忍者ブログ

軍神マルス第二部 33

第三十三章 オルランド家相続

 船の一室に閉じ込められたヴァルミラは、脱出の機会を窺っていた。もちろん、脱出して、父デロスの仇、エスカミーリオを殺すつもりである。
 部屋の戸の前に誰かが来た気配がした。ヴァルミラは、戸が開いたら、すぐに外に飛び出そうと身構えた。
「ヴァルミラ。私だ。マルシアスだ」
聞き慣れた声に、ヴァルミラは体の力を抜いた。
「いいか、ヴァルミラ、そのうち必ずここから助け出す。今は、無謀な事をせずに我慢するんだ」
言い終わると、マルシアスは部屋の前から遠ざかって行ったようである。
 ヴァルミラは溜め息をついて、部屋のベッドに身を横たえた。

 グリセリード軍の使者がアルカードに着いたのは、アスカルファン上陸から一週間後だった。その間、グリセリード軍はバルミアを東と西から挟む形でじっと待機していた。
「奴らはなぜ攻めてこないのだ」
アスカルファン軍総大将のジルベルト公爵は、いらいらと言った。
「この前バルミアを正面から攻めて全滅しているので、警戒しているのでしょう」
軍議の場に加わっているオズモンドが答える。
「あの、マルスとやらを警戒しているのか?」
「それが一番大きいでしょうな」
「重宝な男だ。是非、我がアルプ軍の弓兵に加えたいものだが、お主口利きしてくれぬか」
「弓兵ですって? 将軍の間違いでしょう」
「何を馬鹿な事を。たかが庶民の若僧ではないか」
「いや、失礼ながら、あなたより高い家柄です。オルランド家の嫡男です」
軍議の場にどよめきが走った。
「それはまことか、アンリ殿」
シャルル国王が、軍議の場に場違いそうに座っていたアンリに聞いた。
「い、いえ、何かそのような事を申し立てているそうですが、何の証拠も無いことで」
アンリは太った顔に脂汗を浮かべて言った。
「証拠は有るそうですよ。オルランド家に代代伝わるブルーダイヤモンドのペンダントをマルスは受け継いでいます。私もそれを見ています」
「そう言えば、そのダイヤの事は聞いた事がある。もしもそのペンダントが本物なら、オルランド家を継がせぬわけにはいかんだろうな」
シャルル国王の言葉に、アンリは真っ青になった。
 やがてマルスは国王から呼ばれてその前に証拠のペンダントを提出し、明らかにジルベールの息子であると認められた。マルスはアンリに、屋敷と領地以外の財産のすべてを譲り、自分はトリスターナと共にオルランドの屋敷に住むことだけしか求めなかった。これは、トリスターナのためであった。しかし、ジルベールの行方については相変わらず手掛かりは無かった。
「マルスさん、えらく出世したもんだねえ。ローラン家よりでかい家じゃないか」
マルスとトリスターナの新居に招待されたジョーイは、周りを物珍しげに見ながら言った。
「こんな大きな屋敷では、掃除するだけでも大変だ。僕にはケインの家の一部屋で十分だ」
マルスは溜め息をついて言った。ケインの店で弓矢作りの仕事をしていた女たちを家政婦として雇っているが、五人でもまだ足りないくらいなのである。
 マチルダは、マルスとトリスターナが同居している事に、少々心穏やかでなかった。ケインの家にいた時にもジーナという存在はあったが、身近にケインも、その妻のマリアもいたから監視の目はあった。しかし、この広大な屋敷で、しかも一家の主人であるマルスの行動を誰も制止はできないだろう。
 どんなに誠実な人間でも、男は男なんだから、魔が差すってこともあるわ、とマチルダは考えた。同じ屋根の下に、トリスターナのような美女がいて、むらむらと来ないほうがおかしいくらいよ。
「いい、マルス、もしもトリスターナさんとおかしな事になったら、私とはおしまいよ。よく覚えておいて」
「何を馬鹿な事を」
とマルスは答えたが、心の奥底には、マチルダの疑念を完全に否定できないものがあった。
それは、トリスターナと同じ屋根の下に住むということのわくわくする感じである。もちろん、マルスには、マチルダを裏切る気はまったく無い。しかし、心のときめきまでを抑えろというのは無理である。これも精神的な浮気という事にはなるのだろうが。
 オズモンドも、トリスターナが自分の家を出る事を残念がったが、こちらは、マルスの身の証が立った以上、トリスターナと共にオルランド家を引き継ぐのは当然だ、という考えだった。
 朝起きて、朝食の場にトリスターナがいる。それだけで、マルスは嬉しいものを感じるのである。これが一人きりの朝食なら、どんなに味気ない事だろう。
 下働きの女たちの間で、一体、マチルダとトリスターナ、どちらが最終的にマルスのお嫁さんになるのかという事が一大関心事になっている事をマルスとトリスターナの二人は知らない。
「そりゃあ、マチルダさんに決まってるさ。なにせ、れっきとした婚約者だもの。もう奥さん同然よ。この前の旅も一緒に行っているじゃない」
「甘いわね。男と女ってのは、なんだかんだ言っても、近くにいるかどうかよ。あんな美人が側にいて、手を出さなきゃあ、失礼だがマルス様は男じゃないね」
 台所の議論は、止まる所を知らなかった。

拍手

PR

軍神マルス第二部 32

第三十二章 小休止

「あれはマルシアスか? ちゃんと働いているではないか」
エスカミーリオは船の上から海岸での戦闘を見ながら言った。
「はあ、そのようです。やはり、勇猛さではグリセリードでも一、二と言われた勇者ですからな」
ジャンゴが言う。
「ふむ、デロスの腰巾着かと思っていたが、使える男のようだな」
「ヴァルミラ様が使えないのは残念ですな」
「仕方あるまい。放せば、アスカルファン軍に向かうより、まずこの俺を殺しに来るさ」
エスカミーリオは片頬をゆがめて苦笑した。
 陸上の戦闘は終わろうとしていた。千人のアスカルファン軍は、ほぼ全滅である。
「西に上陸したラミレスの軍と、バルミアを攻めたアルディンの軍はうまくやっているかな」
 エスカミーリオは上陸の準備をしながら言った。
「アスカルファンの主力軍は、いったんここへ引き付けられてからバルミアへ戻って行きましたから大丈夫でしょう」
「後は、アルカードからの援軍が来るのを待つだけだな」
「それと、ボワロンからの後続軍ですな」
「一度兵を下ろせば、何度でも戻って兵を乗せてくればいいだけだ。デロスめは一度の輸送だけの兵力しか考えてなかったが、なあに、多少時間はかかるが、ここで持ちこたえていれば、こちらは数がどんどん増える、向こうは数が限られているということだ」
「まったくその通りで」
エスカミーリオはいったん兵を収めて、バルミアへの偵察兵を出した。

バルミアでの戦闘の間、ピエールはヤクシーと共に、宿屋の二階に寝転がっていた。
「こういう時は泥棒の稼ぎどころじゃないの?」
ヤクシーがからかうように言った。
「火事場泥棒ってのは性に合わねえ。それに、ピラミッドに、一生かかっても使い切れねえ宝を隠しているんだ。小さい仕事はもうやらねえよ」
「こうしているのも退屈だから、ちょっと外に出てみない?」
「よしとけよ。好奇心は猫を殺すって言うぜ。女って奴はつまらん好奇心が多すぎる」
「臆病者!」
「何を!」
ヤクシーに挑発されて、ピエールもしぶしぶ外に出た。
町は戦闘がおさまったらしく、ひっそりとしているが、街路には死体があちこちに転がっている。そのほとんどはマルスに射殺されたグリセリードの兵士である。
「マルスたちはどうしているかな」
死体に突き立った矢を見てマルスを思い出したピエールが言った。
「あらっ」
ヤクシーが足を止めた。
「どうした?」
ピエールが聞くのに答えず、ヤクシーは駆け出した。
ピエールがヤクシーに追いついた時、ヤクシーは、町の四つ角であたりをきょろきょろ見回していた。
「一体どうしたんだよ」
「知った顔を見たの。パーリの人間よ」
「パーリの人間だって? そいつは珍しいな」
「ほら、イライジャの弟子のオマーよ。彼に良く似た顔だったの。服装はアスカルファン風だったけど」
「ほう、妙だな。もしかしたら、ボワロンとパーリの戦争のずっと前からここにいたんじゃないか?」
「かもしれないわ。私はダムカルには数年行っていなかったから、オマーの消息は知らないの」
「で、そいつを見失ったんだな」
「そう。まるで消えてしまったみたい」
 二人はその近辺を探したが、オマーはやはり見つからなかった。

宮殿での戦闘はあっけなく終わった。
宮殿まで迫った敵兵の数は僅か数百人であり、国王の近衛兵だけでも十分に持ちこたえられた。そこにオズモンド率いる親衛隊五百人が救援に来たのだから、形勢は完全にアスカルファンに有利になった。白兵戦に勝るグリセリード軍も、数の不利によって圧倒され、やがて全滅したのであった。
戦闘の終結を見届けたマルスは、戦後処理の仕事に追われるオズモンドを残し、マチルダらの元に戻った。
 この戦闘でのマルスの神がかった働きの噂はローラン家にも届いていた。
 不安な思いでマルスの帰りを待っていたマチルダたちは、マルスの顔を見て飛びついてきた。
「マルス! 無事だったのね」
「怪我が無くて良かったわ」
マチルダ、トリスターナが口々に言う。ジーナもその後ろで笑顔を見せていた。
彼女たちの顔を見れば、自分のあの大殺戮も正しい行為だったとマルスには思われた。

拍手

軍神マルス第二部 31

第三十一章 鬼神

はっと我に返ったマルスは、すっかりこわばった手を伸ばしながら立ち上がった。
気が付くと、オズモンドも周りの兵たちも皆、呆然とした顔でマルスをじっと見つめていた。マルスの神技に皆、恐怖に近いほどの感嘆の気持ちに捉えられていたのである。
「マルス、君は人間か?」
オズモンドがやっとのことで声を掛けた。
「もちろんだ。だが、これだけ人を殺したのでは、悪魔と言われても仕方が無いな」
マルスは虚ろな気持ちで笑った。一体、何のためにこれらの兵士は死なねばならなかったんだ。もちろん、彼らを殺した事自体を後悔しているわけではない。彼らを殺さねば、マチルダもトリスターナも市民たちも皆、死ぬか暴行されていただろう。だが、こんな戦に何の必要性があったというのか。一部の人間の野望の為に、これほど多くの人間の血が流されていいのか。
海の上も、陸上も、夕日が血のように真っ赤に染め、そして海の上にも陸の上にもおびただしい本物の血が流れていた。海上を漂う船の残骸が、まるでグリセリードの兵士たちの墓標のようである。

マルスたちは気付かなかったが、バルミアを攻撃したグリセリード軍の一部は、港から王宮の方へ攻め上っていた。
王宮からの伝令でその事を知ったオズモンドは、すぐさま親衛隊を率いて王宮に戻ることにした。
「マルス、君はどうする?」
「マチルダやトリスターナが心配だ。君の家に行ってみる」
「そうか、なら、僕は王宮へ向かう。後で来てくれ」
「分かった」
オズモンドが去った後、マルスはぐったり疲れた体をグレイに乗せた。
グレイは、まるで自分の行くべきところが分かっているかのように、オズモンドの屋敷に向かった。
グリセリード軍の一部はバルミアの民家に押し入って、強奪、暴行をしている。マルスは馬上から、そうした悪党どもを見つける度に、弓で射殺しながら進んでいった。
「虫けらどもめ!」
マルスの心には、先ほどとは打って変わった怒りが湧き起こっていた。
敵兵の中には、マルスを見て矢を射掛け、あるいは槍や剣で切りかかろうとする者もいたが、どういう訳か、それらの矢はマルスがよけるわけでもないのに、一つもマルスに当たらなかった。
憤怒の表情で次々とグリセリードのやくざな兵士たちを射殺していくマルスは、まさに鬼神であった。
 その有様を目撃したバルミアの市民たちは、マルスの後ろにひれ伏して、マルスを拝むのであった。
やがてローラン家の門が見えてきた。
初めて、マルスの心に不安が起こってきた。自分がいない間に、マチルダたちの身に、何か悪い事が起こっていないだろうか。
グレイから下りたマルスは、ローラン家の門の前に立った。門は閉まっている。周りを見回したマルスは、門の上に攀じ登って、邸内に飛び降りた。
広い敷地を小走りに進んだマルスは、屋敷のドアをノックした。
「誰かいるか! マルスだ」
ドアが開いて、クアトロのいかつい顔がのぞいた。マルスはほっと安心した。
「やあ、クアトロ、ここには敵は来なかったか?」
「来たよ。三人だけだが、俺が殺した。まだ庭の中に置いてある」
「そうか、よくやった。皆大丈夫なんだな?」
「もちろんだ」
マルスはマチルダの顔を一目見たいと思ったが、今日はなぜか、マチルダの顔を見ると王宮へ戦いに行く気力を失いそうな気がしたので、そのまま王宮に行くことにした。
「王宮にグリセリード軍が来ているそうだから、僕は王宮に向かう。君たちは、このままここを守っていてくれ」
「分かった。安心しろ、マチルダさんたちには指一本触れさせない」
マルスはクアトロにうなずいて、ドアから離れた。
マルスの仕事は、まだこれからである。

 バルミアの東側で囮になっていた三十隻の船にエスカミーリオはいた。
 海岸で敵の上陸を待っていたジルベルト公爵が、痺れを切らして軍の大半を引き連れてバルミアに戻ったのを確認した後、船は海岸に悠々と近づき、上陸を開始した。残っていた千名のアスカルファン軍は慌てて矢を射掛けたが、船の方からも矢で応酬する。数少ない弓兵しかいないアスカルファン軍は、たちまち圧倒されて、後退し始めた。その間に、船からは兵士たちがどんどん上陸していく。船に積んでいた馬ごと海に乗り入れて、海岸に泳ぎ着く騎兵もいる。
 やがて本格的な戦闘が始まった。白兵戦になると、百年近い平和の時代を過ごし、ほとんど戦らしい戦をしていないアスカルファン軍の兵士と、戦乱の中に生き延びてきたグリセリード軍の優劣ははっきりしていた。
「見ろ、やはり我が軍の兵士の勇猛さは、一人がアスカルファン兵士三人ほどに匹敵するわ」
 戦闘を眺めていたグリセリードの将校の一人が高笑いをした。

拍手

軍神マルス第二部 30

第三十章 大殺戮

 最初にグリセリード船を発見した漁師からの報告を受けて、アスカルファン軍は、主力軍をバルミアの東、五十キロメートルほど離れた海岸に差し向けた。
しかし、彼らがその海岸に到着した後届いた第二の報告は、そことは全く違うバルミアの西三十キロの地点へグリセリード海軍が出現した事を告げていた。
「くそっ、今から軍を返しては間に合わん」
総大将のジルベルト公爵は大声を上げた。
「西側には私が向かいましょう」
ロックモンド卿の言葉に、ジルベルト公爵はうなずいた。
 ロックモンドが五百の騎兵を引き連れて西に向かってかなりたった後、第三の報告が、三十隻の船団がバルミア正面に現れた事を告げた。
「バルミアだと? あそこにはもはや国王の近衛兵と親衛隊千人しかいないぞ」
ジルベルト公爵は頭を抱えた。

 最初に東側海岸に現れたグリセリードの船団三十隻は、海岸に近づこうともせず、のんびりと沖に停泊している。この船団が囮であることは、もはや明らかだった。
 船が近づくのをじりじりとしながら待っていたジルベルト公爵は、しびれを切らし、海岸には千名の兵士だけを残し、残り四千名を率いてバルミア救援に向かった。しかし、騎兵はともかく、歩兵隊がバルミアまで行き着くには、どんなに急いでも一日半はかかるだろう。 
 二番目に船の接近が報告された西側海岸では、すでにグリセリード軍の上陸が始まっていた。ロックモンドの軍は、三十五隻の船から上陸したおよそ七万人のグリセリード軍がバルミアに向かって進軍するのに途中で出会って、戦闘が始まった。

 同じ頃、バルミアの人々は、沖に現れたグリセリードの大船団を見て恐慌に陥っていた。
 マルスはケインの店からありったけの矢を取ると、港を見下ろす崖にグレイを走らせた。
そのすぐ後にマチルダとジョーイも馬で続く。
「畜生! 投石器があれば、ここからあの船を皆やっつけてやれるのになあ」
港に近づく船団を見下ろしてジョーイが叫んだ。
 マルスは、ジョーイとマチルダに命じて、火矢をどんどん作らせた。
 通常では絶対に矢の届かない遠距離に船はいるが、崖の上からならいつもの一倍半から二倍の距離を飛ばす事ができる。
 マルスは、油を染み込ませた布を巻きつけた火矢を大空高く射た。
 矢は空高く舞い上がった後、船団の先頭にいる船の上に落ちた。
 やがてその船から火の手が上がる。
「やったぜ!」
ジョーイが躍り上がって叫んだ。
 マルスは次々に矢を射る。矢は驚異的な正確さで船の上に落ちていく。やがて三十隻の船のおよそ半数から火が上がりだした。
 しかし、火が付きながらも先頭の船はバルミアの岸に近づいていく。
 やがて、完全に燃え出した船を見捨てて、グリセリードの兵たちは海に飛び込み出した。
その頃には港に到着していた国王の親衛隊が、オズモンドの指揮下に、海から泳ぎ渡ろうとするグリセリードの兵たちに矢を射掛けた。
船の中には、火事で動転して操縦を誤り、衝突する物もある。それらの船から兵士がどんどん海に飛び込み、岸に泳いでいくが、アスカルファン軍の矢が頭上から降り注ぐ中で、一人また一人と海に沈んでいった。しかし、六万人の兵の半分以上はそれでも岸まで泳ぎ着き、あちこちで戦闘が始まった。
マルスは崖の上からその様子を見て取って、グレイに飛び乗った。
「マチルダとジョーイはローラン家に行っておいてくれ。ジョーイ、ケインの店に行って、ケイン一家と店の者たちをローラン家に避難させるんだ。そして、クアトロと一緒に女たちを守ってくれ、頼む」
馬上から叫んだマルスにジョーイも大声で答える。
「分かった。大丈夫、安心しな。女たちは俺たちがしっかり守ってるから」
マルスはグレイの横腹を蹴ってバルミアの海岸へと崖を駆け下りた。

町の人間の多くは、戦いを避けて、近くの裏山に逃げている。戦闘はまだ港のあたりだけである。
マルスはオズモンドの率いる親衛隊の中に馬で飛び込んでいった。
「おお、マルスか! よく来た」
オズモンドが嬉しげな声を上げた。
「マルスだ、軍神マルス様が現れたぞ! もう大丈夫だ!」
兵の中から次々に声が上がる。前の戦いでマルスの名は鳴り響いていたからである。
マルスは弓兵隊の中に入り、恐るべき速度と正確さで弓を射始めた。アスカルファン軍の前面にいた敵兵は、マルスの矢で次々と倒れていく。僅か数十分の間で、マルスの矢に倒れた敵兵は百人に上っていた。
マルスは弓を引く機械のように、目に入る敵兵をただ倒していった。心の中は真っ白であり、ほとんど何も考えていない……。
気が付くと、夕日があたりを赤く染め、バルミアの港と海岸は、マルスの矢で倒れたグリセリード軍兵士の死体が累々と並んでいるだけだった。
まったく信じ難いことだが、マルスはこの戦いで、一人で二万人に近い敵兵を矢で倒したのであった。

拍手

軍神マルス第二部 29

第二十九章 戦の第二幕

 グリセリード海軍のおよそ半分を倒したマルスたちは、まだ海上に残るグリセリード船の掃蕩をアンドレ率いるレント海軍に任せ、マルスとジョーイ、クアトロの三人はひとまずアスカルファンに戻ることにした。
「なんとまあ、三百隻のグリセリード船の半分を沈めて、レント軍は一船も失わなかったとは」
 マルスの報告を受けたオズモンドは、あきれたように言った。
「功績の半分くらいは、このジョーイのものだよ」
マルスは傍らのジョーイを誉めて言った。
「しかし、入り海に入ったグリセリード船が百隻くらいあるようだから、ボワロンに待機しているグリセリード軍がその船に乗って攻め寄せて来るのは時間の問題だ」
と続けたマルスの言葉を
「百隻じゃないぜ。九十から百の間だ。まあ、その中間くらいだな。俺、数えていたんだ。でも、石が当たっても沈まなかった船もあったからな」
と、ジョーイが訂正した。オズモンドがそれにうなずいて言う。
「少なくとも、これでグリセリード軍が南の海から攻めてくることははっきりした。この事を国王に報告しておこう」
「いや、南だけに戦力を集中するのはまずい。アルカードにもグリセリード軍はいるのだから、二つが呼応して攻めて来ることも考えられる」
「そうだな。じゃあ、そう言っとく」
オズモンドは早速王宮に報告に行った。
その後で、マルスはマチルダやトリスターナに会って、束の間の安らぎを得たのであった。
「ちえっ、マルスはいいなあ。なんでマルスの周りにはこんな美人ばかりいるんだ」
楽しげなマルスを見て、ジョーイは羨ましそうにマルスに言ったものである。

「しかし、南側海岸から攻めて来ると言っても、南の海岸線のどこから上陸するか分からんでは、迎え撃ちようがないではないか」
オズモンドの報告に、アスカルファン軍総大将のジルベルト公爵が言った。
それを考えるのがあんたの役目だろうが、とオズモンドは心の中で毒づいたが、表では穏やかに
「そうですね」
とだけ言った。
「とりあえず、海岸の要所に監視兵を置き、敵の上陸した地点に軍を差し向けてはどうでしょう」
 ポラーノの新領主ロックモンドが言った。彼は総大将ジルベルトの弟で、兄の後ろ盾で宮中での発言力を増していた。
「その通りだ。それしかあるまい」
ジルベルトが大げさにうなずいて言う。
子供でもそれくらいは考えるよ、とオズモンドは思ったが、こちらはただうなずくだけである。
オズモンドから宮中の軍議の決定を聞いたマルスは呆然となった。
「そんな馬鹿な。それでは敵にむざむざと上陸を許してしまうじゃないか!」
「しかし、敵がどこから来るか分からん以上、仕方が無いだろう」
「敵の数は十万以上かも知れないんだぞ、それだけの敵兵に上陸されて、アスカルファンに勝ち目があると思うか?」
「……」
「くそっ。アンドレがアスカルファンの総大将なら、こんな馬鹿な策は取らないだろうに」
「レント海軍に、入り海の中でグリセリードの船をやっつけて貰うことはできないのか?」
「駄目だ。入り海の入り口は、沈んだグリセリードの船のために通れなくなっている」
マルスとオズモンドは考え込んだ。
「よしっ」
マルスは立ち上がった。
「どうするんだ?」
「バルミアの漁師たちに頼んで、入り海に漁船を出す。敵船を見つけて報告した者には一万リムの賞金を出すことにする。オズモンドは、その報告が来たら、すぐに宮中へ報告し、軍を上陸地点に差し向けてくれ」
「よし、分かった」

 マルスは漁師たちに頼んで、広くアスカルファンの海岸近い海全体に漁船を散開させた。この仕事に加わるだけでも五百リム、敵船を発見して報告したら一万リムという言葉に、漁師たちは勇み立った。
「金など貰わなくたって、俺はやるぜ。アスカルファンのためだ」
などという者も中にはいる。

 しかし、事態はマルスたちの予想を越えていた。
 グリセリード軍の船は、一箇所にではなく、三つに分散してアスカルファンに向かっていたのであった。
「戦力の分散は危険だというのが兵法の常道だが、こちらが分散すれば、相手も分散せざるを得ない。仮に、その中の一つが敵に見逃されたら、そこを突破口にできるわけだ」
 エスカミーリオはジャンゴに言って、にやりと笑った。

拍手

軍神マルス第二部 28

第二十八章 口論

ボワロンの北西海岸にたどり着いたグリセリード船は、九十五隻だった。
「八百隻の大船団が、僅か九十五隻だと?」
 デロスは激怒したが、エスカミーリオはまったく動じなかった。
「デロス殿の方こそ、十五万の大軍を、半分に減らしてしまったではありませんか。しかも、別に敵がいるわけでもない陸上を通ってですよ」
「敵がいたからこそ、こうなったんだ」
「では、敵に対する備えが出来てなかったということで、どちらにしても誉められませんな。責められるべきはむしろそちらでしょう。こっちは、初めての海上軍、多少の戦力の損耗は計算の上です」
「七百六十五隻の損害が、多少の損害か」
「まあ、いつまでも水掛け論をしていてもしょうがないでしょう。今後の戦略を話し合いましょう」
「戦略も何も無い。この戦は中止だ。僅か九十五隻の船で、どのようにして兵を運ぼうと言うのだ。上陸すると同時に敵にやられてしまうわ」
「敵が恐ろしいのですか。勇猛を以て鳴るデロス殿とも思われない」
周囲の諸将は、二人の口論をはらはらしながら聞いている。
「馬鹿を言え。戦は兵力の勝負だ。こちらに十二万の兵力があっても、一度に二万人しか運べないのでは、二万の兵しかいないのと同じなのだ。お主のような、経験の浅い将ほど奇策に頼ったり、味方の勢力を過信して失敗するものなのだ」
将官の一人が立ち上がって言った。
「デロス殿、我らグリセリード軍の勇猛さなら、一人がアスカルファン兵五人十人に相当しましょう」
「勇猛さだと? その勇猛さという奴をわしの目の前に出してみろ。魂など、目に見えるか! どんなに勇猛な兵だろうが、腰抜けの敵の放った一本の矢の前に死ぬ、それが戦だ」
「しかし、今さら戦を中止して帰ったら、シルヴィアナ様からどんなお叱りがあるか」
もう一人の将が、困惑したように言った。
「仕方あるまい。責任はわしが取る」
「では、どうあっても、アスカルファンには向かわないと?」
エスカミーリオがデロスを問い詰めた。
「ああ、そうだ」
デロスはそっぽを向いた。
「そうですか。では仕方がない」
エスカミーリオは腰の剣を抜き、一刀でデロスを斬った。
「あっ!」と一同は声を上げた。
マルシアスは駆け寄ってエスカミーリオを斬ろうとしたが、その前にエスカミーリオの副官ジャンゴが剣を抜いて立ちふさがった。
「騒ぐな! これを見ろ」
エスカミーリオは懐から一通の書状を出して、それをぱらりと開いた。
「宰相ロドリーゴ様の命令書だ。誰であれ、この戦の遂行を邪魔する者は切り捨てて良いという内容だ。シルヴィアナ様の署名もある。デロスは臆病風に吹かれて戦を中止しようとしたので、俺が切り捨てた。これからは俺が戦の総指揮を執る」
エスカミーリオは諸将を睨み回した。その気迫に押されて、周りの者は何も言えない。
「デロス様こそが、この全軍の総指揮者だったはずだ。お前のやった事は、反逆罪に当たる!」
マルシアスが叫んだ。
「これ以上戦の邪魔をするなら、お前もデロスと同じ目に遭うぞ」
「何を言う。デロス様が死んだ後は、私が全軍の指揮を任されている」
「たわ言だ。デロスこそが国家への反逆をしようとしたのだ。反逆者の命令など、何の効力がある。それに、大将軍とはいえ、シルヴィアナ様の了解もなく勝手な任命はできぬはずだ」
「戦時中は、大将軍に任命権があるはずだ」
「その軍議に俺は加わっていない。それこそ、俺を追い出すためのデロスの策謀だ。裏切り者デロスの命令はもはや無効だ」
二人の間の言い争いは、結局軍の中心的な将官全員の軍議に掛けられたが、このまま戦を続行するべきだという意見が大半を占め、デロスの後の総大将はエスカミーリオに決まった。それは、アスカルファンの軍は弱兵であるという先入観のためと、戦で戦功を上げて褒賞を得たいという思いが各将に強かったからである。
デロスの死を聞いたヴァルミラは、すぐさまエスカミーリオを殺しに行こうとしたが、その前にエスカミーリオの手の者によって逮捕された。
「臆病者のデロスは、これだけの人数では戦えんと言ったが、十一万五千の兵に、船の二万人を加えて、十四万五千。これだけの兵があればアスカルファン侵攻には十分だ。それに、我々がアスカルファンに入れば、すぐにアルカードに駐留している一万の軍勢が北から攻め寄せることになっておる。わずか七万余のアスカルファン軍と、五万程度のレント軍相手に、これ以上何が必要だと言うのだ」
エスカミーリオの言葉に、諸将は、その通りだ、とうなずいた。
「まして、レント軍は海の向こうにいるのですから、奴らが救援に来る前には戦は終わっているでしょう」
 将校の一人がエスカミーリオに迎合するように言った。
将官の中でマルシアスだけは、デロスの死以来、沈黙を守り続けていた。エスカミーリオは、その存在を目障りに感じていたが、当面は見逃しておこうと考えていた。

拍手

軍神マルス第二部 27

第二十七章 海峡の戦い

 ボワロンの北西海岸にやっと到着したグリセリード陸上軍だったが、疫病のため砂漠に残した一万人と、その後に出た死者や重症患者のため、全体の兵力は僅か十万人程度になっていた。幸い、患者の中には回復に向かう者も少しはいたが、完全な健康体の者も、水と食料の欠乏した過酷な砂漠越えで体力を消耗していた。
「今戦いが始まったら、五百の兵士にも負けそうだな……」
デロスは海岸の木陰でぐったりと休んでいる兵士たちを見て呟いた。
「戦う前からこれほどの兵力を消耗したのは初めてだ。この戦は呪われているのか」
デロスの呟きを聞いて、傍らのマルシアスが笑った。
「デロス殿とも思えない弱気なお言葉ですな。なあに、少し休んだら兵たちも体力を回復しますよ」
「そうだな。……ところで、マルシアス、戦の指揮の事だが、もしもわしが死んだら、お主が全軍の指揮を執ってくれぬか」
「死ぬとはまた不吉な事を。一体どうなされたのです」
「はは、気にするな。別に迷信深くなっているわけではない。いつ不測の事があっても良いように戦の指揮体系を決めておくのも将の仕事の一つだ」
「はあ。しかし、序列から言って、デロス殿の次はエスカミーリオ殿でしょう」
「お主のこれまでの軍歴は、エスカミーリオなど話にならん。他の将官の中で、一万以上の軍を動かす力のあるのはお主以外いない」
「ヴァルミラ殿では?」
「何を馬鹿な事を。あれはまだ一度も戦をしたこともない子供だ」
「デロス殿の娘だというだけでも兵は信服して付いて行きます。それに、彼女の武芸の腕は国中知らぬ者は無い。戦略の面でも、アベロンの兵法書を深く読んでいる様子ですよ」
「戦は書物通りにはいかんさ。二、三度戦場に出た後なら考えんでもないが」
デロスは将官たちを集めて、自分に不測の事があった場合の指揮をマルシアスに任せる事を告げた。将官の中には、それを喜ぶ者もあり、不服そうな顔をする者もあった。

 海上のエスカミーリオ軍は、ポラポス海峡に近づきつつあった。マルスたちがアンドレと再会してから五日後であった。
「エスカミーリオ様。レントの船はいっこうに現れませんな」
エスカミーリオの副官のジャンゴが言った。
「うむ。別に不思議ではないが、張り合いがないな。この大船団なら名に負うレント海軍でも一蹴してみせるものを」
 空は良く晴れ渡っているが、海上は波がある。航海に出て以来、これほど雲一つ無い天気も珍しい。
 やがて、前方にポラポス海峡が見えた。
「あそこがポラポス海峡です。あそこを過ぎれば、アスカルファンもボワロンもすぐです」
船の乗組員がエスカミーリオにそう告げた。
「そうか。海底の岩に船底をこすらぬよう、注意して進めよ」
 およそ三百隻の船は、一列になって海峡に入った。先頭からおよそ三分の一が海峡の中に入った時、突然中団の船の一つが轟音を立てた。
「何事だ?」
船団の分隊の指揮をしている副将軍が慌てて、部下に聞いた。その間にも、轟音は続いている。
「はっ。どうやら、海峡の上の崖から投石器で攻撃を受けているようです」
「応戦しろ!」
「はっ。しかし、敵ははるか上方におり、こちらの矢はほとんど届きません」
 間もなく、崖の上からは石だけではなく、火矢も降り注いできた。
 海峡に入りかかっていた後続の船は、慌てて進路を変えようとしたが、狭い海峡では船がすれ違うことは難しい。後から進んでくる船と、戻ろうとする船の何艘かがぶつかり始めた。
 その時、西の海上に大船団が現れた。レント海軍である。
 海峡への侵入を諦めたグリセリード軍は、新たな敵を迎えて困惑した。全軍の指揮を執る旗艦はとっくに海峡の中に入っており、海戦を統率する者がいないのである。
 仕方なく、グリセリード軍およそ二百隻は、百五十隻のレント海軍にばらばらに立ち向かうことになった。
 アンドレの指揮下に、何ヶ月も石弓の訓練を積んでいたレント海軍と、一月近い航海の間、何の訓練もできなかったグリセリード軍との技量の差は明らかだった。
 レント海軍の石弓隊は、波に揺れる船を物ともせず、正確に敵船に矢を射掛けた。
 グリセリード軍の船は、マルスの放つ火矢によって次々に炎上し始めた。
「思ったよりグリセリードの船が少ないな」
マルスは、矢を射る手を止めて、傍らのアンドレに言った。
「百隻くらい海峡の中に入ったと思うが、それにしても少ないようだ。おそらく、航海の間に先頭から遅れた船が半分くらいあるんだろう。そんな船は気にする必要はない。海上でのんびりと各個撃破すればよい」
アンドレはマルスに答えた。
「半分の船でアスカルファンに兵を輸送するのはできるか」
「一回におよそニ万人くらいずつだ。海岸でなんとか迎え撃つことができる人数だろうな」
「では、だいぶこちらが有利になったわけだな」
「そう言っていいだろう。アスカルファン軍がよほどヘマをしなければな」
ほっと一息ついて、マルスは笑顔になり、アンドレと握手した。

拍手

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
4
23
24 25 26 27 28 29 30

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析