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軍神マルス第二部 47

第四十七章 誘惑の洞窟

「こうしていてもしょうがないわ。ここまで来て逃げるわけにもいかないんだから、進みましょう」
ヴァルミラが言った。他の三人もうなずく。
やがて、洞窟は広がってきた。獣の匂いがあたりにたちこめている。
「久し振りだね、マルス、あたしに会いに来てくれたのかい」
女の笑い声が響き、洞窟の奥から一人の女が現れた。ペルシャ風のその美女は、魔女アプサラスである。
「こんな獣臭いところで会うなんてつや消しだけど、あんたたちも死んで私たちの仲間になったら、この匂いも気に入るよ」
アプサラスは再び笑い声をたてる。ロレンゾが三人の前に進み出た。
「アプサラスめ、懲りもせずまた現れおったか」
「おっと、呪文は無しだよ。お前達、あいつらをやっつけておしまい!」
洞窟のどこから現れたのか、三匹の魔物がマルスたちの前に飛び出した。羽の生えた猿のような魔物で、それぞれ、体は人間ほどだが、動きが素早い。
マルスたちはロレンゾを囲んで三匹の魔物の攻撃を防ぎ、ロレンゾが思念を凝らす事ができるようにした。
ロレンゾは、光輝の書にあった、魔物を倒す呪文を唱えた。
ロレンゾが魔物に精神を集中して呪文を唱えると、魔物たちは消え去った。
「ちっ」
アプサラスは身を翻して洞窟の奥に逃げた。
四人はその後を追ったが、洞窟の通路はそこから二つに分かれていて、アプサラスの姿を見失った。
「どうしよう。二つとも行ってみるかい」
「二人ずつ、二手に分かれて行こう。その方が早い」
マルスの提案に、他の三人はほとんど考えることなくうなずいた。
 ロレンゾとヤクシー、マルスとヴァルミラが組みになって進む事になった。
 薄暗い洞窟の中を、ヴァルミラと共に進んでいると、マルスは不思議に胸苦しくなった。
 後ろから聞こえるヴァルミラの息遣いが、マルスに官能的な気分を与えるのである。それは、ヴァルミラも同じであるようだ。二人はそれに必死で耐えていたが、やがて、
「マルス……」
ヴァルミラがかすれ声で言った。
「マルス……なんだかおかしい。これは妖魔の罠だ」
マルスは耐え切れず、ヴァルミラの手を握った。二人は闇の中で互いの情欲を感じ、互いに獣となって求め合いたいと願うばかりであった。
 同じ頃、ロレンゾとヤクシーも、マルスとヴァルミラと同じような状態になっていた。
「なぜ、こんな老木のような自分が、このような情欲に捉えられるのじゃ」
ロレンゾはヤクシーの体を今にも抱こうとしながら痺れる頭の中でそう考えた。ヤクシーは相手が老人であることも構わず、もはや情欲で我を忘れている。
「しまった! これはアプサラスの仕業じゃ」
 ロレンゾは痺れる頭を懸命に集中させ、腕の中のヤクシーから体を突き放した。辺りは先ほどまでの獣の匂いから、濃厚な花の香りに変わっている。しかし、その香りの中には、明らかに人を情欲に誘う成分がある。
 ロレンゾは理性を取り戻す呪文を唱えた。ヤクシーもはっと我に返り、なぜ自分がこんな老人にあれほどの情欲を覚えていたのか分からず、きょとんとしている。
「マルス、ヴァルミラを抱いてはいかん! 交わりの絶頂でお前たちの自我は崩壊し、魔物に体を乗っ取られるぞ」
ロレンゾとヤクシーは、マルスとヴァルミラの所に駆けつけた。二人がマルスたちを発見した時、二人は洞窟の地面に横たわり、濃密な口づけをしているところだった。
ロレンゾの呪文で二人は理性を取り戻し、互いに赤くなってそっぽを向いた。
「マルス、何てことをするのよ! マチルダに言いつけるわよ」
ヴァルミラは照れ隠しにマルスに言葉を投げつけた。
「自分だって……」
マルスも反論しようとしたが、言葉にならない。
「さっきマルスが二手に分かれようと言った時には、すでにアプサラスの術にはまりかけていたのじゃな」
四人は少しぎくしゃくした気持ちのままで先に進んだ。
通路はやがて行き止まりになった。その行き止まりの所は奇妙な黒い壁になっており、ドアも何も無い。
「怪しい壁じゃな」
「もしかしたら、この壁は通り抜けられるのじゃないかしら」
ヤクシーが珍しく発言した。マルスが前に進み出た。
「よし、僕が行ってみよう」

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軍神マルス第二部 46

第四十六章 妖魔の宮殿

「では、お前たちにグラムサイトを与えよう」
ロレンゾは物々しげに言った。
「グラムサイトとは?」
マルスが聞いた。
「妖魔を見る力じゃよ。同時に、お前らは魔物の世界の住人となる」
ロレンゾは一人一人の目を覗き込みながら、呪文を唱えた。
「どうじゃな」
「世界が灰色になりました。色がすっかり無くなったみたいです」
 四人は外に出た。
まだ昼間だというのに、あたりは薄暗く、世界はすっかり色を失っている。そして、注意して見ると、木陰や家の陰に様々な幽体がいた。多分、死んだ人間や動物の霊だろう。
 また、時々ちょろっと動く姿は、小人のように見えるが、その顔はぞっとするほど醜い物がいる。幽霊とは違って、透き通った影ではなく、はっきりとした実体を持っているように見える。
「グールじゃよ。食人鬼じゃ。低級な魔物じゃ」
「ううっ。毎日こんな連中と一緒に暮らすのは御免だわね」
ヴァルミラが言った。
一同は、ある川べりに来た。もっとも、日照りで水はすっかり涸れているが。
「あったな。あそこに魔物の宮殿がある」
なるほど、乾いた川の上に宮殿のようなものが浮かび、岸から橋がかかっている。
「ずいぶん簡単に見つかるんだな」
「入り口はあちらこちらにあるが、どれも同じ場所に続いておるのじゃ。この橋がこの世から魔界へ渡る橋じゃよ。さて、覚悟はいいかな。気をしっかり持てよ」
橋を渡りながら、ロレンゾが最後の訓戒を与えた。
「悪とは、結局は善の欠損に過ぎん。しかし、自分の中に弱い物があると、相手はそれを拡大して、こちらを潰しにかかる。わしがヤクシーとヴァルミラの二人を連れてきたのも、この二人の精神の強さのせいだ。この中で、霊能力という点で魔物に一番弱いのは、もしかしたら、マルス、お前かもしれん。気をつけるんだぞ。まあ、戦うときは、形こそ異形だが、力が強く、生命力の強い巨大な動物を相手にするつもりで戦えばよい」
橋を渡ると、宮殿の門があり、その先は中庭だった。
門の側にいた牛面人身の怪物が、四人を見て、その前に立ちふさがった。
「お前らの親分に用がある。ここを通して貰うぞ」
マルスはガーディアンを抜いて、斬りかかった。
怪物は腕を切り落とされたが、もう一方の手に持った大剣でマルスを横殴りに斬ろうとした。マルスは飛び退ってそれをかわす。
 ヴァルミラとヤクシーが両側から怪物に斬りつけ、怪物は地響きを立てて倒れた。
「今のはドモヴォイじゃな。これから、もっと強い奴がどんどん出てくるじゃろう」
ロレンゾが言った。
 宮殿の中庭は、ペルシャ風の雰囲気である。しかし、よく見ると、噴水の水は血であり、池の周りの装飾は人の頭蓋骨を並べたものである。おそらく足元の砂も、元は人骨だったものだろう。
 池の周りには、向こうの世界でも見たグールたちがあちこちにたむろしているが、特にマルスたちに興味も示さない。死体以外は興味が無いのだろう。
 宮殿は粗雑な石造りであり、ほとんど醜いと言っていい奇妙な形態のものである。
 一階の大広間に入ると、そこはまるで洞窟の内部であった。
天井からは奇妙な熱帯性のつる草が垂れ下がり、蛇やトカゲがあちらこちらで蠢いている。そして、そこここに白骨化した人間の死体が転がり、草木がそれにまとわりついている。
大広間の中央には、地下への入り口があった。
「いよいよ地獄行き、という感じね」
ヴァルミラが言った。
 四人は地下への坂道を下りて行った。周りは光苔のようなものでぼんやりと明るい。
長く続く洞窟は、鍾乳洞にも似ている。実際、天井からは時々水が滴り落ちてくる。
やがて、遠くから、獣の唸り声のような音が響いてきた。
四人は顔を見合わせ、しばらく進むのをためらった。

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軍神マルス第二部 45

第四十五章 魔界への旅

 マルスが即位した年の夏、アスカルファンはかつて無い猛暑と水不足に悩まされた。そして、これはマルス新国王に徳が無いせいだという流言が飛んでいた。
 マルスは全国の土地の領主を廃して、代官を任命し、租税は収穫の僅か四分の一と定めていたが、それにさえ恨みの声が上がっていた。
「いくら四分の一だって、元の収穫が無いんじゃあ仕方がねえよ」
そういう庶民の声は宮廷にも届いていたが、マルスには為す術がなかった。
マルスはロレンゾに雨乞いを頼んだが、ロレンゾは首を振って言った。
「もうずっと前から何度もやってみたが、駄目じゃった。この異変は、魔物の仕業じゃよ。賢者の書を解読しない限り、魔物の力を抑える事はできん」
 賢者の書の解読はほとんど終わっていたが、ただ、すべての呪文の鍵になる一語が分からなかった。マルスもロレンゾも、呪文の他の部分はもはや暗記していたが、その一語が分からないことにはどうしようもない。
 アンドレはアルカードからグリセリードの残党を追い出すために、兵士たちを率いてアルカードに行っていた。
「アスカルファンの危機はもはや終わったと思ったが、こんな苦難が待っていたとは……」
ぐったりと疲れて顔を両手に埋めるマルスをマチルダが慰める。
「戦ならどんな苦難も乗り越えてきたマルスも、お天気だけはお手上げね。それじゃあ、今度は魔物退治に行く?」
 マチルダは冗談のつもりだったが、マルスははっと顔を上げた。
「そうだ、何も魔物の出現を待っている事は無い。こっちから出かけて行こう」
「出かけるって、どこに行くのよ。魔物のいる所、知ってるの?」
「探すさ。国王業より、僕には戦が似合ってる」
マルスは宰相のオズモンドに国王の代行を頼んだ後で、ロレンゾの所に行った。
「ロレンゾ、こちらから魔物の所に行きましょう。何もダイモンの指輪に頼ることはない。魔物を全部倒してしまえばいいことだ」
「簡単に言うな。人間を相手の戦とは話が違うぞ。魔物に心を食い破られて、二度とまともな心に戻れなくなってもいいのか」
「アスカルファンをこのまま滅亡させるよりはいいでしょう。それが国王としての義務です」
「見上げた心がけじゃ。すべてを犠牲にする覚悟はあるのか」
「自分の命だけは犠牲にする覚悟はあります」
「それが、すべてという事じゃよ。一人の人間が死ぬ事は、一つの世界が消滅するという事だ」
ロレンゾは目をつぶって考え込んだ。
「確かに、魔界に入れば、そこでは我々も魔物と同じ存在になる。普通の魔物なら、戦って倒す事も可能じゃろう。だが、強大な魔物は、こちらの心を支配する事が出来る。そうした魔物と戦って勝つ事が出来るとは思えんな」
「でも、やるしかないんです」
「よし、行こう。今度はわしとお前だけじゃ。この世に帰れなくなった時のために、思い残す事がないようにしておけよ」
「マチルダ以外には思い残す事はありません」
「あした正午、出発しよう。今夜はよく休んでおけ」
 翌日、マルスはマチルダに魔界に行く事を告げた。
「そんなのいやよ! マルスが帰ってこられなくなったら私はどうするの」
マチルダは涙を浮かべて抗議した。
「なんでマルスがそんな危険な事をやらなけりゃあいけないのよ。そんなのお坊さんの仕事でしょう」
「魔界でも僕は戦うのさ。戦いは僕の仕事みたいなもんだ」
マチルダはなおも恨み事を述べたが、マルスの決心は変わらず、とうとう諦めた。
「で、誰と行くの?」
女と一緒なら許さないわよ、と思いながらマチルダは聞いた。
「僕とロレンゾだけさ」
とマルスは答えた。もちろん、正直に言ったのだが、結果的にこれはマチルダに嘘をついたことになった。
 ロレンゾの所にマルスが行くと、そこにはヤクシーとヴァルミラがいたのである。
「ロレンゾ、これは?」
「うむ、気が変わった。わしら二人だけでは少し心許ないので、この二人にも行ってもらう」
「なぜ、この二人なのです」
「ヤクシーには、魔物に対する不思議な力があるし、ヴァルミラは超人的な武勇の持ち主じゃ」
「ピエールは?」
「五人ではまずいのじゃ。魔法の都合上な。四という数が大事なんじゃ」
ロレンゾの説明を聞いても一向に腑に落ちなかったが、とにかくこの四人で出発する事になった。
「また君に助けて貰う事になったな、ヴァルミラ」
マルスはヴァルミラに言った。
「どうせ私はここでは余計者なんだから、地獄巡りもいい暇潰しよ。マルスも私も殺した人間の数から言えば、地獄のいいお客さんじゃない?」
ヴァルミラは笑って言った。

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軍神マルス第二部 44

第四十四章 マルス国王

マルスとヴァルミラ、それにピエールとヤクシー、オズモンドは馬に乗り、戦場を駆け巡った。そして、歩兵部隊の中では、クアトロが例の大剣で一度に五人ずつ切り殺している。
戦況は急速にマルスたちに傾いて行った。少しでも危ない部分があると、天守閣のアンドレから指示が出て、近くにいた者がそこの救援に向かう。
「いやはや、あのヴァルミラって女は凄いな。見ろよ、あの女が向かうところは、敵がみんな逃げていくじゃないか。あっ、また一人斬った。これでさっきから数えただけで十五人目だ」
 アンドレの側で高みの見物をしているのはジョーイである。投石器のところまで敵が来たので、これでお役御免とばかり城内に逃げ込んでいるのである。
「素晴らしい。それに、実に美しい」
「ここから顔が見えるのかよ」
「いや、あの乗馬姿が美しいと言っているのだ。こうしてみると、あの血生臭い戦場すら一幅の絵のようだ」
「暢気な事言ってらあ。戦の指示は大丈夫かよ」
「もう終わりだ。この戦は、我が軍の勝ちだ。見ろ、今マルスが敵の本陣に攻め込んだ。間もなく国王を討ち取るだろう。これで王手だ。チェックメイト!」
 マルスは国王シャルルの首を一刀で跳ね飛ばした。
傍らにいたマーラーの姿はいつの間にか見えなくなっている。
「王はこのマルスが討ち取ったぞ! 兵士たち、これ以上無益な戦いは止めるのだ」
国王軍の兵士たちは皆、手にした武器を捨てた。降参したものに対してマルスが慈悲深い事は知っているから、降伏するにもためらいはない。

「王はこの私にいわれの無い濡れ衣を着せて、この戦を起こした。仕方なく私も受けて立ったが、この戦で亡くなった者たちの事を思うと慙愧の念に耐えない。こうなった以上、私は全国を統一して、すべてをこのゲイル郡のようにしたいと思う。さもなくば、人々の恨みによって、この国は滅びるであろう」
 全軍の兵士と、降伏した国王軍の兵士たちに向かってマルスは言った。
「もしもこの中で、私に従って戦いたい者がいれば、私に付いて来て欲しい。もとの仕事に戻って平和に暮らしたいのなら、それでももちろん良い。私は年貢を今の4分の一にして、農民が楽に暮らせる世の中にするつもりだ。領主たちは必ずそれを憎んで戦を挑んでくるだろう。その戦いに勝ち抜くのは容易な事ではないかもしれないが、私が勝った暁には、必ずあらゆる人間がまともに暮らせるような国を作るつもりだ。どうだ、私に付いて来る者はいるか?」
マルスの言葉は歓呼の声で迎えられた。
「マルス万歳! 新国王万歳!」
「あなた以外に国王はいない。我々は皆、あなたに付いて行きます」
 マルスは傍らのヴァルミラを振り返った。
「こういう訳だが、私の命を狙うのはもう少し待ってくれないか」
ヴァルミラはにやっと笑った。
「いいだろう。あんたが全国を統一するまで待つよ」
マルスは手を出した。二人は握手した。
「万歳! 鬼姫ヴァルミラ万歳! グリセリードの勇者たち万歳!」
人々は握手する二人に歓声を上げた。

 それから戦いの日々が始まった。
 国王軍の降伏した兵士たちは皆、マルスに忠誠を誓い、元のグリセリードの兵士たちと共にマルスの軍勢の中心となった。
 戦いの先頭には常にマルスと共に、鬼姫ヴァルミラの姿があり、アンドレは戦の総指揮を執りながら、全国の領主たちに、マルスに従うよう手紙を書き送った。
 各郡の領主たちは、領地を失う事を恐れて、マルスの軍に戦いを挑んできたが、もともとその領主の土地の人民はマルスの軍が勝つ事を願っており、兵士たちですら逃亡してマルスの軍に加わる者が多かった。やがてマルスの軍勢は十万を越え、もはやマルスの軍に対抗できる存在は無くなった。全国の領主たちは自分の領地を自らマルスに差し出して恭順の意を示した。
 そして、マルスが十八歳の春、マルスは即位してアスカルファンの国王となった。
 それと同時に、マルスとマチルダの結婚式が行なわれ、全国民は二人を祝福した。

「マルス、行くぞ!」
「来い、ヴァルミラ!」
馬場の両側に離れて対峙したマルスとヴァルミラは、互いに声を掛け合った。
この戦いを見ているのは、マルスの親しい仲間たちだけである。
太陽の日差しを反射して、ヴァルミラの白い鎧兜、マルスの赤い鎧兜が鮮やかな対照
をなしている。
 それぞれの馬の横腹を蹴って突進し、駈け違った二人は、どちらも相手の剣の一撃をかわし、あるいは盾で受け止めた。
 剣をかわしたマルスは、続けて第二撃を与える。盾で受け止めた分、剣の衝撃を受け止めたヴァルミラは、マルスの第二撃で馬から叩き落とされた。
「参った! 約束通り、あんたの命を狙うことはもうやめよう」
 ヴァルミラは兜を外して立ち上がりながら、明るく笑った。

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軍神マルス第二部 43

第四十三章 戦場の名花

トリスターナは、ヴァルミラを閉じ込めた部屋をノックした。
「勝手に入れ。別に歓迎はしないがな」
中からヴァルミラの凛とした声が響く。
まあ、素敵、とトリスターナは考える。このヴァルミラが、グリセリードでも一、二を争う武勇の持ち主であることは聞いていた。
「入っても逃げないと約束して。今、ここがどんな状況かは分かっているでしょう?」
「ははは、同じアスカルファン同士戦っているんだってな。面白いな」
トリスターナは戸を開けた。
「おいおい、私は逃げないなんてまだ約束してないぞ。一体何の話だ」
「お願い、マルスを助けて。私たちと一緒に戦って」
ヴァルミラはあきれてトリスターナの顔を見た。
美しい女だ。しかし、頭がおかしいのではないか。マルスを恋人の仇とつけ狙う自分に、マルスを助けろ、だと?
しかし、トリスターナの邪念の無い澄んだ目を見て、なぜかヴァルミラは目をそらしてしまった。ちえっ、男相手には睨み負けたことはないのに。
「あのなあ、私はマルスの敵なんだぞ。そいつが何で自分の敵を助けるなんて思いつけるんだよ」
「いいえ、あなたとマルスは敵ではありません。同じ不幸な運命を背負った仲間なのです」
「どういうことだ」
「あなたの恋人マルシアスは、実はマルスの父親なのです」
ヴァルミラは、がーんと頭を殴られたような衝撃を受けた。
「では、マルスは自分の父親を殺したのか」
「ええ、知らずにです。相手がグリセリードの兵士だから、戦わずにはいられなかったのです。国と国が戦うこと自体がいけないことだったのです。そのために、マルスはずっと探していた自分の父親を知らずに殺すことになったのですわ。あなたも可哀想ですが、マルスの方はもっと可哀想なのです」
「……でも、だからと言って、マルスが私の仇であることに変わりはない……」
ヴァルミラは、力無く言い張った。
「ええ、そうですわ。マルス自身が、マルスにとって親の仇であるように」
ヴァルミラはトリスターナの言葉を噛みしめた。
「分かった。マルスを助けて戦おう。だが、もしも戦の後で二人とも生き残っていたら、私はマルスと戦わせて貰う。なぜなら、アスカルファン一の強者と戦ってみたいからだ」
「それはご自由に。ただの喧嘩なら、私は口出ししませんわ」
「喧嘩ではない。試合をするのだ」
「同じようなものですわ。それでは、私と一緒にいらして」
トリスターナは、戸口を出かけて、振り返った。
「あ、それから、マルスが自分の父親を殺した事は、マルスには絶対に言わないでください」
「分かった。約束する」
トリスターナは、にこにこと居間に戻った。そこにいたマチルダは、ヴァルミラを見てびっくりしたが、トリスターナは
「ヴァルミラさんは、マルスを助けて戦ってくれるそうよ。私たち、お友達になったの」
と明るく言う。
マチルダは正直なところ、トリスターナを只のお人よしだと見くびっているところがあったのだが、変な特技を持った女でもあるようだ。
「マルスの奥さん、あんたの旦那を助けてやるよ。他の人間には殺させたくないからな」
にやっと笑ってヴァルミラは言った。
「私、まだ奥さんじゃありませんわ。でも、有難う。気をつけて戦ってね」
気をつけて戦うなんてことができるか、アスカルファンの女ってのはみんな頭の中は湯気が立っているんじゃねえか、とヴァルミラは思ったが、短く「ああ」と答えた。

トリスターナと共に戦場に現れたヴァルミラを見て、マルスは「わっ」と驚いたが、戦の間は恨みは忘れて一緒に戦うというヴァルミラの言葉に安心した。
ちょうど、弓矢の戦いも終わり、全面的な白兵戦に移ろうという時だったから、鬼姫ヴァルミラの助けは有り難い。
戦況は五分であった。百姓部隊の方は敵軍に押し捲られていたが、グリセリード兵士の軍は健闘している。そこへ、鬼姫ヴァルミラが現れて、グリセリード兵士たちは大喜びした。なにしろ、グリセリードでは神様扱いの名将デロスの娘であり、本人自身、武芸の達人、兵士たちの憧れの的の鬼姫ヴァルミラである。兵士たちは勇気百倍した。
戦場の放れ馬を見つけて、それに飛び乗ったヴァルミラと、グレイに乗ったマルスの姿は、二人で並ぶと絵のようであった。
「人間いつかは死ぬ。せめて一花咲かせて死のうぞ!」
ヴァルミラの大見得に、兵士たちは歓声を上げた。
 二人は並んで敵軍に向かって突進して行った。

「あれは女ではないか」
戦場の中にヴァルミラの姿を見出して、シャルル国王は言った。
「そうです。確か、鬼姫ヴァルミラと言って有名なグリセリードの女武者です」
ロックモンドの答えに、シャルルはわなわなと手を握り締めた。
「知っておる。わしの后になる事を断った女だ。それがなぜマルスの陣営にいる!」

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軍神マルス第二部 42

第四十二章 アンドレの帰還

「ロレンゾ、あの雪を止めることはできないか?」
マルスは傍らのロレンゾに言った。
ロレンゾは思念を凝らした。雪は止まった。だが、あっという間に、また降り出した。
「駄目じゃ。向こうにも妖術師がいる。しかも、そいつは悪魔の力を借りていて、強大な力を持っている。そいつが雪を降らせているのじゃ」
敵兵の黒い影は、静かに近づいた後、しばらく動かなくなった。おそらく、先頭の何人かが落とし穴に落ちたのだろう。
「ジョーイ、あの落とし穴までの距離は分かるか」
「ああ、覚えている。戦場の下見は何度もした」
「よし、ならば、そこまでの距離を計算して、盲撃ちをしろ。音で落ちた位置を判断して、少しずつ修正するんだ」
マルスは、猟師の呼子を矢の先につけ、遠くの影に向かって矢を射た。
矢は、音を立てながら黒い影の手前に落ちた。まだ、敵は味方の石弓の矢の範囲に来ていないようだ。マルスは、大急ぎで火矢を何本か作らせた。
「いいか、この火矢を目印に射るんだ。真っ直ぐに、この火矢に向かって射るんだぞ。そうすれば、ちょうど敵の上に落ちる」
マルスは、次々と矢倉に上って、目印の火矢を射た。矢はグリセリード軍を超えて、彼方に落ちたが、他の弓兵の石弓の軌道を考えれば、これでちょうどグリセリード軍の上に矢が落ちるはずだ。

 シャルル国王は、雪の中を飛来する矢と石に驚いた。
「なぜ、この雪の中でこちらの位置が分かるのだ」
「分かるはずはありませんよ。盲撃ちをしているだけです。当たるのはまぐれです」
参謀役のロックモンド卿が言った。
「そうか。安心したぞ。もし、こっちの位置が分かるのなら、せっかくマーラーに頼んで雪を降らせている意味が無いからな。ははは、この雪にはあのマルスめもまいったであろう。自慢の弓が、この雪では使えないからの」
国王軍の兵士たちは、しかし、雪の中を飛来する矢と石に怯えきっていた。前方の様子は雪に包まれて全く見えない上に、あちらからは、まるでこっちの姿が見えるかのように矢と石が降り注いでくる。これでは、殺されるために前に進むようなものだ。とにかく、周りが見えないことくらい不安なものはない。
国王も、あまりに相手の石と矢が当たり過ぎる事に、だんだんと不安になってきた。
「おい、あちらにはこっちが見えているのではないか。あまりにも被害が大きすぎるぞ」
「そんなはずはありません」
そう言いながらも、ロックモンドも不安な気持ちに襲われていた。
「もしも、向こうにもマーラー並みの魔法使いがいたらどうじゃ。そいつが、雪の中でも見えるような魔法を使っていたとしたら」
シャルル国王は、臆病者の常として、想像を悪い方へ悪い方へと募らせていった。
その時、シャルル国王に向かって、巨石が雪の中を飛来してきた。
その巨石はシャルル国王には当たらなかったが、王冠を弾き飛ばして、傍らの軍旗をへし折った。
「うわっ!」
シャルル国王は身を伏せた。これは、どうしても、向こうにはこちらの姿が見えているのだ。
「やめい、やめい、マーラー、雪を止めよ。この雪は味方を不利にするだけじゃ」
国王は震え声でわめいた。
王の左手にいたマーラーは、呪文を呟いた。そして、雪が止んだ。

 雪の止んだ平野は、一面の雪が積もり、その上にいる国王軍の兵士たちははっきりとした弓の的になった。マルスたちの弓兵たちは、今度こそ狙いをはっきりと付けて矢を射始めた。国王軍からも、矢の応酬をするが、矢倉から射る飛距離の差の分、分が悪い。それに、マルス側には矢防ぎがあるのに、国王軍にはそれが無いのも不利である。
 だが、矢で兵士たちを殺されながらも、騎兵が突進していくと、その何割かはマルス軍の陣地に入り込むことが出来た。そうした敵兵の侵入を受けた部分では白兵戦が始まっている。
 この状況の中で、国王軍の後方から走ってきた騎士が、走りながら国王シャルルの肩に切りつけた。
 残念ながら、深手を負わせることは出来ず、その騎士はそのままマルス軍の方へ駆け抜けていった。
「待て、あれはアンドレだ。あの白い鎧の騎士は撃つな」
マルスは大声で指示した。
マルスたちの陣営に飛び込んだアンドレは、荒い息をつきながら、マルスと抱き合った。
「マルス、済まない。どうしてもレント国王を説得できなかった。普段は仲が悪くとも、同じ国王同士としては、国王への反乱軍の味方をするわけにはいかん、ということだ」
「ああ、多分そうなるだろうとは思っていた。それより、よく戻ってくれた」
「死ぬ時は一緒だ。さっき、シャルル国王に斬りつけたが、斬り損ねた。やはり、剣は私の柄じゃない」
照れたように言うアンドレの言葉に、マルスは笑い声を上げた。
マルスは全軍の指示をアンドレに任せ、自分は戦いに専念することにした。アンドレは城の天守閣に上り、そこから戦況を見て指示をすることになった。

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軍神マルス第二部 41

第四十一章 雪

オズモンドから話を聞いて、まず声を上げたのはピエールだった。
「なんて話だ。これまでマルスにさんざん助けられながら、今度はマルスを殺そうというのか!」
 アンドレも、考え込むように言った。
「私は一度レントに戻る事にしよう。出来れば、レント国王を説得して、マルスを助けて貰うようにしたいのだが、前にはアスカルファンを救うように言って、今度はアスカルファンと戦うことになるのだから、説得は難しいかもしれん」
「こっちだってアスカルファンだぜ」
ピエールが不服そうに言った。
「だが、国王軍こそがアスカルファン軍なのだ。マルスたちは反乱軍ということになる」
「ひでえ話だな」
アンドレは久し振りのトリスターナとの対面を懐かしむ余裕もなく、すぐにゲイルの西の港からレントに向かって出発した。
「よし、こうなりゃあ、国王軍と戦って、マルスをアスカルファンの国王にしようぜ」
ピエールは叫んだが、マルスは首を振った。
「ピエール、ゲイルは国王軍と戦うだけの戦力は無いよ」
「正規兵はいなくても、百姓たちを駆り出しゃあいいじゃねえか。グリセリードの捕虜たちもほとんどここに残ったんだから、マルスのために喜んで戦うだろうよ」
 ピエールはすぐに城を出て、各村や町々から兵士を募集した。
「お前ら、マルスが負けたら、また前のような暮らしに戻るんだぞ。収穫の半分以上も年貢に取られ、生きていくのが精一杯という暮らしに戻りたいのか!」
 人々はすぐさまピエールの言葉に応じて、続々と兵士になった。
 グリセリードの捕虜たちは、今では自由人となっていたが、こちらも喜んでマルスのために戦おうと言った。
 二日のうちに志願兵と元のグリセリード兵で、マルスたちの兵の数は七万五千人になったが、残念ながら彼らの武装は貧弱なものだった。剣も槍も弓も全員の分は無い状態である。
「ええい、こうなりゃあお前らは石でも棒切れでも持って戦え! 鍬でも鎌でもその気になりゃあ武器にならあ」
ピエールは滅茶苦茶な事を言っている。だが、確かに、長い鋤なら立派に槍の代わりになるし、その他にも武器になりそうな農具は幾つかあった。
 ジョーイは人々に指示して、それらの農具を武器に改良させた。その一方で、また多くの人々を使って投石器や石弓、矢を作る。
 マルスの居城の近くが決戦の場と定められた。当然、敵がそこを目指して来るからだ。
 城の前は、刈り取りの終わった畑が広がっている。間もなく雪が降りそうな空模様である。もしも雪が降ったなら、雪の下に隠れた足場の悪い部分は、敵を悩ますだろう。
 城の前に並んだ矢倉と投石器の飛距離の範囲に、マルスは幾つも落とし穴や堀を作らせた。城の背後は川になっているから、そこから回られる心配はない。まだ雪も降らない状態で川が凍るはずは無いからだ。川は深く、歩いて渡ることはできないし、泳いで渡ろうものなら、絶好の弓矢の的である。
 国王軍がゲイル郡に入ったのは、オズモンドが急を知らせてから十日後だった。全国の領主に触れを回して軍勢を集めた分だけ遅れたのである。ゲイルの西側にあるマルスの居城に着くのは、あと二日後である。
 その頃には、マルス側の戦争準備はすっかり終わっていた。
 これまでの戦いとは違って、今回に限っては、マルス側の陣営の方が兵の数は多い。だが、そのほとんどは戦の経験のない百姓である。戦の経験のあるのは元グリセリードの兵士くらいだが、彼らがどこまで本気で戦うか、信じ難い点がある。
 ヤクシーとオズモンドは百姓兵たちの指揮をし、ピエールはグリセリード兵の統率をする。そしてジョーイは例によって投石器の指示係だ。
 マルスは、最初は矢倉の一つから敵を射て、敵が接近してきたらグレイに乗って戦場を駆け巡る予定である。今回は、慣れた弓兵がマルス以外にはほとんどいない。捕虜になったグリセリード兵は歩兵か騎兵だけである。従って、これまでのように敵の接近前に、弓で敵の数を減らすことは難しい。今度の戦いは困難なものになりそうだな、とマルスは思っていた。
 百姓の中から、器用そうな者や目のいい者を選んで石弓の練習をさせてきたが、やはり慣れた弓兵ほどの命中率はない。僅か五、六日ではそこまでの上達は無理である。敵が密集していればそれでもそこそこ当たるだろうが、散開したら、まず当たらないはずだ。
「今回は、わしも働かざるを得ないようじゃな」
ロレンゾは言った。
「どうも、今回の戦には、妖魔の匂いがする。もしかしたら、敵軍の中に妖術師がいるのかもしれん。ただでさえ困難な戦いじゃのに、難儀な事じゃ」
 やがて、雪が降り出した。
 雪は翌日になっても降り止まず、国王軍が視界に現れた時にも、その姿は雪の中の黒い影でしかなかった。
 マルスの胸は氷のようなもので覆われた。このまま雪が降り続けば、マルスが弓を射ることはできない。いかにマルスといえども、見えない物を射ることはできないからだ。
 敵兵は、降りしきる雪のカーテンに隠れて、視界の端の黒い染みにしか見えない。そして、その黒い染みは少しずつ広がってきていた。

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それだけで人生は生きるに値します。

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