第三十四章 最後の戦い
北の山脈を越えて、グリセリード軍がアルカードからアスカルファンに入ってきたという知らせがマルスたちの所に届いたのは、バルミアの戦いからおよそ半月後だった。前回と同様にポラーノ郡を北から侵略した約一万のグリセリード軍は、怒涛のような進撃で、あっという間にアスカルファン中部に進出し、先にバルミアを東西から囲んでいたグリセリード軍と共にバルミア包囲陣を作った。その数、およそ八万八千人、前回の戦闘の死者を上回る数が、すでに二十五隻の船で後方から補充されていた。
自軍に倍する敵軍に囲まれ、アスカルファンは絶体絶命の窮地に追い込まれていた。
マルスはアルプ軍を中心としたアスカルファン主力軍の弓兵隊隊長に任命されたが、マルスが最初にしたのは、前回のイルミナスの野の戦いと同様、バルミアの市民たちを徴用する事だった。その為に、国庫から日当を支出する事を、マルスはシャルル国王に要求し、認めさせていた。国王としても、国家の危急の際であり、金に糸目をつけている場合ではないと分かっており、その要求を受け入れたのである。
市民たちは、男女を問わず石弓と矢の生産に加わり、グリセリードの北からの侵入の報を聞いて四日のうちに、バルミアには二十万本の矢が備蓄された。
戦いは再びイルミナスの野になる可能性が高かった。バルミア周辺で、双方合わせて十三万人の軍勢が会戦できる場所はここだけだったからである。
マルスはイルミナスの野の南に矢倉を築かせた。前に、バルミアの近くの崖からグリセリードの船に火矢を射た経験から、高い場所から矢を射る有利さを知っていたからである。三十の矢倉にはそれぞれ、石弓隊の中でも腕の立つ者二人ずつが、矢を篭める役の者四人と共に上る。弓兵隊の残りは、それぞれ十人ずつの小隊に分け、小隊長に率いさせて、イルミナスの野の小高い要所要所に矢防ぎを作ってそこに待機させてある。矢の届く距離に敵が入ったら、そこから矢を射るのである。
マルス自身は、二十人の騎馬弓兵を引き連れて、戦場全体の要所に向かうことにした。各所にいる弓兵隊に敵の攻撃が向かったら、それを迎撃しようというのが狙いである。
ジョーイは、同じく市民の男たちを動員して、小型の投石器を二百台作ってあった。船を攻撃するほどの大きさではなく、せいぜい二十キロくらいまでの石を飛ばすものだが、その飛距離は石弓に匹敵するものをジョーイは作り上げていた。その弾丸用に、ジョーイはバルミアの民家の屋根石や煉瓦、敷石などを大量に集めさせていた。
「金は払うぜ。古い家を新調するいい機会だとでも思ってくんな」
ジョーイの言葉に市民たちも快く家を壊す事を承知した。どうせ、戦に負ければ命の保証も無いのである。
市民の中でも壮年の者たちは、槍部隊を編成して、こちらの陣営まで到達した敵兵を迎え撃つことにした。特に騎馬兵には、長槍は有効なはずである。そして、もとからの兵士たちは肉弾戦を引き受ける。これがマルスの戦いの構想だった。
総大将ジルベルトは、マルスの献策をほとんど受け入れた。もともと自分の考えなど無い男だから、誰かが案を立ててくれればそれに越したことはないのである。案が上手くいけば自分の手柄になるし、失敗したら、案を立てたマルスの責任にすればよい。
イルミナスの野に敵軍が姿を現したのは、夏至の日だった。
太陽がかっと照り付ける正午に、戦闘開始を告げるラッパの音が鳴り響き、グリセリード軍の中からどっとときの声が上がった。
八万八千の大軍勢を頼みにし、グリセリード軍は歩兵を先頭に駆け足に進む。敵が矢を射掛けても、それで殺される人数は高が知れている。八割九割は敵陣に到着できるだろう。そうなれば、勝利は目の前である。
ジョーイの号令で、投石器がうなりを上げて石を放った。次々に発射される大石は、敵陣に落ち、その度に何人もの敵兵に大怪我を負わせている。
矢倉の上からは、優秀な弓兵が、敵兵の密集したあたりに石弓を射る。その後ろでは、矢篭め係が、矢を装備した石弓を次々に手渡していく。
戦闘開始後三十分で、投石器はおよそ五千個の石を投げ、矢倉の上の弓兵はおよそ八千本の矢を放った。そのうちおよそ三分の二が敵に当たり、重傷を負わせ、あるいは殺していたが、それでも敵のうち一万人程度を倒したに過ぎない。敵の先頭は、アスカルファン軍の先頭に達しようとしていた。
「くそっ。前のようにイルミナスの野の中央を泥沼にしてあれば……」
マルスは思ったが、今回は、前にこの野に水を引いた小川が涸れており、その策は使えなかったのである。
野の両側に位置した弓兵たちは、横からグリセリード軍に矢を射掛けるが、それでも圧倒的な数のグリセリード軍兵士の数は少しも減ったようには見えない。
とうとう両軍の先頭の軍勢同士がぶつかった。白兵戦の始まりである。
敵陣に攻め込んだグリセリード軍を見ながら、エスカミーリオは、傍らに縛られたまま立たされているヴァルミラを振り返って言った。
「どうだ、ヴァルミラ、お前の父、デロスが誤りで、俺が正しかった事が分かっただろう。何も、戦を止めることは無かったんだ。まあ、お前の父を斬ったのは悪かったが、俺には、この戦を遂行する義務があったんだ。お前の恨みは分かるが、今は大事の前の小事、俺に協力してくれんか」
ヴァルミラはエスカミーリオを睨みつけた。
「お前の首を貰う方が先だ。グリセリードがどうなろうが、私の知ったことか」
「お前の父デロスが、国王からどれほどの恩義を受けたか、分かっているのか。武人は国のために命を投げ出すものだ。戦場を前にして敵に後ろを見せる武人は武人ではない。それを斬ったのがなぜ悪い」
エスカミーリオもかっとなって言い返した。
北の山脈を越えて、グリセリード軍がアルカードからアスカルファンに入ってきたという知らせがマルスたちの所に届いたのは、バルミアの戦いからおよそ半月後だった。前回と同様にポラーノ郡を北から侵略した約一万のグリセリード軍は、怒涛のような進撃で、あっという間にアスカルファン中部に進出し、先にバルミアを東西から囲んでいたグリセリード軍と共にバルミア包囲陣を作った。その数、およそ八万八千人、前回の戦闘の死者を上回る数が、すでに二十五隻の船で後方から補充されていた。
自軍に倍する敵軍に囲まれ、アスカルファンは絶体絶命の窮地に追い込まれていた。
マルスはアルプ軍を中心としたアスカルファン主力軍の弓兵隊隊長に任命されたが、マルスが最初にしたのは、前回のイルミナスの野の戦いと同様、バルミアの市民たちを徴用する事だった。その為に、国庫から日当を支出する事を、マルスはシャルル国王に要求し、認めさせていた。国王としても、国家の危急の際であり、金に糸目をつけている場合ではないと分かっており、その要求を受け入れたのである。
市民たちは、男女を問わず石弓と矢の生産に加わり、グリセリードの北からの侵入の報を聞いて四日のうちに、バルミアには二十万本の矢が備蓄された。
戦いは再びイルミナスの野になる可能性が高かった。バルミア周辺で、双方合わせて十三万人の軍勢が会戦できる場所はここだけだったからである。
マルスはイルミナスの野の南に矢倉を築かせた。前に、バルミアの近くの崖からグリセリードの船に火矢を射た経験から、高い場所から矢を射る有利さを知っていたからである。三十の矢倉にはそれぞれ、石弓隊の中でも腕の立つ者二人ずつが、矢を篭める役の者四人と共に上る。弓兵隊の残りは、それぞれ十人ずつの小隊に分け、小隊長に率いさせて、イルミナスの野の小高い要所要所に矢防ぎを作ってそこに待機させてある。矢の届く距離に敵が入ったら、そこから矢を射るのである。
マルス自身は、二十人の騎馬弓兵を引き連れて、戦場全体の要所に向かうことにした。各所にいる弓兵隊に敵の攻撃が向かったら、それを迎撃しようというのが狙いである。
ジョーイは、同じく市民の男たちを動員して、小型の投石器を二百台作ってあった。船を攻撃するほどの大きさではなく、せいぜい二十キロくらいまでの石を飛ばすものだが、その飛距離は石弓に匹敵するものをジョーイは作り上げていた。その弾丸用に、ジョーイはバルミアの民家の屋根石や煉瓦、敷石などを大量に集めさせていた。
「金は払うぜ。古い家を新調するいい機会だとでも思ってくんな」
ジョーイの言葉に市民たちも快く家を壊す事を承知した。どうせ、戦に負ければ命の保証も無いのである。
市民の中でも壮年の者たちは、槍部隊を編成して、こちらの陣営まで到達した敵兵を迎え撃つことにした。特に騎馬兵には、長槍は有効なはずである。そして、もとからの兵士たちは肉弾戦を引き受ける。これがマルスの戦いの構想だった。
総大将ジルベルトは、マルスの献策をほとんど受け入れた。もともと自分の考えなど無い男だから、誰かが案を立ててくれればそれに越したことはないのである。案が上手くいけば自分の手柄になるし、失敗したら、案を立てたマルスの責任にすればよい。
イルミナスの野に敵軍が姿を現したのは、夏至の日だった。
太陽がかっと照り付ける正午に、戦闘開始を告げるラッパの音が鳴り響き、グリセリード軍の中からどっとときの声が上がった。
八万八千の大軍勢を頼みにし、グリセリード軍は歩兵を先頭に駆け足に進む。敵が矢を射掛けても、それで殺される人数は高が知れている。八割九割は敵陣に到着できるだろう。そうなれば、勝利は目の前である。
ジョーイの号令で、投石器がうなりを上げて石を放った。次々に発射される大石は、敵陣に落ち、その度に何人もの敵兵に大怪我を負わせている。
矢倉の上からは、優秀な弓兵が、敵兵の密集したあたりに石弓を射る。その後ろでは、矢篭め係が、矢を装備した石弓を次々に手渡していく。
戦闘開始後三十分で、投石器はおよそ五千個の石を投げ、矢倉の上の弓兵はおよそ八千本の矢を放った。そのうちおよそ三分の二が敵に当たり、重傷を負わせ、あるいは殺していたが、それでも敵のうち一万人程度を倒したに過ぎない。敵の先頭は、アスカルファン軍の先頭に達しようとしていた。
「くそっ。前のようにイルミナスの野の中央を泥沼にしてあれば……」
マルスは思ったが、今回は、前にこの野に水を引いた小川が涸れており、その策は使えなかったのである。
野の両側に位置した弓兵たちは、横からグリセリード軍に矢を射掛けるが、それでも圧倒的な数のグリセリード軍兵士の数は少しも減ったようには見えない。
とうとう両軍の先頭の軍勢同士がぶつかった。白兵戦の始まりである。
敵陣に攻め込んだグリセリード軍を見ながら、エスカミーリオは、傍らに縛られたまま立たされているヴァルミラを振り返って言った。
「どうだ、ヴァルミラ、お前の父、デロスが誤りで、俺が正しかった事が分かっただろう。何も、戦を止めることは無かったんだ。まあ、お前の父を斬ったのは悪かったが、俺には、この戦を遂行する義務があったんだ。お前の恨みは分かるが、今は大事の前の小事、俺に協力してくれんか」
ヴァルミラはエスカミーリオを睨みつけた。
「お前の首を貰う方が先だ。グリセリードがどうなろうが、私の知ったことか」
「お前の父デロスが、国王からどれほどの恩義を受けたか、分かっているのか。武人は国のために命を投げ出すものだ。戦場を前にして敵に後ろを見せる武人は武人ではない。それを斬ったのがなぜ悪い」
エスカミーリオもかっとなって言い返した。
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