第四章 砂漠への旅
船から下りたマルスたちは、久し振りの固い地面にほっとするものを感じた。
交易所で一休みしていると、黒人娘が、サービスなのか、マルスたちに椰子の果汁の入ったゴブレットを持ってきてくれた。
何かマルスに向かって話し掛けるが、マルスには分からない。
「他に何か食べるか聞いておるのじゃよ」
ロレンゾが言って、娘にこの国の言葉で何か言うと、娘はうなずいて向こうへ行った。
「へえ、旦那、ボワロン語が話せるんだ」
ジャンが感心して言う。
「昔、来た事がある。もっとも、わしは言葉なぞ使う必要も本当はないがの」
ロレンゾは、ピエールたちには意味不明の事を言って、椰子のジュースをごくりと飲む。
先ほどの娘が、今度は何やら料理を持ってきた。肉と野菜をトマトで煮込んだものらしいが、美味そうな匂いである。
久し振りの陸の食事を堪能した一行は、支払いを済ませた後、内陸部への旅に出発することにした。
「なかなか可愛い子だったな。色は黒いが、中味はアスカルファンの娘と同じみてえだ」
ジャンが、交易所を振り向いて、名残惜しそうに言った。
「飯も美味かった。ボワロンってとこも悪くねえ」
ピエールも言う。そして、ロレンゾに向かって言った。
「さて、爺さん、ロレンゾさんよ。俺たちはこれからどこに行くんだ」
「ボワロンでもっとも大きな町、ダンガルだ。ここからはおよそ五日くらいの距離だ」
「五日と言われても、歩きようによるだろうが」
「普通に歩いてだ。一日の昼間のほとんどを歩いて、五日ということだ」
「おいおい、もう少しのんびりいこうぜ。歩くのはせめて昼間の半分くらいでどうだ」
「大丈夫だ。いい乗り物がある」
ロレンゾは一行の先頭に立って、村の長老らしい老人の家に入った。何やら話していたが、やがて交渉がまとまったらしく、村の長老は下僕に何かを指示した。
外に出て待っていた一行の前にその下僕が連れてきたのは、なんとも奇妙な生き物だった。馬にも似ているが、馬よりずっと大きく、膨れた胴体は背中に瘤があって、足は胴体の割には細い。その生き物はマルスたちを小馬鹿にしたような目で眺めている。
「駱駝じゃよ。砂漠の舟じゃ」
ロレンゾが一行に教えた。
「へえ、舟にしちゃあみっともねえな」
ジャンが言って、その下僕の手を借りて早速乗ってみる。
駱駝は迷惑な荷物を乗せられたとばかりに立ち上がると、体を一揺すりしてあっという間にジャンを振り落とし、とっとと向こうの方へ掛けて行った。落ちた痛みでうなっているジャン以外は一同大笑いである。
なんとか駱駝に乗るコツを覚え、食料を買い込むと、もう夕暮れが近づいていたので、出発は明日ということになった。
粗末な旅籠に泊まることにしたマルスたちを戸口から物珍しげに覗き込む土地の住民を呼び込んで、ピエールとジャンは彼らにサイコロ博打を手真似で教えている。その中に、あの交易所の娘もいて、ジャンに盛んに片言で話し掛けられて、恥ずかしそうに笑っている。
驚いたことに、翌日マルスたちが出発する時に、その黒人の娘も付いて来たのである。
「おい、ジャン。これはどう言う事だ」
マルスが聞くと、ジャンは当惑したように答えた。
「いや、俺にもよく分からねえ。勝手に向こうが付いて来たんだ」
ロレンゾが娘に話し掛けて、どういうことか聞いてみた。
「どうやら、ジャンが自分に求婚したと思い込んでいるようだが、違うと言っても、それでも付いて行きたいと言っておる。まあ、土地の者が仲間にいると便利だし、この娘は別に身寄りもいないという事だから、一緒に連れて行ってやろう。どうやら、あの交易所で客を取って生活していた売笑婦らしいが、心はきれいな子だ」
娘の名前はマルスたちには発音しにくいものだったので、適当にそれに近い名で、アンジーと呼ぶことにした。
大金を出して買った駱駝三頭に荷物を分けて載せ、人間六人は交互に駱駝に乗って休みながら行くことにする。グレイは砂漠の歩行には向いていないので、空馬のまま歩かせる。
海岸の側の村から南に出ると、すぐにそこから広大な砂漠が広がっている。
見渡す限り砂、また砂である。そしてその上は雲一つない青空だ。この分では、雨はしばらく期待できそうにない。
アンジーはすぐにマルスたちに打ち解けた。中でもマチルダとは、やはり女同士気が合うのか、片言でお喋りし、マチルダはボワロンの言葉に急速に上達した。
ロレンゾの言ったとおり、五日後に砂漠の向こうに町が見えてきた。
その町はオアシスの側にあるらしく、はるか彼方からでも緑に囲まれている事が分かる。
ほぼ水も尽き掛けていた一行は、目的地を目の前にして一安心した。
「ダンガルの領主ザイードは、もともとグリセリードの者で、非常に残忍な男だ。町に入ったら、よくよく行動には注意するのだぞ」
ロレンゾは、そう言いながら荷物の袋から小さな壷を取り出し、マルスを呼び寄せた。そして、壷の中から何かの塗料を指で掬い、それをマルスの顔に塗りつけた。たちまちマルスは褐色の顔に変わる。マチルダも含め、他の者も同じように塗料を塗って、南部グリセリード人風の褐色の肌色に変わったのであった。
PR