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軍神マルス第二部 27

第二十七章 海峡の戦い

 ボワロンの北西海岸にやっと到着したグリセリード陸上軍だったが、疫病のため砂漠に残した一万人と、その後に出た死者や重症患者のため、全体の兵力は僅か十万人程度になっていた。幸い、患者の中には回復に向かう者も少しはいたが、完全な健康体の者も、水と食料の欠乏した過酷な砂漠越えで体力を消耗していた。
「今戦いが始まったら、五百の兵士にも負けそうだな……」
デロスは海岸の木陰でぐったりと休んでいる兵士たちを見て呟いた。
「戦う前からこれほどの兵力を消耗したのは初めてだ。この戦は呪われているのか」
デロスの呟きを聞いて、傍らのマルシアスが笑った。
「デロス殿とも思えない弱気なお言葉ですな。なあに、少し休んだら兵たちも体力を回復しますよ」
「そうだな。……ところで、マルシアス、戦の指揮の事だが、もしもわしが死んだら、お主が全軍の指揮を執ってくれぬか」
「死ぬとはまた不吉な事を。一体どうなされたのです」
「はは、気にするな。別に迷信深くなっているわけではない。いつ不測の事があっても良いように戦の指揮体系を決めておくのも将の仕事の一つだ」
「はあ。しかし、序列から言って、デロス殿の次はエスカミーリオ殿でしょう」
「お主のこれまでの軍歴は、エスカミーリオなど話にならん。他の将官の中で、一万以上の軍を動かす力のあるのはお主以外いない」
「ヴァルミラ殿では?」
「何を馬鹿な事を。あれはまだ一度も戦をしたこともない子供だ」
「デロス殿の娘だというだけでも兵は信服して付いて行きます。それに、彼女の武芸の腕は国中知らぬ者は無い。戦略の面でも、アベロンの兵法書を深く読んでいる様子ですよ」
「戦は書物通りにはいかんさ。二、三度戦場に出た後なら考えんでもないが」
デロスは将官たちを集めて、自分に不測の事があった場合の指揮をマルシアスに任せる事を告げた。将官の中には、それを喜ぶ者もあり、不服そうな顔をする者もあった。

 海上のエスカミーリオ軍は、ポラポス海峡に近づきつつあった。マルスたちがアンドレと再会してから五日後であった。
「エスカミーリオ様。レントの船はいっこうに現れませんな」
エスカミーリオの副官のジャンゴが言った。
「うむ。別に不思議ではないが、張り合いがないな。この大船団なら名に負うレント海軍でも一蹴してみせるものを」
 空は良く晴れ渡っているが、海上は波がある。航海に出て以来、これほど雲一つ無い天気も珍しい。
 やがて、前方にポラポス海峡が見えた。
「あそこがポラポス海峡です。あそこを過ぎれば、アスカルファンもボワロンもすぐです」
船の乗組員がエスカミーリオにそう告げた。
「そうか。海底の岩に船底をこすらぬよう、注意して進めよ」
 およそ三百隻の船は、一列になって海峡に入った。先頭からおよそ三分の一が海峡の中に入った時、突然中団の船の一つが轟音を立てた。
「何事だ?」
船団の分隊の指揮をしている副将軍が慌てて、部下に聞いた。その間にも、轟音は続いている。
「はっ。どうやら、海峡の上の崖から投石器で攻撃を受けているようです」
「応戦しろ!」
「はっ。しかし、敵ははるか上方におり、こちらの矢はほとんど届きません」
 間もなく、崖の上からは石だけではなく、火矢も降り注いできた。
 海峡に入りかかっていた後続の船は、慌てて進路を変えようとしたが、狭い海峡では船がすれ違うことは難しい。後から進んでくる船と、戻ろうとする船の何艘かがぶつかり始めた。
 その時、西の海上に大船団が現れた。レント海軍である。
 海峡への侵入を諦めたグリセリード軍は、新たな敵を迎えて困惑した。全軍の指揮を執る旗艦はとっくに海峡の中に入っており、海戦を統率する者がいないのである。
 仕方なく、グリセリード軍およそ二百隻は、百五十隻のレント海軍にばらばらに立ち向かうことになった。
 アンドレの指揮下に、何ヶ月も石弓の訓練を積んでいたレント海軍と、一月近い航海の間、何の訓練もできなかったグリセリード軍との技量の差は明らかだった。
 レント海軍の石弓隊は、波に揺れる船を物ともせず、正確に敵船に矢を射掛けた。
 グリセリード軍の船は、マルスの放つ火矢によって次々に炎上し始めた。
「思ったよりグリセリードの船が少ないな」
マルスは、矢を射る手を止めて、傍らのアンドレに言った。
「百隻くらい海峡の中に入ったと思うが、それにしても少ないようだ。おそらく、航海の間に先頭から遅れた船が半分くらいあるんだろう。そんな船は気にする必要はない。海上でのんびりと各個撃破すればよい」
アンドレはマルスに答えた。
「半分の船でアスカルファンに兵を輸送するのはできるか」
「一回におよそニ万人くらいずつだ。海岸でなんとか迎え撃つことができる人数だろうな」
「では、だいぶこちらが有利になったわけだな」
「そう言っていいだろう。アスカルファン軍がよほどヘマをしなければな」
ほっと一息ついて、マルスは笑顔になり、アンドレと握手した。

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軍神マルス第二部 26

第二十六章 大戦略

 レントに着いたマルスとジョーイは、早速アンドレに会った。
「やあ、久し振り。マルスもジョーイも元気そうじゃないか」
アンドレは二人の手を固く握り締めた。
「それにしても、マルスはずいぶんでかく、ごっつくなったなあ。肩幅なんか、私の二倍くらいありそうだ」
ボワロンへの旅の間にまた一回り成長したマルスをアンドレは眩しそうに見た。アンドレの風貌は以前と少しも変わっていない。相変わらず、地上に降りた金髪の天使の風情である。
「オズモンドからの手紙に書いてあったが、マルスたちが見たグリセリード軍がボワロンの海岸に到着するまでに、もうあまり時間は無さそうだな。グリセリードへの間者からの報告では、八百隻の大船団が三週間前にグリセリードを出航しているそうだ。おそらく、マルスの推測通りボワロンの海岸で陸上軍と合流するのだろう。ならば、船には十二万人から二十四万人の兵しか乗っていないはずだ。それだけでも大変な数だが。……もし、それが最初からレントを狙ったら、レントの防衛は難しいだろうな。だが、もしも、船がレントを後回しにして、ボワロンからアスカルファンに向かうのなら、私には秘策がある」
「秘策って?」
ジョーイが聞いた。
「実は今、ジョーイの顔を見て思いついたんだ。その策にはジョーイの力が必要になりそうだ」
アンドレはジョーイに微笑んだ。

 グリセリード南岸を出たグリセリードの海軍は、慣れぬ船旅で海岸の浅瀬に乗り上げたり、風に流されて互いに衝突したりして八百隻の船のうちの百五十隻ほどを早くも失っていた。そのため、海岸から離れた所を進み、また互いにぶつからないように離れて進んだため、船団としてまとまっているのは三百隻ほどになっていた。残りはばらばらにはぐれたまま、レント方面に向かっているだけである。
「さすがに八百隻の船を揃えて進めるのは難しいな」
船団の司令官、エスカミーリオ将軍は、船の甲板で風に吹かれながら、副官のジャンゴに言った。
「これでは、デロス大将軍に怒られますかな」
「なあに、あいつが船に乗るのを怖がったから、俺が船のお守りをしてやったんだ。あいつには文句を言う権利など無いさ」
「デロス様の方はどうなっているでしょうな」
「楽な陸上行軍だ。敵がいるわけでもないし、十五万人無事に到着しているさ」
「しかし、八百隻でまだ良かったですよ。これが予定通り千五百隻の船を作っていたら、半分くらい沈没していたでしょう」
「まあな。船の操作がこれほど難しいとは思わなかった。前に船に乗った事がある人間がほとんどいないんだから、当たり前と言えば当たり前かもしれんが、軍を二手に分けたのはいい考えだったようだ」
 もちろん、この時点でデロスの陸上軍がマルスたちのために戦力を半分に減らしている事をエスカミーリオたちは知らないのである。

 アンドレは、テーブルに地図を広げてマルスとジョーイに自分の「秘策」の説明をした。
「アスカルファンとアスカルファン南の大陸の間にはこのように大きな入り海がある。しかし、この入り海への入り口は、見ての通り小さな海峡になっているんだ。ポラポス海峡と言うんだが、船がバルミアに行くにはこの海峡を通らざるを得ない。つまり、我々は陸上からここを通る船を攻撃することができるんだ」
「なあるほど。そこでこのジョーイの頭が必要になるんだな」
ジョーイが嬉しそうに言った。
「そうだ。お前に、陸上から船を攻撃する機械を作って欲しいんだ」
「だけど、時間がないんだろう?」
「今すぐ工兵や職人たちと船に乗って、ポラポス海峡に向かってくれ。これが攻城用の機械の図だ。これを参考にして投石器などを作ってくれないか」
「敵の船の大きさは?」
「二百人規模の大船だ。それが八百隻」
「八百隻では、難しいな。海峡の陸地はどうなっている? 砂浜か、崖か?」
「崖だ。海からの高さは、そうだな、このレントの宮殿の屋根までの二倍ほどある」
「そいつはいいや。近くに材料になる木は生えているか?」
「崖の後ろはずっと林だ。高木も沢山生えている」
「よし、じゃあ、俺は必要な道具と材料を確認して、すぐにポラポスに行く。クアトロも連れて行っていいかい?」
「もちろんだ」
ジョーイが去った後、アンドレはマルスに、グリセリードとの戦争全体の構想を話した。
「一番困るのは、グリセリードの船団に、直接にレントに来られることだ。レントの南岸なら、上陸できる所は限られているから防衛できるが、北部に上陸されたら対策は難しい。北部までレント軍を集結させるだけでも大変だ。だが、幸い、グリセリードの狙いはレントではなくアスカルファンだ。レント上陸はアスカルファンを征服した後だろう。もちろん、レントに上陸された際の作戦も考えているが、それは後で話す。もう一つの問題は、船団がボワロンに行く前にアスカルファンのどこかに上陸したらどうするか、ということだ。……」

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軍神マルス第二部 25

第二十五章 大戦前夜

 ヤクシーが自分たちを魔物から護っていたという考えを聞いて、ロレンゾはうなずいた。
「そう言えばそうじゃ。ヤクシーという名前を聞いた時から、気には掛かっていたのじゃが、お主の言う通りかもしれん」
「おそらく、その娘には強い守護霊がいるか何かじゃろう」
「しかし、それなら、奴隷に売られるような不幸な運命に遭ったのが解せんな」
「幸不幸はこの世の基準にしか過ぎん。霊界には別の基準があるのじゃろう」
「それも一つの考えじゃな」
ロレンゾはカルーソーに賢者の書を渡そうかと思ったが、イライジャの一件があったので、また今度はカルーソーが妖魔に襲われてはまずいと思って、そのまま宮廷を後にした。

マルスは帰国した翌日オズモンドを訪ねたが、オズモンドはレントへの出発で慌しく、ゆっくり話す事は出来なかった。しかし、オズモンドののんびりとした顔を見ただけでも、マルスは旅の疲れが癒されるような気がしたのであった。
「あのオズモンドという青年は福人じゃな。徳のある男じゃ。いわば、春の気配を持っており、周囲に良い影響を与える男じゃ」
ロレンゾは、そんな風な事を言った。
そう言えば、マルスの運命が大きく変わったのも、考えてみればオズモンドと出会った事からであった。
トリスターナも懐かしそうにマルスを迎えた。
「その後、アンドレとはどうなってます?」
「ええ、手紙は毎月来ますけど、どうなんでしょう。まだ本気で私と結婚したいと思っているのかどうか。私は、あのプロポーズは逆上して口走っただけだと思うんですよ」
「そうは思えませんけどねえ。アンドレは知恵の塊みたいな男ですから、彼が一時の気紛れであんな事を言うとは信じられません」
「でも、お手紙の中味は、なんだか難しいことばかりなんですよ。世界情勢がどうとか、この世の真理がどうとか。女に出す手紙には見えませんわ」
成る程、アンドレの知恵も及ばない事はあるんだな、とマルスは納得した。
「では、オズモンドの方はどうなんです?」
「あら、ジーナさんからお聞きになってませんの? オズモンドさんは、このところずっとジーナさんにお熱なんですのよ。どちらの家族も身分が違いすぎると言って難色を示してますけど、オズモンドさんは本気ですわ」
 でもまあ、同じオールドミスで終わるにしても、あの修道院から出て良かったですわ、とトリスターナは美しく微笑んだ。
 マルスは、その時、ふと思い出した。
「ところで、やっとこれを取り戻しましたよ」
マルスは、ジルベールの形見のダイヤのペンダントを出して、トリスターナに示した。
「あっ、それはジルベールのペンダント。それではやはりマルスさんは、ジルベールの子供だったのね。いいえ、もちろんそのペンダントが無くても、そうだと思ってましたけど、これで堂々とオルランド家の相続ができますわ」
「相続なんて、そんな事は考えてません。ただ、これで父の行方について、アンリさんに確かめる事ができるのではないかと……」
トリスターナは小首をかしげた。
「さあ、それはどうでしょう。私も何度かアンリに面会を申し込みましたけど、いつも門前払いでしたわ。親類の者たちも皆アンリの味方をして、私の力になってくれそうな人はいないし、私もいつまでもここでご厄介になるわけにもいきませんしねえ。せめて、親の遺産の一部でも貰えたら、一人でなんとか生きていくことはできるんでしょうが」
「大丈夫です。お金の事なら、これから一生、何の心配もありません」
マルスは、ピラミッドから持ち出した首飾りをトリスターナに渡した。これはトリスターナにやろうと最初から考えていた物である。
「まあ、これは何ですの? こんな素晴らしい首飾りは見たことがございませんわ」
マルスはピラミッドの事をトリスターナに話した。
「でも、これは受け取れませんわ。あなたたちが、そんな危険な思いをして命がけで取ってきた物を、ここで遊んでいた私が貰うなんて、出来ません」
 その首飾りをトリスターナに受け取らせるのに、マルスは大汗をかき、これなら千人の大軍を相手に戦う方がましだ、と心の底で考えたものであった。

 やがて、オズモンドがアンドレからの手紙を携えてレントから戻った。
 その手紙は、マルスたちの無事を祝うと共に、マルスたちにレントへ来てアンドレらの軍に加わらないかと勧める内容だった。
「おそらく、アスカルファン軍の中では、マルスの力を自由に振るう事は出来ないだろう。レント国王は、私の思うままに軍を指揮させてくれる。もし、マルスが私の軍に加わってくれるなら、これほど心強いものはない」
 アンドレの手紙はそのように書いてあった。マルスとしても、望むところである。アンドレの智謀なら、グリセリードの大軍を相手でも互角に戦いを挑めるだろう。
 マルスはピエールとロレンゾに、オズモンド一家とケイン一家の守護を頼み、レントへ向かう船に乗った。
「レントのアンドレの所へ行くのかい。なら、おいらたちも連れて行ってくれよ。また戦争が始まるんだろう? なら、おいらたちも役に立つぜ」
 そうマルスに言ったのはジョーイである。彼は繁盛している店を閉めて、マルスと共にレント軍に加わった。もちろん、巨人クアトロも一緒である。

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軍神マルス第二部 24

第二十四章 アスカルファンへの帰還

自軍の飲料水の大半が、夜の間に何者かに捨てられた事を知ったデロスは激怒した。
見張りの兵士はそれぞれ鞭打ち二十回ずつの処罰をしたが、失われた水は取り戻せない。
それよりもさらにデロスを怒らせたのは、自軍兵士の中に数日後、疫病が発生し、それが同じ夜に食料に何かを入れられたからだと知った事だった。
「なぜ、食料に異常がないか調べぬ。糧秣隊の班長は何と言っておるのだ」
「はっ、食料が水浸しになり、厭な臭いがしている事は分かってましたが、あまりにも大量の被害なので、捨てたらお叱りがあるかと思い、兵たちに食わせたそうです」
「わしたちの物も同じか」
「いえ、高級将校のお食事は、被害の無かった馬車の食料から作ったそうです」
「愚か者め。同じ物を出していたら、もっと早く異常に気付いて、被害を少なくできたものを」
デロスが調べさせると、疫病にかかった兵士の数は一万人以上で、まだ増えそうだという事であった。そして、水の残りは、あと十日の行程に対して、七日分しか無かった。
「疫病にかかった者は、皆、この近くで休養させるがよい。但し、異常の無い者は、全員このまま行軍する。看護は残った者同士でするがよい。水と食料は半分に分けて一つは病人どもに残す。先に行く連中は、三日ほどは飲まず食わずになるが、なあに、砂漠にも多少は水もあるし、草もある。草の根でも噛んで水分を補給すればよい。病気の者は、歩けるようになったらダンガルに向かい、そこでゆっくり休養しておけ。戦が長期戦になったら、その者たちにも出番はあるだろう」
 一万人の病人を背後に残し、デロスたちはさらに西海岸に向かった。しかし、その後も患者の数は増え続け、ボワロン北西部の海岸に到着した時には、疫病による死者が三千人、重態の患者が二万人に上っており、軽い患者も五万人近くいた。

 マルスたちは、自分たちのした事がこれほどの効果をもたらしたことは知らなかった。
グリセリード軍の水と食料を台無しにした後、夜警に発見されそうになった二人はロレンゾたちの所に逃げ戻り、そのまま大急ぎで出発したのであった。
病人などのせいで行軍の速度の落ちたグリセリード軍よりはるかに早い速度で進んだマルスたちは、それから四日後にはボワロンの北西海岸に着き、そこから小船でアスカルファンに向かっていた。
アスカルファンに着いた一行は、マルスはまずケインの家に、マチルダはロレンゾと共に自分の屋敷に行って、無事な顔を見せたが、ピエールとヤクシーはそのまま宿に残って、長旅の疲れを癒し、風呂の後は、思い切り贅沢な食事と高価な酒を楽しんだのであった。

「いやあ、とにかく無事でよかった。だが、お前、ずいぶん真っ黒になっちまったなあ」
オズモンドに言われたマチルダは、笑って言った。
「あら、これは変装よ。グリセリード人に化けてたの。ねえ」
 マチルダは同意を求めて、自分の保護者然と構えているロレンゾを振り返ったが、ロレンゾは首を横に振って言った。
「あの塗料の効き目は数日間だけじゃよ。それは本物の日焼けじゃ」
マチルダは気を失った。

 ロレンゾからグリセリード軍の侵攻の話を聞いたオズモンドは、翌日、国王にその報告をした。
 オズモンドの報告で、宮廷は上を下への大騒ぎになったが、例によって、重臣たちは、自分こそが総大将になってグリセリード軍に立ち向かいましょう、王様は大船に乗った気持ちでいてください、と大言壮語したりしている。こうした口先の英雄が戦場でまともに働いた例は無いのだが、それでシャルル国王はすっかり安心したようである。
「レントへの救援の依頼は必要ありませんか?」
「まあ、その必要は無いと思うが、わが国への脅威はレントへの脅威でもあるから、レントも一緒に戦いたいであろう。唇滅べば歯が寒い、と言うでな」
 対グリセリード軍の総大将に決まったジルベルト公爵が偉そうに言った。
 すぐさま、国王からの親書を持って、オズモンドはレントに向かった。

 ロレンゾは宮廷に旧友のカルーソーを訪ねていた。賢者の書の解読を依頼するためである。
 懐かしげにロレンゾを迎えたカルーソーだが、賢者の書を見て眉をひそめた。
「古代パーリ語か。これはまた難しい物を持ってきたな」
「お主でも無理か」
「まあな。やはり、パーリの人間でないとな。その、ヤクシーという娘はパーリの人間なら、少しは読めるのではないか?」
「それが、その娘は学問嫌いで武術しかしなかったというのでな。パーリの文字もろくろく読めんのじゃよ」
「王家の娘といってもそんなものかの」
「女には教育などしないのが、やはり普通じゃろう」
「しかし、その娘は、自分でも気付かない力を持っているかもしれんぞ」
「なぜそう思う?」
「お主らが魔物の襲撃を受けなくなったのは、その娘が仲間に加わってからじゃろう?」
あっとロレンゾは思った。灯台下暗しとはこの事か。

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軍神マルス第二部 23

第二十三章 グリセリード軍との遭遇

 神殿に近い墓地にこっそりとイライジャの屍骸を埋め、簡単な葬儀をした後でマルスたちはイライジャの書斎から、古代パーリ語の写本二冊を探し出し、それを荷物の中に入れて、ダムカルを離れた。
 来た時とは違って、なるべく砂漠を避けて、一行は東の海岸回りで帰ることにした。
ダムカルを離れる前に、ヤクシーは人目を避けながら何人かのパーリの女たちに会い、自分の生存を知らせて、必ずここに戻ってくると約束した。女たちは涙を流し、あなただけが希望だとヤクシーに訴えていた。
「なんとかして、パーリをボワロンから、いや、グリセリードから解放しなけりゃあならんな」
 ヤクシーや女たちの様子を見ていたピエールは、さすがに同情せざるを得なかったのか、再び旅に出た後、マルスに向かってそう言った。
「それは、そう遠くはなさそうだぞ。見てみろ、あの軍勢を」
マルスが地平の彼方を指した。そこには地平を埋め尽くすかと思われる数の軍隊が、西に向かって行進しているのだった。
「グリセリードの軍隊だ。ボワロンの西に向かっている」
「グリセリードがボワロンに何の用がある?」
「おそらく、ボワロンの海岸からアスカルファンに向かうのだ」
「だが、ボワロンの海岸にはそんな船など無かったぞ」
「何か、軍勢をアスカルファンに運ぶ方法があるのだ。どのようにしてかは、分からんが」
「じゃあ、アスカルファンは風前の灯じゃあねえか」
愛国心など全く無いピエールだが、戦で無辜の民が殺されるのを見殺しには出来ない。
「あの軍勢は少なくとも十万はいそうだな」
マルスの視力を以てしても数え切れない大軍だ。
「幸い、向こうは歩兵がほとんどだ。俺たちは駱駝があるから、奴らよりは何日か早く西側海岸に行き着ける。だが、何とかして、あいつらの数を減らせないものかな」
ピエールの言葉に、マルスはロレンゾを見た。
「一番いいのは、彼らの飲み水を失わせることじゃろうな。それと、食料や武器に損害を与えることだ。そうすれば、自ずと戦力は下がる」
ロレンゾの言葉に、マルスは前回の戦いでグリセリード軍に奇襲を掛けた時の事を思い出した。しかし、こんな砂漠の中で、十万もの軍勢相手に奇襲は不可能である。
「ロレンゾ、姿を見えなくする術を教えてください」
マルスの言葉に、ロレンゾは驚いた。
「魔法はそんなに簡単なものではないぞ。一体、何をしようというのだ?」
「僕があの軍勢の中に忍び込んで、水と食料を駄目にしてきます」
「前にも言ったが、姿を消す術は、催眠術だ。多くの者を相手にしてはできない」
「それでもいいです」
ロレンゾはためらったが、マルスの決意は固かった。
ロレンゾは、マルスとピエールに、ある秘策を教えた。二人で、グリセリード軍に侵入すると言ったからである。
「要するに、気合の問題じゃ。催眠術など使わずとも、お主らが、グリセリード軍の兵士のつもりでいれば、誰一人お主らを疑うまい。だが、少しでも怯えたなら、一発で見破られるだろう」
マルスとピエールは、髪を黒く染め、グリセリード風の表情を作る練習を少しした後、グリセリード軍の方へ向かって歩き出した。
歩きながらマルスは、砂漠の湿地帯に落ちていた、蝿のたかった動物の糞を、水の入った皮袋に入れた。蝿のたかった食物が危険な事をこの時代の人間はあまり知らなかったが、マルスは山の古老から教わっていた。
マルスたちがグリセリードの野営地に着いた時は、ちょうど軍隊が夕食も終わって眠りにつこうとしている頃だった。
星明りだけの闇の中を、マルスとピエールは堂々と近づいていった。
形だけの夜警はいるが、グリセリード軍はまったく敵に対する警戒はしていなかった。十五万もの大軍に対する奇襲など想像も出来なかったし、ここボワロンは、まだグリセリードの統治領だったからである。
これだけの人数がいれば、自分の部隊以外の人間の顔など誰も知らない。マルスやピエールが夜営地の中を歩いていても、どこか別の部隊の御用商人が、小用に立ったのだろうとしか思っていないのである。南部グリセリード風の格好をしたマルスとピエールの姿は完全に周囲に溶け込んでいた。
輜重車には警護の兵士が付いていたが、本気で警戒している者は一人もいない。デロスからは、厳重に警備しろと命ぜられているが、輜重車が狙われた事など一度も無いのだから、心が緩むのも当然だろう。
水だけでニ百台、食料は三百台の輜重車の中で、見張りの遠くにあるものからマルスとピエールはこっそり近づいた。
水の樽は栓を抜いて転がし、食料には溶けた糞便液をかける作業を二人は一晩続けた。

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軍神マルス第二部 22

第二十二章 イライジャの死

「そういう訳でしたか」
ヤクシーの話を聞き終わって、イライジャは溜め息をついた。
「なんというご苦労をなされたのでしょう。お可哀想に」
「もう終わったことよ。これまで、王宮でぬくぬくと贅沢をしていた罰が当たったのね」
「そんな……。パーリ王ほど善政を敷かれた方は無いのに」
二人の会話を聞いていたピエールが口を挟んだ。
「天道是か非か、ってところだな。愁嘆場はそれくらいにして、用件に入ろうぜ。あんた、古代パーリ語を読めるかい?」
「わずかならな。なぜだ?」
イライジャは戸惑ったように聞いた。
ロレンゾが懐から賢者の書を取り出す。
「これを解読して欲しいんじゃ。今、世の中が大変な事になろうとしておる。一国の興亡など話にならん、世界の危機じゃ。悪魔がこの世を支配しようとしておるんじゃよ」
「あんたは?」
「わしの名はロレンゾ。魔法を少々使うが、もともと武士上がりで、生憎、学問が今一つでな」
「古代パーリ語か。難物じゃな。少しお借りして、研究してみよう。古代パーリ語の写本がここには何冊かあるから、それと照らし合わせれば、幾分かは分かるかもしれん」
ロレンゾはイライジャに賢者の書を手渡した。
五人は、神殿の奥の庫裏の一室で、久し振りにベッドで寝ることが出来た。

 翌朝、目を覚ますとすぐにイライジャの部屋に行ったロレンゾは、部屋の戸が開いているのを奇妙に思ったが、そのまま中に入った。
 そこでロレンゾが見たのは、床に横たわるイライジャの血まみれの体の上にのしかかってその喉首に喰らいついている大猿の姿だった。
 ロレンゾは大声でマルスたちを呼んだ。
 その声に顔を上げた大猿は、ロレンゾを一睨みすると、側の机の上にあった本に手を伸ばし、それを口に銜えて窓からさっと出て行った。
 床の上のイライジャは、既に喉を食い破られてこときれていた。
 ロレンゾは窓に駆け寄って大猿の行方を目で追った。
「マルス、弓を取って来い! あの大猿が賢者の書を持って逃げた」
 ロレンゾの言葉に、マルスは部屋に駈け戻って弓を手にして外に走り出た。
裏庭につないであったグレイに飛び乗り、大猿を追う。
大猿は今しも林の中に姿を消そうとしていた。
一度後ろを振り返って、自分を追うマルスの姿を見た大猿は、跳躍して林の木の枝に飛びついた。
マルスは弓に矢を番えた。大猿の手が枝に掛かった瞬間、マルスの矢が猿の背中に突き立ち、ぎゃっと一声上げて、大猿は木の下に転落した。
 マルスは大猿の落ちた辺りに近づいた。
 その時、グレイがいなないて棒立ちになった。大猿が跳ね起きてこちらに向かってきたのである。
マルスはさっと踝を返してグレイを後ろに走らせ、離れた所から、数本の矢を続け様に射た。あっと言う間に大猿の体には何本もの矢が突き立った。
大猿の体がぐらりと揺れて、地響きを立てて倒れた。なんともしぶとい生き物だが、今度こそ本当に死んだようだ。
木の下から賢者の書を拾い上げて、マルスはロレンゾたちの元へ戻った。
「もう駄目じゃな。わしらのせいで、何の罪も無い老人を死に至らしめてしまった」
ロレンゾは後悔するように言った。
「なあに、このくらいの年になりゃあ、遅かれ早かれそろそろお迎えの来る頃さ」
ピエールが口悪く言って、おっと、と口を押さえてヤクシーの顔を見た。
「でも、これで賢者の書を解読する事が不可能になったわけじゃない?」
マチルダがロレンゾに尋ねた。
「そうじゃな。どうしたものじゃろう」
イライジャの死体の前に屈みこんでいたヤクシーが立ち上がって言った。
「もしかしたら、イライジャの弟子が古代パーリ語を読めるかもしれないわ」
ロレンゾの顔がぱっと明るくなった。
「その者の名は何と言う?」
「名前はオマー。でも、あの敗戦で子供と老人以外の男はほとんど殺されたんだから、生きているかどうかもわからないわ。生きているとしたら、多分奴隷になっているでしょうね」

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軍神マルス第二部 21

第二十一章 パーリの神殿

 ピラミッドの宝物室を出た後、マルスたちは、宝物室への通路を元通りに石を組んで閉じた。これで、彼らの後にピラミッドに入る者がいても、宝物室は見つけきれないだろう。
「このピラミッドは俺たちのでっかい金庫ってわけだ」
ピエールは満足そうにピラミッドを見上げて言った。
「さて、それではパーリに向かうことにするか」
宝を見つけたことよりも、思わぬ時間を取られた事を後悔しながら、ロレンゾが言った。
「そうだ、こいつは返しておこう」
ピエールは、胸元からペンダントを取り出して言った。
それは、ずっと前にピエールがマルスから盗んだブルーダイヤのペンダントだった。
「やっぱり、まだ持っていたんだ」
マルスはそれを受け取りながら苦笑いした。
「まあな。俺は泥棒だから、只で返す気は無かったが、こんなお宝が手に入った以上は、こいつはあんたに返すぜ。親父の形見とか言ってたな」
「ああ。見た事もない父だがな」
久し振りに見るブルーダイヤのペンダントを開け、中に入れてあった護符を確認する。
「ほう、それはわしがお前に与えたものだな」
「ええ。この中に入れてあったんです」
「なら、瑪瑙のペンダントの方は、マチルダに上げるがよい」
「そうですね」
マルスから渡されたペンダントを、マチルダは首に掛けた。本当は、ブルーダイヤの方がきれいだと思ったのだが、そっちは親子の証の品だというので、欲しいとは言えなかったのだ。
まあ、いいわ、マルスが父親に遇ったら、ペンダントは用済みなんだから、そのうちそれも私のものよ、とマチルダが心の中で考えたことをマルスは知らない。マルスに対する愛情と、宝石への愛はまた別物である。

ピラミッドに立ち寄ってから九日後、マルスたちの前に草原が現れた。パーリ国である。砂漠地帯から、少し内陸部になっており、さらにその先は猛獣だけの世界であるジャングルが続いている。
 そして、草原の中にやがて一つの町が見えてきた。遠くからでも、古代からある町だという事がはっきり分かる、古びた壮麗な建物の多い町である。
「あそこがダムカルよ。パーリの都の中で、神聖都市と言われているところよ」
ヤクシーが指差す方を見て、ピエールが呟いた。
「ダムカルだって? ダンガルと似ている名だな」
「ダンガルはダムカルにあやかったのよ。大昔はパーリとボワロンは一つの国だったの。国王で大賢者のアロンゾが治めていた頃は、世界の中心だったくらいよ。今の魔法のほとんどは、アロンゾが見つけ出したものだと言うわ。その中でも、アロンゾの指輪は、悪魔を支配する力を持った指輪だという伝説があるのよ」
「アロンゾの指輪、別名ダイモンの指輪じゃな。その伝説が、悪魔と戦おうという我々の頼りなんじゃよ」
ロレンゾは言った。
「マルスが嵌めておる指輪がそれじゃ」
ヤクシーはびっくりして、マルスの指を見た。
「ところが、その指輪を使う呪文が分からないんでな。この賢者の書に、その呪文が書かれているというわけだ」
「それで、その本を読むためにパーリに行く必要があったわけね」
 ヤクシーの話では、ダムカルには古代からの神殿が幾つかある、ということである。
町はボワロンの兵士が支配しているはずだが、神殿までは警戒していないだろう、ということでマルスたちは暗くなるのを待ってダムカルの最大の神殿に潜入することにした。
神殿はほとんど人がいず、マルスたちは何の困難も無く、神殿に入ることができた。
日が沈んだ後の、ほとんど真っ暗な建物の中を五人は一かたまりに進んでいった。
神殿の奥に一つだけ、明かりの灯った部屋があった。
ヤクシーが部屋の戸をそっと叩くと、中から「どなたかな?」という声があった。
「ヤクシーよ。イライジャ」
「ヤクシーだと? パーリの姫のヤクシー様なら死んだはずだ」
戸が開いて、中から明かりが洩れた。
逆光の中に見えたのは、僧服をまとった、黒い肌に白髪の老人だった。年は八十以上に見えたが、背は高く、腰も曲がっていない。
「おお、ヤクシー様。生きておられたのですか。良かった……」
その老人は、ヤクシーと抱き合って涙を流した。
「お前も無事で良かったわ」
ひとしきり再会を喜び合うと、イライジャと呼ばれた老人は他の者たちを不審そうに眺めた。
「この方たちは?」
「私の恩人よ。この人たちの御蔭で、奴隷の身から解放され、憎い仇のザイードも倒すことが出来たの」
「何と、あなた方はあのザイードを倒したと?」
「俺たちは、知らずにお膳立てしただけで、ザイードを殺すのは、このお姫様が一人でやったんだがな」
 ピエールが解説を加えた。

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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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