第三章 騎士への道
六畳ほどの大きさの室内には、大きな木箱のようなベッド以外には家具らしい物はない。部屋の壁には、聖者の像が棚に載っていて、お灯明が上げられている。窓から見えた明かりは、この灯明であった。
「御覧の通り、ここにはベッドは一つしかない。床に寝て貰うしかないが、それでもいいかね」
老人は、フリードをじっと見て言った。
老人は、年の頃は五十くらいだろうか。背が高く、肩幅が広く、まだ腰も曲がっていない。骨太のがっしりした体は、若い頃何かで鍛えたものらしく思われる。頭はてっぺんがほとんど禿げて、灰色の髪がその禿頭の周りを後光のように囲んでいるところは、何やら神々しい感じさえある。しかし、その目は、鋭かった。
「もちろん結構です。屋根と壁さえあれば、文句はありません」
「食事はパンと水しかないぞ」
「それも結構です。私が干し肉と炙り肉を持っていますから、それを一緒に食べましょう」
「ほう、炙り肉とは有り難い。ここのところ肉とは縁がなかったから、肉の味を忘れておったところだ」
老人は部屋の隅にあった大きな樽を運んできて、それを食卓にした。
「そのベッドに腰掛けなさい。わしはこっち側に座る」
樽の上に置かれた炙り肉を老人は手に取って、逞しい歯で噛みちぎった。まだ、歯が抜ける年ではなさそうだ。
「うむ、美味い。年は取っても、やはり肉より美味いものはない」
老人は美味そうに兎の炙り肉を食い尽くした。
「ところで、お前はどうしてこんな山の中を歩いておる」
「フランシアに行こうと思って旅をしているのです」
「ほほう、どうしてだ」
フリードは返事に困ったが、嘘をつくことに慣れていなかったので、つい本当の事を言ってしまった。
「実は、人を殺して逃げているのです」
「ほう、そんな無邪気な顔をして、お主は人殺しなのか。どんな事情で殺したのだ」
老人は面白そうな顔をした。フリードの言葉に驚いた様子はない。
フリードは、この老人が自分の人殺しの話を少しも怖がらないので、安心して、村を離れた事情を話した。
老人は、頷いた。
「そんな事か。それならお前には罪はない。父親を救うためにお前が役人に刃向かったのは、息子としては当然だ。だが、それでお主は居場所を失ったわけだな。そいつはとんだ災難だった。しかし、何が自分の幸いになるかは分からん。お前には、これからいいことがあるはずだ。お前は、いい顔をしている」
「あなたには、人の運命が分かるのですか? あなたは魔法使いですか?」
「そんなものではないが、人の運命は性格によるものだし、性格は人相に現れるものじゃ。悪相の善人などいた例はない。もっとも、美男がいい人相だというわけでもないがな。わしの知っている極悪人は、この上ない美男だったわい」
フリードは、老人の言葉の端々から、この老人が数奇な運命を送ってきた人間であるように感じた。
「あなたは、どんな方なのですか」
フリードは思い切って老人に尋ねた。
「おお、言い忘れておった。わしはジグムントと言って、フランシアの騎士だった者だ。長い間あちこちの戦場で人殺しをしてきたが、そんな暮らしに嫌気がさして、ここに籠もって隠者のような暮らしをしているのだ」
騎士と聞いて、フリードの目が輝いた。騎士になることは、フリードの長い間の憧れだったのである。
「騎士の身分を捨てるなんて、もったいない」
「なあに、お前だってその気になれば、すぐに騎士になれるさ。どこかの戦場に潜り込んで敵の大将の首を一つ上げればいい。それを手みやげに仕官するのだ」
「そんな簡単なものですか」
「どこの国王も、腕のいい騎士は欲しがっている。ただし、そのために金を使うのはいやがるから、鎧兜を自弁して、馬も自弁できるなら、いつでも騎士として召し抱えるさ」
「そんなものですか」
「そんなものだ。世の中というものは、表を見れば雁字搦めだが、いくらでも抜け道があるものさ」
ジグムントの言葉は、フリードを考え込ませた。自分は生まれた時から平民で、それ以外の身分になれるなどと考えたこともなかったが、そうではなかったのである。
「もしも、お前が騎士になりたいのなら、わしの武具をお前にやってもいいぞ。昔の記念に取って置いたが、どうせあの世までは持っていけん。先ほどの炙り肉の礼に、お前にやろう」
ジグムントは、ベッドにしている木箱の上のマットを上げて、木箱の蓋を開けた。
木箱の中から取り出したのは、見事な作りのプレートメイル、つまり、板金鎧である。兜や籠手もついている。木箱の奥から、老人はさらに、立派な剣を取り出した。
「どうだ。なかなか見事な剣であろう。戦場で何人もの敵を倒してきた業物だ」
老人が鞘から抜いた剣は、獣脂でも塗ってあったらしく、錆一つついてなかった。さすがに、研いでないだけ輝きは鈍かったが、いかにも実戦で使われた物らしい風格がある。
「今のわしでは、これだけの重さの鎧を着ては動けん。お前はなかなか逞しい体をしておるから、大丈夫だろう。どうだ、わしがお前の従者をしてやろうか」
「えっ」
フリードは自分の耳を疑った。
「いや、話をしているうちにもう一度世間を見たくなってきたのだ。このまま栗鼠や猿を相手に山の中で死んでいくのもつまらん。わしはお前の顔が気に入った。お前さえよければそうしてもいいが?」
「従者だなんて。私があなたの従者をするならともかく」
「騎士も従者も同じようなものだ。それに、この年では、騎士よりは従者の方がわしは気楽だ。戦場で命を賭けて戦うのはお前に任せる」
「分かりました。それなら、是非お願いします」
「だが、騎士になる以上は、いつ剣で命を落としても後悔するなよ」
「分かってます。剣一つで名を挙げるのは、ぼくの夢でしたから」
「本当のところ、戦場では、剣はあまり役に立たんよ。少なくとも、プレートメイルを着た相手には、長柄の斧か棍棒の方がよほど役に立つ。わしは、剣は、斬るよりも殴りつけるのに使ったものだ」
ジグムントは、剣を片手に颯爽と戦場を駆け巡る自分の姿を思い描いてうっとりとなっていたフリードの想像に水を掛けるような現実的なことを言った。
その晩のフリードの夢は、未来の自分が騎士の身なりで戦場に出ている姿だったが、敵の騎士(なぜかジグムントのような気がした)に棍棒で馬から叩き落とされるという、あまり威勢の良くないものだった。
六畳ほどの大きさの室内には、大きな木箱のようなベッド以外には家具らしい物はない。部屋の壁には、聖者の像が棚に載っていて、お灯明が上げられている。窓から見えた明かりは、この灯明であった。
「御覧の通り、ここにはベッドは一つしかない。床に寝て貰うしかないが、それでもいいかね」
老人は、フリードをじっと見て言った。
老人は、年の頃は五十くらいだろうか。背が高く、肩幅が広く、まだ腰も曲がっていない。骨太のがっしりした体は、若い頃何かで鍛えたものらしく思われる。頭はてっぺんがほとんど禿げて、灰色の髪がその禿頭の周りを後光のように囲んでいるところは、何やら神々しい感じさえある。しかし、その目は、鋭かった。
「もちろん結構です。屋根と壁さえあれば、文句はありません」
「食事はパンと水しかないぞ」
「それも結構です。私が干し肉と炙り肉を持っていますから、それを一緒に食べましょう」
「ほう、炙り肉とは有り難い。ここのところ肉とは縁がなかったから、肉の味を忘れておったところだ」
老人は部屋の隅にあった大きな樽を運んできて、それを食卓にした。
「そのベッドに腰掛けなさい。わしはこっち側に座る」
樽の上に置かれた炙り肉を老人は手に取って、逞しい歯で噛みちぎった。まだ、歯が抜ける年ではなさそうだ。
「うむ、美味い。年は取っても、やはり肉より美味いものはない」
老人は美味そうに兎の炙り肉を食い尽くした。
「ところで、お前はどうしてこんな山の中を歩いておる」
「フランシアに行こうと思って旅をしているのです」
「ほほう、どうしてだ」
フリードは返事に困ったが、嘘をつくことに慣れていなかったので、つい本当の事を言ってしまった。
「実は、人を殺して逃げているのです」
「ほう、そんな無邪気な顔をして、お主は人殺しなのか。どんな事情で殺したのだ」
老人は面白そうな顔をした。フリードの言葉に驚いた様子はない。
フリードは、この老人が自分の人殺しの話を少しも怖がらないので、安心して、村を離れた事情を話した。
老人は、頷いた。
「そんな事か。それならお前には罪はない。父親を救うためにお前が役人に刃向かったのは、息子としては当然だ。だが、それでお主は居場所を失ったわけだな。そいつはとんだ災難だった。しかし、何が自分の幸いになるかは分からん。お前には、これからいいことがあるはずだ。お前は、いい顔をしている」
「あなたには、人の運命が分かるのですか? あなたは魔法使いですか?」
「そんなものではないが、人の運命は性格によるものだし、性格は人相に現れるものじゃ。悪相の善人などいた例はない。もっとも、美男がいい人相だというわけでもないがな。わしの知っている極悪人は、この上ない美男だったわい」
フリードは、老人の言葉の端々から、この老人が数奇な運命を送ってきた人間であるように感じた。
「あなたは、どんな方なのですか」
フリードは思い切って老人に尋ねた。
「おお、言い忘れておった。わしはジグムントと言って、フランシアの騎士だった者だ。長い間あちこちの戦場で人殺しをしてきたが、そんな暮らしに嫌気がさして、ここに籠もって隠者のような暮らしをしているのだ」
騎士と聞いて、フリードの目が輝いた。騎士になることは、フリードの長い間の憧れだったのである。
「騎士の身分を捨てるなんて、もったいない」
「なあに、お前だってその気になれば、すぐに騎士になれるさ。どこかの戦場に潜り込んで敵の大将の首を一つ上げればいい。それを手みやげに仕官するのだ」
「そんな簡単なものですか」
「どこの国王も、腕のいい騎士は欲しがっている。ただし、そのために金を使うのはいやがるから、鎧兜を自弁して、馬も自弁できるなら、いつでも騎士として召し抱えるさ」
「そんなものですか」
「そんなものだ。世の中というものは、表を見れば雁字搦めだが、いくらでも抜け道があるものさ」
ジグムントの言葉は、フリードを考え込ませた。自分は生まれた時から平民で、それ以外の身分になれるなどと考えたこともなかったが、そうではなかったのである。
「もしも、お前が騎士になりたいのなら、わしの武具をお前にやってもいいぞ。昔の記念に取って置いたが、どうせあの世までは持っていけん。先ほどの炙り肉の礼に、お前にやろう」
ジグムントは、ベッドにしている木箱の上のマットを上げて、木箱の蓋を開けた。
木箱の中から取り出したのは、見事な作りのプレートメイル、つまり、板金鎧である。兜や籠手もついている。木箱の奥から、老人はさらに、立派な剣を取り出した。
「どうだ。なかなか見事な剣であろう。戦場で何人もの敵を倒してきた業物だ」
老人が鞘から抜いた剣は、獣脂でも塗ってあったらしく、錆一つついてなかった。さすがに、研いでないだけ輝きは鈍かったが、いかにも実戦で使われた物らしい風格がある。
「今のわしでは、これだけの重さの鎧を着ては動けん。お前はなかなか逞しい体をしておるから、大丈夫だろう。どうだ、わしがお前の従者をしてやろうか」
「えっ」
フリードは自分の耳を疑った。
「いや、話をしているうちにもう一度世間を見たくなってきたのだ。このまま栗鼠や猿を相手に山の中で死んでいくのもつまらん。わしはお前の顔が気に入った。お前さえよければそうしてもいいが?」
「従者だなんて。私があなたの従者をするならともかく」
「騎士も従者も同じようなものだ。それに、この年では、騎士よりは従者の方がわしは気楽だ。戦場で命を賭けて戦うのはお前に任せる」
「分かりました。それなら、是非お願いします」
「だが、騎士になる以上は、いつ剣で命を落としても後悔するなよ」
「分かってます。剣一つで名を挙げるのは、ぼくの夢でしたから」
「本当のところ、戦場では、剣はあまり役に立たんよ。少なくとも、プレートメイルを着た相手には、長柄の斧か棍棒の方がよほど役に立つ。わしは、剣は、斬るよりも殴りつけるのに使ったものだ」
ジグムントは、剣を片手に颯爽と戦場を駆け巡る自分の姿を思い描いてうっとりとなっていたフリードの想像に水を掛けるような現実的なことを言った。
その晩のフリードの夢は、未来の自分が騎士の身なりで戦場に出ている姿だったが、敵の騎士(なぜかジグムントのような気がした)に棍棒で馬から叩き落とされるという、あまり威勢の良くないものだった。
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