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軍神マルス第二部 31

第三十一章 鬼神

はっと我に返ったマルスは、すっかりこわばった手を伸ばしながら立ち上がった。
気が付くと、オズモンドも周りの兵たちも皆、呆然とした顔でマルスをじっと見つめていた。マルスの神技に皆、恐怖に近いほどの感嘆の気持ちに捉えられていたのである。
「マルス、君は人間か?」
オズモンドがやっとのことで声を掛けた。
「もちろんだ。だが、これだけ人を殺したのでは、悪魔と言われても仕方が無いな」
マルスは虚ろな気持ちで笑った。一体、何のためにこれらの兵士は死なねばならなかったんだ。もちろん、彼らを殺した事自体を後悔しているわけではない。彼らを殺さねば、マチルダもトリスターナも市民たちも皆、死ぬか暴行されていただろう。だが、こんな戦に何の必要性があったというのか。一部の人間の野望の為に、これほど多くの人間の血が流されていいのか。
海の上も、陸上も、夕日が血のように真っ赤に染め、そして海の上にも陸の上にもおびただしい本物の血が流れていた。海上を漂う船の残骸が、まるでグリセリードの兵士たちの墓標のようである。

マルスたちは気付かなかったが、バルミアを攻撃したグリセリード軍の一部は、港から王宮の方へ攻め上っていた。
王宮からの伝令でその事を知ったオズモンドは、すぐさま親衛隊を率いて王宮に戻ることにした。
「マルス、君はどうする?」
「マチルダやトリスターナが心配だ。君の家に行ってみる」
「そうか、なら、僕は王宮へ向かう。後で来てくれ」
「分かった」
オズモンドが去った後、マルスはぐったり疲れた体をグレイに乗せた。
グレイは、まるで自分の行くべきところが分かっているかのように、オズモンドの屋敷に向かった。
グリセリード軍の一部はバルミアの民家に押し入って、強奪、暴行をしている。マルスは馬上から、そうした悪党どもを見つける度に、弓で射殺しながら進んでいった。
「虫けらどもめ!」
マルスの心には、先ほどとは打って変わった怒りが湧き起こっていた。
敵兵の中には、マルスを見て矢を射掛け、あるいは槍や剣で切りかかろうとする者もいたが、どういう訳か、それらの矢はマルスがよけるわけでもないのに、一つもマルスに当たらなかった。
憤怒の表情で次々とグリセリードのやくざな兵士たちを射殺していくマルスは、まさに鬼神であった。
 その有様を目撃したバルミアの市民たちは、マルスの後ろにひれ伏して、マルスを拝むのであった。
やがてローラン家の門が見えてきた。
初めて、マルスの心に不安が起こってきた。自分がいない間に、マチルダたちの身に、何か悪い事が起こっていないだろうか。
グレイから下りたマルスは、ローラン家の門の前に立った。門は閉まっている。周りを見回したマルスは、門の上に攀じ登って、邸内に飛び降りた。
広い敷地を小走りに進んだマルスは、屋敷のドアをノックした。
「誰かいるか! マルスだ」
ドアが開いて、クアトロのいかつい顔がのぞいた。マルスはほっと安心した。
「やあ、クアトロ、ここには敵は来なかったか?」
「来たよ。三人だけだが、俺が殺した。まだ庭の中に置いてある」
「そうか、よくやった。皆大丈夫なんだな?」
「もちろんだ」
マルスはマチルダの顔を一目見たいと思ったが、今日はなぜか、マチルダの顔を見ると王宮へ戦いに行く気力を失いそうな気がしたので、そのまま王宮に行くことにした。
「王宮にグリセリード軍が来ているそうだから、僕は王宮に向かう。君たちは、このままここを守っていてくれ」
「分かった。安心しろ、マチルダさんたちには指一本触れさせない」
マルスはクアトロにうなずいて、ドアから離れた。
マルスの仕事は、まだこれからである。

 バルミアの東側で囮になっていた三十隻の船にエスカミーリオはいた。
 海岸で敵の上陸を待っていたジルベルト公爵が、痺れを切らして軍の大半を引き連れてバルミアに戻ったのを確認した後、船は海岸に悠々と近づき、上陸を開始した。残っていた千名のアスカルファン軍は慌てて矢を射掛けたが、船の方からも矢で応酬する。数少ない弓兵しかいないアスカルファン軍は、たちまち圧倒されて、後退し始めた。その間に、船からは兵士たちがどんどん上陸していく。船に積んでいた馬ごと海に乗り入れて、海岸に泳ぎ着く騎兵もいる。
 やがて本格的な戦闘が始まった。白兵戦になると、百年近い平和の時代を過ごし、ほとんど戦らしい戦をしていないアスカルファン軍の兵士と、戦乱の中に生き延びてきたグリセリード軍の優劣ははっきりしていた。
「見ろ、やはり我が軍の兵士の勇猛さは、一人がアスカルファン兵士三人ほどに匹敵するわ」
 戦闘を眺めていたグリセリードの将校の一人が高笑いをした。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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