国の姿に思いを馳せた。
「ところで、お前はアスカルファンまではわしと同じ軍で行かせる事にしたぞ」
「船で行くのでは?」
デロスは、軍を二手に分けて行く事になったのを説明した。
「それは良うございましたわ。お父様と一緒なら心強いし、わたくし、エスカミーリオ殿はあまり好きでないのです」
「ほう、それはどうして」
「あの方、何やら私に気があるらしく、事あるごとに話し掛けてきますの」
「ほう、お前に言い寄る物好きもいたとはな。はっはっ、鬼姫ヴァルミラをも恐れず近づくとは、なかなか見所のある男ではないか。どうだ、買い手のあるうちに結婚してしまうか?」
「御免です。それに、私には心に決めた方がおられます」
ヴァルミラの思いがけない言葉に、デロスはわが耳を疑い、娘の顔を見た。

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酔生夢人
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仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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