混沌堂主人がご自分の基本思想を簡潔に書いているので引用しておく。
ちなみに私は「道徳は社会安定と良化の根幹である」「天皇という存在は日本という国の貴重な政治的文化的財産である」という考えである。
なお、「通俗道徳」という言葉はそのままでは普通の道徳との違いが分からなく、道徳そのものの蔑視・否定思想に見えるので、言葉そのものに問題があると思っている。道徳は通俗化することによって機能するとも言える。高踏的な道徳など大衆には無縁だろう。
ひとつだけ皮肉を言っておく。「天皇がいなくなれば青空になる」のか? つまり日本の天皇存続の2000年近い年数はずっと曇り空、暗黒だったのか?
ついでに聞こう。権威と権力は同じなのか? あなたは金持ちを権威だと思うのか? 権威のある宗教者や学者は権力者とイコールなのか? キリストやブッダは権力者だったか?
(簡単に言えば、権力は力に由来し、権威は人格に由来するが、地位はその両者に共通する場合が多いので混同されやすい。)
(なお、代々の天皇の中にも人格破綻者は何人もいた。それは古事記を読めば明白である。しかし、歴史的に概括するなら、中世以降は天皇の権威と武力集団の権力のバランスはうまく機能しており、現在の「象徴天皇制」はその最良の形だと思っている。)
(天皇には実質的「権力」はないが、しかし、権力の暴走の際には、その「権威」が上手く機能すると私は期待している。たとえば226事件を食い止めたのは昭和天皇の英断だった。だが、その後の軍部の陰険な策謀による「議会無力化」などで日本はじわじわと軍国主義化していったのである。昭和天皇自身も当時の帝国主義思想に浸食されていたからそれに流された。つまり、誰が国家首脳でも、世界的なその流れを食い止めることはほぼ不可能だったのである。)
ご自分のブログに載せる引用記事を見ると、難解な論説文を読みこなす高度な知性をお持ちのように見えるのに、こういう単純な「土台」がおかしい、というのが残念である。おそらく「天皇憎悪」が先にあって、そこから無理やり論説を立てているのではないか。それは引用記事とその感想やブログ記事タイトルの呆れるほどの乖離で明白だ。
なお、反論は、特に期待しない。そもそも、このブログを読んでもいないだろう。単に、「平和主義」かつ「尊皇主義」の立場で天皇という存在について論じてみただけだ。(今や、グローバリズムに対する「尊皇攘夷主義」ですらあるwww いや、昔からそうだったか。)
ついでに言えば、私は聖徳太子の「十七条憲法」と明治天皇の「五箇条の御誓文」と現在の「日本国憲法」は「大いなる和の精神」という点で共通していると思っている。それこそが本来の大和魂ではないか? つまり、軍国主義化された好戦的「大和(やまと)魂」と歴史的な「大和(だいわ)の精神」はまったく相反するのである。なお、「大いなる」としたのは、日本人全体を包括してのことだ。それが日本文化を土台にして育った日本人の心底にある、ということである。もちろん、平和主義は「事なかれ主義」にもなり、他人を平気で蹴落とすサイコパスが社会の上位に行く土台にもなる。その「正→反→合」が今後の日本の課題だろう。そこに「道徳」の意味もある。
(以下引用)
(夢人追記)日本人のモラル喪失の一例。なお、「立身出世主義」は「道徳」ではない。日本の欧化に伴う社会風潮である。それを「道徳」と呼ぶのは意図的捻じ曲げだろう。「徳」とは人格の高さを言う。下の事例は人格の劣化だ。どこにも「徳」は無い。
ちなみに私は「道徳は社会安定と良化の根幹である」「天皇という存在は日本という国の貴重な政治的文化的財産である」という考えである。
なお、「通俗道徳」という言葉はそのままでは普通の道徳との違いが分からなく、道徳そのものの蔑視・否定思想に見えるので、言葉そのものに問題があると思っている。道徳は通俗化することによって機能するとも言える。高踏的な道徳など大衆には無縁だろう。
ひとつだけ皮肉を言っておく。「天皇がいなくなれば青空になる」のか? つまり日本の天皇存続の2000年近い年数はずっと曇り空、暗黒だったのか?
ついでに聞こう。権威と権力は同じなのか? あなたは金持ちを権威だと思うのか? 権威のある宗教者や学者は権力者とイコールなのか? キリストやブッダは権力者だったか?
(簡単に言えば、権力は力に由来し、権威は人格に由来するが、地位はその両者に共通する場合が多いので混同されやすい。)
(なお、代々の天皇の中にも人格破綻者は何人もいた。それは古事記を読めば明白である。しかし、歴史的に概括するなら、中世以降は天皇の権威と武力集団の権力のバランスはうまく機能しており、現在の「象徴天皇制」はその最良の形だと思っている。)
(天皇には実質的「権力」はないが、しかし、権力の暴走の際には、その「権威」が上手く機能すると私は期待している。たとえば226事件を食い止めたのは昭和天皇の英断だった。だが、その後の軍部の陰険な策謀による「議会無力化」などで日本はじわじわと軍国主義化していったのである。昭和天皇自身も当時の帝国主義思想に浸食されていたからそれに流された。つまり、誰が国家首脳でも、世界的なその流れを食い止めることはほぼ不可能だったのである。)
ご自分のブログに載せる引用記事を見ると、難解な論説文を読みこなす高度な知性をお持ちのように見えるのに、こういう単純な「土台」がおかしい、というのが残念である。おそらく「天皇憎悪」が先にあって、そこから無理やり論説を立てているのではないか。それは引用記事とその感想やブログ記事タイトルの呆れるほどの乖離で明白だ。
なお、反論は、特に期待しない。そもそも、このブログを読んでもいないだろう。単に、「平和主義」かつ「尊皇主義」の立場で天皇という存在について論じてみただけだ。(今や、グローバリズムに対する「尊皇攘夷主義」ですらあるwww いや、昔からそうだったか。)
ついでに言えば、私は聖徳太子の「十七条憲法」と明治天皇の「五箇条の御誓文」と現在の「日本国憲法」は「大いなる和の精神」という点で共通していると思っている。それこそが本来の大和魂ではないか? つまり、軍国主義化された好戦的「大和(やまと)魂」と歴史的な「大和(だいわ)の精神」はまったく相反するのである。なお、「大いなる」としたのは、日本人全体を包括してのことだ。それが日本文化を土台にして育った日本人の心底にある、ということである。もちろん、平和主義は「事なかれ主義」にもなり、他人を平気で蹴落とすサイコパスが社会の上位に行く土台にもなる。その「正→反→合」が今後の日本の課題だろう。そこに「道徳」の意味もある。
(以下引用)
弱い者いじめ文化には、大きな要因がまずは二つあると思う。
1・通俗道徳~自己責任論・・弱いものは笑われて当然。
2・天皇制~強者・権威は永遠に強く権威~泣き寝入りが当然。
まあそれを壊さないと日本人は消えてなくなるのでね・・
天皇のない 蒼い空を取り戻す
(夢人追記)日本人のモラル喪失の一例。なお、「立身出世主義」は「道徳」ではない。日本の欧化に伴う社会風潮である。それを「道徳」と呼ぶのは意図的捻じ曲げだろう。「徳」とは人格の高さを言う。下の事例は人格の劣化だ。どこにも「徳」は無い。
「……おっ!きた!!!」
画面に表示された「合格おめでとうございます」の文字に、思わず家族みんなで歓声を上げました。これまでの長い努力が報われた瞬間でした。
そんな祝福ムードの中、息子がスマホを見ながらクスクス笑っています。
「ほら、友だちも合格したって!」
そう言って画面を見せてくる息子。良かったねと思ったのも束の間、受験結果を報告し合っている友人たちとのグループトークのやり取りが目に入りました。そこではちょっと驚くような会話が繰り広げられていました。
「うちの親、1浪して私立〇〇大の文系だからさ オレの結果、超喜んでる」
「おれの親はFランの△△大だからさ うちもすげー喜んでる」
「オレたち、親の遺伝子越えだな」
「遺伝子越え2世だな」
……遺伝子越え?
彼らの言う「遺伝子越え」とは、「親の学歴を越えた」という意味のようです。
合格を喜ぶ流れのなかで、さりげなく親の学歴を引き合いに出し、それを超えたことを冗談交じりに表現していたのです。
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