第三十九章 噂
グリセリードの捕虜たちが、身代金の支払われた数名を除いてすべて処刑されるという事を聞いたマルスは、国王シャルルの元に出向いて、残る捕虜全員の命と引き換えに百万リム自分が出すから、捕虜たちを自分に渡してくれ、と言った。二度に渡る戦争の戦費の捻出に頭を悩ませていたシャルルは、渡りに船とばかりにこの提案に飛びついた。
マルスは五万人近い捕虜を率いて、新領地のゲイル郡に向かった。その護送には、オズモンドが隊長を務める親衛隊五百人が当たった。その旅にピエール、ヤクシー、マチルダ、ロレンゾ、アンドレも同行したが、トリスターナだけはマルスの屋敷の留守番に残った。
「お前たちは、これからゲイル郡で百姓をして貰う。グリセリードの方へは連絡しておくから心配するな。ゲイルの山野を開墾して、一人十反の畑を作った者は自由の身にしてやろう。これは、お前たちの国がアスカルファンに与えた被害の償いだ。そのままここに残りたい者には、自分の開墾した畑をそのまま与えよう」
マルスは捕虜たちにそう告げた。自分たちが処刑されるのでも、一生奴隷にされるわけでもないと知った捕虜たちは歓喜の声を上げた。
ゲイルの領主の城に入ったマルスたちは、旧領主の召使たちと対面した。彼らは明らかに、上の者にはへつらいながら、地元の百姓を蔑視し、虐げるのを当然と考えるような者たちだった。
マルスは彼らに金をやって追放した上で、地元の百姓の娘や子供の中から城の召使や従僕を選んだ。
マルスはグリセリードの捕虜たちに、まず自分たちの住む家を作らせた。およそ十日で五万人の住む住居群が出来上がった。そこを拠点に、ゲイルの山野に向かって捕虜たちは開墾の仕事を始めた。暑さも次第に和らぎ、開墾の労働もそれほど苦痛を感じさせるものでもない。捕虜たちにとっては、自分の国で百姓をしているよりここの方が安楽だと思う者も多かった。
出来た畑には、出来次第に秋撒きの小麦や野菜を植えて行き、早いところは既に芽を出していた。
ヴァルミラの扱いにマルスは困りきっていた。自分を自由にしたら、必ずマルスを殺すと言う者を自由にする訳にもいかず、城の一室に閉じ込めてあるのだが、戸に鍵が掛かっていている以外は不自由がないようにしてあった。
マチルダやヤクシーが彼女の説得に努めたが、ヴァルミラは頑として心を変えなかった。
「マルスも大変な女を敵に回したもんだな」
ピエールは面白半分でその様子を眺めている。
「あんな美人でなけりゃあ、殺してしまえば一番簡単なんだがな」
アンドレが顔に似合わぬ残酷な事を言う。
「別に美人だから特別扱いしている訳ではないぞ」
マルスが弁解じみた事を言うのは、心に疚しいところがあるせいだろう。美人に弱い所が自分の欠点ではないか、とこの頃マルスは思うようになっていた。敵のヴァルミラに対してすら、何となく心が動くのである。
「賢者の書の解読はどんなだ?」
マルスは話題を変えた。
「八割方分かってきた。だが、完全に解読しないで呪文を使うのは危険だ。魔法のことはロレンゾに、パーリ語の発音はヤクシーに聞けばいいから、一人で解読するのに比べれば、ずっと楽な仕事だがな」
「しかし、ピラミッドから持ってきた宝も、捕虜の身代金と食費、衣服、薬代で半分以上使ってしまったぜ。そろそろもう一度取りに行ってこようかな」
ピエールは、無為な毎日に少々退屈しているようだ。
「賢者の書の解読が終わってからにしてくれ。それに、ピエールには捕虜の監督の仕事があるだろう」
アンドレが言うと、ピエールは肩をすくめてみせた。
「監督ったって、何もする事はありゃしねえよ。そりゃあ、中には不真面目な者もいるが、ほとんどの者は真面目に働いているし、逃亡する者なんていやしねえし」
「逃亡したって、野盗になるしか無いし、グリセリードに帰りたければ、さっさと畑を作った方が早道だしな。秋の終わりには開墾は全部終わるんじゃないか」
アンドレも言う。
秋の収穫も始まっていた。いつものように収穫の半分を年貢として納める事を覚悟していた百姓たちは、年貢は収穫の四分の一でいいというお触れに狂喜した。
「一体、収穫の半分も納めさせて、前の領主はそれをどうしていたんだろうな。四分の一もあれば、城の人間だけでなく、捕虜たちの一年分の食料にも十分だというのに」
アンドレが言う。四分の一という計算は、アンドレによるものである。
「領主という連中はそんなものさ。百姓を苦しめて喜んでいるだけだ。きっと、年貢のほとんどは城の倉庫で腐っていたんだろうよ」
ピエールが吐き捨てるように言う。ゲイル出のピエールは、前のゲイルの領主には恨みがあるのである。
マルスは、人々の間の争い事の裁きで忙しい。だが、人の顔を見ればその善悪がすぐに分かるマルスの裁きが間違うことは少しも無かった。どのような悪巧みも、マルスの前では通用しない事を人々は知って、マルスは神に通じた者だという噂が立っていた。その評判や、年貢の低さを聞いて、他の郡から逃亡してきてゲイルに住み着く者が増え、ゲイルの人口は急速に増えていた。
「マルスは国王に対する反逆を企てている」
という噂がシャルル国王の宮廷に流れ出したのは、冬の初めの頃だった。宮廷のオズモンドはやっきになってその噂を否定したが、その噂を触れまわす者が何人かいた。
グリセリードの捕虜たちが、身代金の支払われた数名を除いてすべて処刑されるという事を聞いたマルスは、国王シャルルの元に出向いて、残る捕虜全員の命と引き換えに百万リム自分が出すから、捕虜たちを自分に渡してくれ、と言った。二度に渡る戦争の戦費の捻出に頭を悩ませていたシャルルは、渡りに船とばかりにこの提案に飛びついた。
マルスは五万人近い捕虜を率いて、新領地のゲイル郡に向かった。その護送には、オズモンドが隊長を務める親衛隊五百人が当たった。その旅にピエール、ヤクシー、マチルダ、ロレンゾ、アンドレも同行したが、トリスターナだけはマルスの屋敷の留守番に残った。
「お前たちは、これからゲイル郡で百姓をして貰う。グリセリードの方へは連絡しておくから心配するな。ゲイルの山野を開墾して、一人十反の畑を作った者は自由の身にしてやろう。これは、お前たちの国がアスカルファンに与えた被害の償いだ。そのままここに残りたい者には、自分の開墾した畑をそのまま与えよう」
マルスは捕虜たちにそう告げた。自分たちが処刑されるのでも、一生奴隷にされるわけでもないと知った捕虜たちは歓喜の声を上げた。
ゲイルの領主の城に入ったマルスたちは、旧領主の召使たちと対面した。彼らは明らかに、上の者にはへつらいながら、地元の百姓を蔑視し、虐げるのを当然と考えるような者たちだった。
マルスは彼らに金をやって追放した上で、地元の百姓の娘や子供の中から城の召使や従僕を選んだ。
マルスはグリセリードの捕虜たちに、まず自分たちの住む家を作らせた。およそ十日で五万人の住む住居群が出来上がった。そこを拠点に、ゲイルの山野に向かって捕虜たちは開墾の仕事を始めた。暑さも次第に和らぎ、開墾の労働もそれほど苦痛を感じさせるものでもない。捕虜たちにとっては、自分の国で百姓をしているよりここの方が安楽だと思う者も多かった。
出来た畑には、出来次第に秋撒きの小麦や野菜を植えて行き、早いところは既に芽を出していた。
ヴァルミラの扱いにマルスは困りきっていた。自分を自由にしたら、必ずマルスを殺すと言う者を自由にする訳にもいかず、城の一室に閉じ込めてあるのだが、戸に鍵が掛かっていている以外は不自由がないようにしてあった。
マチルダやヤクシーが彼女の説得に努めたが、ヴァルミラは頑として心を変えなかった。
「マルスも大変な女を敵に回したもんだな」
ピエールは面白半分でその様子を眺めている。
「あんな美人でなけりゃあ、殺してしまえば一番簡単なんだがな」
アンドレが顔に似合わぬ残酷な事を言う。
「別に美人だから特別扱いしている訳ではないぞ」
マルスが弁解じみた事を言うのは、心に疚しいところがあるせいだろう。美人に弱い所が自分の欠点ではないか、とこの頃マルスは思うようになっていた。敵のヴァルミラに対してすら、何となく心が動くのである。
「賢者の書の解読はどんなだ?」
マルスは話題を変えた。
「八割方分かってきた。だが、完全に解読しないで呪文を使うのは危険だ。魔法のことはロレンゾに、パーリ語の発音はヤクシーに聞けばいいから、一人で解読するのに比べれば、ずっと楽な仕事だがな」
「しかし、ピラミッドから持ってきた宝も、捕虜の身代金と食費、衣服、薬代で半分以上使ってしまったぜ。そろそろもう一度取りに行ってこようかな」
ピエールは、無為な毎日に少々退屈しているようだ。
「賢者の書の解読が終わってからにしてくれ。それに、ピエールには捕虜の監督の仕事があるだろう」
アンドレが言うと、ピエールは肩をすくめてみせた。
「監督ったって、何もする事はありゃしねえよ。そりゃあ、中には不真面目な者もいるが、ほとんどの者は真面目に働いているし、逃亡する者なんていやしねえし」
「逃亡したって、野盗になるしか無いし、グリセリードに帰りたければ、さっさと畑を作った方が早道だしな。秋の終わりには開墾は全部終わるんじゃないか」
アンドレも言う。
秋の収穫も始まっていた。いつものように収穫の半分を年貢として納める事を覚悟していた百姓たちは、年貢は収穫の四分の一でいいというお触れに狂喜した。
「一体、収穫の半分も納めさせて、前の領主はそれをどうしていたんだろうな。四分の一もあれば、城の人間だけでなく、捕虜たちの一年分の食料にも十分だというのに」
アンドレが言う。四分の一という計算は、アンドレによるものである。
「領主という連中はそんなものさ。百姓を苦しめて喜んでいるだけだ。きっと、年貢のほとんどは城の倉庫で腐っていたんだろうよ」
ピエールが吐き捨てるように言う。ゲイル出のピエールは、前のゲイルの領主には恨みがあるのである。
マルスは、人々の間の争い事の裁きで忙しい。だが、人の顔を見ればその善悪がすぐに分かるマルスの裁きが間違うことは少しも無かった。どのような悪巧みも、マルスの前では通用しない事を人々は知って、マルスは神に通じた者だという噂が立っていた。その評判や、年貢の低さを聞いて、他の郡から逃亡してきてゲイルに住み着く者が増え、ゲイルの人口は急速に増えていた。
「マルスは国王に対する反逆を企てている」
という噂がシャルル国王の宮廷に流れ出したのは、冬の初めの頃だった。宮廷のオズモンドはやっきになってその噂を否定したが、その噂を触れまわす者が何人かいた。
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