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軍神マルス第二部 6

 
 第六章 デロス

 マルスたちが砂漠をさ迷っている頃、グリセリードの大将軍デロスは、アスカルファン侵攻の計画を幕僚たちと練っていた。
 計画は、大船団によって五万のグリセリード主力軍が南の海上からアスカルファンに上陸すると同時に、北のアルカードから一万のアルカード駐留グリセリード軍が山脈を越えて南進し、アスカルファン・レント連合軍を壊滅させるというものである。
 問題は、これだけの大船団の航海どころか、二百人規模の大船の就航自体が初めてであり、南西の大陸を回っていく大航海にこれらの船が耐えうるかどうかであった。
「船の設計をした者の名は何と言う」
デロスの問いに、幕僚の一人が答える。
「キョン・ジュアンという東部グリセリードの男です」
「その男も今度の航海に連れて行くぞ。船の工事の責任者の役人もだ。その二人を船の舳先に縛り付けておくことにする。そうすれば、命がけで船を作るだろう」
デロスの大声の笑いに、幕僚たちも仕方なく調子を合わせて笑う。いい加減な仕事をした者に対するデロスの厳しさは良く知っているからである。
ある参謀の案で、船には水夫とは別に、兵士の半分だけを乗せ、残る半分は南回りの陸路を取ってボワロンに向かうことになった。これは、難船の可能性を考え、危険を分散するための案であった。大きく南西の大陸を迂回してきた船団と、南西大陸の北部砂漠を回ってきた陸上軍は、ボワロンの海岸で落ち合って、そこで船に乗ってアスカルファンへピストン輸送されるわけである。
「それはいい考えだ。わしは陸上軍を率いることにする。海上軍は、誰に指揮を任せようか」
デロスは、不慣れな船に乗らずに済むと満悦して言った。
「さしずめ、ロドリーゴなど、適任ではないかな?」
デロスの言葉に、幕僚たちはその真意を測りかねて顔を見合わせた。
「今度のアスカルファン侵攻は、奴の考えではないか。なら、自分でその尻拭いをして貰うのは当然だろう。ついでに、奴が海に沈めば、この国にとってはこの上ない幸いだわ」
この国の事実上の最高権力者に対する歯に衣着せぬ批判に、幕僚たちは真っ青になってうつむいた。
「はは、それは冗談だが、ロドリーゴ殿は魔力の持ち主だ、気象すらも支配できると言うではないか。なら、そういうお方に乗っていて貰えば、船が嵐に遭っても安心というものだろう」
 幕僚たちは、安心した顔になってめいめいうなずいたが、もちろんこの案は、ロドリーゴに身も心も支配されている女王シルヴィアナに後で拒否されたのである。
 その代わりに、というわけか、船団の指揮は、ロドリーゴの腹心の侍従武官エスカミーリオが将軍として執ることになった。
「エスカミーリオか。あいつ、戦場に出たことも無いのではないか」
デロスの問いに、参謀の一人が答える。
「いえ、デロス様が北部の十年戦争に出ておられた際に、南方の反乱を二度も鎮圧しておられます。その際、船に乗られ、海戦の指揮もなさってられます」
「なら、最適任というわけだな。まあ、お手並みを見せてもらおうか」
 娘のヴァルミラをどの軍に帯同するか迷ったが、デロスはやはり自分の軍に入れる事にした。いくら男勝りの武術の達人とはいえ、若い娘を野獣のような兵士たちの中に一人で置く気にはなれなかったからである。
「早くアスカルファンが見てみたいわ。美しい国ですってね」
ヴァルミラは家に戻ったデロスに言った。
「アスカルファンを征服したら、わしはシルヴィアナ様にそこを頂いて自分の領地とするつもりだ。もういい加減戦も飽きたでの。そうすれば、そこの次の領主は、ヴァルミラ、お前じゃよ」
「まあ、本当に?」
ヴァルミラは、まだ見た事もない異国の姿に思いを馳せた。
「ところで、お前はアスカルファンまではわしと同じ軍で行かせる事にしたぞ」
「船で行くのでは?」
デロスは、軍を二手に分けて行く事になったのを説明した。
「それは良うございましたわ。お父様と一緒なら心強いし、わたくし、エスカミーリオ殿はあまり好きでないのです」
「ほう、それはどうして」
「あの方、何やら私に気があるらしく、事あるごとに話し掛けてきますの」
「ほう、お前に言い寄る物好きもいたとはな。はっはっ、鬼姫ヴァルミラをも恐れず近づくとは、なかなか見所のある男ではないか。どうだ、買い手のあるうちに結婚してしまうか?」
「御免です。それに、私には心に決めた方がおられます」
ヴァルミラの思いがけない言葉に、デロスはわが耳を疑い、娘の顔を見た。

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軍神マルス第二部 5

第五章 妖魔の谷

 一同はダンガルに向かって歩き始めた。
だが、行けども行けども町は近づいて来ない。
ロレンゾは足を止めて考え込んだ。
「しまった! わしともあろうものが、妖魔の目くらましにかかるとは」
ロレンゾは小声で叫んだ。
「皆の者、あれは本物の町ではない。町の影にすぎん」
「蜃気楼、なの?」
ロレンゾ以外では唯一教養のあるマチルダが聞いた。
「いや、普通の蜃気楼とも違う。あの影には揺らぎがない。妖魔の目くらましにかかっておるのじゃ」
ロレンゾは何やら大声で呪文を唱えた。
すると、彼方に見えていた町は急に姿を消したのであった。
「わしらは砂漠で迷ったようだ。この魔物の力は、大きい」
「すると、あんたでもこれからどこに行けばいいか分からんのかい?」
ピエールが聞いた。
ダンガルへ行った事のある唯一の人間が道が分からないのでは、砂漠の中で日干しになって死ぬしかない。
「夜になれば、分かるよ」
アンジーが言った。
「どうしてだ?」
「星を見ればいいね」
なるほど、とマルス、ロレンゾはうなずくが、他の者は分からない。
「どうして星で分かるんだ」
とジャンが聞くと、
「星は並び方が決まっているね。それを見れば、ダンガルがどこかは分かるよ」
 一同はアンジーに救われた思いだった。
 思いがけず、ダンガルから遠く離れてしまった一行は、夜の間に方向を見定めて、ダンガルのあると思われる方向へと進んでいった。
 やがて一行の前方に、巨大な深い谷間が現れた。上から見下ろすと、底の方には小川が流れている。
 一同は歓声を上げた。もう二日前から、僅かの水しか口にしていなかったからだ。
 気をつけながら急な崖を下り、底に下りる。川の水量は少ないが、これで命は助かる。
 しかし、その時、マルスの首に掛けていた瑪瑙のペンダントが、赤く輝き出しているのをマチルダは見た。
「マルス、そのペンダント……」
言われてマルスは自分の胸元を見た。確か、このペンダントをくれたカルーソーは、これは妖魔の接近を知らせるものだと言っていた。
「待て、その水を飲むな!」
マルスは先に小川の前まで来ていたジャンに向かって叫んだ。
「馬鹿言え! 喉が渇いて死にそうなのに、これが飲まずにいられるか」
ジャンはそう言い返して、川に飛び込んだ。
「見ろ、何ともねえぜ」
川の中で水を跳ね返してはしゃぎながら、水を手ですくって飲む。
目を閉じて精神を集中させていたロレンゾの顔色が変わった。
「まずい、そ、その水は……!」
その瞬間、あっという間に川の水は血の色に変わり、気体を発して沸騰し始めた。硫黄と酸の匂いがあたりに立ち込め、ジャンは悲鳴を上げたが、その顔も体もすでに無残に溶けただれていた。
「ジャン!」
マルスとピエールは叫んだが、もはやどうする事もできない。彼らの見ている前で、ジャンの顔は頭蓋骨を露わにし、沸騰する赤い川の中にゆっくりと沈んでいった。
「済まない。わしがついていながらこんな事になるとは……」
ロレンゾはがっくりと地面に座り込んだ。
ピエールは涙のにじんだ目をきっと見開いて言った。
「爺さん、そんな事を言ってる暇はねえぜ。ほら、化け物のお出ましだ」
ピエールの見ている方角には宵闇の中に漂う無数の不気味な影があった。
その影は、ぼんやりとした人の顔をしているが、眼窩は黒い穴でしかなく、死人の顔である。そして、体は無く、顔だけが無数に浮遊しているのであった。
 浮遊する顔の一つが先頭のマルスに飛びかかってきた。マルスは剣を抜いて、それを切り払う。すぐに次の顔が飛びかかる。
 ピエールも剣を抜いて、辺りを飛び回りながら隙を見て飛びかかる顔に切りかかった。
 ロレンゾは呪文を唱えて結界を作り、女たちを守る。
 影との戦いは永遠に続くかのように思われたが、やっとマルスが最後の一つを切り落として終わった。
 妖魔の谷を出て再び砂漠を歩き出した時には、ピエールとマルスは疲労困憊し、駱駝に乗せてもらうしかなかった。
 しかも、女たちが自分の分を譲ってピエールとマルスに最後の水を飲ませた後には、もはや水は一滴も残されていなかったのである。
 夕日に照らされながら一行はとぼとぼと歩み続けた。もはや、歩ける限り歩いて、水のある所へ出ない限り、死ぬしかない。夜も歩き続けるしかないのである。
 

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軍神マルス第二部 4


第四章 砂漠への旅

 船から下りたマルスたちは、久し振りの固い地面にほっとするものを感じた。
 交易所で一休みしていると、黒人娘が、サービスなのか、マルスたちに椰子の果汁の入ったゴブレットを持ってきてくれた。
 何かマルスに向かって話し掛けるが、マルスには分からない。
「他に何か食べるか聞いておるのじゃよ」
ロレンゾが言って、娘にこの国の言葉で何か言うと、娘はうなずいて向こうへ行った。
「へえ、旦那、ボワロン語が話せるんだ」
ジャンが感心して言う。
「昔、来た事がある。もっとも、わしは言葉なぞ使う必要も本当はないがの」
ロレンゾは、ピエールたちには意味不明の事を言って、椰子のジュースをごくりと飲む。
先ほどの娘が、今度は何やら料理を持ってきた。肉と野菜をトマトで煮込んだものらしいが、美味そうな匂いである。
久し振りの陸の食事を堪能した一行は、支払いを済ませた後、内陸部への旅に出発することにした。
「なかなか可愛い子だったな。色は黒いが、中味はアスカルファンの娘と同じみてえだ」
ジャンが、交易所を振り向いて、名残惜しそうに言った。
「飯も美味かった。ボワロンってとこも悪くねえ」
ピエールも言う。そして、ロレンゾに向かって言った。
「さて、爺さん、ロレンゾさんよ。俺たちはこれからどこに行くんだ」
「ボワロンでもっとも大きな町、ダンガルだ。ここからはおよそ五日くらいの距離だ」
「五日と言われても、歩きようによるだろうが」
「普通に歩いてだ。一日の昼間のほとんどを歩いて、五日ということだ」
「おいおい、もう少しのんびりいこうぜ。歩くのはせめて昼間の半分くらいでどうだ」
「大丈夫だ。いい乗り物がある」
ロレンゾは一行の先頭に立って、村の長老らしい老人の家に入った。何やら話していたが、やがて交渉がまとまったらしく、村の長老は下僕に何かを指示した。
外に出て待っていた一行の前にその下僕が連れてきたのは、なんとも奇妙な生き物だった。馬にも似ているが、馬よりずっと大きく、膨れた胴体は背中に瘤があって、足は胴体の割には細い。その生き物はマルスたちを小馬鹿にしたような目で眺めている。
「駱駝じゃよ。砂漠の舟じゃ」
ロレンゾが一行に教えた。
「へえ、舟にしちゃあみっともねえな」
ジャンが言って、その下僕の手を借りて早速乗ってみる。
駱駝は迷惑な荷物を乗せられたとばかりに立ち上がると、体を一揺すりしてあっという間にジャンを振り落とし、とっとと向こうの方へ掛けて行った。落ちた痛みでうなっているジャン以外は一同大笑いである。
なんとか駱駝に乗るコツを覚え、食料を買い込むと、もう夕暮れが近づいていたので、出発は明日ということになった。
粗末な旅籠に泊まることにしたマルスたちを戸口から物珍しげに覗き込む土地の住民を呼び込んで、ピエールとジャンは彼らにサイコロ博打を手真似で教えている。その中に、あの交易所の娘もいて、ジャンに盛んに片言で話し掛けられて、恥ずかしそうに笑っている。
驚いたことに、翌日マルスたちが出発する時に、その黒人の娘も付いて来たのである。
「おい、ジャン。これはどう言う事だ」
マルスが聞くと、ジャンは当惑したように答えた。
「いや、俺にもよく分からねえ。勝手に向こうが付いて来たんだ」
ロレンゾが娘に話し掛けて、どういうことか聞いてみた。
「どうやら、ジャンが自分に求婚したと思い込んでいるようだが、違うと言っても、それでも付いて行きたいと言っておる。まあ、土地の者が仲間にいると便利だし、この娘は別に身寄りもいないという事だから、一緒に連れて行ってやろう。どうやら、あの交易所で客を取って生活していた売笑婦らしいが、心はきれいな子だ」
娘の名前はマルスたちには発音しにくいものだったので、適当にそれに近い名で、アンジーと呼ぶことにした。
大金を出して買った駱駝三頭に荷物を分けて載せ、人間六人は交互に駱駝に乗って休みながら行くことにする。グレイは砂漠の歩行には向いていないので、空馬のまま歩かせる。
海岸の側の村から南に出ると、すぐにそこから広大な砂漠が広がっている。
見渡す限り砂、また砂である。そしてその上は雲一つない青空だ。この分では、雨はしばらく期待できそうにない。
アンジーはすぐにマルスたちに打ち解けた。中でもマチルダとは、やはり女同士気が合うのか、片言でお喋りし、マチルダはボワロンの言葉に急速に上達した。
ロレンゾの言ったとおり、五日後に砂漠の向こうに町が見えてきた。
その町はオアシスの側にあるらしく、はるか彼方からでも緑に囲まれている事が分かる。
ほぼ水も尽き掛けていた一行は、目的地を目の前にして一安心した。
「ダンガルの領主ザイードは、もともとグリセリードの者で、非常に残忍な男だ。町に入ったら、よくよく行動には注意するのだぞ」
ロレンゾは、そう言いながら荷物の袋から小さな壷を取り出し、マルスを呼び寄せた。そして、壷の中から何かの塗料を指で掬い、それをマルスの顔に塗りつけた。たちまちマルスは褐色の顔に変わる。マチルダも含め、他の者も同じように塗料を塗って、南部グリセリード人風の褐色の肌色に変わったのであった。

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軍神マルス第二部 3

 第三章 ボワロン

 命より大事な剣を酒の飲み比べに賭けるような人物に、少々頼りなさも感じたが、マルスは、ともかくロレンゾに従って旅に出る事にした。
 ケインに後の事を頼み、ジーナや、ケインの妻のマリアに別れを告げて、バルミアを出る。
知人たちとの別れの寂しさよりも、今は久し振りの旅に、なぜか胸が踊るようだ。それは勿論マチルダも一緒だからである。マチルダを後に残していたら、どんなに不安で、孤独だろう。
 バルミアの町を南に下りていくと、港に出る。ここから船でボワロンに向かうのである。
 船が出るのは明日の朝だという事なので、三人はここの船宿で一泊することにした。
 翌日、三人が船に乗り込み、船が引き綱を解いて桟橋を離れようとした時、港の北の通りから、何頭かの馬が駆け下りてきた。よく見ると、前の二頭に乗っている二人が、後ろの数頭の騎士に追われているらしい。
「おーい、その船待った! 俺たちも乗せてくれ」
追われている二人が、船に向かって声を掛けた。その後ろから二人に向かって、どんどん矢が射掛けられている。
船と桟橋の間は既に三十メートルほど離れている。追われていた二人は、馬に乗ったまま、海に飛び込んだ。
馬を泳がせて船に近づき、上がってきた男を見ると、ピエールである。
「おやおや、また出会ったな。どうもお前さんとは縁があるらしい。ブルルッ。とにかく、何か着る物を貸してくれ。このままじゃあ、凍え死ぬ」
ピエールは愛嬌のある顔に笑顔を浮かべ、マルスにそう言って、頼み込んだ。もう一人の若者はもちろん、ジャンである。
「あんたがた、役人に追われていたようだが、この船に盗賊や人殺しを乗せるわけにはいかん。下りてくれ」
船長がピエールとジャンに向かって無愛想に言った。
「今さら、また海に飛び込めってのかよ」
港との間は既に百メートルほど離れており、ピエールらの乗ってきた馬がちょうど泳いで海岸にたどり着いたところである。役人たちは為す術も無く、こちらに向かって何か叫んでいるが、風に流されて、その声は聞こえない。
ピエールが船長に渡した金が利いて、ピエールらもこの船の乗客ということになった。もともと、この頃の庶民の目には、役人と盗賊にそれほど違いはない。役人の方がかえって始末が悪いくらいである。盗賊は叩き殺しても、それだけで済むが、役人に歯向かうと、暮らしていけなくなる。軍隊を背後にもっているだけ、役人のほうが怖いのである。
「あんたたち、何でまた物好きにボワロンなんか行くんだい?」
乾いた服に着替えて人心地ついたピエールがマルスに聞いた。
「泥棒しに行くんじゃよ」
マルスに代わって、ロレンゾがあっさり言った。
「面白い爺さんだな。ボワロンにどんな宝があるっていうんだよ」
「いろいろあるさ。まず、宝石だけでも、山ほどあるし、黄金もどっさりある。しかし、重たい思いをしてそんなのを持ち帰るまでもない。ボワロンの神殿には、賢者の石がある。この石を使えば、鉄でも銅でも鉛でも、金や銀に変えられるのじゃ。一生金には不自由しないぞ」
「……そいつは眉唾だな。そんなのがありゃあ、こっちにも評判が伝わってるはずだ」
「賢者の石の価値や使い方を知っている者がボワロンにはいないのじゃよ。だから、千年もの間、無駄に眠っておるわけじゃ」
「あんたは何で知ってるんだ?」
「わしも賢者だからな。何でも知っておる」
「賢者が泥棒するってのかよ」
「賢者とは、人の知識を盗み、自然の秘密を盗むものじゃ。泥棒ごとき、何ということはない」
「ははは、気に入ったぜ。おい、おいらたちもあんたたちの仕事を手伝ってやろう。なんてったって、こっちは本職だ。役に立つぜ」
「まあ、人手は足りとるが、仲間は何人いてもかまわんさ。獲物はいくらでもある」
 マルスはロレンゾの気持ちを測りかねた。しかし、仲間が多いにこしたことはない。

 まだ凍えるような海風の中を船は進む。乗客はほとんど毛布にくるまったきりである。しかし、幸い波もなく、三日の船旅の後、船はボワロンの港に着いた。
港といっても、ただの海岸である。そこには土地の住民が交易の為に建てた小屋があり、船が着くと、どこからともなく数十人の人間が集まってきた。
「ボワロンは初めてだが、みんな真っ黒だな。日焼けにしては黒すぎらあ」
ジャンが言った。
「そういう肌なのさ。世の中には白いの、黄色いの、黒いの、いろいろあるんだぜ」
ピエールが教える。
「あまり女房にゃしたくねえな。闇の中じゃあ、白目と歯しか見えねえんじゃねえか」
「そこがオツかもしれんぞ。おかちめんこを女房にしたらな」

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軍神マルス第二部 2


第二章 ダイモンの指輪

 ジョンが部屋に入ってきて、マルスに客だと言った。
マルスは不思議に思いながら、玄関の大広間に出て行った。
 そこにマルスを待っていたのは、ロレンゾであった。前に会った時と変わらず、逞しい体に、鋭い眼光をしている。彼は微笑んでマルスを見た。
「久し振りだな、マルス。わしを覚えているか」
「ロレンゾ、ですね」
「うむ。お前に頼みたいことがある」
「何でしょう」
「実はな、お前にある敵を倒してもらいたいのじゃ」
「敵ですって?」
「魔物じゃよ。やがてアスカルファンに大きな災いが起こる。その前に、お前に魔物を倒して貰いたいのじゃ」
「私に魔物を倒す力があるでしょうか」
「お前はダイモンの指輪を持っておるではないか」
「えっ」
マルスは驚いて自分の手にはめていた指輪を見た。
王妃から貰った宝石の中で、もっとも地味で無価値そうに見え、宝石商も安い値しかつけなかったので、王妃の志の記念として一つだけ自分のために残した指輪である。
よく見ると、その金属は銅でも真鍮でもなく、貴金属でもない。表面には不思議な記号と、見た事もない文字が彫られている。
「その指輪はな、それを持った人間の潜在力を引き出す力があるのじゃ。それだけではない。言い伝えが本当なら、その指輪は悪魔をも従わせる力があるという。しかし、それには呪文を唱えねばならぬが、その呪文は誰も分からぬのじゃ」
「その呪文を知る方法はないのでしょうか」
「そのためにお前に旅をして貰いたいのじゃ。わしも一緒に行く。魔物はきっと我々を襲うはずだ。お前一人では、人間ならともかく、魔物は相手に出来ないからな」
「どこへ、いつ?」
「行く先は、南の砂漠じゃ。賢者アロンゾが書き残した書物が南の国ボワロンの神殿にあるはずだ。それを盗み出す。出発は早いほどいい。ぼやぼやしておると、魔物ばかりか、グリセリードも再度この国を襲ってくるぞ。まあ、わしには国の存亡などより、世界が悪魔に支配されるほうが、ずっと恐ろしいがな」
マルスはすぐさま二階に上がっていって、これからすぐ旅に出る事を告げた。マチルダは立ち上がって、
「私も一緒に行くわ。いいえ、止めても無駄よ。マルス一人では行かさないわ」
と言った。
 困ったマルスがロレンゾにその事を告げると、ロレンゾは意外にもうなずいて言った。
「いいじゃろう。愛する者を後に残して、それが気に掛かっていては、精神は集中できないものじゃ。それに、愛の力は精神を高めるものじゃからな」
 オズモンドは宮中の仕事は抜けられず、トリスターナは、かえって足手まといになりそうだと、今回の旅は遠慮する事になった。
「マチルダ、マルスたちの足を引っ張るなよ」
オズモンドがマチルダに注意したが、マチルダは、
「あら、私だって役に立つわよ。第一、男ばかりだったら、誰が料理や洗濯をするのよ」
と、意気盛んである。
オズモンドは側のジョンに、
「あいつ、料理や洗濯ができたっけ?」
と小声で聞いたが、ジョンは
「お嬢様がやったのは見たことがないですなあ。そんな仕事なら、メラニーかジョアンナでも連れて行けばいいのですが、お嬢様はやきもち焼きですからな」
と答え、少し弁護の必要を感じたのか
「お嬢様育ちの割に、足が達者ですから、それほど足手まといにはならんでしょう」
と、付け加えた。
 オズモンドは、マルスに、前に山中の隠者から貰った剣を渡した。
「これを持っていけよ。僕よりもマルスにこの剣はふさわしい」
マルスは有難くその贈り物を貰った。
マルスとマチルダが階下に下りていくと、ロレンゾは不思議そうにマルスを見た。
「その剣は?」
「以前にアルカードの山中で、ある隠者から貰った剣です」
ロレンゾは、その剣を手にとって懐かしそうに言った。
「ガーディアンではないか。この剣と再び遇えるとはな」
「この剣を御存知ですか?」
「勿論じゃ。命より大事な剣だったが、わしが賭けに負けてシモンズにやったものじゃよ」
「何の賭けです?」
「なに、酒の飲み比べじゃよ」

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軍神マルス第二部 1

第二部 第一章 平和な日々

年が明けてマルスは十七歳になった。
体も一回り大きくなり、胸や腰も分厚くなって、今や一人前の大人、いや、堂々たる勇者の体つきである。しかし、顔つきにはまだ幼い無邪気さが残っている。
彼は相変わらず、ケインの店で弓作りをしていた。石弓はほとんど作らず、昔ながらの普通の弓ばかりである。
今では、国王軍の弓部隊の四分の三は石弓部隊となり、普通の弓を持つ兵士は二百名しかいない。それも、王の道楽の狩のために残してあるだけである。その他の諸侯も、弓部隊を石弓部隊に変えつつあるから、普通の弓の需要は少ない。しかし、マルスの弓は別で、名のある騎士や有名な射手は争ってマルスの弓を求めた。マルスの弓と矢と言えば、今や、弓には二百リム、矢でも十リムの値がついていた。だから、ケインの店は大儲けをして、今ではマルスの弓作りの下作業に五人の戦争未亡人を雇っていた。これは、マルスの希望でそうしたのである。先のグリセリードとの戦いで、一般人の被害は少なかったものの、兵士の死亡者は千人近く出ている。その遺族の中で、一家に働き手のいない者を優先的に雇い入れたのである。その他の遺族には、王妃から頂いた宝石を売った残りの金を一人五十リムずつ配分したが、それで彼らがどの程度命をつなげるか、心許ないものがあった。しかし、その程度の善行でも、彼らはまるで神の奇跡ででもあるかのように感激した。中には彼を「聖人マルス様」と呼んで、崇める者さえいたのである。
「こんな矢が一本で十リムもするなんてねえ」
女の一人が言う。
「それはマルス様の矢だからだよ。他の店の矢は一本一リムくらいのものさ。マルス様は弓の神様なんだから、当然さね」
「その神様が私たちと一緒に働いているなんて変なもんだね。私は、神様というと、お高くとまって威張っているものかと思った」
「マルス様は別さ。私たちにも優しくしてくれて、ちっとも威張らない。だからといって、お前達、マルス様を馬鹿にするんじゃないよ。あれこそ本当の聖人なのだからね」
と、一番年かさで、女たちのリーダーをもって任じているマルタという中年女が言った。
「見たところはほんの子供なのにねえ」
「しっ、誰か来たよ」
入ってきたのはジョーイであった。彼はレントから帰国し、今はアンドレから貰った一万リムを元手に武具屋を開いて繁盛していた。マルスの所からは矢尻を注文されていて、時々品物の納入に来るのである。
「おばさんたち、マルスがいないと思って、またお喋りしていたな」
「なにがおばさんだよ、自分はまだ子供のくせに」
「これでもジョーイ商店の主人だぞ。マルスのところを首になったら雇ってやるから、いつでも来な。でも、だめだな。マルスのところにはブスしかいねえや。俺はブスは嫌いだからな」
「何言ってんだい。まだチンチンに毛もはえてないくせに」
マルタの下品な言葉に、一座はどっと笑い崩れる。
「ちえっ、下品だな。それより、マルスはどこに行ったんだよ」
「さあね。きっとオズモンド様のお屋敷だろうよ」
「というより、マチルダ様の所さ」
それからひとしきり、マルスとマチルダがどうのこうのという話題で一座は賑わったのであった。

女たちが言ったとおり、マルスはオズモンドの屋敷にいた。一日に一度はここに来て、マチルダやトリスターナの顔を見、オズモンドと話をするのが、マルスの一番の楽しみなのである。
「結局、ポラーノ郡の新領主には、ロックモンド殿がなられるようだ」
オズモンドが宮廷の情報を話した。マルスにはあまり興味のない話題だが、宮廷の重臣を友人に持つと情報面で便利なのは確かだ。オズモンドは、新年から王室の侍従武官となっており、以前ほど自由には行動できないことを嘆いているのだが。
「ロックモンドというと?」
「アルプのジルベルト公爵の弟で、ポラーノの側のアンガルの領主だ。前からジルベルトと一緒に、もっと大きな領地をくれと運動していたのだよ。この前の戦ではろくな働きもしてないんだがな」
「それより、アンドレから消息はないのか」
「ないよ。きっと、トリスターナさんのことも忘れて、レントの女にでも夢中になってるんじゃないか」
オズモンドが、トリスターナに聞こえるように言う。トリスターナは笑って言った。
「あら、アンドレさんはそんな人じゃありませんわ。いえ、もちろん、あの人が他の女の人を好きになったって構いませんし、年上の私を選ぶより、その方がずっと自然ですけど」
「い、いや、そんなつもりで言ったんじゃないのです」
オズモンドは慌てて弁解した。

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少年マルス 48

第四十八章 約束

「スオミラという町がアスカルファンやレントの連中に奪い返されたそうだ。しかも、その連中とは、お主が散々に負けたアンドレとマルスだ」
スオミラが奪還されたという知らせを受けた、グリセリードのアルカード駐留軍司令官イゴールは、ストーブに手をかざしている傍らのガイウスに言った。
ガイウスは、ポラーノの戦いの後はグリセリード軍に戦いを任せ、自分は後ろで高みの見物を決め込んでいたのだが、思わぬグリセリード軍の敗北を見て、あっという間にポラーノに逃げ戻り、手兵五十人ほどを連れてアルカードに逃げ込んだのである。
イゴールはこの敗走兵たちにいい顔はしなかったが、アスカルファンに内乱を起こした功労者ではあるから、受け入れないわけにはいかなかった。
「負けたのはグリセリード軍だ。わしが負けたわけではない」
ガイウスは怒るでもなく、平然と言った。
「いずれにせよ、復讐するいい機会ではないか。どうだ、お主、スオミラ攻撃の指揮をせんか」
「気が進まんな。攻城戦は時間がかかって性に合わん。もし、やれと言うなら、兵士を千人出してくれ」
「あの程度の城に千人か。勇将ガイウスの名が泣くぞ」
「なんとでも言え。わしは勝てる戦しかしないのだ」
「なら、他の者をやろう。メドック殿はどうだ」
「二百人もあれば十分だろう。それに、相手が一晩で落とした城なら、こちらも一晩で落とせるさ」
メドックと呼ばれた男は、自信満々で答えた。
馬鹿め、とガイウスは心の中で呟いた。相手がある手を使ったなら、その手は二度と使えないということだ。それに、冬の早いこの地方では、篭城している側よりも、それを取り囲んで野宿をする側の方が辛いのだ。
ガイウスの予想通り、メドックの軍は、スオミラを包囲して二週間後に降り出した雪に音を上げて、グリセリード司令部のあるオレスクの町に戻ってきたのであった。その間に、城内から射掛けられた矢による被害がおよそ五十人、肺炎などにかかった病人が百人近く出ていた。

スオミラの町では、敵への備えを十分にした後、すでにレントからの兵士は帰還させていたが、マルスたちは大事を取って、しばらく残っていた。
しかし、雪が降り出し、このままでは川が凍ってアスカルファンへの帰国が難しくなるため、オーエンだけを残して、マルスたちはアスカルファンへ、アンドレはレントへいったん戻ることにした。
「さようなら、マルスさん、オズモンドさん、ジョン、それにトリスターナさん、マチルダさん」
オーエンは目に涙を浮かべて別れを告げた。
彼は、ここに残って町の軍事責任者になるのであるが、さすがに長い間行動を共にした仲間との別れは切ないものがあった。
アンドレは父親のイザークに別れを告げた。父親の年からして、もしかしたら、これが最後の別れになるかもしれない。
「どうしても、一緒にレントに来てくれないのですか」
「わしの事は気にするな。お前は自由に生きていけばいい。年寄りには住み慣れた所が一番なのじゃよ。どこにいても、お前の幸せを祈っとるからの」
アンドレは父親の肩を抱きしめて、涙をこぼした。
レントへ向かう商船に乗って、マルスたちはスオミラから離れた。
スオミラの町は、雪に降り込められて、おぼろになり、やがて消えていった。それは、ひどく物寂しい景色だった。

なんとなく寂しい船旅であった。アンドレは後に残してきた父親やスオミラの町が気がかりで物思いに沈んでいるし、他の者も、静かで内気だが、献身的で頼りになるオーエンとの別れが胸に残っていた。
別れの寂しさと、冬の寒さが、人々を物思いに耽らせる。アルカードほどではなくても、アスカルファンもそろそろ寒さがつのって来るだろう。
そして、マルスの十六歳の日々も終わろうとしていた。

アンドレはレントに残ったが、トリスターナは、結婚の件はしばらく考えさせてくれと言って、マルスたちとアスカルファンに戻り、ジョーイとクアトロはアンドレの客人として、レントにしばらく滞在することになった。

アスカルファンに帰ってすぐ、マルスはマチルダに求婚した。
「この国にもう一度、危機が訪れるそうです。もしも運良くその戦いに勝つことが出来たら、その時は、僕と結婚して貰えませんか」
ぎくしゃくとそう言って、マルスはマチルダの宣告を待った。
一秒、間があって、マチルダは小さく「ええ」と言った。
マルスは一瞬混乱した。今のは「ええ」だったんだろうか、それとも「いいえ」だったのか、それとも「ええと」と言ったのか。
マルスは間抜けな顔で聞き返した。
「つまり、承知したんですね」
「その通りよ。でも、約束して。結婚したら二度と危ないことはしないって。結婚した途端に未亡人なんて絶対にいやですからね」
「大丈夫です。結婚したら僕はあなたの為だけに生きますから」
と、世界の損失になるような事を軽軽しく約束して、マルスは有頂天になった。

グリセリードの草原を走る一頭の馬がいる。その馬上には、男装をし、軽い鎧を着た美女が乗っている。
彼女は空を見上げる。四方に遮るものが全く無いこの草原では、空が丸い。
太陽は中天にかかり、やや西に傾きかけている。
あの空の向こうにアスカルファンがある。来年になったら、そのアスカルファンが自分の最初の戦場となるのである。
ヴァルミラはにっこりと笑い、再び馬に鞭をくれた。
あざやかに馬を操るその姿は、一幅の絵のようであった。

        『軍神マルス』 第一部   完

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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