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軍神マルス第二部 48

第四十八章 悪魔の囁き

意を決してマルスは壁の先に進んで行った。マルスの体は壁の中に消えた。その後からヴァルミラたちも続こうとしたが、壁に阻まれて、先に進めなくなった。
「マルス!」
ヴァルミラの声は洞窟の内部に空しく響いた。

マルスは一人になった事にしばらく気付かなかった。気が付くと、洞窟から普通の部屋に出ていたのが奇妙である。
「よく来たな。マルス、その指輪をこちらに渡して貰おう」
いつからそこにいたのか、一人の男の姿がそこにあった。褐色の肌に漆黒の口髭、痩せて背の高いその男は、かつて牢獄のヴァルミラの前に現れた男であり、また、シャルル国王をそそのかしてマルスと戦わせた男、マーラーである。
「お前が悪魔か」
マルスは言った。
「そう言ってもよい。この世での名はオマーと言い、またマーラーとも言ったが、もはやこの男の体は俺が乗っ取った」
「指輪は渡さぬ。俺はお前を倒しにここに来たのだ」
悪魔はおかしげにくつくつ笑った。
「馬鹿なことを。人間に悪魔が倒せると思うのか。まあ、聞くがよい、マルス。お前にいいものを見せてやろう。賢くなるぞ」
マルスの前に鏡が現れた。
「その鏡の中を見てみるがいい。何が映っている」
思わず、マルスは鏡を見た。
そこに映っているのはマチルダだった。
「お前の愛する女房だな。その女房が今ごろ何をしていると思う」
鏡はマチルダの部屋を映し出した。マチルダは、鏡台に向かって髪を梳かしている。身につけているのは薄物の夜着だけである。マチルダは後ろを振り返って微笑んだ。そこには一人の美しい若者がいた。マルスの小姓の一人である。若者はマチルダに近づいて、後ろから肩を抱いた。マチルダはうっとりと目を閉じて、若者の口づけを受けた。
「嘘だ! これはまやかしだ」
マルスは目を閉じて叫んだ。
「これは見たくないか。ならば、これはどうだ」
鏡には、ヴァルミラが映っている。見る間に、彼女は服を脱ぎ捨て、一糸まとわぬ裸体となった。そして、求めるようにマルスに向かって手を伸ばした。
「どうだ、これなら見たいだろう。これがお前の本当の心だ。なぜ、心のままに従わぬ。せっかく王位まで手に入れながら、なぜ自分の心を偽って生きるのだ。やりたいようにやれ。気に入らぬ者は殺せ。美女はすべて手に入れるがよい。ほら、この女はどうだ」
鏡には美しく微笑むトリスターナが映っていた。
「止せ! これがお前の偽りだと言うのは俺には分かっている。さっきのマチルダもお前が勝手に作った虚像だ」
「ほう、そうかな。ならば、これはどうだ」
鏡にはシャルル国王の恨めしげな顔が映っている。
「お前はこれまで無数の人間を殺してきた男だ。今さら善人面をすることはない。そう言えば、マルス、お前はずっと父親を探していたのではないか。父親が生きていれば会わせてやりたいところだが、残念ながら、お前の父親は、この前殺されてしまった。それも、お前のよく知っている男にだ。ほら、こいつだ、見てみるがいい」
思わず鏡を覗き込んだマルスは、しかしそこに自分の顔を見出しただけだった。
マルスは笑い出した。
「おかしいか、マルス。なるほど、鏡に自分の顔が映るのは当たり前、何の不思議もない。だが、そこが不思議なところさ。お前は自分の手で自分の父を殺したんだ。マルス、前のグリセリードとの戦いでお前が殺した、栗色の髪の武将、あれがお前の父のジルベールだ」
マルスは、悪魔の言葉が真実である事を直感した。マルスの心は空白になった。
 …………
「マルス、マルス!」
壁は消え、中に走りこんだヴァルミラは、床に倒れているマルスを見つけて揺さぶった。
マルスは目を開いて、白痴的な笑顔を見せた。ロレンゾが呟いた。
「いかん、精神をやられとる」
ヤクシーが、闇の中に何者かの姿を見つけて、剣を抜いて斬りかかった。
「ヤクシー、お前は我々の仲間ではないか。なんで人間どもの間にいるのだ。お前は生まれるところを間違えたのだ。今からでも遅くはないぞ、さあ我々の仲間になろう。ここにはお前の父親も母親もいるぞ」
笑うような、誘うような声がヤクシーに呼びかけた。
「ヴァルミラ、お前はマルスが好きなのだろう。マルスをお前の物にさせてやろう。マチルダになど遠慮することはない。思いのままに生きてこそ人間ではないか」
声はヴァルミラにも呼びかける。そして、続けてロレンゾにも言う。
「ロレンゾ、お前のためにマルスは死んでしまうことになるぞ。こんな無益で勝てる見込みの無い戦いは止めて、地上に戻るがよい。俗な人間どもの事など気に病むことはない。エレミエル教などというまやかしが滅びて、皆、本来の人間の姿に戻るだけのことだ」

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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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